任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第二部 『三つの世界編』
第九話 決断

笹崎組組事務所。
笹崎は、まだ暗いうちに目を覚ます。そして、服を着替え、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた。

「わっ!! びっくりした…。どうした?」

ドアをノックしようとしていた組員と出くわす笹崎。もう少しで、ドア代わりに自分の体をノックされるところだった。

「おはようございます。その…ちさとさんに、とうとう……」
「なにぃ…」

笹崎は、慌てて自分の部屋を出て行く。
事務所内を走り、そして隣にある阿山組本部へ続く渡り廊下を駆けていく……。


笹崎の姿を見た阿山組組員は、元気よく挨拶をする。

「おはようございます!!」
「おはよっ」

笹崎は、短めに返事をしながら、とある場所へ向かって走っていた。


阿山組内にある食堂。
その近くまで来た笹崎は、足を止める。

「遅かったか……」

すでに、おいしそうな香りが漂っていた……。

厨房へ顔を出す笹崎。

「おはようございます、笹崎さん。今日も、同じ量にしましたけど、
 足りますでしょうか…」

厨房には、猫が大きくプリントされたエプロンをしているちさとの姿があった。
肩の力を落とす笹崎。

「足りますが…その…ちさとちゃん」
「はい」
「毎日のように申してますが、組員の分は、若い衆に任せて下さい。
 こいつらの仕事なんですから…それに、今日は……」
「作るなら、同じでしょう? 大丈夫ですから」
「……何も、私より早く起きなくても………。……四代目は?」
「まだ、寝てます」
「寝てる……そうですね。まだ、朝の五時…。ちさとちゃん、早起きですね」
「眠れなかったの…」
「眠れない……って、そ…その……まさか、慶造さん……」

少し焦ったような口調になる笹崎に、ちさとは、真っ赤な顔をして照れたように言った。

「違います!!! その……あまりにも、慶造くんが……その……かわいくて…」
「一晩中、見つめておられたんですか?」

笹崎の言葉に、ちさとは、そっと頷いた。

「……ということは、慶造さん……四代目、ちさとちゃんの部屋で?」
「駄目ですよ、起こしては。お疲れなんでしょう? 組のお仕事に
 忙しいのに、夜は私の勉強を見てくれるんだもん…。だから、
 少しは、体を休めてほしいの…」
「六時には起こさないと、私が怒られるんですからぁ」

笹崎は嘆いた。



ちさとの部屋。
笹崎は、そっと近づきドアをノックする。
返事がない為、ドアをそっと開けた。
殺風景だった部屋は、かわいい猫グッズがたくさん置いてある。それらは、すべて慶造が買ってきたものだった。
ちさとの笑顔が増えるように…。
慶造が選んでいる時、常に側にいる笹崎は、選ぶ際の慶造の優しげな表情を思い出しながら、一歩、部屋に入る。視野に入るベッドの上には、脹らみがあった。その脹らみに近づき、そっと声を掛ける。

「慶造さん、起きて下さい」
『……ん……もう少し……』

布団の中から声がする。

「ちさとさんの部屋ですよ……」

その言葉を発してから、間が空き、すぐに布団がめくれ上がり、慶造が飛び起きた。

「………ごめん、ちさとちゃん!!!! ……どこ?」

慌てて謝る慶造の視野には、笹崎の姿しか映っていない…。

「すでに、厨房で…」
「……………取られた?」
「はい……」

がくっと項垂れた笹崎に、慶造は、慰めるような感じで笹崎の肩を優しく叩いていた。


再び、食堂。

「おはようございます」

食事の準備をしている若い衆は、慶造の姿を見ると直ぐに挨拶をする。

「おはよう」

応える慶造は、そのまま厨房へ顔を出した。

「慶造君、おはよう! ゆっくり眠れた?」
「ちさとちゃん、起こしてくれよぉ。…ベッド占領してしまって…」

二人の会話が耳に入った若い衆は、思わず手を停め、聞き耳を立てた。

ま、まさか…。

固唾を飲む………。

「寝顔…堪能しちゃった!」
「はぁぁぁ〜〜………」

慶造が項垂れた。

何も無いのか……。

若い衆は、再び自分の仕事に戻る。

「そうじゃなくて、笹崎さんの仕事を取らないようにって何度も言ってるだろぉ」
「いつも笹崎さんに作ってもらってばかりじゃ、悪いと思って…それに、
 私も料理をしたいもん」
「解ってるけど、料理は、笹崎さんの趣味なんだから、取ったら……。
 …………ちさとちゃん?」

ちさとは、ふくれっ面……。

「意地悪…。慶造君の意地悪…」
「あっ、そ、そ、そうじゃなくて、あの、その……」

四代目が焦ってる………。

見て見ぬふりをしている若い衆。しかし、それは、笑いに変わる…。

「おっはよぉ〜。…四代目、えらい早起きやん…………!!!!!!!!」

間が悪いとは、こういう事を言うのだろう。
慶造とちさとの和やかというか、少し怖いというか…何ともいえない二人だけの世界に、隆栄が入ってきたものだから、焦る慶造が、それを誤魔化すために隆栄の腹部に拳を……。



「だからって、俺を殴るな…」
「うるさいっ!」
「そんなこと言われたら、そりゃぁ、怒るって」
「それでもよ…」

隆栄と慶造は、朝食を取りながら、静かにそんな話をしていた。

「ちさとちゃんの料理より、笹崎さんの方が良いのか?」
「そんなことないよ…でも、笹崎さんの趣味だし…それに、ちさとちゃんは
 そんなつもりで引き取ったんじゃないんだよ…」
「女中扱いしたくないってか…いてっ…蹴るなよ…」

慶造は、隆栄を睨み付けていた。

「女中って、あのな…、俺は、少しでも、ちさとちゃんが心を和ませるなら
 それでいいんだよ…あの笑顔を…失いたくないんだ…」
「解ってるって。でもさ、嫌々してるんじゃないんだろ?」
「あぁ」
「それなら、何も言えないだろが」
「でもさ…ゆっくりして欲しいよ…。それでなくても、春ちゃんのところで
 色々と忙しく動いてるんだからさ…」
「夜は、夜で勉強。そして、夜中は夜中で…………で、どうだよ」

隆栄が尋ねるもの……それは…。

「まだだって」
「…って、お前、勉強教えてる時って、二人っきりだろが。その気ないのか?」
「その前に、眠くなる…」
「…………働き過ぎ。もっと俺に仕事を回せよ」
「それは、断る」
「なんでだよ。夜の分まで体力使うから……あぁっ!! まさか、わざとか?」

隆栄の言葉に、慶造は何も応えず、デザートを頬張っていた。

「図星…か……おっとっ!!!」

慶造の拳が空を切る…。寸でで避けた隆栄だった。

「で、今日は? まだ、時間じゃないだろが。何かあるのか?」
「ここでいいのか?」
「いいや、急ぎじゃないのなら、後にする」
「少し急いで欲しいけどな…」
「解った」

静かに言った慶造は、空になった食器を持って立ち上がった。

「あっ、そっか」

隆栄も同じように立ち上がり、慶造と厨房へ向かって歩いていく。

「そっかってなんだ?」

慶造は、洗い場の若い衆に食器を渡しながら、隆栄に尋ねた。

「こういうことだよ」
「はぁ?」
「なぁ、ちさとちゃん」

調理場の片づけを終え、手を拭いて厨房から出てくるちさとに声を掛ける隆栄。

「小島さん、今日も予定はたっぷりなの?」
「まぁね」
「栄三くんは?」
「美穂ちゃんの職場に託児所があるから、大丈夫」
「そっか。本当に素敵な職場だよね、その病院」
「ありがと。…でさぁ、料理のことだけどさぁ」
「今夜も張り切るよぉ」
「そうして欲しいなぁ」
「小島、お前…俺の話聞いてなかったのか?」

そう言った慶造をちらりと見ただけで、隆栄は話を続けた。

「組員のじゃなくて、阿山だけに作れば?」
「はいぃ?!??」

慶造とちさとは、驚いたように声を挙げた。

「何も、ちさとちゃんの手料理をあいつらに食べさせることないだろが。
 それに、あいつらも、恐れ多くておいしいものも喉を通らないって…なぁ」

隆栄の言葉に、若い衆は頷いていた。

「えっ……」

若い衆の行動に、衝撃を受けたちさと。

「小島、組員を威嚇するな」
「ばれたか……」

『なぁ』と言った時、隆栄は、若い衆や組員を睨み付けていた。それに恐れた組員達は、ただ頷くしかなかったのだった。

「…でも、そうかもしれない……。私、そんなに怖いのかな……」
「四代目の大切な人だからだよ。ほら、俺らの世界は、そういう関係だろ?」
「そうだけど……」
「今は元気だろうけど、これを続けてたら、いつか倒れるぞ。そうなると、
 四代目が心配するだろ? だから、ちさとちゃんは、四代目のことだけを
 見つめていたらいいんだって」
「慶造君だけを……見つめる……。………えっ? や、やだっ!!!」

ドカッ……。

ちさとは、食堂を慌てて出て行き、自分の部屋へ駆け込んだ。
食堂では、床に座り込む隆栄と、隆栄を見下ろす慶造、そして、先ほどのちさとの行動を見て驚く組員達が残っていた。

「きっつぅ〜〜……あれは、すごいって…」

腰の辺りをさすりながら立ち上がる隆栄に、慶造は笑っていた。

「だから、言っただろ。ちさとちゃんは、凄いって」
「あぁ。あの蹴りは、流石の俺でも倒れるって…いてぇ〜なぁ」
「……結論は、先に延ばすとして、話ってなんだ?」

話を切り替える慶造。もちろん、そんな慶造に素早く応える隆栄だった。



ちさとは、出掛ける用意をして、鏡を見つめる。
先ほどの隆栄の言葉を思い出したのか、耳まで真っ赤になっていた。

「ったくぅ〜小島さんったら…。…でも…そうだな……。そうしようかな…。
 そうしたら、私………慶造君の………あぁ〜もう! 考えると照れるよぉ」

気を取り直して、ちさとは部屋を出る。少し歩くと慶造と隆栄に会う。

「慶造君、さっきのお話…答えは、夜でいい?」
「ん? あ、あぁ、いいよ。でも、ちさとちゃん」
「はい」
「疲れない程度にして欲しいな…。それに、笹崎さんにも仕事…」
「考えておきます! …じゃぁ、行ってきます! 慶造君、あまり無茶しないでね」
「ありがと。ちさとちゃんも無茶しないように」
「はぁい!」

素敵な笑顔を向けて、ちさとは、猪熊家へ向かって出掛けていった。
ちさとの姿が見えなくなると、すぐに表情が『四代目』へと変わる慶造。

「……しかし、そうなると、これ以上の行動は控えた方がいいな」

慶造が言った、

「あぁ。優雅の姿が消えたとなると、それこそ…」

以前、慶造と話していた関西への進出。その下準備として、笹崎が調べていたが、小島の提案で、小島家の地下で働く男の一人・優雅を関西へ送っていた。その様子を逐一連絡していた優雅だったのだが…。

「本当に、連絡が取れないのか?」
「関西での行動は、週一で連絡が入っていた。それが、一ヶ月前から
 ぷっつりと停まった」
「確か今、抗争中だよな…」
「青虎組と須藤組だっけ…。そこに水木組も加わってるらしいよ」
「関西三大組織の分裂か…。予想通りだったな…」
「あぁ。……優雅は、それに巻き込まれたのかもしれない…。須藤組との
 接触の後だったからな…」
「優雅さんの情報、的を射てたから、役に立っていたのにな…」
「暫くは、関西に手を出さない方がいいぞ。こっちまで火の粉が飛んでくる」
「解った。兎に角、優雅さんの行方を捜すのが先だな。
 こっちは、修司と一緒に行動するから、小島は…」
「和輝と恵悟が当たってるから、俺の仕事は無し! それに、俺は、
 阿山の側に居たいぃ〜」

そう言って、馴れ馴れしく肩を抱く隆栄。

ドコッ……。

慶造の肘鉄が、隆栄の腹部に突き刺さっていた。

「だっから…冗談だって……」
「冗談に聞こえん」

慶造は、冷たく言った。



猪熊家。
修司が靴を履いているところへ、ちさとがやって来た。

「おはようございます」
「おはよ、ちさとちゃん。……顔が赤いけど、体調悪い?」
「違うの…その……」


剛一と武史と手を繋いでいるちさと、修三を片手に抱いている修司が、幼稚園へ向かって歩いていた。ちさとは、今朝方の出来事を修司に話していた。

「小島が言うなら、そうしたらいいんだよ。何も組の連中の分まで
 作る事ないって。連中は、それが修行にもなってるしさ」
「でも…お手伝いくらいしないと、ただ、住まわせてもらってるだけだと
 凄く申し訳なく思えて…」
「そりゃぁ、学校辞めて暇なのは、解るけど、今の行動だったら、それこそ
 あの世界のお手伝いをしてるようなもんだからさ、小島が言ったように
 慶造の為にだけ、動けばいいんだって」
「そうしたいんだけどね……なんだか、照れくさくて…」
「照れ隠し?」
「……わかんない……」

ちさとは、照れたように首を縮めていた。そんなちさとを見上げる剛一。

「ちさとねぇちゃん、まっかだよ?」
「ご、剛一っ!!!」

慌てて剛一の口を塞ぐ修司だった。



子供達を幼稚園へ送った後、ちさとと修司は、二人仲良く並んでいるものの、何を話すことなく、ただ黙って歩いていた。
修司が、何かに警戒するように立ち止まり、ちさとの体を自分の後ろに隠した。

「猪熊さん?」

二人の側を一台の高級車が通り過ぎた。修司は、その車を見つめ続ける。
車は角を曲がった。

「どうしたの?」
「あっ、いや、その……」

あの車は確か…保川の所有だったはず…。

修司は、気になりながらも歩き出す。

「ちさとちゃん、今日も賑やかだけど、よろしくな」
「気になさらずに。志郎くんも章吾くんも楽しそうだから」
「志郎と章吾は、泣かないんだよな……大丈夫かな…」
「でも、泣くときは、二人揃って泣くんだもん。それも同じようにね。
 やっぱり双子だなぁって思う」
「双子なのに、どことなく違うんだよな。そういうもんなのかな」
「そういうもんだって。じゃぁ、私は、これで!」
「あぁ。いつもありがとう」

ちさとと修司は、阿山組本部前で分かれる。修司は本部内へ、ちさとは猪熊家へと向かって歩いていく。
いつもと変わらぬ光景。
しかし、この日は……。




慶造達が通っていた学校。
保健室から成川が出てくる。ドアに札を掛けた。

研修の為、一週間外出してます。
代理の先生が来ますので、ご安心を。
成川達也

時計で時刻を確認した成川は、事務室の前を通り、受付の人と軽く会話を交わした後、職員用の玄関から出て行く。
門を出た時だった。

大量の銃声が響き渡った……。




道病院・ICU前
一人の女性が、ガラスの向こうに見える光景を見つめていた。
そこには、重症患者が寝かされている。その中の一人を見つめている。
足音に女性は振り返った。

「様子は?」
「…あんた……!!!!」

バシッ!!!

女性は、声を掛けてきた男性の頬を引っぱたく。

「あんたのせいよ…あんたの…。あんたが、極道だから…人の命を
 簡単に奪う人間だから、こんなことに……。達也は関係ないんでしょう?
 なのに、どうして、……どうして、あの子が狙われたのよっ!!!!!」

悲痛な叫び声は廊下に響いていた。

「…すまん…」

そう言って、女性を優しく腕の中に包み込むのは、笹崎だった。

「助からないかもしれない…って…。助かっても動けない…。
 心臓は動いていても、あの笑顔を…見せる事はできないって…」
「一体、誰が…」
「…胸に手を当てて思い出しなさいよ…」
「……………ありすぎる…」
「同じ目に遭わせてやったと…そういって、相手は去っていったそうよ…」
「同じ目?」

笹崎は、必死で思い出そうとしていたが、中々思い当たるものがない。

「保川俊明…聞いた事ないの?」
「保川…? …まさか、あの組員…」
「……同じ目に…。あんた、その保川って男に、このようなことをしたのかい?
 達也のように、命を奪うようなことを!!」
「…仕方なかったんだよ…あの時は…」
「それなのに、どうして……達也なの…? あんたとは、縁を切ったのに…」
「………達也……。くそっ!!」

笹崎は、壁に拳をぶつけた。


二人の様子を少し離れたところで伺っていた慶造、修司、そして隆栄。拳を握りしめた慶造が、笹崎が居るICUの方へ背を向けた。

「猪熊、小島」
「はっ」
「あん?」
「……行くぞ……」

静かに言って、慶造は歩き出す。修司と隆栄も慶造に続いて歩いていった。



「慶造さん…!!! おい、四代目は何処だ?」

突然思い出したように、笹崎が叫ぶ。

「その…十分ほど前に、猪熊さんと小島さんと一緒に去っていきました」
「馬鹿野郎っ! なぜ引き留めないっ!!!」

血相を変えて、笹崎が怒鳴る。

「あんた…慶造さんも一緒に来ていたの?」
「出先で連絡が入ったんだよ。それで、一緒に……」
「私たちの話…聞いていたかもしれない…あんた、急いで!!」
「解ってる。だけど……」
「達也の事は、私に任せて。それに、あんたには、大切な事があるでしょう!」
「…すまん…。また来る。変化があったら、すぐに連絡くれ。…あぁそうだ、
 お前ら、ここで待機しておけ。まだ襲ってくるかもしれないからな」

あいつを守ってくれ。

笹崎は、組員の耳元でそっと呟き、そして、走っていった。



駐車場に停めている車に乗り込み、急発進させる笹崎。

慶造さん……。間に合ってくれ……。

笹崎の思いは、慶造に届くのか…?





夜。
阿山組本部・ちさとの部屋
ちさとは、机に向かって勉強をしていた。
この日の事を耳にした。

あの優しい成川さんが、危篤……。

それを考えると上の空になってしまう。
思い出す、あの日の事。

もし、成川さんが…。そうなると、笹崎さんは…?

そう考えるだけで、自然と涙が浮かんでしまうちさとだった。
部屋がノックされる。

「ど、どうぞ」

焦ったように返事をするちさと。すると直ぐにドアが静かに開き、慶造が入ってきた。
ひどくやつれた雰囲気だった。

「ごめん、遅れて…。昨日の続き……歴史だったっけ…」

そんな声にも、どこどなく元気さがない。

「慶造君、成川さんの容態は?」
「まだ………!!!」
「!!! 慶造君……」

張りつめていた何かが弾けたように、慶造は、ちさとに抱きついていた。その体は、微かに震えている。その震えを止めるかのように、ちさとは、しっかりと慶造を抱きしめた。

「ちさとちゃん、俺…どうすれば…いい? …気が付いたら、俺……」
「慶造君……」

慶造は、ちさとを押し倒していた……。




道病院・ICU前
笹崎は、ソファに腰を掛け、ガラスの向こうに眠る息子の姿を見つめていた。隣には、あの女性が座っている。

「遅かったのね……」

女性が言った。

「…俺が着いた時は、すでに終わった後だった…。またしても、慶造さんは、
 無意識に…保川一家を……。暴走した慶造さんを止めるのに、小島くんも
 修司くんも怪我をしてしまった…。…すべては俺が悪いんだよな…。
 俺自身が……」

命を奪うことが平気になっている……。

自分の両手を見つめる笹崎。

「達也は、それでもあんたのことが好きなんだよ。なのに、どうして、
 私たちを突き放したの?」
「あの世界で、こうならないようにだ…。だけど、突き放しても同じだったな…」
「そうね…」

沈黙が続く。

「なぁ」
「はい?」
「…どうして、達也は、慶造さんの学校に?」
「あら、今更、聞くの?」
「まぁ…な」
「あなたに逢いたい一心よ。突き放してからは、一切、逢おうと
 しなかったでしょう? あの子…寂しがってたんだから…」
「そうか…」

それっきり、笹崎は、何も言わなくなった。




ちさとの部屋。

「……ごめん…ちさとちゃん…俺…」
「落ち着いた?」
「…あぁ」

慶造が身につけていた物とちさとが身につけていた物は、床に落ちていた。
二人は、寄り添うように布団の中に居た。…お互いの体温を感じながら……。

「…どうして謝るの?」
「こんな気持ちで、こんな事態で…抱いてしまって…ちさとちゃんに…」
「慶造君が和むなら…落ち着くなら…。だから、何も言わないで…」
「…ありがとう……」

慶造は、ちさとの胸に顔を埋め、目を瞑る。
ちさとの心音が心地良い……。
ちさとの体をぎゅっと抱きしめる慶造。

「ちさとちゃんって、細いんだね…」
「慶造君って、筋肉質…。服を着てる時は、そう見えないのになぁ」
「そうかな…」
「…もしかして、また、あの日のように?」

ちさとが尋ねる。

「無意識だった…。気が付いたら、俺の目の前に血だらけの修司と小島が立って、
 俺の腕を押さえ込んでいた。周りを見たら、保川一家の組員全員、地面に
 倒れていた…。少し離れた所では、保川組長が……。俺…また…」

慶造は、震えている。

「…俺……どうしたらいいんだろう…。俺の思い…遂げられない……
 どうしたら、…いい?」
「慶造君の思い?」
「命を粗末にしない世界…。大切な者を失って哀しむのは、嫌だから…。
 そんな思いをしたくない、そして、周りにさせたくないから…」
「だから、中平さんのお父さんに、この世界から足を洗うように言ったんだ…」
「中平さんの奥さんは、この世界の人じゃないだろう? だから、中平さんには
 無茶をして欲しくなかったんだ」
「じゃぁ、他の組も、そうなの?」
「そうだよ。…でも、身に付いたものは、中々納める事が出来ないみたいだから…。
 それでも、普通に暮らして欲しいよ…」

慶造の声は震えていた。

「達也さんは、普通に暮らしていたのに……」
「笹崎さんの息子さんだから…」
「…極道の世界で生きた者は、普通の世界で過ごせないのか?」
「解らない。お父様は、過ごしていたよ…。でも、襲われた…。
 何かが足りないのだと思う…。何かが…」
「…ちさとちゃんを巻き込んでしまったな…………」
「慶造君?」

慶造は、ちさとの腕の中で眠っていた。

普通に暮らして欲しいのに……俺と関わったばかりに…。
沢村さんの思いが……。

慶造の目から、一筋の涙が流れた。ちさとは、その涙をそっと拭い、眠る慶造に優しく唇を寄せる。そして、慶造の頭を包み込むように腕を回した。

「ありがとう、慶造君。でもね、私は、慶造君に付いていくから…。
 歩く道が、例え、血に染まっているところでも……。だから……」

ちさとの思い…それは……。



明け方。
慶造は、温かな気持ちで目を覚ます。
目の前には、愛しのちさとの寝顔があった。
そっと唇を寄せ、そして、抱き寄せる。

「…ん? …朝?」
「ごめん、起こした?」
「そんなことない…。…あのね、慶造君。…私考えたんだけど…」
「ん?」
「私もね、慶造君の思い、手伝いたい。私も同じ思いだから。
 だから、これからも、私を側に置いてて…」
「ちさとちゃん…それは…」
「例えそれが、厳しい道でも…血で染まっていても…」

ちさとの決意は固い様子。しかし、慶造は違っていた。

「ちさとちゃんには、そんな思いをさせたくない。…俺が守るから…」

その言葉を聞いた途端、ちさとは体を起こした。

「それなら、決まりっ!」
「何が?」
「笹崎組も解散させたら、どう?」
「はぁっ!?」

慶造は驚く。

「笹崎さんが、この世界に居たから、あのような事が起こったんだと思う。
 それなら、いっそのこと、この世界から足を洗ってもらったらいい」
「しかし、もう…達也さんは…」
「望みはあるんでしょう? それなら、その日の為に、準備しておかないと!」
「ちさとちゃん…。でも、俺には出来ないよ…。それに、何よりも
 笹崎さんが承知しないと思うから…」
「慶造君の気持ちはどうなの? 笹崎さんの事、大切なんでしょう?」
「そうだけど…」
「四代目の言葉に背くような笹崎さんじゃないと思うんだけど…違う?」
「命令は絶対だ…そう言ってる人だけどさ…」

それよりも、ちさとちゃんの方が…。

「笹崎さんを失いたくない…。それは、四代目としてでもあるし、人としてでもある」
「慶造君の思い…その為にも、笹崎さんには、お手本になっていただいたら
 どうかしら……。私の意見……辛い?」
「辛いよ……でも…笹崎さんを失った時の方が、もっと辛いかもしれない…。
 ………その方が……いいよな……」
「じゃぁ、決まりっ! 善は急げっ!」

ちさとは勢い良く起きあがる。
ちさとの張り切り様は、凄い。
それには、慶造はついて行けない様子。
流石に、朝は弱いようで……。

「ちさとちゃん〜」
「はい?」

呼び止める慶造に、ちさとは首を傾げる。

「もう少し寝たい…」
「でも、朝ご飯の支度が…」
「大丈夫だから…さぁ」
「えっ?! きゃっ!!!」

慶造は、体を起こしているちさとを抱きしめ、そして、寝ころんだ。そのまま、ちさとの上に四つん這いになり、唇を寄せる。
そっと目を瞑るちさとを慶造は優しく抱き始めた。

気持ちいいからさぁ〜。

修司と隆栄の言葉が脳裏を過ぎった。

ほんとだな…。

二人の体は、火照っていた………。
その行動は、慶造の何かが落ち着いた事を現していた。




一週間後…。

阿山組本部・会議室。
成川の容態は奇跡的に落ち着き、意識の回復を待つばかりだった。笹崎は、少し安心し、そして、本部へとやって来た。玄関の若い衆に、慶造からの伝言を聞き、会議室へと足を運ぶ。



「ご心配をお掛け致しました」

笹崎は、慶造の姿を見た途端、深々と頭を下げ、そう言った。

「落ち着いて、安心しました。…その…唐突で悪いんだけど…」
「はい?」
「笹崎さんには、本当に、お世話になりました」
「ちょっと待って下さい、慶造さん。私は……」

慶造の言葉、そして、表情で、慶造の考えが解った笹崎は、慶造の言葉を遮るかのように言った。しかし、その言葉を遮るように言う慶造に、何も言えなくなる。

「笹崎組は、解散します。そして、笹崎さんには、一つの事を
 お願いしたのです」
「…何をですか? それによっては、解散のお話は反対します」
「笹崎さんの好きな事をして欲しい」
「それは、慶造さんのお側で…」
「私の思いは御存知でしょう? その為の準備をして頂きたいのです」
「命の大切さを知った世界の準備?」
「はい」
「それは…?」

笹崎は、慶造の口から、驚く案を聞かされた…。




笹崎組事務所にある笹崎の部屋。
ベッドに腰を掛け、一点を見つめたまま、笹崎は考え込んでいた。

辛いけど、私からのお願いです。

慶造の言葉が、走馬燈のように頭の中を駆けめぐっていた。

四代目として、笹崎さんを失うのは辛いけど…。
人として、笹崎さんを失う方が、もっと辛いから。
だから、笹崎さん……。

慶造の辛い思いが伝わってきた。


「慶造さんのお話は有難いけど…急に言われると…」

笹崎は頭を抱え込む。

慶造さんの為……。

そう考えた途端、何かが弾けたような表情になり、勢い良く部屋を出て行った。

『招集しろ』
『はっ』

笹崎に声を掛けられた組員は、すぐに、組員達を招集する。

笹崎組会議室。
組員達が勢揃いし、笹崎の言葉に耳を傾けていた。

「急な話で悪い。これは、四代目の意志でもある。その思いも
 しっかりと受け止めて欲しい」
「はっ」
「組を解散する」

笹崎の言葉に、組員達はざわめく。

「四代目の思いは、命の大切さを理解する世界を築く事。
 しかし、それには、多大なる努力が必要になる。それに応える為に
 今まで頑張ってきた。だけど、俺の息子…達也があのようになってしまい、
 そして四代目にも迷惑を掛けてしまった。その為に、私は責任を取る」

笹崎は、組員一人一人の顔を見つめる。中には泣く者も居た。

「お前達も、この世界へ足を踏み込む前は、普通の暮らしをしていたはずだ。
 その暮らしに、今更戻れるとは思えない。だから、お前達には選択してもらいたい。
 私に付いてくるか、四代目の側で生きるか…」
「おやっさんは、足を洗って、どう過ごされるんですか?」
「俺の趣味に走る」
「趣味…?」
「慶造さんの案でな……その……この場所に料理屋を…」

少し照れたように言う笹崎。そんな仕草が組員達の何かを掴んだ様子。

「おやっさん、俺、おやっさんに付いていきます!!」
「俺も!」
「俺も付いていきます!!」
「…付いてくると言っても、料理だぞ?」

組員の意外な言葉に驚きながら、笹崎が言う。

「料理は、いつもしております! それを続ければいいのでしょう?」
「そうだけどな…。…お前らはどうする?」
「私は、足を洗いません…。この世界で、四代目を支えたいと思います」
「私もです。おやっさん…。私は、ちさとさんのお世話を仰せつかってます。
 そのちさとさんが、その世界におられるのなら、私は付いていくだけです」

ちさとの世話をしている川原が、真剣な眼差しで応えた。

「川原…。解った。それぞれの気持ちを四代目に話しておく。
 お前達……今まで、本当にありがとうな…。無茶な事ばかり言って
 悪かった。…そして、これからは、違う世界で、宜しく頼むよ」

笹崎は、深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします!!」

組員達の元気な声は揃っていた。



成川の意識は、未だに回復していない。毎日のように、世話をする女性。そこへ必ず顔を出す笹崎。

「…どうだ?」

笹崎の言葉に首を振るだけの女性。その女性が、笹崎を見つめる。

「ん? どうした?」
「一体、いつになったら、名前を呼んでくださるの?」
「…名前? 達也か?」
「私です!」
「………照れくさいだろが…」
「慶造さんから聞きましたよ」
「慶造さん、また、ここに?」
「毎日来られるんだから…。彼女のちさとちゃんも一緒に。
 それにしても、猪熊くんと小島君も、素敵な青年だねぇ〜。
 凛々しく感じるもん。二人とも子持ちだということに驚いたけどね。
 慶造さんは未だかしら?」
「喜栄ぇ〜あのなぁ」
「あっ、やっと名前を呼んだ。忘れたのかと思った」
「ったく、意地悪な奴だなぁ〜。…っと、慶造さんから、何を聞いた?」
「組の解散。そして、飛鳥くんと川原くん、松本くんたちが阿山組に
 引き取られて、他の子たちは、あんたの下に付くって?」
「あぁ。…あの子たちを引っ張り回してばかりだけどな…」
「あの子たちは、もう自分の意志で生きていける子たちでしょう?
 あんたに付いていくと言うなら、それでよし。その世界に残るなら
 それもよし。…慶造さんの思いは、どこに居ても手伝えるでしょう?」
「そうだな…」
「で、組事務所を改装して、料亭を?」
「あぁ。……そこまで解ってるなら、躊躇う事ないよな…」
「何を躊躇ってるの?」

笹崎は、拳を握りしめた。そして、優しく言葉を発する。

「俺と再び過ごしてくれないか?」
「戻れと?」
「そうだ。そして、料亭の女将として、過ごして欲しい。…得意だろ?」
「そりゃぁねぇ。実家がそうだから、慣れてるけど、いきなりそれは…」
「まだ準備中だ。答えは急いでいない。でも、考えていてほしい」
「…改めて言わなくても、答えは決まってるわよ」

女性・喜栄は立ち上がる。

「あなた、宜しくお願いします」

喜栄は、深々と頭を下げた。

「よ、喜栄……」
「達也が目を覚ましたら、驚くわね」
「それを楽しみにしてるんだよ」

喜栄は、笹崎を見つめていた。

「なんだよ」
「…小指の短い料亭の主人って、……料理中に怪我したということにするの?」
「その方が、いいよな……」
「まっ、これからが、楽しみね。あなた、頑張ってよ!!」
「任せろって」

二人の和やかな雰囲気に、意識が戻っていないはずの成川の表情には、笑みが浮かんでいた。


そして、半年後、阿山組本部の隣に、料亭が出来た。

〜〜高級料亭・笹川〜〜





(2004.2.24 第二部 第九話 UP)



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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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