手紙乃秘密 『拝啓、お元気ですか? あれから、いくつも季節が過ぎました。 突然のお便り、驚きだと思います。どのように切り出していけばよいのか、 悩みながら、ペンを進めております』 ペンの動きが停まった。 「………やっぱり、堅苦しいよな…」 便箋は、引きちぎられ、そして、くしゃしゃにされてゴミ箱の中へ。 『実は、生きてました! このように手紙を書くのは、本当に気が引けますが、 私、地島政樹は、あの事件の後………』 「あがぁっ!!! 駄目だっ! こんなのじゃぁ、ほとんどお笑いだぁ〜!!」 そう言って、寝ころぶまさちん。 幸せな笑顔の真子の姿をこっそりと見て、静かに姿を消し、真子の知らない場所で母と静かに平和に暮らしはじめたまさちん。 「おっと、今日の日記、日記」 そう言って、デスクの引き出しから一冊のノートを取り出し、ページを開いた。そして、その日の出来事を書き始める。映画を観た話、その日、世話をした野菜の成長ぶりなど。そして、日記の最後には必ず…。 『今日こそ、組長に手紙を。そう思うが、中々書き出せないでいる。 組長は、元気に過ごしているのだろうか…。何事もなく、あいつと 楽しい日々を無事に過ごしているのだろうが。そのことばかりを 考えてしまう。…いつかきっと、自分のことを、組長に伝える』 まさちんは、ノートを閉じ、引き出しにしまった。ふと目に飛び込む便箋。この日もその便箋に文字を書けずに、ペンを置いた。 電気を消し、布団に潜り込むまさちん。 お休みなさいませ。組長……。 夢を見る。 星空の下、真子と二人で笑顔で語り合い、そして、星を見上げる。 空一面、輝く星。 その星が、ゆっくりと移動し、真子の笑顔を作り出す。 まさちんは、手を差し伸べる。 掴みそうになる瞬間、冷たいベルの音で現実に戻される…。 まさちんは、目を覚ます。目に飛び込むのは、自分の部屋の天井。夢で見た星空とは、全く違う、木目調。ゆっくりと体を起こし、この日の体の具合を確かめる。 右腕の動きは、やはり、鈍い。 まだ、治らないか…。無理もねぇな。 自分の頭に手を当てる。段差がある。そこは、人工頭蓋骨を埋め込んだ場所。無意識のうちに、自分の額に銃口を当て、引き金を引いたあの日。その場所は、吹き飛んだはずだった。なのに、こうして、生きている。 そして、思い出す、真子との時間。 一度死んでからは、体の機能も大人しい。 それは、どうでもいいこと。 もう、誰も抱く気にならない。女性に興味もない。 それに、 あまり他人と付き合いたくない…。 大きく息を吐き、ベッドから立ち上がる。そして、クローゼットを開けて、作業着に着替えた。 階下から漂う料理の香り。 懐かしい香りに、まさちんの心は次第に現実に戻っていく。 気を取り直して、クローゼットのドアを閉め、部屋を出て行った。 キッチンでは、母が朝ご飯の支度を終え、食卓に並べていた。 「おはよう、政樹。調子は、どうだい?」 「なんとか、元気ですね」 「夕べも遅かったでしょ?もう少し寝てると思ったんだけどなぁ」 「早起きは身に付いたものですよ。一年近く、規則正しい生活をしてましたから」 「本当に、厳しいところなんだね、そこは」 「真北さんの方が厳しかったですけどね」 まさちんは、微笑んでいた。 母は安心する。 あの日以来、大切に思う真子を騙している。そして、そのことが、自分の息子の重荷になっていること…気になっていた。その世界で生きていた時間が長かった為、体の一部となっているはず。なのに、ここで、こうして過ごしている。その世界の話をするのは、自分の息子に更に苦しさを与えるような気がして、話をすることを躊躇っていた。 自分の前に、突然現れた死んだはずの息子。 一緒に暮らすようになってから、早十ヶ月。 毎日のように、何かを書いている息子。そして、本当のことを伝えようと考え込む息子。そんな姿を母は、心配しながらも、優しく見守っていた。 「いただきます」 「今夜は、出掛けるけど…」 「そうですか。帰りは明日ですか?」 「そうだねぇ」 「おばさん、いつまでも元気なんですね」 「政樹、覚えてたんかい?」 「忘れませんよ。かなり世話になったんですから」 「でも、政樹のことは、言ってないんだよ。…ほら、やくざの世界で生きてるって 知られたくなかったからね」 「父の事件の後…お袋にも迷惑を掛けました」 「何言ってるんよ。政樹が、あの人の汚名を…」 「それは、組長の力も加わってます」 「で、いつになったら、打ち明けるんだい?」 「はぁ〜、また、その話しですか?」 「そうだよ。本当に、気になるんだからね」 「私は死んだことになってるんです。どのように切り出せば…」 「私と同じようにすれば、いいでしょ?」 「お袋ぉ〜。人気が少なかったから、あのような事が出来たんですよ? だけど、 組長の住んでいる場所は、そうはいかないでしょう? 私の顔を知ってますし、 それに、死んだ人間が、うろうろしていたら、それこそ、みんなが腰を抜かしますよ」 「私は、それ以上に、心臓が停まったかと思ったよ」 母は冷たく言う。 「すみません…」 恐縮そうに応えるまさちんだった。 まさちんは、自宅の前に広がる畑に向かって歩き出す。そして、この日も成長し続ける野菜の世話をはじめた。優しく語りかけながら、世話をするまさちん。母は、出掛ける用意をしながら、窓の外に見える息子の姿を見つめていた。 更に、優しい子になってるんだから。…真子ちゃんの笑顔のお陰かな? 母は、躊躇っていた。 真子の連絡先は知っている。そして、まさちんの親友・芝山の連絡先も…。息子と暮らしはじめてから、何度連絡をしようかと…。電話の側には、そのメモが置かれている。隠そうとも思わなかった。まさちんは、真子の連絡先くらい知っているのは当たり前。それでも、打ち明けるきっかけになれば…と思い、目の付くところに置いていた。 だが、まさちんは、電話の側にすら寄らなかった。 まるで、そのことを避けるかのように…。 目に飛び込む紙袋。そこの中には、まさちんが、商店街へ行くたびに購入してくる猫グッズが入っている。自分の部屋に置いておけばいいものを、なぜか、リビングの隅に置いていた。テレビの側にあるゲーム機。それも商店街のゲーム店で購入したもの。テレビの隣にある棚には、そのソフトも並んでいる。 AYAMA社製 ソフトには、全てそう書かれている。 息子の自然な行動を見ても解る。 自分との生活よりも、その世界での生活を望んでいることが…。 口では、自分との暮らしを望んでいるようなことを言っているが、やはり…。 母は、掃除をはじめた。 畑に寝ころぶまさちん。大地の土の優しさが、背中を通して伝わってくる。 こんな優しさに包まれて育つ野菜。おいしいだろうなぁ。 むかいん…喜ぶかもな…。 ふと過ぎる考え。それは、組のこと。長年一緒に暮らしてきた男達のこと。料理を作るのが好きなむかいん。もちろん、食材にも五月蠅かった。 大自然の中で育つ野菜に含まれる優しさ、これを引き出すのが、料理人の心得だ! 常に言っていたこと。時々、料理の話に付き合っていたまさちん。そんなまさちんと話が合うのは、食材のこと。特に野菜のことになったら、むかいんは関心するほどだった。 いつの間に、そんな知恵が付いていたのかは知らない。 元々備わっていたものなのか、それとも、尊敬していた父に教えてもらったものなのか…。 今となっては思い出せないまさちんだった。 その日の夜。母を駅まで見送ったまさちんは、少しドライブをして、自宅に戻ってきた。 自宅には一人。 リビングに入り、お茶を用意して、テレビのスイッチを入れた。 ニュースが流れてくる。 その日に起こった事件を淡々と話すアナウンサー。その中に、ちらりと阿山組の名前も出てきた。思わず耳を傾けるまさちん。 「ったく、あの組とは、話し合いでケリを付けるべきだろうが…」 自然と口にしているまさちん。そんな自分に驚いていた。 身に付いた、なんとやら…か。 組から離れて二年と十ヶ月。 あの世界で生きていたのは、二十五年。 人生のほとんどを、その世界で生きていた。中々離れない組関係の事。なのに、直ぐに離れた怒りの感情。あれ程、口で言うより足が出るのが早いまさちん。今では何を言われても、怒る気にならない。 なぜだろう。自分でも不思議だった。 今の自分が、本当の自分なのだろうか……。 まさちんは、リモコンを手に取り、チャンネルを替える。 料理番組が流れる。 むかいん、見てるだろうな…。 その頃のむかいん…。 泣きじゃくる息子の光一をあやしていた。 「理子ぉ〜!! 早く!」 「ちょっと待ってぇなぁ」 若夫婦は、子育て奮闘中。 テレビの画面を切り替え、ゲーム機の電源を入れる。 それは、AYAMAの新商品ソフト。 自分が必死になってリハビリをしていた頃に作られたゲーム。 ゲームソフトの内容は、必ず真子がチェックする。しかし、今自分が行おうとしているソフトの内容は、どことなく寂しさが伝わってくるものだった。 ヒロインが、泣いている。 駿河がデザインするキャラクター。特にヒロインの笑顔は真子に似ている。画面一杯に映っているヒロインの哀しみの表情。しかし、どことなく怒りが含まれているようにも感じる。今までに無かったキャラクターとして、ゲーム界では人気がある。売り上げも上位に入っていた。 ゲームを進めていくまさちん。そして、とうとうエンディングを迎えた。 『どうして? どうして、そのような行動を取るの? 私…望んでないのに…。 私を置いていかないで…。私に、あの時のように、優しさを…笑顔を…下さい…』 画面の中のヒロインが、言う。そして、振り返り、一筋の涙を流した。その直後、ヒロインは、まばゆい光に包まれて、天使のような姿に変わり、ゆっくりと天高く昇っていった。 エンドロールが流れる。 まさちんは、一点を見つめたまま、動かなかった。…いいや、動けなかった。 まるで、自分に訴えているようなヒロインを真子と重ねてみてしまった。 組長……。 まさちんの頬を、一筋、涙が伝って、コントローラーを持つ手に落ちた…。 『……やはり、きちんと説明するべきですね、組長。 もう、真北さんから、私のことを聞いたと思います。 あの日、真北さんの腕の中で私は死にました。 私の体は、橋総合病院の遺体安置所に保管されました。 検体の為、遺体安置所から出された私の体は、 温かく、脈を打っていたそうです。それは、心臓が停まってから 三日経ってました。それを知った橋先生は、必死で私を 蘇らせてくださったそうです。 死人を生き返らせる外科医。そう名が付いたそうです。 その後、私は、特別室にて治療されました。 組長の額と同じ場所に、傷口があります。 もちろん、自分で撃ったものです。それは、頭蓋骨を 吹き飛ばしたそうです。その場所には、人工骨を入れてます。 そして、右半身、特に腕に支障がでてます。動かしにくい、 力も入りません。それでも私は、生きてます。 あの日、組長が、幸せな日々を送ってから一年目のパーティの日。 私は、刑務所から出てきました。組長にとびっきりのプレゼント。 真北さんに、そう言われて自宅前まで行きました。だけど、やはり、 私は、組長に会おうという決心が付きませんでした。 組長の幸せを壊してしまうかもしれないと思い……。 私は、今、母と二人で、組長にお話ししたあの場所…、 星空が美しい場所で過ごしております。日々、野菜作りに 専念し、趣味である映画も時々観に行ってます。 商店街を通ると、必ず購入してしまう物があります。それは、 組長の好きな猫グッズ。自分でも不思議に思ってます。 いつか、自分の事を明かせる日が来たら、組長に、 お渡しするつもりです。だけど、中々決心が付きませんでした。 それでは、駄目だと思い、意を決して、手紙を書いてみました』 真子は、手紙をめくった。 手紙は未だ、続いていた。まさちんが、真子の前から静かに去っていった日から、手紙を書くまでの日々を、延々と書いてある。 ここは、真子の自宅。真子たちは、まさちんの実家から戻ってきたばかり。部屋のデスクの上に猫グッズを広げて、手紙を読んでいた。 ぺんこうが部屋に入ってくる。広げられる猫グッズを目にした途端、ぺんこうは、呟いた。 「どこに飾るおつもりですか? もう、場所ありませんよ?」 「芯の書斎」 「…………真子……あのね……」 呆れた目をするぺんこうは、真子の手に握られている手紙に気が付いた。 「それは?」 「まさちんの手紙」 「まさちんの?」 「うん。私の前から静かに去ったでしょ」 「そうですね」 「その後の事、こぉんなにたっぷりと書いていたんだって」 真子が見せる便箋の枚数、それは、二桁に近いくらい、たっぷりとあった。 「すごい枚数ですね。まるで、まさちんの日記だな」 「どのように打ち明けるか、悩んでいたみたい。この手紙になるまで、何枚も 何度も書き直したらしいよ」 「あいつらしいですね」 「このネックレスの経緯も書いてあるよ」 「それは、兄さんから聞いてます」 ぺんこうは、ふくれっ面になりながら、真子の隣に腰を下ろした。そして、真子に寄り添うような感じで手紙を覗き込む。 「やばいこと、書いてませんか?」 「書いてるよ」 真子の言葉で、ぺんこうは、目を反らす。 「芯が読んでも大丈夫な内容だって。…二人の幸せ、応援してるってことだもん」 「そら、ほんまに、やばいことですね」 「でしょ?」 真子は微笑んだ。ぺんこうもそれにつられるように微笑んでいた。 「調子はどうですか?」 ぺんこうは、優しく尋ね、真子の額に自分の額を当てて熱を確認する。 「元気だもん。芯こそ、大丈夫?」 「私は、頑丈ですから。…まさちんから、元気を分けてもらいましたね?」 「そうだね。…なんだろう、…その…胸の支えが取れた感じ」 「…本当に、よかったんですか?」 「うん。…こうなりゃ、とことん、五代目を続けるもん。まだ、やってるんか?って 親分さん達に言われるまでね」 「おばあさんになってもですか?」 「その頃には、世界も変わってるって」 「そう願います」 「ありがとう」 「私も、見守りますよ…夫として」 「…うん」 真子は、ぺんこうの胸に顔を埋めた。ぺんこうは、真子をしっかりと抱きしめる。 その時、眠っていた美玖が目を覚まし、泣き出した。 「あちゃぁ、一緒に寝るって言ってたのに、ごめん、美玖ぅ〜」 真子は、慌てて美玖に駆け寄り、添い寝をはじめる。 ぺんこうは、そんな二人を見つめ、優しく微笑んでいた。 テーブルの上に置かれた猫グッズを見つめる。ふと目に飛び込んだ手紙。それは、最後の一枚だった。ぺんこうは、思わず文字を読む。そして、顔が引きつった。 ……あんにゃろぉ〜〜。絶対に許さんっ! まさちんは、リビングで、何かを探していた。お風呂上がりの母が、そんなまさちんに気が付き、声を掛ける。 「どうしたん、政樹」 「あっ、いいえ。その……、御存知ありませんか? その、ここにあった封筒」 「封筒? 猫柄の?」 「はい。…組長が居られた間、ここにしまっていたんですが…」 まさちんは、母をじっと見つめる。 「ま、まさか…」 「あらら、駄目だった?」 母は軽い口調で言った。 「だって、真子ちゃん宛だったじゃない。政樹、切手も貼らずに置いてたから、 きっと手渡すんだと思って。忘れていたみたいだから…」 「組長に……渡したんですか?」 「渡したよ」 さらりと言う母の言葉で、まさちんは、顔を真っ赤にしていた。 「お袋ぉ〜〜」 「何、照れてるんよ。渡すものだったんでしょう?」 「そ、そうですけどね……あの、その…」 「知られたら、厄介な内容だったのかい?」 「いいえ、その……最後の一枚だけですけど……」 正直に応えるまさちん。 「そんな内容を書くからでしょう? 自業自得! お休みぃ〜」 そう言ってリビングを去っていく母だった。 どことなく、悪戯っぽい雰囲気を感じたまさちんは、ソファにドカッと座り、頭を抱え込む。 「最後の一枚だけは、入れなきゃ良かったな…」 まさちんは、ソファに仰向けになった。 最後の一枚、それは……。 『あの日以来、誰にも興味を抱けません。 真子のぬくもりを覚えてます。 あの素敵な時間は、永遠に忘れないでしょう。 いつか逢う、その日まで…。そして…』 「私にとって、もう一つの魂……か」 ぺんこうは、ベッドを見つめる。そこには、すでに眠りに就いた真子と美玖が居た。 真子は、どう思ってるのかな…。 ぺんこうは、その最後の一枚をそっと手に取り、自分のデスクの引き出しにしまいこんだ。 まるで、その内容を真子に知られないように…。 大切な妻の心が揺らぐことのないように…。 「…俺……悪い男だな…」 ぺんこうは、フッと笑って、真子と美玖の眠るベッドに潜り込み、そして、部屋の電気を消した。 『組長の幸せを実感した。まさか、子供が出来る体に戻っていたとは、 本当に驚いた。子供…美玖ちゃんも組長と同じような笑顔を見せる。 まだ、何も知らない。組長のことや、俺のこと。それを知った時の 美玖ちゃんが心配だな。それまで、考えておかないとな…。 俺は望んでいたのだろうか。組長とあいつとの幸せを…。 もし、あの事件が無かったら、もし、自分を撃たなかったら、 俺は、組長を……』 ペンの動きが停まった。まさちんは、自分が書いた文章を読み返す。そして、 その文章を消すかのように、上からペンで塗りつぶしていった。 俺は、組長を幸せにできたのだろうか……。 望んでいたものは、真子の幸せ。 まさちんは、大きく息を吐いて、大の字に寝ころんだ。 目を瞑ると瞼の裏に浮かぶのは、真子の素敵な笑顔だった。 幸せを一杯感じる、素敵な……。 (2003.11.22 『極』編・手紙乃秘密 改訂版2014.12.23 UP) |