第七部 『阿山組と関西極道編』
第二十五話 内緒ね!
二月末。
真子達は荷物をまとめていた。 向井と芯は、手慣れているのか、自分の荷物を直ぐにまとめる。 八造は荷物が少ない為、真子の荷物を片づけていた。 春樹は……?
「…真北さん、遅いね……」
「そうですね……」
真子の荷物もまとめ終わった。 その頃には、戻ってくると言って部屋を出た春樹。しかし、戻ってこない…。 春樹は一体、何処へ?
支配人室に、春樹の姿があった。
まさが、深刻な表情で何処かと連絡を取っている。 受話器を置いた。 ちらりと春樹を見つめる眼差しで、春樹は事態を把握した。
「……何度も言うが…」
春樹がまさに、静かに何かを告げた。
「お嬢様がお待ちですよ。早く…」
「まさ、本当に…」
「解っております。春まで週に一回、検査に行きますから」
「そうしてくれよ」
「はい」
深刻な話。 それは、まさの体のことだった。 真子には完全復帰と言っていたが、やはり、負担は掛かった様子。いつになく、疲れやすく、そして、すぐに息が上がる。体の動きも鈍っていた。真子が頂上で過ごしている間に、天地病院へ検査に行ったまさ。その検査結果は、思わしくなかったらしい。
「ちゃぁんと体を治して、この年末には、真子ちゃんを元気に
迎えてくれよぉ〜」
「それよりも、お嬢様の方が心配じゃないんですか?」
「問題は、…芯が解決したから、心配していない」
そう言った、春樹の表情は、ちょっぴり綻んでいた。
「流石ですね。将来が楽しみですよ」
まさも、春樹の表情に応えるかのように、笑顔で言った。
「ありがとな」
春樹にしては珍しく、素直にお礼を言っていた。 そうなると、もちろん…。
「………真北さん」
「あん?」
「大丈夫ですか? やはり、私のこともあって、お疲れじゃ……」
「疲れは、いつもので癒してる〜」
「さよですか…」
取り越し苦労。 心配しすぎた。 まさは、項垂れる。
ドアがノックされた。
「…ん? …はい、どうぞ」
『真北さん……準備できたんだけど…』
ドア越しに、真子の声が聞こえてきた。
「ほら、お待たせしてますよ」
「うるさい」
と言い合いながら、二人はドアに近づく。 扉を開けると、そこには、すっかり身支度を調えた真子達が立っていた。春樹の荷物は、八造が持っている。
「すまん…話が長引いた…」
恐縮そうに春樹が言うと、
「私からもお礼……」
真子が照れたように言った。 どうやら、まさにたっぷりと世話になってしまった事、心配掛けてしまった事に対する話をしていたと思ったらしい。 それに近いのだが…。
「真北さんから、たっぷりとお聞きしました。それに、お嬢様の笑顔で
お礼を言って頂いたようなものですよ」
真子の勘違いを察したのか、まさがとびっきりの笑顔で応えた。
「でも…まささん」
「はい」
「本当に、ありがとうございました。そして、これからもお世話になります!」
真子は元気よく言って、深々と頭を下げた。 顔を上げた真子は、本来の真子の笑顔を見せる。 心が和む笑顔。 その笑顔を観たまさは、一瞬、心臓が停まった感じがした。
「…大丈夫か?」
春樹が、まさの耳元でそっと言った。
「は、はい、…なんとか…」
平静を装って、まさが応える。
「それでは、駅までお送り致しますよ」
「いつもありがとうございます!」
真子の元気な声。 それを耳にしただけで、まさは、本当に安心していた。
天地山最寄り駅。 真子は、改札を通り、階段に差し掛かっても、見送りに来ているまさに、手を振り続けていた。まさも、真子に応えるかのように、手を振り続ける。 真子の姿が見えなくなった。 寂しげな表情をするまさに、そっと近づいてきたのは、駅員の秀一だった。
「真子ちゃんに笑顔…戻ったんですね」
「…ん? あ、あぁ…そうだな。…ほんと…色々と大変だったよ」
「体調は…」
「暫くは無理だな」
「春は、すぐそこですから。京介たちに任せて、暫くお休みなさった方が…」
「……秀一…」
「はい」
「ありがとな」
「…って、兄貴っ!?」
と言った途端、まさの拳が軽く飛ぶ。
「す、すいません、支配人」
「…どうした?」
「いや、その……」
「たまには、いいだろがぁ」
どうやら、まさに関わる男達は、かなり心配していた様子。 その事を知っているまさは、男達に感謝していたのだった。感謝の気持ちを表そうとしたのだが…。
「じゃぁ、俺は戻るよ。お疲れさん」
「はっ。お気を付けて」
まさは、後ろ手を振って、去っていく。
いつもの兄貴に…戻った!
まさの後ろ姿を見届けていた秀一の心の声だった。
真子が帰宅する。 本部の門を通り、玄関までやって来た。 真子は車を降りるのを躊躇っていたが、芯や八造、そして、春樹、向井の笑顔を観て、意を決して降りていった。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
組員が迎える。
「ただいま!」
いつもなら、嫌がる真子なのに、この時は、笑顔で応えていた。 真子に続き、春樹達も降りてくる。
「お疲れ様です。真北さん、お客が…」
「客?」
「はい…その…あっ…」
言いにくそうな表情をして、屋敷内に目をやった組員。そこに、その客が居た。
「……真子ちゃんの担任の…」
春樹がそう言った時だった。
「阿山さんっ!!!」
そう言って、真子の担任が靴も履かずに駆けてくる。
「先生?!」
と驚く真子を抱きしめた。
「阿山さん、良かった……。無事に……帰ってきた…。
ごめんなさいね、先生…気付かずに……。お父さんから
阿山さんの事…全部聞いたの…。本当に……ごめんなさい…」
「全部…? 私の事…?」
担任の言葉に驚く真子は、挨拶を交わした組員を見つめた。
「先生の粘り勝ちです……」
どうやら、真子が学校に来なくなった理由を、慶造に問いただし、聞くまでは引き下がらないと、強気に出た様子。
「…女性に弱いって、こういう所も弱いのかよ…慶造は…」
「真北さん、お嬢様の前です」
「あっ」
八造に言われて口を噤む春樹。
「…先生」
真子が呼んでも、担任は、真子を抱きしめたまま、泣いていた。
「先生……その……」
と言われて、やっと返事をする担任。
「はい」
「膝………」
「えっ?」
「酷い怪我に…」
担任は、真子に言われて初めて、自分が膝をすりむいて血だらけになっていることに気付く。
「これくらいの傷…平気です。阿山さんの事を考えたら…」
「…先生……ありがとうございます」
「……学校…辞めないでね、阿山さん」
「えっ?」
「お父さんが仰ったから。……先生…阿山さんの力になれないのかな…。
ううん、なりたいの。だから、…どうすれば楽しく過ごせるのか
先生と話し合おうよ。何か良い方法があると思うの」
「良い…方法を?」
「そう」
「みんなに…私のことを明かすの?」
「それは、子供達には、まだ難しいと思うわ…。みんなには、
阿山さんの欠席は病気といってあるの。体調を崩してるって…」
「……そんなことないのに…」
「言えないでしょう? 阿山さんの悩みは…」
担任の表情が暗くなる。 真子は、担任の心の声が聞こえていた。 本当に、真子のことばかり考えている。
「先生」
「はい」
「問題は…解決したの!」
「えっ?」
「私の家庭教師だった山本先生に…」
そう言って、真子は少し離れた所に立っている芯に目をやった。
「私はお話を聞いただけで、お嬢様はお一人で解決なさいました」
芯が優しく応える。
「そう…なの?」
ホッとした表情をする担任に、真子は笑顔を見せた。
「はい」
その笑顔を観て、担任は、本当に安心する。 その途端…。
「いててて……」
すりむいた膝に痛みが出てきた……。
「先生、大丈夫ですかっ!!!!」
本部にある医務室。 美穂は、担任の膝を治療して、包帯を巻いた。
「お手数お掛けしました…」
「打ち身もありますから、暫くは御無理なさらないように」
「心得ました」
そこへ真子がやって来る。
「美穂さん、先生は…?」
「大丈夫よ。大したことはないから」
「本当?」
「えぇ。それよりも、真子ちゃん」
「はい」
「あの後の、隆ちゃんと栄三のこと…聞いた?」
真子は首を横に振る。
「くまはちが、机を叩き割った事は知ってるけど…」
「その勢いで、栄三をぶん殴っちゃったらしくて…」
「ごめんなさい!! あとでくまはちに!」
「怒っちゃだめだからね」
「どうして?」
「……その原因は、真子ちゃんにあるんだけどなぁ〜」
「あっ、そうだった……後で、おじさんとえいぞうさんに謝ります」
「真子ちゃん」
「はい」
「本当に……」
美穂の言いたいことが解ったのか、真子は笑顔で応えるだけだった。
「先生」
「はい」
「お腹空きませんか?」
「そう言えば、ちょっぴり……」
「朝から粘りましたよねぇ〜先生」
慶造との一悶着を知っている美穂が、ちょっぴりからかうように言った。
「女医さん、それは言わないで〜」
照れたように担任が言う。
「あのね、お夕食……一緒にどうですか?」
「夕食?」
「はい。ちょうど、その時間になりますから。それと、先生に
心配させてしまったので…」
「それは、当たり前の事だから、阿山さんが気にすることはないのよ?」
「……その…」
「ん?」
「お父様も一緒なんですけど…」
と真子が言った途端、担任は驚いたような表情をした。 どうやら、自分の行動が、大それたものだと自覚したらしい。 やくざの親分に、突っかかった担任。 その場にいた組員達も、担任の勢いに思わず身を退いてしまった。 それ以上に、慶造の方が、驚いていたらしい。
向井の料理を食しながら、慶造がそれとなく、担任に話した。 いつもなら、静かな食卓だが、この日は違っていた。 笑顔が絶えない。笑いが止まらない。 明るい雰囲気に、向井の料理が加わって、まばゆいくらいの明るさがある食事風景だった。
「阿山さん」
担任が呼ぶ。
「はい」
「来週から、学校に来て下さいね。待ってますから」
「先生…」
「もっと力になるからね」
にっこり微笑む担任に、真子は飛びっきりの笑顔を見せ、
「はいっ! 先生、これからも、お世話になります!」
元気な声で、応えていた。
そして、真子は、学校に通い始めた。 芯と話し合ったように、クラスメイトと接するときは、気を引き締める。 ちょっぴり疲れた時は、人の居ない場所へと足を運ぶ。 図書室で、芯に勧められた本を探しては読み、面白ければ、その本を借りて家に帰る。 今まで以上に、成績も伸びた。 もちろん、それに嫉妬するのは、麗奈だが…。
朝夕の送迎は、いつの間にか無くなっていた。 天地山から戻った真子が、春樹に言った。
送迎は、もういらない。 一人で登下校出来るから。
真子が、どうして、そう言ったのか、理解出来なかったが、真子がそうしたいというなら…ということで、ちょっぴり慶造と喧嘩腰で話し合った結果、真子の意見が通ってしまう。
梅が咲き、桜の花が蕾始めた頃、真子は進級した。
ちょっぴりお姉さんっぽくなった真子。 芯も大学院まで進んでいた。いつものように、翔と航も一緒に。
真子が図書室で本を借り、学校の門に向かって歩いているときだった。 ふと、気配を感じ、目をやった。
「お疲れ様です」
そこには、栄三が立っていた。
「えいぞうさん。どうしたの?」
「近くまで来ましたので。久しぶりに、ドライブでもどうですか?」
まるで、女性を誘うような雰囲気で、栄三が真子に言う。
「寄り道は怒られます」
真子がしっかりと応え、栄三の誘いを断った。
「ドライブは冗談ですよ〜」
「解ってますよぉ〜」
栄三の口調を真似て、真子が応える。 それが楽しかったのか、二人は笑い出した。
「でもね、えいぞうさんに逢ったら、お願いしたいことがあったの…」
「私に…ですか?」
「…うん。…誰にも内緒で……約束…できる?」
という真子の眼差しこそ、うるうるとして、かわいくて…。
「お嬢様がそう仰るなら、内緒に出来ますが……でも内容によりますよ?」
「危険な事じゃないから」
「それなら、お聞き致しますよ。なんですか?」
栄三は、真子に耳を貸す。
「あのね………わっ!」
と突然、大きな声を出す真子。しかし、それを予測していたのか、栄三は耳を塞いでいた。
「残念〜。お嬢様の攻撃は見切ってますよ」
「もぉっ!」
真子のふくれっ面。そんな真子の頬をプニッと突く栄三。
「あのね、えいぞうさん」
「はい」
真子は、栄三の耳元で、そっと何かを告げた。 栄三の表情が、徐々に強ばっていく。
「お嬢様……」
「お願いっ!」
真子にお願いされては、栄三は断れない。
「かしこまりました」
と応えて、真子と一緒に向かっていったのは…………。
隆栄は、ソファに座り、耳を傾けていた。 隆栄が耳を傾ける先には、真子が座っていた。 真子は膝の上に本を置いて、朗読していた。
「…そして、幸せに暮らしたとさ……」
真子の朗読が終わった。
「おじさん、どう?」
真子が本を閉じて、隆栄に尋ねた。
「初めてお聞きするお話ですね。ありがとうございます」
「楽しかった?」
「途中、ホロリときました。でも、幸せに終わって良かったですよ。
それにしても、お嬢様」
「はい」
「朗読…上手ですね。どこで?」
「どこって?」
「学校では、朗読することはあまり無いでしょう?」
「うん…あのね……。くまはちとぺんこう、そして、真北さん……。
天地山での桂守さんの真似をしただけなの……」
「いいなぁ〜。たくさんの人から物語を語ってもらって〜」
「おじさんは無いの?」
「あまり…」
と隆栄が応えた途端、真子の表情が、爛々と輝き始めた。
「それなら、私が、おじさんに語ってあげる!! ねぇ、ねっ!
どんなお話が好き? これと同じようなお話? それとも…」
「お、お嬢様……あの…」
「はい」
「私には…そのようなことは…」
「嫌…ですか?」
真子が寂しげに尋ねる。
「嫌じゃありません。…その…お嬢様の大切なお時間を割いてまで…」
「大丈夫だよ? 学校の授業が終わって一時間半は、時間があるもん。
図書室で過ごしていたって言えば、お父様も真北さんも怒らないし…」
「でも、嘘は駄目ですよ?」
「……本当のことを言うと……怒るから…」
「お嬢様。突然、どうしたんですか? それも、こうして、私に…」
「おじさんの為に、私が何かしたくて…。その…この間の事…」
「あれは、もう解決したことでしょう?」
「お礼しか言ってないから…。…だって………」
真子が静かに語り出す、真子の思い。 それを聞いた途端、隆栄は、真子の行動を反対出来なくなってしまった。
「では、お嬢様のご厚意に甘えさせていただきます」
そう応えていた。 その途端、真子の表情が明るくなった。
「本当? ありがとう、おじさん!!」
喜びのあまり、真子は隆栄に飛びついた。
「わっ、お嬢様っ!!!」
慌てて真子を抱き留める隆栄。真子は、隆栄の胸に顔を埋めて喜んでいる。
ったく…お嬢様は〜。
真子の笑顔に負けず劣らず、隆栄も微笑んでいた。
真子と隆栄の様子を伺っていた栄三と桂守、そして、和輝と美穂は、安心していた。 関西との事があってから、隆栄の体は動かしづらくなっていた。その事が、隆栄の精神まで蝕んでいく。 時には短気になり、苛立ちを当たり散らしていた。 美穂は気になっていた。 桂守もそうだった。
「久しぶりに拝見しますよ、隆栄さんの笑顔」
桂守が呟いた。
「私もだわ…隆ちゃん…やっと笑った…」
「やはり、お嬢様は、光ですね」
栄三も安心した表情をしていた。
「……お嬢様の能力が、私たちの闇を読み取ったのかもしれませんね」
桂守が付け加える。
「かもしれませんね」
やられた…という表情で、栄三が言った。
「…それにしても、お嬢様は隆栄さんに何を言ったんでしょうか……」
真子が隆栄だけに話した内容が気になるのか、和輝が口にする。
「それは、俺達が知る必要…ないんじゃないか?」
桂守が応えた。
「まぁ、何よりも、あの笑顔……って、栄三、そろそろ帰宅しないと…」
「わっ、そうだった!! お嬢様ぁ」
そう言って、慌ててリビングへと入っていく栄三は、ちょっぴり嫌がる真子を強引に抱きかかえた。
「帰りますよ」
「もう少しぃ」
「約束の時間は五分過ぎてます!」
「あと五分〜」
「駄目です!!」
「あぁ〜ん〜」
「泣いても駄目です!」
「えいぞうさんの意地悪〜」
「私は意地悪です!」
「もう少しぃ〜」
「明日もありますから」
「…そっか…。おじさん、明日、楽しいお話もってくるね!!」
栄三の肩越しに、真子が言った。
「お待ちしてますよ」
隆栄が笑顔で応えると、真子は、笑顔で返してくる。そして、手を振って、栄三に…強引に…連れ去られていった…………。
「……栄三ちゃんの方が楽しそうだな…」
桂守が呟いた。
「小島家に舞い降りた…かわいい嵐ね…」
嬉しそうに美穂が言う。そして、隆栄に目をやった。 隆栄の目元が光っている事に気付いた美穂は、そっとその場を去っていく。美穂につられて、桂守と和輝も去っていった。
お嬢様……ありがとうございます……。
ギュッと握りしめた両手に、滴が弾けた。
それから、毎日のように、真子は学校が終わると小島家にやって来る。 それも徒歩で…。 いつの間にか、学校から小島家への道順を覚えた真子は、たった一人で小島家にやって来た。 隆栄は、真子が来るのを楽しみに待っている。 雨の日も、真子は必ずやって来る。 その日も真子を待っていた隆栄は、呼び鈴が鳴った途端、玄関に……。
「……猪熊……どうした、珍しい…」
そこには待ち人ではなく、修司が立っていた。
「…嬉しそうに出迎える、お前の方が珍しいぞ…」
「ま、まぁ……で?」
「ちょっと顔出しに来ただけだ」
そう言って、慣れたように小島家に入ってくる。
「あっ、その……なんだな…猪熊」
修司を引き留める隆栄だが、
「都合悪いのか? …やることは全て栄三ちゃんに任せて
引退してるくせに」
修司の言葉に何も言えなくなる。
「そういうお前こそ、八っちゃんに任せてるくせに、今更
俺に、何の用だよ」
「遊びに来たら悪いのか? まさか…お前……美穂ちゃんに内緒で
女を連れこんでるんじゃ…」
「んなこと、ないわっ!」
と否定したものの、ある意味、それに近いかも知れない。 まぁ、美穂自身も、その事を知ってるから、内緒にはならないのだが…。
「邪魔するでぇ」
とリビングへと入っていく修司だった。 隆栄は、時計を見る。 そろそろ真子が来る時間…。 修司にばれると…厄介かもしれない…。 なぜか、挙動不審になる隆栄。 その隆栄を怪しげな眼差しで見つめる修司。
「…何を隠してる?」
思わず問いつめる。
「いや、何も…」
と応えた時だった。 呼び鈴が鳴った。
来たぁぁっ!!!
焦る隆栄。 その表情を見逃さない修司は、素早く玄関へ出て行った。 ドアを開けると……。
「こんにちは、おじさん…………って、猪熊おじさん……」
「お嬢様……」
目玉が飛び出るかと思うほど、目を見開く修司だった。
修司は、大きく息を吐く。
「なるほどぉ〜」
隆栄から、真子のことを一部始終聞いた修司が言った。
「それで、慶造には内緒で、こんなことをしていたんだな。
そりゃ、俺に知られたら、挙動不審になるわいなぁ」
「ごめんなさい…」
真子が謝った。
「お嬢様を責めてるんじゃありません! ただ、慶造に内緒ということが
後々、厄介な事になるかもしれない…そう思うと…」
「…お父様に…迷惑…なの?」
潤んだ眼差しで、修司を見つめる真子。
うっ…その……お嬢様、そ、その眼差しは…。
「お嬢様の気持ちも察してくれよ…」
隆栄が言うと、修司は、諦めたのか、
「お嬢様が元気なら、慶造も許してくれるって」
と言ってしまった。
「本当?」
「えぇ」
「本当に本当ですか? 猪熊おじさん」
「本当です。……やはり、内緒にしておきますか?」
諦めたわりに、煮え切らないのか、修司は改めて真子に尋ねた。
「だって……お父様が怒るもん…。小島おじさんと楽しくしていたら、
いっつも……」
まぁ、そりゃぁなぁ。小島の影響を受けないか心配だからなぁ。
という事を考えた途端、修司は、真子の能力を思い出し、慌てて違う考えを頭に浮かべた。…が、真子には、心の声が聞こえていない様子。不思議に思った修司は、隆栄に目をやった。 隆栄の目が応えている。
物語を語る事で、抑えられているらしい。
ここでは、俺の心が聞こえないそうだ。
「解りました。お嬢様」
「はい」
「慶造には、内緒にしておきましょう。その代わり…」
「その…代わり?」
「私にも、お話してください。…小島にだけというのは嫌ですから」
「…って、猪熊っ」
「いいだろうが。お前一人だと、お嬢様に影響しそうで
滅茶苦茶心配だぁっ!」
「猪熊ぁ、お前なぁ」
と言い合いが始まるかに思えた時、真子が声を挙げて笑い出した。
「あっ…すみません…つい…」
真子の笑い声で我に返った二人は、同時に言った。
「ううん。いいの…お父様が……」
「慶造が?」
「阿山が?」
「あっ、…その……お話しますよぉ」
真子は何かを誤魔化すかのように、鞄の中から本を取り出した。
「先日の続きになるんだけど…猪熊おじさん…大丈夫?」
「え、えぇ。大丈夫ですよ」
「それでは、始めます」
「はい」
真子は、本を開いて読み始めた。 その語りに耳を傾けながら、修司は、懐かしい日々を思い出す。 真子の声は、ちさとに似ていた。
慶造にも…聞かせてあげたいよ…。
いつの間にか、笑みを浮かべている修司を観て、隆栄は微笑んでいた。
真子が帰って行った。 残された二人の男は、いまだに、笑みを浮かべている。
「小島ぁ」
「ん?」
「お前一人って、贅沢だな」
「ほっとけ」
「…でも、安心した」
「ん?」
「心配だったんだぞ。その体が更に…って耳にしてな」
「それで、顔を出したってわけか」
「まぁな。最近は日課の散歩もしてないと、三好から聞いてな」
「……見張らせるな」
「見張らせてない。三好の居る近くに小島が来るだけだ」
「なるほど」
「まさか、こんな心和む時間を過ごしていたとは、そりゃぁ、
散歩もせんわな」
修司の言葉に、隆栄は微笑むだけだった。
「それにしても……」
修司が口にした。
「気になるのか、お前も」
修司の言いたいことが解っているかのように、隆栄が言った。
「あぁ」
「阿山…俺達のこと、お嬢様にどう話してるんだ?」
「さぁ」
真子が途中で口を噤んだ事が気になる二人。 真子は、 何を言おうとしていたのか……。
帰路に就く真子は、気を張りながら歩いていた。
もう少しで、お父様の心の声を言いそうになっちゃった…。
反省、反省。
修司と隆栄に対する慶造の気持ち。 表には現れないが、心で語っていた。
相変わらずだな、この二人。 そこが、楽しいんだよな…。 肩書きを忘れて、昔に戻った気持ちだよ。
お父様の思う通りだな…。
二人のやり取りを思い出しながら、真子は目の前の大きな門をくぐっていった。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
門番にそっと声を掛けて、玄関に向かっていく真子だった。
ちさとの法要の日。
この年も、密やかに行われた。 そして、春樹達は警戒する。 必ず現れる、真子の赤い光……。しかし、この年は、現れることなく、梅雨が過ぎ、夏がやって来た。 真子の赤い光が現れないのは、恐らく、この一年の間にあった様々な出来事と、慶造と春樹には内緒で、隆栄と修司に会っている事も関わっているのだろう。 安堵の息を吐く春樹と慶造。 いつものように、月夜の縁側で語り合っていた。
「禁煙…続いてるよなぁ」
慶造が言った。
「まぁな。一応、願掛け」
「何に?」
「真子ちゃんの能力が消えますように。真子ちゃんが楽しく過ごせますように。
真子ちゃんが笑顔を取り戻しますように。真子ちゃんが……」
「って、真子だけか?」
「駄目か?」
「いいや、駄目とは言わないが、山本の事は?」
「あいつのことは、真子ちゃんが願ってるから、安心。
俺以上に効果があるからさ」
「そりゃそっか」
沈黙が続く。
「…真子ちゃん、毎日夕方近くに帰ってくるみたいだな」
「あぁ。図書室で勉強してるそうだ。ったく、そこまで
勉強せんでも、お前と山本に習い終わってるだろが」
「勉強というか、本を読んでるかもな」
「本?」
「芯に、時々尋ねてる。どの物語が楽しいのか…って」
「山本は、そこまで詳しいのか?」
「あいつは、格闘技だけじゃなく、本に対しても虫だからなぁ。
役に立つような物なら、必ず手にしてる」
芯の事を語る春樹。それには、慶造は呆れていた。
「ほっ………んと、お前は、弟のことを全て知っていないと
駄目な奴だな。そこまで詳しいのは、驚くぞ」
「驚いておけ。それが、俺だ。芯だけじゃなく、慶造や
八造くん、栄三…健、そして、真子ちゃんの事まで
詳しく知ってるんだが……」
「俺は、お前が解らん」
「それでいい」
「良くないが…」
「いいんだって……」
あまり、心配掛けたくないからな…慶造には。 そのまま、真子ちゃんに影響するから…。
そう思いながら、夜空を見上げる春樹。 月が微笑んでいた。
真子のことも知っている。そう豪語した春樹だが、未だに、小島家での真子の行動は知られていない……。
夏休みがやって来た。 夏と言えば、毎年恒例となっている、真子の誕生日会。 もちろん、誰もが負けじとプレゼント合戦……。 いつもなら、呆れる春樹と慶造。 それでも、真子の笑顔が輝くなら、心が和むので、そっと見守るだけだった。
そして、二学期が始まった。 二学期になっても、真子が小島家へ訪れる日々は続いていた。隆栄と修司も、毎日のように心和む日々を送っていた。 ……が……、 ある日、事件が起きた。 それが、慶造の本来の『あるべき姿』を見ることになろうとは……。
(2006.3.5 第七部 第二十五話 改訂版2014.12.7 UP)
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