任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第八部 『偽り編』
第十二話 驚くことばかりです。

少し寂れた雰囲気のとある街。
風が、ほこりを巻き上げた。
その中を駆けていく男達。そして、建物の影に身を隠した。
その場所の壁で、何かが弾けた。
身を隠した男達のうちの一人が、銃を片手に建物の影から現れた。
いくつかの銃声が響き渡る。
辺りに静けさが漂った。

「……………って、銃が苦手って、嘘やで」
「あんな一瞬で、敵に戦意を失わせるなんて、できませんよ!」
「ほんま、歯止め効かん人やなぁ、真北さんは」

建物の影から、ひそひそ話が聞こえてくる。
その声は、建物から飛び出し、銃を撃った男=春樹の耳に届いていた。
流石、地獄耳…。
その声に、銃口を向けていた。

「って、真北さん!! 何を!!」

引き金が引かれる瞬間、身を伏せた男達。
その少し向こうで、人が倒れる音が聞こえてきた。

「何か言ってから、撃ってくれぇ!」

身を伏せた男のうちの一人=隆栄が嘆く。

「避けられる人に、宣言せん!」

春樹の口調から解る。
怒りそのものが現れている…。

「ここでは、今ので終了ですよ。…しかし…口を割るでしょうか…」

霧原が、銃で倒れた男達を縛り上げていく。
縛り上げた一人の男の頬を叩き、目を覚まさせる。
目を覚ました途端、男の顔に恐怖が表れた。
霧原の眼差しに恐れたらしい……。
霧原は、流暢な外国語で男に問いかける。
その言葉の中に、何やら残酷な表現があったのか、男は、霧原が言い終わる前に応えていた。
鈍い音が聞こえ、男が気を失った。
霧原は見えない速さで、男の頬をぶん殴っていた。

「ひどぉ……」

一部始終を見ていた春樹が呟く。

「真北さんほどでは…」

霧原が応えると同時に、何かが霧原に向かって飛んでいく。
軽く避けた霧原は、

「真北さんが行うと、相手は応える事が出来ないほど重傷でしょうがぁ!」
「これでも、抑えてるっ!」
「うわぁ〜こわぁ〜」
「じゃかましぃ!!!」

春樹の怒りは、側にある樽に向けられた。
春樹が通り過ぎた途端、樽は分解する。
春樹と共に行動している霧原、隆栄、そして、大人しい和輝は、何も言えなくなり、歩き出した春樹に黙って付いていく。

「次は?」

春樹が言うと、和輝が、直ぐに応えていた。





阿山組本部。
栄三が、慶造の部屋で、春樹の行動を伝えていた。

「…という感じで、次々と奴らのアジトを破壊してますよ」

その言葉に、慶造は呆れたように項垂れる。

「まぁ…予想通りだが、その後、怪我はしてないな」
「そうですね。真北さんの動きが更に速さを増してしまったようです。
 あの霧原さんでも、見えないときがあるそうですよ」
「それで、目的は未だなのか?」
「まだ、現れないそうです」
「そうか……敵の姿を観るまで、真北は帰ってこないな…」

何かに悩むように慶造が呟いた。

「四代目?」
「あぁ、すまん。ただな…」

庭から笑い声が聞こえてきた。それは、真子の笑い声。

「お嬢様…楽しんでおられるんですね」
「地島のお陰だな。…あいつ、色んな話を知ってるみたいでな」
「やくざより世話係が似合ってる…というところですね」
「まぁな。あれ程、真子が懐くとは驚いてるけどな」
「私もですよ。…俺の睨みも効果なし…」
「ったく…。諦めろ」
「諦めましたぁ〜」

栄三の軽い口調に、慶造の肩の力が抜ける。

「それで、八造は?」
「お嬢様へのお土産は、渡してますよ。そして、書類はこれです」
「八造も八造だな。今回も竜見の土産付きか?」
「そうですね。今回は、虎石の土産も付いてます」
「……二人は真子に会ったことないだろが」
「くまはちが、話してる可能性がありますよ」
「………真子の話をするな……伝えておけ」
「難しいですね……」

栄三は腕を組んで首を傾げた。

「……話をふってるな……」

慶造の言葉に、栄三は、あらぬ方向に目をやった。栄三と話しながらも、栄三が手渡した八造の書類に目を通す慶造。その速さは、流石の栄三も驚くほどだった。

「進展あり…か。…まぁ、ここまでは予想通りだが、
 これからが、手こずる可能性があるな。八造は
 何か言っていたか?」
「自分でやりますと…それだけでしたね」
「負けず嫌いだらけだな……」
「はぁ……」

慶造は最後まで目を通した後、テーブルの隅に書類を置き、煙草に火を付けた。

「あっ、それと、夏祭りの話が出てるんですが、今年も例年通りに
 行いますか?」
「そうだな。今年は去年以上に派手に楽しくするように伝えてくれ」
「かしこまりました」
「真子には知られないようにな」
「心得てます…でも、今年は、地島が居ますから、難しいですね」
「地島にも、伝えてくれ」
「はっ。では、次の課題ですが…」

栄三は、淡々と話を続けていく。



その間、真子と政樹は、庭で楽しい時間を過ごしていた。
政樹が語るのは、真子が知らないお話ばかり。
真子は政樹の話に耳を傾け、時には笑い、そして、涙を浮かべていた。

真子が政樹に心を開いてから一ヶ月が経った。
政樹が真子の世話係になってから、二ヶ月しか経っていないが、政樹自身には、長い間、世話係をしている気持ちだった。なぜなのか。それは、政樹にも解らないが、兎に角、政樹自身も真子と過ごす時間で、心を和ませていた。

「お嬢様」
「なぁに?」
「………その…」
「どうしたの?? もしかして、何かされたの?」

真子が心配げに尋ねてきた。

「あっ、いえ…違います。…その…」

政樹は言いにくそうな表情をして、真子から目を反らした。

「まさちん。…悩み事があるなら…言ってね…」
「お嬢様……ありがとうございます。その…」

真子は、首を傾げた。

「お嬢様の笑顔……。お嬢様は笑顔が素敵ですね」

政樹の言葉は突然だった。

「そう?」

真子は、自分の表情のことは気にしていなかった。
気になるのは……。

「お嬢様の笑顔を観ていると。心が和みます。
 自分が、やくざだということを…忘れてしまいますよ。
 それほど、お嬢様の笑顔には、何か特別な物が
 秘められてるようなので……その…だから…」
「ありがとう、まさちん」

真子は笑顔で応えた。

「でもね…笑顔…減ったって言われるの…」
「それなら、これからは、笑顔が増えていきますね」
「どうして?」
「私が、お嬢様を楽しませていますから」

またしても、さらりと口にする言葉。
それは、他の者が耳にすれば、なんとなく、嫌な気持ちになるのだが、真子は違っていた。
政樹の言葉が嬉しかったのか、更に笑顔が輝いていた。

「そろそろ夏休みですね。お嬢様は毎年、どのように
 過ごされているんですか? やはり、海や山、祭りとか…」
「外に出たら駄目だから…夏休みは、ぺんこうと一緒に
 勉強したり、体を鍛えたりしてたよ? 海で…何をするの??」
「??? えっ…その…海水浴……」
「海の水を浴びて…楽しいの?? 塩っぱいんでしょう?
 体に悪いと思うけど…」
「その…泳いだり、海辺で日焼けしたり……」
「泳ぐのは、プールで出来るでしょう? それに、日焼けだったら
 外でジッとしてたら良いだけでしょう? ……どうして…??」

……遊び……。

政樹は掛ける言葉が見当たらなくなってしまったのか、考え込んでしまった。

「山…って、登るの?」
「え、えぇ。自然を満喫して…」
「自然なら、まささんの天地山があるよ? 素敵なんだよぉ」

真子の表情が綻んだ。

天地山???

またしても、政樹は首を傾げた。

「祭り??? それ…学校のみんなが話してる事なのかな」
「夏祭りですよ。近所の町内会で行われてるようですね。
 川原さんが世話役をしているそうですから、本部にも
 色々なお話が来ていると思いますが……」
「…行きたいな…」

真子が呟くように言った。

「そうですね、慶造さんにお願いしてみましょうか」
「いいの?」
「えぇ。お嬢様の願いですからね」
「まさちん」
「はい」
「お願いします」
「お嬢様…」

真子は頭を下げていた。

「…その夏祭り……いつなの?」
「夏休みが始まる日と同時に…ですから、一週間後ですね」
「お祭りって、どんなことをしてるの?」

真子が興味津々に尋ねてきた。

「そうですね…金魚すくいに、綿菓子に…」

政樹は、自分の記憶にある『夏祭り』の様子を、真子に細かく語り始めた。
政樹の語りは、目を瞑って耳を傾けると、その情景が目に浮かんできそうな、素敵な語りだった。
真子は、嬉しそうに微笑んでいる。
真子の笑みを観ているだけで、政樹は心が和んでいた。




「駄目だ」

慶造が低い声で言った。
慶造の部屋には、慶造の他、政樹の姿があった。

「お嬢様が行きたいと申してるので…。危険は解っております。
 ですが、家の中に籠もりっきりというのは、本当に…」

政樹の言葉に、慶造は大きく息を吐いた。

「阿山組系が世話役をしてるというだけで、嫌がらせもあるし、
 一般市民も、警戒をしてる。…それに、人混みに紛れて……と
 いう可能性もあるだろうが」

慶造の言いたいことは解っている。
人混みに紛れて、真子を砂山組に…と考えているのだ。
政樹は、口を一文字にして、膝の上で拳を握りしめた。

「お嬢様の笑顔……楽しみなんです。…その笑顔が増えるなら、
 私は、この身を盾にして…お嬢様を守ります。…命に変えても」

と口にした時だった。
政樹は突然、腹部に重たい何かがぶち当たった感覚を覚えた。
その途端、強烈な痛みが体中を駆けていった。
その後、急に胸ぐらを掴み上げられた。

「組長……!!」

政樹の胸ぐらを掴み上げているのは、慶造だった。
先程まで、ゆっくりと座っていた慶造。しかし、政樹の一言で、慶造の怒りに火が付いてしまったらしい。

「……命を捨てることだけは、許さねぇぞ、地島……。
 命を粗末にするな。…自分の命を守れない奴が、
 他人の命を守る権利なんか…ねぇんだよ……」
「……しかし、親分に仕える我々にとっては、当たり前の事…」
「それは、てめぇの組だけだ。…俺の言葉を未だに理解しねぇ」

そう言って、慶造は政樹から手を離した。

「阿山組は違う。……親分のために生きろ。…それが掟だ」
「親分のために……生きる…?」
「解らないようなら、真子に聞いてみろ。そうしたら、よく解る。
 身に染みて……理解できるぞ」

慶造は煙草に火を付けた。

「俺は、その事をこの世界に広めたいんだ。…誰が喜ぶ?
 目の前で散った命を…自分を守って死んでしまう人間を見て…。
 嬉しいと思うのか?」
「大切な人をを守って死ねる。それが、喜びです。その為に…」
「真子はな、それで、笑顔を失ったんだぞ!」

慶造が、いつになく、怒鳴った。
突然のことに、政樹は腰を抜かしたように驚いていた。

「……ちさとは、真子を守って、真子の目の前で……死んだんだ。
 一度は、息を取り戻したが、……やはり、無理だった。真子は、
 自分を責めている。…自分が居たから、ちさとが死んだと…そう言って…。
 自分が代わりに死ねば良かったんだね……そう言ったんだぞ。
 まだ、……五歳だった真子が…」
「……お嬢様……」
「そんな真子の目の前で、死ぬのは……俺が許さないぞ…地島…」
「………目の前じゃなければ、よろしいんですか?」
「…真子が気付かないなら、何処で死んでも、俺は知らんがな」
「組長…矛盾してます…」
「それは、お前にだけだ。…俺の命を狙う奴の身の上までは知らんわい」
「さよですか…」

政樹は項垂れた。

「まぁ…あれだ。近所の公園くらいなら、大丈夫だろ。…真子の学校の
 校区内なら、出掛けても大丈夫だ。…でも、夏祭りは許さんからな」
「組長!! ありがとうございます!!」

政樹は深々と頭を下げた。

「真子を、目一杯楽しませてくれ。……その後は必ず報告しろよ」
「御意。それでは、今から…」
「…………地島…」

慶造が静かに呼ぶ。

「はっ」

政樹は、短く返事をした。

「張り切りすぎだ…」

慶造の言葉に、政樹は苦笑い。その表情が滑稽だったのか、慶造は突然笑い出した。

「頼んだぞ、まさちん」
「はっ。ありがとうございます!」

政樹の声は、弾んでいた。


政樹が部屋を去った。
慶造は新たな煙草に火を付けて、ゆっくりと煙を吐き出した。

…真子の身に何か遭ったら……。
砂山組は、即壊滅だぞ……。
地島………。解ってるんだろうな…俺の本能を…。

そして、慶造は、目を瞑った。





真子と政樹は、本部の玄関を出てきた。そして、門に向かって歩き出す。
門番が二人に気付き、静かに門を開けた。
いざ、外に出ようとした時、真子が歩みを停めた。

「?? お嬢様?? どうされました?」

真子の表情が強ばっている。政樹は、真子の目線にまでしゃがみ込み、真子を見上げた。

「近くの公園ですよ。五分も掛からない場所だから、安全です」

真子は首を横に振った。

「……駄目……。 やっぱり、駄目!! ごめんなさい、まさちん」

そう言って、真子は屋敷へと駆け戻っていった。

「お嬢様!!」

二人のやり取りを、門番が観ていた。

「公園は、お嬢様にとって、恐怖の場所なんですよ、地島さん」
「恐怖?」
「姐さんが亡くなったのは、公園帰りでしたから…」
「!!! 俺……知らなかったから……」
「お嬢様が、学校の登下校以外、外出しないのは、
 それがあるからですよ」
「だけど、組長は、公園なら良いと…」
「恐らく、別の場所なら、大丈夫じゃないでしょうか」
「何処ですか?」
「お嬢様に聞いてみるのも、一つの手だと思いますよ」
「そうですね……」

門番と政樹が話している時だった。
屋敷に戻ったと思われた真子が、玄関先に姿を見せた。

お嬢様…???

真子は、誰かに背中を押されるかのような体勢になっている。
真子が首を横に振ると、更に、誰かに押されていた。



「嫌っ!!! だって、もしもの事があったら…」
「大丈夫です。慶造さんが許可なさったんでしょう?」
「でも……まさちんに何か遭ったら…私……」

真子の後ろには、向井が立っていた。
料亭から食堂に戻るとき、真子が靴を脱いで駆け上がってくるところに出くわした。
真子は、向井の姿に気付かず、向井とぶつかってしまう。
何を急いでいるのかと、向井が尋ねると、真子は口を一文字にした。
その仕草で解る。
何かを嫌がったのだろうということが。
真子の手を握りながら、向井は、下足番に尋ねた。

まさちんさんと一緒に公園に行くと言ってたのですが…。

真子が何を嫌がったのかが解った。

まさちんと一緒なら大丈夫ですよ。
だって、公園は…。
それなら、別の場所に。ほら、まさちんが待ってますよ。

そう言って、向井は真子を座らせて靴を履かせ、背中を押すような形で外へと……。



真子と向井の姿に気付いた政樹は、急いで玄関に駆けていく。

「お嬢様。申し訳御座いませんでした。私…知らずに…」
「まさちん、車があるなら、車で行けよ」

向井が促した。

「どこが良いのか解らないから…。…お嬢様、何処に行きたいですか?」
「解らない…。まさちんにお任せしたいけど…でも、まさちんは…」

そこまで言った途端、真子は俯いてしまう。

「大丈夫ですよ、お嬢様」

政樹が言うと、真子が少し顔を上げた。
真子の目の前に、政樹の笑顔があった。
その笑顔は、真子の心に突き刺さる『何か』を、少しだけ、溶かした。

「……本当?」
「心配ですか?」

政樹の質問に、真子は迷うことなく頷いた。
政樹は肩の力を落とす。

「お嬢様ぁ〜〜、ひどい…」
「だって、もしものことが遭ったら…」

真子が襲われた時、政樹が身を挺して守るかも知れない。
真子はそれを気にしていた。

「だから、いいの……。まさちん…ありがとう」

真子の願いを叶えようとしてくれた事に対するお礼だった。
政樹は、真子が無理をしている事を悟った。もちろん、政樹よりも真子との付き合いが長い向井は、解っていること。敢えて、政樹には言わなかった。それは、慶造にも言われている事でもある。

地島の力量を試す。

真子の事をどれだけ解ってくれるのか。
そうでなければ、真子の側には居られない。
真子には、特殊能力が備わっている。言葉とは違い、心で考えることが、真子には聞こえている。
だからこそ、自然と行動に出てもらわなければ、真子が身構えてしまう。それが、真子の笑顔を奪ってしまう事にも繋がるから、慶造は、真子のことを本当に解っている者だけしか、真子の側に置かないようにしている。
だが、政樹だけは違う。
慶造の命を狙う敵対する組の者。
そんな危険な人物を、敢えて真子の側に置いている。

慶造は、何を考えているのだろうか……。



結局、真子は外出しなかった。
部屋に戻り、本を読む。
向井は夕食の準備に取りかかり、政樹は、慶造の部屋に居た。

「真子を楽しませようとして、反対に心配させてどうするんだよ」
「申し訳御座いませんでした…。ちさとさんのことを考慮しなかった
 私の落ち度です。…公園の事を恐れているとは、知りませんでした」
「俺もだ…。…もう、癒えてると思ったんだけどな」

慶造は、寂しげに呟き、お茶に手を伸ばす。
一口、口に含み、そのままの体勢で、政樹に目をやり、

「……ほんとに、お茶を煎れるのが上手いな…。真北が喜ぶぞ」

感心したように言った。

「恐れ入ります」

政樹は深々と頭を下げる。

「まぁ、真子には、オレンジジュースな」
「心得ております…が、向井さんが居る時は、向井さんが
 用意しておりますので、私は…」
「真子の専属料理人だから、食事に関することを取り上げると
 後で厄介だから、気をつけろよ」
「はっ」

慶造は、お茶を飲み干した。

「そろそろ夕食だな」

慶造が口にした途端、ドアがノックされ、

『食事の用意が出来ました』

食堂担当の組員が呼びに来た。

「あぁ、ありがと」

慶造は返事をし、

「俺達も行こうか」
「私は、お嬢様を呼びに…」
「…むかいんが行ってるから、気にするな」
「それでも、行ってきます。私がやるべき事ですから。では失礼しました」

そう言って、政樹は慶造の部屋を出て行った。

「だから、張り切りすぎだぞ…地島ぁ」

ドアの向こうで、政樹が転けたような音が聞こえてきた。




政樹は、真子の部屋をノックした。
返事は無い。
もう一度ノックするが、やはり、返事は無かった。
足音が聞こえ振り返ると、そこには向井が立っていた。

「向井さん…お嬢様は、すでに食堂ですか?」
「疲れたから寝ると言って、部屋に入ってしまって…」

向井は、困った表情をしていた。

「軽く食べた方が良いと思って、それを聞きに来たんですよ」
「それなら、私が聞いておきます」

向井が言い終わるよりも先に、政樹が口にした。そして、

「お嬢様、入りますよ。失礼します」

政樹は、真子の部屋に入っていった。



真子の部屋に入った政樹は、真子がソファに腰を掛けて、一点を見つめている姿に驚いた。
寝ていると思ったのだった。

「お嬢様、夕食の時間ですよ」

政樹が声を掛けるが、真子は反応しない。真子の側に近づいた。
真子の頬が、濡れていた。

真子を守って、死んだ…。

真子が見つめている先に、目をやった政樹。そこには、ちさとの写真が飾ってあった。

「…ちさとさん…ですか?」

政樹の言葉に、真子は静かに頷いた。

「慶造さんに、お聞きしました。…お嬢様の笑顔が消えた原因を」

政樹が言った途端、真子の頬を涙が伝っていった。

「だから、お嬢様は、私と出掛けることを拒んだんですね。
 もしも……私が、お嬢様を守って、命を落としたら…。
 もう、二度と、そのような事を目にしたくない。…そうだったんですね」
「……大切な者を守るために、命を惜しまない。…その気持ち…
 解るよ。そして、その事が、お父様の生きる世界では当たり前の
 事だということも、解ってる。…でも、それは、お父様が一番嫌いな事。
 私も……目の前で……。…あのような光景は……もう、観たくない。
 だから私……。…ごめんなさい、地島さん」
「お嬢様…」
「地島さんが傷つく前に、…私のお世話係を辞めて欲しい。
 地島さんにだって、地島さんのことを大切に想う方が居るはず。
 その方の為にも……」
「お嬢様、それは…!!」

真子が振り返った。
その表情は、政樹が驚くほど…言葉を失う程、悲しみに包まれていた。
何が哀しいのか。
それは、政樹を突き放すこと…それとも、先のことを考えて…真子を守って、政樹が傷つき、命を落とした時の事を考えたのか…?

十二歳の子供とは、思えない…。

「お父様に…お願いします。…地島さんを…」
「………どうして……そのように、無茶をするんですか?」

真子の言葉を遮って、政樹が言った。
その声は震えていた。

「…自分の気持ちを偽ってまで…どうして、我慢をするんですか?
 お嬢様は、まだ、子供ですよ? 十二歳なら、十二歳としての
 姿があるでしょう? 自分の気持ちを隠す必要は、今はありませんよ!
 自分の思いを正直に……」
「だからなの!!」

真子が叫ぶように言った。

「もう、嫌だから……だから…」
「お嬢様……」
「だって…地島さんは、格闘技…出来ないんでしょう?
 私を守るだけ…なんでしょう?」
「そ、それは…」

そっか…俺の事は…。

政樹は、困ってしまう。
自分を偽って、阿山組に潜り込んでいる。その事は、慶造だけが知ってる事。真子は知らない。だからこそ、そのような言葉が出てくるのだろう。自分の事を正直に話すべきなのか…それとも、ここは、真子の言葉を…。
そう考えている余地は無かった。
真子の目からは、停まることを知らないかのように、涙が溢れ、頬を流れていく。その真子の表情を見ているだけで、政樹はとても、辛い。
女性を泣かせてしまった……。
政樹は、真子を抱きしめた。

「大丈夫ですよ、お嬢様。私は、死にませんから。…どんなことがあろうとも…」
「………まさちん…」
「私…申しましたよね。行くところが無い…と。追い出された後、
 私は、どうしたら、いいんですか? …もう、彷徨いたくありませんよ…」
「……ごめんなさい…。でも……でも…」
「お嬢様から、離れない為には、どうしたら、よろしいですか?」

政樹は、質問した。

「………どういう…こと?」
「私が、お嬢様のお世話係を続ける為に…」
「まさちんの強い所を見たい」
「私の強い所…ですか?」

真子は、コクッと頷いた。

「だって、…格闘技…できないんでしょう? もし、敵が狙ってきたら…」
「足は速いんですが…。お嬢様を抱きかかえて、逃げるというのは、
 駄目ですか?」
「逃げる…??」
「えぇ。敵の姿を見つけたら、お嬢様をこのように抱きかかえて」

政樹は、真子を抱きかかえる。

「そして、敵が狙う前に、全速力で逃げる……駄目ですか?」
「敵が追いかけてきたら?」
「追いつかない程のスピードで」
「…相手が車だったら?」
「路地に逃げます」
「路地を塞がれたら?」
「ちょっと失礼して、余所様にお邪魔します」
「塀を乗り越えて?」
「はい」

そう応えた政樹の表情は、とても自信ありげ…。それには、真子は笑い出す。

「お、お嬢様……駄目…ですか?」

真子は首を横に振った。

「逃げるって…考えたこと無かったぁ…ふふふ!!」
「……お嬢様ぁ〜、なんで笑ってるんですかぁ」
「だって、そういう言葉を、自信たっぷりに言うんだもん」
「は、まぁ……でも…」
「本当に、……逃げるの?」

真子が真剣な眼差しで尋ねてくる。
もちろん、まさちんは、

「はい」

真剣な眼差しで、応えた。

「逃げ切れる?」
「もちろん!」
「本当に?」
「本当に」

暫く沈黙が続く。
真子は、突然、笑顔を見せた。

「解りました。お世話係、続けてください」
「お嬢様…」
「お世話になります」

真子の声は、頬を濡らす涙が似つかわしくない程、弾んでいた。

「お世話させていただきます!」

まさちんの言葉は、ちょっぴり滑稽…。それには、真子が大笑い!

「向井さんが廊下で待ってますよ。お食事、どうされますか?」
「食堂に行く」
「かしこまりました」

そう言って、政樹は真子を床に下ろし、真子の手を握りしめた。

「あっ、お待ち下さい」

真子が歩き出した時、政樹が呼び止める。

「ん?」
「そのままは、駄目ですよ」

政樹はハンカチを取りだし、真子の頬を優しく拭いた。

「…ありがと……」

真子は驚きながらも、お礼を言う。

「では、参りましょうか」

政樹は、真子の手を引いて、部屋を出て行った。
廊下では、向井が待っていた。

「お嬢様」
「ごめんなさい、むかいん。…お食事…食堂で」
「では、直ぐに用意いたします」

笑顔で応え、向井は素早く食堂へ向かっていく。

「お父様は?」
「既に食堂に向かいました」
「…怒ってた?」
「何故ですか?」
「出掛けると言ったのに、行かなかったから」
「慶造さんは、お察しでしたよ」
「……ごめんなさい」
「どうされました?」
「まさちん…怒られたんでしょう?」
「いいえ」
「ほんと?」
「はい」

政樹は、にっこりと微笑んで、真子に返事をした。

「良かったぁ〜。まさちん、怒られたのかと思って…」
「それも、心配だったんですか?」
「うん…」
「ご安心を。怒られるのには、慣れてますから」

と政樹が応えた途端、脛を蹴られた。

「!!! お嬢様ぁ」
「そういうのは、慣れたら駄目なのっ!」

真子はふくれっ面。

「申し訳御座いません…」

再び、脛を蹴られ…。

「そういう態度も駄目って、言ったでしょ!」
「すみません…以後、気をつけます」

と応えたものの、政樹は、その後も何度か真子を敬う態度を取り、蹴りを入れられてしまうのだが…。




夏休みがやって来た!
真子は、初日で絵日記以外の宿題を終わらせてしまい、目一杯時間が余ってしまうのは、目に解っていた。

「…………お嬢様…宿題は、毎日、少しずつするものです」
「だって……直ぐに終わったんだもん…」
「残りの夏休み、どう過ごされるんですかぁ」

政樹は何故か項垂れる。
小学六年生の夏休みの宿題。それを見るつもりで予定を立てていた。しかし、時間が……余る……。残る宿題は絵日記。政樹は、真子の絵日記の為に、何かを考えていた。
絵日記と言えば、夏の思い出を残すもの。
楽しい事は無いだろうか…と。その予定だけは、まだ、考え中だった。

「毎年、夏休みは、どう過ごされていたんですか?」
「誕生日パーティー。それと、ぺんこうとドライブ」
「パーティー…ですか…」
「毎年、たくさんのプレゼントもらうんだよ!」
「今年も、栄三さんからは、鯉…ですか?」
「もう鯉は飼えないから、駄目ぇ。…今年は何だろうなぁ」
「その……ドライブとは?」
「自然の多いところを走るだけ。ぺんこうはね、いつも新しい場所を
 探して、連れて行ってくれるんだよ! でもね、今年は駄目だって。
 夏休みも休みが無いほど忙しいんだって…」

そう言った途端、真子の表情が少し暗くなった。

「そうですか…では、私が連れて行きましょう」
「……車で逃げるのは…大変だよ?」
「大丈夫ですよ。相手も車でしょう?」
「それでも…心配だもん…」
「それは、私の運転…ですか?」

凄く寂しげな表情で政樹が言う。

「違う…。車だと…逃げ道が…」
「もぉ…お嬢様っ。そういう事を考えないでください。
 それは、その時に考えますから」
「…ごめんなさい」

沈黙が続く。

「今日は、どうされますか?」

政樹が尋ねる。

「宿題も終わったし……まさちん、何か楽しいことある?」

先程の表情とは違い、無邪気に微笑む真子。それを見て、政樹は少し考え込む。

「そうですね……暫くお待ち下さい」

そう言って、政樹は真子の前から去っていく。

「まさちん???」


真子の声を耳にしながら、政樹はとある場所に向かっていた。
そこは、慶造の部屋。
ドアをノックした。

「地島です」
『入れ』
「失礼します」
「ん? 真子の夏休みの予定表、見たけど…宿題の時間は無駄だぞ。
 すでに終わらせてるはずだが…」
「…はぁ…その通りです」
「その時間の部分をやり直してこい」

そう言って、慶造は一枚の用紙を政樹に手渡した。

「かしこまりました」
「で、どうした?」
「その…お嬢様が楽しいことを望んでおられますので、
 気分転換に外出を考えております」
「今は駄目だと言っただろ。それに、夏の日差しは、真子の体に良くない」
「…それで、ドライブは走るだけだったんですか」
「…真子が言ったのか?」
「はい。去年のことをお尋ねしたら、そのような応えでしたので」
「地島の考えは?」
「その……映画を観ようかと」
「映画??????? まぁ、夏休みは、子供向けが多いと聞くが、
 真子には不向きだろ。…あまりテレビも観ない」
「そのお嬢様でも、大丈夫な内容の映画もございます」
「映画鑑賞…趣味だったよな」

政樹は、ぎくりとした。
やはり、政樹の事は、何でも知ってる様子。

「…は、はぁ…そうですが…」
「ここに来てからは、観に行く様子が無いが…どうだ?」
「行っておりません。夜に出掛けると、怪しまれそうですから」
「そうだよな。…で、趣味も兼ねて…か?」
「………!!! 駄目ですか……」

肩の力を落とす政樹。

「くっくっく…誰が駄目だと言った…」
「組長!」
「真子は初めて行くはずだ。誰も連れて行った事はないからな。
 地島、頼んだぞ」
「ありがとうございます!!」
「報告は忘れるな」
「御意。では、行って参ります」

政樹は、慶造の部屋を出て行った。
それも、慶造が解るほど、弾む足取りで…。

喜びすぎだ…。

それから五分もしないうちに、政樹の車は真子を乗せて、本部を出発した。





政樹の車が、何処かの駐車場へ入っていく。そして、真子を下ろし、目の前の建物へ向かって歩いていった。

「到着ぅ〜」
「……到着?? ここは?」

真子が不思議そうに尋ねてきた。

「映画館ですよ」
「映画館???」

首を傾げて政樹を見上げる真子。その口から出た言葉は…。

「映画って、何???」

政樹は驚いた。

「ほんとに箱入り娘なんですね…お嬢様…」

映画のことくらいは、知ってると思ったんだが…。

困りながらも、政樹は、真子に映画のことを説明し始めた。そして、その足で映画館へと入っていく。



初めて入った映画館。真子は驚きながらも、政樹と一緒に席に着く。
目の前の大きなスクリーン、そして、サイドに広がるスピーカー。何が始まるのか。真子はドキドキしながら、周りを見渡していた。
真子が緊張している事に気付く政樹は、

「何が始まるかは、お楽しみですよ!」

政樹の言葉と同時に、館内が暗くなった。
真子は、思わず政樹の手を握りしめた。

!!! …お嬢様…驚かれてますね…。

真子の手は震えていた。
政樹は、真子の手を握りかえし、グッと力を込めた。
そして、映画が始まった。



(2006.6.8 第八部 第十二話 改訂版2014.12.12 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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