第六部 『交錯編』
第一話 登場! 前髪の立った強い奴
阿山組では幹部会が開かれていた。
そこには、絶対に顔を出さないと言われている春樹の姿もあった。
慶造が、鋭い目つきで春樹を睨んでいる。
春樹も負けじと睨み返していた。
二人から醸し出される怒りのオーラに、幹部達は何も言えず、ただ、目を伏せて、一点を見つめているだけだった。 何かを発すれば、とばっちりを受けそうな予感。 少しでも物音を立てようなら、獲物を狩るような目つきで睨まれそう。 緊迫した雰囲気の中に、ため息が漏れた。
!!!!!
「四代目、そして、真北さん」
それは修司だった。 あまりにも長引く睨み合いに業を煮やした修司が、言葉を発する。
「なんだよ」
春樹と慶造は、声を揃えて返事する。
「睨み合うのは、後にしてください。話が進みませんよ」
「こいつの返事を聞いてからだっ!」
どうしても声が揃う二人。それが、更に怒りをかったのか、お互いが立ち上がり、睨み合う。
はぁ…ったく……。
呆れたように頭を掻く修司は、その場を仕切り直すように話を続けた。
「それでは、四代目の意見と真北さんの意見を重視する形で
勧めたいと思います」
修司の言葉に、誰もが驚いたように顔を上げた。
「って、猪熊さん!」
「猪熊、何をっ」
「お二人の意見は無茶な事は言ってませんよ。どちらも可能です。
片方をするもよし、両方をするも良し。…両方を辞める事は
そこに居る、厚木会長の行動に賛成するようなものでしょう?
そして、二人とも御自分の意見を曲げようとはしない。それなら
両方をする事が一番良い事でしょう?」
お互いの立場は違っているんですよ?
長々と語る修司の目の奥に宿る思いだった。 春樹は、ドカッと座り、頬杖を付いた。 慶造も春樹と同じようにドカッと座った後、背を向ける。
「それでは、これで。それぞれの末端の組の連中を抑える事は
忘れないように。未だに、黒崎組系列とのいざこざが絶えない
ようですから。黒崎五代目は、ここを去って、薬剤関係に
力を入れているのですから、事を荒立てないようにしてください」
「はっ」
「本日はこれで」
修司の言葉と同時に、幹部達が動き出す。机の上の書類をまとめ、懐にしまいこむ。 厚木会長に声を掛け、新たな銃器の説明を受けようとする幹部も居た。それぞれが会議室を出て行く。残ったのは慶造と修司、そして、春樹の三人だった。 幹部会が終わっても、二人の怒りのオーラは納まっていない。 春樹が静かに席を立つ。そして、会議室を出て行った。
「少しは、真北さんの立場を考えてやれ」
修司が怒った口調で言った。
「解ってる。…だけどな、俺の心が追いつかん」
「はぁ〜あ。俺の身も考えてくれよ……」
「それなら、影で守るような行動を取るな」
「暫くは、山中に任せて、お前は休め」
「無理をさせたくない」
ふてくされる慶造。
「山中は、お前に付いていくと言ったんだろ? この世界で生きていく
決心をした男を引き離せるのか?」
「ちさとが怒る…」
「…もう、関係ないだろ…山中には」
「それでも……」
「ったく、煮え切らない奴だなぁ。…真子お嬢様に会わないからだ」
修司の言葉に、慶造はピクッとする。 あの事件以来、慶造は真子に、どう接していいのか悩んでいた。 ちさとに言われて、春樹に怒られながらも、やっとのことで『父親』として、接する事が出来た慶造。しかし、ちさとを失ってから笑顔が消えた真子に、どう接して良いのか、言葉を掛けていいのか、解らなくなっていた。 真子に対して、負い目がある。 大切な者を守れずに居る自分に対しても…。
「いつものように接すればいいんだよ」
「…それが出来てれば、悩んでいないだろが」
「慶造。真子お嬢様も待ってるんだって。お前が声を掛けるのを。
栄三ちゃんも言ってたろ? ちさとちゃんを死なせたのは、自分が
悪いんだと、ずっと思っていると。そして、組員達の気持ちを
察しているのか、誰とも会おうとしない…と」
「真子は悪くないのにな…」
「栄三ちゃんだって、真子お嬢様に話せずに居るだろが」
「あぁ。……歯車が…狂ってしまったよな…。……俺が…」
ったく……。
「こういう場合は、深く関わらなかった人物が必要だよな」
「その方が、心の闇を取り除いてくれる可能性がある…」
「そういうことだ。…ということで、あの話を勧めるぞ」
修司の言葉は、突然だった。
「…あの話?」
「そうだ、あの話」
「????」
修司の言葉に疑問を持ちながら、慶造は話しに耳を傾けていた。
「ところで、午後の行動だけどな……」
とある夜。
春樹は、フッと目を覚ました。
真子ちゃん、どうしてるかな…。
真子の寝顔を見る事は、以前から春樹の日課になってる。しかし、今は、真子の事が心配で仕方がない。
あの事件以来、真子は夜中に泣きわめく事があった。 慶造には伝えていないが、それが頻繁に起こり始めた。それが先日、春樹自身も恐れてしまう状態に…。
泣きわめいた真子が、目を開いた。その目は赤く光り、体も仄かに赤く光り出し、そして、地を這うような声で言った、
許さない…
その言葉が気になる春樹。 ふと脳裏を過ぎったある資料が、春樹に衝撃を与えていた。
青い光と赤い光が存在する。それは、命を救う光と命を奪う光を操る能力。
気が付くと、真子の部屋のドアを開け、静かに眠る真子の側に座り込んでいた。 穏やかな表情で眠る真子を見つめる春樹は、真子の頭をそっと撫でる。
「真子ちゃん、お誕生日……おめでとう。…いつものように
遊園地で楽しんでも良かったんだよ?」
今年も自分の誕生日は、遊園地で楽しむと毎日のように話していた真子。だけど、その日を迎える前に、真子は笑顔を失い、感情までも失いつつあった。 この日、天地山のまさから、誕生日を祝う電話をもらった真子。その時は、笑い声もあった。しかし、電話を切ったあと、更に寂しそうな表情になり、一人、部屋に閉じこもってしまった。真子の事を心配した料亭の笹崎も足を運んでやって来た。しかし、真子に逢う前に、慶造に追い返されていたのだった。 真子が寝返りを打つ。
「真子ちゃんは、まだ六歳なんだから。…もっと素直に……」
そっか…素直だから、こうなるのか…。
「真子ちゃんは、悪くないんだからね…」
春樹は、真子の耳元で何かを呟いていた。
春樹が自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ時だった。 真子の部屋から、真子の叫び声が聞こえてきた。
「真子ちゃん!!」
慌てて春樹は部屋を飛び出し、真子の部屋に駆け込む。 真子はベッドの上に座り、何かに向かって叫んでいた。
「ママが…ママが!! ママが…死んじゃう!!!」
真子は先日と同じように、錯乱状態に陥っていた。春樹は、真子に手を伸ばし、しっかりと抱きしめる。 その時、またしても、例の光を目の当たりにし、そして、真子とは思えない程の声を耳にした。
「ま……真子ちゃん……」
真子は、春樹の腕の中で気を失った。
慶造の部屋。
春樹は、慶造に真子の様子を包み隠さず話していた。慶造は頭を抱えて、呟いた。
「時々、夜中に錯乱状態になる…か…」
大きく息を吐いた慶造は、天を仰ぐ。
「そりゃぁ、目の前で…な…」
「…慶造…」
「…真北、お前、確か、心理を操る術を持っていたよな」
「あぁ。だが、それは…」
「…真子の事も気になる…。俺だけでなく、ちさとの血も
継いでるんだよ…。まだ、幼いけど…もしかしたら…と
思うと、…俺が…怖いんだよ…」
「慶造…」
春樹の声には、何か隠しているような雰囲気があった。
「真北、他に何かあるのか?」
「……あぁ……実はな…」
その時、慶造の部屋がノックされた。
「猪熊です。失礼します」
修司が部屋に入ってくる。その修司の後ろには、よく似た男の子が付いて入ってきた。 修司の後ろに腰を下ろし、姿勢を正した男の子は、若い頃の修司と同じように前髪が立っている。 鋭い眼差し、そして、醸し出すオーラは、どことなく、近寄りがたいものを感じる。
「…猪熊…、お前…その子は…」
「四代目。先日お話していた件です」
「話?」
慶造は、数日前に、修司が言った言葉を思い出した。その途端、怪訝そうな表情に変わった。
「……あのなぁ〜」
「自己紹介しろ」
修司は、慶造が言おうとした言葉が分かった為、側に居る男の子に促すように言った。
「猪熊八造です」
八造と名乗った男の子は、深々と頭を下げ、
「未熟なところが多いですが、宜しくお願い致します」
丁寧に挨拶をした。
「…修司、八造君に何をさせるつもりや。俺の言葉、忘れてないやろ?
それに、八造君、確か、家を出ると言ってなかったか? その意志は、
ここに来ることだったのか?」
優しく語りかける慶造に、八造は何も応えず、頭を下げたままだった。
「…猪熊さん。まさかと思いますが、真子ちゃんに?」
「はい。慶造には伝えてますが、やはり、深く関わらなかった者が
側に居る方が、お互い、気にせずにすむこともございます」
「あまり、増えて欲しくはないんだが…」
春樹の言葉には、別の意味も含まれている。それに気付いたのか、慶造は、見えない速さで、春樹に蹴りを入れていた。直ぐ後に、春樹も慶造に蹴りを入れている。 お互い睨み合うところで、修司が、咳払いをした。
「ちっ…」
慶造と春樹は、舌打ちをしながら、目を逸らす。
「!???」
二人のやり取りを何となく雰囲気で感じ取った八造は、不思議に思いながらも、顔を上げた。
「真北」
「あん?」
春樹の怒りは納まっていない。
「真子に八造君を紹介してくれるか?」
「なんで、俺なんだよ」
「お前からなら、真子は怖がらないだろ? それに、俺は、
こいつに言いたいことがあるんでな…二人っきりで…」
という、慶造の口調には怒りが含まれている。
「わかったよぉ。…ったくぅ」
春樹は立ち上がり、
「大人しくやれよ」
なぜか、念を押す。
「さぁ、どうだかなぁ〜」
慶造は、軽い口調で応えた。
「八造君、こっちだ。行くぞ」
「はっ。失礼します」
春樹を追いかけるように、八造は立ち上がり、慶造に深々と頭を下げて、部屋を出て行った。 静かにドアが閉まる…と同時に、慶造が息を吐く。慶造の鋭い眼差しが、修司に向けられた。
「お前の意見は聞かないぞ」
慶造の眼差しに応えるように修司が言うと、慶造が、呆れたような表情で応える。
「何も言ってない。…ただ、栄三が嘆きそうだなぁと思ってだなぁ〜。
…あの日以来、栄三は張り切ってるぞ」
「解ってる。…だけど、栄三ちゃんは、顔に出るだろが」
「それより…」
「ん?」
「八造くん、よく承知したな…確か、嫌がってたろが、阿山家と
猪熊家の仕来りに」
「そうなんだが…本当に何を思ったのか解らん。…解ってるのは
あいつが、剛一の為に本気になったって事だけだ」
慶造は、フッと笑う。
「お前の血が一番強いのは、八造君だったってことか」
「どういう意味だぁ、慶造ぅ〜」
「人を思う心が強いって事だ。剛一くんの彼女の事を考えたんだろ?」
「らしいよ……」
そう応えて、修司は項垂れた。
「お前の思い、嬉しいけどな…真子を哀しませるような事だけは
八造君にさせるなよ」
「それは、嫌と言う程、言い聞かせたから、安心しろ」
「ったく……」
慶造は、煙草に火を付けた。
「十六になったのか、八造君。月日が経つのは
早いなぁ…って、学校は?」
「行ってません。中学も中退しました」
「学歴も大切なんだけどなぁ」
「私には関係ありません。独学で大丈夫ですから」
「…猪熊さんからは、どう聞いた?」
「私が守るべき方と、顔を合わせるとお聞きしております。
顔を合わせた後は、もう、家には戻れません。私にとって、
これからの生活は……」
「…阿山家と猪熊家の事は、俺も端から見てたから、良く知ってる。
慶造が反対してることは、知ってるのか?」
「はい」
「それでも?」
「はい」
春樹も溜息をついた。
「真子ちゃんのことは、どう聞いている?」
「母を亡くし、これからの事を考えると、私が必要だと言われております」
「覚悟は決まってるってか…ったく。…ま、兎に角だ、暫くは様子を見る
だけだろけどな」
「ご教示、宜しくお願いします」
会話をしていると、八造に緊張を感じた春樹は、歩みを停めた。八造も、歩みを停める。
「あのな、八造君。緊張してると、真子ちゃんに悟られる」
「私、緊張してるように見えますか?」
「あぁ。…真子ちゃんに会えば、その緊張も……更に強まるぞ」
「えっ!!」
「六歳だけど、そんじょそこらの六歳とは違うからなぁ。
しっかりしてるぞ。覚悟しとけよ」
春樹が言った『覚悟』の意味は、まだ、このとき、八造は理解出来なかったが、取り敢えず、
「はっ」
力強く返事をしていた。
真子の部屋の前に立ち、春樹はドアをノックする。
『はい』
「真北です」
ドアに向かって駆けてくる足音が、部屋の中から聞こえてきた。鍵が開き、ドアが開いた。
「まきたん! おはようございます」
真子は元気よく挨拶をした。
今日も元気で良かった。
春樹の顔が綻ぶ瞬間だった。
「おはよう、真子ちゃん。……その…まきたんは、止めてくださいね」
ちょっぴり膨れっ面になる真子は、春樹の後ろに居る男の人に目をやった。
「紹介するね。八造君」
「お嬢様、初めまして。猪熊八造と申します。
宜しくお願い申し上げます」
八造は深々と頭を下げた。
「いのくまおじさんの…むすこさん?」
「ご名答」
「はじめまして、あやままこです」
真子も元気に自己紹介をした。これには、春樹は驚いた。
「……わたしの……ごえいですか?」
静かに尋ねる真子に、春樹が応える。
「あっ、それは慶造に聞いてないや。真子ちゃんに紹介してくれと
言われただけだよ」
「そうですか…」
真子自身も知っている。 阿山家と猪熊家の事。 慶造が常に気にしていた事は、母・ちさとからも、聞いていた。
「…わたしには、ひつようありません。だから、おひきとりください」
真子は深々と頭を下げた。
参ったなぁ〜。
「…ごめんなさい、まきたさん。きょうは、ひとりでいたいから…」
「うん。でも、何か遭ったときは、すぐに連絡してくださいね」
「はい。ありがとうございます。しつれいします」
真子は八造に一礼して、部屋へ戻っていった。
「仕方ないか…。八造君、行くよ」
「私は、こちらで」
「まだ、言われてないだろ? 大丈夫だから」
「いいえ、お側で待機しておきます。何か御座いましたら、
真北さんへご連絡差し上げることでよろしいですか?」
「あぁ。じゃぁ、頼んだよ」
そう言って、春樹は去って行く。 春樹の姿が見えなくなった途端、八造は、真子の部屋から少し離れた所に立ち、いつでも動けるようにと気を引き締めた。
六歳には、思えない感じだなぁ。真北さんの教育なのかな…。
そう思いながら、八造は、窓の外に目をやった。 そこから、懐かしい何かを感じ取った。 あの頃……。
春樹が慶造の部屋に戻ってきた。
「…って、おいおい、真北。二人っきりにさせたのか?」
「真子ちゃんが必要ないって、部屋に閉じこもったんだよ。
まぁ、考えられた事だけどな。…だけど、八造君が、
側に居るってさ」
「初日から、その態度か…はぁ、先が思いやられるよ…」
「悪かった慶造…。八造に言っておく」
「仕方ないだろ、真子ちゃんにとっては…」
修司と春樹は同時に言葉を発するが、それぞれは、慶造の言葉を違う意味で摂っていた。
「……慶造、どっちに対しての言葉だ?」
春樹が尋ねた。
「八造くん。…ったく、修司の教育が厳しすぎるからだ」
「お前に初めて逢った時、俺の態度もそうだったろがっ!」
「俺は嫌がっただろ! その態度を改めろって」
「しかしだな、男と女だぞ。お前と俺のような仲だと、
何が起こるか………あっ………」
あまり、男女の関係の話は、春樹と慶造の前ではしない方が良い。 男女の関係で、三角関係になった二人には…。
「八造くんは、お前ほど、手は早くないだろが」
「あのなぁ〜あいつも、初体験は中学入る前」
お茶を飲もうと手を伸ばした春樹は、思わず湯飲みを倒してしまう。
「安心しろ。お嬢様に手は出せないって」
「あったりまえだっ!!!」
春樹と慶造の怒鳴り声が響いた。
八造が、窓の外を見つめながら、遠い昔を思い出している時だった。 真子の部屋のドアが開き、真子が顔を出していた。八造は、素早く真子へと歩み寄る。
「お嬢様、何か御座いましたか?」
「あの……はちぞうさん。たいくつでしょ?」
無表情ながらも、優しく尋ねてくる真子に、
「は、はい」
と応えてしまう八造。すると、突然、真子は、八造の手を掴み、何処かへ向かって歩き出した。
「あ、あの、お嬢様??」
真子が何をしようとしているのか解らない八造は、真子を呼ぶが、真子は、そんなことはお構いなしに、歩いて行った。 玄関までやって来た真子と八造は、玄関で待機している組員が一礼する中を通り、門から屋敷を出て行った。
少し深刻な表情をしながら、屋敷内を歩く栄三。向かう先は、真子の部屋だった。 真子の部屋に通じる廊下を曲がった時、深刻な表情は、笑顔へと変わる。 真子の前では、笑顔を見せる。 それは、未だにぎこちないものの、栄三が常に心がけていることだった。 真子の部屋の前に立ち、ノックをする。
「お嬢様、只今戻りました」
返事が無い。
「お嬢様、入りますよぉ」
いつものように、軽い口調で言って、栄三はドアを開けた。
「失礼します………居ない……」
栄三は、屋敷内に集中する。 真子の気配を感じない。 鋭い眼差しに変わった栄三は、慶造の部屋に向かって駆けだした。
まさか……!!!
焦る気持ちを抑えつつ、ノックもせずに、慶造の部屋に駆け込んだ。
「失礼します!! 四代目、真子お嬢様が居ません!」
「何?!」
慶造は、立ち上がり、慌てて部屋を出ていく。そして、真子の部屋へ駆け込んできた。
そこには、人の気配は感じられない……。
「……どこに行った? 八造君の姿もない……」
栄三が、遅れてやってくる。
「まさか、外に……」
「と、兎に角、外を探せっ!」
「はい!!」
慶造の言葉で、栄三は走り出す。玄関で組員に尋ねることも忘れるほど、栄三は焦っていた。
あの日の二の舞は、ごめんだっ!
栄三の脚は、迷うこと無く、あの公園へと向かっていた。
「ったく。何かある時は連絡しろって、言ったのになぁ」
春樹は嘆いたように言った。
「すんません。真北さん」
「まぁ、真子ちゃんが、強引に…だったら、連絡入れる時間も
くれないだろうからなぁ」
「すんません…」
なぜか、平謝りの修司。 そんな姿に慶造は微笑んでいた。
「八造くんが付いているなら、大丈夫だろ」
「それでも…」
ったく……。
修司は、こみ上げる怒りをグッと堪え、拳を握りしめていた。
真子と八造は、公園に来ていた。真子は、ブランコに座り、揺れていた。 その姿は、すごく哀しげで、八造は、声を掛けることが出来なかった。 何かあれば連絡すると、自分から言っておきながら、八造は、春樹に連絡すら出来ないまま、真子に連れられて公園に来てしまった。連絡をしに戻ることは、真子を危険にさらすことになる。そう考えると、真子を『守る』方を優先していた。 思わず、護衛のオーラを醸し出す八造は、辺りを警戒する。 特に怪しい感じは無い。
「……ママと……」
真子が静かに語り出した。 小さな声だったが、八造には聞こえていた。
「お嬢様……」
八造は、真子の心が痛いほど解っていた。 自分も昔……。 八造は、真子が乗るブランコにそっと近づき、ぎこちなくブランコに乗る真子の後ろから、優しくブランコを揺らし始めた。
「俺も、その気持ち、解ります」
呟くように言った八造に、真子が振り返る。
「真っ直ぐ見ていないと、危ないですよ」
「うん」
「もしかして、初めて乗りますか?」
真子は照れたように頷いた。 八造は、ブランコを揺らす手を止め、真子の前に回った。
「しっかり座って、ここを握りしめてくださいね。そして、
初めは、こうやって、後ろに下がってから、ブランコに座る感じで
飛び上がるようにして、脚を放します。すると、反動で
前に行くので、脚を伸ばしてください。そして、後ろに
戻ってくるので、その時は、脚を曲げてください。いいですか?」
「う、うん。やってみる」
真子は、八造に言われたように、後ろに下がり、そして、脚を地面から放した。 ブランコは、逆らうこと無く、前へと向かっていく。真子は、八造に言われた通りに脚を動かして、自分の力でブランコを揺らし始めた。
「その調子です」
八造が笑顔を見せた。それにつられるかのように、真子も笑顔を見せていた。和やかな雰囲気に包まれた頃、公園の入り口では、真子と八造を見つめる目がたくさんあった。
真子は脚を止めた。そして、ブランコはゆっくりと停まった。
「はちぞうさん」
「はい。次は、どれにしますか?」
真子は首を横に振る。
「さっきは、ごめんなさい」
真子は立ち上がり、八造に頭を下げた。
「お嬢様…」
「わたし……」
真子が何かを言おうとした時だった。八造の表情が変化した。 八造は背後に殺気を感じ、ゆっくりと振り返った。そこに立つ、怪しげな男達に、八造は真子の姿を自分の体で隠すように立ち、警戒した。
「あんちゃん。そのお嬢さんを返してもらおうかなぁ」
低い声で八造に言ったのは、真子を探して公園にやって来た栄三だった。栄三の後ろには、もちろん、組員達が立っている。
「それは、どういう意味かな?」
栄三に恐れる事無く、八造が尋ね、攻撃態勢に入った。 八造の仕草に応えるかのように、栄三たちも攻撃態勢に入る。 突然の事に、真子は八造を見上げる。 八造の眼差しに何かを感じた真子は、そっと、八造の後ろから顔を出した。
「あっ、えいぞ……」
真子が声を掛ける前に、八造も栄三も組員も、攻撃を開始した。 栄三の後ろから八造に飛びかかる組員は、八造に、簡単に倒されてしまう。その途端、他の組員は更に殺気立ち、八造に次々と飛びかかっていく。 しかし、ことごとく、八造に倒されてしまう。 八造は、真子の姿を背後に隠したまま、その場を動くことなく、駆けつけた組員達を全員倒してしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
背後の真子に、そっと声を掛ける八造。
「うん…」
真子は、一瞬のうちに目の前で起こった出来事に驚いていた。 八造の前に立つのは、栄三、ただ一人だった。
「お嬢様に…何のようだ?」
低い声で八造が言う。その声から感じるものこそ、本来の八造の仕事=阿山家の人間を守るというオーラだった。
「お前…誰だ?」
栄三が尋ねた。
「あいにく、お前に名乗るような者じゃないんでね」
「ええ度胸やな、俺を前に…」
栄三のオーラが、変化した。それに感化されたように、八造が醸し出すものが変化した。
「お嬢様、そこから、動かないでくださいね」
そう言った途端、栄三が差し出した拳を受け止めた。途端に、栄三の蹴りが八造の腹部に向かってくる。それを避けた八造は、栄三の腕を掴み、栄三をねじ伏せた。 だが、栄三は、その腕を簡単に返し、八造に蹴りを炸裂! それら全てを寸でで避ける八造だった。
「俺のこれを避けるとはなぁ」
「…手加減しない方が、あんたには、良さそうだな…」
言うやいなや、八造は力強く拳を握り、栄三に差し出した!!
「えいぞうさんっ!!!」
真子が叫び、八造の腕に抱きついた。
「お、お嬢様?!」
八造と栄三が同時に言った。
「…なんだよ、お前…」
八造が言った。
「お前こそ……誰だ?」
栄三は顔面すれすれで停まっている八造の拳を見つめながら、八造の腹部に差し出してる右手を引っ込めて、尋ねた。
「猪熊八造。今日から、お嬢様の側に居ることになった」
「……八造君???? えぇぇええっ!!! 俺、小島栄三だよ」
「あんたが、小島さんの……?」
「てか、なんで、お嬢様と公園に居るんだよっ」
目の前にある八造の拳を払いながら言った栄三は、真子に目線を移した。
「ご、ごめんなさいっ!! わたしが、はちぞうさんと…」
「誰にも言わずに?」
「…はい……」
恐縮そうに真子が返事をした。
「……お嬢様ぁ…。そのような行動は駄目だと……ったく…。
だから、こうなるんですよ…」
栄三は、地面で蹲っている組員たちを指さしていた。
「ごめんなさいっ!!!」
「しっかし、凄いなぁ。こいつら、強者揃いなのになぁ。
それに、俺も、腕には自信があるんだけどなぁ」
「……俺に避けられるとは、まだまだですね」
「えらい言われ方や、俺…」
八造は、栄三を睨んでいる。
「兎に角、お戻りになってください、お嬢様」
栄三が優しく言ったが、真子は首を横に振った。
「どうしてですか? 慶造さんも真北さんもご心配なさってますよ」
「…もどりたくない…」
真子の表情が一変した。凄く暗い表情になる。まるで、何かを心配してるように、八造を見上げた。その眼差しで、八造は、真子が心配していることを悟る。
「大丈夫ですよ。私が怒られますから」
「…でも………」
「気になさらないでください。…だから、帰りましょう」
八造は、真子を見上げるようにしゃがみ込み、そっと頭を撫で、微笑んだ。 その微笑みは、真子の心配事を吹き飛ばしたのか、真子は、そっと頷いた。
「……和むなよ…俺らは、どうなるねん」
「知らん」
冷たく言った八造は、真子と手を繋いで、公園を出て行った。
「って、ちょっと、八造く〜ん」
去って行く二人を見つめながらも、地面で蹲る組員達を介抱する栄三だった。
(2005.1.26 第六部 第一話 改訂版2014.11.21 UP)
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