第十部 『動き出す闇編』
第四話 内緒!
梅雨がやって来た。
珍しく雨が続き、じめじめとした空気で、誰もが苛々と……。 政樹が真子を学校に送って戻ってきた。 中学生になってからは、真子の送迎だけとなった為、真子が学校に居る間は、時間が余っている。その余った時間は……。
政樹は、慶造の部屋の前に立つ。 ドアをノックした。
「地島です」
『入れ』
「失礼します」
政樹が部屋に入ると、そこには……。
「無事にお送りいたしました。本日は図書室で勉強するとの
お話ですので、いつもより三十分遅くなります」
「…阿山と違って、お嬢様は勉強好きだもんなぁ」
軽い口調が聞こえた途端、鈍い音がした。
「ほな、予定通りだ」
「はっ」
政樹は深々と頭を下げる。
「慶造」
「ん?」
「本当に、大阪に染まりすぎだ」
「……それは、八造に言え」
「知らん」
短く応えた言葉に、慶造は笑みを浮かべた。
「真北が一緒なのが心配なんだけどな…」
「謎の男だ。気にすることは無いだろ」
「まぁ、そうだけど…」
そして、四人の男は、慶造の部屋を出て行った。 静かにドアが閉まる。しかし、廊下から聞こえてくる声は、とても賑やかで……。
慶造達が噂をしている春樹と八造は、大阪に来ていた。 八造は、慶造の代わりに仕事をしに、そして、春樹は……。
「今日が最後の講義となります。その後は、君たちの先輩である
原刑事に託しますので、しっかりと身に付けるように頑張ってください。
では、先週の続きからになります」
毎週行われている某組織の講義。 春樹が海外出張の間は、原が代わりに行っていた。その講師っぷりを耳にした春樹は、なぜか急に、この仕事を辞めると言い出した。急な出来事に、春樹の上司は、また海外に出向くのかと内心、気が気でなかったが、春樹の口から出た言葉に、ホッと胸をなで下ろした。 それでも、この話には反対だった。 なぜなら、 春樹が特殊任務に就く条件の一つだったから。 まるで、教師のような仕事。 それには、春樹が心の奥に押し込めた思いに対してという、上司の優しさだった。 春樹の父である良樹からの言葉でもある。
もしも、息子が俺と同じ世界で生きる事になったら……。
良樹の文字で書かれた文書。 それを再び読み返す良樹の同僚でもあり、春樹の上司、そして、特殊任務のトップの男。 男は、フッと息を吐き、背もたれにもたれかかった。
「達成する日が近づいている…か…。…だからって、何も
大阪に足を運ぶのを辞めなくても、良いだろうに……」
春樹の最後の講義を画面で見つめながら、男は呟いた。
一方、八造は須藤と水木と共に行動をしていた。 前を歩く二人の喧嘩腰のやり取り。 見慣れた光景だが、今回は、いつになく激しい。 それもそのはず。 長雨の為に、苛々、イライラ…………。 いつもなら、二人のやり取りが終わるのを待っていた八造だが、こちらも、イライラ……。
「須藤さん、水木さん」
「あん?」
八造に呼ばれて振り返る。 いい加減な返事だったが、
「はい。何で御座いましょう」
八造の怒りのオーラを感じ取ったのか、思わず言い換えた。
「そろそろ到着しますが、お二人にお任せしても
よろしいんですか? それとも私が行いましょうか?
それとも、須藤さんがお一人で?」
「水木一人や」
「こるぅぅるらぁ、須藤、てめぇ、これは、てめぇの仕事やろが」
「横やり入れたのは、お前やろが」
「見てられんかったからや、あほ」
「見とけや、あほ」
「うるせぇ」
「うるせぇのは…」
「てめぇらだっ!!!」
突然、耳をつんざく程の大きな声が。 言い合っていた二人は、その声に目が点に。 二人の後ろを歩いていた八造は、呆れたように項垂れた。
「…ここは、どこや?」
地を這うような低い声で尋ねられた二人は、
「…病院です」
静かに応えた。
「それなら、解るよな。どうすればええかぐらい…」
「はい、院長…」
「…来るなと言ってあるのにな。また、前髪のあんちゃんを
巻き込んだんか……ったく」
「申し訳御座いません」
と言ったのは、須藤だけだった。
「今回は、須藤の責任やで」
「……お前が出しゃばらんかったら、こうなってへんわい」
「なんやと…。見てられんかったからやな…」
これで五回目。同じ言葉で同じ言い合い。 こればかりは……。
「……ええ加減にせぇへんか……」
八造の怒りが頂点に。
「ここは病院。怪我人は出したくないんですが、院長、
よろしいですか?」
「俺は、構へんで。気ぃ済むまで、やれや」
「はっ」
と応えるが早いか、須藤と水木は同時に腹部を抑えて前のめりに。
「そんだけ動けるんやったら、大した事あらへんな」
「えぇ。今回のメインは、このお二人です」
「……………。怪我人にも容赦ないんか……」
病院の院長である、橋雅春。 橋は、そう言って、足下に目をやった。 腹部を抑えて跪く、須藤と水木。口元には血が滲んでいた。
「……まぁ、言い合う元気があるくらいやから、大した事
あらへんやろ。…でも、今ので悪化…やな」
呆れたように頭を掻く橋は、八造に目をやった。 ふと目に飛び込んだ八造の傷。それが、すぅっと薄くなった事に気が付いた。
「でもまぁ、あんちゃんも、こいつら守るん、大概にせぇへんかったら
阿山慶造が怒りを見せるで」
「俺の本来の仕事ですから」
「そうかいな。そういうのは、家系なんか?」
「そうなりますね」
「……で、手当ては…」
「お二人を先に」
「りょぉかぁい」
橋は、水木の襟首を掴み、須藤の腕を引っ張って、橋の事務室へと連れて行った。 その後ろを八造が付いていく。
例の薬、このあんちゃんにも渡してるんか…。
凄い効果やな……。
八造の傷が消えた事を思い出しながら、橋は二人の治療に取りかかった。
「うわ、ひどっ……」
目にも留まらぬ速さで差し出された八造の拳は、二人の腹部にくっきりと跡を残していた。 その横にある切り傷、そして、腕にもある切り傷。それらを目にして、何が起こったのか気になる橋は、八造に尋ねる。しかし、八造は、応えなかった。
まぁ、ええか。
静かに治療を続ける橋だった。
雨が激しく降ってきた。 阿山組の道場では、慶造と政樹が手合わせをしていた。 慶造の差し出す拳を受け止め、反対に拳を差し出す政樹。 しかし、それらは、軽々と慶造に避けられていた。
「地島ぁ、手加減せんでええでぇ」
二人の手合わせを道場の隅で見つめる隆栄が言った。
「してませんっ!」
そう言って、蹴りを差し出す政樹。 それは受け止められてしまった。
「地島、何を悩んでる?」
そう尋ねて、慶造は政樹の腹部に蹴りを入れた。 政樹の体は宙に浮く。 その瞬間、慶造の蹴りが政樹の体に炸裂した。 最後の回し蹴りが、政樹の背中に向かった。 政樹は避けきれず、まともに受けてしまい、壁まで飛ばされた。 物凄く激しい音が、道場に響き渡る。
「わちゃぁ、今のは、効いたよな」
「…あぁ。地島、大丈夫か?」
「はい…」
弱々しく応えながらも、体を起こし、立ち上がる。そして、慶造に向かって歩き出した。 構え、そして…。
「手加減するな」
慶造は、政樹の胸ぐらを掴み上げた。
「俺に遠慮することは、ないぞ。修司も小島も、そして、
真北も山本も手加減はしない」
「八造さんは、されるんでしょう?」
「そうでもしないと、慶造が倒れる」
「八造が本気になるのは、敵のみだ」
「私もです」
政樹が応える。
「……そうやって、八造の真似ばかりしてると、
八造の本当の怒りに触れるぞ」
慶造は、政樹から手を離した。
「真似してないのですが、どうしても、同じになるようです」
「何も髪型変えなくても…」
「あっ、いや、これは……」
何やら言いにくそうな雰囲気。
まさかの人物の威嚇も入ったのか…。
慶造、修司、そして、隆栄は、納得。
「まぁ、ええ。…それにしても、動きが鈍いが…どうした?」
「……その…お嬢様に…」
「真子の蹴りも強くなったって訳か…」
「山本さんに教わったそうです」
「自分で出来ないから、真子に…ということだろうな」
「でも、お嬢様は楽しんで居られますので、私は、
気になりません」
「でも、程々にしないと、いざというときに、困るぞ」
「心得てます」
「修司」
慶造が呼ぶと、修司は首を横に振った。
「ったく、その体で無茶するからだ」
「五月蠅い」
「俺に言えんな」
「…そうやって、挑発しても、俺はしないぞ」
「それなら、地島ぁ」
「私も無理です」
慶造に言われて、首を横に振る政樹。
「ほな、俺ぇ」
「小島…お前なぁ」
「俺の本気を、地島に任せる」
「って、小島さん??????」
突然言われた政樹は、驚いたように声を挙げたが、それは、既に遅し。 隆栄が、政樹にバトンタッチ。そして、背を押した。
「そうか…それなら、手加減せんで済むよな…」
慶造から発せられるオーラが変わる。
「ちょ、ちょ、ちょっと、小島さん!! 俺は…」
「ええって。俺の代わりっつーことで、手加減せんで済むやろ」
「だから、私は、敵にしか…」
「俺にとっては、阿山は敵同然」
「それでも、私にとっては…」
「お嬢様が気にするぞぉ」
隆栄の呟きに、政樹のオーラは変化する。
「それは、困りますね…」
そう呟いて、慶造に目をやった。 二人から発せられるオーラが、辺りに風を巻き起こした。 慶造と政樹は、同時に動く。 拳が相手に向かって差し出された!!!
一人の男の腕に、包帯が巻かれていく。 包帯を巻く白衣を着た人物は、何も言わずに、包帯をどんどん巻いていく。 腕の二倍ほどの大きさまで包帯を……。
「あの………」
声を掛けられて、手が止まる。 声を掛けた男は、
「すみません…」
静かに言って、目線を反らした。
「……………美穂ちゃぁぁん」
「………」
「…もぉええやんか…」
「隆ちゃんがけしかけて、どうするんよっ!」
「しゃぁないやん、俺の体じゃ、阿山と対等に…」
「だからって、まさちんに代わりをって、まさちんはね、
隆ちゃんの代行じゃないのよっ!」
「解ってるって」
「まさちんが怪我をしたら、一番、誰が心配するんよっ!」
美穂の言葉で、やっと気付いた男達。 慶造との手合わせを、政樹が隆栄の代わりになって行った。 慶造は、隆栄に対しては、手加減しない。 だからこそ、政樹も手加減をせずに……と思ったものの、差し出した拳が慶造に当たる寸前、真子の哀しむ顔が脳裏に過ぎってしまう。慶造の体に触れるか触れないかの位置でピタッと停まった拳。しかし、慶造は、政樹の心の変化に気付かず…。
「あっ…」
と声を挙げた時は、すでに、政樹の体は宙を舞い、左腕から着地してしまう。
「まさちんのあほぉ! 直前で何しとんねんっ!!」
隆栄が、思わず叫んでしまった。
そして、今…。
「はい、おしまい。服で隠れるから、真子ちゃんには
気付かれないはずよ。……ったく……」
「恐縮です」
「……その太さだと、ばれるやろ」
と、口を挟む隆栄は、美穂に、眼差しだけで倒されてしまった。
政樹は、痛む腕を隠すようにして、車に乗り込み、本部を出て行った。 政樹の車を見送る慶造と修司、そして、隆栄と美穂。車が見えなくなると当時に、美穂が大きく息を吐いた。そして、三人の男を睨み上げる。 男達は、気まずそうに目を反らしてしまった。
「…ったく、慶造君も、まさちんの事を知っている癖に、
どぉぉして、そうなのよっ!」
「……悪かったと、言ってるだろ…」
ふてくされたように、慶造が応える。
「相手は、組員にさせなさい」
「地島と張り合えるのは、八造だけだ…」
「そうだろうけど、それでも、もう、お奨めしませんよ」
「…いいだろが」
「もしもの事があるでしょう?」
「真子が心配…」
「それもあるけど、ほら…あの体は…」
「一度……」
死んでいる。
「桂守さんは、あまり詳しいことを話して下さらないから、
受けた後の状態は、解らないでしょう? もし、突然…」
「それは、ないだろう? 桂守さんは、生きている」
「直後のことは、解らないでしょう?」
「それなら、詳しく聞けば…」
そう言って、慶造は隆栄に目をやった。
「…尋ねておくよ…」
ふてくされたように、隆栄が応える。
「はぁ…真子ちゃんには、ばれるでしょうね…。
慶造君、どう説明するつもり?」
「あっ、いや……そ、それは……」
口を尖らせる慶造だった。
四人のやり取りを、組員達は観ていた。
やはり、美穂先生、怖い……。
美穂に治療してもらった事のある組員は、明日は我が身…と思っているのか、身震いした。
政樹の車が、真子が通う学校の門をくぐっていく。 いつもの場所に車を停めた政樹は、その足で、中等部の校舎へと向かっていった。 生徒専用玄関にあるロッカーの前に立ち、『阿山真子』の名前のあるロッカーの鍵を開ける。 そこには、真子の靴の他、男物のスリッパが青色と茶色の二足が入っていた。 青色のスリッパを手に取る政樹は、靴を履き替えた。 そんな政樹の行動を、柱の影から、誰かが見つめていた。
真子は、図書室に居た。 本を探しているのか、本棚を見つめている。
「あっ」
目当ての本を見つけたのか、手を伸ばした。
スリッパに履き替えた政樹は、ロッカーの鍵を閉めた。そして、歩き出す。
「……!!!!」
妙な気配を感じたのか、身構える政樹。
「部外者は、出て行って下さいな」
声を掛けられた。
「いいえ、私は…………」
振り返る政樹は、声を掛けてきた人物を観て、何も言えなくなる。
「……ほんと、慣れた感じだな」
「そういう山本さんこそ、どうして、中等部に?」
政樹に声を掛けたのは、初等部で副担任として働いている芯だった。
「保健室に向かう途中」
「また、臨時ですか?」
「まぁ、そういうとこ。……それよりも、時間…遅くないのか?」
「お嬢様は図書室だよ」
「…ということは、三つ先の曲がり角まで、一緒に歩くのか…」
そう言った芯の顔が引きつっていた。
「こんなところで、逢うとはなぁ…」
と、少し怒りが含まれたように呟く政樹。その声は、芯に聞こえていたのか、芯は見えない速さで、政樹の左腕に肘鉄!
「……………って、おい…」
政樹が突然、腕を抑えながらしゃがみ込んだ事に驚く。
「まさかと思うが、お嬢様に内緒で……」
芯の拳が震え出す。
「違うっ! 組長との手合わせだっ」
「ったく、手を出せないなら、断れって」
「断れたら、してるっ!」
「そっか。お前は、忠実だったな…すまん」
芯は政樹に手を差しだしていた。 政樹は素直にその手に自分の手を差しだした。
「保健室に行くか?」
「美穂先生の治療済み」
「今ので悪化してるだろが」
「直ぐに治る」
「それも……影響してるのか?」
「可能性はあるらしいよ」
そして、二人は歩き出した。 一つ目の曲がり角を過ぎた。 二人は何話すことなく、歩いていく。 二つ目の曲がり角に差し掛かる。
「お嬢様に気付かれるなよ」
芯が静かに言った。
「あぁ。…でも、さっきので、悪化…かなぁ」
嫌味っぽく言う政樹を芯が睨み上げる。 政樹は、芯の眼差しに恐れることなく、睨み返し、にやりと口元をつり上げた。
「…お嬢様が知っているなら、もっと悪化させるんだがな…」
芯の言葉に、政樹は、
知られて無くて良かった…。
と、胸をなで下ろした。
三つ目の曲がり角に来た。 二人は歩みを停めた。
「猫電話…」
政樹が静かに話を切り出した。
「…暫くは無理だ。…悪いと思ってる。でも…な……」
芯は、口を噤んだ。
「ん?」
芯の行動を不思議に思ったのか、政樹は聞き返すように短く発した。
「本当に、気付かれるなよ。じゃぁなぁ」
「って、山本さん、続きはぁ?」
政樹が声を掛けるが、芯は背を向けたまま、去っていった。
…でもな…の続きは何だったんだ???
首を傾げながら、政樹は真子が居る図書室へ向かって行く。 図書室の前に来た。 ちらりと時計に目をやると、真子との約束の時間まで、あと五分。真子が出てくるまで、廊下で待つことにした政樹は、辺りに気を配りながら、壁にもたれかかった。
五分経つ。
図書室のドアが開き、真子が出てきた。 手には、五冊の本を持っている。
「まさちん!」
真子の声が弾む。
「お疲れ様でした」
と、思わず頭を下げてしまった政樹は、真子から脛を蹴られた。
「もぉ………えへへ!」
いつもなら、ふくれっ面になるのに、真子は少し照れたように笑みを浮かべた。
「何か嬉しいことが、ございましたか?」
真子の笑顔につられるかのように、政樹も笑顔で応える。
「あのね、この本を見つけたの!」
真子は手に持っている本の表紙を政樹に見せた。
「これ…まさちんが語ってくれた映画の話でしょ?」
「えぇ。小説になってるのは知ってましたが、中学生の
図書室に置いてるということは、中学生向けに書かれてるでしょうね」
「まさちん、好きでしょ?」
「えぇ。このシリーズは、好きですよ。でも、文字を読むのは…」
「だからね、その……」
「…ん????」
真子の笑顔が輝く。
うっ、お嬢様…それは、私に毒です…。
沸き立つ思いをグッと堪えて、政樹は、
「何でしょうか?」
静かに尋ねてみた。
「私が読んであげる!」
嬉しそうに言う真子に、政樹は何も言えなくなってしまった。
「……駄目?」
ちょっぴり寂しげで、うるうるとした眼差しを政樹に向ける真子。 政樹の心拍は、今まで以上に早く打っていた。
「じゃぁ、帰ろう!」
「はっ」
と、頭を下げてしまった事に気付いた時は、
「もぉっ!」
真子の蹴りが脛に入っていた。
「すみません」
ちょっぴりふくれっ面の真子は、政樹を置いて、歩き出す。
「お嬢様っ」
政樹は真子を追いかけて歩いていった。
廊下の角を曲がると、目線を感じた政樹は、振り返る。 廊下の先で、芯が二人の様子を見ていたのか、失笑していた。
観てたのかっ!
眼差しで訴えると、芯は軽く手を挙げて保健室へと入っていった。
「まさちん、早く!」
「はい」
真子は芯の存在に気付いていない様子。
そういや、オーラ…消していたよな…。
と思いながら、政樹は真子を追いかけていく。
夕食後、真子と政樹は、真子の部屋に居た。 真子が語る物語は、既に映画で観ている政樹。何度も観たことのある作品だが、小説の世界は、映画とは違う感動があった。それは、真子が語ることも関係しているのだろう。 真子が語り続けるものだから、政樹は優しく声を掛ける。
「お嬢様、続きは明日にしましょう」
「大丈夫だよ。最後まで読むから」
「楽しみを一度に消去したくありません」
「そうなの?」
真子が首を傾げる。
「えぇ。貸出期間は、一週間でしょう? 日曜日もございますから
その時まで、とっておいてください」
「いいの?」
「えぇ」
「じゃぁ、切りの良いところまで読むね」
「お願いします」
と言ったものの、真子が切りをつけたのは、1冊分だった。 真子が語り始めて、二時間が過ぎていた。
「飲物、用意します」
「はい」
政樹は、部屋を出て行った。 すると、廊下には……。
「組長!」
慶造の姿があった。
「調子は…どうだ?」
「お嬢様には気付かれてません」
「そうか…」
そう言って、慶造は背を向けて歩き出す。
「お嬢様に…」
「いいって。…それよりも、二時間…語らせるな」
「途中で、止めたのですが…」
「言葉見つけて、断れ」
「申し訳御座いません………???」
その時、政樹は何かに気が付いた。
「組長、二時間も廊下にっ!!!」
慶造の蹴りが空を蹴った。
「も、申し訳御座いませんでした…」
「向井に用意させてる」
慶造の言葉が終わると同時に、向井がジュースを持って姿を現した。
「向井さん、すみません」
「四代目が仰るように、言葉を考えておけ。ほら」
「ありがとうございます。…でも、言葉が見つかりません」
「続きは私が読む…とか、明日もあります…とか…」
「切りが良いところまで…という話だったんだけど、それが
一冊分だったんですよ」
「…本を読むことも好きだから、好きなようにさせておけ」
そう言って、慶造は部屋へと戻っていった。
「以後、気をつけます」
政樹は深々と頭を下げた。
「猪熊さんや小島さんにも語っていたらしいよ」
「お二人に?」
「小島さんが動けなかった頃、お嬢様が気にしていてだな、
それで、四代目に内緒で、こっそりと小島家に通ってた。
ある日、猪熊さんにばれて、それからはお二人だけに。
それが、四代目にばれて、大変だったんだぞ」
「そんなことがあったのか?」
「あぁ。その時、初めて、四代目が父親として、お嬢様を怒った」
「怒った? 組長が?」
「内緒で行動していた事にな」
「それがあるから、四代目は…」
「いや、まさちんの怪我の方が心配だったそうだよ」
「俺?」
「お嬢様を迎えに行った後、大変だったみたいでねぇ」
「やっぱり……」
大体は予想していたらしい。 真子を迎えに行って帰ってきた後も、美穂から何か言われるのでは…と覚悟をしていた政樹。しかし、美穂の姿と慶造たちの姿は無く、ちょっぴり顔が引きつった感じの組員の姿を観ただけで、今に至る。
「じゃぁ、俺、寝るから」
向井の就寝時間が迫っている。
「食器は水に付けておくだけで、いいよ」
「ありがとうございます」
「お休みぃ」
「お休みなさい」
向井は部屋へ入っていった。 政樹は真子のジュースを持って、真子の部屋に戻ってきた。
ん?
真子の声が聞こえてくる。 政樹は耳を澄ませた。 真子の声で聞こえてくる名前こそ、夕方に逢った奴の名前。 政樹は、ドアをノックして、そっと入っていく。電話に夢中になっている真子が振り返った。
「こちらに」
政樹は短く伝え、ジュースをテーブルに置く。
「ありがとう」
真子は笑顔で言った後も、電話に夢中。 政樹は深々と頭を下げて、部屋を出て行った。 その途端、ドアが弾む。 真子がソファのクッションを投げつけていた。
『お嬢様、クッションは投げては駄目ですよ』
電話の向こうで芯が言った。
「どうして、解るの?」
『まさちんの声が聞こえてましたから、想像できますよ』
「もぉ…」
『相変わらずなんですね』
「うん。……ぺんこう、時間いいの?」
『えぇ。今日は珍しく早めに切り上がりましたから。
お嬢様は、どうですか?』
「元気だよ。ねぇ、ぺんこう」
『はい』
「忙しい日が、これからも続くの?」
『来週から、忙しさが増しますね。夏休みが近いですから』
「そっか」
『お嬢様は、期末試験ですよ。大丈夫ですか?』
「大丈夫! ちゃんと復習してるから」
『復習は、習ったところで充分ですよ。先々しなくていいですからね』
「解ってるもん」
『それよりも、お疲れじゃないんですか? 読み通しだったんでしょう?』
「まさちんがジュース持ってきてくれたから、それを飲んだら寝る」
『それなら安心ですね』
「ねぇ、ぺんこう」
『はい』
「日曜日、久しぶりに翔さんと航さんと遊びに行ったら?」
『二人も忙しい身ですから、無理ですね。久しぶりに
家でゆっくりとしてますよ』
「ゆっくりできるのぉ?」
ちょっぴり意地悪そうに、真子が尋ねる。
『できますよ』
なんとなく、ムキになってる芯の声。
「それなら、安心! だって、ぺんこう、ゆっくりしてないでしょう?
お仕事で、忙しいから…」
『でも、それが私の夢ですから、全く苦になりません』
先程とは違い、自信たっぷりに応える芯。 思わず真子は笑みをこぼした。
『そろそろ寝る時間じゃありませんか?』
「あっ、ほんとだ。ぺんこう、忙しいのに、電話…ありがとう」
『お嬢様の元気な声を聞いて、安心しましたよ。
それでは、勉強、頑張ってくださいね。お休みなさいませ』
「ぺんこう、あまり無理しないでね。お休みなさい」
真子は、受話器を置いた。そして、政樹が置いていったジュースをゆっくりと飲み始める。その時、政樹が入ってきた。
「まさちん、ありがとう」
「ぺんこうに何か遭ったんですか?」
「お仕事の切りが良かったから、久しぶりに電話してきたんだって。
元気だったよ」
「そうでしょうね」
政樹の返事は、ちょっぴり刺々しい…。
「期末試験の勉強するように言われちゃった…。まさちん」
「はい」
「お勉強も見てくれる?」
「えぇ。中学一年生のところは、大丈夫ですよ」
「………他は駄目なの?」
「あっいや…その……私は、中学中退……」
「くまはちも、そう言ってるけど、ぺんこうは、くまはちは大検の力が
あるかも…って言ってたよ。まさちんもでしょう?」
「は…まぁ……」
八造は独学。しかし、政樹は喧嘩ばかりしていたので、勉強は礼儀作法だけしか身についていなかった。独学どころか、春樹に言われて、中学の復習をしたくらい。だけど、真子が期待に満ちた眼差しをしている為、何も言えなくなり…。
「それより、お嬢様。そろそろ寝る時間ですよ。むかいんは寝ました」
「わっ! 明日、徒歩だっけ」
「はい」
「寝る!」
「歯みがきしてください」
「します!!!」
真子は慌てて部屋を出て行った。
ったく、お嬢様は〜。
真子の仕草を見て、政樹は微笑んでいた。 ところが、真子が戻ってくる。 政樹は、グッと顔を引き締めた。
「まさちん、日曜日、出掛けるから!」
「かしこまりました…って???」
真子に尋ねようとしたが、真子の姿は既に無く、
「お嬢様っ、日曜日、どちらに!」
政樹は真子を追いかけて、洗面所へと足を運ぶ。
「お嬢様、どちらに出掛けるつもりですか?」
「あん??」
真子は、歯みがき中……。
「にちゅいよぉびぃまで(日曜日まで)、
にゅわいしゅよ(内緒)」
歯みがきしたまま、話すものだから、聞き取りにくい。 でも、政樹には、
「かしこまりました」
真子の言葉は解っていた。
「!!!」
歯みがき中でも、蹴りは入る……。
(2007.1.8 第十部 第四話 改訂版2014.12.22 UP)
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