憧れるもの<5> まさちんは、いつものように車で商店街へとやって来る。 商店街専用の駐車場へ入り、いつも停めている場所に車を停め、降りた。 グッと背伸びをして、体を解し、そして歩き出す。 「宜しくお願いします」 「はいよ。今日は何本?」 「一本ですね」 「珍しい。一本は物足りないんじゃありませんか?」 「おじさぁん、その言葉も、聞き飽きてます」 駐車場の管理人と笑顔で会話を交わすまさちん。 「では、行ってきます」 「はいよ。楽しんで来てやぁ」 後ろ手に手を振って、まさちんは商店街へ向かって歩き出す。 映画館の玄関をくぐり、そして、目的の映画が上映されているホールへ足を運ぶ。 ドア付近に立っていた男が気になりながら…。 映画を見終わったまさちんは、ゆっくりとホールから出てきた。自動販売機の前に立ち、ポケットの中の小銭を探す。 目の前に手が差し出された。その手の平には小銭が乗っている。 まさちんは、手の主に振り返る。 「……ジュース代はあるから」 「それでも、どうぞ」 それは白井だった。 まさちんが退院して、街に出るようになってから、毎回のように、こうして、近くで待機している白井。まるで、まさちんを見守るかのように……。 アップルジュースが二本、自販機の取り出し口に落ちてくる。まさちんは、それを手に取り、一本を白井に手渡した。 「ありがとうございます」 深々と頭を下げ、しっかりと両手で受け取る白井。そして、二人はソファに腰を掛け、ジュースを飲み始める。 「白井君だったよな」 「はっ」 「俺を守るように…言われたのか?」 「いいえ。私が勝手に…」 「そうか…」 短く応えたまさちんは、一気に飲み干し、立ち上がる。そして、何も言わずに歩き出す。 「あっ!」 飲みかけのジュースを片手に、白井は、まさちんを追いかけて走り出した。 映画館を出たところで、まさちんに追いついた白井は、付いて行く。 まさちんが歩みを停めた。 もちろん、白井も歩みを停める。 「……俺に何か用事か?」 背を向けたまま白井に尋ねるまさちん。 「あ、あの……おれ……私、あなたに格闘技を習いたくて…」 「はぁ?」 驚いたように振り返るまさちん。 「俺に習う? 格闘技を?」 「はい。あの病室での動き……目の当たりにできなかった。 一瞬のうちに、七人の男を気絶させ、積み重ねる…。 そして、あなたがおっしゃった言葉……。 巨大組織の親分を守っていた男……」 白井は、徐々に興奮していく。グッと拳を握りしめ、話し続ける。 「俺…憧れているんです。阿山組の地島さんに。それで、俺、 地島さんの事を知っている人達に、色々と尋ねたことあります。 その方々がおっしゃるとおり…。目に見えない攻撃、そして、 怒りを見せると同時に、相手を倒している。……阿山組五代目に 危害を加える者には容赦ない……」 「あぁ…そうだったよ。…だから、俺は自分で自分を殺したんだ」 「えっ?」 まさちんの言葉に、白井は驚いていた。 「格闘技をマスターしたいのは、来生会の会長さんを守るためだろ?」 「はい。俺も、地島さんのように親分を守っていきたい。決して 親分の前で死なない…その為に体を鍛えて…」 「親分を守る。決して死なない。その心意義は、かってやる。 しかしな、俺のように…という言葉は、もう使うな」 「どうしてですか?」 白井が強く尋ねる。 まさちんは、自分の手をゆっくりと見つめた。 「……俺は、この手で何度も…何度も……組長を危機に 陥れた。初めは、組長の父・阿山慶造を亡き者にする為に 組長を危険な場所に連れて行き、事故に遭わせた。 その後は、組長を連れ去って、…組長を裏切った。 そんな俺を、組長は……守ってくれた……」 その声は切ない…。 「その時、俺の命は、阿山真子のためにある…そう心に誓い、 過ごしていた。…だけど、五代目を襲名後、俺は、組長を…殺す所だった」 「そのお話……耳にしました。でも、それは…」 「薬で操られていたとしても、撃った事には、変わりない。 その後も、何度も何度も…………」 グッと拳を握りしめたまさちんは、ゆっくりと目を瞑る。 「組長にとって俺は…危険な存在だった。常に危害を加える男… だから、俺は、自分を殺したんだよ…」 まさちんは、目を開け、そして、白井を見つめた。 「それでも、俺に憧れるのか?」 白井は何も言えなかった。 まさちんの眼差しは、憂いに満ちていた。 何かを発すれば、まさちんの感情が動きそうだった。 まさちんが、いつもの表情に戻ったことで、白井も我に返った。 「格闘技を身につけたいなら、良いところを紹介してやるよ。 須藤さんに言えば、自然とそっちに回されるはずだからさ」 「えっ?」 「俺のは自己流。ただ、暴れるだけの動きだからさ。 本格的に身につけたいなら、素晴らしいところがあるんだよ。 攻撃、防御…あらゆるものが身に付くはずだ。そこでいいか?」 白井に語るまさちんの表情は、とても柔らかく、温かい。 緊張している白井の心が和んでいく程だった。 「……はいっ!!!」 元気よく返事をした白井。その表情こそ、晴れ晴れとしていた。 まさちんは、ニッコリと笑って、白井に背を向ける。そして、歩き出した。 「あっ、地島さん!!」 「俺は北島政樹だぁ。ほななぁ。もう俺の側に来るなよ。 悪いところしか身に付かないぞぉ」 角を曲がるとき、白井に振り返り、ウインクをして去っていくまさちん。 まさちんの突然の行動に、きょとんとしたままの白井は、何かを思い出し、まさちんを追いかけるように走り出す。 まさちんの後ろ姿を見つけた。 「北島さん! ジュース、ごちそうさまでした!」 白井の言葉に応えるように、後ろ手に手を振りながら、まさちんは歩いていく。 その後ろ姿が、とても輝くように見えている白井。 やっぱり、地島さんは、すごいやっ!! 更に憧れてしまった様子……。 その日の夜は、星が輝くほど、空気が澄んでいた。 組長、お元気ですか? いつも有難う御座います。 私は、元気ですよ。 星空を見つめながら、まさちんは、愛しの人に、心を送る……。 大阪・AYビル。 白井は、リュックを背負い、一枚の紙を手に、ビルを見上げていた。 ここが………。 あの後、来生会会長・来生に、自分の思いを伝え、そして、須藤の側で勉強したいと言い切った白井。来生に、須藤組組事務所の住所を書いた紙を貰い、そして、こうして、単独で大阪に出てきた。 ビルの玄関を通る。ビルの中は輝いていた。 思わずキョロキョロとしていると、警備員の山崎が声を掛けてきた。 「お兄さん、どうされました?」 「あっ、その…須藤さんを尋ねたいのですが…」 「それなら、あの受付の人にお話を通さないと無理ですよ」 「そうですか。ありがとうございます」 深々と頭を下げる白井は、受付へ尋ねる。 「あ、あの…」 「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」 素敵な笑顔で受付嬢が応対する。 「須藤親分……あっ、その…須藤さんを訪ねて来たのですが、 こちらにおられるんでしょうか…」 緊張のあまり、声が裏返っている。 「須藤ですね。……まだ、出社されてません…あっ、申し訳御座いません 今、地下駐車場に到着しましたので、もうすぐ、こちらに……」 そう言って、受付嬢が手を差しだした先…そこは、地下駐車場と通じる階段があるところ。そこから、須藤が上がってくるのが解った。 「は、はい。ありがとうござ……」 そこまで言った時だった。 白井は、口を開けたまま、その場に留まってしまう。 須藤と一緒に階段を昇ってきたのは、前髪が立った男性と、笑顔が輝く女性だった。 「それは、須藤さんが遅かっただけでしょぉ」 真子が笑いながら応えていた。 「組長〜、私だって、必死だったんですからね!!」 「真北さんに伝える言葉を選ばないとぉ! それでなくても最近……」 真子は、誰かの目線を感じ、口を噤む。そして、目線を感じた受付の方を見つめた。 リュックを背負った若い男性が、こっちを見ている。 何かに驚いたように、全く動かずに…。 「組長?」 真子の目線が気になったのか、須藤が真子と同じ場所を見た。 「……って、白井っ!! 来るのは明日だろがっ」 「す、す、す…すすす須藤おやびゅん!」 突然の事で、言葉が可笑しくなった白井。自分が発した言葉に気付き、恥ずかしさのあまり、顔を赤らめる。 「あの方が、須藤さんが話していた…憧れる男を間違っている人?」 「……組長、それは、失礼ですよ…」 真子の言葉に、くまはちが素早く言葉を発する。 「いいの、いいの! くまはちだって、そう思ってるんでしょぉ」 「まぁ、はぁ…」 ニッコリと微笑んで、くまはちを見上げる真子。 「白井、一日早く来るなんてなぁ」 「すみません!!! 張り切って……その…日付を間違えてました」 白井の言葉に、真子は微笑んでいた。 「なんだか、憧れる人と似てるよねぇ。大切な時に慌ててしまうって。 初めまして。阿山真子です」 真子が一礼すると、それを見た白井は、思いっきり頭を下げてしまう。 敬われるのを一番嫌う! 須藤の事務所を訪ねると連絡を入れた時、真子に逢う事も耳にした。その時の注意点が、それだった。 思い出した白井は、急に頭を上げた。 あらら〜〜。 急な行動で、頭に負担が掛かったのか、それとも、緊張が続いたからなのか、白井は、貧血を起こして、バッタリと倒れてしまった。 目を覚ました時は、須藤の組事務所のソファに寝転んでいた。 「ここは…」 「目…覚めたか?」 その声の主が、須藤だと解り、素早く体を起こし、頭を下げる。 「すみませんでしたっ!!!!」 「ったく…。何も食べてないんだろ…」 「あっ、その…はい……」 「食事も摂る事。それも体を鍛える為に必要だぞ」 「はっ」 「これから、幹部会があるんでな、ここには俺の組員が残るだけだが、 白井の事は話している。向こうで世話になった事をな。まぁ、気兼ねなく ゆっくりしてくれよ。…今日の幹部会は長引きそうなんだよ。すまんな」 「いいえ、その…俺が日付を間違えたので…」 「食事は、そろそろ届くはずだから、遠慮せずに食べてくれ」 「えっ、そ、それは…」 「AYビルご自慢のコックが作った料理だから、落ち着くぞ」 あたふたしている白井にとって、須藤の『落ち着くぞ』という言葉は、ブレーキを掛ける事に近かった。 「そうですね…俺……緊張して……その……五代目に…」 「五代目は、御存知だって。お前の憧れる男とツーカーの仲だからな」 「……ということは…その…地島さんに…初めて逢ったときの…俺の行動…」 恐る恐る尋ねる白井に、須藤は、 「それも御存知だぞ」 からかうように応えていた。 それが、白井を動揺させてしまったのは、言うまでもない。 真子の事務室。 真子は、幹部会で使う資料に目を通していた。 何やら楽しそうに…。 「組長、楽しそうですね」 「うん。また面白い人がやって来たなぁ〜と思って」 「そうですね。あのように落ち着きの無い男は久しぶりですよ。 ほんと、まさちんに返り討ちに遭わなくて良かったですね」 「当たり前やん。まさちんは、一般市民だもん!」 デスクの上に置いている猫の置物を見つめ、人差し指で弾く真子。 「私との約束、守ってくれるんだから!」 その置物こそ、まさちんが送ってきたものだった。 真子は、知らない…。 真子には伝えていない…。 まさちんが、須藤も驚く程の大暴れをして、 黒服の男達を倒していた事を……。 それを言えば、真子が怒りそうで。 組長には、内緒にしてくれぇっ!! 須藤が帰る日に耳にした、まさちんの言葉だった。 (2004.12.30 『極』編・憧れるもの<5> 改訂版2014.12.23 UP) |