第六部 『交錯編』
第八話 お楽しみ企画、開催!
十二月二十五日。
この日、世間はクリスマスムードに染まっている。今まで、そんなムードとは無縁だった天地山ホテルも、今年は違っていた。 大広間の中央に大きな大きな樅木が立っていた。そのてっぺんには、星が付けられている。そして、豪華に飾り付けられていた。そのツリーを囲むように、テーブルがたくさん並び、その上は、いつ料理が運ばれてもいいような状態になっていた。厨房は、とても慌ただしく、そして、衣装部屋も色々な人達が準備に追われていた。
真子が目を覚まし、ベッドから降りた。 部屋を見渡すが、誰も居ない。 しかし、真子は寂しがらずに洗面所に向かって行き、顔を洗い、髪の毛を解く。身支度を調えてから、猫柄のパジャマを着替え始めた。 部屋のドアが開き、春樹が入ってきた。 真子は着替え終わり、ソファに座って、本を読んでいた。
「おや、真子ちゃん。早起きだね。おはようさん」
「おはようございます、まきたん。八造さんは?」
「朝のトレーニングに行くと言って、トレーニングルームに居ますよ」
「八造さんの時間だから、邪魔しちゃ悪いね」
「そうですね」
真子と話しながら、真子の隣に座り、頬にそっと口づけをする春樹。その後に、頭を撫でる事も忘れていない。…もちろん、ギュッと抱きしめる事も…。
「今日も頂上に行きたいんだけど、雪が降ってるね」
「今日は夕方近くまで激しく降るそうですよ。それでも行きますか?」
「今日は、お勉強しておく」
「家に帰るまで、勉強はしなくて良いと言ったのに?」
「歴史のお話…知りたいもん」
「どこまで読んでもらった?」
「平安のきれいな人々のお話まで」
「もうそこまで進んだ?!」
「うん! 八造さん、おもしろ可笑しく話してくださるから、もっと
聞きたくなって、お願いしちゃったの」
かわいらしく言う真子に、春樹は思わず……ギュッと抱きしめてしまった。
「まささんはお仕事?」
「きちんと仕事しておりましたよ」
「あっ!! 今日だよね! 楽しい事!」
「夕方五時に、まさの部屋に来るように言われましたよ。
それまでは、仕事で忙しいから、今日は申し訳ありません。
そう言ってました」
「お仕事なら、仕方ないよね。真子、大丈夫だもん!」
真子の言葉に、春樹は、真子の頭を撫でていた。
「それでは、続きをお話しましょうか?」
「お願いします!!」
春樹は、平安の綺麗な人々の話を、真子に問いかけながら進めていった。
八造は、ホテルにあるトレーニングルームで汗を流していた。そこへ、まさがやって来る。まさの姿を見た途端、
「おはようございます」
八造は手を止めて、挨拶をした。
「おはようございます、八造くん。あまり根を詰めると後々大変ですよ」
「大丈夫です、これくらいは、まだ序の口です。それより、
どうして、このホテルに、これだけ揃っているんですか?
もしかして……昔の動きを維持する為……?」
そう尋ねる八造の眼差しが、一瞬鋭くなる。しかし、それに恐れるまさではない。
「体を鍛える為ですよ。それに、昔の動きは、もう出来ません。
私の事は、真北さんから?」
「いいえ。親父から聞いております。あの小島のおじさんと
対等に闘ったという話しも知ってますよ」
「そうですか」
「でも、その原田は、この世に居ないそうです」
八造の言葉に、まさは、首を傾げる。
「私は、こちらに向かうとき、心配でした。…百聞は一見にしかず…」
「その目で確認しないと駄目な性分ですか。猪熊さんと
同じなんですね」
「そりゃぁ、親子ですから」
ニヤリと口元を上げる八造を見て、まさは八造の心の奥に秘めている事に気が付いた。
「その心…お嬢様の前では絶対に見せるなよ」
「心?」
「……怒りの心だよ。お嬢様や真北さんを騙せても、俺は
騙されないからな」
まさの言葉に、八造の表情が一変する。警戒態勢に入っていた。 まさの次の言葉で、体が動くかもしれない。そんな状態だった。
「…昔取った、なんとやら。…人の心を読むのは得意なんでね。
それに、俺よりもお嬢様の能力に気をつけろよ。
心……読まれるからな」
「それは、重々承知…」
「それなら安心だ。では、仕事に戻るよ。…体を鍛えるのは
程々にしておけよぉ〜」
後ろ手を上げて去っていく、まさ。
あの男……。
八造は、まさから不思議なオーラを感じ取っていた。得体の知れない何かを……。
仕事に戻ると言いながらも、まさの足は、真子の部屋に向かっていた。ドアの向こうから聞こえる春樹の声と真子の笑い声を耳にして、まさは心を落ち着かせる。 部屋に入り、真子と話をしたい衝動に駆られながらも、それをグッと堪え、支配人としての仕事に戻っていった。
夕方五時。 真子は、まさの部屋にやって来た。まさは、真子を見た途端、優しく微笑み、そして…………。
大広間には、大勢の人が素敵な衣装を身にまとい、絢爛煌びやかな雰囲気の中、立食パーティーが行われていた。それぞれは、顔は知っていても話した事が無い。これがチャンスと言わんばかりに、挨拶を交わし、そして、色々と話しに花を咲かせていた。
エレベータが到着した。ドアが開き、まさが誰かと手を繋いで降りてきた。
「お嬢様、驚かないで下さいね」
まさと手を繋いでいるのは真子だった。 それも、とてもかわいいドレスを身につけていた。少し足下が覚束ないが、まさと並んで歩き出す。
「…まささん」
「はい」
「このドレス……」
「お気に召しませんか?」
少し寂しげに、まさが尋ねると、真子は、思いっきり首を横に振る。
「………初めて着るから、その……」
真子が何を言いたいのか、まさには解っていた。歩みを停め、真子の目線までしゃがみ込み、そして、優しく微笑んだ。
「とてもお似合いですよ、お嬢様」
「ほんと?」
「えぇ。お嬢様に益々惚れてしまいました」
「まきたんと八造さんは?」
「大広間の前でお待ちですよ」
「見せる!!」
真子の声が弾んでいた。そして、足取り軽く歩き出す。 春樹と八造の事を気にしていた真子。その二人に、ドレス姿を見せようとしている真子の喜びに、なぜか、嫉妬するまさ。その気持ちに気付いた時には、すでに、真子が二人の所に駆け寄るところだった。 春樹の表情が、滅茶苦茶弛んでいる。八造は、素敵な笑顔を見せていた。
「よぉ、まさ。お前は着替えないのか?」
ちょっぴり豪華なスーツを着ている春樹が言った。
「お二人とも、素敵ですね」
「お前が俺達の分も、見立てたんだってな。流石だな」
「恐れ入ります」
真子が、春樹の手を引っ張っていた。
「まきたん、まきたん!」
「はい」
「これね、まささんが、似合うって!! どう?」
「素敵ですよ。まるでお姫様です。白い馬に乗って
このまま連れ去りたいですねぇ〜」
春樹が真子を抱きかかえながら言った。
やりかねない……。
まさと八造は、そう思った。
「そのドアの向こうから、音楽が聞こえてくるよ? 何があるの?」
不思議そうな表情をして、まさに振り返る。
「例のお楽しみですよ、お嬢様」
「お楽しみ??」
「それでは、御招待致しましょう!」
そう言って、大広間のドアを開け、真子を招くまさ。 真子は、開いたドアの前に立ち、中を見つめた。
「わ〜〜!!! きれい!!」
大広間は、まるで別世界のように輝いていた。真子は、目を見開いている。そして、中央にある樅木を見上げながら、一歩一歩ゆっくりと大広間に入っていった。まさたちも真子の後を付いていく。 真子は、目の前に迫る背の高い樅木を見上げ、そこに付けられる飾り物を一つ一つ見つめていた。 爛々と輝く目をして、樅木を見上げていく。そして……。
「お嬢様!」
そのまま真後ろに倒れそうになった所を、まさがしっかりと支えていた。
「近くで観るより、遠くで観た方が綺麗ですよ」
「まささん、これ……クリスマスツリー!! 大きいね!!」
「今夜はクリスマスの日です。お嬢様の為に、特別に用意した
クリスマスパーティーですよ」
「このツリーも?」
「はい。そして、テーブルに並ぶ料理も」
まさに抱きかかえられた真子は、テーブルの上に並ぶ料理に目をやった。
「おいしそう!!」
「何を食べますか?」
「あのね、あのね、…オムライス!!」
「こちらに用意してますよぉ〜」
真子を抱きかかえたまま、まさは、オムライスが置いてあるテーブルへと向かっていった。
「あっ」
八造が慌てて追いかけようとするが、春樹に止められた。
「ここは安全だから、暫く解放しておけ」
「駄目です。親父に怒られますから」
「大丈夫だって。それに、真子ちゃんが気にするだろが」
「しかし、真北さん…」
「真子ちゃんの為に、まさが用意したパーティーだと言っただろ?
真子ちゃんが少しずつ、笑顔を取り戻すように。そう願って、まさが
用意してくれた。だから、今は、離れてやってくれないか?
…その世界から…」
「真北さん……」
春樹の切ない声に、八造は本来の自分の仕事を一瞬、忘れてしまった。
「…四代目から、お聞きしております。真北さんとお嬢様の
これからの生活のことを。本当に、四代目からお嬢様を
引き離すおつもりなのですか? 四代目は、お嬢様を
あなたに託すおつもりなんですか?」
「……慶造の……思いだ。何も言えないさ」
そう応えて、春樹は真子を見つめた。 まさと一緒にオムライスを頬張る姿を見て、春樹は微笑んでいた。
「極道とは関係ない、普通の女の子だよ。そして、
かわいい笑顔で、みんなを和ませてくれる。心を落ち着かせてくれる。
そんな真子ちゃんを、これからもずっと守りたい。あんな事件さえ
無ければ、本当に……」
「お嬢様が、どの世界で生きようと、私は、真子お嬢様の側から
離れません。それが、阿山家を守る猪熊家の宿命。そして、
私の生きる道です」
力強く、八造が言った。
「俺と真子ちゃんが二人で暮らす事になっても、付いてくるのか?」
「はい」
「…邪魔するなよ」
「えっ?」
「俺と真子ちゃんの仲を邪魔するなっ…と言ってるんだよ」
「しかし……」
春樹は、ため息を付いた。
「八造くん」
「はい」
「………ほんとぉ〜〜に、真面目な少年なんだな」
「へ?!」
「小島さんや栄三ちゃんの不真面目さを少しでも身につけろよ」
「お断りします」
「ほら、そういう所も真面目に受け取るぅ〜。柔軟さも必要だぞ?」
春樹は、八造の背中をポンと叩き、真子とまさの所へと向かって歩き出した。
「柔軟…さ……?」
八造の頭には、体の柔軟しか無かった。 そこが未だ、未熟という所。そして、十六歳という人生経験の少なさも加わっていた。 真子に手招きされて、我に返る八造は、素早く歩み寄り、真子の話しに耳を傾けていた。
色々な料理を口にした真子たち。まさは、真子から片時も離れない。そして、それに負けじと春樹も側に付いていた。そんな二人に邪魔されながらも、八造は『ボディーガード』の仕事を忘れない。パーティーの雰囲気とは場違いな四人に、一人の男が近づいてきた。
「支配人、この度は、招待頂きまして有難う御座います」
紳士的に声を掛けてきたのは、地山一家の地山親分だった。
「地山さん。予定が入ってるとお聞きしておりましたよ?」
「延期出来る予定なんでね。それよりも、気になるから様子を
見に来ただけですよ」
「西川たちには、本当にお世話になってますよ。しっかりと
働く男達に、感謝してます。お客様の評判も良い男達です。
地山さん、ありがとうございました」
「支配人に言われると、あいつらも幸せ者ですよ」
まさと話している地山を見つめていた八造は、真子を守る体勢に入っていた。 どうやら、本能が地山の奥に眠る何かに反応した様子。
「八造くん、大丈夫だと言ってあるのに……ったく」
春樹が嘆く。 地山が真子の前にしゃがみ込み、頭を撫でようと手を差しだした所を、八造がその腕を掴んで阻止していたのだった。 八造に腕を掴まれた地山は、その手を伝って、八造を見上げた。
「……猪熊さん、若返りましたな。どういう技を?」
「……………あのなぁ………」
呆れたように呟く八造に、春樹とまさは、笑っていた。
地山を交えて、デザートを頬張りながら話し込む春樹たち。真子は、まさの腕に抱きかかえられていた。
「本当に、似てますねぇ、猪熊さんに。その髪型も」
「別に親父を真似た訳じゃありませんよ。地山さんも
親父を御存知だとは、驚きました。やはり、その世界には
親父の事を知っている者が多いんですね」
「当たり前だ。阿山慶造の側に猪熊修司有り。こう知れ渡ってるよ」
「そうですか」
「今年も来られると思ったんですが、真子ちゃんだけとは。
真子ちゃん、寂しくないのかい?」
「うん! だって、まささんが居るし、まきたんも居るもん。それに、
今年からは、八造さんが一緒だから、寂しくないもん!」
元気に応える真子を見て、春樹達の心配は、どこかへ吹っ飛んでいった。 真子が、元気を取り戻し始めた。 以前のように、明るく元気な女の子に……。
「クリスマスプレゼントは、もらった?」
「このパーティーとドレス!! まささんからもらったの!」
「そっかぁ。まさちゃんからのプレゼントかぁ〜。それで、真子ちゃんに
とても似合っているんだね。まさちゃんは、なんでも最高の物を
知ってるから、安心できるんだよぉ〜」
地山は、真子の頭を優しく撫でていた。
「真北さんからは、もらった?」
地山が尋ねると、真子は考え込んだ。
「……もらってない……」
春樹の表情が引きつる…。確かに、プレゼントはあげてない……。
「でも、いいの! まきたんは、真子の側に、ずっと居てくれるって
言ったもん! 真子、それで充分だもん!」
真子ちゃん……。
真子の言葉に感極まる春樹。 真子を守る。 その言葉を真子は、別の意味で捉えた様子。 離れない、そして、死なない。 その思いから、真子を守ると言った春樹。 だが、真子は、心の声を聞いていたのだった。その事は、春樹達は気付いていなかった。何かを吹っ切るような真子の笑顔が、そうさせていた。
大喜びの中、真子は春樹の腕の中で眠りに就いた。部屋に戻り、真子の服を着替えさせ、ベッドに寝かしつける。真子の頭を優しく撫で、頬にそっと口づけをし、春樹は部屋を出て行った。廊下に出た春樹は、財布の中を確認する。
真子ちゃんのプレゼント……。
大広間での真子の言葉で、一時は安心したものの、やはり、気になっていたのだった。 真子にプレゼントをあげていないと言う事が……。
次の日、真子と八造は、ゲレンデで一日を過ごしていた。リフト乗り場では、昨夜のパーティーで少しだけ話をした三人の女性客と一緒になり、真子は楽しく話し込んでいた。 女性たちの目当ては、八造なのだが……。 そして、真子と八造、女性達はリフトに乗って、ゲレンデの上へ目指して行った。
その様子を支配人室の窓から見つめていたまさは、同じ部屋にいる春樹に話しかけた。
「笑顔が戻って、人見知りも直って、安心ですか?」
「……ここではな」
煙草を吹かしながら、春樹がぶっきらぼうに応える。
「何か不安でも?」
まさは振り返る。
「あぁ。…ここと本部じゃ、雰囲気が違う。ここはとても穏やかだが、
本部は、ぴりぴりしてるだろ。…真子ちゃんのあの能力が
関係してるのか、真子ちゃん……気を張りつめてるからさ…」
「そう仰るあなたの方が、張りつめておられるのでは?」
少しだけ口元をつり上げ、挑戦的な眼差しを向けるまさに、春樹は、微笑むだけだった。そして、煙草をもみ消し、立ち上がる。まさの隣に立って、同じようにゲレンデを見つめ始める。
「真子ちゃんって、やっぱり運動神経、良い方だよな?」
「以前は、危なっかしかったんですが、驚きましたよ」
真子と八造が、ゲレンデを滑ってくる。その様子を見つめていた。
「六歳で、あの滑りは、まるで雪ん子ですよ」
「まさもなんだろ?」
「雪国育ちですから。真北さんは学生の頃ですか?」
「まぁ〜なぁ〜。授業にも含まれていたもんな」
「授業に?」
「あぁ。刑事のな」
「……不思議な所だったんですね」
「特別らしいよ、あの大学は」
「そうですか」
真子と八造が、リフトに乗った。
「あらら、女性たちを撒きましたよ」
まさが言った。
「女性って、パーティーの時に、八造くんに話しかけてきた人か?
真子ちゃんと仲良く話してる振りして、実は、八造くん目当ての…」
「八造くん、奥手なんですか?」
「やり手なだけ」
「さよですか………。…心配じゃないんですか?」
「心配だよ。…だけど、真子ちゃんはお兄さんのように慕ってるからさ、
あまり強く言えないだろ。…まぁ、猪熊さんは、思いっきり怒ってるけどな。
必要以上に触れるな…って感じで」
「手厳しいですね」
「そうでないと、慶造を叱れないだろ?」
「確かに」
沈黙が続く。
「雪、降りますね…あの雲行きは…」
まさが呟いた。
「それなら、二人を呼び戻さないとな」
ソファに置いてあったコートを身にまとい、春樹は外に出る準備をする。
「お前は仕事だろ?」
まさの行動を阻止するかのように、春樹が強く言った。
「は…まぁ……そうですが……」
「あまり、真子ちゃんにばかり構ってると、真子ちゃんが怒るぞぉ」
「それは、困りますね。では、今日は仕事に専念しますか」
「ずっとしておけ」
冷たく言って、春樹は支配人室を出て行った。
「ったく……」
ちょっぴり寂しさを感じた、まさだった。
大晦日。
新たな年を迎える準備に忙しいこの日、真子達は、のんびりと時を過ごしていた。 スキーを楽しんだり、ホテルの庭で雪だるまを作ったり、休憩時間のまさと楽しく話し込んだりと、年末年始の忙しさに関係なく、時を過ごす真子たち。 その日の夜。 真子は、遊び疲れて、九時頃には熟睡していた。 八造は、春樹に言われて、自分の時間を過ごす事にした。 浴衣姿で温泉へと足を運ぶ八造。 温泉は、ほとんど貸し切り状態になっていた。素早く浴衣を脱ぎ、浴場へと入っていく。体をゆっくりと洗い、頭もオールバックになった後、湯に浸かる。その日の疲れを解すように、体を動かしていた。 ふと何かを思い、泳ぎ出す。 自宅のお風呂は、八人兄弟が一緒に入れるくらい大きいが、流石に大浴場は、それ以上に広い。その大浴場に、たった一人という思いから、開放感に見舞われ、まるで子供のようにはしゃぎ始める八造だった。 そこへ、まさがやって来た。 人の気配に敏感な八造は、警戒態勢に入った。
「俺だよ。気にするなよ」
「原田さん。仕事終わったんですか?」
昼間の雰囲気と違い、親しげに話しかける八造に、まさは驚いていた。
「大晦日は、早めに切り上げるんでね。こうして、お客様が
居なくなった時に、入ってるんですよ」
「俺は客じゃないんですね」
「身内ですから」
そう言って、まさは、体に湯を掛けて、洗い始めた。 八造は、まさを見つめていた。
「あまり見つめると照れるんだけどなぁ〜」
「その傷ですか? 小島のおじさんとの対決…」
「瀕死の重傷だったよ。小島さんも同じにね。胸の傷の一つは
背中に達した。…それでも俺は生きている」
体の泡を流し、頭を洗い始める。
「元殺し屋……見えませんね」
「支配人として生きて約三年。まだまだですよ」
「まだ…とは?」
「身に付いたモノは、抜けにくいということです」
シャワーのコックをひねり、頭の泡をしっかりと流すまさ。その様子をジッと見つめている八造だった。
「真北さんに聞きましたよ。明日まで休暇を頂いたとか」
「お嬢様から言われました。まぁ、恐らく、真北さんが
言うようにと仰ったんでしょうね」
「あの人のことですから」
体を洗い終えたまさは、八造の居る方へとやって来る。
「八造くん、露天風呂に行きましょうか?」
「そうですね」
「恐らく、星が綺麗に見えるでしょう」
二人は、露天風呂へと出て行った。 大きく息を吐きながら、湯に浸かる二人。空を見上げ、星を眺めていた。
「本当に素敵な所ですね。星があんなに近くに見えます」
「心…和むだろ…」
「はい。このように、のんびりしている所を親父に見られると、
恐らく、鉄拳が飛んでくるでしょうね」
「猪熊さん、本当に厳しい方ですね」
「原田さんの目には、どのように映っているんですか?」
「猪熊さん?」
「はい」
「そうだなぁ〜……。慶造さんの事を守らなければという思いが強い人。
それが、猪熊さんの生きる世界だから、仕方ないでしょうね。
でも、慶造さんの体だけじゃなく、心も守ろうとしておられます」
「心…」
「えぇ。お二人を観ていて、常に感じてました。慶造さんは、猪熊さんを
猪熊さんは、慶造さんを。お互いが信じ合ってます。それも見えない所で。
それは、長年一緒に暮らしていたからでしょう。小島さんにも、そして、
敵であるはずの真北さんにも感じられるものです」
まさは、八造に目をやった。その目線に気付いたのか、八造が振り返る。
「それが、絆というものでしょうね」
「絆…?」
「はい。こうして、出逢ったのも何かの縁。…そういう言葉を
耳にしたこと、あるでしょう?」
「あります」
「それは、恐らく、目に見えない絆で繋がっていたから。私も
その絆に繋がっていたんでしょうね」
まさは微笑んだ。
「俺も繋がってるのかな…」
八造は、自分の手を見つめながら言った。
「だから、こうして、お嬢様の所にやって来た。例え強引に
権利をもぎ取ったとしても、それは、絆によって引き寄せられたもの。
そう考えると、落ち着くものですよ」
「絆に引き寄せられた……」
「悩む事はありませんよ。自分が思った通りに生きればいいんです」
「原田さんは、そうなんですか?」
「その昔、命令されて生きていた時代がありました。しかし、私は
その命令が間違っていると思った時は、反発してましたよ」
「……俺には、できません…」
八造が呟く。
「俺は、お嬢様の言葉には、絶対に逆らえません。…そのように
親父に強く言われましたから」
「猪熊さんだって、そうですよ。慶造さんの言葉には逆らってません。
だけど、慶造さんが間違った答えを出しそうな時は、逆らってます。
…う〜ん、逆らうと言うより、正しい応えに導こうとしてますね。
だからこそ、慶造さんは猪熊さんを信頼しておられるんでしょう」
「それは、観ていて解る。……でも、俺…」
「昔は、それが嫌だった?」
「はい。猪熊家から、逃れたい一心で体を鍛えていました。
だけど、どうしてなのか解らない。……俺は、この道を選んだ。
間違っているとは思っていない。これが、良かったんだと、
俺は思ってます。でも、俺には…」
「猪熊さんのようになれない…。そりゃぁ、そうでしょう」
まさの言葉に、八造は怒りを覚えた。しかし、次に発せられた言葉で、心を落ち着かせた。
「八造君は、猪熊修司じゃありませんから。なろうとしても
無理ですよ。八造くんは八造くんなんですよ? だから何も
無理してまで、猪熊さんを目指す事はありませんよ」
「だから、自分が思った通りに生きればいい…んですか……」
「えぇ。八造くん」
「はい」
「自信を持っていいんですよ。だって、ほら。お嬢様の心の扉を
開けたんでしょう? あの事件以来、笑顔が無かったお嬢様が、
八造くんと過ごし始めてから、笑顔を見せるようになったんでしょう?
それは、八造君が思う通りに、お嬢様と接したからじゃありませんか?」
「自分と重ねて観てしまっただけですよ。母を亡くした寂しさ…
俺、今でも忘れてませんから。だから、俺は、こうしたら良いと
思ったことを、お嬢様にしただけです」
「それでいいんですよ」
「………。………そうですね」
何かに吹っ切れたような表情で、八造が応えた。
「さぁてと。長湯は体に悪いですから、そろそろ上がりましょうか。
あっ、そうだ。今夜、一杯どうですか?」
「えっ?」
「こんな私ですけど、一晩くらい、羽目を外したい時がありますから。
お付き合いしてもらえますか?」
まさの言葉に、一瞬戸惑ったが、八造は、素敵な笑顔で応えていた。
「はい! 喜んで!!」
二人は揃って露天風呂を出て行った。
妙に意気投合したのか、二人は湯川の部屋で、明け方近くまで飲み明かしたのだった。
(2005.3.7 第六部 第八話 UP)
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