任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第八部 『偽り編』
第八話 消えそうな笑顔

新学期が始まった。
もちろん、桜の咲く時期の新学期は……。
真新しい制服を着た子供達の笑顔が輝く時期でもあり、新たな友達が出来る喜びや不安もある。そんな生徒達の中に、ちょっぴり不釣り合いな二人が歩いていく。
小学六年生になった真子と、真子を守るかのように一歩下がって付いていく北野の姿。
周りの笑顔とは違い、無表情で歩いていく真子。
何も言わずに付いていく北野。
周りの生徒は、そんな二人を遠目に見ていた。
真子へ近づく女生徒が……。

「あら、阿山さん。無事、進級なさったの?」
「……麗奈さんより成績が良いなら、大丈夫でしょう?」

嫌味には、嫌味で返す真子。
この時ばかりは、お嬢様とお嬢様の対決に見える。
嫌味を吹っ掛けるのは、桜小路財閥の長女・桜小路麗奈。
何かにつけて真子をライバル視している為、真子の実家に臆することなく、真子に対して色々と……。
その言葉を聞く度に、北野は嫌な表情をするのだが、真子は違っていた。
怯むことなく、同じような嫌味で返している。
いつ、そんな術を身に付けたのか、北野は不思議に思っていた。
真子が言葉を返すと決まって……

「欠席日数の事を言ってるのよっ! 解らないの!!」

負けじと言葉を返しながら、麗奈は去っていく。

「………同じ…クラス……か」

真子が呟いた。

「お嬢様、校長に掛け合いましょうか?」

北野が声を掛ける。

「…いつものことだから…慣れてる。…北野さん、今日は
 始業式とホームルームで終わるので、十一時になります」
「では、それまで、駐車場で待っております」
「…時間……いいの? 一人で帰ること出来るんだけど…」
「慶造さんが仰ったように、今は本当に…」
「かしこまりました。お願いします」
「では」

北野は一礼して駐車場へと向かっていった。
真子はため息を付いて、教室へと向かっていく。

北野の言葉にもあったように、阿山組と砂山組の抗争が、水面下で始まっていた。
末端組織との争いが、徐々に広がっていく。
系列の組員だけでなく、阿山組の幹部まで狙い始めた砂山組。
その一方で、慶造と真子の命を狙っているという噂も浮上した。
その為、六年生になった途端、真子の登下校の送迎が、以前よりも多くなった。
学校内で狙われては…ということもあり、教室の側まで、時には中にまで、組員が入ることもある。
そのことが、かえって、真子の笑顔を奪っているとは、誰も気付いていなかった。

芯は、真子への猫電話を毎日欠かさず。
春樹は、忙しく動いているものの、夜には必ず真子の寝顔を観に帰ってくる。
向井は真子の食事を作りながら、真子が学校へ行っている間は、隣の料亭で仕事をし、時には、芯の食事から、体調管理まで面倒を見ている。
えいぞうと健は、相変わらず全国を飛び回っていた。
慶造の外出は減ったものの、外出するときには、必ず、修司と隆栄の姿がある。
勝司も慶造との外出はあるものの、若い者の教育も行っていた。
八造は、大阪で、須藤の補佐をしつつ、須藤の息子達との時間も作っていた。八造が任された新事業も、順調に進んでいく。誰もが八造の行動に驚き、考えに感心する。そんな八造の世話を言われていた竜見と虎石だが、二人の仕事は必要なく……。しまいには…

「須藤組長」

組長室で書類に目を通している時だった。突然呼ばれて顔を上げると、そこには、竜見と虎石が真剣な眼差しを向けて立っていた。

「どうした」
「その…お願いがあります」

二人が声を揃えて言った。

「なんだ?」
「俺達、猪熊さんに付いていきたいんです」
「はぁ?」

突然の言葉に、須藤は突拍子もない声を張り上げた。

「猪熊さんは、こちらに勉強をしに訪れたと仰ってます。しかし、
 行動を見ていると、勉強するのは、俺達じゃないかと思いました。
 猪熊さんに付いていくことで、俺達……もっと、もっと…」
「竜見、虎石」
「はい」
「………付いていく自信…あるのか? 俺に付いてくるだけでも
 必死だというのに、…俺以上に細かくて難しくて厄介で
 頑固で、厳しいというのに、………どうなんだ?」

八造のことを言っているうちに、何を言ってるのか解らなくなった須藤は、言葉を誤魔化すかのように、尋ねた。

「後には戻りません」

二人は声を揃えて、力強く言った。
須藤は、暫し考え込む。
そして……。



「猪熊」

組長室に八造を呼んだ。

「はい」
「こいつらの面倒を見てくれるか?」
「…竜見さんと虎石さんの…面倒ですか?」
「あぁ。こいつら、お前に付いていきたいそうだ」
「私に付いても、何の得にもなりませんよ」
「それでも、いいそうだ」

八造は、部屋の隅にビシッと立っている二人に目をやった。

「お願いします!」

二人は、深々と頭を下げた。

「私は、こちらに学びに来ているんですが…」
「俺から学ぶこと、もう無いやろ」
「まだまだ御座います」
「俺が学びたいくらいやのになぁ」
「須藤親分?????」

須藤の嘆きに、八造は首を傾げた。

「まぁ、取り敢えず、二人を好きに使ってええから。教育は
 普通にしてもええし」
「私の普通で…よろしいんですか?」
「あぁ、厳しくでもええで」

そう言って、須藤は八造に近寄るように指で招く。八造は、須藤に近づいていった。

「俺の指導に根を上げそうな二人や。一日も持たんやろ」
「私は指導する立場では…」
「かまへんで。一人で手が足りん時に、つこてええから」
「本当によろしいんですか?」
「あぁ」
「それなら、今までの五倍は張り切れますね」

爛々と輝く眼差しで、八造が言った。

「……猪熊………」

驚いたように、須藤が呼ぶ。

「はい」
「五倍って、……これ以上…細かぁするんか?」
「駄目でしょうか…。これでもまだ、足りない気がしますが…」
「俺は、大丈夫やけど、水木と谷川が嘆くで」
「そちらは、存じません」

冷たく言う八造に、須藤は笑い出す。

「あいつらの嘆く顔が見たいから、頼むで猪熊」
「はっ。では、お二人の力もお借りします」
「竜見、虎石」
「はいっ!」

二人は元気よく返事をした。

「猪熊から、しっかりと学べよ」
「はっ。兄貴、宜しくお願いいたします!!」
「あ、あ、兄貴?!??? 俺が…ですか??」
「……驚きすぎや……くまはち」
「はぁ…すみません…でも……須藤親分」
「ん?」
「その呼び方は…遠慮願えませんか?」
「あっ、すまん……」

春樹から、あだ名のことは聞いていたが、時々呼ぼうとするたびに、八造から睨まれていた。
その呼び方は、特別な方だけのもの。
八造が大切に想う真子が許した人物だけが、呼んで良い。
そういうこだわりを持つ八造。
この日から、『兄貴』と呼ばれるようにもなった。


学校から帰った一平は、塾にも行かず、八造に格闘技や勉強を教えてもらっていた。
一平も、八造を『兄貴』と慕っていた。
一平と接する度に、八造は真子のことを考えていた。

お嬢様、元気にしてますか…?

八造が真子のことを耳にするのは、春樹が来る日だけ。
週に二度。例の仕事で大阪に来る。来た日と帰る日に、八造の様子を伺って、その時に真子の事を伝えていた。しかし、春樹は、真子には八造のことを伝えていない。あまり心配すると、八造が帰ると言い出すかも知れない。そう真子が言ったから。もちろん、その事は、八造にも伝えている。

真子に心配を掛けないように。

八造は、医者に掛からない程度の怪我で済ませるようにと、体にも気をつけている。




春樹と八造が珍しく、喫茶店で話し込んでいた。
その喫茶店こそ、警察署の近く…。

「で、その二人は、どうなんや?」

春樹が興味津々に尋ねてきた。
春樹にしては、珍しいこと。

「根を上げずに付いてきますよ。驚きです」
「そうやろな。須藤が期待してる二人だからなぁ」
「そうお聞きしていただけに、言われた時は躊躇いました」
「須藤も、何を考えてるんだか…」
「……それで、真北さん」
「ん?」

春樹の雰囲気がいつもと違っている事が、八造は気になっていた。

「本当に…」
「…あぁ」

春樹の決意は固い様子。八造は、躊躇いを見せた。

「くまはち」
「はい」
「俺だって心配だ。…でもな………」
「お嬢様より大切な事が…あるんですよね…」
「……あぁ」

八造の言葉に、春樹は静かに応えた。

「これだけは、本当に…」
「…大丈夫なんですか?」
「あぁ。真子ちゃんには、ぺんこうも居るし、むかいんも居る。
 笑顔は減ったけど、真子ちゃんは安全だから…」
「あなたのことですよ」
「俺のこと?」
「はい」

八造の眼差しは真剣。

「あなたに、もしもの事があれば、どう説明するんですか?
 お嬢様だけでなく……ぺんこうに…」
「渋々…承諾したよ。…あいつこそ、俺の思いを知っている。
 恐らく、お袋から耳にしたんだろうな…俺は言ってないけどな」
「…一人…お忘れですよ」

ちょっぴり笑みを浮かべて八造が言うと、

「そういうことか……俺よりも口が軽いもんなぁ、慶造は」

春樹は呆れたように応えた。

「おっと、すまん。時間や」

そう言うと、春樹は変装を始めた。
伊達眼鏡に、ネクタイを締め直す。
その姿は、いかにも……。

「いつまで、続けるおつもりですか?」
「これ?」
「えぇ」
「上司が諦めるまで。もしくは、下が育つまで…かな」
「育てて、どうされるおつもりですか?」
「…くまはち」

低い声で春樹が呼ぶ。

「はい」
「忘れるな。俺の本来の姿だろが」
「そうでした。…不良刑事…でしたね」

鈍い音が聞こえる。

「ほな、またなぁ」
「真北さん」
「あん? …っと、なんだい?」

雰囲気が変わる。

「命日には…」
「挨拶して、真子ちゃんと時間を過ごしてから、出発だ」
「…では、次にお逢いするのは」
「いつになるか…解らんな…。…逢えるかも…不明や」

そう言うと、八造は不安げな眼差しを向けた。

「心配すんな。俺は、死なない体だ」

自信たっぷりに春樹は応え、そして、喫茶店を出て行った。

「そんな体は…本当に……ありませんよ…」

真北さん……本当に……。

窓の外を過ぎていく春樹の姿を見つめながら、八造は唇を噛みしめた。





桜も緑に変わり、温かくなってきた。新入生も慣れてきた時期。
阿山組本部では、密かに行われる事がある。
ちさとの法要だった。
ちさとが亡くなってからは、色々な事があった。
一番の心配は、真子の笑顔が消えたこと。
笑顔を見せていても、心の中では、いつも泣いているらしい。
それは、誰にも知られることは無いものの、真子が無理をしている事は解っている。

慶造が墓の前で静かに手を合わせる。
そして、春樹もそっと手を合わせた。
二人に付いてきているのは、ちさとに関わった者だけ。
学生の時に一緒に過ごした修司や隆栄、そして、ちさとが一番大切に思っていた山中の息子・勝司。
しかし、真子だけは、ここには足を運ばなかった。
真子の奥底に眠る・赤い光を気にしての事。


法要を終え、帰路に就く車の中では、終始無言になっている。
誰もが語ることを忘れていた。
しかし、

「なぁ、真北」

慶造が口を開いた。

「ん?」
「本当に……行くのか?」
「あぁ。今更…なんだよ」
「真子には……」
「…言葉を考えてないのか?」
「すまん」
「考えろと言ったよなぁ」
「やっぱり、真北から、言えよ。俺からだと…」
「組関係と思われる……可能性があるよな」
「あぁ」

沈黙が続く。
ウインカーの音が聞こえるほど、静かな車内。
そこに、ため息が漏れた。

「俺から、上手い具合に伝えておくよ」

春樹が呆れたように言った。

「いつも…すまんな…父親は俺なのに」
「俺は育ての親だからな…。あぁ、恋人の間違いだ」

慶造がギロリと睨み付ける。それに動じる春樹ではなかった。
車は、阿山組本部へと入っていく。

「お帰りなさいませっ!」

組員達が元気に迎えた。


その日の夜。
春樹は、真子と久しぶりに楽しい時間を過ごした。

「えっ? ほんとに?」

春樹は驚いたように声を挙げる。

「うん……みんなが気にしてて…。でも、無理…」
「ったく、いつの間に、そこまで過保護になってんだよ……」

春樹は呆れた。

「慶造に、言っておくよ」
「でも……やっぱり…」
「真子ちゃん」

優しい声で春樹が呼ぶ。そして、真子の頭を優しく撫でた。

「真子ちゃんが、ゆっくりと過ごせないだろ?」

春樹の言葉に、真子は寂しげな表情を見せる。

「慶造に言っておくから」

そう言って、春樹は真子を抱き寄せた。

「真北さん」
「ん?」
「お仕事……忙しいの?」

春樹の腕の中から真子が見上げる。
その眼差しは潤んでいた。
一瞬、我を失いそうになる春樹は、

「くまはちが、大阪で張り切ってるから、こっちも忙しくなってねぇ」

と誤魔化した。

「くまはち……大阪のみなさんを困らせてない?」
「ちょっぴり困らせてるみたいですよ」
「………引き戻した方がいい??」
「困らせてるけど、便りになるそうです」
「それなら、もっと張り切ってもらわないと!」

真子の笑顔が輝いた。
やはり、八造が自分のボディーガード以外のことをしている事が嬉しいらしい。

「元気に…なりましたか?」

春樹が優しく声を掛けると、真子は飛びっきりの笑顔を見せて、大きく頷いた。

「真北さん」
「なんでしょう?」
「今日……一日……一緒に居て欲しい……。…駄目?」

そう語りかける真子の眼差しは、またしても、うるうる……。
春樹が一番弱い、真子の眼差し。
本当は、真子が寝るまで…と思っていたが、

「久しぶりに一緒に寝ましょう」

と応えてしまった。


夜中。
慶造が、真子の部屋をそっと覗き込む。
いつもなら、慶造の気配に気付いて目を覚ます春樹だが、この日は違っていた。
真子と一緒に熟睡している。
それに、この日は……。
それを気にしての行動だった。

本当に、押し込めてるんだな…真北。

フッと笑みを浮かべて、慶造はいつもの縁側に足を運ぶ。
そこには、修司と隆栄が居た。

「…俺の特等席だがなぁ。何してんだよ」

静かに怒鳴る。

「ええやんか。…心配して来ただけだ」

隆栄が真剣な眼差しで言った。

「真北さんと熟睡か?」

修司が尋ねると、慶造は、そっと頷いた。

「赤い光…押し込めてるんだな。…後々…大丈夫なのか?」

本当に心配げに尋ねる修司。その気持ちを有難く思う慶造は、優しく微笑んでいた。

「真北に…任せてるから、大丈夫だ」
「それより、慶造」
「ん?」
「真北さんまで居なくなると、お嬢様のお世話は誰が?
 北野は、山中との行動が多いだろ。……あいつが戻るまで
 真北さんが戻るまで…」
「修司」

修司の言いたいことは解っている。慶造は、修司の言葉を遮るかのように名前を呼んだ。

「……武史くんも修三くんも、忙しいだろ。それに、こっちでの
 生活はさせたくない。真子の側に居る事は、どれだけ危険か…」
「そう言うと思った。…でもな、考えてくれ」
「それなら、修司、お前がやれよ」
「…………慶造……」
「…すまん……。真子が一番…気にするんだったよな。…すまんかった」
「もう言うな。…でも、本当にいいのか?」
「栄三が居る」
「…ええんか?」

今度は、隆栄が心配そうに尋ねてくる。

「新たな世話係を呼んでも、どうせ、昔のように仕掛けるんだろが」
「それは、真北さんが言っただけだろぉ。それに負けなかったのが
 山本先生だし…」
「まぁ、そうだが。暫くは、いい。真北が短期間で帰るつもりだし」
「大丈夫なのか? …その…真北さんの方…」
「短期間で済ませる為に、情報を事細かく集めてるんだろ?
 だから、今は真子との時間を削ってまで動いてる。…観ていて…
 こっちが辛いよ…。何か手伝えないかな…と思うとな」

寂しげに言う慶造に、修司と隆栄は、掛ける言葉を見つけられなかった。
ライターの音が小さく響く。
煙が、空へと立ち上る。
煙を吐き出す音が聞こえるほど、静かな夜。

「…今年も………ありがとな」

慶造が呟くように言った。
修司と隆栄は、慶造に優しい笑みで応えるだけだった。





真子の赤い光は、この年、本当に現れなかった。
真北が押し込めた術の効果があったらしい。
このままずっと、赤い光が現れなければいいのだが…。

真子の送迎は、北野が主に行っていた。
教室まで付いてくるようになった北野。
それには、訳があった。
真子が通う学校に、真子のことを尋ねてやって来た男が居たと情報が入る。
一応、真子の家柄も考えている学校側は、学校に真子を尋ねることは無いと聞いている為、『ここには、居ない』と応えて、男には帰ってもらったとの事。それでも、もしもの事がある。
学校の許可も得て、真子の側には、誰かを付けることにした。
その事が、真子の笑顔を更に奪っていくことになっているとは、慶造だけでなく、側に居る北野は気付いていなかった。




春樹は、例の色っぽい看板がたくさん並ぶ街へを歩いていた。そして、いつもの店へと入っていく。受付嬢に軽く挨拶をして、慣れた雰囲気で奥の部屋へと向かって歩いていく。
曲がり角で一人の男とぶつかった。

「!! …すみません」

春樹と男は、同時に口にした。そして、男は顔を上げ、春樹だと気付いた途端、眉間にしわを寄せた。

「真北……」
「ん? …誰だ、お前は」

見知らぬ男に名前を呼ばれて、春樹の方が男よりも多く、眉間にしわを寄せた。

「ここの客。あんたの事は、良く耳にしてるから。常連だってね。
 それも、最近、頻繁に…って」
「そういうお前こそ、ここの常連…ってことか」
「まぁ…そうなる。じゃぁ、これで失礼します」

そう言って、男は去っていった。

「慶造の言う通りだな。砂山組が探りを入れてる…か」

春樹は、男の素性を知っていた。
身に付いた性…一応、街で見かけた人間の素性は調べていた。
軽く息を吐いて、春樹は奥の部屋へと入っていった。

「待ってたよぉん」

と隆栄が声を掛けてきた。

「いつもすみません」

隆栄にたじろぎもせず、春樹は挨拶をする。

「流石、栄三との付き合いが長いだけあって、慣れてきましたか?」
「まぁな。…それで、やはり……こっちでは、難しい状態ですか…」
「……霧原の連絡では、そうなりますね」
「そうですか……」

春樹はポケットに手を突っ込み、口を尖らせた。
暫く何かを考え込み、そして、諦めたような表情をした。

「仕方ない…か」
「行かれますか?」
「そう…だな」

春樹は、静かに応えた。




慶造は、縁側に腰を掛け、一人黄昏れていた。
足音が聞こえ、振り返る。

「どうだ、見つかったか?」

深刻な表情をした栄三が立っていた。

「すいません。やはり…」
「はぁ…」

大きく息を吐く慶造は、呆れたような眼差しで、栄三を見つめた。

「あぅ…その四代目………私のせい…なんですか?」
「そうだ」
「あれには、真北さんも…」
「ったく……数年の間に、そんな噂…立つとはなぁ」

見つめていた眼差しが鋭くなる。

「お前ら、家庭教師を威嚇しすぎだぁ!」
「知りませんって!!!」

春樹の行動を考えて、真子の世話係を捜している慶造と栄三。しかし、一向に見つからない。それは、以前の事が関係していた。
真子に近づく(というか、仕事を選んでやって来た)世話係や家庭教師を、尽く威嚇して、真子から遠ざけていた時期があった。しかし、それは、芯の登場で終わったのだが、その時の行動が、その人々に知れ渡り、話を耳にした途端、その場で断られてしまう。
まぁ、それは、春樹と栄三の仕業なのdが、それはそれは、遠い昔のように感じられた。

「しゃぁないか。飛鳥にでも頼むとするか…」
「四代目、それでは、お嬢様に……」
「仕方ないだろ。お前の威嚇に負けない男に頼むしか。
 どっちにしろ、今回も、そのつもりなんだろ?」
「その通りでぇす。今回は、健も…」
「それなら、お前がしろ」
「よろしいんですか?」

栄三の眼差しが輝く。それに気付いた慶造は、

「やっぱり、他を探す」

と話を切り替えた。

「さよですか……」

がっくりと肩の力を落とす栄三だった。

「それで、俺に報告は?」
「はっ。やはり真北さんは、出発されるそうです」
「いつだ?」
「それは、まだ決まっていないそうですが、出発は確定です」
「諦めた…か。…かなりの期間だろうな」
「恐らく。終わるまで帰国しないかもしれません」
「真北が…耐えられないだろうな」
「……休まずに動く可能性もありますね」
「そうだな。ここんとこ……俺と顔を合わせずに、自分で足を
 運んでいるからな……」
「そうですね。恵悟さんも寝ずに調べているそうですから」
「向こうでの真北の行動が、想像されるよな……はぁ…」

慶造は、大きくため息を付いた。

「栄三」
「はっ」
「真子のこと…頼んだぞ」
「心得てます」

力強く応えて、栄三はその場を去っていく。
慶造は煙草に火を付けた。
吐き出す煙に目を細め、目の前にある緑が生えてきた桜の木に目をやり、遠い日を思い出してた。





この日も、教室から真子は北野と一緒に出てきた。
本部を出ると、絶対に真子から離れない北野。常に目に見える位置に居る北野に対して、真子は少しずつ嫌気が差していた。でも、その行動は仕方のないこと。諦めながらも、真子は登下校を繰り返す。
その事が、真子から笑顔を奪っていた。
それは、北野も気にしてる。
だが、自分の行動は、勝手に変えることはできない。その悩みが、更に、真子から笑顔を奪っているとは、北野自身、気付いていなかった。


真子が帰宅した。
組員達の出迎えには何も応えず、自分の部屋へと向かっていく。
慶造の部屋の前を通っても、真子は『ただいま』も言わない。
慶造が居ない時が多いから。
しかし、北野は、必ず、慶造にその日の真子のことを細かく伝えていた。

「笑顔…更に減りました」
「…そうか…」

北野の言葉に、慶造は、短く応えるだけだった。



慶造は、真子の世話係を幹部の飛鳥に頼んでいた。しかし、飛鳥からの応えも栄三と同じだった。

阿山慶造が、娘の世話係を捜している。

その情報は、直ぐに、その世界に広まっていく……。



春樹が長期間、阿山組を離れることが決定した。
そして、出発する日も決まった。
深刻な表情で阿山組本部に戻ってきた春樹は、

「慶造は?」
「部屋に居られます」
「あの量じゃ、外出も無理やな」

そう言って、春樹は靴を脱ぎ、自室へ向かって行った。

「…真北さん…どれだけの量を…???」

春樹の言葉で、慶造に何を渡したのかが解る下足番。
それ程、春樹の行動を把握しているらしい。


春樹は、出発する準備をし、出先から戻ってきた慶造に伝えるため、慶造の部屋を……

『ノックして返事を聞いてから入れ』

ノックする前に、部屋から声が聞こえてきた。
仕方なしに、ノックをし、

「俺」

と短く言った。

『入れ』

慶造の言葉を聞いて、春樹はドアを開けて中へと入っていった。

慶造は、たくさんの書類を目の前に、眉間のしわを寄せていた。春樹の姿を観た途端、睨み上げる。

「すまんな。俺のおらん間は、それ、よろしくな」
「その準備も兼ねてたんだな。ここんとこ」
「まぁな」
「で、……行くんだな」

慶造は、静かに尋ねる。

「あぁ」

春樹も静かに応えた。
その途端、慶造は軽く息を吐き、

「あれだけ、行かないで済むように動いてたのにな。
 ……困ったなぁ」

呟く。

「しゃぁないやろ。それでも抑えた方や」
「こっちじゃなくて、お前だよっ」
「…俺……か」
「本当に………」

それ以上、言葉が出てこない慶造は、何かを誤魔化すかのように、煙草に火を付けた。その仕草と表情で、春樹は慶造が何を言いたいのかが解っていた。フッと笑みを浮かべて、春樹も煙草に火を付けた。

「すまんな。一年は掛かると思うよ。連絡くらいは入れるから。
 …真子ちゃんに繋いでくれよ」
「真子がどれだけ心配げな言葉を投げかけるかが
 解るだけに、嫌だな」
「おいおい…」

…この親バカ…。

春樹は、敢えて口にはしなかった。

「それよりな、砂山組は、どうなってるんだ?
 色々と厄介な状態になってるやろ」
「まぁな」

という言い方は、慶造が春樹に内緒で何かを行った時の口調。春樹の表情が曇った。

「俺が目を離してる時に、何をしてんだよ…」
「真北の厄介にはならん程度だから、気にするな」
「お前なぁ、また、あの時のようなことを考えてるんじゃないのか?」
「そんなことはないな。もうしないさ…。真子を哀しませたくない」
「…どっちにしろ、真子ちゃんを困らせてるけどな」
「そうだな……。まぁ、仕方ないさ。真子にまで目を付けてるらしいしな」
「その事でだな…教室にまで組員を付けることはないだろ」
「学校内で襲われたらどうするんだよ。ぺんこうだって、まだ、
 一年半かかるだろ。講師として学校に送り込ませても、無理だろうが」
「それ自体は、俺自身でも無理だからな。それに、あいつが、許さないだろ」
「そう言いながら、色々と裏で手を引いてるだろ。いい加減仲直りすりゃぁええのにな」

慶造は、そう言いながら、微笑んでいた。

「ほっとけ。で、どうなんだよ」
「まぁ、情報は集めてるよ。流石、健だな。お笑いの世界から、
 戻ってくるなんてどうかしてるよ。あいつの好きな世界だったのにな。
 …俺、結構気に入ってたぞ。健のコント」
「何度か観ていたけど、慶造が気に入ってるというのが、
 俺は、よく解らないけどな。…で、健の情報は?」
「いつものように、細かく調べ上げていてな。砂山組の細かな情報まで。
 組員の癖まで、調べ上げてるんだよ」

慶造は煙草をもみ消した。

「それでな、砂山の野郎は、自分で動かない。しかし、その幹部の地島と
 弟分の北島。この二人が厄介なんだよな。頭脳派と武道派。
 地島は、頭で勝負するらしいが、弟分は、滅茶苦茶暴れん坊らしいな。
 手が付けられない程だそうな」
「…写真は?」
「それがなぁ〜、噂だけで、あまり顔を見せないんだよな。常に、素顔を
 隠している。…これは、何か企んでいるのは確かだよ。…だから、
 困ったって言ったんだよ。お前まで居なくなると…なぁ」

慶造は、ため息を付く。
その仕草を観て、春樹は自分の頭に入れている情報は伝えない方が良いと考えた。
これ以上、慶造の本能を目覚めさせては、真子ちゃんに影響してしまう。
ふと脳裏に過ぎった人物。

「えいぞうが居るだろ」
「真子が嫌がってるのは、知ってるだろ」
「そりゃぁなぁ」

芯が色々と吹き込んでいたもんなぁ。

「でも、えいぞうは、役に立つだろ。それに、健も居る」
「まぁ、そうだが……お世話係を探すか」

慶造は、ため息混じりに言った。

「……今更、必要ないだろが。ぺんこうもむかいんも居るのに」
「それがな……ぺんこうは、今年になって忙しくなったからと
 言ってきたんだが……お前には言わなかったんだな」
「知らないな…。むかいんは?」
「その……な……笹崎さん…またしても張り切りすぎて…」
「またですか…。ったく、育て上げた料理人を独立させすぎ…」
「あぁ。…だから、むかいんも忙しくなったんでな、だから、今
 探してもらってるんだが…」

何かを躊躇うような眼差し。
もちろん、その眼差しは、春樹の意見を求めている。
春樹は、暫くの間、慶造を見つめ、そして、

「お前の意見には反対しないぞ」

優しく言った。

「なぜ?」
「…お前…父親だろが…」

解りきった事を何度も口にしている春樹は、呆れたように項垂れた。

「そういや、大阪は、どうなってる? 出掛ける前に寄るつもりだけど、
 須藤んとこに寄っても良いのか? くまはちの様子も気になるしな…」
「あぁ、それな。どうやら本当に、須藤はくまはちに二人付けてくれたみたいでな」
「二人?」
「虎石と竜見という若い奴」
「って、その二人を離して、須藤は大丈夫なのか? 須藤組では、
 よしのとみなみの次に、かなりの腕だろうが。くまはちが言ったのは
 教育がてら…だったんだが、…本当に……大丈夫なのかよ…」
「大丈夫なんだろ」

あっけらかんと言い放つ慶造を見て、春樹は、何故か苛立つ。

「あぁ〜もぉ、お前と話してられない。今日は、俺が迎えに行くよ」

と突然、口にした。

「はぁ?! 今日は北野が付いてるんだぞ」
「俺が行けば、退くだろ」
「まぁな」
「これから、暫く逢えないんだから、いいだろ?」

春樹の目は、何かを訴えている。
なんとなく、真子が見せる眼差しにも見えた。
ウルウルとしている……。

「好きにしろ」

春樹の眼差しと、滅茶苦茶緩んだ表情を見て、慶造は呆れたようにフッと笑った。

「じゃぁ!」

と言って去っていくのは、早い…。

「真北、こらぁっ! 行き先くらいっ!」

慶造が言っても遅かった。
春樹は既に玄関先に居た。

「しゃぁない。頼むとするか…」

慶造は電話に手を伸ばしていた。





春樹は、嬉しそうな表情で運転中。真子の学校に向かって車を走らせていた。
ふと視野に映った人物が、春樹の車を追いかけるように走ってくる。

慶造の奴…。

と思いながらも、春樹は、この時だけは、その人物=桂守を撒こうとしなかった。
真子の通う学校前に車を停めた春樹は、バックミラー越しに、桂守を呼びつけた。
桂守は、直ぐに春樹の側へとやって来る。

「慶造からですか?」
「えぇ。これからの行動をお聞きすれば、私は、そちらで
 待機しておきます」
「真子ちゃんの気持ち次第だけど…。いつもの場所だから」

春樹の応えに、桂守は驚いた表情を見せた。

「どうしました、桂守さん」
「いえ、その…珍しく素直だと…」
「まぁな」
「……もしかして、狙われておられる…とか?」
「その通り。俺が調べてる事が知れたみたいでな。
 でも、真子ちゃんにまで危害が及ぶのは嫌だからさ。
 今回ばかりは、お願いしたいんですよ」
「それでしたら、付いていきます」
「よろしいんですか?」
「容易いことです」

にっこり微笑む桂守に、春樹は安心したように笑みを返した。

「でも、楽しい時間は邪魔しないでくださいね」
「心得てます」

そう言って、桂守は姿を消した。

相変わらず、忍者みたいだなぁ。

と思いながら、春樹は学校内のロータリーへ向かって車を走らせた。
北野の車が停まっていた。しかし、中には姿はない。

やはり、教室まで…か。

諦めたように息を吐き、春樹は車を降りる。すると、校舎の方から、真子と北野が歩いてくる姿が見えた。

あらら、本当に笑顔が無いよ…。

と思った時、真子が顔を上げ、

「まきたん!!」

久しぶりにあだ名で呼んできた。

「真子ちゃん、お疲れさま」

真子は突然走り出す。
北野は、真子の突然の行動に驚いたように体を動かしたが、真子が駆けつける先にいる春樹に気付き、胸をなで下ろした。
真子が春樹に飛びついてくる。
春樹は、真子をしっかりと抱きかかえ、頬に軽く口づけをした。

「いきなり、どうしたの?」
「近くを通ったら、ちょうどこの時間だったから、待ってただけだよ」
「元気そうで」
「真子ちゃんも」

北野が深々と頭を下げた。

「慶造から許可もらってるよ」
「かしこまりました」

春樹は、真子を助手席に座らせた。運転席に回った春樹は、車の屋根越しで北野に伝える。

「帰りは遅くなると思うから、むかいんにも言っててくれ」
「はい」
「詳しくは、慶造に聞いてくれよ」
「遅くなるとは、何時頃ですか?」
「今日中には帰るさ。明日も学校だろ?」

春樹の言葉を耳にして、北野は不安げな表情を見せた。
少し離れた所で春樹を見守っている桂守に気付き、その不安は取り除かれた。

「えぇ。では、お気をつけて」

春樹は軽く手を挙げて、運転席に乗り込んだ。そして、アクセルを踏む。
真子に何かを語ったのか、真子が笑顔で春樹を見つめていた。

やはり、真北さんには敵わないか…。

学校の門から出て行く春樹の車を見届け、その車に付いていく桂守の姿を観てから、北野は車に乗り込み、そして、帰路に就いた。

お嬢様の笑顔が戻れば…いいんだけどな…。



(2006.5.22 第八部 第八話 改訂版2014.12.12 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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