第三部 『心の失調編』 第九-m話 似合わないもの 自然が豊かな公園の片隅に二つのベンチが背中合わせに置いてある。 そこは、人気が少ない場所。 そこへ向かって歩く男の人が居た。ベンチに座り、ポケットから小さな本を取り出し、読み始める。 本を読み始めた男の人の後ろに、別の男が腰を掛ける。 「あのルート以外にも、あるんだろ」 「…あぁ。それは、下に」 本を読んでいる男性は、さりげなくベンチの下に手を当てる。そこに隠すように貼ってあった小さな紙を手に取った。そして、本の上で、その紙を見る。 「なるほどな」 「恐らく、帰りは、そのルートを通るだろうな」 「そうだな。…で、他には?」 「後は、京介に渡している」 「解った」 本を閉じた男性は、立ち上がった。 その時には、既に、後ろにいた男の姿は無くなっていた。 本をポケットに入れ、歩き出す男性。 人の気配を感じ、男性は、姿を消した。 ベンチに向かって、カップルが歩いていた。そこに腰を下ろし、寄り添い始めた。 まさは、自宅マンションの近くにあるスーパーにやって来る。食材を選んでいる時だった。 「そちらは、すでに冷蔵庫に入ってますよ」 「……先に買ってたんなら、言え」 「すみません、兄貴」 「まぁ、明日の分も用意しておくよ」 「そうですね。あっ、持ちますよ」 そう言って、まさが持っていた買い物籠を手に取る京介。 「…優雅と連絡取っていたんだな」 「はい。こちらの動きを察知しているようなのですが、 少人数での行動をするらしいですね」 「四代目の考えなら、そうなるだろうが」 まさは、牛乳を籠に入れる。 「はい。兄貴は、何を?」 「ルートの情報だ」 「それなら、既に…」 「それは、例の一本道だけだろ」 「はい。そこ以外には、道は無いようですよ。親分も…」 京介は、プリンを二つ、籠に入れた。 「親分に聞いた道は知ってる。しかし、あの組のことだ。逃げ道も あるだろうと思ってな、優雅に頼んでいたんだよ」 「その通りだったんですね」 「あぁ」 お総菜のコーナーにやって来る二人。しかし、ただ眺めるだけで、何も籠に入れなかった。そのまま、レジへと向かう二人。会計を済ませ、買い物袋に入れた後、スーパーを出てきた。 てくてくと歩き出す二人。 「授業は?」 「休みにした。ある課題の結果を出す為に時間をもらった」 「課題?」 「如何に素早く、出血を抑えた切り方が出来るか…だ」 「兄貴、それって、仕事になりませんよ」 「まぁな。標的の体で試すってことだよ」 「そう簡単にいきませんよ」 「解ってるって。標的は三つだろが」 「はぁ…そうなるでしょうが…。って、兄貴、お一人では…」 「その為に時間をもらったんだ。体力を残しておかないとな」 「私にも何か…」 「お前には、まだ無理だって」 「また、それを言うぅ〜」 少し怒ったような表情をする京介を、まさは、微笑ましく見ていた。 二人は、まさの自宅マンションの玄関をくぐっていく。そして、まさの部屋へと入っていった。 「では、いつものように、私が作りますよ」 「あぁ。頼んだ。俺は準備に入る」 「はっ」 まさは、寝室へ静かに入っていった。 京介は、料理を作り始める。 まさは、袖を捲り、腕に巻いている武器を取り外した。そこに納めている細いナイフを慣れた手つきで、くるくると回し、そして、手に持った。光にかざし、刃こぼれのチェックを始める。 その目、そして、醸し出す雰囲気こそ……殺し屋だった。 刃に当たった光が、まさの表情を照らす。 標的は……阿山慶造。 まさは、寝室を出てきた。ちょうど、テーブルに夕食が並んだ所だった。 「今日は豪華だな」 「もちろんですよ。いつも以上に張り切ってしまいました」 「何もそこまで…」 「兄貴と過ごす時間が増えた事への喜びですよ」 「ったく…いただきます」 「はい!」 まさは、静かに食べ始めた。 「…親分、どこで待機してるんだ?」 「別の場所におられるそうですよ」 「別の場所?」 「天川と湯川が、付いているそうです」 「二人が付くと、何をするか想像出来るよ。誰を狙ってる? 俺に大物を任せて…」 「阿山の姐さんですよ」 「まさか、血筋を狙ってるのか?」 「阿山組は、世襲制なので、狙えば途絶えます。そして、黒崎も…」 「確か、子供が居たよな。……狙うのか?」 「子供は、まだ、小学生ですよ。何も出来ませんって」 「俺は、小学生で、この仕事を身につけていたぞ」 「そうでした…」 「まぁ、親分が何をしようと、俺は何も言えないさ。俺は、俺の 仕事をするだけだ」 「…その…課題の研究ですか? そちらならお手伝い出来そうです」 「血を見るのが好きだな…京介は」 「兄貴に付いてから、慣れただけです。…そういう兄貴は?」 「未だに、慣れてないさ…」 そうだった…兄貴は、仕事の後…いつも…。 「京介」 「あっ、はいっ!」 「……塩…足りない…」 「す、すみませんっ!!! その、兄貴の体の事を考えて…その…」 「栄養学、勉強したのか?」 「はい」 「それなら、いいや。ありがとな」 まさは、優しく微笑んでいた。 「……!!! ありがとうございます!!!」 京介は、深々と頭を下げる。 「………京介…」 「はい」 「……何も、プリンに飾り付けしなくても…」 「駄目ですかぁ??」 がっかりしたような表情になる京介を見て、まさは、自分の言葉を反省する。 「ご、ごめん…。そんなに落ち込むなって。普通に食べても いいと思ったから…」 「少しでも、和めるかと思ったんですが……」 「和んでるよ」 まさは、微笑んでいた。 その微笑みこそ、『殺し屋』ということを感じさせない程、柔らかく、温かいもの…。 京介の心が弾んだのは、言うまでもない。 まさは、この時、京介の事を考えていた。 このまま、自分についていては、京介自身の何かが崩れてしまうだろう…と。 まさは、京介が飾り付けたプリンをスプーンですくい、口に運ぶ。 「なぁ、京介」 「はい」 「プリンも作れるか?」 「……次、挑戦してみます」 「あぁ」 そう言って、まさは、プリンをたいらげた。 まさと京介は、車でとある場所を走っていた。 その道こそ、標的が通ると考えられる道だった。少し走ると、天地が接触していた組事務所があった。その事務所の周りには、普通の家が並んでいた。 「…事務所近くは、やはり無理だな」 「はい。では、例の道を」 「あぁ」 京介は、アクセルを踏む。 車は、来た道とは、別の道を走り出した。 まさは、辺りをじっくりと見つめていた。 「京介、帰るぞ」 「はっ」 あの場所だな…。 後部座席に座る、まさは、目を瞑り、腕を組む。 「ここは、俺だけで充分だ。向こうの道は、仕掛ける準備をしておけ」 「はっ。では、今夜にでも」 「任せる」 車は、大通りに出る。そして、他の車に紛れ込むように走り出した。 あれが、天地組の殺し屋…原田まさ…か。 まさが乗る車を六つの目が見つめていた。 「兄貴、どうされました?」 まさのオーラが、がらりと変化したことに気付いた京介は、ルームミラー越しに、後部座席のまさを見る。 「いいや、何もない。…今夜も変わったプリンが出るのかと そう思っただけでな…」 「兄貴ぃ〜、それは、ないでしょう〜。昨日より、素敵な飾り付けを 考えているんですからぁ」 「楽しみにしてるよ」 まさは、ルームミラーに映る京介を見つめた。 京介は微笑んでいた。 「ったく…」 まさは、目線を移す。 車は、暫く走り続ける。 「兄貴」 「ん?」 「決して、無茶はなさらないで下さい。…兄貴は標的だけを…」 「いいや、今回は、周りも加えるよ」 「…兄貴…」 「阿山には、とんでもない男が付いているらしいな」 「とんでもない男?」 「噂は本当のようだよ。気を引き締めておけ」 まさの力強い言葉に、京介は身を引き締め、元気よく返事をする。 「はっ」 車は、まさの自宅マンションの地下駐車場へと入っていった。 (2004.4.28 第三部 第九話 続き M UP) Next story (第三部 第九話 続き H) |