第三部 『心の失調編』 第十三話 心の失調 橋病院の一室。 雅春は、ベッドの側に座り、一点を見つめていた。 「……ん………」 ベッドに寝かされている怪我人が目を覚ました。 「動くなよ。自分でも解るだろう?」 「…えぇ…。すみません…」 力を振り絞るように応えたのは、『仕事』で五分五分の闘いをし、致命傷に近い怪我を負った、まさだった。雅春によって、半ば強引に治療され、そして、今…。 「まだ一週間は安静だからな。何が遭っても動くな。背中まで達していた 刺し傷が動脈を傷つけていた。出血が酷かったのは、そのせいだ」 「解っております」 「胸の傷は、肋骨を傷つけていたぞ」 「そうでしょうね…」 まさは、そっと目を瞑り、あの光景を思い出す…。 倒れてもいいくらいの攻撃を与えたはずなのに、 それでも、不気味に口元をつり上げた『あの男』から、 一太刀を浴びた…。 「原田くん…」 意識を引き戻すように雅春が声を掛ける。まさは、目を開けた。 「…その傷…。通常の人間なら死んでも可笑しくないんだぞ。 どこで受けた? そして、どうやってここまで来た?」 「…覚えてません…」 素性がばれると思ったのか、まさは、嘘を付く。 「その手で、誰を傷つけた?」 雅春の言葉に、まさは、目を見開くほど驚く。 「体に付着していた血は、原田くんのだけじゃなかった。一人の血が 大量に、そして、別人のもの…数え切れないほどだったけどな…。 ……襲われたのか?」 「………ある意味、それに近いでしょうね…」 「そうか…」 雅春は立ち上がり、カーテンを開ける。眩しい日の光が病室に入ってきた。眩しさに目を細める雅春。 「橋先生」 「ん?」 「私が眠って、どれくらい時間が経ったんですか?」 「三日、昏睡状態が続いていた。もう諦めていたんだけどな。 だけど、何かに反応したように、戻ってきたぞ。……それは…」 雅春は、口を噤む。 親友の警察官・春樹から聞いた言葉を思い出していた。 意識が無いのに、体が反応する…攻撃や防御をする。 それは、鍛えた者か、元々備わっていた者に観られる動きだ。 ……殺し専門で生きる男のな…。 「…原田くん」 雅春は、背を向けたまま呼びかける。 「はい」 「俺……初めての面談の時に尋ねたよな。人の運命を変える自信が あるか……と。医者になるためには、その意気込みが必要だからな。 重体患者が運ばれてくる。神様が居るなら、その神様が決めた運命。 その患者の運命は、そこまでだった…と。しかし、医者は、それを 覆すくらいの意気込みで、その患者を治療する。例え、死んでいようが…。 まぁ、すでに死んでいる患者には、手を施しても無駄な時がある。 …それでも、その自信は必要だ…」 「えぇ…はっきり覚えてます」 「お前は、こう、応えたよな…。人の運命を変える自信なら、人一倍、 いいえ、それ以上…ここに居る誰よりも、持っている…と」 「はい」 「確かに、その意気込みは感じられた。…俺も期待している…お前の腕を。 ……これは、俺の勘違いなら、嬉しいんだけどな…」 雅春は振り返り、まさを見つめた。 「お前の自信……正反対の事に対するものだったのか?」 「橋先生……」 正反対……それは、『生』ではなく、『死』を意味する。 まさは、何も応えなかった。雅春は、大きく息を吐き、そして、まさの側に歩み寄り、脈を計る。 「……!!!」 雅春の腕を振り解こうと腕を動かした…つもりだったが、動かなかった。 「あぁ、悪い。想像できるんでな、抑制してる」 「想像って…」 「この傷で、ここまで歩いたんだ。…走ったと言ってもいいだろうな。 そんな人間は、動けるくらい回復すると、逃げるだろ。…そのつもりだろうが」 「…そ、それは…」 「誤魔化しても無理だぞ」 優しく語りかけながら、まさの診察をし、そっと布団を掛け直す。 「…回復力も凄そうだな。それは、元々なのか?」 「それは、解りません」 「原田くんが眠っている間、世間では凄い事件があったんだよ」 「凄い事件?」 「やくざの抗争だ。阿山組と天地組という二大組織が争ったらしいな。 怪我人だけでなく、死人も出たそうだ」 えっ…。 まさは、平静を装って、雅春に目線を移す。 「小さなナイフでの傷を負った者…そして、重体が一名。死亡者一名。 まぁ、どれも阿山組の者だけどな。天地組の一方的な攻撃だったそうだ。 阿山組は、守りに入っていたらしい。…まぁ、これらは、報道関係からの 情報だけどな」 「死亡者一名…とは?」 誰も、命を失った者は居なかったはず…。 阿山慶造は、猪熊に守られ、そして、小島が俺の前に立ち、 そして……そして…。 「犠牲は子供だそうだ」 「…子供?」 「抗争の場とは別の場所で狙われたそうだ。阿山組組長の息子。 まだ、小学生なのにな……」 …親分……まさか…。 まさは、体を起こそうとする。 「馬鹿、動くなと言っただろうがっ!!」 「…っつーー……」 体に激痛が走る。 「一週間は、我慢しろ。…その方が安心だろ」 「橋先生…お願いします…俺…行かないと…」 「駄目だ。…お前のことを心配しているのは、親分だけじゃない。 組の者も、そして、……俺もだ」 「…橋先生…もしかして…」 「俺は医者だ。それに、世間の情報も耳に入る。友人は警察官だ」 その言葉を聞いて、まさは焦る。 通報されている…。 その表情を雅春は見逃さなかった。 「通報してない。…それに、ここは、俺だけの秘密の場所だ。 誰も入れないようにしている。…医学の研究の為に親父に頼んで 造ってもらった場所だ。俺が引きこもっている間は、連絡もさせない。 安心しろ。だから、一週間は、動くな、起きるな。…いいな」 「俺のこと…俺の素性を…」 「…俺の想像だ。…解ったな、絶対に動くなよ」 獣を射るような目で言った雅春に、まさは何も言えず、ただ従うだけだった。 雅春はドアを開け、立ち止まる。 「…お前を失いたくないんだよ…。お前は良い腕をしてるからな。 ここも期待してるし…な」 頭を指さして、そう言った雅春は、静かに病室を出て行った。 まさは、安堵の息を吐き、目を瞑る。 俺…死んだ事になってるのかな…。 考える事は親分のこと…。 「…致命傷…か」 小島は、どうなんだろうな……。 道病院・道の事務室。 美穂が深刻な表情で一点を見つめていた。 「そうですか…」 「一命は取り留めたけど、斬られた場所が厄介でね…。相手は恐らく 人の体に詳しい人物でしょう。一太刀で相手を倒す…そんな腕を 持っていると言っても過言じゃないだろう」 道病院の道院長が、隆栄の容態を詳しく説明していた。 右腕、そして、右足の腱と神経を切断。そして胸部、腹部にある無数の裂傷。手術に携わった道院長の息子が手こずる程の怪我。それでも生きている…。 「それで…」 美穂が静かに言った。 「寝たきりになる可能性が高い」 「そうですね。…覚悟は出来てます。…隆栄が、あの仕事をすると 決心した時から。…こうなることは……」 声が震えていた。道院長は、美穂の心境を察する。手を伸ばし、そっと抱き寄せた。 「息子がな、神経の方を任せろと言ってる。だから、気にするな」 「…はい」 美穂は、流れた涙を拭う。 道院長は、手を離し、立ち上がった。 「慶造くんの方は、落ち着いたのか?」 「…ちさと姐さんが、誰とも会おうとしないらしくて…慶造くんも無理みたい」 「そうだろうな…。あれだけ、報道関係に叩かれたら、落ち着こうにも 落ち着けないだろうな…。…手を尽くしたんだが…」 道院長は、自分の手を見つめる。 俺も、引退か……。 「院長」 「ん?」 「慶人くん、ここに運ばれた時には、既に息を…それに、あの状態は 誰にでも無理だったと思います」 「解っていてもな…。ちさとさんの笑顔を失いたくなかった…」 「…私もです……」 美穂は、ICUへとやって来た。そこのベッドに居る隆栄の側にそっと腰を下ろし、頭を撫でる。 「隆ちゃんを倒すなんて、相手も凄腕だったんだね。…でも、相手は、 生きてるの? …その手で……」 その手で、命を奪ったの? 「…起きたら、一番に聞きたい事あるからね、隆ちゃん。 どうして、手を抜いたのか…って」 「…………知る……か…」 「…って、隆ちゃん!!! こわぁ……」 「こわぁ…って、……あ…の…な……」 隆栄は、隣に座る美穂を見つめた。そして、美穂の頬に流れる涙を拭おうとするが…右手は動かなかった。 「泣くなって」 「だって……だって……目を覚ました途端、話すんだもん…恐くて…」 「…あほ…」 隆栄は、微笑んだ。美穂は、その微笑みに安心したように笑っていた。しかし、その微笑みは急に哀しみへと変わる。 「美穂?」 「…隆ちゃんの手術中に……慶人くんが…」 「慶人くんが…どうした? ……阿山は無事なのか? ちさと姐さんは…」 「…隆ちゃんが闘っていた時に、天地組の組長が、ちさとちゃんの方を…」 「…何?」 「それでね、慶人くんが、ちさとちゃんを守って……銃弾に…」 「まさか…」 「亡くなった…。院長が手を尽くしたけど…もう……」 「ちさとちゃん……大丈夫か? 山中は何をしていた…」 「少し離れた隙を狙われたの。山中さんが、単独行動を取ろうとしたところを 修ちゃんが停めた」 「阿山が言ったんだな」 「ちさとちゃんが、停めたの」 「……誰よりも、行きたかっただろうな……」 「今は誰とも会おうとしないらしくて…」 「そっか…。……俺のせいだな…」 隆栄は、左腕で目を塞ぐ。腕の隙間から、涙が流れていた。 「遠慮するんじゃなかったな…」 「誰に?」 「原田に」 「…原田って、…あの…?」 美穂は聞いていた。 慶造が四代目を継ぐことになったあの事件。隆栄の父は、殺し屋・原田の一太刀で、この世を去った。その『お礼』として、隆栄は、東北に向かい、原田に目一杯、プレゼントをしてきた。その時に一つだけ手を止めたものがあった。 原田の息子の姿。 関係の無い幼子を殺すほど、怒りは頂点に達していない。見掛けた時、隆栄は、手を止めた。同行していた桂守に促されたものの、どうしても出来なかった。 桂守が隆栄を押しのけてまで、子供に刃を向けた。しかし、子供は目にも留まらぬ早さで、姿を消した。 その時の子供が、原田まさ……。 「あぁ…。面影があったからな…。まさか、父の跡を継いで、 天地組に居たとはな…」 「皮肉ね…」 「そうだな…。…少し、眠る。………栄三に気を付けろよ」 「解ってます」 「それなら……安心だ…」 隆栄は、眠り始めた。 美穂は、布団を掛け直し、ガラスの向こうを観た。そこには、栄三が、隆栄を見つめて立っていた。美穂が振り返っても、動かない。 栄三、あんた…何を考えてるの? 美穂は心配だった。 自分の大切な人たちの『心』が…。 これから、何が待っている…? しとしとと降っていた雨が、激しく降り始めた。 俯き加減で行き交う人々に紛れて一人の女性が歩いていた。 ズブヌレのまま、濡れた顔を拭いもせず、物静かに歩いているその女性は、片手に長い物を持っていた。 慶造は、資料室へやって来る。そこは、誰かが入った形跡があった。慶造は気になりながらも、棚にあるファイルに手を伸ばした。何かを調べ始めた時だった。 組員が駆けつける。 「四代目っ!! 大変です。姐さんが!」 その声に、慶造の表情が一変した…。 「状況は?」 車に乗り込んだ慶造が、修司に尋ねる。 「ほとんどが、壊滅状態です」 「まだ、残っているところは?」 「そちらに向かいます」 修司は、運転手の三好に指示を出す。 ちさと…間に合ってくれっ!!! 慶造は、祈っていた。 とある建物の前に立ち止まるその女性。 建物を見上げる姿はどこか、物哀しかった。 長い物の包みを取った。 そこに現れたもの。 それは、日本刀だった。 鞘を取り、そして、玄関先を睨み付けたかと思うと、勢い良く中へ入っていった。 女性が入って五分と経たない頃、慶造、修司、そして、勝司と三好の四人が何かを探すように走ってきた。女性が入っていった建物の前を通りかかる。 「四代目、これは!!」 修司が足下に落ちている日本刀の鞘を発見した。 「…ちさと!!!」 慶造達は、その建物に入っていく。その建物は、とある出版会社だった……。 「や、やめろぉ〜〜!!」 「きゃぁ〜〜!」 日本刀を片手に編集室の入り口で出版社の社員を睨み付けていた。 動けばすぐにでも斬りつけそうな雰囲気。 「やめろ、ちさと」 慶造が叫ぶ。 「あなた…。止めないで…」 「…どうしたんだよ、ちさと…お前らしくないだろ? お前が、そんなことをする必要はないよ」 「…あの子が死んだのは、私らのせい? 幼子を、 この世界に巻き込んで…? そんなそんなことは!」 今にも泣き出しそうな顔で、叫ぶ女性は、ちさとだった。 母の怒りは納まらない。 ちさとは、日本刀を振り上げた。 「!!!!」 「四代目っ!!」 床に液体が滴り落ちる音がする。 一滴、二滴と血が滴り落ちていた。 ちさとは、ゆっくりと振り返る。自分が振り上げた日本刀の刃に二つの手があった。その手は、しっかりと刃を握りしめている。 「あなた…」 慶造が、素手で刃を握りしめ、振り下ろされる所を停めていた。 慶造の両手から、血が腕を伝って流れ、床に滴り落ちていた。 「わかってる。わかってるよ…。だけど、もう、こんなことは、止めろ」 「ううぅぅぅ……。…あなた……」 ちさとは、慶造にしがみついて泣き出した。 側にいた修司が、慶造の両手に何か白いものを素早く巻く。しかし、血は止まることを知らないのか、白いものを赤く染めていった。 「…ということだ。それが、お前らの仕事だということは、わかっている。 だがな、あることないこと書く時は、人の心を考えてからにしろよ。 …命がいくつあっても、足りないぞ」 静かに告げた慶造。その体から醸し出されるオーラに、社員は身動きすらできなかった。 慶造達は、足下がふらつくちさとをしっかりと支えて、建物を静かに出ていった。表に待たせてあった車に乗り、去っていく。 「…母の怒りか。これ以上、あの報道はしない方がいいな。 特に阿山組に関してはな…。これだけで済んで良かった。 他の出版社は、暫く出版できない状態らしいな…」 「母の怒りより、あの組長の方が、恐かった……。俺……、 死を覚悟したよ…」 「そうだな……」 散らかった痕跡の中、社員達は呟いていた。 車の中。 ちさとは泣いていた。 慶造は、そんなちさとを優しく抱き寄せる。 ちさとのすすり泣く声が、車内に響いていた。誰も口を開こうとしない。掛ける言葉すら見つからない。 山中達は、ちさとの気持ちが痛いほどわかっていた。 日頃から、命の大切さを言っていたちさと。 憎い敵でも命を持っている。命を奪うような事は絶対にするな。 そう言っていたちさと。 そのちさとが、自ら、にくい奴らの命を奪いかねない行動を取ってしまった。 それ程、自分を見失っていたのだろう。 「…ごめんなさい……」 ちさとが、呟くように言った。 「いいんだ。…ちさと、お前がやらなかったら、…俺がやってるよ」 「…ごめんなさい…」 ちさとは、ただ、謝るだけだった。 慶造は、ちさとを力一杯抱きしめた。 …あなた……? 慶造の心が、ちさとに伝わった瞬間だった。 慶造は、何を考えたのだろう…。 橋病院・一室。 雅春はドアを開けて立ちつくす。 「あんの…馬鹿が…。あと三日くらい、待てないのかっ」 ベッドで寝てるはずの、まさの姿が見あたらない。ロッカーを開ける。 そこに入れてあった、まさの私物は無くなっていた。 「あの傷じゃ、まだ動けないだろうが…ったく。……でも……」 カーテンを開け、空を見上げる雅春。 「戻ってくるのかな…」 空は、憎たらしいほど澄み渡っていた。 まさは、借りているマンションの玄関までやって来た。痛みで顔が歪んでいる。 「くそっ…まだ……出来ないよな…」 玄関の側にある花壇に腰を掛けて座っている男性が、ふと顔を上げる。 不安そうな表情が、一変して明るくなった。 「兄貴っ!!!」 「…京介?」 「兄貴、…兄貴、今まで何処に居たんですかっ!!」 京介は駆け寄り、まさに一礼する。 「京介は、無事だったんだな……」 「…!!! 兄貴?」 ふらつくまさ。それに驚いた京介は素早く手を出し、まさの体を支える。その時、まさの体の異変に気が付いた。 「もしかして、兄貴…」 「今まで、拘束されていた」 「えっ? まさか、拷問を? 阿山組の連中…」 「いいや、違う…橋病院の橋に…だよ」 「…は、はぁ?」 「取り敢えず、ここから引き上げるぞ」 「その体では、本部まで帰るのは難しいですよ。暫くは、ここで。 部屋に入りますよ」 「…あぁ」 京介は、まさの体を支えながらマンションの玄関を入っていく。 まさの部屋。 寝室のベッドにドカッと座り、寝ころぶまさ。京介は、まさの服を急いで脱がせた。そこには、包帯が巻かれ、そして、血が滲んでいる。 「兄貴…血が…」 「一応、セットは手にしてる。上着のポケットの中だ」 京介が上着のポケットを探ると、そこには医療品がたっぷりと入っていた。 「……兄貴、これ、窃盗…」 「大丈夫。橋には許可をもらってきた」 抑制を外した時点で、抜けても良いってことだよなぁ。 でも、医療品は…駄目かな…。 まさは、フッと笑みを浮かべた。 「兄貴?」 「ん? あ、あぁ。橋がな…俺の正体に気が付いていながらも、 黙っててくれた」 「…兄貴、呼び方が変わったように思えますが…。橋…って」 「俺が動けない事を良い事に、根掘り葉掘り聞いてくるからだ」 「この傷は…」 日本刀が体を突き抜けた跡、そして、裂傷。それらをじっくり見つめる京介。目にしただけで、まさの傷の酷さが解る。京介は、手当てをし始める。 「小島だよ。あいつ…俺に負い目があるのか、手加減して、急所を 避けて突き刺した」 「それでも、何もここまで…」 「京介」 「はい」 「俺が、やられっぱなしだと思うのか?」 「えっ、それでは…」 「重体が一名いるんだろ。それが、そうだろうな。…それと、京介」 「は、はい」 急に低くなる、まさの声に、京介は身構える。 「親分…手を下したのか?」 「…そうです。…狙ったのは、姐さんだったんですが、子供が…」 「そうだよな…親分が、子供に手を下すわけないよな…」 俺を育ててくれたんだからな…。 「兄貴…」 「…暫く…寝る」 そう言って、まさは、布団に潜り、眠り始めた。 京介は暫くの間、まさを見つめ、そして、寝室を出て行った。 まさが、マンションに帰って来てから半日が経った真夜中のこと。一人の男性が、まさのマンションを尋ねてきた。京介は、そっとドアを開け、尋ねてきた男性を見つめる。 「原田くんは、こちらに?」 「…あんた、誰だ?」 「これ」 男性は、箱を手渡した。 「もう、戻るんだろ? それまで持つはずだから。それと、いつでも 相談してこいと伝えてくれ。じゃぁな。いつまでも待ってるぞ」 男は去っていく。手にした箱を見つめる京介。まさが、ここに住んでいる事を知っているのは、組の者と、その関係者だけ。そして、まさが通った大学の関係者だけ。 京介は、恐る恐る箱を開ける。 そこには、医薬品が、たっぷりと入っていた。 「橋病院……って、あの人が橋先生…。本当に兄貴の素性を 知ったんだ……。…!!!」 振り返ると、まさが立っていた。 「兄貴、起きては…」 「誰か来たのか? …その箱…。もしかして、橋?」 「橋病院と書かれた薬が入ってます。本部に戻るまで持つだろうと」 「そうか…」 「いつでも相談してこい、いつまでも待ってるぞと…」 「……俺にどうしろってんだよ…」 まさは、照れたように笑みを浮かべていた。 阿山組本部。 窓の外を煙が立ち上っていく。部屋で考え事をしていた慶造は、素早く窓に寄り、外の様子を見つめた。 「…ちさと…?」 慶造は、煙が立ち上がる場所へ向かう。 庭の中央で、煙が立ち上り、その前では、ちさとがしゃがみ込んでいた。側に置いている箱に手を入れ、何かを取り出し、それを煙の中に放り込む。 「……ちさと、何を燃やしてる?」 「見てるだけで、辛くて…」 慶造に背を向けたまま、ちさとが応える。慶造はそっと近づき、箱の中を覗き込んだ。 子供のオモチャに服、そして、教科書や写真など…。 それらは、慶人の物。 「どうして、あの子は…私を守ろうとしたんだろう…」 「…大切だからだよ。…ちさとだって、そうしたろ?」 「えぇ」 ちさとは、写真を手に取り、じっと眺める。何かを思い出しているのか笑みを浮かべた。そして、火の中へ放り込む。 写真は、角から燃え始め、そして、燃え尽きる。 それを見ていた慶造は、ちさとの隣に座り込んだ。 「なぜ、燃やす?」 「…私が、耐えられない。…父と母が亡くなった時は、山中さんが 全てを砕いた。だからかな…。あまり激しく哀しみに包まれなかったのは。 それと、あなたが居たから。山中さんの時もそうだった。…山中さんは 私に心配させないようにと微笑んでいた。…だから、心は落ち着いていた。 だけど…」 最後に残った一枚の写真。それは、亡き息子の慶人が輝く笑顔で写っているもの。 慶造は、それを手に取り、見つめた。 「ちさとにそっくりだな」 「あら、あなたにそっくりですよ。この目の辺りとか」 「口元は、ちさとだよ。…鼻は、二人を足して、二で割ったかな…」 「そうかしら…」 ちさとは、微笑んでいた。それにつられて、慶造も微笑む。 「…どうしても…?」 慶造は炎にちらりと目をやった。 「あなたの心と私の心…そして、慶人に関わった人たちの心に 居るから。…だから、それだけでいい」 「……そうだな…」 慶造は、手にした写真を炎に放り込む。 笑顔は炎の中へと消えた……。 「ごめんなさい…」 呟くように、ちさとが言った。 慶造は、何も言わずにちさとを抱き寄せる。 「ちさとは、悪くないよ」 悪いのは、俺だ…。俺が、のんきに構えていたから、小島まで…。 慶造は、心に決めていた。 二度と哀しませない。その為には、手段は選ばない…と。 そして、 ちさとも心に決めていた。 もう、誰も失いたくない…。その為には………。 二人の想いが、今、世界を動かし始める…。 (2004.5.20 第三部 第十三話 UP) Next story (第三部 第十四話) |