任侠ファンタジー(?)小説・光と笑顔の新たな世界 むかいん・番外編


専属料理人

阿山組本部。
庭の手入れをしている猪熊八造を見つめながら、真子(八歳)と向井涼は、楽しく話し込んでいた。

向井涼。
ほんの一週間前に、真子の専属料理人になったばかり。しかも、隣の料亭で修行中の身。休憩時間に、こうして、真子と話し込んでいた。

「そうですね。料理を作っている時が一番楽しいです」
「向井さんの夢は?」
「自分の店を持つことですね。そして、お客さんが、おいしいと仰って、
 満足した表情で帰って、また、お店に来てくださる…。だから、お嬢様が
 おいしいと仰った時は、嬉しかった」
「おいしかったもん」

真子は微笑んでいた。

「おかみさんの所で修行が終わったら、お店持つの?」
「まだ、解りません。修行もいつまでかかるか解りませんし…」
「夢…叶えてね!」

お嬢様…。

向井は、それ以上何も言えなくなり、真子の笑顔に笑顔で応えるだけだった。

「そろそろ休憩時間が終わりますので、失礼します」
「うん。頑張ってね! 今夜も楽しみにしてるから」
「ありがとうございます。では」

向井は、深々と頭を下げて、隣の料亭に続く渡り廊下を歩いていった。八造が、真子の側に歩み寄る。

「終わった?」

真子が尋ねる。

「山本が来るまで、お話しましょうか?」
「…うん。…山本先生、遅いね…」
「参考書を見に行くと出掛けてから二時間経ちます」
「どうしたんだろう…」

心配そうな表情をする真子だった。

まさか、また…。

八造の心配は、当たっていた……。




「ふぅ〜」

大きく息を吐いて、服を整えるのは、真子の家庭教師をしている山本芯だった。
足下には、チンピラ風の男が三人倒れていた。どうやら、ほんの少し前まで、暴れていた時の影響が出ているらしい。地面に落ちた荷物を手に取り、埃を軽く叩いた後、歩き出す。
ふと視野に入った高級車。後部座席の窓が静かに開いた。
山本は、嫌な表情をして後部座席の男を見つめていた。

「乗るか?」
「結構です」
「真子ちゃんが待ってるってよ」

その言葉で、山本は、車に歩み寄り、開いたドアから乗り込んだ。
そこに乗っていたのは、真北と阿山組四代目組長・阿山慶造だった。

「失礼します」

山本は慶造に対して深々と頭を下げる。

「怪我…無いか?」

慶造は、真っ正面を向いたまま、山本に尋ねた。

「ございません」

力強く応える山本に、安心したような表情をしたのは、真北の方だった。そんな真北を見つめて、慶造は、フッと笑っていた。

「お嬢様が待っているとは、どなたからですか? 確かに予定の時間より
 遅くなってしまいましたが…」
「それは、あいつらのせいか?」
「あいつらで、七組目です」
「そんなにか?」
「行く道の先々で待ちかまえてましたから」

淡々と話す山本に、真北は呆れていた。
車は、阿山組本部へと入っていった。



庭に通じる縁側で、真子に楽しい話をしていた八造は、足音で顔を上げた。そこには、真北と山本が立っていた。

「お帰りなさい。まきたんと山本先生」
「真子ちゃん〜、まきたんは、やめてください」
「遅くなりました。お嬢様、勉強を始めますよ」

真北と山本の言葉は重なる。真子は驚いたように目をパチクリさせていた。

お嬢様が驚いているでしょうが! あなたは、黙ってください。
いいだろが、話をするくらいは。
駄目です。
あのなぁ、お前…。

「あ、あの…」
「遅れた分、取り戻さないと、向井さんの料理の時間に間に合いませんよ」

そう言って、山本は、真子の手を引いて歩き出す。

「は、はい。八造さん、ありがとう」
「がんばってください」

八造は、一礼する。
真子と山本の姿は、廊下の角を曲がる。

「庭の手入れか?」

真北が、庭の様子を見つめながら尋ねた。

「はい。あと少しなので…。…まさか、また、大変な事態にでも?」

真北の表情で、何か大変な事が起こっている事を把握する八造。

「手伝ってくれるのか?」
「親父も、小島さんも未だに無理そうなので、勉強を兼ねて、私が…」
「慶造も、そう言ってたよ。手入れが終わったら、俺の部屋に来てくれよ」
「はっ。では、失礼します」

八造は庭木へ向かって歩き出した。

「向井は、料亭か?」
「はい」
「おう」

真北は、隣の料亭へ向かって歩いていった。



阿山組本部の隣にある料亭「笹川」
その厨房では、向井が他の料理人より素早く動いていた。
出汁を取ったり、野菜を細かく刻んだり…。真北は、その様子を見つめていた。
向井は、真北の姿に気が付き、料亭のおやっさんに何かを告げて、真北の歩み寄る。

「真北さん、何か?」
「すまんな、忙しいのに」

向井にそう告げ、おやっさんに一礼して、向井と料理場を去っていく。

「その後、どうかな…と思ってな」
「いつもと変わりませんが…」
「そのな…。お前、あの店を飛び出してから、家に連絡したのか?」
「してませんよ。それに、こんな俺が、今更、親に連絡をしても
 無駄ですよ。家を飛び出して、あの店に厄介になってからも
 あまり連絡してなかったんですから」
「店にな、連絡して来たらしいぞ。慶造が、店のオーナーに言われたらしい」
「まさか、親父が怒鳴り込んできたとか…」
「いいや…。お前の姿を一目見ようと、あの店に来たらしいよ。
 だけど向井の 姿は、すでになく…」
「組長さんに拾われたと伝えれば…」
「言えなかったらしいよ。やくざの組長さんに世話になってる…なぁんてな」

軽い口調で言う真北とは反対に、向井は、暗い表情になっていた。

「どうした?」
「いいえ、何も…。…あの、私、戻ります」
「あ、あぁ。すまん。忙しいのにな」
「失礼します」

向井は、深々と頭を下げて、厨房へ戻っていった。
真北は、何気なく、向井の後ろ姿を見送り、真子の部屋へと向かっていった。

真子の部屋から、山本の声が聞こえてくる。

勉強中は、邪魔したら悪いよな…。

優しい眼差しをドアの向こうに居る真子に向けて、真北は去っていった。部屋に入ろうとしたとき、八造がそこへやって来た。

「お待たせ致しました」
「早かったな…」
「へっ?」
「いいや、その話というのはな…」

真北と八造は、慶造の部屋に向かって歩いていく。




「真北さぁん、涼ちゃんに何言ったんですか!!!」

慶造の部屋から出てきた真北の姿を見た途端、料亭の女将・喜栄(よしえ)が、怒鳴り込んできた。いきなりの事で、真北は思わず壁にへばりつく。
流石の真北も、料亭の女将・喜栄には弱いようで……。



隣の料亭の一室に、真北と喜栄が座っていた。

「そうですか…。まさか、そんなに影響しているとは…」

真北は、喜栄から、深刻な話を聞いていた。
真北と話した後の向井の様子がおかしいということ。
今まで、失敗をしたことがない向井が、立て続けに失敗をしていた。
出汁を入れ忘れたり、切り方を間違えたり…。しまいには、火を上げてしまった。
幸い大事には至らなかったが、仕事にならないとおやっさんが怒ったらしい。怒られてもへこたれない常に前向きの向井が、その時ばかりは、苛立ちを現して、厨房を飛び出していったらしい。

「飛び出したっきりなんですよ。どこに行ったのかも解らず…。
 うちの人が気にしてしまって…。店を若いもんに任せて、
 慶造親分に相談するかも」
「……それこそ、俺が怒られるじゃありませんか…」
「慶造親分は、真北さんには、怒らないですよ」
「それは、解りませんよ。向井の事は、真子ちゃんに繋がるでしょう?」
「そうですね…。どうしましょう…」

困った表情の喜栄。

「喜栄さんは、おやっさんをお願いします。慶造の話だと、怒ると
 とても厄介なんですよね…」
「そうですよ。流石の慶造親分も停められませんからね。…で…?」
「料亭にも本部にも居ないとなると、行き先は解ってますから」
「お願いしますね。…あの人、すごく気にしますから…。涼ちゃんを
 気に入ってるだけに…」
「すみませんでした」
「…真北さん、涼ちゃんのこと、お願いしますね。…私も気になることですから」
「えぇ」
「その…やばいことに、ならないですよね?」
「…極道の仕来りですか?」
「えぇ」

凄く心配そうな表情で、喜栄は俯いた。
遠い昔を思い出しているようで…。

「大丈夫ですよ。だから、私が居るんです」

真北の自信たっぷりな言い方に、喜栄は、少し安心した表情を浮かべる。

「お願いします」

真北は、喜栄に優しく微笑んでいた。


本部へ続く渡り廊下を歩いていく真北を見送る喜栄。そこへ料亭のおやっさんが近づいてくる。

「あんた…」
「真北さん、なんて?」
「涼ちゃんの行き先は解るって」
「じゃぁ、慶造さんに頼まなくてもいいね」
「えぇ。…慶造親分に、あまり迷惑かけられないでしょう?」
「そうだな…。戻るよ。仕事」
「はいはい」

おやっさんは、ポケットに手を突っ込んで、厨房へと入っていった。ポケットに入れられた手を見つめる喜栄。

涼ちゃん…大丈夫だよね…。




向井は、ふと、顔を上げた。

女将さん?

誰かに呼ばれたような気がしたのだった。
向井は、壁にもたれかかり、ある店を見つめた。
そこは、怒り任せに飛び出した自分が働き始めた店。
店長と折り合いが悪くなり、短気な性格が災いして店を飛び出した。その時に居合わせていた慶造が、向井に声を掛け、隣の料亭で働くように持ちかけたのだった。
向井は、ため息を付く。

毎日来るわけないか…。

「そんなに心配なら、連絡の一つくらい入れたらどうだ?」

その声に驚いて振り返る向井。そこには、真北が立っていた。

「真北さん…」
「すまんな…。そんなつもりで、話したんじゃないんだよ。
 それに、向井の心に引っかかっているとは知らなかったよ」
「そんなこと…ありませんよ」

複雑な表情をする向井。

「無理するな。お前の心は、その手に現れるだろが。喜栄さんが
 心配してるぞ…」
「女将さんが…?」

向井の表情が少し明るくなる。

「女将さんに心配かけるのは、よくありませんね…」

気合いを入れる向井。

「大丈夫なのか?」
「…はい。……あの日…慶造さんに付いていくと決めた日に、
 心は決まりました。だけど……確かに、気になります。
 親に、そのような態度は良くない。ですが……自分で決めた道。
 …家を飛び出す時に……」

拳を握りしめ、何かを我慢する向井。その向井の目が、何かに凝視した。真北は振り返る。

「おやじ…おふくろ…」

向井の呟きに、向井の心境を悟る真北。

「どうする?」
「…おれ…」
「声が掛けにくいなら、俺がきっかけを作ってやるよ」
「いいえ、結構です……」
「ったく。無理するなって」

真北が言っても、向井は、頑なに拒む。困ったような表情で向井を見つめる真北。店の前には、向井の父と母らしき人物が二人、店に入ろうか、どうしようかと悩んでいる。

「…向井は、ここから離れるなよ」
「えっ? …って、真北さん!!」

向井に告げた後、真北は、店の前の二人に向かって歩いていった。影からその様子を見つめる向井。真北は、難なく二人に声を掛けていた。

「どうされました?」
「あっ、いいえ、その…」

真北は、向井に背を向けているため、真北の仕草は、向井には解らない。
真北は、懐から手帳を取り出し、その二人に見せた。その途端、二人は、何かにすがるような表情へと変化する。

「息子を…捜して下さい!!」



真北は、店から少し離れた喫茶店に、向井の両親と入っていった。向井は、その様子を見つめ、そして、三人が座った場所が見える位置へと移動する。
両親は、真北に何度も何度も頭を下げている。

おやじ…おふくろ……。



「あの、頭を上げてください」

真北が言っても二人は、頭を上げない。

「息子さんを捜すとは?」
「実は、私どもの息子が行方不明になってしまったんです。
 数ヶ月前まで、あの店の厨房で働いていたんです。
 …料理学校を卒業して、家を飛び出して、あの店で…。なのに、
 店の店長ともめて、出て行ったらしいんです」

父親は顔を上げて、真北を見つめた。

「私どもに声を掛けてきたのは、どうしてですか?」
「何か、お困りの様子でしたので。仕事柄…」
「店の人にも尋ねたんです。ですが、行方は知らないと…。
 息子は、昔っから短気なので、我慢というのを知らないんです。
 料理学校を卒業できたのは、恐らく、自分の好きなことだったからでしょう。
 家を出て半年。そろそろ身に付いたものを確かめようと、
 こっそりここに来たんですが…すでに…」
「息子さんは、出た後だった…」
「はい。…息子は、ここで頑張っていると噂を聞いて…。なのに…」

何かを振り絞るような感じで、父親は話を続けた。

「出て行った息子の行き先…どうやら、今、世間を賑わしている極道組織…
 阿山組の組長に拾われたと…」
「極道?」
「…もしかしたら、息子の性格が災いして…」
「それはないでしょう。いくら、極道でも、一般市民には手を出しませんよ」
「でも、その極道に迷惑を掛けたのなら、解りません。…助けて下さい。
 息子…そこで、働かされてたら…」
「阿山組…ですか。…どこから、その話を?」

父親は、真北に手招きして顔を近づける。

「その店長さんが、息子と言い争った日に、阿山組の組長さんが
 客として、来ていたそうで、その時に、もらっていく…と」
「それなら、大丈夫でしょう」
「でも…」

落ち込む二人に、真北は優しい声を掛ける。

「解りました。その阿山組で、様子を伺ってきましょう」

一筋の光を感じたのか、二人は、希望を持ったような表情で真北を見つめる。

「もしもの時を尋ねてよろしいですか?」
「もしも?」
「もし、料理人を止めて、極道に入っていたら?」
「それが、息子の意志なら、仕方ありません。…人様に迷惑を掛けないように
 生きてもらえれば…。そうなっていれば、それこそ、縁を切ります…」
「話さなくても…よろしいんですか?」
「涼は、意志が固いですから」
「もし、料理人を続けていたら?」
「あいつの夢…店を持つ事。それが叶うなら、それでいいです。続けるように…と。
 それで、いつか、招待しろと…」
「お二人に会いたがっているならば、どうされますか?」
「店を持つまで、逢いません。自分に自信を持ってから、連絡しろ…と」
「どちらにしても、今すぐ行方が解っても逢わないんですね」
「…涼は、自分の道を歩み始めたところだから…。私たちに会えば、心が揺らぐ…。
 あの子を駄目な人間にしたくありませんから」
「解りました。もし、阿山組で逢ったなら、お二人の意志を伝えておきます。
 それでよろしいですね?」
「行方だけは連絡してください。…もし、居なければ、他に当たって下さいますか?」
「そうですね。居なければ、署の方に来ていただくことになりますが……」

真北は、何かに気が付く。

「あの…既に届けているとか?」
「いいえ。あのお店に、阿山組の組長さんが通っていると聞いたので、
 お話を聞こうと毎日伺っていたんですが…。組長さんは、あれ以来
 来ていないと先ほど聞きました。それで、この後、阿山組の方へ
 訪ねてから、返答次第で警察の方へ行こうと話していたところだったんです」
「そうでしたか」

ぎりぎりだったな…。

真北は、なぜか、安堵の息を吐いた。

「では、これから、私が阿山組へ訪ねてみますので。明日、返事致します。
 連絡先を教えていただけますか?」
「はい」



真北と向井の両親は、店を出てきた。両親は、真北に何度も頭を下げながら去っていった。ふと振り返る真北は、向井の姿を見つけ、歩み寄る。

「真北さん…。すみませんでした」

向井は深々と頭を下げる。

「どうする? 両親に伝えるのか? 今の生活を」

何も応えない向井。どうやら、葛藤している様子。

「ったく。…ちゃぁんと明日の朝までに答えを出してくれよ。
 二人は、今の向井の生活を心配してるからな」
「はい…。必ず、出します…」
「よし。…じゃぁ、帰るぞ。真子ちゃんが待ってる」

真北は、ちらりと時計に目をやった。
時刻は夕食時に迫っている。

「しかし…」
「今の心境が料理に出るぞ。いいのか? 真子ちゃんが心配するぞ?」
「そうですね…でも、今は…」
「しゃぁないなぁ。真子ちゃんに伝えておくよ。体調崩したってね。
 こうなったのも、俺のせいだからな。すまん、向井」
「真北さん……」
「じゃぁ、帰るぞ」
「……はい…」

向井を促して、真北は車に乗せ、本部へと向かっていった。



向井は、自分の部屋の窓際に座り、外を眺めていた。
暗くなった庭は、各部屋からの灯りで仄かに明るくなっている。その庭をただ見つめるだけだった。
ドアがノックされた。向井は、気になりながらも、ドアを開ける。

「お嬢様…」

そこには、真子が立っていた。少し離れた場所には山本と八造の姿もあった。

「体の調子が悪いって…真北さんに聞いたから…」
「あっ、その…今は大丈夫です。…その夕食…すみませんでした」
「…元気になったなら、安心した。明日は、ゆっくりと休んでね」
「は、はい…」
「じゃぁ、お休みなさい」
「お休みなさいませ」

真子は、八造と一緒に、部屋へ向かって歩いていった。山本だけが、その場に残る。真子達を見送った後、向井に近づく山本。

「心配事か?」
「あぁ…」
「俺で良かったら、話、聞くで。内に秘めてると、更に悪化するぞ」

山本の優しい眼差しに、向井は、思わず…。

「……!!! って、おい…!」

向井の頬を一筋の涙が伝っていた。



「なるほどなぁ〜」
「だから俺…言えなくて…連絡も取れなくてさ…」
「そうだよな。まさか、世話になっているのが、極道だとはなぁ」
「山本さんは、どうなんですか? ご両親には?」
「俺は両親亡くなったから。独り身だったから、心配してくれる者は居ない。
 だから、こうして、ここに居ても平気なんだよ」
「そっか…」
「向井さんの今の気分は?」
「最悪」
「組長さんに拾われて、隣の料亭で修行してる気分は?」
「張り切れる。好きな料理を楽しめるから。それに、今は、お嬢様のために
 いろいろな料理を作ることも楽しい」
「真北さん、言ったんだろ? 今の向井さんの生活を見ても、ご両親は
 引き留めないって。極道として生きていようが、好きな料理人を続けて
 いようが、向井さんの好きなことをしていて、周りに迷惑を掛けてないなら
 何も言わないって…」
「おっしゃってた。…どう伝えたらいいのか…解らない」
「さっき、俺に言ったことを伝えたらいいんだよ」
「さっき?」
「隣の料亭での修行に張り切っている。お嬢様の為に、いろいろな
 料理を作る事が楽しいってな」
「そうだよな…。お嬢様って、どこの…って聞かれたら?」
「料亭のって言っておけよ。専属料理人とも言っておけばいいだろ?」
「そんなことでいいのかな…」
「心配症だなぁ。大丈夫だって。真北さんに、今の自分をちゃんと伝えるか
 黙っててもらうかを応えれば、後は、ちゃんとしてくれるって」

自信ありげに言う山本に、向井は、疑問を抱く。

「…山本さん…」
「ん?」
「真北さん、信じても大丈夫なんですか?」

その言葉に、山本の表情が柔らかくなる。

「…あぁ。大丈夫だよ」

向井は、その時、なぜか、心が和み、心配事が吹き飛んでいた。



朝。
元気な姿で、本部の厨房に立つ向井の姿があった。
そこへ、真子がやって来る。

「お嬢様、おはようございます。今朝は、楽しいものにしましたよ」
「おはようございます、向井さん」

向井の笑顔に釣られるように、真子は微笑んでいた。

「今日のご予定は?」

フライパン片手に、向井は、真子に尋ねた。

「昨日と一緒だけど、十時から一時間程、庭で体を動かすって」
「では、お昼は、疲れが吹き飛ぶものにしておきます」
「はぁい」

真子は食卓に着く。そして、料理が運ばれてくるのを待っていた。ダイニングに山本と八造がやって来た。

「おはよ、八造さん、山本先生」
「おはようございます、お嬢様。今朝は早いですね」

山本が言った。

「おはようございます。お嬢様、今日は、私は、慶造さんと出かけますので…」

八造の言葉に、少し寂しそうな表情になる真子。

「無理…しないでね」
「ありがとうございます」
「それなら、八造さんは、力のつくものがいいですか?」
「頼んでいいのか?」

八造が尋ねる。

「お安いご用ですよ」

笑顔の向井は、フライパンから皿へと料理を移した。
真子は、そんな向井を見て、山本に、静かに話した。

「笑顔…戻ったね」
「はい。もう、大丈夫でしょう」
「よかった」

本当に安心したような表情をする真子だった。
山本と八造は、真子の笑顔に安心する。
向井の夕食を口に出来なかったことで、折角取り戻した笑顔を失いつつあった真子。向井の料理が、ここまで、真子に影響していると解ったのは、その時だった。向井を心配するあまり、落ち着きをも失っていた。
向井の料理が運ばれてくる。

「お待たせしました」
「いただきます!」

真子の元気な声が、リビングに響き渡った。




夕方。
山本と真北が、庭で遊ぶ真子と八造を見つめながら話していた。

「ご両親は安心されたんですか。…これで、向井さんも心おきなく過ごせますね」

山本は、真北から目を反らして言った。

「山本先生は、心配する家族は居ないんですか?」

真北が尋ねる。

「居ませんね」

冷たく応える山本。それには、真北は呆れていた。

仕方ないか…。

「まぁ、誰かが心配するようなことだけは、やめておけよ」
「そんな人、居ませんよ」
「居るだろが、一人」

真北は、真子を見つめたまま言った。山本は、その目線に合わせるように振り向いた。
真子が笑顔で、八造と遊んでいる。

「……そうですね」

山本の表情が、すぐに和らいだ。
真子が二人の目線に気が付いたのか振り返る。

「真北さんと山本先生も一緒に遊ぼう!」
「私は、遠慮します。そろそろ慶造に呼ばれますから」
「山本先生は?」
「明日の準備に入りますよ。お嬢様もそろそろお部屋に戻らないと、
 八造さんは、疲れてるでしょう?」

山本の言葉で、真子は八造を見上げる。

「ごめんなさい」
「私は、元気ですよ。それより、そろそろ、向井さんの夕食が出来上がる
 時間だと思いますが…」
「そうだね。素敵な香りが漂ってるもん。戻ろう!」

真子は、八造の手を引っ張って真北と山本の所へやって来た。

「真北さんも食べていく?」
「私は外食で」
「……お父様と?」
「えぇ。大切なお客様と会いますから」
「解りました。…気を付けてね」
「ありがとうございます」

真北は、そう言って、真子を抱き上げ、頬に軽く唇を寄せた。

「さぁ、戻りましょう」
「はい!」

真子は元気に返事をした。







AYビル・むかいんの店。
とある一席に真北と一組の夫婦が座っていた。三人が見つめる先。
そこは、厨房だった。
厨房の入り口に真子とまさちんが立っている。そして、厨房から顔を出した、むかいんと笑顔で話し込んでいた。
夫婦は、その光景を見つめている。そして、感極まったのか、涙を流し始めた。ハンカチを手に、流れ出す涙を慌てて拭いていた。
真子が、振り返る。真北の姿に気が付いたのか、手を振って近づいてきた。

「真子ちゃん。特別室で?」
「ううん、事務室で。…こんにちは」

真子は、同席している夫婦に挨拶をした。

「こんにちは」
「こちらには、初めてですか?」
「えぇ」
「そうですか。…目一杯味わってくださいね。心が和む料理ですから」
「はい。ありがとうございます」

夫婦は、深々と頭を下げる。

「じゃぁ、真北さん。またねぇ」
「あまり無理しては駄目ですよ。体調は未だなんですから」
「大丈夫だって。むかいんに言ってあるし、むかいんだって、解ってたもん」
「ったく…」

真北に笑顔で手を振って去っていく真子。まさちんは、軽く頭を下げて、真子を追いかけていく。真子とまさちんが店から出た後、むかいんが、真北の側にやって来た。

「真北さん、来られた時は、おっしゃってください」
「すまん。急ぎやったんや」
「初めまして。本日は、ご来店ありがとうございます」

むかいんは、深々と頭を下げ、夫婦に挨拶をする。顔を上げた時、夫婦を見つめていた。そんなむかいんを夫婦は、じっと見つめている。

「????」

不思議に思いながらも、むかいんは、話を続ける。

「ご注文は?」
「料理長お奨めコース。こちらの二人の心を和ませてあげてほしい。
 心配事を吹き飛ばすようなものを頼んだよ」
「かしこまりました。では、ご用意致します。暫くお待ち下さいませ」

むかいんは、再び頭を下げ、厨房へ入っていった。
むかいんの姿、そして、仕草を一つ一つ逃さないように見つめる夫婦。夫が真北に尋ねた。

「本当に、解らない様子ですね」
「申し訳ない。…あの頃、お伝えしたように、むかいんの…息子さんの
 意志で、真子ちゃんと過ごす事になり、その後、大けがを…その時の怪我が元で
 昔の…阿山組の隣の料亭で働く前…あの店を飛び出す前の記憶は
 失ったようです。…だから、自分の両親の事は思い出せないと…」
「それで、いいです。…今の、あの姿が、あの子の幸せを語ってますから。
 親分さん…阿山慶造さんと同じことをおっしゃるんですね、娘さんは」

遠い昔を思い出すような雰囲気で夫が話す。

「そう言えば、あの時、慶造も言ってたなぁ〜。向井の料理は、心が和む…と」

真北もまた、あの頃を思い出していた。


料理が運ばれてきた。
差し出すのは、むかいん。夫婦は、むかいんの仕草を頭にたたき込むように、じっと見つめていた。

「前菜です」

むかいんは、料理の説明をし始めた。
どうやら、むかいん自身、このご夫婦は、真北関連の事件に巻き込まれた夫婦だと思っているらしい。

「いただきます」

夫婦は、料理を口に運ぶ。
一口、口に入れただけで、何かが洗い流されたような感覚が体を走る。

「どうでしょうか…お口に合いますか?」

夫婦は、そっと頷いた。

「では、次に取りかかります」

むかいんは再び厨房へ。

「むかいんの心ですよ。初めてのお客には、こうして、まず口に合うのか
 確かめるんですよ。そして、口に合わなければ、合うようにもっていくんです」
「……口に合わないわけ、ありませんよ…。だって、この味は、あの頃と同じ…。
 料理学校に通い始めた時に、作ってくれた味…。心が和むもの…。
 記憶は失われても、腕は、…味は変わってない…。…昔と……。
 だけど…何かが変わった。……優しさが伝わってくる。
 食べる人の心を和ませようとする…そんな気持ちが、伝わってきますよ…」

妻の方が、涙を流しながら話した。夫は何も言わず、一口一口味わうように、食べていた。

「真北警部…。ありがとうございます」

夫婦は、深々と頭を下げた。

「ご安心されて…こちらも、肩の荷が下りました」

真北は微笑んでいた。



厨房では、真北の座る席の様子を見ていたコックが、むかいんに伝える。

「余程のことがあったんでしょうね。あのご夫婦、泣いてますよ」
「その涙を幸せの涙に変える。それが、課題ですよ」

そう応えたむかいんは、張り切っていた。
まるで、その夫婦を知っているかのように……。



真北は、少しずつ心が和んでいく夫婦を見つめていた。前菜の時とは違い、表情は、とても和やかになっている。真北も安心したような表情を浮かべていた。

真子ちゃん、これで、安心ですね。

むかいんが、デザートを持ってきた。

「デザートをお持ち致しました」

夫婦は、料理長を見つめる。
むかいんの笑顔は、デザートよりも輝いていた。



(2015.11.16 UP 改訂版2016.5.22. UP)



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※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。



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