第三部 『心の失調編』 第十四-a話 届け、『隆』の声。 慶造は、縁側に座り、煙草を吸っていた。 柱にもたれ、空に輝く月を見つめていた。 「ふぅ〜〜」 煙草を指に挟み、煙を大きく吐く。 心は和んでいた。 ちさとが歩み寄る。 「ちさとが言ったのか?」 慶造は、振り向きもせずに尋ねた。 「あなたが無茶しそうだから」 「…無茶しないと…。これ以上、哀しい思いをしたくないからな」 慶造は煙草をもみ消した。 「私は、もう、誰も失いたくないの…。だから、あなた…」 ちさとは、慶造を後ろから抱きしめた。 「ん?」 ちさとの手に手を添える慶造。ちさとの手は冷え切っていた。 「冷えてるじゃないか。風邪引くぞ」 「あなたこそ…」 「俺は、もう大丈夫だから」 「…うん」 ちさとは、慶造の隣に座り、もたれ掛かる。 「オムライス…。ちさとも食べたのか?」 「…うん」 「心…和んだよ。流石、笹崎さんだな」 「えぇ」 「あっ、そうだ。明日から、笹崎さんの所で、お手伝いしてあげてくれるか?」 「料亭、お忙しいんですか?」 「どうも客が途切れないらしくてな。笹崎さんも笹崎さんだよ。腕が良いからって 料理人を独立させるから、接客に人手が足りなくなってしまうんだよ…」 「笹崎さんの御指導が良いからでしょうね。私…できるかしら…」 「出来るよ」 慶造は、新たな一本を取り出した。その手をちさとが止める。 「もう、吸わないで下さい。体に毒ですよ」 「…そうだな…最後の一本」 「ったく…」 ちさとが手を離すと、慶造は、口にくわえて、火を付けた。 「…ねぇ、あなた」 「ん?」 ちさとは、空を見上げた。 「月……綺麗ですね」 慶造も、空を見上げる。慶造が吐き出した煙が、空に向かって立ち上っていく……。 「そうだな」 慶造は、静かに応えた。 道病院。 隆栄は、一般病棟に移された。しかし、体は未だ、自由に動かす事が出来ないでいた。この日も妻の美穂が付きっきりとなっていた。 「だから、いいって。岩沙が来るんだからさ」 「……患者が居ない時は、付いてていいって言われてるもん」 「なんや、仕事にならんのか?」 美穂は、そっと頷いた。 「ったく」 嬉しいやら、心配やらで、隆栄は、目を反らす。 「その後、阿山は、どうや?」 「あの日、慶人くんが、覚えたオムライス…食べたけど、それでも…」 「急速に走り出したってとこだな」 隆栄は、ため息を吐く。 遠慮したからか…。 左手を見つめる隆栄。その手をギュッと握りしめた。 「隆ちゃん」 「ん?」 「慶造くん…大丈夫かな…」 「命に関わる前に、厚木たちが手を下してるんだろ」 「そこまでは、解らない。でも、慶造君、怪我はしてないけど…」 「…何か、あるのか?」 「飲む量…吸う量が増えたの。それに、修司くんを離してる」 「はぁ? なんで、猪熊を側に置かない? それに、猪熊も離れてるのか?」 「恐らく、子供達の事を考えてるんだと思う」 「身内を失う悲しさを誰にも……ということか?」 「多分ね…」 「阿山らしいな。…俺が動けるなら…」 「それでも、同じ事してると思うよ」 「俺まで突き放すってことか?」 「うん」 「そっか…。それなら、好きにさせとけ」 「隆ちゃん?」 慶造に対する思いが急に変わった隆栄。それには、美穂も驚いていた。 「更に頑固になってるんだったら、悔いるまで、好きにさせとけばいい。 少し立ち止まって、考える事…昔、言ったのにな。治らないんだな」 「私に出来る事…ある?」 美穂の言葉には、『隆ちゃんの代わりに』という意味が含まれている。 「優しく見守ってくれるだけでいいよ」 隆栄が静かに応えた。 「解った」 美穂のポケベルが鳴る。 「急患だ…」 「阿山じゃないよな」 「それなら、誰かが駆け込んでくるって」 「そうだよな…。じゃぁ、無理せん程度にがんばれよ」 「ありがと。たいくつだろうけど、動こうとしたら、駄目だからね」 「いっつも念を押すな。ほら、早く行け」 「はいはい」 愛想のない返事をして、美穂は隆栄の病室を出て行った。 隆栄は、美穂が居なくなると同時に、体の力を抜いて、天井を見つめた。 たいくつだな…。 動くなと言われたものの、動かしたくなる隆栄。 右腕を動かそうとする。 「………………くそっ!」 全く動かない事に苛立ちを見せて、壁を左手でぶん殴った。 病室のドアがノックされる。 『岩沙です』 「おぅ、入れ」 「失礼します」 岩沙が病室に入ってくる。 「あっ、小島さん、起きては…」 岩沙の声を聞くと同時に体を起こそうとしていた隆栄。 「少しずつ、練習しないとな」 岩沙は、急いで手を差しだし、隆栄の体を起こした。 座るのも難しい隆栄は、壁にもたれかかり、岩沙を見つめた。 「報告は?」 「はっ。今日の四代目の行動は……」 入院中でも、慶造の事を影で支えようとしている隆栄。 岩沙から、朝夕の二回、慶造の行動の報告を受けていた。 月が輝く夜中。 隆栄の病室を一人の男が訪ねてくる。 まるで、気配を感じさせないような動き。それでも隆栄には解っていた。 「お加減、どうですか?」 「…少しまし。だけど、思うように動けないな…。岩沙から、報告受けたけど、 やはり、阿山は無理してる? 今日も激しかったらしいね」 「えぇ。厚木が、楽しむように撃ちまくっただけですけど」 「試作品だろうな」 「恐らく」 男は、隆栄の側に腰を下ろした。 「四代目に報告しておきました」 「いつもありがとう」 「気にしておられましたよ。入院してるんだから、俺の事に気を遣うな…と」 「体は動かないけど、頭は働くからね。それに、口も…。…いつもありがと」 「隆栄さんらしくありませんよ」 「俺の仕事まで引き受けたら、更に忙しくなったじゃありませんか、桂守さん」 隆栄は、優しい声で名前を呼んだ。 「隆栄さんに化けてるので、いつも以上に動きやすいですよ」 笑顔で応える桂守。 「それにしても、そこまで、似るもんですか? もしかして…」 「えぇ。その昔、変装もしてましたからね」 「…知らなかったなぁ。私の知らない事、多そうですね」 「知って得するような事じゃありませんから」 「……それで、例の動きは?」 「恐らく、向こうも腕を失ったようですから、暫くは動かないでしょう」 「…原田は?」 「天地組に戻ってますよ。そこで、養生するんでしょうね」 「組では、無理だろう? あの組の連中、血気盛んだからな」 「山の方に行くんじゃありませんか? …それにしても、どうして…」 「また、聞くんですか? 気になるじゃありませんか」 「隆栄さんをここまで傷つけた奴だけは、許せませんよ。…やはり、 あの時に…」 「桂守さん。…もう、あの時の話しは止して下さい」 「すみません」 「原田の素早さは、本当に凄かったんですから。桂守さんでさえ 見失ってしまった程…」 「そうでしたね…」 静けさが漂う。 そんな中、救急患者が到着したのか、サイレンの音が響き渡っていた。 「阿山…」 「ちゃんと部屋で寝ておられますよ」 桂守は、隆栄の言葉を遮る。それには、隆栄もふくれっ面に…。 「急患が到着するたびに、申されてますから」 「心配だろが」 「それなら、早く動くようになってください」 桂守の厳しい言葉。 隆栄の表情が暗くなる。 「解ってるよ……でもな…。まさか、ここまで…」 「隆栄さん」 「ん?」 「その傷で、生きているんですよ。そして、このように話せるんですから。 それだけでも、凄いことです。だから、少しずつで構わないですよ。 焦っていては、それこそ、復帰に時間が掛かりますから」 「……そうですね。…天地組は、原田復帰と同時に、再び仕掛けてくる 可能性があるからな。それまでに、俺が復帰しておけばいいってことか」 「なんだか、復帰して欲しくありません…」 「なんで?」 「今まで以上に、恐ろしくなりそうですから」 「……あのなぁ〜」 隆栄の雰囲気が少し明るくなった。それを見て、桂守は微笑む。 「ったく。……本当に、お願いします」 「隆栄さん…」 隆栄は、体を少しだけ起こし、頭を下げていた。 「頭…上げてください。隆栄さんを支える。…それが、私の仕事ですよ」 桂守は、隆栄の肩に手を当て、優しい言葉を掛けていた。 「無理だけはしないように」 「心得てますよ。…っと、それと、栄三さんのことですけど…」 「まさか、また、女を泣かしたんじゃないだろな…」 父親に変わる。 「…いいえ、その………改心しております」 「…はぁ〜?!????」 小島家にあり得ない言葉を聞き、隆栄は、突拍子もない声を張り上げた。 「どうやら、四代目の言葉で、反省したようです」 「…阿山の言葉なら、聞くんかい…栄三のやろぉ〜」 「それと………。すみません、今日はこれで」 「あぁ」 桂守は、窓を開け、そこから飛び降り姿を消した。 隆栄が布団に潜り込むと同時に、病室のドアが開く。 美穂が、そっと顔を覗かせていた。 「隆ちゃん、起きてるん?」 先程張り上げた突拍子もない声を聞いて、美穂が駆けてきたのだった。 「隆ちゃん?」 美穂は、そっと病室に入り、隆栄の側に寄る。 隆栄は、寝息を立てて眠っていた。 美穂は、隆栄の右腕を握りしめた。 「隆ちゃん…もう、感じないよね…。無理だって言われたから…。 でも、動くから…だから………」 美穂は、隆栄の右手にそっと唇を寄せた。 美穂ちゃん……。 美穂が言うように、隆栄は、美穂に握りしめられている感覚は無かった。 この腕で抱きしめたいのに、出来ないもどかしさ。 隆栄は、美穂が病室を出て行くまで、寝たふりをしていた。 その夜、隆栄は一睡もせず、朝を迎える。 「…朝……か」 動けなくなってから、何度目かの朝。その日も朝の挨拶代わりに気持ちを送る。 …無茶するなよ…俺が、復帰するまで……、なぁ、阿山。 慶造は、この日も敵対する組事務所へ向けて出発する。 本部の玄関先で、車に乗り込もうと身をかがめた慶造は、何かに呼ばれた気がして、振り返る。 小島? 「四代目、どうぞ」 「…ん、あ、あぁ。…今日は、控えてくれよ、厚木」 「場合によっては、解りませんよ」 「ったく…」 慶造は、車に乗り込んだ。 組員達の大きな声と共に、車は本部を出発した。 (2014.2.20 第三部 第十四話 続き UP) Next story (第三部 第十五話) |