第五部 『受け継がれる意志編』
第五話 雲
春樹の部屋。
ベッドに寝かしつけられた春樹は、どうやら、気を失っている様子。体にそっと布団を掛けたのは、ちさとだった。側には栄三が付き添っていた。
「本当に、二人とも手加減を知らないんだから……」
心配そうに、ちさとが言った。
「真北さんが怒るのも無理ないですよね。闘蛇組関連は、
本当に五月蠅いですから」
「いつまで、続けるつもりかしら……」
「四代目の行動が気に入らなかったんでしょう」
「これ以上、血を見ないようにと、あの人が考えた結果なのに。
真北さんには、悔しい思いをするかもしれないと言ってたわ。
栄三ちゃん。本当に、そうなの?」
「一線を越えないというのが条件。阿山組に攻撃しない、
この世界を荒らさない。それで手打ちだとの事でした。
しかし、真北さんの世界…警察関連には、容赦しないと…。
闘蛇組は警察に何を握られたのか、未だに解りません」
栄三は、春樹を見つめる。
「この世界を荒らさない…ということは、真北さんには手を出さないと
いう事にも繋がるんですが…」
「何もしないで守られるということが、気に入らないんでしょうね」
ちさとが、優しく言った。
「そうでしょうね。…本当に、大人しくできない人ですね、真北さんは」
栄三は呆れたように言う。
「…ところで、あの人の怪我は?」
「一応、お袋んとこ。医務室のベッドで抑制…というか……」
「真北さん…手加減無しだったのかしら…」
「………恐らく」
「ったくぅっ!」
ふくれっ面になった、ちさとだった。
「……解けっ」
「駄目だ」
「あんにゃろぉ〜、手加減くらい…」
「それは、お前にも言える事だろがっ」
「うるさぁいっ! 解けよ、修司っ!」
医務室のベッドでは、慶造が抑制されている。口の端を腫らした顔で、側に立つ修司を睨み上げている…。修司の後ろには隆栄が背を向けて立ち、カルテに記入している美穂を見つめていた。
「本当に、手加減しなかったのね、慶造くん」
「それは、真北に言ってやれっ」
「真北さんは、気を失ったままなのにぃ〜?」
「うっ……」
と言葉に詰まる慶造。
「ったく。お互い内緒事は止めて、一度、腹を割って話したらどう?」
記入を終えたのか、美穂は立ち上がり、慶造の側にやって来る。
「真北に言え。あいつの方が隠してるだろが」
「だからって、慶造君が真北さんに内緒で動くのは、
真北さんが怒るに決まってるでしょ?」
「俺は停めたんだけどなぁ〜」
隆栄が口を挟む。
「俺に任せろって、言ったのに、真北の奴、単独で…」
「……なぁ、阿山」
「なんだよ」
「なんで、真北のために、危険な行動をしてるんだよ」
「………知るかっ」
慶造も自分の心を隠したがっている。 医務室に居た誰もが思った事だった。
「だから、解けって、修司ぃっ!」
「お前が、真北さんを殴らないと言うなら、解いてやる」
冷たく言って、修司は医務室を出て行った。
「………。修司の奴、怒ってるのか?」
「当たり前だろ。誰が、荒れた会議室を片づけると思ってるんだよ」
「………暫く、ここに居る」
静かに言って、目を瞑った慶造。 会議室の片づけは、修司の仕事。修司は、ため息を吐きながら、会議室に向かって歩き出す。
会議室に戻ると、既に片づけは終わっていた。勝司の指揮で、組員や若い衆が片づけた様子。
ほぉ〜、山中、成長していくよなぁ〜。
感心したように、修司が見つめていた。その目線に気付いた勝司が振り返る。
「猪熊さん。四代目の様子は?」
「大丈夫だ。真北さんの方はまだ、気を失ってるそうだ」
「四代目、手加減なしだったんですね」
「あぁ。真北さんは、手加減していたけどな」
「…体調、崩してらしたんじゃ?」
「……へっ?!」
「動きが、鈍かったようですよ」
「……………真北さんには似合わない言葉だな……。
片づけ、ありがとな」
「私の仕事です。会議の方は…」
「取り敢えず終わり。意見は文書にしてもらってくれ」
「はっ」
修司は、会議室を後にし、春樹の部屋に向かって歩き出した。角を曲がった所で、縁側に座る真子に気が付いた。真子は、足音で振り返る。
「いのくまおじさん! まきたん、かえってきた?」
かわいらしい表情で尋ねてくる真子。真子のあどけない表情を見て、修司は心が和んでいた。
「帰ってきたけど、体調を悪くしてるみたいですよ」
「ほんとう? まきたん、びょうき?」
「疲れたようだと山中に聞いたから、今、様子を見ようと思って
ここに来たんです。…お嬢様は、何を?」
「ママとあそんでたんだけど、えいぞうさんとむこうにいったの。
ここでまってなさい…って…」
寂しげに言う真子の側にしゃがみ込み、真子の頭をそっと撫でる修司。
「ちさとさんが来るまで、御一緒しましょうか?」
「ほんと?」
真子の表情が明るくなる。
「あのね、あのね!!」
ちさとが縁側にやって来る。
「あら? 真子は……」
耳を澄ませると真子の明るい声が聞こえる。ちさとは、縁側から庭に降り、声の聞こえる方へと歩いていった。そこでは、修司と真子が、楽しそうに遊んでいる姿があった。修司は、真子を抱きかかえ、高い高いをしていた。真子は、キャッキャとはしゃいでいる。
本当に、子供の扱いに慣れてるのね…猪熊さんは。
微笑むちさと。 真子がちさとに気づき、手を振ってきた。
「ママ!」
「猪熊さん、すみません。真子、寂しがってました?」
「遊園地をせがまれました」
恐縮そうに言う修司だった。
真子は三輪車に乗って、庭を走っている。少し離れた所では、ちさとと修司が真子を見守りながら、話し込んでいた。修司は、先程耳にした春樹の体調を、ちさとに伝える。
「そうでしたか…。私…気付きませんでした」
ちさとが静かに言った。
「二人の激しさを、どう停めるべきかを考えていただけで、
私は全く、真北さんの体調には気付かなかったんです。
気を失った真北さんを医務室に運んだ時にも気付かなかった」
「それで、慶造さんの一発に気を失うほど……」
「あれは、本当に…慶造が怒りを込めた一発……」
「もうっ! あの人はぁ〜っ!」
更にふくれっ面になるちさとだった。 真子が三輪車を降りて、ちさとに駆け寄ってくる。
「ママ…まきたんは?」
「今日は逢えないと思うわ…」
「……そうなの…。まきたん、やっぱり、びょうきなんだ…」
ちさとは、真子の目線までしゃがみ込む。
「だから、今日は、静かにしてようね。一日我慢だよ?」
「はい」
返事をする真子。なんとなく、寂しそうな雰囲気だった。
夜。
春樹は、フッと目を覚ました。枕元の時計で時刻を確認する。
夜中…か。
体を起こした春樹は、全身に痛みが走る。
「っつー!! そっか……」
慶造と殴り合い、蹴り合いをした事を思い出した春樹は、痛む体に鞭を打つように起きあがる。テーブルの上に無造作に置かれている煙草とライターを手にとって、部屋を出て行った。
月明かりが庭を照らしているのか、庭木がはっきりと見えていた。月が見える縁側に向かって歩いていく春樹。目をやると、そこから細い煙が一筋、立ち上っていた。
「……まさか、先客が居るとはなぁ〜」
春樹が声を掛ける。そこには、すでに慶造が座っていた。春樹の声に目だけをやり、フッと笑う。
「来るとは思わなかったな…」
「体中、あちこち痛いけどな」
笑いながらそう言って、慶造の隣に腰を下ろした春樹。慶造は春樹に煙草を勧める。
煙が二筋、空に向かって立ち上る。 月を見上げる二人は、昼間の事を話し始める。
「…あの一発が、一番応えたぞ」
慶造が呟く。
「あれで倒れなかったのには、参ったな…」
春樹が嘆いた。
「…体調、戻ったのか?」
慶造は、春樹の体調に気付いていた様子。
「解ってたのか?」
「拳の勢いが足りなかったからさ…」
「おとといの飲み過ぎが原因」
「何を酒に紛らそうとしたんだよ」
「知ってる事を聞くな」
「闘蛇組…手打ちは表向きだ。幹部の連中には、内緒」
「いいのか?」
「その方が、やりやすい」
「慶造…お前…。幹部や組員たちを信用してないのか?」
「してるよ。…だけど、俺のために無茶しそうだからさ…」
「失う者は、これ以上増やしたくない……ってかっ」
春樹は、寝転んだ。その仕草は春樹に似つかわしくなかったのか、慶造は驚いていた。
「おいおいぃ〜。本当に、俺の前ではだらけるんだな」
「お前と俺の仲だろ?」
「そぉ〜だなっと」
そう言って、慶造も寝転んだ。
「猪熊さんの前では?」
春樹が尋ねる。
「あんまり、こんな姿は見せた事ないな…」
少し笑いながら、慶造は応えた。
「誰に対しても自分を隠す…。嫌な男だ」
「真北もだろが」
「いいんだって、俺は……なにせ…死人だからさ」
「そぉ〜だったな…」
銜え煙草で、だらしなく寝転んでいる二人の姿を、月が照らす。
「なぁ、真北」
「あん?」
「お前…俺達以外に、誰を守っている?」
「内緒」
「まさかと思うけど……。鈴本さんが亡くなった日に聞こえた
あの声の主か? …鈴本さんの身内…」
「……守れる者は守ってやるだけだよ」
「そうだよな…」
「慶造だって、守ってるじゃないか」
「まぁ、上に立つ者だから…」
「上に立ってなくても、守ってるよ……」
春樹の言葉に、慶造は振り向く。 春樹は目を瞑っていた。
「…大丈夫かぁ?」
声を掛ける慶造。
「なんとか…な」
小さく応える春樹だった。
「真北…」
「んー?」
「真子の事なんだけどな………」
春樹は返事をしない。それどころか、寝息を立てていた。
「……ったくぅ〜。煙草くわえたまま眠るなよ…」
慶造は、そっと手を伸ばし、春樹の口にくわえられた煙草を取り、灰皿でもみ消した。そして、月を見つめる。
「また……言いそびれた……」
そう呟いた慶造も目を瞑った。
朝…………。 縁側に寝転ぶ二人の男を見下ろす五人。
「まさか、抑制ベルトから逃れるとはなぁ〜」
「この体で何を考えてるんだか…」
「目を覚ましたら、体…ガチガチやろなぁ〜」
「……二人とも…病院に連れて行こうかな…」
「そのまま、ほっておいてください。行きますよ、小島さん、
猪熊さん、栄三ちゃん、そして…美穂さん」
「はぁ〜」
隆栄、修司、栄三、そして、美穂とちさとが、怪我人の二人を見下ろして、それぞれが口にした。呆れた四人と怒りの一人。ちさとは、プイッと背を向けて歩き出す。
「姐さん!」
四人は、ちさとを追いかけていく。 床で寝ている二人を放ったらかしにして……。
真子が、縁側にやって来る。
「あれ? パパとまきたん……」
寝ている二人に気づき、近寄ってきた。 それでも二人は眠っている。 真子は、慶造の頬に当てられているガーゼに、そっと手を伸ばす。
「パパ…けが…」
真子は、春樹の病気の事を想いだし、春樹の額に手を当てる。
「まきたん…おねつ…?」
急に踵を返し、真子は何処かへ行ってしまう。 暫くして、猫柄のタオルケットを抱えた真子が歩いてくる。そして、二人の体にタオルケットを掛けた。タオルケットに挟んでいたのか、床に何かが落ちていた。 氷枕。 真子は、春樹の頭を抱えて、氷枕を下に置く。
「あっ…」
何かを思い出したのか、再び、その場を去っていく真子。 三度姿を現した真子は、タオルを持っていた。タオルを広げ、春樹と氷枕の間に挟む。
「これでよし!」
そう言って、真子は去っていった。
二人は起きていた。 ゆっくりと目を開け、去っていく真子の後ろ姿を見つめる二人。
「……いつまで、ここに居るつもりだ…真北」
「さぁな。真子ちゃんの好意に甘えて、昼までかな…」
嬉しそうに応える春樹。
「……体…起こせるか?」
慶造が尋ねる。
「………………いいや…」
春樹が応える。
「無理が…」
「たたったか…」
「はぁ〜あ」
同時にため息を付いた二人。 ちさと達が側に来た時に目を覚ましていたが、ちさとの怒りが伝わっていた為、寝たふりをしていた。去っていた後、起きあがろうとしたが、真子の姿に気付き、そのまま寝たふりをしていた。 しかし……。
「もう暫く、このままで…」
「そうだな…そうすりゃ、起きれるようになるかもなぁ〜」
春樹の声には力がない。
「ほんとに大丈夫なのか、真北?」
「熱…ぶり返したぁ〜」
「あのな……」
呆れる慶造。しかし、怪我の痛みで体は思うように動かない。 そのまま昼過ぎまで寝転んでいた二人。 その後一週間、寝込んでしまったのは、言うまでもない………。
誰かのため息が、聞こえてきた。
春樹は、いつものように、こっそりと外出する。そして向かう先は……。
高校の近くに車を停め、校門の様子を眺める春樹。 時刻は、生徒達が登校する時間帯。 まばらだが、生徒達が元気な表情で登校してきた。一人一人を観察する春樹。生徒達が増えてくる。 その中で一際目立つ四人組。 三人の男子生徒と一人の女生徒が、賑やかに歩いてくる。 春樹は、三人の男子生徒のうち、一人を凝視していた。女生徒が笑顔で話しかけると、その男子生徒は、優しい眼差しで応えている。それが、女生徒の笑顔を更に輝かせていた。 四人は、校門をくぐっていった。
今日も元気だな、…芯。
フッと笑って、春樹はアクセルを踏んだ。
靴を履き替えながら、芯と翔が話していた。
「なぁ、芯」
「ん?」
「また、あの車…停まってたよな」
「…鈴本さんが亡くなってから、見張りが増えたんだ。
その一人だよ」
「増えた?」
「それだけ、鈴本さんの腕は凄かったってこと」
「流石、芯のおじさんを目指していただけあるよな。鈴本さん…」
何かを思い出したのか、翔は急に沈んだ表情になった。
「……いつまでも哀しんでいたら、怒られるよ」
明るく言う芯に、翔は安心したのか、微笑み返していた。
「そうだな。……それで、芯〜」
「ん?」
「どうするんだよ」
「何が?」
「ほんと、冷たい言い方だなぁ〜。興味ないとは言わせないぞ!」
芯の肩を抱く翔は、耳元で呟く。
「薫ちゃん、本気だぞ」
その言葉を聞いた芯は、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「だけど、俺は、やる事があるから」
やんわりと応える芯。
「芯…たまには…だよ」
「まだ、早いよ…」
「興味は?」
「あるけど…。そりゃぁ、男だからさ……。翔はどうなんだよ」
「俺? 薫ちゃんの友達と」
「……………。もう?」
芯の言葉に、コクッと頷いた翔。
「だから、芯も……」
「いいや、俺は……」
「薫ちゃんは、芯の事…好きなんだけどなぁ〜。なんなら、時間と
場所、作ってやろうか? な、芯!」
芯は、翔の手を払いのけ、距離を取る。
「しなくていいっ!」
そう言って、芯はズカズカと歩き出した。
「ありゃりゃ、照れちゃってさぁ〜。芯も好きな癖に」
すました表情で、芯の後を追うように歩いていく翔。廊下ですれ違う友達と笑顔で挨拶を交わしていた。
高校生が下校する時間帯。 春樹の車が、校門の近くに静かに停まった。サイドブレーキを引いた時だった。 窓をノックする人物に気付き、そっと窓を開けた。
「真北さん、大変です!!!!」
声を掛けてきたのは、特殊任務に就く男。鈴本の後輩の中原という男で、鈴本と同じように芯を見守っている人物。亡き鈴本の意志を継ぎ、こうして、芯の登下校、外出先などで、待機している。春樹の行動も知っている中原は、春樹の車を見つけた途端、声を掛けてきたのだった。
「中原さん…」
「春奈さんが、倒れたそうです。…連絡をしていたのですが、
真北さんは外出されていたんですね…」
「容態は?」
「意識は未だ…」
「………芯が向かってるんですよね?」
「はい」
「それなら、気にしませんよ」
春樹は、サイドブレーキを下ろす。
「病院は、いつものところですか?」
「はい」
「ありがとうございます。……何か変化あったら、連絡お願いします」
「…って、真北さん? 病院へは…」
「芯が居るなら、向かう事出来ませんからね」
そう言って、春樹は静かに睨み上げた。その目に恐れた中原は、思わず一礼してしまう。 春樹は、アクセルを踏んで去っていった。
「……目で射られてしまった……。鈴本先輩より…恐い……」
背中に冷たい物が伝っていた。
春樹は、病院の駐車場へ車を停めた。 芯が居るから…。 中原には言ったものの、やはり心配だった春樹。病院の裏口に目を凝らし、出入りする人物を観察し始めた。 ドアが開き、誰かが出てきた。 医者と会話を交わした後、深々と頭を下げて、歩き出すその人物は、角を曲がった時に、大きく息を吐いていた。そして、病院を後にする。 その人物こそ、春奈の事を心配して病院にやって来た芯だった。春樹は、芯が去っていったのを確認してから、車を降り、裏口から建物へと入っていった。
『山本春奈』 病室の札を確認して、春樹はノックする。 中から声が聞こえてきた。 そっと入っていく春樹。
「やっぱり……」
春奈が春樹の姿を見た途端、口にした言葉。
「やっぱりって、お袋。…大事には至らないんですね」
「だから、芯が帰っていったのよ」
「意識が戻ってないと言っていたから、心配しましたよ」
「……悪いんだって…」
「そうですか…」
春樹は、春奈の側に近づき、そこにある椅子に腰を掛ける。
「心配しなくていいと…何度も言ってるでしょう?」
春奈が怒る。
「鈴本さんの代わりが居ませんから」
「もう、心配ないんじゃなかったっけ?」
「それでも心配ですよ。……って、どなたからお聞きに?」
「中原さん。…それと、阿山の親分さんからもですよ」
「慶造が、何を? もしかして…」
「闘蛇組が狙っている一般人。そういう扱いみたいね…。
他にもたくさん居るみたいよ。それぞれの家庭に足を運んで
伝えて下さったわ。…驚いたわよ…。まさか、やって来るとは」
「私の身内と知っての行動なんでしょうか…」
「いいえ。鈴本さんの身内…となってたわよ」
「そうですか…」
「…阿山の親分さんには、何も言ってないんでしょう?」
「えぇ。身内は殺された。…そう伝えてますからね」
「……お世話になってるのに、騙しては駄目でしょう?」
「気になさらないで下さい」
「はいはい」
冷たく返事をする春奈は、春樹をちらりと見つめる。春樹は深刻な表情をしていた。
「春樹……それでも心配なの?」
静かに尋ねる春奈。
「…えぇ。奴らに奪われたものは、たくさんありますから」
春樹の声が震えていた。
「春樹」 「はい」
「もう、関わらなくていいんだよ?」
「お袋……」
「阿山の親分さんだけでなく、全国に渡って、あんた…何をしてるの?」
「何って…慶造が動きやすいように…そう思ってるだけですよ」
「守るべきものを増やしたら、それこそ、負担が掛かるでしょう?」
「自分の体に鞭を打っていないと、俺が暴走しますから…」
「そうだったわ…。春樹は、忙しくしていないと、駄目な体だったわね」
「はい」
「ったくぅ〜。それは、あの人もだったわ…。血筋なのね…芯もそうでしょう?」
「えぇ」
静かに応える春樹。
「忙しくすることで、何かを忘れる…。いつか倒れるわよ、春樹」
「三度ほど、倒れてます」
「……………馬鹿…」
春奈は、呆れたように微笑んだ。
「先は?」
「芯の教師姿…観られないかもしれない」
「せめて、卒業するまでは…」
「そこまで、解らないわ…」
「そう…悲観しないで下さい…」
「解ってることでしょう? 春樹」
「…えぇ」
春樹は、大きく息を吐きながら、俯く。 何かを堪えるかのような仕草に、春奈は気が付いていた。
「俺に…出来ることは?」
「自分の思いを遂げる事」
「解りました」
春樹は立ち上がる。
「本当に、無茶はしないで下さいね。芯の教師っぷりを見てからでも
遅くないでしょう?」
「そうね……頑張るわ。…春樹も、頑張りなさい」
「はい。では、これで」
春樹は、春奈の頭をそっと撫で、頬に軽く口づけをする。そして、病室を出て行った。 静かに閉まるドア。その音に寂しさを感じた春奈は、体の力を抜いた。
「……あと三ヶ月……か…」
春奈は、宣告を受けていた。
動いているのが奇跡。 本来なら動けない程の病状。 治る見込みは、もう無い。 衰弱するのを待つだけ。そして、命の灯火が消えるのを見届けるだけ…。
芯には、内緒。春樹にも内緒。 大切な息子達は、人のために無茶をする。 それが、自分の為にも繋がるから…そう思っての行動。 息子の考えそうな事は解っている。 だから、春奈は黙っていた。
ごめんね…春樹…芯。 ……そして、……あなた……。
春奈は、そっと目を瞑って、眠り始めた。
目を覚ましたら、元気に動き回っている…動き回っている…。
自分に暗示を掛けるかのように、心で呟きながら、眠りに就く春奈だった。
春樹は、縁側に腰を下ろし、夜空を見上げていた。 あいにくの曇り空。
誰もが…隠したがるんだな…。
春奈の見舞いの帰りに、春奈の病状を担当医から聞き出した春樹。
春奈の命は三ヶ月。 なのに、退院する意気込みがある。 倒れるのは自宅、そして、畳の上で息を引き取りたいのかもしれない。 医者にそう言われた春樹は、もうこれ以上、何も考えられなくなっていた。
…これから……どうすれば……。
煙草に火を付ける音が、寂しく響き渡った。
(2004.12.12 第五部 第五話 改訂版2014.11.21 UP)
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