〜任侠ファンタジー(?)小説〜
光と笑顔の新たな世界・『極』編



その3 最強の二枚目護衛人

「修司さん、よろしいんですか?」
「気にするな。あの二人が、ぶっ倒れたら、俺一人じゃ対処できん」
「そうですね………」

三好と猪熊がソファに座り、リビングで飲み比べをしている二人の男を眺めながら、話していた。

「一晩中と言ってましたけど、…お付き合いするんですか?」
「途中で部屋に行く。三好は泊まっていけよ」
「直ぐに対応出来るように、しておきます」
「すまんな…」

そんな話をしている間に、ボトルはどんどん空になっていく。

「……ペースはやっ……」


小島は、グラスを空にする。そこへ新たなアルコールが注がれる。

「おらぁ〜、八っちゃん。ペース落ちたぞぉ〜」

促す小島。くまはちは、気にせずに飲んでいく。

「おじさんのペースが速いんですよ」
「これくらいが、丁度良いんや」
「私も、これが丁度良いんです」
「それじゃぁ、比べられん! よっしゃぁ〜。早飲みやっ!」

そう言って、小島は、二つのグラスに縁ギリギリまでアルコールを注ぐ。

「先に飲み干した方が、質問できる! それには、必ず応える事。
 ええなぁ〜、八っちゃん」
「望むところです」

小島は、ポケットから時計を取り出し、カウントダウン表示に変える。

「鳴ると同時に飲むんやで」

小島がボタンを押すと、五秒前からのカウントダウンが始まった。

5、4、3、2、1……。
アラームが鳴る。それと同時に、二人はグラスを口に当てた。

「うりゃぁ〜………って、八っちゃん……はやっ………」

小島より、一秒早かったくまはち。飲み干してグラスを置くと同時に、小島を見つめ、にやりと笑っていた。

「…しゃぁない。八っちゃん、質問は?」
「…質問というか……例の情報を…」
「それは、あかん」
「…よろしいじゃありませんか。…えいぞうに先を越されたくありません」
「ほぉ〜、それが本音か…」
「組長を守るのは、私の役目です。それに……私が勝ったんですよ?」
「ちっ……」

舌打ちをして、小島は荷物からファイルを取り出し、その中から一枚の用紙をくまはちに渡した。

「取り敢えず、一つだけな」

小島は、グラスにアルコールを注ぐ。そして、ボタンを押した。



猪熊が、スゥッと立ち上がる。

「三好、寝るぞ」
「はい」

飲み比べをしている二人を横目に、猪熊はリビングを出て行った。三好は、二人に一礼してから、猪熊を追いかけてリビングを出て行った。


二度目も、くまはちが勝った。
二枚目の用紙を手にしたくまはち。
そして……………。






三好は、朝の日差しと同時に目を覚ます。
隣には、猪熊が未だ眠っていた。

やはり、御無理なさっておられたんですね。

音を立てないように、そっと部屋を出て行く三好。階段を下りていく。そして、リビングのドアをそっと開けた。
リビングは、アルコール臭が漂っていた。空になったボトルは床に転がり、グラスも転がっていた。そこで飲み比べをしていた二人の男の姿は無く……。
三好は、リビングを見渡した。
ソファに一人の男が俯せに寝転がっていた。左手と左足は、だらりと下に落ちている。
小島だった。

「八っちゃぁ〜〜…負け……へ…ん………で…」

寝言を言った。

「八造くん……??」

くまはちの姿を探す三好。キッチンに顔を出した。

「…!!!! って、八造くん?!」

くまはちは、新たなボトルを片手に、リビングとキッチンをしきる扉にもたれかかるように、倒れていた。どうやら、新たなボトルを取りにキッチンへ来て、戻る時に力尽きた様子。

「……みよ…し…さぁ〜ん、おはよう…ございま…す」

立つまでの体力は無いが、判断力は未だ残っている様子。

「八造くんの勝ち…ですね」
「………そうでもありませんよぉ〜。おあいこ……かなぁ〜」
「こうして、判断力もあるようですけど…」
「立てないぃ〜」
「小島さんは、ソファで倒れてますよ」
「……じゃぁ〜、俺の…勝ちぃ〜〜。最後の……一枚ぃ〜」

そう言いながら、くまはちは床にばったりと倒れてしまった。

「わぁっ!! 八造くんっ!!!!」



猪熊が目を覚まし、リビングへ降りてきた。
そこに繰り広げられる光景に、頭を抱えて呆れ返る……。
ソファで熟睡中のくまはちと、頭に冷たいタオルを乗せて仰向けに寝転び、三好に介抱されている小島の姿があった。リビングの隅に並べられている空のボトルを見て、あまりの多さに、

「家中の酒…飲み干したんかい……この馬鹿共がっ!」

怒鳴る猪熊。もちろん、その声は…。

「やめろぉ〜猪熊…、頭に響くぅ……」
「うるさいっ!」

ちらりとくまはちに目をやる。動く気配が無い。

「八造の勝ちか?」
「そのようです」
「小島ぁ〜。お前が吹っ掛けておいて、負けるなよ」
「すまん…そこまで、強いと思わんかったんや…八っちゃん、すごすぎ…。
 底…ほんまに無いみたいやで…」
「そうやな。お前が、ぶっ倒れるくらいやもんな」
「あぁ…」
「もしかして…」
「全部取られた……。ほんまにすまん〜」
「ったく。三好」
「はい」
「飯!」
「すぐに!」
「……あのなぁ〜。声ぇ〜」
「うるさいっ!」

猪熊と三好は同時に叫ぶ。その声で、くまはちが目を覚ました。

「……三好さん、私がぁ〜〜」

と言った途端、滑稽な格好で、再び眠りに就く…。

「…………………八造……変わったよな…」
「そうですね。このような、滑稽な姿は…」
「そりゃぁ〜猪熊の息子やから、そうやろがぁ」
「お前と一緒にするなっ」

側にあったクッションを小島に投げつける猪熊。小島は顔面でまともに受け止めてしまい、そのまま気を失った。

「……相当飲んだな…」
「えぇ。二日酔いに効くものも作っておきますよ」
「すまんな、三好」
「お気になさらずに。何度も申してますよ」
「そうだったな」
「それよりも、本当によろしいんですか? 八造君に知れても」
「…まだ、三分の一だから、大丈夫だ。小島に任せてあるからさ」
「程々にお願いします」
「あぁ」

三好は、朝食の用意に取りかかり、猪熊は、小島が負けて渡した書類に目を通す。

いつになったら、慶造の思いは実現するんだろうな…。
五代目に新たな敵が現れて、更に忙しくなったよ。
慶造……。

唇を噛みしめる猪熊は、静かにリビングを出て行った。


二日酔いの二人の男は、一日中リビングのソファに寝転んでいた。猪熊は書斎で仕事中。三好は補佐をしていた。

「なぁ、八っちゃん」
「はい…」

やっと話が出来るくらいまで回復した二人は、寝転んだまま語り合っていた。

「好いとる女…おらんのか?」
「居ませんよ」
「ずっと、そのままなんか?」
「そのままとは?」
「ボディーガード」
「組長が安心して暮らせるようになるまでですね」
「ふ〜ん」
「おじさん」
「ん?」
「それ…えいぞうや健にも言ってるでしょう?」
「そうやぁ〜。あいつらも同じ事言いよる」
「そうでしょうね」
「あいつらも、八っちゃんも、こっちは、凄いのになぁ〜」

小島は小指を立てていた。

「知ってるでぇ〜。あいつらと遊びまくったんやろ? その時に
 八っちゃんの活力も聞いたでぇ〜。栄三、負けたぁ言うてた」
「えいぞうのやろぉ〜」

拳をプルプルさせるくまはち。

「まぁ、栄三は、中坊ん時から、女抱きまくってたもんなぁ。
 泣いた女性は数知れずぅ〜」
「そのえいぞうよりも、健の方が、手が早いんですよね」
「そりゃぁなぁ〜。お笑いやってた頃の癖らしいで」
「健の昔の話は知らないんですよ。初めて逢った時から
 恐い面で、誰も寄せ付けない雰囲気でしたからね」
「八っちゃんに恐い言われたら、しゃぁないなぁ〜」
「おじさん」
「ん?」
「俺の事…どう思ってるんですか?」

くまはちは、起き上がりながら小島に尋ねる。小島も起き上がり、くまはちを見つめた。

「超一流のボディーガード」
「超一流とは思いませんが、誰にも負けない自信はありますよ」

その言葉はとても力強かった。

「……なぁ、八っちゃん」
「はい」
「所帯…持とうとは、思わへんのか?」

その質問に、くまはちは、暫く黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。

「親父を見て育ったでしょう。おじさんも御存知のように、俺は
 阿山家と猪熊家の関係が嫌だった。お袋もばあちゃんも
 猪熊家の思いを貫けと…そう言ってこの世を去った。
 俺は、大切な人に、そのような思いをさせたくない。
 もし、猪熊家の思いを理解して、俺と共に生きると言う女性が
 現れたら………俺……自信ないんですよ」
「妻を守る事が?」
「いいえ…。……恐らく、自分の子供に同じ事をさせるかもしれない。
 自分の子供に、猪熊家の思いを強要しそうで…。その時の組長の言葉も
 想像できます。……俺の体に流れている猪熊家の血が、自分の子供に
 そうさせてしまうんじゃないかと……」
「それで、八っちゃんは、満足なのか? 」
「満足?」
「子供…楽しいだろ?」
「えぇ。何をするか解らない所が、楽しいです。かわいいですから」

柔らかく微笑むくまはち。

「それなら、早く所帯持てぇ〜」
「…持ちませんよ。誰にも辛い思いはさせたくないので…」
「八っちゃんは、猪熊家の思いを強要されて、辛かったのか?」
「母を亡くした頃は、辛かったです。でも、今は…」
「猪熊に感謝してるんだろ? それと同じだって。考えとけぇ〜」

と言いながら寝転ぶ小島。

「おじさん」
「あん?」
「いきなり、どうしたんですか? そんなお話…」
「気になってなぁ。栄三も健も、同じやろ。こないだ聞いてみたら、
 同じ事言ったよ。まぁ、小島家は、猪熊家のような思いは無いけどな
 俺が阿山に付いていくと決めた心意気は、二人に受け継がれた
 みたいやし……」
「いい加減なところも…ですね」
「八っちゃぁ〜ん、ほんまの事言うなよぉ」
「よろしいじゃありませんか」
「それにしても、八っちゃん、変わったな…」
「はい? 俺が変わった?」
「くそ真面目なイメージが強かったんやけどなぁ〜。いつからや?
 柔らかくなったというか、なんというか…砕けた感じがしとる」
「そうですか? ………えいぞうと健の影響もあるでしょうが、
 長年、すっとぼけた男達と共に過ごしてますからねぇ〜」
「真北さんを筆頭に……なぁ〜」
「えぇ。あの人こそ、本当に、変わったお人ですからね」
「そうやなぁ。あの人が居ったから、阿山も猪熊も、そして、
 俺も楽しく過ごせたんやから……感謝してるで…」
「そうですね。…真北さんこそ、所帯を………」

そこまで言って、くまはちは思い出した。

「組長のために、身を粉にして動いてますから…あの人こそ
 本当に、恐い人ですよ」
「真北さんも自分の思いを遂げられないままだよなぁ、確か」
「例の組織が壊滅させたようなものですからね。
 それまでの目的が急に無くなった途端、別の目標が
 現れましたからね……」
「五代目に心配掛けないようにしてもらいたいよ」
「だからですか?」

今度は、くまはちが質問する。

「親父を誘って、そのように動いているのは、やはり、組長の…」
「阿山とちさとちゃんの大切な娘だ。俺だって力になりたいよ」
「おじさん…」

小島の言葉は、くまはちの心に突き刺さっていた。
思うように動かない体を無理して動かして、何度も慶造に怒られていた。それでも小島は、慶造の為に動いていた。猪熊同様、慶造の側には息子を付かせ、自分たちは、影で見守る。
あの日も、そうだった。

「もし、二人が生きていたら、今頃、どうなっていたんだろうな。
 阿山の夢……達成してたかな…」
「達成してたかもしれませんし、してないかもしれません。
 先の事は、本当に解りませんよ……これからも…」
「そうだな…」

小島は、そう言ったっきり、何も言わなくなった。

「おじさん?」

小島の寝息が聞こえてきた。

「ったくぅ〜、自分の聞きたい事だけ聞いて、寝るんですか…」

くまはちは、大きく息を吐いて立ち上がり、そして、キッチンへと向かっていった。そこには、二日酔いに効く例の物が用意されていた。くまはちは、それを温めながら、ふと思った。

そういや、これ……むかいん特製だよな。なんで三好さんが???

不思議に思いながらも、二人分を用意し、リビングへと持ってくる。

「おじさん、これを食べてから寝て下さい、おじさん!」
「ふわぁ〜い…」

力の抜けた声で返事をする小島は、目の前に置かれた物を見て、有難い表情をする。

「ほんと、久しぶりやなぁ〜。むかいん特製やろ」
「えぇ……どうして、これが、ここに……三好さんが作ったんですが…」
「知ってて当たり前やで」

小島は、飲み終わる。

「……そうですか……」

小島の言葉で更に疑問を抱くくまはちは、首を傾げながら飲み終わる。

「八っちゃん」
「はい」
「………今、フッと思ったんやけど…」
「なんでしょうか?」
「猪熊家から出る! そう決めた時、なんで、一人で出て行かなかった?」
「出て行くと言った途端、親父のあの言葉ですよ」
「剛ちゃん、そして、猪熊を倒してからじゃないと、出さない…だったっけ?」
「はい」
「ふ〜ん」
「……ふ〜ん…って、おじさん…いきなり…」
「やっぱし、八っちゃんは真面目やな」
「えっ?」
「……俺やったら、その言葉無視して、出て行ったぞ」

小島の言葉に首を傾げたくまはちは、暫く考えた後、何かに気付いたような表情になる。

「…そっか……」
「気付くの…遅すぎ…」

思わず笑い出す二人だった。



くまはちの休暇は、四日目まで二日酔いが続き、ゴロゴロとした時間を過ごしていた。



くまはち休暇五日目。
猪熊が目を覚ましキッチンへ降りてきた時には、すでに朝食の用意がされてあり、メモも置かれていた。

散歩してます。  八造

…散歩って、こんな朝早く…。

時刻は午前五時を回った所。
散歩と言っても、くまはちにとっては……。

河川敷をジョギングするくまはち。二日間、ゴロゴロとしていた為、体がウズウズとしていたくまはちは、いつものトレーニングメニューを三倍にし、本部でのジョギングコースをかなりの距離に変えていた。
やはり、酒は残っているのか、疲れやすい。
くまはちは、体を少し解した後、土手に寝転んだ。
青空が視界一面に広がる河川敷。雲一つ無い晴れた空。
清々しい。

目を瞑ると、風に揺れる草の音が聞こえてくる。
人の足音、犬の足音、ジョギングする人の足音…遠くで、クラクションが響く。水の流れる音も微かに聞こえてくる。こうして、のんびりとしているのは、久しぶりだった。
忍び足で近づいてくる人物に気付くくまはち。
気配を消している事も解っていた。
さりげなく警戒をし、そして……

「!!!!」

風を感じ、くまはちは飛び起きる。そして、風に向かって腕を差し伸べた。

「ちっ…気付いてたんか…」
「不意打ちは、止めて下さい」
「気付いている奴に不意打ちしても、いいだろがっ」
「親父ぃ〜っ!!!」

猪熊も散歩に来た様子。


くまはちと猪熊は、二人並んで土手に腰を下ろしていた。
ただ、のんびりと景色や行き交う人々を眺めているだけの二人。

「本当に、引退なさらないんですか?」

くまはちが静かに尋ねた。

「復帰だ」
「…そうですか…」
「但し…」
「???」
「守るためじゃない…。自分のための復帰だよ」
「自分の為…」
「俺は、慶造の為に生きてきた。親友という肩書きで側に付き、
 慶造を守り、慶造の言葉を聞き、慶造の行動を補佐してきた。
 慶造が言うことには、従う。無茶をしそうな時は止める。
 俺の人生は、慶造の為にあったようなもんだ」

猪熊は、くまはちを見つめる。

「八造は、五代目の為に生きてるんだろ?」
「はい。それが、私ですから」
「だけど…慶造は、もう居ない。誰のために生きていけばいいのか。
 解らなくなった。……そして、初めて気が付いた…」

一呼吸置いた猪熊。

「自分のために生きていくという事に。こんな歳になって…初めて…」
「親父…」
「確かに、慶造は、俺に言っていたよ。自分の事をもっと考えろと」
「組長も、おっしゃります」
「……だけど、できなかった」
「はい」

俺も……。

「何をすればいいのか…。…それを考えたら、この道しかなかったって事だ」
「親父…」
「お前は幸せだよな」
「えっ?」
「その世界を抜けても、仕事がある。AYAMAだけじゃないだろ?」
「はい、組長にはAYAMAを言われましたが、真北さんには、
 …その……任務の男達のトレーニングを…」
「慶造は、組員の事を考えて、色々としていたんだが、俺の時代は
 極道一筋の男が多かったからさ…。でも、真北さんが来てからは
 普通の事も考えるようになっていた」
「それが、真北さんの作戦ですよ」
「慶造と同じ思いを抱いて、別の世界で生きていた男…。
 そんな男に守られて……」

猪熊は、何も言わなくなった。くまはちは、俯き、そして、静かに言った。

「親父は、幸せじゃなかったんですか?」

その言葉に猪熊は、暫く応えなかった。ゆっくりと口を開き、そして、応える。

「幸せだよ。…慶造が居た時も、そして、今もだ…」
「それなら、なぜ…」
「一人になった途端、激しい寂しさに襲われただけだ。
 それに負けそうになったんだよ。……もう気にするな」
「親父ぃ〜〜」

小島から聞いた事が、気になっていたくまはちは、今、この時に、その心配事は吹き飛んでしまった。醸し出される雰囲気こそ、くまはちが良く知っている父親の雰囲気だった。

「安心したよ」

そっと呟くくまはちに、猪熊は素敵な笑顔を見せていた。

「親父」
「ん?」
「……残りの三分の二は、親父とおじさんで?」
「知ってたんか…」
「知っていたから、おじさんに頂こうと思ったんですよ」
「ほんと、恐ろしい奴になったな……」
「誉めてるんですか?」
「貶してる」
「…ったくっ!」

ふくれっ面になるくまはち。

「変わったな…良い変化だよ。心配だったんだぞ、八造」
「何がですか?」
「お前のくそ真面目さ」
「…親父と同じだと思いますが…」
「まぁ、そうだな」
「でも」
「ん?」
「親父の意外な一面を見て、私の方が安心してますよ」
「それこそ、貶してるだろ?」
「お好きなように捕らえて下さい」
「そうする」

二人は、景色や行き交う人々を、のんびりと眺める。

「八造、帰るぞ」
「そうですね」

同時に立ち上がり、服に付いた土を払って歩き出す。

「八造」
「はい」
「歩くだろ?」
「えぇ」
「………朝から走りすぎだ」
「まだ、足りませんよ」
「どこまで鍛えるつもりだよ……」

呆れたように猪熊が言った。



くまはちは、携帯電話で誰かと連絡を取っていた。
表情が、徐々に険しくなっていく。眉間のしわも増えていく。

「………健……ええかげんにせな、怒るぞ…」
『親父に聞けよぉ〜。知ってるはずやでぇ』
「教えてもらえなかったから、聞いとるんやろがっ!」
『俺が組長に怒られるから、やだ』
「健〜。…もしかして、そこに……組長が?」
『ピィンポォーン』
「……先を読まれてる訳か…」
『その通り。後二日。ちゃんと休んでから帰ってこいよぉ』
「解ったよ。でも、調べといてくれよ」
『はいなぁ〜』

くまはちは、電源を切って、ため息を吐く。

最近、ため息が増えたな……。

ベッドに寝転び、天井を見つめるくまはち。
長い間、怪我をして入院をしていても、このようにのんびりした事は無かった。

俺…必要無いのかな…。

そう思った途端、猪熊の気持ちが少しだけ解ったくまはち。
ふと時計に目をやると、夕食の時間が迫っていた。ゆっくりと起き上がり、階下に行くと……。

「親父……」

買い物袋を持った猪熊が、丁度帰ってきた所なのか、靴を脱いでいる所だった。

「夕飯、一時間後な」
「は、はぁ…あの…私が…」
「俺も作れる。むかいん程じゃないけどな。三好から教えてもらったし
 それに三好は………。まぁ、兎に角、のんびりしとけ」
「お言葉に甘えます」

くまはちは、リビングに、猪熊はキッチンへ入っていく。テレビのスイッチを入れたくまはちは、ソファに腰を掛け、目一杯くつろいでいた。

大阪では、滅多に見せない姿。もちろん、猪熊家に居た頃も見せた事は無い。

「八造も…人だったな」

猪熊が呟く。

「その言葉…そっくりお返ししますよ」
「さよかぁ〜」

いつの間にか、堅さが取れている親子。
小島の影響なのか………?!




くまはちの休暇・六日目。
猪熊家の隣にある三好の自宅に、裏庭から尋ねる猪熊親子。三好は、丁重に出迎えた。

「大きいですね」

三好の自宅に初めて来たくまはちの第一声。

「家族が多いと狭く感じますよ」
「そうですね」

笑顔で応えるくまはちは、姿勢を正して座る。ふと視界に入った床の間に飾っている掛け軸を見つめていた。

「これ……何処かで観た事があります……同じような文字…」
「私にとって、大切なものですよ。どうぞ」

お茶を差し出す三好。それでもくまはちは、掛け軸に釘付け。一生懸命記憶を読み起こしていた。

思い出せない……。

諦めたような表情をしたくまはちを観て、猪熊と三好は顔を見合わせて微笑んでいた。

「明日までですね、休暇」
「はい。こんなにのんびりしたのは、重傷を負って入院していた時以来です。
 ……というよりも、初めてかもしれません」
「そうだな。春ちゃんが居た頃は、子供子供してたもんなぁ〜八造」
「親父ぃ〜何も言わないで下さいっ!」

二人の会話を聞いていた三好は、くまはちと猪熊の奥底にしまい込んでいた心が解放されている事に気付く。二人は顔を合わせても、決して、猪熊の妻・春子の話はしなかった。春子の死が、それ程、猪熊家に重くのしかかっていた事は、お世話係の三好が一番知っている。
思わず目を潤ませる三好だった。

猪熊と三好が、昔話で会話を弾ませていた。特に、くまはちの事で…。
照れながらも二人の話に加わるくまはちは、猪熊と三好のおもしろ可笑しい関係を肌で感じていた。

親父には、こうして話せる人が居る…。
俺には………。

ふと寂しげな表情を浮かべ、床の間の掛け軸に目をやったくまはちは、

あっ…そっか……。

その掛け軸を何処かで観た記憶が蘇っていた。


三好家での楽しい時間を過ごした猪熊親子は、自宅へと戻ってくる。

「親父、俺、そろそろ帰ります」

家に上がった途端、くまはちが言った。

「もう、帰るんか…。やっぱり八造も動いてないと駄目な性分か…」
「えぇ。思いっきりリフレッシュしました。それに…親父の意外な
 一面を観て……嬉しかった」
「嬉しい?」
「…気になっていたんです。親父が一人になった頃…。誰も側に居ないと
 親父…何をしてるのか…そう思って…。だけど、それは心配無かったんですね。
 三好さんや小島のおじさんが居た。…心許せる人が居た事を知ったから」
「長い付き合いをしてるから、そうなるだけだ。…八造もそうなるよ」
「…俺には…」
「居るだろが。心強い味方が。そして、お前を常に心配してくれる人達が」
「……でも、それは…」
「もう少し、お前が心を開けば、いずれ、そうなるよ」
「親父…」
「まっ、お前には、引退という言葉を与えないつもりだけどなぁ」
「………これ以上、激しく動いたら……組長が怒りますよ…?」

言葉尻を上げるくまはち。それには、流石の猪熊もたじたじになっていた。

「この正月には、帰ってきますから」
「やっと帰られるのか! 待ってたぞ」
「その為に、本部の連中に伝えないといけなかったことを、
 すぅっかり忘れてました」
「…あほ…」
「山中さんと、相談しないと…」
「そっか。美玖ちゃんやぺんこう先生は一般市民だよな…。
 あれ? むかいん家族も来るのか?」
「えぇ。むかいんは、料亭の方へ顔を出すそうですよ」
「ほぉ〜おやっさんも喜ぶってこった! …あれ? 一般市民…」
「むかいんと理子ちゃん、光ちゃんは、料亭で泊まる予定ですが
 ぺんこうと美玖ちゃんの方が……ねぇ…」
「ぺんこう先生のマンション…って考えもあるけど…」

ぺんこうが学生の頃に住んでいたマンションは、所有者は、山本芯のまま。思い出が多すぎて、手放す事が出来なかったらしい。

「それは、真北さんが怒る…」
「本部に居るより、ましやろ。…あの連中の顔は……なぁ〜」
「あっ、やくざ面に強面は、美玖ちゃん慣れてますよ。小さな頃から
 組長とビルの方に顔を出してましたし、会議中は須藤組の組員が
 遊んでましたからね…」
「…………よく、真北さん…許したな…」
「仕方なかったんですよ。誰もが働いてますからね……」
「そうだな……。…で、本部?」
「まだ決まってませんが、兎に角、本部の連中に伝えておかないと…」

くまはちの表情が、凛々しくなっていく…仕事面……。
猪熊は、それを見て安心していた。

「じゃぁ、次に逢うのは正月だな」
「そうですね。今度の正月は、一緒に写真に納まりますよ」

輝く笑顔で言うくまはち。それに負けないくらいの笑顔で猪熊は短く応えた。

「あぁ」



くまはちは、本部へ顔を出し、真子の事を伝えて、大阪へ帰っていく。
一人残った猪熊は、ソファに腰を掛け、ほんの少しの間、最愛の息子と過ごした時間を思い返していた。
あまり親子らしい会話をした事が無く、ましてや、それぞれの思いを語り合う事も無かった。顔を合わせても、何も話さず、ただ、お互いの無事を確認するだけの日々。
ふと感じる、妻の面影。
悩んだ時に、優しく応えてくれた春子との思い出に浸る猪熊。
その表情が一変する。

鍵……。

急いで玄関の鍵を掛ける猪熊。

『………だから、それ、やめろって…猪熊……』

ドアの向こうで、小島の寂しげな声が聞こえていた。




真子の自宅の庭。
くまはちと美玖、そして、光一が鬼ごっこをして走り回っている。縁側に腰を掛けて、三人の様子を見つめているのは、真子と真北だった。

「なんか…くまはちが変わった感じがする…」

真子が呟いた。

「そうですね…」

真北が応える。

「堅さが取れた…という感じだね」
「えぇ。やはり、休暇が良かったんでしょう。…最近、気を張りつめすぎて
 心が追いついていない様子でしたからね」
「うん………」

暗い返事をした真子が気になったのか、真北は、真子に振り返る。

「心配ですか?」

真子は、首を横に振る。

「安心した」
「私もですよ。…本部に居た頃から、ずっと気にしてた事の
 一つですから」
「…真北さん」
「はい?」
「他に、気になる事たくさん…あるの?」

上目遣いで真子が尋ねる。
その眼差しこそ、真北が弱いもの……。
しかし、今、尋ねられた事は、真子には知られてはいけない事。
平静を装って、真北は応えた。

「そりゃぁ〜。真子ちゃんや芯、そして、山中に…純一たちに…」
「もぉ〜! それって、組の事やんかぁ!」
「阿山組は、私が慶造に頼まれた事でもありますからね」
「あら? 私が跡目を継いだのに?」
「真子ちゃんを見守る…これが第一ですけどね」
「やっぱし、まだ…心配?」
「まぁ、色々と…」
「………ごめんなさい……」
「…えっ?!」

真子が聞こえるか聞こえないかのような小さな声で言った言葉。真北は、何に対して真子が謝ったのか、全く理解出来なかった。真子は、真北が聞き返す前に立ち上がる。

「真子ちゃん?」
「私も入れてぇ〜!!」

そう言って、庭で鬼ごっこをしている三人の所へ駆けていく真子。

真子ちゃん…?

先程の真子の言葉を発した声に、ちさとの面影を感じた真北は、何事も無かったように、子供達と走り回る真子を見て、不安を感じていた。

真子ちゃん、何を考えてる?
……俺は、もう………。

ふと空を見上げる真北。
雲一つ無い、真っ青な空に、遠い日のあの笑顔が見えていた。

ちさとさん、私は、まだ………。

真北は、名前を呼ばれて我に返った。声の聞こえた方に目をやると、真子と美玖が、素敵な笑顔で手招きしていた。

ちさとさん…?!

その光景は、まるで、ちさとと幼い真子がそこに居るかのような感じだった。

もう、失いたくない!!

「私もですか?」

ちょっぴり嘆くような感じで応える真北に、真子と美玖が声を揃えて言った。

「真北さんが鬼!!」
「……どうして…ですかぁっ!!!」

怒ったような雰囲気で立ち上がり、真子達の所へ駆けていく真北は、そのまま、鬼になって、子供達を追いかけ始めた。はしゃぎまくる美玖と光一。それに負けないくらい楽しんでいるのは、真北だった。
まるで、何かが吹っ切れたように………。

「捕まえたぁっ!!! 美玖ちゃんの鬼ぃ!!」
「まてぇ〜〜!!!」

賑やかな声が、庭を包んでいた。



(2004.12.18 『極』編・その3 最強の二枚目護衛人 改訂版2014.12.23 UP)





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※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
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※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※この〜任侠(?)ファンタジー小説〜光と笑顔の新たな世界・『極』編〜は、完結編から数年後の物語です。
※任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』の本編、続編、完結編、番外編の全てを読まないと楽しめないと思います。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


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