最終部 『任侠に絆されて』
任侠に絆されて (8)
突然、雷と共に、激しく雨が降ってきた。 その音に誰もが驚き耳を伏せる。 しかし、真子だけは違っていた。 窓の外に目をやる。 目線の先。その場所こそ………。
竜次が引き金を引いた。 しかし、銃弾は慶造には当たらず、地面で弾けた。 慶造が日本刀を振り下ろした。 しかし、竜次は上手い具合に地面を転がり、それを避けていた。慶造の日本刀は、地面に突き刺さるだけだった。 お互いが睨み合う。 口元を不気味につり上げ、そして、再び、相手に向かっていく。 雷が鳴り、突然、激しく雨が降り始めた。 慶造が振り下ろした日本刀を、竜次は銃で受け止めていた。 激しく降り始めた雨は、二人の体を濡らしていく。
「これじゃぁ、銃は使えないなぁ」
慶造が言うと、
「…予測はしていたさ…」
竜次が冷たく応え、銃にあるボタンを押した。 グリップの辺りから、鋭い刃が飛び出した。次の瞬間、竜次は、その刃で、慶造を斬り付けた! 慶造は予測していたのか、竜次が差し向けた刃が体を横切る前に、竜次の体に蹴りを見舞っていた。
竜次の体が宙を舞い、地面に落ちた。
「竜次様っ!!」
「来るな、あほんだら!」
黒崎組組員に怒鳴りつけ、竜次は銃を地面に叩き付けた。
「崎、次だ」
竜次が発した途端、崎は自分の体から何かを取りだし、それを竜次に放り投げた。 日本刀。 それこそ、黒崎組に代々伝わる物。 竜次は受け取った途端、柄を握りしめ、日本刀を鞘から抜き取った。
「フッ……それこそ、この闘いに必要なもの…だよなぁ」
慶造が竜次の日本刀を見つめて、そう言った。
「そりゃぁ、そうやろ。…もう一本は、この瓦礫の下に眠ってるだろうがな」
「あぁ」
二人だけが解る言葉。 阿山家と黒崎家、そして……。
お互いが自分の日本刀の柄を握りしめ、睨み合う。 激しい雨は、容赦なく二人を叩き付けていた。 竜次の足が、少し動いた。 慶造も同じように足を動かした。 次の瞬間、二人は相手に向かって、動き出した!
雷が激しく鳴り響くと同時に、金属が激しくぶつかり合う音も聞こえた。 雷の音にかき消されることのない程の大きさ。 そこまで激しくぶつかり合ったのだろう。二人の表情が歪んでいる。
四代目…。
勝司が二人の姿を凝視している。 何度も何度も激しくぶつけ合っている。 相手を斬り付ける事も出来ず、ただ、日本刀をぶつけ合う。 ぶつかる度に、火花が散る。 雨は、二人の何かに反応したかのように、更に激しく降り始めた。
春樹の車が、激しい雨の中、とある場所に向かって走っていた。 その場所こそ、今、お互いの思いをぶつけ合っている所でもある。 車を停めた。 ふと感じる人の気配は、かなりの数だった。
二人っきりでと言っておきながら…チッ。
阿山組組員、そして、黒崎組組員の気配。 それこそ、自分が把握しているそれぞれの人数に匹敵していた。 しかし、組員達からは何のオーラも感じない。
見てるだけか…。
春樹は傘を手に、ドアを開けた。そして、傘を差して車から降り、ゆっくりと足を運ぶ。
裏手にある公園。そこの管理室は誰も居ないはずだ。
これが、その鍵。
管理室の奥にある棚に猫の置物がある。
その置物を右にずらせば、スイッチが出てくる仕組みだ。
春樹は、慶造の言葉を思い出しながら、その通りの行動を始める。 管理室の奥にある棚に、その場所にそぐわない猫の置物があった。 左へずらしてみた。 何もない。 元に戻し、右にずらすと、先程は何もなかった所に、スイッチが現れた。
スイッチをゆっくりと強く押してみろ。
春樹は、スイッチをゆっくりと押した。 その途端、目の前の棚がゆっくりと左へと動き出す。
棚が左へ動いたら、目の前にドアが現れる。そして、ドアノブに手を伸ばし、開けてみた。 目の前には暗がりが広がる。しかし、春樹の目は、直ぐに慣れた。
そのまま進んでいけば、とある場所に出てくる。
その場所は、誰も足を踏み入れない場所だから、
誰にも知られることなく、来ることが出来るさ。
慶造の言葉通り、暗がりを進んでいくと、とある場所に出てきた。 目の前に広がる場所。そこは瓦礫の山だった。 ふと空を見上げた。 つい先程まで激しく降っていたのに、雨は小降りになっていた。 金属同士がぶつかり合う音が響き渡った。 春樹は、その音が聞こえる方へと足を運んだ。
!!!!!!
その場所では、慶造と竜次が日本刀で闘っている最中。 少し離れた場所には、それぞれの組員が待機している…いや、二人の動きをただ見つめているだけだった。 その中で、崎は竜次を、勝司が慶造の身を案じているのか、今にも動き出しそうな雰囲気を醸し出していた。
阿山組本部。
八造の車が勢い良く門を通りすぎた。 玄関で待機していた組員が驚いたように動き出す。 急ブレーキと共に車が停まり、八造が飛び降りてきた。
「くまはちさん!!」
「すまん、美穂さんは居るのか?」
「急な仕事が入って、病院へ」
「しゃぁない。地島、医務室まで大丈夫か?」
「……何が…?」
八造が助手席のドアを開けて誰かを支える。
「まさちんさん!」
「…俺は…大丈夫だ」
「その出血で、無茶するからや」
「…すみません…しかし……」
「支えるから、自分で歩け」
「…八造さんこそ…」
「俺は平気や」
「って、お二人とも、怪我を!!!」
「じゃかましいっ」
八造と政樹の声が、珍しく揃う。 それには、心配して声を掛けた組員は、何も言えなくなり、ただ、二人が屋敷内へと歩いていく姿を見届けるだけだった。
医務室に付いた途端、政樹はその場に崩れ落ちる。
「もう少し、歩け、あほ」
「すみません……、ここで…」
「応急処置では、難しい………」
「???」
八造の声が途中で途切れた事に驚き、顔を上げる。 八造も政樹を助けた時に、怪我をしていた。無理をしているのでは…と思い、政樹は顔を上げたのだった。しかし、八造は平然とした表情をしている…。とある一点を見つめたまま…。 政樹は、八造が見つめる所へ目をやった。
「!!!」
政樹は慌てて手を引っ込めた。
「…地島……」
「あの日以来、傷の治りは、驚異的なほど早いんです」
「…そうか…」
「それより、八造さんは…」
「…………やけに、本部が静かだな」
八造は話を逸らした。
「そう言えば…」
八造は医務室を出て行った。
「!!!だから、八造さん、手当てを!」
「せんでええっ」
八造と政樹は玄関へと戻っていった。
「おい、他の組員は?」
「八造さんっ! …ひぃっ!!」
組員は八造に胸ぐらを掴み上げられた。
「他の組員は、どこに行った?」
「その………」
組員が静かに説明をし始めた。
八造の車が、猛スピードで本部を出て行った。
「八造さん!! ……どうしたんだ、いきなり」
「すみません。その……」
「ほぉぅ〜? 何を言った?」
「す、す、すすすすみませんっ! それだけは…。
だって…その…怖かった……ひぃっ!!」
「なぁにを…言ったのかなぁ?」
「…あの…その…………」
政樹の恐ろしいまでのオーラに組員は、またしても、八造に伝えたことを明かす。
政樹の車が、猛スピードで本部を出て行った。 ただただ見送るだけの組員の顔は青ざめていた。
「知らんぞ…お前…」
「しゃぁないやろ。どっちにしろ、口を割ることになるんなら…。
俺だって、行きたいんだからな…」
「俺もだよ。…でも…なぁ」
「……大切な者が居るなら、付いてくるな…か。…四代目…」
「どれだけ、俺達を大切に想っているのかが…解るだけに、
ここには居づらいよな…」
組員は空を見上げた。 再び、雨が降り出す……。
八造の表情はいつになく、焦っていた。
間に合ってくれ…。
アクセルは全開。スピードはそれ以上、上がらない。
「くそっ!」
八造は、徐々に苛立っていく…。
八造を追うように本部を出てきた政樹も、アクセルを思いっきり踏み込んでいた。 八造の車には追いつかない。それは解っている。だが、追いかけるしかない。
八造さんを停めなければ…。
それは、慶造に言われていること。
この日、八造が動きを知ったら、どんな行動に出るかは解っている。 だから、お前は、八造を引き留めておけ。
それは失敗に終わった。 本来なら別のことで引き留めるつもりだった。 しかし、真子を送った後、向かった先で敵に襲われ、敵とやり合っている所へ、八造が姿を現し、応戦。これはチャンスだと、わざと敵にやられるように行動を取った。 それが、効を成し、八造を引き留めることになる。 だが、それは、いとも簡単に、失敗することになるとは…。
あの馬鹿がっ。
八造のオーラに負けるのは当たり前だが、それでも口を割るとは…。 呆れながらも政樹は、八造を追いかけていく。
止んだと思った雨が降り出してきた。 慶造と竜次は、お互い日本刀をぶつけ合い、決着が付く気配を見せなかった。 竜次の息が上がっていた。 それに気付いた途端、慶造が日本刀を斬り上げた。 竜次の日本刀が弾かれ、遠くの地面に突き刺さる。
「竜次様!!!!!」
「何もするな」
竜次が怒鳴る。 しかし、崎は、手に銃を持ち、慶造に向けていた。 その行動に気付いた勝司が、懐に手を入れた。
「勝司」
「しかし…!!!」
勝司が応える前に、慶造は日本刀を遠くに放り投げた。
「これで五分だろ」
「…あぁ」
「いや…五分にはならんな…。竜次……拳では
お前に勝ち目は無い」
「フッ…。言われなくても解ってるさ」
「それなら、もう、……終わりにしようや」
慶造がそう言って、スゥッと目線を移した。 竜次が、慶造の目線に釣られるように、その場所へ目をやる。
!!!!!
その場所に立つ人物を見て、竜次は目を見開いた。
「…阿山…お前、何を企んでいる。あいつは…どう見ても
殺る気だろが!!」
「俺が頼んだ。…もう、終わりにしようや、竜次」
「そのつもりや。…でもな、それは、お前の手で…そう思ったからや。
なぜ、奴に頼む?」
「それが、あいつの思いだからな。これ以上、無駄な血は流したくない」
「俺やお前が殺られたら、組員達が黙ってないやろが」
「そうならんように、してある。もちろん、その後の事も…な」
「阿山…」
「竜次もだろ?」
慶造の言葉に、竜次はフッと笑みを浮かべ、
「まぁな」
竜次の返事を聞いた途端、慶造は片手を軽く挙げた。
???
二人の動きが停まった事に、それぞれの組員達は疑問を抱く。 慶造が軽く手を挙げた事に気付いた途端、二人の体が軽く弾み、真っ赤な物を吹き出しながら、地面へと崩れ落ちていった。
「四代目ぇぇ!!!!!」
「竜次さまぁ!!!!」
誰もが二人の姿を見て叫ぶ。 崎は、辺りを見渡した。 周りには阿山組組員と黒崎組組員しか居ない。 一体誰が…。 そう考えている場合では無い。 勝司が慶造に駆けていく姿に気が付いた。 崎も駆けだしていた。
「来るなっ」
慶造と竜次が同時に声を発した。勝司と崎は、足を止めた。
「あの馬鹿が…遠慮するなと言ったのにな…」
慶造が呟きながら、痛みを感じる場所に手をやった。
「そりゃぁ、…哀しむ誰かが居れば…難しいやろが」
竜次も痛みを感じる場所に手をやりながら、体を起こす。
「逝きそびれただろが」
慶造がそう言った途端、竜次は笑い出した。
「くっくっくっく……阿山。そんなに逝きたいなら、逝かせてやる」
「…なに?」
「もちろん……大切な者も一緒にな…」
「…竜次……てめぇ……それだけは…」
「心残りだろ?」
不気味なまでに笑みを浮かべた竜次は、片手を軽く挙げた。
………すまんな、慶造。 俺には、やっぱり、無理なんでな。
そう思いながら、両手に持った銃を懐にしまいこむ春樹。 慶造と竜次は同時に赤い物を吹き出しながら倒れていた。しかし、同じように赤い物が吹き出した場所に手を当てながら体を起こし、何かを語り合っていた。
これを機に、元に戻れよな。
春樹がそう思った時だった。 竜次が軽く手を挙げた。 その途端、感じる物に、春樹の体は自然と動き出した。
慶造っ!!!
八造の車が急ブレーキと共に停まる。そこには、見慣れた車がたくさん並んでいた。 ふと、何かを感じた。 それが何かは解らない。 八造は目の前の空き地へと足を速めた。
四代目ぇぇ!
その声が耳に飛び込んでくる。
まさか…。
開けた場所へ来た八造は、勝司と崎が駆け出すところを目にした。しかし、慶造の言葉と同時に、二人は歩みを停めていた。
何が起こっている…?
辺りの気配を探る。 竜次が軽く手を挙げた。 その途端、感じたオーラに、八造の体が自然と動き出した。
間に合わないっ!
八造が感じたオーラこそ、瓦礫の影に身を潜めていた黒崎組組員が狙いを定めるときに気を集中させたもの。それらは、あちこちに散らばっている。どれもが一瞬に感じた為、一人一人を対処してる時間は無い。 引き金を引きそうな瞬間に気付いたからだ。 八造は覚悟を決めた。
お嬢様、すみません。 地島…後は頼んだ。
そう心で語り、慶造に向かって駆け出す足を速めた時だった。
えっ???
八造の体は、誰かに押し退けられた。 その勢いは尋常ではない。 八造は、バランスを崩し、横にぶっ倒れてしまった。
誰だっ!!??? !!!!!!
目の前を自分の姿が駆けていく。 いや、違う。 その姿は……。
親父っ!!!!!!!
竜次が片手を挙げたと同時に、たくさんのオーラを感じた。
八造? いや……修司っ!!!!
スローモーション。 そう感じた。 ほんの一瞬の出来事なのに、それが、凄く長い時間に感じた。 最愛の息子が駆けだした事に気付き、押し退けた。 失ってはいけない。 だからこその覚悟。 目の隅に写った息子の表情が目に焼き付いた。 それよりも……。
慶造は、目の前に迫る人物に怒りを覚え、手を伸ばす。 その人物の体が、何かを受け止めるかのように軽く弾んだ。 その人物の腕を掴み、思いっきり引き倒した。 体に激痛が、走り抜けた。
「竜次さまぁ!」
崎が叫ぶ。 その声に、慶造は我に返る。
「竜次さま、竜次さま!!」
「俺は大丈夫だ。…阿山…あの弾は…後から来るようになってるのかよっ」
竜次が吐血。
「あぁ…竜次が知らない…特殊な物さ…」
「そうか…だがな…俺は、更に伝えてあるんだよ、あいつらに」
竜次は口元を流れる血を拭いながら、嬉しそうに口走った。
「思い出は、全て消すように…ってね。…その後に、俺も……逝く」
再び血を吐く竜次。 それは、竜次自身の病のもの。
「竜次様…」
「行け。そして、最後の仕上げや…」
竜次の言葉と同時に、感じていたオーラが三つ消えた。
「竜次…てめぇ……」
慶造は体を起こした。しかし、側で倒れる修司に気付き、
「修司……お前…!!」
慶造の視野の端で、崎が竜次を抱きかかえる姿を確認した。 崎は、そのまま敷地内を駆けだし、出て行った。 黒崎組組員達も後を追うように去っていく。
「慶造っ!」
「…真北……お前…」
「うるせぃっ! それより…」
「俺より、真子の方だ…」
「えっ?」
「竜次の野郎……他にも仕掛けてる…」
その言葉に、春樹は駆けだした。 遅れて到着した政樹が、車から降りると同時に春樹の姿に気付き、
「真北さん!」
声を掛けた。
「まさちん、学校に急げ! 真子ちゃんが危ない」
春樹は自分の車に乗り込み、急発進。 政樹も再び車に乗り込んで、真子の学校に向かってアクセルを踏んだ。
「四代目…」
組員達が駆け寄ってきた。 その中に、八造の姿もある。 慶造は、目の前の光景に驚きを隠せない状態である八造に手を伸ばし、胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「何してる…。八造…お前が居なければならない場所へ
向かっていけ…。お前の仕事は…なんだ?」
「…お嬢様を…守ること」
「…真子には誰も付いてないだろがっ。さっさと行けっ!」
「しかし…」
「てめぇらもだ。…勝司、こいつら連れて、真子の所へ向かえっ!」
「御意。お前ら、行くぞっ!」
勝司の号令と共に、組員達は動き出す。しかし、その動きは、いつになく遅い。 それもそのはず。 目の前には、真っ赤に染まる二人の姿が。 誰が見たって、明らかに解る状態。 なのに…。
「さっさと行けっ」
慶造が促すと同時に、組員達の動きが素早くなる。 全員が車に乗り、その場を去っていった。…しかし、一人だけ、残っている。
「八造」
「……四代目……直ぐに…」
「お前の立場を優先しろ。……猪熊のことは……大丈夫だ」
八造の目線は、ピクリとも動かない修司に向けられていた。
「こいつは、こんなことでは、くたばらん。…お前が一番…
解ってるだろが。……だから、さっさと行け。…真北と…
地島を停めてこい。…真子の学校で暴れられたら
それこそ……」
慶造の言葉が途切れた。 口元を血が流れ出す。
「四代目!」
そう言って、八造が手を伸ばした…が、その手を掴まれた。
「自分の立場を忘れるな…この…馬鹿が…」
「……親父…」
「さっさと行けっ。あいつらに遅れを取るな…」
「しかし、この状態は…」
「これくらい、かすり傷や。…四代目のことは、俺に任せておけ」
そう言って、修司が八造の腕を力強く掴み、さっさと行けと言わんばかりに、遠くへ放り投げた。
親父…。
「行けっ」
「はっ」
修司の貫禄に負けたのか、八造は拳を握りしめながらも、その言葉に従い、去っていく。 八造の車が遠くへ去る音に耳を傾ける修司は、体を起こし、慶造を見た。 口元から流れる血は、止まることを知らないかのようだった。 ふと目をやると、自分の体から血が溢れるように出ている。 それ以上に、血が流れているのは、慶造の方だった。
しまった…俺の体を突き抜けたか…。
修司は、慶造の体に手を伸ばす。
「四代目…?」
修司が声を掛けるが、慶造は何も応えない。
「………俺の失態…か…」
首筋に手を当てる。幸いにも脈を感じた。 その手に慶造の口から流れ出した血が垂れてくる。 修司は、体を動かした。
うぐっ…。
激痛が体を這う。思わず体を丸めた修司に、誰かの手が触れた。 顔を上げると、慶造だった。
「……猪熊……大丈夫か?」
「…それは、俺の台詞だろ…」
そう言った途端、目の前の慶造は、クッと笑い出した。 その表情を見て、修司は安心した。
「……八造は…」
「お嬢様の所に、向かった」
「全員、向かったんだな」
「あぁ。安心しろ」
「ありがとな」
そう言ったっきり、慶造は何も言わなくなった。
「…四代目…?」
修司は首を挙げ、慶造を見た。 慶造はゆっくりと体を起こし、修司の傷口に手を伸ばしてきた。その手には、例の薬を握りしめている。
「それは…俺の………四代目っ!!」
慶造が力無く倒れた。 修司は慌てて体を起こし、慶造に手を伸ばした。 震えている。 慶造の体の震えに気付く修司は、あの日を思い出していた。
あの時も竜次の銃弾の前に倒れた。 それも、自分を守るかのように。 守る…??
その時、先程の一瞬の出来事を思い出す。 慶造を守ったはずなのに、誰かに腕を引っ張られ、倒された。 まさか…。
「……なぜ、俺を…」
修司の言葉に、慶造は軽く口元をつり上げる。
「何度も聞くな…馬鹿が…」
「兎に角、向かうぞ」
修司は、慶造に手を貸して、空き地を歩き出す。 二人が歩く道筋は、真っ赤な筋が付いていた。修司だけでなく、慶造の出血も激しかった。 敷地内から出た所に停めていた自分の車へと歩み寄り、助手席へ慶造を座らせた。その間も、慶造の出血は止まらない。運転席に周り、応急手当を施し、車を走らせる修司。かなりの出血のせいなのか、意識が遠のきそうになる。それを必死で堪えていた。
くそっ…なんとか、もってくれ…慶造を…慶造を……。
「…修司……もう、無理だよ。急がなくてもいい」
か弱い声で言う慶造。修司は、ふと目をやった。
「四代目、飛ばしますよ」
ハンドルを握る手に力が入る。その腕を掴まれた。
「無理するな。…お前も、ひどいだろが」
「それでも、俺の分をお前がもらっただろが……」
「ふっ……そうだな。痛み分けってとこか………っつー…」
「慶造!」
「…久しぶりに耳にした…。懐かしいな」
「懐かしむな」
「それもそっか。ふっふ…っふふふ」
慶造は笑い出す。
「もうすぐだからな。何か話そうか?」
「いいよ。……真子は無事かな…」
「八造に任せておけば大丈夫だ」
「真北とまさちんも…」
「あぁ」
「力強い奴らが居るから…真子も安心して過ごしていけるよな…」
「……慶造?」
くまはちたちの乗る車が、真子の通う学校の前に到着した。門から走り出てきた女の子を観て、くまはち、そして、まさちんたちは、車を下りた途端、その女の子に向かって走り出す。
「お嬢様、後ろっ!!」
真子が、後ろの男達に振り返る。それと同時に、真子は、右肩から血を吹き出し、地面に倒れた。
「てめぇら…」
くまはちが、逃げる男達を追いかけて走り出す。まさちんは、地面に倒れた真子を抱きかかえ、真子を呼び続けていた。
「なぁ、修司」
「ん?」
「どうして、側に居た?」
「気付いていたのか」
「お前のオーラは、どこに居ても解る」
「もしもの事を考えて待機していた」
「…いっつも、そうだよな」
「それが、俺だ。改めて言ってやろうか?」
「言わんでもええって」
「そりゃそっか」
二人は、フッと笑い出した。 その間も、出血は止まっていない。
「慶造、手当てしなおした方が…」
「もうすぐ…着くだろが」
「出血…激しすぎる」
「そのまま、お前にも返すぞ、……修司…」
慶造の声は、段々と小さくなっていた。
「慶造、寝るな」
「起きてる…あほ…」
慶造が目を開けた。
「…もう少しだからな…」
「真子……無事…かな…」
「無事だ」
「…八造が…地島…そして、真北……勝司が……居れば…」
「あぁ」
修司は、視野が狭くなっていることに気付きながらも、運転に集中していた。
政樹が運転し、春樹は後部座席で真子の傷を応急手当てしていた。
「……決まり……だな」
手当てを終えた春樹が呟いた。 その呟きが聞こえていた政樹は、ルームミラー越しに春樹を観た。 深刻な表情で、政樹に目線を向けた。 その眼差しが語っていた。 政樹は意を決したのか、スゥッと目線を前に向け、そして、
「お任せ下さい」
静かに応えた。
「慶造の様子は…」
「解りません。八造さんの話が本当なら…」
「……急げ…」
「はっ」
政樹はアクセルを踏み込んだ。
「俺が…」
「はい?」
「いや、何も……」
春樹が何かを言おうとして口を噤んだ。
俺が、慶造の言うとおりにしていれば、このようなことは…。
春樹が言いたかった言葉は、そうだった。 ちらりと真子に目線を移す。 真子の表情は苦痛で歪んでいた。
真子ちゃんを…傷つけることは無かった…。
春樹は、真子の体を力一杯抱きしめた。
ごめんな、真子ちゃん。
春樹の動きをルームミラーで見ていた政樹は、春樹が何を思い、そういう行動に出ているのか、痛いほど伝わってきていた。 自分も同じ思いなだけに…。 政樹は、更にアクセルを踏み込んだ。
修司の車が、道病院の駐車場へ入ってくる。そして、救急患者搬入口の前に停めた。
「慶造、待ってろ」
車を降りようとした修司は、腕を掴まれ、引き留められた。 慶造は、目を瞑っている。そして、息が荒く……。
「修……司……」
「すぐに、運ぶから」
慶造が首を横に振る。そして、そっと目を開けた。
「猪熊……命令だ……俺を……撃て」
「…四代目……?」
「俺を殺してくれよ…。もう……何も失いたくない。俺さえ…居なければ…」
慶造は、修司の腰にある銃を取り、修司に差し出した。
「俺は……お前を守るために…生きているんだぞ?」
修司が震える声で言った。
「解ってる。俺の…命令は……絶対なんだろ?」
「命の危険に関わる命令には、背くと言っただろ?」
「…言ったか?」
「何度もな。どうした、弱気になるな」
「もう、無理だ…これじゃぁ、助からない。腹の中…ぐしゃぐしゃだよ…」
「死に急ぐなっ! まだ、お嬢様の無事も確認してないだろが!」
「真子は無事だろが…お前の息子が……」
修司……お前が育てた……。
「おい、慶造? …慶造……お前…な……慶造…。……慶造っ!!!!!」
修司の叫び声が、病院内に響き渡る。 車のドアが開き、白衣を着た人たちが、慶造を運び出す。そして、ストレッチャーに乗せられて、運ばれていった。それを見届けた途端、修司の意識が遠のいていく………。
慶造…お前…何を考えていた? 何をしたかったんだ。
…慶造……お前の口から、聞かせてもらうぞ。…だから…、
慶造…死なないでくれ……慶造……!!!!!
慶造は、虫の息だった。その傍らには、春樹と勝司が立っていた。
「慶造……。目を覚ませよ…。慶造……真子ちゃんを置いて、
お前、逝くなよ…慶造!!目を覚ませ!!」
春樹は、慶造の胸ぐらを掴む。
「真北さん!!」
勝司が、春樹の両腕を抱え込むように、阻止する。その時、慶造が、目を開けた。
「…ま…き……た…」
「慶造! 心配させるな!」
慶造は、力無く、春樹に手を伸ばしてきた。春樹は、その仕草で、慶造との別れを決心する。 力強く、慶造の手を握り返した。
「…真子を…頼んだぞ…。…跡目…五代目は…真子だ…」
「慶造、お前…、いいのか?」
慶造は、ゆっくりと頷く。
「お前の…望む世界…できるだろ?」
慶造が笑みを浮かべる。
「だけど、それは…真子ちゃんが…」
「勝司ぃ……お前、例のこと…できるか?」
「それは、五代目を継いだ時でしょう?」
「…憎まれ役…。そして、真北…。真子を…親のように、時には、
恋人の…ように…な」
慶造の目線が違うところに移った。そこは、何もない。
「慶造…お前…何処を見てる?」
春樹の呼びかけに、慶造が、微笑んだ。
「…ちさとが…呼んでる…」
「慶造?」
慶造は、遠くを見つめていた。その表情は、やくざではなく、優しさ溢れる男の表情だった。
「おい、慶造! お前、どこを見てる? 慶造!! 慶造ぅ!!!!」
ピーーーーーーーー
心電図の波形が一直線になる。今まで表示していた数字もゼロになった。 それは、慶造の心臓が完全に停まったことを示していた。
「慶造ぉ〜〜!!!!!!」
春樹の絶叫が、病院内に響き渡った。
俺の夢…ちさとの夢…そして、真北…お前の……想い…。
真子が……俺の愛娘が……叶えてくれるさ……。
なぁ、…ちさと……。
その姿……見たかったなぁ……。
病室のドアが勢い良く開いた。そこには、真子が立っていた。
「真子ちゃん」
「お父様は?」
真子の言葉に、春樹は首を横に振った。
「うそでしょう? そんなこと、うそでしょう? …お父様!!」
駆け寄る真子。医者と看護婦は、そっと病室を出ていった。 真子は、慶造の横で、泣いていた。春樹が、真子の肩に手をそっと置く。振り返った真子は、春樹にしがみつき、わんわんと泣きだした。 声を上げて、泣いていた。 春樹の腕が、真子をしっかりと包み込んでいく。
慶造…任せておけ。……俺が…叶えさせてやる。
どんなことをしても…。
真子の肩越しに、臨終を告げられた慶造が見えていた。 春樹は、慶造の顔を見つめ続け、何度も何度も、心の中で叫んでいた。
この日、俺は、自分が守るべき、大切なものを、
失った。
(2007.10.5 最終部 任侠に絆されて (8) 改訂版2014.12.23 UP)
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