第一部 『目覚める魂』編 第十話 見る前に躍べるのか? 強い想いは、誰にでも解るものの、上手く伝えられないのが実状だった。 小島家・隆栄の部屋。 隆栄は、テーブルの上で何か細かい手作業をしていた。 「なぁ、ほんまにええんか?」 隆栄が言った。 「いい」 「組長さんに怒られるのは、お前だぞ?」 「いいの」 「あのなぁ、阿山」 隆栄の横で寝ころんでいた慶造が、体を起こした。 「それより、出来たんか?」 「もう少しだよぉ」 「しっかし、器用だな。それがどうなるんだ?」 「これで、あらゆる情報を手に入れることが出来るんだよ」 「信じられないなぁ」 「まぁ、見てなって」 隆栄は、得意げに言って、作業を続けていく。 慶造は、部屋を見渡した。見たことのないようなコンピュータや小さな機械などがたくさん棚に並べられている。何気なく、立ち上がり、それらを眺めていた。 「やっぱり、珍しいか?」 隆栄が尋ねる。 「まぁな。本部でも、こんなの置いてないからな」 手にとって眺める慶造を見て、隆栄は微笑んでいた。 「お前が望めば、その通りのものを作ってやるけど?」 「俺には必要ないかもな。まぁ、未来が見えるような、突拍子もない 機械が出来るなら、作ってもらいたいけどなぁ」 「作ってみたい代物だな」 楽しそうに隆栄が言った。 ドアが開き、修司が入ってきた。 「お帰り」 「…お帰りって、慶造ぅ、笹崎さんが嘆いてるぞ。もう五日も過ぎた。 そろそろ帰ってあげろよ。小島のおじさんも帰ってくるだろが」 「何も言うな」 「解ったよ」 「出来たっ!」 隆栄の作業が終わった。慶造と修司が、興味津々に覗き込む。 「よっしゃぁ。早速使ってみるか」 隆栄が小さなパソコンを使って、何か仕組んでいた。そのスイッチを入れる。画面に何かが映る。パソコンが起動している様子。ハードディスクが動いている音も聞こえてきた。 それが、奇怪な音に変わる…… ボン!! 「………」 「……小島…」 「すまん…繋ぎ間違えたみたいだな…は、はっはっは…」 修司と慶造に乾いた笑いをする隆栄。三人とも、ススで顔を黒くしていた……。 風呂上がり姿でリビングのソファでくつろぐ慶造達。隆栄がコーヒーを煎れてくる。慶造と隆栄はブラックで、修司は、ミルクを入れるだけ。 「…うまいな」 慶造は一口飲んで呟くように言った。 「親父仕込み。コーヒーにうるさくてなぁ。阿山はお茶の方が良かったか?」 「なんでもいいよ」 「…なんか、退院してから素っ気ないな、阿山は」 「そうかな…」 「俺の家…居心地悪いんか?」 「そんなことないよ。……ここは、緊張しなくて済むから…居心地いいよ」 慶造は微笑んだ。 「自宅でくつろげないって、なんだか、嫌だな」 「まぁな。本当に、気が済むまで居てもいいのか?」 「いいよ。親父もお袋も、ほとんど外出してるから。俺一人で寂しいし」 「それでか、なんか細かい暗いことしてるのは…」 「阿山ぁ、お前なぁ。あれは、俺の趣味」 「爆発させることがか?」 「あれは、ちょっとしたミスや」 「それが命取りになるぞ。小島、やめとけ」 慶造が、軽い口調で言った。 「いいや、絶対に、成功させる。今度こそ繋ぎ間違わないようにする」 「出来上がるのを、楽しみにしてるからな」 本当に楽しむような表情をして、慶造は、コーヒーを飲み干した。 「おかわりするか?」 「眠れなくなるよ。ご馳走さん」 そう言って、慶造は、大の字に寝ころんだ。 何かしら気の抜けた雰囲気の慶造に、修司が声を掛ける。 「本当に退院して大丈夫だったのか? まだ、体調悪いんだろ?」 「……なんだか、不安でな…」 「組の事か?」 「それは、常に不安だよ。……笹崎さんに悪かったと思って。俺…あのようなこと、 起こらないように…そう思って、体を鍛えたのにな…」 「仕方ないよ。極道界の掟だからさ。俺だって、本当なら、そうなって当たり前。 もちろん、親父も。だけど、笹崎さんが、自分一人で責任を負うと言って、 ドス持って落としたんだから。組長も止めたよ。笹崎さんの方が早かったんだ。 …慶造の見舞いに来た時は、謹慎中だった」 「修司…お前、どこまで知ってる? そして、俺に隠してるんだ?」 寝ころびながら修司を睨み付ける慶造。 「全てだよ。慶造が眠っている間に、親父から聞いたり、笹崎さんから 直接聞いたりしたよ。そうじゃないと、俺が動けないだろ?」 修司が力強く言う。そういう時、慶造は思わず身を退いてしまう。 「…俺には、全て伝えてくれよ…」 腕で顔を覆う慶造。 「慶造は、とことんまで深く考えて、先に進まないだろう? だからだ」 「当たり前だろ?」 「考えすぎて、行動出来ないこともあるだろ?」 「あったなぁ」 「見る前に躍べ。あれこれ考える前に、行動する。これ、俺の鉄則!!」 隆栄が自慢げに言った。 「お前みたいに、軽い考えは出来ないんだよ」 「真面目な奴だなぁ。……そうだ! ここに居るなら、とことんまで 阿山を崩してみようや」 いきなり訳のわからないことを言い出す隆栄。 「崩す?」 少し警戒する慶造。 「その真面目さを。猪熊も協力するだろ?」 「まぁなぁ」 「女は、決まってるから、やめておいて、…酒!」 「未成年だ」 「ほら、そういうとこを崩すんだよ。待ってろ。確か、高いのがあったな…」 隆栄は、リビングにある棚から一つ取り出し、三つのグラスを用意する。そして、グラスに氷を入れて、アルコールを注いだ。 「ほれ、乾杯っ!」 隆栄と修司は、グラスを持って飲み始める。それを取り上げたのは、慶造だった。 「やめろって」 「ばれなきゃ、いいんだよ」 隆栄が言う。 「…やめろよ!!」 慶造は、隆栄の腕を力強く握りしめていた。 「…阿山。何がお前を、そうさせてるんだ? それは、自分の生まれた場所に 対する反感なのか? 不真面目な生活を見たくないから…血で争う世界を 見たくないから、そうやって、反感を抱いて、自分の進む道から外れて それで迷っているんだろ?」 「迷っていない。俺が進む道は決まってる…絶対に、進んでみせる。 血で争うことのないように…命を失うことのないように……そして、 誰もが心を和ませて、幸せに過ごせるように…。そんな世界を…」 「何も、極道界から離れなくても、そのような世界は出来るだろ?」 隆栄は、そう言って、アルコールを飲み干した。 「小島?」 「今まで通り、誰もが通ったレールをそのまま通る必要がないってことだよ。 そのレールから外れたって、それが、そいつの意志だと、誰もが思うよ。 ……俺、阿山に付いていこうと思ったのは、そういう意識が強いと思ったから。 誰も進んだことのない道を…世界を築いていく…俺の勘だよ。 阿山なら…絶対に出来る。そう確信してる。だから、俺は、何だってやる。 お前のいうことなら、誰も出来ないと言われるようなことでも…だ」 「小島……俺、そんな度胸…ないぞ…それに、そんな器じゃない」 「そういう器を作ってやるよ。この俺が!」 隆栄の言葉に、慶造は、フッと笑った。 「お前…酔ってるだろ?」 「そんなことないぞぉ。俺の本音だ」 「お前は本音を言わない奴だ。やっぱり酔ってる…って、猪熊ぁ、お前、 勝手に注いでいくなっ!」 「おいしいもん」 「………って、あのなぁ。猪熊さんが……」 「俺、悪いことは何でも親父に習ってるけどぉ。慶造に、ちゃんと教えたれって 言われてるけど…。教えようか? 女の抱き方とか、くどきかたとか……!!!」 ガツン…。 慶造の拳が、修司の頭に落っこちた。 「いい加減にしろよな…。…俺が何か問題を起こせば、親父に……。 親父に迷惑が掛かるだろが。猪熊、お前もだぞ!」 「親父は気にしないって言ったぞぉ」 「阿山が真面目腐ってるのは、親父さんの為か」 「…当たり前だ。親父…俺の為にどれだけ必死になるか…。大切な組を 放ったらかしてまで、俺を心配する。だから、俺は…俺よりももっと、もっと 大切な…組のことを考えて欲しいんだよ。だから、あまり悪いことはしたくない」 「これは、悪くないって」 隆栄は、ニヤニヤと笑っていた。その表情を見て、慶造は、呆れたように笑っていた。 「自分の気持ち、誰かに言えば少しは楽になるだろ? 気…紛れたか?」 隆栄が、心配そうに言った。 「少しは…な」 「そりゃよかった」 「……良くないんだがなぁ〜隆栄…。お前…」 「…お、お、親父っ!!!!」 仕事を終え、帰宅した隆栄の父親が、リビングに顔を出していた。しかし、そこで繰り広げられる光景を見て、こめかみをピクピクさせて、立っている…。 「隆栄ぃ〜、それは、滅多に手に入らない酒だぁ!! 勝手に飲むなっ! って、お前は、まだ飲める歳じゃないだろがっ!!! 阿山さんの大切な 息子さんに、なんてことを教えてる!」 隆栄の父親の拳が、飛び交う。もちろん、素早く避けている隆栄。 「いいやろが!!」 「良くないっ!」 「やめろって、親父!」 「今日という今日は、許さんっ!」 小島親子が、リビング内を駆け回る。それを唖然と見つめる慶造と修司。二人のやり取りが、あまりにも滑稽なのか、慶造は、声を張り上げて笑い出す。 「おじさん、それくらいにしてください。私のことを思っての小島の行動なんですから」 「しかし、慶造さん、いくら何でも、悪いことは…」 「すみません」 「いや、慶造さんは、悪くないんですよ」 「いいえ。誘ったようなもんですから。…それよりも、お世話になってます」 「あっ、いや、その、気にせずに。くつろげるのでしたら、いつまでもどうぞ」 「仕事に差し支えませんか?」 「それは、大丈夫ですよ」 「それなら、安心です。ありがとうございます」 丁寧に頭を下げ、挨拶する慶造に、小島は脱帽する。 「しっかりしたお子さんに、うちの、うっかりした息子が付き合って、 悪い影響を与えなければいいんですが…」 「自我がしっかりしてますから、影響されませんよ」 意地悪っぽく言う慶造に、小島が大笑いする。 「慶造さんには参りました!! しゃぁないなぁ。これ、三人で飲み干せ」 「………って、おじさん…………」 硬直する慶造。その傍らでは、修司と隆栄が、喜んで酒を飲み始める。 「ほら、慶造ぅ、飲めよ!」 「お前が勧めるな」 「それも、そっか」 「猪熊まで、酔ってるな、これは」 そう言って、優しい眼差しを向けながら、ソファに腰掛ける慶造。リビングでは、小島まで加わって、楽しい話で盛り上がっていた。 慶造は、その光景を見つめていた。 楽しいな…。 フッと笑みを浮かべる慶造は、お酒を一口飲んだ。初めて口にする酒の味。 それは、あまりにもおいしかった。 慶造は、小島家のベランダに出て空を見上げていた。星が、輝き、三日月が笑っているように見えていた。そのベランダに通じる部屋では、修司と隆栄が酔った勢いで眠っている。小島が、ベランダにそっとやって来た。 「眠れないんですか?」 「コーヒーを飲みましたから」 「ここ数日、眠ってないようですね。何か心配事でも?」 小島の言葉に応えるように、慶造は、静かに語り始めた。 「…指を詰めないと、ケジメ…つけられないんですか? 失敗事に対して それを挽回することで、ケジメにならないんですか? …そう思うと…」 慶造は、自分の左手を見つめる。 「無いと、不便ですよ」 「そりゃ、そうでしょうね。ちゃんと揃って過ごしやすいんですから。 だけど、無い人も居るんですよ。その人は、自分の過ごしやすい方法を 見つけては、ちゃんと生きていくんですから。あってもなくても、 生きていく術を見つけることは、人間誰にでも課せられた事ですよ。 その人も、その人なりの対策だったんでしょう。誰を責めても、 終わったことに何時までも悩んでいても駄目ですよ。今後、そういう 事が起こらないようにするには、どうすればいいのか。それを考えて 結果を出す。それでいいんですよ。直ぐに出さなくてもいい。 時間を掛けてもいい。そうじゃありませんか?」 「失ったものは、戻らないことだってある」 「失いたくないなら、必死で足掻いてみればいい。それでも失うなら 自分の力が足りないだけです。……あいつ、一見、いい加減でしょう?」 小島は寝返りを打つ隆栄を見つめて言った。 「初めて逢った時は、そうでした。だけど、その裏の顔を知ってますよ」 慶造が応える。 「敵を欺くには、それが良いと言って、隆栄は、過ごしてるんです。 そんなあいつが、慶造さんに付いていくと言って、俺を叱った」 「叱った?」 「えぇ。もう、ご存じだと思いますが、私たちは、どの組織にも紛れず、 単独で、その世界を生きてます。探る相手が、敵だった時もあるし、 味方になる時もある。もちろん、命の危険もあります。だけど、 こうして、生きてます。隆栄も、それを知っていて、慶造さんに近づいた。 だけど、出逢って二日もしないうちに、仕事を辞めると言ってきた」 「私のどこに惹かれたのか、解らないんですよ」 「不思議なオーラですよ。上手く説明できないんですけどね。慶造さんには 誰も持っていない何かを感じます」 「おじさんまで…。…私は、未だに悩んでます…」 「どっちの世界で生きていくか…でしょう?」 慶造は頷いて空を見上げる。 「阿山組四代目を継ぐのか、それとも、それらを放棄して違う世界で 生きていけるのか。まだ、高校生ですよ? 決めるには早すぎます」 「縛られるのが嫌?」 「嫌ですね」 フッと笑う慶造。 「隆栄が言うように、自分の手のひらで、転がしてみようとは思わない?」 慶造は、手のひらを見つめる。そこに何か見えているのか、慶造は、フッと笑った。 「出来るかな…」 「やる気だな?」 「私には、人を率いる力はありません。そういう力は持って生まれたものですから。 ……俺には、無い。…俺の言葉を…守ってくれないからな…」 笹崎のことを言っていた。 「もう気にすることありませんよ。それ以上気にしていたら、その方、 指が無くなるまで詰めますよ。慶造さんが帰らないのは、自分の責任だと 言って、帰るまで、いつまでも……」 小島の言葉で慶造の顔から、血の気がサァッと引いていく。 「あり得ますか…?」 「あり得ますよ」 「……修司、おい、修司!」 慌てたように、修司に近づき声を掛ける慶造。眠い目をこすりながらも起きあがり、慶造の尋ねる事に、優しく応える修司。そんな二人を見つめる小島は、安心したような目を向けていた。 その奥には、何か、途轍もないモノが含まれているようで……。 慶造と修司が小島家から出てきたのは明け方だった。 「おじさん、取り敢えず、一度戻ります。…その後は、またお世話になると 思いますが…。色々とありがとうございました」 慶造は丁寧に頭を下げる。 「いつでもどうぞ。私は留守ばかりなので、隆栄は一人で寂しがってますからね。 だから、我が家だと思って、遊びに来てください」 「ありがとうございます。では。…小島、またな!」 「ほぉい」 隆栄が手を振る。慶造は再び一礼して歩き出す。修司も一礼して慶造を追いかけていった。二人を見送る小島が呟く。 「隆栄。お前があの子に付いていく決心をしたのが解るよ」 「そう?」 「真面目な面の下に、何かとんでもないものを持っている。それも力強い…。 良い奴に巡りあったな。…うらやましい」 「ありがと。…阿山は、誰よりも阿山組のことを考えてるみたいだな。 それも、命の大切さとともに。あの世界じゃ、奪って当たり前なのに。 でもな、親父。あいつなら、…あいつなら、あの世界を変えられそうな そんな気がするよ。俺、守ってやりたい。あいつを支えたい」 「がんばれよ。お前の意志が、例え、俺と敵になろうとも…お前は、お前の 思うまま生きていけ。だから、俺のことは気にするな」 「解ってる」 隆栄は力強く言い、父親を見つめた。父親もまた、力強い眼差しを隆栄に向けていた。 慶造と修司が暫く歩き、角を曲がった時だった。 「笹崎さん…」 「慶造さん、お待ちしておりました」 笹崎が、そこで待っていた。そして、慶造の姿を見た途端、深々と頭を下げた。 「まさか、ずっと、見張ってた?」 「はい。それが、私の仕事ですから」 「…修司、お前、俺に隠し事……今後一切するなよ」 どうやら、修司と笹崎が会っていた事を悟った慶造。修司は、その言葉に、強い眼差しを向けて応える。 「慶造が、跡目を継ぐ気ならな」 「知るかっ」 そう言って、迎えに来た車に乗り込む慶造。笹崎は、ホッとした表情をして、運転席に乗り込んだ。修司は助手席に乗る。そして、車は出発した。 「笹崎さん」 慶造が静かに呼ぶ。 「はい」 「もう、詰めないで欲しい。これ以上、何も失わないで…絶対に… 約束してよ…ね、お願いだから」 「ご心配をお掛け致しました。もう、失いませんよ」 ルームミラー越しに、後部座席の慶造に笑みを送る笹崎。慶造は、鏡の中の笹崎を見つめていた。そして、微笑み、照れたように目を反らした。助手席の修司は、そんな二人の雰囲気に、やっと安心した。 「笹崎さんの元気な姿みたら、安心した。やっぱり、小島の家に厄介になる」 車が蛇行する。 「って、慶造さぁん、それは、本当に私が困りますよぉ」 「いいだろぉ。俺、本部に居ると何か、苦しいもん。小島の家は、高校からも近いし」 「私が組長に怒られますよぉ!」 「親父を説得するから。…俺が居ない方が、親父…少しは楽できるだろ?」 「これ以上、父親という仕事を取ると、…組長は本当に…鬼になりますよ。 慶造さんが居るから、あのように大人しいんです。私は、昔のように……。 二代目の頃のような血みどろの世界は見たくありませんよ」 「その話を小さな頃に、笹崎さんから聞いたから、俺…あの世界が嫌いになった。 …赤い色も嫌いだよ」 慶造は、自分の胸から吹き出す真っ赤な血を思い出し、震え出す。 「慶造!」 「大丈夫だよ。思い出しただけだ」 「思い出すなというのは、無理だろうけど、本当に、心配だよ」 「いつもすまんな、修司」 「気にするな」 振り返っている修司に優しい微笑みをする慶造だった。 「笹崎さん、修司から聞いたけど、状況が悪化してるんだって?」 「はい。沢村家との一件で、中村一家が動き始めた様子です。恐らく、昔のように 三家で世界を牛耳るのではないかと考えているんでしょう。そのようなことは 無いと組長が伝えても、無理でした。…黒崎が未だに敵対心を抱いているので 昔のように三家で行動することはないんですが…」 「なんだかさぁ、俺がちさとちゃんと逢うようになってから、悪化してるよな…。 やっぱり、俺、阿山家にとって、疫病神だな…」 「幸福の神ですよ。昔のように、三家が手を取り合って、あの世界を動かす。 それは、古株の私たち、三家と関わる者達にとっては、夢ですから。 命を奪われない、安心して過ごせる世界を築き上げる。血を流すことのない 新たな世界ですよ。修司くんは、お父さんから、聞いてるんでしょう? 昔話」 「猪熊家では、その歴史を真っ先に習いますよ。幕末からの付き合いだって。 幕末の騒乱で命からがら逃げてきた猪熊家の先祖が、逃げついた先で、 出逢った阿山家の先祖。そして、追っ手から守ってくれたのが、阿山家だった。 その土地では、阿山家、黒崎家、沢村家が協力して土地の人間を守っていた。 だから、未だに、その名残で古くから土地に居る人間は優しくしてくれる」 猪熊は、淡々と語り出していた。それは、まだ、自分が生まれる前の話。時代が不安定だった頃のこと…。 「いつの間にか、裏の世界を歩き出した……。それで、阿山組が誕生した。 裏の世界でも、色々なことが必要だった。猪熊家の先祖も、阿山家に協力し、 三家が力を現し始めた頃だった。阿山家初代が亡くなった。そして、二代目に。 その二代目が、かなり強引な行動に出たらしい。笹崎さんが言うように、 裏の世界が血で染まり始めた。その勢いに、黒崎家も沢村家も付いていけない。 その頃から、阿山組とは疎遠になり、黒崎家と沢村家で何かを始めた。 阿山家に内緒で。それが、二代目の怒りに触れ…仲違い」 「それ、聞いたことがある。裏切られたって…」 「その後から…三家が仲違いした頃から、争いが絶えなくなったと…。そして、 孤立した阿山家に付いてきたのが、笹崎組、中村一家、厚木会、もちろん、 猪熊家。二代目の間違いを指摘した俺のおじいさんは、死に際まで悔やんでた。 もっと早くに指摘していれば、こんな血みどろの世界にならなかっただろうって。 阿山家には逆らえないが、間違った道を歩むなら、それを指摘してもいいはずだ。 ……それからだよ、猪熊家が意見をするようになったのは」 修司は振り返る。 「だから、慶造。俺は、お前が無茶しそうな事だと解ったら、伝えない。 しかし、慶造の命に関わるようなことは、伝える。今回、黙っていたのは、 俺がお前を守る為に必要なことだからだ。…俺の思いも、解って欲しい。 お前を守りたい。失いたくない。お前は俺を何度も助けてくれたから」 「俺は、何もしてない。未だ……誰も守れない…。悔しいよ…」 慶造は、口を尖らせて、俯いてしまう。 「修司」 「ん?」 「これからも、よろしくな…」 「改めて言うな」 「……そうだな…」 車は本部の門をくぐっていった。 玄関に到着した車を出迎える組員や若い衆。大きな声に反応したのか、奥の部屋で会議中の三代目が立ち上がり、部屋を出てきた。そして、玄関先で靴を脱ぐ慶造を見下ろす。父親の気配を感じた慶造は顔を上げた。 「…ただいま、帰りました。だけど、荷物をまとめたら、暫く、小島さんのとこに やっかいになります。…止めないでください」 「止めない。ただし、誰にも迷惑を掛けるな。笹崎を側に置いておけ」 「修司で充分です。それに、小島も居ますから」 「笹崎は謹慎を与えてる。俺の言葉も無視して、指つめやがったからな」 「それなら、なおさらです。親父を守ることが、笹崎さんの仕事です」 「その俺が、お前に付かせるんだ。文句を言うな。笹崎が嘆く。これ以上、 嘆かれるのは、ごめんだからな。暫くは中村一家とやり合うかもしれない。 だから、お前の為に、必要なことだ。いいな」 そう伝えて、奥へ戻る三代目。 「って、親父っ!!! ………」 守りが減ったら、それこそ……。 慶造は、そう言いたかったが、口に出来なかった。 三代目の背中から発せられるオーラが、そうさせていた。 誰も寄せ付けない。誰の指図も受けない。 背中は、そう語っていた。 拳を握りしめる慶造。口を一文字にして、自分の部屋へ向かってズカズカと歩いていった。 荷物をまとめている慶造に声を掛けたのは、笹崎だった。 「慶造さん。お送りします」 「…いらない。修司と歩いていく。笹崎さんは、親父に…」 「無理ですよ。組長命令です」 「俺は、大丈夫だよ。…親父が心配だから。中村一家は、今、更に狂暴化してるだろ? 親父の命を狙いかねない。笹崎さん、お願いします」 慶造は深々と頭を下げていた。 「駄目ですよ」 「俺の命令、きけない?」 「はい。それに、慶造さんと修司さんお二人での行動も危険です。何時、 慶造さんを襲うか解りませんよ?」 笹崎の優しいまでの鋭い眼差しに慶造は負けてしまった。 「…わかりました。じゃぁ、小島家まで送ってください。小島家に居れば 安心ですから」 「その…定期検診は…?」 「大丈夫。ちゃんと行くから」 「しかし…」 「修司、行くよ」 「はぁ…」 笹崎の言葉を聞かずに、慶造は荷物を持って部屋を出て行った。慶造を追うように歩く修司と笹崎。二人は目で会話をしていた。 修司さん、いつもの通りですから。 解りました。ご無理なさらないでくださいね。 ありがとうございます。 小島も居るから、大丈夫ですよ。 よろしくお願いします。 二人は微笑み合い、そして、玄関を出てきた。 笹崎の車が阿山組本部を出て行った。 「ったく、誰に似たんだか…」 そう呟いたのは、慶造達を影でこっそり見送っていた三代目だった。その傍らにいる猪熊が、三代目の言葉を聞いて、三代目に指を向けていた。 「…って、あのなぁ、猪熊ぁ」 「本当じゃありませんか」 「俺は、あそこまで、頑固じゃない」 「同じくらいですよ」 「ほっんとに、慶造の事になったら、当たりがきついな」 「そうですか?」 とぼける猪熊に三代目の逆拳が飛ぶ。綺麗に避ける猪熊だった。 「兎に角、笹崎に任せて入れば、安心だな。修司も居ることだし。 あの小島も居るからなぁ」 「ご安心下さい。何が遭っても、慶造さんには、指一本触れさせませんよ。 あいつに強く言っておきましたから」 「慶造の前で、血を見せるなよ」 「さぁ、それは…」 「……ったく。…俺以上に厄介な事になるんだからな。修司は停められるのか?」 「大丈夫ですよ」 自信たっぷりに言った猪熊だった。 小島家に到着し、荷物を片づけ始める慶造。修司も同じように片づけていた。 「なぁ、阿山」 「んー?」 「何処で寝る?」 「ここでいいぞ」 「ってソファは、疲れるだろ?」 「大丈夫だって。こんなにフワフワしたソファだぞ?」 「俺の部屋でいいんだったら、用意するけど…」 「お前は、徹夜で何かするだろうが。明るくて寝られないって」 「…すまんなぁ」 「気にするな。俺が厄介になるのに。それより、おじさん、また外出?」 「あぁ。旅行」 「忙しいんだな」 「まぁね」 「あっ!!」 「ん?」 「宿題、忘れた…」 「いいんじゃないのぉ」 「……取りに行くのは、いつでもいいか…」 珍しく、いい加減な言い方をする慶造。 「あまり、影響を与えないでくれよ、小島」 修司が、言った。 「ん? ん? なんの?!」 修司の言葉の意味を理解できない隆栄だった。 その夜、考え事をしながら眠りに就く慶造。 笹崎さん…約束守ってくれるのかな…。 その頃、笹崎は………。 「暑い……」 小島家の近くの路上に車を停め、慶造の警護に当たっていた。エンジンを掛けっぱなしは、良くない為、エンジンを切り、蒸し暑い車の中で、待機している笹崎。そこへ、隆栄がやって来た。笹崎は、隆栄の姿に気が付き、車から降りる。 「慶造さんに、何か?」 「…………」 慶造の事を思う男達の第一声に呆れる隆栄だったが、話を続けた。 「もし、よろしければ、家にどうぞ」 「いや、その…それは…」 「暑いでしょう?」 「そうですが…」 「阿山は、熟睡してますよ。こっそり入っていても解りませんよ」 「そうでしょうが…やはり…」 「ったく、ここは、迷惑なんだからぁ。車は、駐車場に入れて下さい」 「お世話になります」 隆栄の言葉の意味を理解する笹崎は、車を小島家の駐車場へ入れ、そして、こっそりと自宅に上がった。ソファで眠る慶造を優しい眼差しで見つめる。 「笹崎さん、こっちですよ」 隆栄が、こっそりと告げる。 「私は、こちらで」 慶造が寝ころぶ姿が見える場所に立つ笹崎。 「解りました。では、お休みなさい」 「ありがとうございます」 隆栄は、そっとリビングを出て行った。 慶造の被る布団が乱れている。笹崎は、そっと近づき、掛け直す。 「笹崎さん………親父を……」 「慶造さん…? …寝言? …ったく」 慶造の頭を優しく撫でる笹崎だった。 いつでも、どこでも、見ておりますから、ご安心を。 笹崎の気持ちが伝わったのか、慶造の寝顔は、和らいでいた。 (2003.11.15 第一部 第十話 UP) Next story (第一部 第十一話) |