第四部 『絆編』 第三話 奴らか弟か 橋病院・雅春の事務室 春樹は、口に含んだお茶を吹き出してしまった。 「って、あのなぁ、真北っ! 汚すなよぉ」 濡れた場所を拭きまくる雅春。 「すまん。…本当に進出かよ。驚いた」 「親父が張り切ってるんだって。で、夏には開業」 「そっか。…おめでとな」 目出度い話なのに、少し寂しそうな表情をする春樹。そんな春樹を見て、雅春は、心境を悟っていた。 「そう寂しそうにするなって。俺は、ここの院長になるんだからさ」 「……ここの院長?」 「あぁ。親父が、大阪に開業する総合病院の院長になるからさぁ、 こっちの院長が居なくなるだろ。だから、俺」 「お前が院長ねぇ〜。驚きだよ。……大丈夫なのか?」 「あのなぁ。それは肩書きだけだって。俺はあくまでも、お前の外科医」 「はいはい」 呆れたような、嬉しいような表情で返事をする春樹だった。 「さぁてと」 そう言って立ち上がる春樹の腕を、雅春は、がっちりと掴み、 「さぁてと…じゃないっ!! 痛み止めっ」 春樹の手に、しっかりと薬の袋を握らせる。 「ありがとな」 「暫くは、動かすなよ。ぱっくり口を開けるからな」 「いつもの事だ、解ってるって。じゃぁなぁ」 と言って、春樹は事務室を出て行った。 「…ったく…。張り切るなって」 雅春は、湯飲みを片づけながら、呟いた。 春樹は車に乗り込み、急発進させる。 向かう先は………。 阿山組本部前。 組員や若い衆の声と共に門が開き、高級車が四台出て行った。 車が見えなくなるまで頭を下げていた組員達は、頭を上げると同時に、緊張な面持ちへと変わる。 辺りを警戒している。 見ただけで解る表情だった。 「ふぅ〜〜」 春樹は、煙を吐き出した。そして、再び窓の外を見る。 「先輩、お茶です」 「…ん」 春樹は、阿山組の様子を伺うために、週に三度、後輩刑事・富田司の自宅へと足を運んでいた。 引っ捕らえていくやくざ達の九割が阿山組系の組の傘下に所属する組員だった。そして、噂に聞く 『銃器類を体の一部のように扱う奴ら』 その言葉を聞く度に、春樹の何かが反応する。 それに導かれるかのように、行動をする春樹。 春樹は、司が差し出したお茶に手を伸ばし、窓の外を見つめながら、一口飲む。 「先輩、阿山の四代目が外出したのなら、今は動かないと思いますよ。 むしろ、四代目の出先を張った方がよろしいかと思います」 「解ってるよ」 「それなら、なぜ…」 「組員の様子を見れば、自ずと組長の力量が図れるからな」 「そうですが、阿山組の組員は、本部では滅多な事では 本性を現しませんよ。どこかの組が襲ってくるとか…」 「そうならないように、組長が外出して暴れまくってるんだろ?」 既に解ってるというような言い方をする春樹を見て、司は、口をポカァン……。 春樹は、振り返る。 「…なんちゅー顔してるんだよ…」 「はへ?! …あっ、すみません。その…先輩の事が解らなくて…」 「ん?」 「既に、阿山組の事を解っておられるのに、こうして、私の部屋から 様子を伺っておられるので…」 「まぁ、その確認の為でもあるし、それに、もしもの時に備えての 行動だよ。乗り込む事があるときに、解っている方が、動きやすいだろ? その為でもある。……それに…」 「それに?」 「ここ、居心地が良いんだよ。…なんでだろうな」 そう言う春樹の表情は、とても温かかった。 「先輩……ありがとうございます」 春樹の言葉に思わずお礼を言って、深々と頭を下げた司だった。 春樹の車が富田家から去っていった。司と父は、車を見送った後、家の前で立ち話を始める。どうやら、春樹の事を話している様子。 「こんばんは」 「こんばんは」 声を掛けられ、司と父は反射的に応える。 「今日も素敵な天気でしたね。夕食は、どうされますか?」 「ちさとさん。今日は…」 声を掛けてきたのは、ちさとだった。ちさとの側に居る大人しそうな男性も頭を下げる。 この男性。料亭の料理人で、元笹崎組の組員。ちさとが外出する時には必ず、側に『護衛』として、付いているのだった。 ちさとと司の父は、親しく話し始める。 「富田さんの奥様、退院されたのですか?」 「いいえ、あと一週間掛かるそうです」 司が応える。 「笹崎さんは、奥様から頼まれているそうですから、いらっしゃいね。 お待ちしておりますから」 「は、はぁ……。では、今日もお世話になります」 父が頭を下げた。 「では、失礼致します」 素敵な笑顔で、ちさとは阿山組本部の隣にある高級料亭・笹川へと入っていった。 「………。ちさとさんって、確か、四代目の奥さんですよね」 司が首を傾げる。 「あの事件以来、四代目が普通の暮らしをさせようとしてるらしいよ。 元は、俺達と同じ一般市民だったらしいからね」 「それなのに、どうして、極道の妻なんかに?」 「…司」 「はい」 「お前、好きな女性は居ないのか?」 「居ませんよぉ。恋愛よりも仕事です。…そうじゃないと…」 真北先輩に怒られる…。 「仕事一筋…か。…それじゃぁ、解らないよな」 「…?!??」 「ちさとさんが、四代目を選んだ理由だよ」 「はぁ……」 司はため息を付いた。 「さぁてと。ちさとさんも、おっしゃったことだし、今夜もお世話になろうか」 「そうですね。料亭・笹川の料理は明日の活力になりますから。 明日も、バリバリと働きます!!」 「こりゃ、真北さんが嘆きそうだな」 「親父ぃ〜〜」 楽しそうに話しながら、司と父は、組員が見張る阿山組本部の前を通り過ぎ、隣の料亭へと入っていった。 司と父が料亭の暖簾をくぐると同時に、慶造が乗った高級車が本部へと帰ってきた。 組員と若い衆の出迎えの中、慶造は、屋敷の玄関をくぐっていった。 「ちさとさんは、料亭です」 「解ってる。それより、何もなかったか?」 慶造を迎えに出てきた組員が玄関で慶造に伝える。 「いつものように、例の刑事が富田家から本部の様子を伺ってました」 「そうか。ということは、乗り込んでくるだろうな」 「取り敢えず、武器類は隠しております」 「あぁ。全ては厚木に任せておけ」 「はっ。それと……」 「ん?」 言いにくそうな表情で、ちらりと上目遣いになる組員。その表情で、何を言いたいのかが解った慶造。 「知らん」 冷たく応えた。 「あぅ、それは、私が困ります」 「こっちが困るっ! 怪我が完治してないのに、足手まといになるだろが。 それくらい、お前も解るだろ?」 「それをおっしゃらないで下さいぃ〜。私は申しましたよ。だけど、その…」 「………あがぁ、解った解った。で、小島は自宅か?」 「はい。退院して、自宅療養だとか…。先程、美穂さんが来られて、 そうおっしゃった後、直ぐに帰宅されました」 「おぉい、修司」 「あん?」 幹部達に指示を出していた修司が振り返る。 その目は、怒っていた……。 あちゃぁ〜、忘れてた…。俺、無茶して、怒らせたっけ…。 ぽりぽりと頭を掻く慶造は、気にしていないという雰囲気で修司に話しかける。 「小島家に向かう」 そう言いながら、再び靴を履く慶造。 「はぁ? 小島家っつーても、小島は…」 「退院したんだとよ。あんにゃろ、まだ、歩けないはずだろ? それなのに、 何を考えて…」 「お前のことだろが」 冷たく言った修司。 その言葉に、その場に居る幹部や組員、そして、若い衆の動きが停まる。 やはり、四代目と小島さん…。 脳裏に過ぎる、妙な考え。慌てて首を振る。 「…………てめぇら、何を考えた? あ?」 「あっ、いいえ、その……あの!!!」 慶造の拳を受ける覚悟を決めた瞬間…。 「さっさと乗れ」 慶造の襟首を掴んで、車の後部座席に放り込む修司。修司は運転席の周り、素早く乗り込んで出発した。 車は本部の門を出て行った。 その場に残った幹部や組員達は呆気に取られたように、呆然と立ちつくしていた。 「………川原親分、一体何が…?」 先程、慶造に報告した組員が尋ねてくる。川原は、大きく息を吐いて、そして、静かに言った。 「ご無事なんだけどな、四代目……。敵の攻撃から猪熊さんを守ってだな…」 「そうでしたか…」 怒るに決まってる……。 組員達は息を吐く。…それは……、 はぁ〜。明日の稽古……激しいだろうな…。 という想いから……。 「だから、修司」 「うるさい」 「あの場合は、自然と体が動いたんだって」 「うるさい」 「あのな……」 「何度も言わせるな」 修司の返答は冷たい。 「ちっ…」 慶造は、ドカッと背もたれにもたれかかり、外を見る。 「………悪かった」 消え入るかのような声で、慶造は言った。 修司は、ルームミラーで慶造の表情を伺う。 寂しげな表情をしていた。 その表情を見ただけで、慶造が何を考え、自分を守るような行動に出たのかが解る修司は、静かに応える。 「慶造は悪くない。…俺自身が腹立たしいだけだ」 「なぜだよ」 「お前に守られてしまったからな」 「だから、あの場合は……」 「…もう…」 慶造の言葉を遮るように強く言う修司。 「…もう、俺を守ろうとするな。自分の事だけを考えろ。それに…。 俺は自分で自分を守る事が出来るからな」 「修司…。俺だって、自分で守れる」 「お前は四代目で、俺は、側近でもあり、ボディーガードでもある。 お前を守る立場だ。そして、お前は、守られる立場。解ってるのか?」 「解ってるよ。だけどさ…」 「死なないさ…」 修司は、ルームミラー越しに慶造を見つめ、優しく微笑んだ。 「お前より、先に死んだりはしないから」 修司の言葉に、慶造は照れ隠しに目を反らし、そして、呟くように言う。 「…聞き飽きたよ…」 車は、小島家の前に到着する。丁度、小島家の次男・健が玄関先に立っていた。 少しふてくされている。 慶造は車を降り、そして、健に歩み寄った。 「どうした、健ちゃん」 「…四代目……」 震える声で健が言った。 「…小島…帰ってきたんだろ?」 健は頷く。 「なのに、何を寂しそうにしてるんだよ」 慶造は、健の前にしゃがみ込み、そして、見上げる。 健の目から、大粒の涙が落ちた。 「親父……反対だって……。俺が、お笑いの世界に入る事…。 修行のために家を出ると言ったら、…怒られた…」 「今日、話したのか?」 「うん」 「時期が早かったなぁ。今日は、退院おめでとうと言うべきだろ?」 「……!!! そうだった。…俺…まだ、言ってない…」 「そりゃぁ、小島も怒るよ。ほら、一緒に入ろう。俺からも言ってやるから」 健の肩に優しく手を置いて、一緒に小島家に入っていった。 「おい、小島」 「…よぉ〜四代目。どうされましたぁ?」 いつものおちゃらけた口調で隆栄が玄関までやって来た。 それも、自分の足で歩いて……。 「小島…お前……」 慶造は驚いたように目を見開いていた。 車を停め、遅れて小島家にやって来た修司も、隆栄の姿を見て、思わず引き下がる。 「何を驚いてるんだよぉ。ちゃんと、ほれ、この通り」 「お前、歩けない程の重傷だって…」 「それがなぁ、道先生の息子さんの腕で、この通り治ったんだよ。 歩けるけどな、前ほどの動きは、まだまだ。すまんな、猪熊。 暫く、若い衆の稽古は、お前一人で頼んだよ」 「それは…気に……しない……って」 恐る恐る声を発する修司。 「あのなぁ、まるで幽霊でも見たような顔をするな」 「その姿に驚いただけだ。…美穂ちゃん、ここまで回復してるなら、言ってくれ。 心構えが出来ない…」 奥から顔を出した美穂に慶造が嘆く。 「私だって、信じられなかったんだもん。今日退院するしか聞いてないし、 それに……訓練してたなんて、道先生言わなかったから…」 「……なぁ、美穂ちゃん」 慶造が言う。 「ん?」 「何も…してないよな」 「何に?」 「その……道病院で…」 「それはないわよぉ。勤務先での暴力は駄目でしょぉ。だから……」 美穂が指を差した所に、小島家の長男・栄三が立っていた。 それも、頬を腫らして……。 「………美穂ちゃん……それ…」 「栄三だけが知ってたからね」 そう言う声に怒りが籠もっている美穂。栄三は恐縮そうに首を縮めていた。 「こわぁ〜」 慶造と修司が呟いた。 「…で、小島」 「あん?」 「健ちゃんが言いたい事あるって」 「さっき聞いた。俺は反対」 父親の威厳が醸し出す。 「退院…おめでとうございます」 深々と頭を下げながら、健が言った。その言葉を聞いた途端、隆栄の表情が一変する。 「おぅ、ありがとな。…で、阿山、何の用事だ? 情報か?」 「違う。お前の姿を見に来たんだよ」 「無理して退院と思ったか?」 明るい表情で言う隆栄に、乗り込んできた慶造は、いつもの穏やかな表情へと変化する。 「そうだよ。…でも、違うんだな。安心した」 「ありがとさん。明日から、バリバリ働くからなぁ。いつもの通り、 俺に任せておけよ、四代目」 「それは、させない」 「えぇ〜、どうしてぇ〜。せぇっかく張り切って退院したのにぃ〜」 まるで、わがまま・だだっ子のような言い方をする隆栄に、慶造は、いつもの如く……。 「もぉえぇ」 呆れ返ってしまう。 いつもの阿山だ…。 慶造の表情を見て、更に安心する隆栄だった。 「ご飯食べてく?」 美穂が言った。 「いいや。本部に戻るよ。俺、反省しないと駄目だからさ」 「阿山ぁ、また、猪熊を守る体勢に入ったのか?」 「まぁ…な」 「程々にしとけって」 「だからぁ、反省してるって言ってるだろが」 思わず怒りの口調になる慶造だった。 慶造と修司が帰った後、美穂と隆栄は、リビングで珈琲を飲みながら、話し込んでいた。 「隆ちゃぁん、本当に復帰するつもりなの?」 「あぁ。俺が休んでいた間、阿山の奴、無茶ばかりしてただろ。 それを停めないとな。…猪熊でさえ、阿山を停められない状態だというし…」 「………以前のように、動けないんでしょ? さっきは、無理して歩いて…」 「阿山が心配するだろが」 「解ってるけど、程々にしてよねぇ。無理をして、治るものも 治らなくなるからさ…」 美穂は、ICUでの隆栄の姿を思い出していた。 「それに。栄三が何をし始めるか解らないしな」 「慶造くんに刃を向けたらしいから…」 「慶造を倒すのは、まだ無理なのにな」 「隆ちゃんの代わりだと言ったそうだけど…。隆ちゃん、そう考えてるの?」 隆栄は、ゆったりと珈琲を飲み干し、カップをテーブルに置く。そして、ジッと美穂を見つめ、静かに言った。 「…あぁ」 「隆ちゃん……」 「心配するなって」 そう言いながら立ち上がり、新たな珈琲を煎れる隆栄だった。 「ゆっくりなら、心配しないんだけどなぁ」 「そう言うなよ」 「それよりも。隆ちゃん、健ちゃんの事、どうするの? あの子、本気だけど…」 「桂守さんたちも薦めてるくらいだから、俺は反対しないけどな、 根を上げて帰ってくる事を考えると、許すわけにはいかないよ。 美穂ちゃんは、賛成か?」 「当たり前だよぉ。健ちゃんは、何でも一番にならないと気が済まないから どんなに時間が掛かろうとも、絶対に一番になるって」 「…もう、言うな」 隆栄は、珈琲をカップに移し、カップを手にソファまでやって来る。 「ったく。隆ちゃんは……」 ちょっぴりふくれっ面になる美穂。 親馬鹿なんだから…。 隆栄は、自宅の地下に住む男達の所へと顔を出す。 「隆栄さん。駄目ですよ、まだ階段は…」 隆栄の姿に気付き慌てて立ち上がる和輝。隆栄は、直ぐ側の椅子に腰を掛けた。 「和輝、例の資料は?」 「揃っております」 隆栄に言われ、素早く資料を手渡す和輝。隆栄は、静かに目を通し始める。 「阿山の動きはこれだけか?」 「はい。本日の襲撃に関しては、今、光治が調べております」 「大体の察しは付かないのか?」 「恐らく、最後のページに記載しております関西の青虎だと思われます」 隆栄は、資料の最後のページを見る。そこには、関西地方で名を馳せ始めた青虎組という極道組織の動きが詳細に記されていた。慶造が阿山組組員である松本を関西へ送り込んだ事が気に入らないらしく、縄張りを荒らすつもりはないと何度も伝えているが、全く聞く耳を持たず、建設業関係で働く松本にも、執拗に襲撃をしているらしい。 松本が一般企業として動き始めた矢先の出来事で、慶造の怒りを駆ってしまったのだった。 もちろん、青虎組へ刺客を送って、青虎組組長を狙っていた。その指示を出したのは、厚木会長。 慶造は、 『お前に任せる』 と言っただけだった。 「厚木の行動に対しては、四代目の怒りを更に強くしてしまい、 厚木自体、暫く自粛していたのですが、先日から、再び…」 「厚木に関しては、いつか手を切らないといけないと思っている。 しかし、阿山の想いを達成させるには、敵と同じ状態にしておかないとな。 あの射撃場だって、最新の物を揃えてるし…。……で?」 「その厚木を狙っての青虎の行動だったのですが、ついでに…という形で 四代目を狙ったのではないかという、桂守さんのご意見です」 「光治は、関西か?」 「はい。そろそろ帰ってくると思いますが……あっ」 噂をすれば、何とやら。 光治が部屋の奥にある隠し扉から帰ってきた。 「たっだいまっ。…隆栄さん。退院おめでとう御座います。……あら?」 隆栄の姿を上から下までじっくりと観察した光治は、震える声で言った。 「歩けるんですかぁ…?」 「……感極まったんちゃうんかい」 「すみません。その…青虎の新たな情報を手に入れたのですが…」 「今、話していたところだ。阿山を襲ったんだろ?」 「はい。しかし、四代目襲撃の五日前に、青虎組の六代目が 命を落としました」 「はぁ? 誰に襲われた?」 「恐らく身内争いだと思われます」 「身内争い? 流石、青虎組だな。…もしかして、七代目になる条件が?」 「はい。阿山慶造抹殺、そして、関西地区の制覇となれば、全国制覇も 狙ってくるかと思われます。しかし、今日の襲撃で、厚木によって 七代目候補と言われていた男が死んでおります」 「……厚木のやつ…」 隆栄は、厚木の行動に怒りを覚え始める。 阿山を悩ませる奴は、許せない…。 「暫くは、関西地区の制覇のみの行動になると思います」 「そうなると、松本が危ないな」 「あっ、その…………」 光治が、すごく言いにくそうな表情をする。 「ん?」 「松本さんの怒り………あの須藤でさえ、恐れる程だったようで…」 「須藤が?」 「はい。その……松本さんの身の危険を察知して、須藤組長自ら 松本さんの所へ向かったのですが、すでに…」 「松本が、怪我を?」 「いいえ、その……」 「はっきり言えよ!」 「松本さんご自身が、敵を倒しておられました」 「…………松本って、そんなに凄かったっけ?」 隆栄は、和輝に尋ねる。 「元笹崎組の組員ですし、それに、親分であった、笹崎さんの事を 考えると、何となく、想像出来るかと思いますが……」 腕を組み考え込む隆栄は、 「そうだな…」 …と、静かに応えた。 春樹は、怒り任せに扉を閉めた。そして、ズカズカと歩いて去っていく。 春樹が出てきた部屋こそ、署長室。 「…誰か、真北を停めてくれよ…」 嘆く署長。 ここ数日の春樹の行動を気にして、問いただした所、阿山組壊滅に乗り出したいと言い始めた。 確かに、阿山組系の組員が一般市民を脅かし始めた事には、悩む所だったが、組長である慶造自身が指示したものは全くなかった。春樹が捕らえた組員達は、末端組織の者であり、単独での行動だったのだ。 上に立つ者が、しっかりと目を光らせるのが当たり前だ。 春樹は、署長に向かって、そう言った。 それなら、俺は、真北の行動を許可しない。 それでも春樹は引き下がらなかった。 捜査令状を…。 怒りを抑えて言った春樹に対し、署長は暫く考え、そして…。 暫く、泳がせろ。 そう応えるだけだった。 その言葉に春樹は、抑えていた怒りを露わにし、部屋を出て行ったのだった。 署長は立ち上がり、窓の下を見つめる。そこには、怒りを露わにして歩く春樹を追いかけるように司が走っていく姿があった。署長は二人の行動を暫し見つめていた。 司が春樹に何かを告げる。 春樹は歩みを停め、ゆっくりと振り返った。そして、素早く司の胸ぐらを掴み上げ、何かを怒鳴る。 「ったく…あのコンビも楽しいな…。……で、何が遭ったんだ?」 「だから、先輩ぃ〜放して下さいよぉ」 「それで、芯は?」 「自宅に戻ってます」 「あれ程、体調には気を付けろと言ったのに。今、お袋は入院してるし…」 「暫く、休暇を頂いたらどうでしょうか…」 「三週間近く取った後だろが。無理だって」 「芯くん、寂しがってましたよ」 「……富田……お前、まさかと思うが…」 「す、すみませんっ!!! その学校からの連絡があったと言われて、 先輩と連絡が取れないから、丁度、芯くんの学校の近くに居たので…」 「…ったく」 春樹は、車に乗り込んだ。 「って、先輩?」 運転席に座った春樹を司が覗き込む。春樹は窓を開け、司に言った。 「ありがとな。今日はこれで、帰る。早退っつーことで」 「はい。伝えておきます」 春樹はアクセルを踏んだ。 春樹の車が去った後、警部補となった滝谷がやって来る。 「滝谷警部補…」 「…そう呼ぶな。…真北は早退か?」 「はい。芯くんが倒れたので」 「本当に、真北って、やくざ関連か芯くんの事のどっちかだと 後先考えずに動くよな…」 「そのように見えてますが、違います。きちんと先の先まで考えておられます」 「ん?」 「どうされました?」 「同期の俺達よりも、付き合う時間が長いだけあるな」 「……どういう事でしょう…」 「真北の事、よく解ってる」 「いいえ…まだまだ、解らない所がたくさんあります。でも、真北先輩の事を 解っていないと、一緒に行動出来ませんから。足手まといに、なりたくありません」 「足手まといには、なってないさ」 「えっ?」 「真北は、足手まといになるような人間を側に置いてないって。 足手まといになりそうな人間だと判断したら、先の事を考えて 基礎だけをしっかりと教え込んで、別の者に任せるからなぁ」 滝谷が振り返る。署の玄関から鹿居が出てくる所だった。二人が揃った所を見て、司は何かに気が付いた。 「事件ですか?」 「まぁな。…真北が帰って正解かもしれない」 鹿居が応える。 「ということは、もしかして…」 「闘蛇組系列で、殺傷事件」 「………真北先輩…向かってないですよね…」 不安が過ぎる司。その言葉に、滝谷が応える。 「大丈夫。真北には連絡しないようにしてあるからね。特に闘蛇組の事は。 それでなくても、単独で行動してる事が多いからなぁ」 「真北の弟に何か遭ったのか?」 鹿居が司に尋ねる。 「体育の授業中に倒れたので。その時だけ、意識が朦朧と していたけど、自宅に帰る頃には、元気になってましたよ」 「それでも、心配だろうな、真北には」 鹿居が自分の車に乗りながら言った。その車に司も乗り込む。後部座席には、滝谷が座っていた。 「……って、あのなぁ」 エンジンを掛けながら嘆く鹿居に、滝谷が応える。 「何度も言うな。真北の代わりだって」 「お前は現場に向かうなって。もしもの事があったらどうするんだよ」 「そうやって、現場に足を向けずに出世するのは、俺の本能が 許さないんだよぉ。ほら、行けって」 「あがぁ、解ったって。ったく、警部補になってから、人使いが荒い…!!!」 背後に感じる怒りのオーラ…。 鹿居は、ルームミラーでちらりと後ろを見た。 滝谷が、睨んでいた…。 「益々解らなくなりました…」 鹿居と滝谷のやり取りを見ていた司が言った。 「ん? 何がだ?」 「その…お二人の事です」 「俺と滝谷のことが?」 「はい。どう申せばいいんでしょうか……」 「同期だよ。まぁ、真北も同期だけどさ、どう言ったらいいんだろな…。 富田が、真北の事を解ってきたように、付き合う長さで、いつの間にか 相手の考えが解るようになったというのが正しい言い方かな…」 「阿吽の呼吸…?」 「仕事中は、大切だな。滝谷が何を考えて、どう動くかが解る」 「俺も鹿居の行動は解るようになってきた」 「だけどな、富田」 「はい」 「理解不能な奴も居る」 「……真北先輩…のことですか?」 「あぁ。真北の行動が解らない。ただ、解っているのは、やくざな連中や 犯人に抵抗されたり、狙われたりした時は、相手の記憶が無くなるまで 滅多打ちする。それが普通だと言ってるんだよな」 「そんな行動ばかりするから、始末書が増えていくんだよ…」 滝谷が嘆く。 「自分の手柄にしないのが、解らないところだ。富田だったら、 犯人を捕まえたら、自分の手柄にするだろ? 実際、自分が 捕まえているんだからさ」 「手柄にするというより、手柄になるんですよね?」 「あぁ。…だけどな、真北は、そうしない。…富田、何か聞いてるのか?」 「指導する立場は、思い出す事が多いそうです。私を指導する事になった際、 一番初めに言われた事です。自分で学べ。俺は教える事が嫌いだと。 だから、私は、基礎だけを教わって、その後は、真北先輩の行動を参考に 自分で考え、そして、動くように心掛けてます」 力強く応えた司に、鹿居と滝谷は、真北の心に秘める思いに気が付いた。 「そういうことか…」 二人は同時に呟いた。 「あの事件さえ無ければ、真北と知り合ってないからな…」 鹿居が言った。 「そうだよな」 滝谷は、真北が刑事になると決心した経緯を聞いていた。 真北、お前って、いつまでも引きずってるんだな…。 噂になっている春樹は……。 「あれ程、体調が優れないと思ったときは体を休めろと言っただろがっ!」 「朝にだるく感じただけで、体育の授業の時は大丈夫だったんです! 兄さんこそ、仕事を早退して帰ってこないでください!」 「お前の事が心配だからだな…」 「私は、一人で大丈夫です」 「解ってる」 「それなら……」 「解ってるけどな…」 春樹は芯の言葉を遮って話し続ける。 「お袋は、入院中。家には誰も居ない。芯、お前が一人になるだろ。 もし、その時に倒れて、誰も気付かなかったら…。俺が仕事で 帰れなかったら…。それを思うとだな…」 「すみません…兄さん…。でも、仕事を早退してまで、私の事は…!」 芯は、突然、春樹に抱きしめられて驚いた。 「体…弱いんだから…。あまり無理しないでくれよ」 「…鍛えます。兄さんに心配掛けないくらい、強くなるように、 体を鍛えます…」 「解った。だけど、体調が優れないと思った時は、休めろよ。な、芯」 「はい」 「……その……落ち着きました?」 「あっ…」 そう。真北家には、芯の事が心配だからと一緒に早退してきた航と翔が居た。 春樹は帰ってくるなり、迎えに出てきた芯を怒ってしまった。それに反論する芯。 いつもの兄弟喧嘩が始まった。 それも、側に居る二人を忘れて……。 「航くんも翔くんも、いつも申し訳ない。芯の事で…」 「私たちは気にしてませんよ。芯が元気なら、安心ですから」 翔が優しい声で言う。 「お兄さんは、どうですか?」 航が尋ねる。 「ん?」 「怪我が治った後だと思いますが…」 「芯よりも元気だから」 「……兄さん…」 プルプルと震え出す、芯の拳。 「って、芯!! やめろって!」 「うるさぁい!! 離せっ、航、翔っ!」 「離さないっ!」 春樹に向けて差し出されそうになった拳は、航と翔によって、見事に停められていた。 そんな芯を見つめながら、春樹は、安心したように微笑んでいた。 心配しすぎたかな…。 (2004.6.15 第四部 第三話 UP) Next story (第四部 第四話) |