任侠ファンタジー(?)小説・光と笑顔の新たな世界 短編 その5-3


外科医・橋雅春の望み

真夜中の橋総合病院。
昼間のざわつきが嘘のように静まりかえり、患者のいびきが廊下に聞こえてくる頃、廊下が突然騒がしくなった。
橋は真剣な眼差しで、病院の廊下を走っていた。向かう先はICU。
橋は、ドアを開け、中へ入っていく。
ICUに入る為の消毒を施しながら、中の看護婦に声を掛ける。

「容態は!」
「一向に……」
「兎に角、伝えた通りに準備してくれ」
「はい」

橋の言葉に、関西弁が消えていた……。


真子が、敵対する組・黒崎組の五代目組長、黒崎竜次に誘拐され、竜次が裏で密かに開発していた薬を打たれた。その薬の副作用があまりにも強く、真子の体に異変が起こっていた。
相手の行動を制限する『筋弛緩剤』に似た成分が含まれている薬を打ち、その後、『催眠状態』に陥る役目をする薬を打たれ、最初に耳にした声の主の言葉を聞くようになるという、人を思いのまま操ってしまう厄介な薬。
真子はそれを打ち込まれ、竜次の思いのままに操られる寸前、まさちんたちに救われた。
その際、解毒剤を打ち込んだものの、真子が服用している頭痛薬との反応で、『筋弛緩剤』の作用が急激に強くなり、真子の体のあらゆる筋肉に影響。時には心臓が止まってしまう程の状態に陥っていた。
今までにない状態に、焦る橋。
それでも救わなければならない。
親友の大切な人だから……。


黒崎竜次の兄が、弟の起こした事の穴埋めに、真子の体に効果のある薬を開発し、それを残して、日本を発っていった。
その薬を橋は真子に投与した。
真子愛用の病室で、真子は、ぐっすりと眠っている。側には、真北が付きっきりだった。
病室のドアを開けても、真北は振り返らない。橋は、そっと近づいた。

「これで大丈夫だよ。もう…心配ない」

その声に反応したかのように体を動かした真北は、橋が手に持っている書類に気付いた。
橋は、何も言わずに真北に渡す。
それは、研究室からの臨床実験結果報告書だった。

「見るだけで、お前なら解るやろ?」
「あぁ。…後遺症は…ないのか?」

真北が静かに尋ねてくる。

「わからん」
「はぁ?」
「ん? …嘘や…冗談。後遺症はない」

と言った橋の言葉に、真北は睨み上げてきた……。

「橋……」
「怒んなよ。ほんまに大丈夫やから。あとは、真子ちゃんの目が覚めて、
 そして、体力が回復したら、退院や。安心せぇよ」
「…退院まで……安心できないよ…」

真北の言葉は、ずしりと重たかった。
過去に、同じような経験をしている真北。
その時以上に、激しい不安に襲われている事は、橋には解っていた。
真子を見つめる真北の肩を優しく叩いて、橋は静かに病室を出て行った。

真北……。

ドアを背後で閉めた時、背中に感じた哀しみのオーラ。
真北が、どれだけ心配しているのかが、肌で解った瞬間だった。

だけど、真子は、真北の心配をよそに、元気に退院した。
その真子は、その後、何度も病院にやってくることになる。
まるで、常連のように…。
真子が無事に過ごせるようにと、真北が影で働いても、『阿山組五代目組長』の肩書きがある限り、真子を狙う輩は後を絶たない。真北の行動が、更に激しくなる。
橋の事務室に足を運ぶ回数も増えてくる。

真子ちゃんの寝顔が、俺の薬やから。

事務室に来るたびに、そう言った真北。
その真北が、絡んだ事件で、真子が狙われてしまった!!



橋の事務室。
ソファに項垂れて座る真北を尻目に、橋はカルテの整頓をしていた。
真北の前には、アルコールが置かれていた。
グラスに注がれているアルコールを一気に飲み干した。そして、新たに注ぐ。

「くそっ!」

グラスを握りしめる手に、力がこもる。
ガラスが割れる音がした。
橋は慌てて振り返る。
真北の手の中で、グラスが割れていた。割れた破片を手の中に握りしめているのか、震える拳からは、血が滴り落ちていた。

「自分を傷つけるな」

冷静な声で真北に語りかける橋。真北の隣に腰を下ろし、その手を取った。
ゆっくりと拳を弛め、手を開けると、ガラスの破片がいくつも刺さっていた。橋は慣れた手つきで、破片を取り除き、手当てを始める。その間、真北は身動き一つしなかった。
何を考えているのか、ありありと解る。

自分を責めている。

守るべき人を、自分が傷つけてしまった。
そして、裏切られた思いに、真北は耐えきれなくなっていた。

「……尊敬……していたのにな…。どんな極悪な相手にも
 屈せずに、冷静に刑事として接し、行動できる…鹿居さんを…。
 まさか、俺に対して……あんな行動に出るとは思わなかったよ…」
「それ程、お前は、その世界では一流の腕であり、誰もが
 尊敬する人物なんだろうが。…その腕を知ってるから、お前を
 守り、そして、共に行動する者が多いんだろ?」
「…その結果が、これだ」

静かに呟いた。

「そうだな」
「……橋……」
「自分を責めて、耐えきれなくなって、グラスを割って、自分を
 傷つける。…そんな結果しか出ないなら、何もかも忘れるくらい
 大切な人を守れよ。とことんまでやって、それでも駄目なら
 仕方ないだろうがな。……お前の真子ちゃんは、強いんだからさ。
 お前を守るくらいの勢いがあるんだろ? その真子ちゃんに守られたら
 それこそ、お前は自分を責めてしまうんじゃないのか?」
「……そうだろうな……」
「そうならないように、もっと行動せぇや」
「上に停められる…」
「上が停めることも出来ない程、動けばええんちゃうんか?
 お前の得意技やろが」

その言葉に、何か弾けたような眼差しになる真北。しかし、それは急に落ち込むものへと変わってしまった。

「真北?!?!?」
「あかん……今、一番厄介な人物が、上司や…」
「………まさか……」
「あぁ………滝谷さん…」

その名前を聞いて、橋は一呼吸置く。

「そりゃ、厄介だな。制限されるよなぁ」
「あぁ」

真北は、ボトルから直接アルコールを飲む。それを橋に取り上げられた。

「傷の治りが遅くなるから、これ以上は飲ませない」
「…解ったよ…」
「真子ちゃんのことは、まさちんに任せて、お前はお前の仕事を
 しておけ。真子ちゃんが停めたくなるくらいの動きでな。
 そうすりゃ、気持ちも落ち着くだろ? それでなくても、真子ちゃんの
 寝顔は、毎日……拝めるだろうが!」
「……解った。…いつも……ありがとな、橋」

真北に笑顔が戻った。

「あぁ。次は、アルコールあらへんで」
「わかっとる」

そう呟いて、真北はソファに寝転び、

「二時間」

と告げて、眠りに就いた。

「お休みぃ」

橋が、静かに言った。



その後、真北の動きは、激しくなるより、大人しくなっていた。
どうやら、真子が真北の行動を制限した様子。
時々訪ねてくる真北の口調でも解る。
真子の事を語る時が、一番輝いている真北。
それを見るだけで、橋の心も落ち着いていく。


平穏な日々が続き、外科の患者も無かった日。
回診の時間、患者たちが廊下で話していた事が、気になった。

「銀行強盗だって」
「それも爆弾持ってるらしいよ」
「偽もんちゃうか?」
「わからんで…。でも、警察に囲まれてるから、
 犯人が捕まるのも時間の問題やな」
「人質は?」
「解放されたらしいんやけどな」

久しぶりに耳にした事件。特に気にも留めなかったが、その事件が、思いっきり橋に関わってきた。

回診を終え、事務室に向かっていた時、看護婦が血相を変えて駆けつけた。

「ん? 何か遭ったんか?」
「銀行強盗事件で、怪我人が…」
「爆弾は、本物やったんか…」
「と暢気に話している場合ちゃうんです!! その怪我人は
 真北さんですよ!!!!」
「なにっ?!? あいつ、無茶しよったんか?」
「爆発する瞬間に、他の刑事達を守って、爆風に飛ばされて
 ガラスの破片が突き刺さったようです」
「他の刑事は?」
「幸い、軽傷だそうです」
「そうか……安心するよ」
「えっ?」

看護婦は、橋の言葉の意味が解らなかった。

安心するよ。

それは、真北の事を差していた。
仲間を守る事が出来た。
今度こそ……。

サイレンの音が徐々に近づいてきた。




到着した救急車から、ガラス片を胸に突き刺したままの真北が、降ろされる。ゆっくりと走るストレッチャーに橋が駆け寄った。
幸い、真北には意識があった。

「橋…」
「意識はあるんか」
「当たり前だよ。…あちこち、痛いけどな」
「そらそうやろ。爆風に飛ばされたんやろ? それに…」

と話ながらも、傷を診る橋。

「動脈は逸れてる。ガラス抜くくらいでええやろ」
「…簡単に、言うな…」
「見た目は凄いけどな」

突然、真北は手を伸ばし、橋の胸ぐらを掴んできた。

「な、何や?!」
「組長には、知らせるな。…言うなよ…」
「知らせな、あかんやろ」
「言うな…」

手術室へ直接運び込まれる。そして、すぐに麻酔をかけ始めたが、真北は中々眠りに就こうとしない。手術着に着替えた橋が近づいても、真北は、

「言う…なよ」

その言葉を繰り返している。橋は、麻酔医に問いかける。

「麻酔効かへんのか?」
「効いてるはずです。真北さんの目、うつろですよ」
「ほんまやな。……真北、なんで真子ちゃんに言ったらあかんのや?
 お前のこと、どう説明すればええんや?」
「言う…な……。…言うな…よ…。組長、能力…使うだろ…。
 だから、……橋……言うな…よ…」
「だぁ、もぉ、解った解った。言わへんから、眠れ」
「言うな…よ…、絶対に……」

橋の言葉を聞いて安心したのか、真北は、すぅっと眠りに就いた。

「やっと効いたか…」
「通常の三倍…使いましたが……」
「…おいおい…。ま、暫くは、こいつを休めなあかんやろな。
 丁度えぇ機会や。こいつ、休まへんからなぁ。この際、
 休ませるとするかぁ」

何かを企んだ眼差しをしたまま、橋は手術を始める。
真北の胸に突き刺さったガラス片を取り除いた瞬間、大量の血があふれ出た。

やば……。

橋の手の動きが、素早くなった。
手術は、その後、何事もなく終わる。傷の縫合をしている時だった。
橋は、ふと何か思い出した。

「取り敢えず、血液検査用に血液を抜いといて」
「えっ? 大丈夫ですか? 貧血起こしますよ?」
「大丈夫や。足りないくらいが丁度ええやろ」
「院長、いくらご親友でも、それは言い過ぎじゃありませんか?」
「……お前も知ってるだろが。真北は、この傷でも、目を覚ましたら
 絶対に起き上がって、すぐにでも仕事に戻ろうとするぞ。
 …それを考えたら、……怖くないか?」

橋と話していた医者は、想像したのか、思いっきり首を横に振り始めた。

「この際、出血が酷かったとでも言っておけ。そうすりゃ、こいつも
 諦めて動こうとはせんやろから」
「では、通常の二倍ほど……」
「三倍でも、かまへんで」
「かしこまりました」

……って、院長、後でばれたら、怒られますよぉ〜。

手術室に居た医者たちは、そう口にしたいものの、橋が言った真北の行動を考えただけで、何も言わずにおこうと決心していた。
真北が動けば、橋が怒る。
そうなると…橋先生こそ休むことなく、仕事に没頭しそうだから……。


真北の血液検査結果が出た。
その結果を見つめながら、どこかで見た記憶がある橋は、事務室へ戻っていく。

橋は、極秘ファイルを手に取った。
そこには、ぺんこうの血液検査結果の用紙が挟まれていた。

数年前、ぺんこうが銃弾に倒れて入院した時に、血液検査を行った所、未知の物質が検出されていた。その事が気になり、何度か検査を繰り返し、その時に、DNA検査も行っていた。
DNA検査結果のページを開き、そして、先程手渡された真北の血液検査結果ファイルを開ける。
DNA検査結果のページを見た。
真北とぺんこうの検査結果は、一致している所があった。

……そういう…ことか……

橋は、大きく息を吐き、その結果を持って、事務室を出て行った。
まだ、目を覚ましていないだろう真北の病室へ向かっていく。
どう話を切り出せばいいのか。
それを考えるだけで、いつもは軽い足取りが、重たくなっていた。
真北の病室のドアをそっと開けた。
ベッドに寝転ぶ姿よりも、窓際に居る人物に気付き……、

「あほか、お前はぁ〜っ!! 寝とかんかいっ!!!!」
「悪ぃ〜悪ぃ!」

恐縮そうに言ってるが、悪びれてる素振りは全く無い。
真北は、橋に言われてベッドに戻る。

「あのなぁ、怪我したんは、ほんの三時間前やで。それやのに
 起きる奴がおるかぁっ! ちっとは、こっちの身にもならんかっ」
「だから、悪いっつーたろが」
「あの程度やったら、お前はくたばらんと解ってたけどな、
 かなりの重症のフリしとけよ。この際、充分休養を取れ」
「そんなことしてられないよ。傷が塞がれば退院させろっ」
「あかん。今すぐ……抜糸するぞ」

低い声で凄む橋。

「……お前……それでも医者が?」
「医者や。周りに酷い奴と言われようが、医者やぁっ!!!」
「そうでっか」
「だけどな、ほんまに安静やぞ」
「全身打撲と、ここだけやろ?」

真北が指さした場所。そこはガラスが突き刺さっていた所だった。

「そこの傷や。今は何とも無くてもな、もしかしたら…」
「まさか…残ってる?」
「そうや。ガラス片が残ってる可能性がある」
「お前でも無理やったか。…そうか…あの刺さり方だと
 可能性があるよな」
「もっとえぐりたかったけど、色々あるやろ」
「解ったよ…お前の言うとおりにするよ。…世話…かけるよ…」

少し寂しげに言う真北に、

「気にするな」

力強く応える橋だった。

「それより、別のことが気になるんや」
「別の…事? あっ、組長、能力は?」
「大丈夫や。真子ちゃん自身が使わないと断言しよったから」
「ありがとな。…で?」
「これやねんけどな…」

橋は、一枚の用紙を真北に渡す。

「検査結果…? これが…どうした?」
「お前らの真子ちゃんへの態度が気になっててな。悪いと思ったけど
 調べさせてもらった。……その……な」

真北には解っていた。そこに書かれている文字が、何を示すのか。
気まずい雰囲気に、真北は目を背けてしまった。

「まさか真北…お前と…その…」

意を決して話そうとした時だった。
看護婦が急患の知らせを伝えに来る。橋は、その場を去っていった。

「意識不明の重体です。両足骨折に……」

看護婦が伝える事を一言一句、頭に叩き込む橋。
その眼差しは輝いていった。



一仕事終えた橋は再び、真北の病室に顔を出す。
真北は珍しく眠っていた。

「眠ったか…。ま、しゃぁないやろな」

真北が握りしめている用紙を手に取る。

「まさか、一致するとは思わなかったよ。…お前のあの時の態度…。
 気になってたからさ。…昔っから変わらんな、…本当に大切なことは
 誰にも話さないんだな。…探って欲しくないことは解るけどさ…」

橋は、真北を見つめる。

「この十五年の間に、何が遭ったんだよ…話してくれよ…」

真北の手を布団の中に入れ、静かに病室を出て行く橋。
その足取りは、何故か重かった。


その後、真北は徐々に回復していくが、体内に残ったガラス片は、検査の結果、取り除かなければ危険と判断された。

この際、長期休暇を取れ。

真北の上司に当たる、滝谷の言葉でもある。
そんなときに、またしても、大学内で真子が狙われ、怪我をする。
橋は、動くことを許されない真北のために、真子を同じ病室に寝かしつける。
真子に、真北の監視をさせる為に。
そして、真北の心が和むように……。

明け方。橋は一仕事を終えて、真北の病室へ向かう。

今頃、眺めてるやろなぁ。

そう考えるだけで、何故か橋の表情は綻んでしまう。
ナースステーションの前を通るとき、自分の表情が弛んでいる事に気付き、思わず顔を引き締めた。

「まさちんさんは、日付の変わる頃にお帰りになりました」
「ったく、真子ちゃんに何かあったら、自分で対処するつもりやな」
「そのようですよ」
「まぁええわ。真北は出てないんだな」
「はい」
「ありがと」

橋は、真北の病室へ入っていった。

「……やっぱしなぁ。一晩中、眺めてたろ」

橋の言葉に、真北は肩を振るわせながら笑い出す。

「そんなに娘の寝顔を見るのって、嬉しいもんかなぁ」
「うれしいさ」
「……俺に、隠し事は止めろよ」
「別に隠してないよ。あの日に全部話しただろ?」
「そうだっけ?」
「あぁ。何を勘違いしているか解らんが、俺は真子ちゃんを
 育てただけだ。ちさとさんには……指一本触れてない」
「なんとでも言え。…で、同じ病室でええんか?」
「気にするな」
「気にしてへん。お前は嬉しそうやし」
「ま、まぁなぁ」
「で、どうするんや?」
「まさちんが、講義の間も付きっきりになると言ってたしな。
 その言葉に甘えるとするか」
「そうしとけ。お前はこのまま夏近くまで入院な」
「後…一ヶ月もか?」
「言ったやろ。ゆっくり静養せぇって」
「……そうだよぉ、真北さん」

真北の側で眠っていた真子が目を覚ます。

「ごめん、真子ちゃん、起こしてしもたか?」
「起きる時間でしょ? …まさちんの気配が…」

真子が言うと同時に、病室のドアが開き、まさちんが入ってくる。

「おはようございます。組長、調子は……??」

まさちんが声を掛けると真子は立ち上がり、帰り支度を始めていた。

「真子ちゃん、二、三日入院や言うたやろぉ」
「やること、ぎょうさんあるから、ほななぁ」

そう言って、真子は勇ましく歩いて、病室を出て行った。

「解ってます! 真北さん、ごゆっくり!」

真北に呼び止められる前に、まさちんはそう言って、去っていく。

「…ほんとに解ってるんかなぁ」

真北は呟き、橋は笑い出す。

「何がおかしいんや?」
「お前の寂しそうな顔や! …なんちゅう顔しとんねん」

大切な物を取り上げられて、寂しそうだと、ありありと解る真北の表情に、橋の笑いは止まらなかった。

「まぁ、それがお前らしいから、わしは好きやで」
「俺はノーマルだぞ」
「……真北の口から出る言葉とは思えん……」

静かに言う橋は、真北の言葉に驚いていた。

「真北…そっちの世界に染まりすぎや。水木の影響か?」
「あほ。あいつの影響なんか、これっぽちもないわい」
「そらそっか。水木自身、真北を恐れてるしな。ほな、わしは
 仕事に戻るぞぉ」
「お前こそ休めって」
「いややぁ」

そう言って橋は真北の病室を出て行った。
ナースステーションに寄り、真北の事を告げている時だった。
一人の男が、前を通り、そして真北の病室へと入っていった。

修羅場か……?

そう思った途端、橋は、真北の病室へと戻っていった。
病室からは、ぺんこうと真北のやり取りが聞こえてくる。

『それは無理やな。あいつには、思いっきり心配かけさせてやる』
「…退院が延びますよ」

と嫌味っぽく言って、ぺんこうは病室を出て来た。
廊下に居る橋に気付いたぺんこうは、

「お世話になってます」

深々と頭を下げた。

…あの頃と、えらい違いやなぁ。
ぺんこうは、真面目さ一筋や…言うてたっけ、…真子ちゃんが。

「気にするな。ぺんこうも、元気そうで、何よりや」
「ありがとうございます」
「真子ちゃん、待ちくたびれとるで」

二人の会話を聞いていた橋は、それとなく言った。

「そうですね! では、失礼します」

丁寧に頭を下げて去っていくぺんこうを、橋は温かな眼差しで見送った。そして、真北の病室へ入っていく。

「……退院延ばすぞ、ほんまに」

真北は起き上がっていた。

「やなこった。夏になる頃には、できるだろ?」
「そうやな。それまでには、………あのなぁ」

橋は言いにくそうな表情になる。

「何も言うなよ」

真北が真剣な表情で言った。

「不思議な関係なんだな、お前らは」

呆れた表情に変わった橋に、真北はフッと笑う。

「そういうもんさ」
「さよか」

それ以上、言葉はいらない。
真北と橋は、目で語り合っていた。

「……組長達…無事に帰ったのかなぁ」

真北が呟く。

「…大変やな、お前も」
「まぁ、色々と……な」

橋と真北は微笑み合っていた。




「こんにちは」

そう言って、ナースステーションを通り過ぎるのは、ぺんこうだった。
真北の再手術が決まってから、毎日夕方には見舞いにやって来る。
真北の病室に入ると、必ず橋が居た。
まるで、ぺんこうが来ることを待っていたかのように…。

「また、動いたんですか?」

ぺんこうの第一声は、必ずこうだった。

「いいや。回診の時間なだけ」

真北と橋が声を揃えて応える。

「そうですか。……本当に、周りに迷惑を掛けないで下さいねっ」

力強く言うぺんこう。
橋は、ぺんこうに背を向けているが、ぺんこうの口調に、誰かを感じたのか、笑いを堪えて体を震えさせていた。

お前なぁ、笑いすぎ。
似てるよな…ほんまに。
うるさいっ。
お袋さんの役目もあるんだろ?
…似てきたよな。…お袋と一緒の時間が多かっただけに。

二人は静かに語り合っている。その姿は、ドア付近で待機しているぺんこうには、症状の事を話しているようにしか見えていなかった。
橋の診察が終わると、ぺんこうが真北に近づく。

「真子ちゃんはぁ?」

ぺんこうに尋ねる事は、いつも同じ。

「そんな表情で尋ねる人には言いません」

ぺんこうの応えも、いつも同じ。

「意地悪すると、動くぞ」
「俺が許さん」

真北の言葉に、橋が応えるのも、毎日同じ。
まるで、録画した場面を見ているかのようなやり取りだが、当の本人達は、気にしていない様子。
真北とぺんこうの喧嘩腰のやり取りを、橋は時間がある限り、見つめて楽しんでいた。

なるほどなぁ。こいつがやくざの世界から出てこないのも、
これがあるからか…。

ふと表情が弛む橋だった。

「橋先生、早く退院させた方が、お仕事に支障ありませんよ」
「そうやな。そろそろ退院させた方が、俺の身のためにもなるか…。
 ぺんこう、良いこと言うよなぁ。流石、真子ちゃんが自慢する教師や」
「あっ、その……組長……俺のことを??」
「嬉しそうに語ってたよ」

そう言うと同時に、橋のポケベルが震える。

「仕事だ…」

と呟く眼差しは、とても輝いていた。

「あまり、無茶するなよ、橋」
「お前も動くなよ。ほな、ぺんこう、程々に相手してから
 気をつけて帰れよ」
「いつもありがとうございます」

一礼するぺんこうに軽く手を振って、橋は病室を出て行った。

「…橋先生って、本当に仕事が好きなんですね。…似た者同士は
 集まるって言葉が似合ってますよ」
「ほっとけ。…で、真子ちゃんは?」
「……あのねぇ〜。御自分の事は、気にならないんですか?」
「自分の事は解るから、聞いてるんやろがっ。早く言えっ!」
「嫌です。…それでは、これで」

と冷たく言って、ぺんこうは、真北の病室を出て行った。

「ったく……」

まぁ、あいつの表情で、解るけどな。

真子が無事なら、ぺんこうの表情は、仕事の疲れを見せない。
そんなことは、知っている。兄でなくても……。


それから一週間後、真北は退院した。
そして、いつもの如く、三日に一度の割合で、橋の事務室に訪れて、真子の話をしていく。しかし、絶対に口にしない話があった。

「なぁ、真北」
「ん?」
「ぺんこうの話は…せぇへんのか?」
「…せな…あかんか?」
「昔のお前は、逢うたびに言ってた。…それが今は真子ちゃんか?」
「まぁな」
「…でも、俺が昔、診察してたこと、覚えてると思ったけど、
 そこまで徹底してるんだな、お前らは」
「…それは、あの時の術も関係してる。…その後、何度か
 俺が恐れるほどの行動に出たんでな」
「例の薬の影響か?」
「あぁ。慶造を見た途端、暴れるし、あいつらの手の者が
 近づいたら、俺以上の攻撃に出ていたからさ…。
 あいつに掛けた術は、更に強化してるから、橋の事は
 忘れているかもしれない。…すまんな」

恐縮そうに、真北が言う。

「気にせんでえぇ。お前の心配の種が減ってるだけでも
 俺は、安心やし」

橋は、大きく息を吐いた。

「でも、まさか……」
「ん?」

橋は、真北の湯飲みに新たなお茶を注ぐ。

「そういう形で側に置いていたとは…お前も悪い男だな」
「ほっとけ」
「だけど……」
「ん?」
「…あの子が、あんなに立派になってるとは、驚いたよ。お前の教育か?」
「あのなぁ〜。さっきも言ったように、俺に対しては、昔のような
 雰囲気は微塵も無いんだって。俺に負けないようにと自ら努力した結果が
 あれなんだって」
「お前の夢……ぺんこうが叶えていたんだな」

静かに言う橋に、真北は温かな笑みを浮かべ、

「あぁ。兄貴思いだからさ…」

静かに呟いた。
そんな真北を見て、橋はこの時、本当に安心したのだった。




それから、阿山組を襲いかかった出来事で、真北と橋の二人の絆は強いことが判明した。
離れていても、切れることのなかった絆。
橋は何が遭っても、親友の為に、親友の笑顔の為に、自分の仕事に精を出し、更に腕を上げる事を決意した。

誰もが恐れる仕事好きの超一流外科医・橋雅春。

彼が疲労で倒れる日は……永遠に来ないだろう。
それ程、タフな人間なのだ。



(2005.8.18 / 改訂版2017.3.7)



番外編・短編 TOPへ

任侠ファンタジー(?)小説「光と笑顔の新たな世界」TOP





※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。



Copyright(c)/Dream Dochan tono〜どちゃん!著者〜All Rights Reserved.