任侠ファンタジー(?)小説・光と笑顔の新たな世界 えいぞう・番外編1


喫茶店マスターの一日

コーヒーメーカーが、コポコポと音を立てている。
直ぐ側にあるカウンターの中では、この喫茶店のマスターが、コーヒーカップを洗い、そして、水分を拭き上げて、後ろの棚に納める姿があった。
ひげ面のマスターは、午後の仕事に取りかかる。
冷蔵庫のドアを開け、中の食材を確認する。
足りないものをチェックして、メモに書く。

「さてと」

カウンター内にある監視モニターを見つめる。その画面に映し出される映像は、四分割になっていた。店の前、駐車場、店内、そして、裏口の様子が映し出されていた。
一人の男が、店の前に現れる。手には買い物袋を二つ持っていた。男は、軽い足取りで階段を昇ってくる。
店のドアが開いた。

「たっだいまぁ」
「お帰り。そして、いってらっしゃぁい」

マスターは、先程メモしたものを、男に放り投げた。

「!!! ……兄貴ぃ、ちゃんと買ってきたから」

メモに書かれたものを見ながら、男は応える。

「お前にしちゃ、珍しいなぁ、健」
「何年、喫茶店しとんねん! もう、慣れたって」
「はいはい。ほな、営業中にしとけ」
「はぁい。…って、まだ早いって」
「ええんや」

そう言われて、健は、再び外に出た。ドアに掲げている札をひっくり返す。

『営業中』

健はカウンターへとやって来る。そして、買い物袋から、買ってきた食材を出し、冷蔵庫へとしまい込む。

「兄貴、あとは、奥におるから」
「真北さんからか?」
「ほんま、更に人使いが荒くなっとるわ」
「まぁ、しゃないやろ。応援呼ぼか?」
「親父に怒られるから、ええ」
「ん?」
「こないだの事…親父にばれたんやろ?」
「まぁ…な。…怒られたん、俺やないか」
「それでもよ…」
「解ったって。でも、無理そうやったら、頼めや。健からやと
 断らんやろ」
「そうやけど……っと、いらっしゃいませ」

女性客が入ってきた。

「マスター、時間早いけど、ええん?」
「えぇ。構いませんよ、どうぞ」

マスターと呼ばれた男が、笑顔で女性客を招く。どうやら、常連の様子。女性客はカウンターの真ん中に座った。

「いつもので?」
「お願いします!」

マスターは、注文の品を作り始めた。
女性客は、マスターの側で手伝う健を見つめていた。

「健ちゃん」
「はい」
「今夜…暇?」
「う〜ん、今日は無理かなぁ」
「いつ、時間ある?」
「何か?」
「映画のチケット手に入れたのぉ!!」

女性客は、嬉しそうな表情で、健に映画のチケットを見せた。

「おぉ〜っ、中々手に入らないやつやん! どうしたん?」
「お得意先の人からぁ」
「それやったら、早めがええなぁ〜。いつになるか解らんけど…」
「そっか…期限があるもんねぇ」

女性客と健の会話を聞きながら、マスターは、注文の品を作り終え、女性客に差し出す。

「お待たせ」
「ありがとぉ、いただきます」

次の客が入ってきた。男性客三人。

「いらっしゃいませ」

明るい声でマスターが迎える。

「マスター、ええんやろ?」
「どうぞ」

どうやら、この客も常連のようで、マスターに、いつもの品を注文する。店の隅にある席へ座った三人は、この日の出来事を話し始めた。
マスターは、珈琲を煎れながら、先程の女性客と健が笑顔で話している様子を見ていた。

「健」
「はいなぁ」

健は、珈琲を三つ、お盆に乗せて、男性客の所へと持って行く。慣れた手つきで差し出し、一言二言話した後、カウンターに戻ってきた。そして、再び女性客と話し込む。
扉が開き、高校生が入ってくる。男子生徒二人、女生徒三人の五人組。これまた、常連の様子だが……、見た目はどうみても、『不良』っぽく…。

「お前らぁ、試験期間中ちゃうんか?」

マスターが声を掛ける。

「終わったって。今日が最終日」
「ちゃんと受けたんか?」
「受けてるって。ほんまに心配症やなぁ、マスターは」
「ほっとけ。ほな、試験終了記念でええか?」
「うん! よろしく!! あぁ、健ちゃん、おったんやぁ」
「おう、なんや?」
「だって、朝、忙しそうにしてたやん」
「朝はいつでも、忙しいねんって。それより、試験大丈夫なんか?」

健は、水を入れたグラスを五つお盆に乗せて、高校生達に近づいていく。

「ちゃぁんと出来てるって!」
「ほな、結果も教えてや。次は、厳しくいくでぇ」
「あれ以上、厳しいのんややぁ」
「でも、簡単に答え出たんやろ?」
「まぁ…そうやけどぉ〜。なぁ、健ちゃぁん、デートしよぉ!」
「駄目ぇ〜」

そう言って、健はカウンターに戻ってくる。

「健」
「なん?」
「映画、行って来い」
「ほへ?!」
「今から、時間あるんやろ?」

マスターは、女性客に尋ねる。

「うん」
「ほら、行ってこいって。俺がしとったるし」
「兄貴がやったら、それこそ無茶苦茶やん」

健が言うと同時に、マスターの拳が、健の頭のてっぺんに落っこちる。

ガツン……。

「いいから、行ってこいって」
「…ぶぅ〜。解ったよぉ〜」

頭を撫でながら、ふてくされたように応える健は、急に表情を変えて、女性客に話しかけた。

「ほな、今から行こか?」
「いいの? やったぁ!」

女性客の表情が、目一杯綻んだのは、言うまでもない。健は、カウンターの奥にある部屋へと入っていく。
マスターが、高校生達に飲物を差し出す。

「健ちゃんが、あかんねんやったら、マスターどう?」
「私ですか? こんなおじさんと一緒だったら、捕まりますよ」
「気にせぇへんもん」
「いやぁ、世間的に…ねぇ」

少し照れたような表情を見せて、カウンターに戻るマスターだった。

「マスターって、奥手やなぁ」

女子高生は、残念そうに呟く。

「ちゃうちゃう。手ぇ出し過ぎてんねんって」

出掛ける準備を終えて、奥の部屋から出てきた健が、店での話が聞こえていたのか、会話に割り込んでくる。

「なぁ、兄貴」
「……健……。例の事、真北さんに伝えておく」

静かに言うマスター。

「…っ!!!! 兄貴、それはやだぁ」
「だったら、俺の事を言うなっ」
「すまん……。ほな、行ってきまぁす!」

健は、女性客と一緒に喫茶店を出て行った。

「……おい、健っ!! …ったく、金くらい……まぁええか」

マスターは、片づけに入る。
年配の女性が四人、やって来た。

「いらっしゃいませ」
「マスター、健ちゃんは今日もデートなん?」
「今日も?」
「昨日、別の女性と歩いてたわよぉ」
「まぁ、気の多い弟ですからね」

女性と話しながら、水を用意して差し出すマスター。

「お紅茶四つね」
「かしこまりました」

女性四人は、賑やかに話し始める。その会話を耳にしながら、紅茶を四人分用意するマスター。
監視モニターをちらりと見る。

げっ…団体かよ…。

大学生たちが、十人ほど階段を上がってくる姿が映っていた。マスターは、急いで準備に入る。
ドアが開き、客が入ってくる。

「いらっしゃいまっせぇ。どうぞ、空いているところに」
「はぁい」
「こんにちはぁ」

それぞれが、挨拶をして席に着く。マスターは、紅茶を四つ、女性客に差し出した後、すぐに水を用意して、差し出した。

「えっと…。チョコパとフルパをそれぞれ二つ、紅茶を二つ、レイコを三つ
 ホットレモンティーを一つ」
「かしこまりましたぁ」

マスターは、すぐに準備に入る。珈琲の用意をしながら、紅茶を入れ、慣れた手つきでパフェを作り、注文の品を全て持って、大学生の客に差し出した。

「お待たせ致しました」
「ほんま、噂通り、早いんやんぁ、ここって」
「噂?」
「はい。ネットでね、噂になってたんや」
「ここがですか?」
「そう」
「……ネットですか……」

誰だよ…ったく…。

少し迷惑に感じながらも、営業スマイルは忘れないマスター。

「嬉しい事ですね」

そう応えて仕事に戻る。
ドアが開き、客が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

強面の男が三人。見ただけで解る。その三人は…極道。
マスターは、他の客と同じように振る舞う。お水を差し出しながら、注文を待つ。

「レイコ三つ」
「かしこまりました」
「なぁ、マスター」
「はい」

返事をしながら、カウンターに戻るマスター。

「この店…阿山組関連か?」

客の問いかけに首を傾げるマスターは、珈琲の用意をしながら、客に応えた。

「どういうことか解りませんが、ここは、全く関係ありませんよ」
「そうかぁ、ほな、間違いやな」
「間違いとは?」
「ここに顔を出したら、阿山組の繋ぎが来ると聞いてだなぁ」
「阿山組の繋ぎ?」
「ちょっとな、相談事」
「それでしたら、組本部に直接行かれたらどうですか?」
「行けるもんなら、とっくに行っとるわい」
「はぁ、そうですね」

レイコ三つ作ったマスターは、極道たちに差し出した。

「そちらの世界でお困りのことでも?」

慣れた感じで話しかけるマスターに、極道の親分らしき人物は、親しげに話し出す。

「まぁ、どこの組でも悩むことだよ。若い衆の跳ねっ返りにね」
「跳ねっ返りですか…。それをどうしろと?」
「一言、渇を入れてもらおうと思ってね」
「それくらい、親分のあなたで、なさればどうですか?」
「出来たら、とっくにやってるわい」
「はぁ、そうですねぇ」

ポリポリと頭を掻くマスターは、新たに訪れてきた客に挨拶をする。

「いらっしゃいませ。空いてる席にどうぞ」

客は、カウンターへと足を運ぶ。

「なぁ、マスター」

極道の親分が声を掛けてくる。

「……あのねぇ、ちょっと待って下さいね」

呆れたような言い方をして、新たに来た客の注文を聞くマスターだった。



「ありがとうございました」

年配の女性客が去っていく。マスターは、片づけに入る。
少し客が途切れたので、マスターは、極道の席に近づいていった。

「……まぁ、親分さんの気持ちも解りますけどね、そこを納めるのが、
 親分の力量ですよ。怒鳴ったり強く言ったら、若い衆が離れていくとでも?
 それはないですよ。親分の言葉に従えないような子分は、斬り捨てるか
 思いっきり指導してやるか…。若い衆は、自分で考えて行動するのは
 難しいんですよ。ましてや、一般市民とは違う世界で生き始めた者。
 そして、一般市民とは違うという事を誇示したい年頃なんですよ」
「…だから、俺……跡目を継ぎたくなかったんだよ…俺は…」
「普通の暮らしをしていたのに、親が亡くなり血筋だからと
 跡目を継がされた…そうでしょう?」
「……誰にも指導されずに、こうして親分として…」

レイコに口を付ける親分。

「この二人は?」
「この二人は、俺が跡目を継いだ時に付いてきたんだよ」
「ということは、一般市民…ですか…」
「そうなります」

項垂れる極道三人。

はぁ、やれやれ…困ったな…。

本当に困ったように、マスターは頭を掻く。

「マスターが、指導したったらええやん。だって、マスター……うがっ」

会話に割り込んでくる女子高生。その女子高生から発せられそうになる言葉に気付いたマスターは、思わず女子高生の口を塞ぐ。
と、そこへ男性が三人やって来た。

「いらっしゃいまっせぇ〜」
「……えいぞうぅ〜お前なぁ」

げっ……。

新たな客。それは、この喫茶店から、少し歩いた場所にある高校の教師三人組。その一人は、このマスターと深い関係のある者・通称ぺんこうという男だった。ぺんこうのこめかみがピクピクとしている。マスターが口を塞いでいる女生徒こそ、ぺんこうが勤める学校の生徒…。

「それに、悪影響があるから、ここには来るなと何度も…」
「だって、山本先生ぃ〜。マスターから誘われてぇ」
「…えいぞう…お前はぁ〜」

怒りが頂点に達しそうになるぺんこう。

「っと、こらぁ、芯っ。えいぞうさん、いつものん三つね」
「かしこまりましたぁ」
「あのなぁ、放せっ! 今日こそ、あいつをぶん殴るっ!!」
「芯、今は教師や」

ぺんこうの右腕にしがみついている教師・空広翔。

「そうやでって。真子ちゃんに知られたら、それこそ…」

翔と同じような感じで、ぺんこうの左腕を掴んでいるのは、教師・内海航だった。

「今は大丈夫やっ!」

そう言って、二人の腕を振り解くぺんこうだった。三人は、カウンターの隣にある店の隅の方の席に着いた。そして、すぐに仕事の話に入る。マスターは、ぺんこうたちの飲物を用意して、すぐに差し出した。

「えいぞう」
「ちゃうって」

短い会話に含まれる意味。それは、長年付き合う二人だからこそ解る事。

「何々?」

二人の会話が解らない航と翔が、興味津々に尋ねてくる。

「ん?」
「芯、何の会話? いっつも思うけど、えいぞうさんとは阿吽の呼吸?」
「付き合い長いからや。お前らと一緒」
「で??」
「極道の悩みを聞いているところに、割り込んできた。そして、
 えいぞうの素性がばれそうになった所を…ということだな」
「…!!! こわっ!」

恐れたように後ずさりするマスター。

「あのなぁ〜。…で?」

ぺんこうは、極道達を顎で指し、目でマスターに訴える。

「知らん」
「知らんって、お前…」
「あんな弱気の親分に、何を言っても無駄やって」
「……何の相談や?」
「若い衆の教育。…そや」
「ん?」
「ぺんこう、お前がやれ…!! っと、危ねぇ」

マスターの言葉と同時に、ぺんこうの拳が飛んでいく。咄嗟に避けたマスターだった。

「で、どこの組?」
「松川組。長年、何も無い大人しい組だったけどな、最近、
 若い衆の行動が激しくてさぁ。調べてみると代替わりしてて
 そうしたら、あんな男が跡目を継いでいたってことさ」
「ふ〜ん」

ぺんこうは、極道三人を観察するように見つめる。見た目は極道だが、醸し出される雰囲気は、悩み事を抱える普通の男。そんな雰囲気に安心するぺんこう。

「大丈夫だって。組長には危害は加えないから」
「見ただけで解る」

マスターの言葉に即答するぺんこうだった。

「……で、お前に相談か?」
「噂を聞きつけたらしくてな。ここに来たら、阿山組の繋ぎが
 来るらしい……ってな」
「繋ぎっつーより、下手したらお縄もんだよな」
「まぁな」

ぺんこうの言葉。
それは、阿山組と繋がっても、危険と判断されれば、そのまま逮捕されるということ。阿山組の本当の姿を知らない連中は、その先に起こる出来事のことは、気付かない者が多い。気付いた時には、すでにお縄になっているということだった。

「なんとかしたれや」

冷たく言ったぺんこうは、航と翔に振り返り、再び深刻な表情をして話し込む。

「ほんま冷たいなぁ」

呟きながら、カウンターに戻るマスターだった。

「なぁ、マスター」

寂しそうな声で呼ぶ極道の親分。マスターは、呆れたように返事をして近づいていった。

「だから、なんですか?」
「どうしたら、ええんや?」
「解散するか、私が言ったように、厳しくいくか…。あんた、
 普通の暮らししてた時、後輩を教育したことないんか?」
「ある…」
「その時と同じでいいんだよ」
「しかし、内容が…」
「その辺りは、応用せぇや」
「そ、そうですね…」
「後輩の教育…どうだったんよ。後輩は、ちゃんと育ったのか?」
「あぁ。立派に自立して、仕事をこなしている」
「それなら、悩む事ないやろが。その調子でやれ。親分の言葉に
 従わないならそれこそ、思いっきり怒鳴っていいから。そうじゃないと
 子分達は、本当に糸の切れた凧のように、飛んでいくぞ」

マスターの言葉が、親分の何かを動かした。
意を決したのか、親分は急に立ち上がり、そして、言った。

「解った。…マスターの言う通りにやってみるよ」
「嫌なら解散してもええんやで。紹介したるから」
「いいや、今はいい。やってみて、それでも駄目なら、頼むよ。
 マスターありがとな。これ、お代だ。おつりはいい」
「大丈夫か?」
「大丈夫だ。…やってやる。帰るぞ」
「はい」

親分は、テーブルの上に一万円を置いて、そして、喫茶店を去っていった。

「おぉ、もうけぇ」

そう言いながら、お札をポケットに入れ、片づけ始める。

「マスター、帰るでぇ」

女子高生が声を掛けてくる。

「もう帰るんか?」
「これから、カラオケぇ」
「あんまり悪い事すんなよ」
「大丈夫だぁって!」

高校生達は、それぞれの飲物代を置いて、ぺんこうに見つからないように、静かに出て行った。
大学生達が話し込んでいる。

「マスター注文!!」

新たな注文をする大学生達。そこへ、新たな客が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

時は夕刻。
この喫茶店で夕食を取る客も入ってくる。大学生達は、たくさん飲み食いした後、元気な声を挙げて店を出て行く。

「ぺんこう、夕食どうする?」

隣の席に着いた客に食事を差し出した後、ぺんこうに尋ねるマスター。

「いや、家に帰るよ」
「お二人は?」
「私たちは頂きます」
「かしこまりました」

ぺんこうは、帰り支度を始める。

「えいぞう、健は?」

カウンターで食事を作り始めたマスターに声を掛けるぺんこう。健が店に居ない事を気にする。それは……。

「デート」
「デート?」
「あの客」
「…あの客……まさか…昔のファン?」
「あぁ。映画のチケット手に入れた…と誘われてるのに、
 断るから、俺が強引に」
「今は大丈夫なんだな?」
「それは、解らん。奴らの行動も激しくなってるだろ? 真北さんの
 目が光っていない今がチャンスだろ」
「あの人は、いつでも目を光らせてるよ」
「ぺんこうが言わなければ大丈夫」
「さぁ、それはぁ」
「いくらなんでも、真北さんが無茶しそうな事は、言わんやろ」
「まぁ、そうだけど…」
「安心しろって」

いつにない強い言葉。

「それでも心配だ」

そう言って、ぺんこうは喫茶店を出て行く。入れ替わるように新たな客が入ってきた。

「いらっしゃいまっせぇ」

……って、いつも以上に忙しいぞ……。

と言いながらも、客を簡単にさばいていくマスターだった。




入り口のドアのプレートを『本日終了』に変更して、喫茶店の表看板の電気を消すマスター。ドアに鍵を掛け、店の掃除に取りかかる。
掃除を終え、明日の準備を始める。そして、その日の売り上げを計算し始めた。
煙草に火を付け、煙を吐き出す。

はぁあ…。

なぜかため息まで出るマスター。時計を見ると、夜の十一時を回った所。

「…………ったく、健の野郎…朝帰りなのか?」

ちょっぴり苛立ちを見せながら、売り上げ計算を終える。会計ノートを閉じ、店の奥にある部屋のドアを開け、店の灯りを消す。
棚からアルコールを取り出し、グラスに注ぐ。
先程、火を付けた煙草を指に挟んだ手でグラスを握り、一口飲む。
ふと何かを思い出し、部屋の隅にあるパソコンのスイッチを入れるマスター。そして、何かを調べ始める。
新たな煙草に火を付けて、パソコンの画面に見入る。グラスに手を伸ばし、アルコールを飲む。
それを繰り返しながら、素早い手さばきで、キーボードを叩いていく。
裏口のドアが開き、健が帰ってきた。

「お帰りぃ」
「たっだいまぁぁん」

酔っているのか、いつにも増して、おふざけが過ぎる健。帰って来るなり踊り始める。

「あほが…」

マスターは放ったらかしたまま、パソコン画面を見つめる。

「兄貴ぃ」
「ん?」
「俺………あの世界に戻ったらあかんかなぁ」
「……健…」
「今日も言われた……。復帰せぇへんのぉ〜って」

マスターは、健に振り返る。健は、ドスンと座り込み、マスターを見つめていた。そして、頭が項垂れる。

「俺……戻っても…」

マスターは、健の前に座り直し、そっと頭を撫でる。健は、嫌がるように首を振った。
マスターの手は、躊躇ったように宙に留まる。

「健、戻りたいなら、戻ってもええんやで。俺…言ったやろ」
「……でも…兄貴……俺…忘れてへんで…あの顔は…」
「気の迷いや」
「………いつもは、いい加減な雰囲気を表に出して、周りを
 撹乱させてるボディーガードが、深刻な…しかも思い詰めたような
 表情をしてたら、……誰だって………」
「健…俺は…」
「気になってたよ!! ちさとさんが亡くなった事件を知った後…。
 あの日も平気な顔して舞台に立ってたけど、心は兄貴の事が
 心配で…仕方なかったんやで…。兄貴の事や! もしかしたら…
 俺が、即答せんかったら、兄貴…向かってたやろ…その手を
 血で染めてたやろ!!」
「……その通りや」
「だから、俺………俺…」

マスターは、健を抱き寄せた。

「今は、俺一人で大丈夫やで。…なのに、いつまでも一緒なのは
 なんでやねん」
「兄貴と一緒に……」
「阿山組五代目を守りたいんか?」
「こんな俺に…笑顔向けて…くれたやん…」

健の声が震えている。

「…お笑いの世界でも、みんな向けてたやろが」
「そりゃぁ、笑いの世界やもん」
「戻りたいんやろ?」

健は首を横に振った。

「俺の決意は固いんやで…」
「知ってる」
「もう…戻る気は…ない…」
「それなら、何を悩んでるんや?」
「だって、兄貴……」
「ん?」

健は顔を上げて、マスターを見つめる。

「最近、可笑しいもん…。兄貴…いつものいい加減な雰囲気が無い…」
「事態が事態やろ?」
「そうやけど…。兄貴が変わったら…それこそ…」
「俺が変わる?」
「阿山組五代目のいい加減なボディーガード…小島栄三…の
 雰囲気が……変わってるもん。…いつもの兄貴ちゃうもん」

かわいらしく、うるうるした目で、マスターを見る健。

健……あのなぁ〜。

「ほんまに、酔ったら質悪いな…。ほら、寝ろって」

マスターは、健に手を貸し、側に敷いている布団に寝かしつける。軽々と服を脱がし、パジャマに着替えさせ、布団を掛ける。

「なぁ、健」
「あん?」
「お前の好きに生きたらええんやで」

優しく、そして温かい声を掛けるマスター。

「兄貴と過ごすんが…好きな生き方やもん…」

半分寝ぼけながら応える健は、布団を頭まで被る。

『五代目を守るんやろぉ。俺もや…』

健…。

マスターは、布団の脹らみに手を当てる。

『俺に笑顔くれたんやもん。寂しかった俺に…』

やっぱり、あの頃……。

マスターは、気になっていた。
自分の思いから、大切な弟の人生を、無理矢理変えてしまった事を。
自分に付いていくと言われたものの、時々見掛ける健の表情が気になっていた。

寂しげ…。それでいて、誰にも心を許さない雰囲気。

それに気づき、優しく声を掛けたのは、真子だった。
それでも健は、威嚇する。
そして、真子のあの平手打ち…。

「……くみちょぉ〜」

健が寝言を言う。

「……健のあほ…。夢で何をしてんねん」
「好きやぁ〜。だから、早く………戻って下さいね…。
 兄貴……の…為…にも………。俺……」

ったく…。

照れ隠しに、健の頭を軽く小突き、パソコンに振り向くマスター。

「げっ……」

画面に映し出された文字に、絶句。

早く寝ろぉ〜。

という文字と共に、健の似顔絵が動き出す。
どうやら、健は、出掛ける前に仕込んでいた様子。

「ったく…健のあほが」

マスターは、何かを打ち込み、そして、パソコンを終了させる。アルコールを飲み干した後、シャワールームへと足を運び、この日の疲れを流した後、セキュリティーシステムを作動させてから、布団に潜り込む。

部屋の灯りが、静かに消えた。




朝。
鳥が鳴き出す時間帯。まだ、人気もまばらな喫茶店の前の道。
マスターは、道を履き、水をまく。そして、その日の準備に取りかかる。玄関マットを置き、札をひっくり返す。

『営業中』

店に入ると、カウンターでは、二日酔いで、ちょっぴり顔色の悪い健が、朝の支度をしていた。

「兄貴、無くなる分、買い出しに行くけどぉ」
「今日は俺」
「えぇ、なんでぇ」
「二日酔いの体で動くな」
「俺大丈夫やけどぉ〜。あかんか?」
「あかん」

即答するマスターだった。

「兄貴ぃ」
「ん?」
「組長んとこぉ」
「駄目」
「行きたいぃ〜」
「あかん」
「行こうやぁ」
「無理」
「向かうのぉ」
「行かへん」
「出発ぅ」
「せん」
「出掛けるぅ〜」
「無駄」
「呼んでるぅ」
「気のせいや」
「気のせいちゃうもん」

そう言って、小型のパソコンを取り出した健。パソコンは、かわいらしい呼び出し音を奏でていた。応対する健の表情は、二日酔いを感じさせない程、とても穏やかで、それでいて素敵な笑顔だった。

「かしこまりましたぁ!!」

元気な声で返事をした後、電源を切った。

「………って、健、それ…」
「携帯電話も兼ねた奴。こないだ作ったんやもぉん」
「健」

静かに言うマスター。

「はい」
「それ、組長には絶対に渡すな」
「なんでぇ? 使いやすいのにぃ」
「……テレビ電話風にしたら、それこそ、お前……」

ギクッ…。

健の考えはお見通しのマスター。マスターの言葉で、健の表情が強ばる。

「その通りかい…やっぱし、出掛けるな! 俺が行く」
「って、兄貴ぃ〜、結局は兄貴が行きたいだけやん!!」
「うるさいっ」
「チエッ……」

ふてくされたように項垂れる健だった。
マスターは、奥の部屋へと入っていく。
鏡の前に立ち、後ろに束ねている髪を解き、くくり直す。そして、付け髭を取り、顔を洗った。
顔を拭き、鏡に映った自分を見つめる小島栄三。
えいぞうは、服を着替える。
真っ赤なサテンのシャツに、紺色のズボン。ネクタイをせずに紺色の上着を羽織る。
再び鏡を見て、笑顔を見せる。

「今日も笑顔はOK!」

そう言って身支度を終えた。

「健」
『はいなぁ』
「組長、なんて?」

えいぞうの尋ねる事に応えようと、部屋に顔を出す健は、嬉しそうに応える。

「鈴本んとこの資料の件やぁ言うてた」
「ほんまに逢うつもりなんだな…」

えいぞうの脳裏に不安が過ぎる。

「須藤さんも資料揃えてるらしいけど、もっと詳しい方がええやろ」

健が深刻な表情で言う。

「そうやな」

何か考えがあるのか、一点を見つめていた。

「兄貴? 俺が調べとこか?」
「いいや、いい。落ち合うから」
「…兄貴…」
「ん?」
「親父にばれるなよ」
「解ってらぁ〜、ほなな。帰りは明日」
「無茶せんといてやぁ」
「伝えるだけや」
「気ぃつけてなぁ」

えいぞうは、裏口の扉から出て行った。

健はカウンターにある監視モニターを見つめる。駐車場に停めている車。そこに、えいぞうの姿が現れた。
いつにない真剣な眼差しをしているえいぞうは、車に乗り込む。どこかへ連絡を入れながら、エンジンを掛けた。連絡を終えた後、アクセルを踏んで、駐車場を出て行った。

兄貴ぃ、無茶せんといてや。組長が、哀しむからさ…。
記憶を失った今、更に、心配症になってるんやから…。

健は、小型パソコンのスイッチを入れる。その画面には、赤い点滅と緑色の点滅が映し出された。
赤い点滅は、AYビルに向かい、緑の点滅は、今、自分の居る場所から離れていく。
喫茶店の扉が開き、客が入ってきた。

「いらっしゃいまっせぇ!」
「おはよぉ〜! おぉ、今日は健ちゃんかいな。マスターは?」
「仕事ですよ」
「喫茶店の経営が仕事やろ?」
「いいえ。本来の仕事ですよ」
「本来の?」
「小島栄三としての…ね」

笑顔で応える健。
その笑顔は、朝の光よりも眩しかった。



えいぞうは、車を走らせていた。
その表情こそ、いつもいい加減なボディーガードとは違い、誰も寄せ付けない物であり、付け髭をしている喫茶店のマスターだとは、全く感じさせない表情だった。

これこそ、隠された素顔…阿山組五代目のもう一人のボディーガードを醸し出している。
やるときは、誰も停められない程の動きをする男。
本来の姿を隠す事で、周りを惑わせている。

一番厄介な男…小島栄三。
そんなえいぞうが守るべき人は、今、とある事件で記憶を失っている………。



(2015.11.16 UP 改訂版2016.5.22. UP)



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※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。



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