思い出、旅立ち 「パパ、おそいね」 「そうだね。…途中で抜けてくるって言ってたけど、 やっぱり無理だったのかな…」 「あっ、パパ」 美玖が嬉しそうに言った。 ぺんこうの車が、幼稚園の前までやって来た。そして、幼稚園専用の駐車場へ停め、直ぐに降りてきた。 「ごめん、真子。遅れた…」 「大丈夫。時間まで余裕があるから。…大丈夫だったの?」 「道が混んでただけだよ。美玖ぅ〜元気だったかぁ?」 緩んだ表情で美玖を抱きかかえるぺんこうを見ていた真子は、今にも笑い出しそうだった。 「…真子、どうした?」 「うん、ちょっとね」 「ん?」 真子の考えが解らないのか、ぺんこうは、首を傾げていた。 「じゃっ! 美玖、行くよぉ」 「はい!」 ぺんこうの腕に抱えられている美玖は、元気よく手を挙げ、返事をした。 真北の職場。 真北の眉間にしわが寄っている……。 さらに、しわが寄る……寄る…………寄る……。 「真北さん」 「あん?」 声を掛けられ、返事をするが、トーンは低く…。 声を掛けた刑事は、思わず身を退いてしまった。 「……なんだよ」 「その………」 言いにくそうな表情で、入り口付近を指さした刑事。真北は、その指の先を見つめた。 「はぁぁい、真北さぁん」 そこには、色気をばらまいているような雰囲気の桜が立っていた。 「…………そんな奴、知らん」 冷たく言って、真北は、書類整理に没頭する。 「…って、冷たいなぁ〜もぉ」 と言いながら、真北に近づく桜。その手は、真北の肩に掛かり…。 真北は、無表情で、桜を睨み上げた。 「そんな目をしても、あかんでぇ」 真北の耳元で呟く桜。 「…なんですか?」 「だからぁ、今日の事」 「それは、私が出る幕じゃありませんよ」 「言われてた資料、持ってきたんやけどぉ」 「………佐野、酔ってるのか?」 桜に付いてきていた佐野に気付いていたのか、真北は声を掛ける。 「すんません…先程まで飲んでおりましたので…」 「佐野は、黙っとり」 「はっ」 「で、真北さぁん」 「断る」 「……ほぉんま、ぺんこうと一緒で、堕ちへんわぁ」 どうやら、真北を誘っていたようで…。 「粗方調べていたが、水木の方が詳しいやろ」 「まぁねぇ。そういう方面は、あん人、昔っから得意やし」 「例の方法は使ってないよな」 「あの日以来、懲りてるで」 「そら、そうやろ。くまはちとまさちんが、やらんかったら、俺がしてたし」 「真北さんの方が、二人よりも恐そうやわぁ」 「俺を停められるのは、真子ちゃんだけだもぉん」 真北にしては珍しい口調だった。 「そんなに気にすること、ないんちゃうん?」 桜が持ってきた書類に目を通している真北。その表情は先程よりも深刻だった。 「まぁ、大学の時を考えたら、気にする事ないと思うけどな、 まだ、何も知らない美玖ちゃんが、嫌な思いをしない為にもな。 大人は解っていても、子供は、ふいに口にするだろ。意味も知らずに。 ……そういうのは、真子ちゃんが一番苦しんで来たことだからな…。 大丈夫だと言ってても、それは、表面だけだったし…」 「やっぱしさぁ、真子ちゃんに聞いてみたら?」 「…出来たら、とっくに聞いてる」 「それもそっか」 沈黙が続く。 「なぁ、真北さぁん」 「なんだよ」 「食事、せぇへん? 仕事、あがりやろ?」 「いいや、もう一つある」 「なん?」 「……水木組の処理」 「あっ……」 思う節があるようで…。 「堪忍なぁ。あれは、あん人が…」 「真子ちゃんの為…。そう言って、何度目だよ。…後がないって あれ程、言っとるのになぁ〜」 怒りを抑えるような口振りで、真北は書類の束を手に取り、桜の前に差し出した。 「これ…全部なん?」 「…あぁ」 「…ほんま………堪忍…手伝うわ…」 真北の隣のデスクに座る桜は、真北の仕事の手伝いを始めた。 ……って、姐さぁん…。刑事の仕事せんでも…。 項垂れる佐野だった。 真子と美玖、そして、ぺんこうは、幼稚園の面接を無事に終えた。玄関で靴を履いている時、後の面接時間に予定していた家族がやって来る。真子達は、軽く挨拶を交わし、そして、幼稚園を出て行った。 駐車場までやって来る真子達。 「パパ、おしごと?」 「うん。抜け出して来たからねぇ」 ぺんこうは、車のロックを外す。 「どれくらい?」 美玖が尋ねる。 「いつもの時間に帰るけど…」 そう言ったぺんこうは、寂しそうな美玖の表情に気が付いた。 「美玖、どうした?」 「パパとママと、おしょくじ…したい」 小さな声で言う美玖。 「???? 美玖、いつもしてるだろ?」 「うん…でもね…、いつも、りょぉパパとりこママとこうちゃんが いっしょだもん…。くまひゃちも…まきたんも…」 「みんな一緒で楽しくない?」 「たのしいけど……。パパとママとみくでは…すくないもん…」 美玖……。 真子とぺんこうは、美玖の言いたい事に気が付いた。 家族三人だけで出掛けた事は、ほとんどない。 三人の時間は、ほとんど夜だけだった。 「芯、時間…」 「あっ、間に合わないかも…。……くまはちは?」 「芯の車を見たら、去っていった。たぶん、ビル。帰りは、芯が 送るからと伝えたら……ね」 「そっか………っと、兎に角、乗ってくれぇ〜時間が無いぃ!」 「うん」 真子は、寂しそうに俯いている美玖を抱きかかえ、後部座席に乗った。 ぺんこうは、運転席に乗り、エンジンを掛ける。サイドブレーキを下ろしながら、ルームミラーで真子と美玖に目をやった。美玖は、真子の胸に顔を埋めていた。 「美玖」 「はい」 「パパの仕事が終わるまで、待つ事が出来るなら、夜御飯、 どこかで食べようか?」 「…ぴくにく…」 「ピクニック……まぁ、梅が綺麗だろうけど……夜は危ないから…」 「…どらいぶ…」 「夜景を見るなら、大丈夫と思うけど……。芯、駄目かな」 「真子………」 アクセルを踏みながら、真子に言いたい言葉をグッと飲み込んだぺんこう。 暫く、静かに走っていた。 「くまはちに連絡…」 真子は何かを思い出したように、そう言って、ぺんこうに手を差しだした。 ぺんこうは、内ポケットから携帯電話を取り出し、真子に手渡す。真子は、すぐにボタンを押した。 『どうした、ぺんこう』 「くまはち、お疲れ」 『!!!! 組長。…すみません。自宅ですか?』 「車の中。寝屋里高校に向かってる」 『へっ?』 「美玖が、出掛けたいって言って…。その…夕飯食べて帰る」 『どちらにですか?』 「それは、行き当たりバッタリかな…」 『組長!! そ、それは……あっ!!!』 『……真子ちゃん、真っ直ぐ帰る約束ですよ!』 くまはちの側には、真北が居た様子。くまはちの電話を取り上げて、真北が代わりに出ていた。 「美玖が出掛けたいって。夜景も見たいんだけど…」 『そうですか。…親子三人…水入らず……ですねぇ』 真北の言葉に、なぜか、怒りを感じる真子。 「うん。…どこがいいかな…。組関係のないところ」 『それは難しいですね。…寝屋里ですか?』 「うん。時間に間に合わないし、芯の仕事が終わったら、そのまま 向かいたいんだけど…行き先がね…ちょっと…」 『美玖ちゃんは、何が食べたいんですか?』 真北の言葉で、真子は美玖に尋ねる。 「美玖、お外で御飯食べるけど、何がいい?」 「……ちゅうか」 『中華ですね』 「聞こえた?」 『聞こえましたよ。恐らく、胸に顔を埋めて、ぐずってるでしょう?』 「その通り…。どこがいい? ビルだと、組関係だからさ…」 『翔くんか、航くんに尋ねてみれば、どうですか?』 「そっか、その方法があった…。芯に聞く」 『夜景は、いつもの所ですか?』 「そうなるけど…いらないからね」 『そこは、諦めてください。取り敢えず、準備しておきます』 「あっ……ん? …なんで、真北さんが、くまはちの側に居るん?」 『途中で逢っただけですよ』 「それなら、気にしないけど…、無茶したら…あかんよ」 『心得てますから、ご心配なくぅ。…芯にも伝えて下さいね』 「…睨まれた…」 電話の向こうで、真北が笑っていた。 「それじゃぁねぇ」 『遅くならないように』 「心得てまぁす!」 真子は電源を切り、美玖を見る。美玖は、先程とはうって変わって、嬉しそうな表情をしていた。 「おでかけ?」 「そうだよぉ。ねぇ、芯」 「はい」 返事に、ドスが利いている……。 「航翔コンビに、中華料理のお店、聞いてくれる?」 「そうですね。あいつらなら、どこか知ってるでしょう」 「あぁぁっ!!」 「どうした、真子!」 「夕食までの間……私と美玖は、車の中で待機…????」 真子は、心配するが、すでに、ぺんこうは、その時間の過ごす方法を考えていたようで……。 ルームミラー越しに、にっこり微笑むぺんこうだった。 寝屋里高校・校長室 「あっ、美玖、それは駄目」 美玖は、校長室の棚の扉を開けようとする。 「鍵が掛かってるから、大丈夫ですよ、真子さん」 「すみません、校長先生」 「いいえ。山本先生からはお話を聞いていましたよ。逢う日を楽しみに してました。本当にお元気そうで」 「校長先生も、お変わり無くお元気で、良かったです。…若返りました?」 「あれから何年経ったと思ってるんですかぁ。真子さんが大人に…いいや 母親になったんですよ? その分、歳を取ってますよ」 「そう思えませんよ、校長先生。…あっ!! 美玖、靴脱ぎなさい」 「はい!」 元気よく返事をして、靴を脱いでソファに座る美玖。 「ふわふわしてる!」 「そうだねぇ、ふわふわしてるねぇ」 「でも、ママのおしごとのソファが、やわかい!」 「あっ、いや……ははは」 「どっちもどっちでしょうね」 「普通ので良かったんですけど…」 美玖は、テーブルの上に置かれたオレンジジュースを飲む。 「山本先生は、更に磨きが掛かりましたね。父親もこなすんですね」 「ボディーガードの分…ね」 「そうですか。…みなさん、お元気ですか? まさちんさんやくまはちさん」 「えぇ。すごく元気ですよ。校長先生に負けてません」 「真北さんは、時々見掛けますからね」 「……………そんなに、しょっちゅう、来てるんですか?」 「回数は、真子さんが在学していた頃と変わりませんけどねぇ」 「そうでしたか…」 ったくぅ〜、真北さんはぁ〜。…芯…知ってるんかな…? 「まぁ、そのほとんどが、山本先生に怒られて、追い返されてますけどね」 「そうでしょうね……。いつもすみません」 「すみましぇん」 真子の仕草を真似て、美玖も頭を下げていた。 「美玖ちゃん」 「はい!」 校長に呼ばれた美玖は、いつも以上に声を高げて返事をした。 「パパのお仕事、見てみる?」 「…いいの? じゃまにならないの?」 仕事の邪魔をしないように。 怒られた事はないが、美玖は、小さな頃から言われているので、仕事の邪魔は絶対にしてはいけないと思っているらしい。真子の仕事場に遊びに行っても、真子が声を掛けるまで、ソファで静かに待っている美玖。絵本を読むわけでもなく、真子とくまはちの仕事っぷりを眺めているだけだが…。 「大丈夫。遠くから見るだけだから」 「…ママ、それなら、だいじょぶだよね。パパ、おこらないよね?」 「体育館の二階から見ること出来るから…よろしいんですか?」 「構いませんよ」 「それなら、…一度見せておきたかったんです。父親の仕事っぷりを。 家では、デスクに向かう姿しかありませんので、教師としての姿を 見せてやりたいなぁ〜なぁんて思っていたんです。お願いします!」 「ご案内……っと、そんなことしなくても、御存知ですね」 「はい。通い慣れた、なんとやらです。では、校長先生。お忙しいところ 申し訳御座いませんでした。ありがとうございます」 「ありがとございましゅ」 美玖が深々と頭を下げる。 「礼儀正しいね…」 「あっ、これは、その………組員との付き合いもありますから…その」 「…そうでしたか…」 「良いのか悪いのか…」 「良い事ですよ」 校長は、優しく微笑んでいた。 真子と美玖は、校長室を出た後、廊下をゆっくりと歩いていた。真子は、懐かしさを感じながら、あちこちを見ている。美玖は、嬉しいのか、弾みながら歩いていた。 そして、体育館の二階に到着する。 「美玖、静かにするんだよ」 「はい」 静かに返事をする美玖だった。 そっとドアを開け、体育館へと入っていった。 体育館では、マット運動のテストが行われていた。 ぺんこうの指示で、生徒達がテストの課目をこなしていく。 笑顔が絶えない授業。 更に輝いてる! 真子は、嬉しさのあまり、微笑んでいた。 あの頃も、輝いてたもんなぁ〜。 美玖は、手すりの柵の間から、下を見下ろしていた。真子は美玖と同じ高さまでしゃがみ込み、美玖と同じ目線でぺんこうを見つめていた。 「美玖、どう思う?」 「パパ、かっこいい!」 「でしょぉ。ママねぇ、パパのあの姿が大好きなんだぁ」 「みくも、だいしゅき!」 「うん。終わるまで………あっ……」 女生徒の一人が、真子と美玖に気付いたのか、二階に向かって手を振っていた。 晴美トリオの一人だった。 美玖も気づき、手を振る。 ぺんこうが、生徒の仕草に気付き、二階を見上げた。 「!!!!!」 何してるんですかっ!!! 口だけを動かして、ぺんこうが訴える。その口調こそ、敬う感じ…。 いいでしょぉ、気にしない気にしない! 真子も口だけを動かして、応えるが…。 「気にしないわけ、ないでしょうがぁ!!!」 ぺんこうが声を荒げてしまった。 その声に、誰もが振り返り、そして、二階を見上げる。 「先生の奥さん?」 「先生の、お子さん?!」 口々に言い始める生徒達。 「こらぁ。私語は慎む! テスト中だぞ」 「気になるやん!」 生徒の言葉に、ぺんこうは納得。 しかし、この日のうちに、テストを終えなければ、成績を付ける事ができない……。 「それなら、さっさとテストを終わらせる!!」 ぺんこうの一喝が効いたのか、先程まで、だらけていた生徒達が、シャキッとなり、スムーズにテストを終わらせていく。 「よっし、終了」 いつの間にか、体育館の一階に下りてきた真子と美玖。体育館の隅の方で見学をしていた。 テストを終えた生徒達は、挨拶もそっちのけで、真子と美玖に駆け寄ってきた。 あっと言う間に囲まれた真子と美玖。 ちょっとビクビクしていた…。 「元気だったぁ、美玖ちゃん」 瀬野晴美が美玖の目線までしゃがみ込み、優しく声を掛けてくる。 「しぇのねぇちゃん!」 「覚えててくれたんだぁ。嬉しいなぁ」 瀬野は、美玖を抱きかかえる。 「うん! げんきだったもん」 「重くなったねぇ」 「こんどね、ようちえんいくの」 「そっかぁ、幼稚園に行く歳かぁ。育つの早いなぁ」 「てらしまねぇちゃんとたなかねぇちゃんは?」 「ここぉ」 美玖に呼ばれて、寺島晴美と田中晴美が返事をする。二人の姿を見て、美玖は微笑んだ。 「かわいいぃ!!」 美玖の笑顔を見て、生徒達が声を挙げる。 「お母さんに似てるのかなぁ。…先生?」 「どうだろ」 女生徒達に囲まれる美玖は、笑顔を振りまいている。その様子を見ている真子は、女生徒達の勢いに負けてしまい、壁にもたれ掛かっていた。 「…こうなると予想できたから、校長先生に頼んだのになぁ」 ぺんこうは、困った様子。 「ごめん…邪魔しないつもりだったけど…勢いに負けた…」 「真子でも弱いものがあった………すみません」 真子の肘鉄が、ぺんこうの腹部に突き刺さっていた。 「授業、良かったん?」 真子が優しく尋ねる。 「終わらせたから、大丈夫。それより、終礼まではどうする?」 「職員室に居るつもりだけど…。翔さんと航さんに聞く事あるし」 「そうしてくれ…これじゃぁ、終礼も出来ん…」 「すみません。…美玖」 真子に呼ばれた美玖は、生徒達の間からすり抜けて真子の所までやって来る。 真子が、軽々と抱きかかえたと同時に、授業終了のチャイムが鳴った。 「はい、授業終了。教室に戻れぇ」 「嫌ぁ」 「あのなぁ」 「美玖ちゃんも一緒に終礼ぃ」 女生徒たちが声を揃えて言うが…。 「駄目」 ぺんこうが、はきはきと応える。ところが…。 「みくも!!」 生徒達の言葉が聞こえていたのか、美玖が言う。 「美玖、駄目」 ぺんこうが言うと同時に、美玖はふくれっ面になり、真子の胸に顔を埋めた。 「…パパ…きりゃい…」 美玖の声は小さく響き、ぺんこうの耳に届く。 「うっ……あのね、美玖…ここは、パパの仕事場だから、 美玖は…」 「おとなしく…できりゅもん」 「それでも駄目」 「パパのおしごと、もっとみたいもん…」 「…美玖ぅ〜」 「私も見たいなぁ」 「真子まで……」 「ほな、決まりっ! では、教室に行きましょう!」 と真子がその場を仕切り、女生徒達と体育館を出て行った。 「…って、あのなぁ〜真子ぉ!!」 ぺんこうの声が体育館に響いていた。 ぺんこうが受け持つクラス。 教室の後ろには、美玖を抱きかかえた真子が立っている。 緊張した面持ちで、ぺんこうが教壇に立ち、終礼をしていた。 リラックス、リラックス……。 心で繰り返しながら、終礼をすすめ、そして…。 「はい、今日はおしまい。お疲れさん」 「起立」 生徒達が帰り支度を始める。ぺんこうは、生徒達と笑顔で挨拶を交わし、そして、真子の所までやって来た。真子は、瀬野、田中、寺島の晴美トリオと話し込んでいた。 「真子、後三十分掛かるけど、職員室に来るか?」 「そうする。では、瀬野さん、田中さん、寺島さん、またね」 「はい。真子さんも遊びに来て下さいね」 瀬野が言う。 「先生のタジタジ姿、滅多に見る事できへんし」 何かを楽しむように田中が言う。 「美玖ちゃん、また遊ぼうね!」 寺島が美玖に優しく声を掛ける。 「うん!」 「ほら、美玖、みんなにありがとうって」 「ありがと!」 真子の腕の中で、美玖は頭を下げる。そして、真子と美玖、ぺんこうは、職員室に向かって歩き出す。 廊下ですれ違う生徒に時々からかわれるぺんこう。そんなぺんこうの表情を見つめる真子は、嬉しそうに微笑んでいた。 「ママ、ママ」 「ん? なぁに」 美玖は、真子の耳元で、小さな声で言った。 「パパ、かっこいい」 「惚れちゃった?」 「うん」 「駄目ぇ。パパは、ママに惚れてるもぉん」 「みくのことも、しゅきだもん」 「そうだねぇ」 二人は微笑み合っていた。 「真子、美玖、何を話してるのかなぁ」 「ないしょ!」 「内緒!」 美玖と真子は、同じような口調で言った。 「おっ、美玖ちゃん、遊びに来てたんか!」 「きゃきぇりゅ!!」 未だに『かける』としっかり言えない美玖は、声を掛けてきた翔の姿を見て、思いっきり喜んでいた。 「真子ちゃん、今日は、美玖ちゃんの面接って聞いたけど…」 「終わったんだけどね、美玖と芯と私の三人でこの後、食事」 「…って、真子ちゃん、大丈夫なのか?」 「大丈夫だもん」 翔の心配そうな表情とは反対に、真子は素敵な笑顔で応えていた。 「ところで、翔さん」 「はい」 「おいしい中華料理の店…知ってる?」 「中華料理……ですか…。そうですね…」 ぺんこうの車が、寝屋里高校の門から出てきた。 すっかり日は傾き、空を赤く染めていた。 「日が暮れるの早いね」 「三月が近づいてるんですけどね。…しっかし、翔があれだけ この辺りに詳しいとは思いませんでした」 「私もびっくり。…私や芯の方が大阪にいる時間長いのにぃ」 「真子こそ、詳しくなかったんですね」 「だって、食事は…むかいんの店だもん」 「そうでしたね。…でも、よろしいんですか?」 「何が?」 「むかいんの味以外は…」 「…………時々、違う味も口にしてたけど…。でも、教えてもらった所… なんとなく、記憶にあるんだけど…」 「そりゃぁ、むかいんの弟子の店だったら、記憶にあるでしょう?」 「…そっか…それでだぁ」 「結局は、関係してるんですね」 「…そうなるのか……」 真子は、ちらりと美玖を見る。美玖は、窓の外を流れる景色を見つめていた。 「ママ」 「なぁに?」 「外、真っ暗」 「ほんとだねぇ」 「ごはん?」 「御飯が先だよ。美玖の食べたい中華だからね!」 「うん!」 ぺんこうは、ウインカーを左に上げ、翔に教えてもらった中華料理店の駐車場へ入っていく。 人気の店だから、待たないと入れないけど…。 翔が言った通り、店には待っている客がたくさん居る。 「美玖、待つけど、大丈夫かな?」 「うん!」 我慢強い美玖は、待つ事を何とも思っていない様子。 走り回る子供達とは違い、美玖は、真子の側でジッと待っていた。 ぺんこうは、辺りの気配をさりげなく探っている。 ふと目をやった場所に、見慣れた姿を見つけた。 安心しろって。 その人物が合図する。 ったく…解ったよ。 ぺんこうは、さりげなく手を挙げて、真子と美玖に目をやった。 真子は美玖をたいくつさせないようにと、物語を語っている様子。ぺんこうも真子の言葉に耳を傾けていた。 「…こう見てると、親子だよなぁ」 「…兄貴…ぺんこうさんの仕草に、組長は気付いていないんですか?」 ぺんこうに姿を見られたのは、くまはちと竜見だった。 寝屋里高校に向かうと聞いた時に、真北から言われ、追いかけてきた。そして、仕事場から出てきたぺんこうの車を付けて行く。向かう先は、翔から連絡を受けていた。 芯が、誰にも言うなときつく言ったんだけど…。 そういう言葉が付いていたが……。 「この後は、夜景をご覧になるとお聞きしましたが…」 竜見が尋ねる。 「そっちは、真北さん」 「それなら、安心ですね」 「そうも言ってられないな…」 くまはちの目つきが鋭くなる。竜見は、くまはちの見つめる先に目線をやった。 どこで嗅ぎつけたのか、黒服を着た男が三人、客に紛れて真子達に近づいていく。しかし、店から出てきた団体客に押し戻されていた。 「…客が多いのも、善し悪しなんだけどな…」 戦闘態勢に入ったくまはちが、呟く。 「キルさんも動いてますよ…」 「ったく…組長に知れたら、真北さん、口を利いてもらえないぞ…」 「ぺんこうさんにも怒られますね」 「そうだな」 「…組長、店に入りました」 「店に入れば安心だから、暫くは辺りを見張っておくか」 「はい。…組長…気付いてない事を祈ります」 「…気付いてるさ…」 呟くくまはちは、店の近くにやって来る。 店から死角になっている場所では、キルが、三人の黒服の男に鉄拳を加えていた。 「キル」 くまはちが声を掛けると、最後の鉄拳を与えながら、キルが顔を上げる。 「真子様には気付かれてません」 「それは解らないが……あの団体客は、真北さんの手配か?」 「は、はぁ…そうです…」 「まさかと思うが、この店の混みようは…」 「半分が、手配客です」 「………………。はぁ…なんだか、キャラクターランドを思い出すよ…」 呆れるくまはちだった。 くまはちは、真子の姿が見えるか見えないかの場所に立ち、様子を見つめていた。 真子が微笑んでいる。 美玖は嬉しそうに食べている。 そんな二人を見守りながら、ぺんこうは、ゆっくりと料理を口に運んでいた。 ……母親…か…。 くまはちは、遠い昔を思い出していた。 母と一緒に過ごした時間を……。 「兄貴、出てきます」 竜見の声で我に返るくまはち。 「あ、あぁ。キルは、走るのか?」 「もちろん。では、先に行ってますよ」 そう告げると同時に、キルの姿が闇に消えた。 「相変わらず、すごいですね…」 竜見が感心するように言った。 「俺達も行くぞ」 「はっ」 ぺんこうの車が、店を出てきた。少し離れた所で待機していたくまはちも、静かに車を出し、ぺんこうたちを追いかけていく。 「ねぇ、ママ」 「なぁに?」 「おほしさま、きれい?」 「う〜ん、お星様は見えないかもしれないけど、綺麗な景色だよ」 「おほしさまは、ましゃちんしゃんとこ?」 「そうだね。今度、遊びに行こうね」 「うん! みく、ましゃちんしゃんに、あげる!」 「何を?」 「きれいなけしぃき!」 「……カメラ持ってきてない…」 「デジカメありますよ」 ぺんこうが応える。 「……………いつも持ってるん?」 「えぇ」 「それなら、たっぷりと撮ろう! 美玖、良かったね」 「うん!」 車は、上り坂に差し掛かる。 くねくねと走る車に、美玖は、はしゃいでいた。 「美玖、もう少しだからな」 ぺんこうが、優しく声を掛ける。 「パパ、がんばれっ!」 美玖が応援すると、ぺんこうは、益々張り切って運転をする。 「…芯〜、スピード」 「大丈夫ですよ」 「捕まったら、厄介だって」 「捕まりません」 「ったく…」 それでなくても、所々に待機してるのにぃ。 真子は、上り坂に差し掛かった場所から、とある気配を感じていた。 真北と同じ雰囲気を醸し出す者たち……。 「待機すると言ってましたよ」 真子の呟きに、ぺんこうが応える。 「解ってるけど……美玖が理解する歳になるまえに、 こういう状況…作らないように、頑張らないとね」 「真子…」 「みんなにも、もっとゆっくりしてもらいたいから」 真子は、ちらりと振り返る。 そこには、付かず離れずの距離で走っている車が一台。 街の灯りで、時々見えていた、見慣れた前髪の運転手。 真子は、周りの事に気付いていた……が、キルの事には気付いていなかった。 車は展望台に到着した。ぺんこうは、辺りの様子を伺いながら、人気が少なく、それでいて景色が良い場所に車を停める。 まず始めに、ぺんこうが車を降りた。辺りを見渡し、何かを確認する。そして、後部座席のドアを開けた。 「美玖、お待たせぇ」 美玖が、飛び降りてくる。美玖に続いて真子も降りてきた。真子が降りると同時に、くまはちの車が、少し離れた場所に停まる。真子は、それを確認した後、美玖とぺんこうと一緒に景色がよく見える場所へと歩いていった。 周りには、カップルがたくさん…。その中に親子連れは真子達だけだった。 「ほら美玖、どう?」 真子が美玖を抱きかかえる。 「わぁ〜〜っ!!」 美玖の声は、感動のあまり、声になっていない。 そこには、真っ暗な中に、綺麗な光がたくさん広がっていた。見上げると、星も輝いている。 自然と人工が織りなす、光の世界。 美玖は、初めて観る景色に魅了されていた。 美玖の眼差しが輝いている。真子も久しぶりに観る景色に見とれていた。 ぺんこうが、美玖を抱きかかえる真子を腕に包み込む。真子は、ぺんこうを見つめた。 「綺麗だなぁ、ほんと」 ぺんこうが言った。 「久しぶりに観ると、和むね」 「なごむぅ!」 真子の言葉を真似る美玖。 「疲れも吹っ飛ぶ!」 「ふっとぶ!!」 はしゃぐ美玖。 優しく見つめる真子、そして、ぺんこう。 そんな三人を優しく見つめるのは、ぺんこうの車の側に停めている車で待機している真北だった。 あの輪に入りたいな…。 と思いながら、ちらりと目線を移した先で、黒服を着た男が、暗闇の中を吹っ飛ぶ姿を見つける。 キル…くまはち……、やりすぎ…。 真北は、座席の椅子を少し倒し、車の中でくつろぎ始める。 目の前に広がる景色、そして、思い出す遠い昔。 あの時は、俺が芯を抱きかかえていたっけ…。 気が付くと、煙草に火を付けていた。 (2004.8.23 『極』編・思い出、旅立ち 改訂版2014.12.23 UP) |