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第九部 『回復編』 第四話 輝き 人の噂も七十五日。 その通りなのか、阿山組と砂山組との抗争から月日が経ち、世間が何も言わなくなった頃。 それでも春樹は真子との時間を過ごしていた。 本来の仕事は……？？ 真子の側に政樹あり。 その事は、既に普通になっていた。 この日も授業を終えた真子は、政樹と教室を出てきた。 「ねぇ、まさちん」 「はい」 「どうする？」 「私が本部を離れるのは、良くないと思います」 「…私から離れるのが良くないと思うけど…違う？」 最近、真子の言動は、政樹の思いや周りの組員の心の核心を突いてくる。 それには、政樹は参っていた。 「確かに、組員の目は未だに、冷たいのですが、 私は…」 「まさちんにも、心を和ませて欲しいんだもん…それにね！ クリスマスパーティー！ 凄いんだよぉ！！ 見たいでしょ？ 参加したいでしょ！！！」 真子の目は輝いていた。 参ったな…。 「そうですね。では、慶造さんにお願いしてみます」 「うん！」 真子の笑顔が輝く。 その輝く笑顔を目にする度に、政樹の心は和んでいく。 「では、帰りますよぉ」 「真っ直ぐ帰るの？」 駐車場まで来た二人。 十二月に入ってからは、政樹の車で登下校していた。 「真っ直ぐ帰りますよ。寄り道は駄目です」 「少しだけ……」 「駄目ですよ」 冷たく言って、政樹は車に真子を招く。 助手席に座った真子は、運転席に回りドアを開けた政樹を、爛々と輝く目で見つめていた。 うっ……お、お嬢様…その……その眼差しは……。 「……少しだけですよ」 「やった！ ありがとう、まさちん！」 真子の笑顔が更に輝いた。 また、負けた……。 そう思いながら、政樹はアクセルを踏み、学校から去っていった。 慶造の部屋。 真子の帰宅時間になっても、真子の帰宅の連絡が入らないことから、慶造が苛立ちを見せていた。 「…ったく。いつになったら、真子に勝つ？」 政樹から報告を受けた慶造が、嘆くように言った。 「申し訳御座いません。組長。やはり、私は…勝てません…」 「あれ程、強く出ても大丈夫だと言ったのになぁ。……これ以上 真子を甘やかしたくないんだが……」 軽く息を吐いて、政樹が差し出したお茶を飲む。 「それと、……冬休みの事ですが」 「真子と一緒に天地山に行くんだろ？ 真北と向井が一緒だが、 その方が、落ち着けるだろ？」 「そうですが、私が御一緒しても、よろしいのでしょうか…」 「真子が離さないだろが。駄目だと言っても、真子の行動は 解るから、駄目とは言えないんだが……嫌なのか？」 「いいえ、そのようなことはございませんが…ただ…」 「ん？ まさか……雪が苦手か？」 「いえ、その……長旅は……」 「電車が苦手なのか？」 「いいえ、苦手なのはアルコールだけです」 「何か気になるのか？」 「その天地山ホテルの支配人には、私のことは、どのように？」 「さぁ、それは、知らんな…。事件のことは知ってるだろうが、 地島の事をどのように知ってるのかは、解らん」 「そうですか…」 政樹の表情が曇った。 「気にすることはない。真子と離れなければ、安全だ」 「しかし……」 「大丈夫だから、安心しろ」 と言いながら、春樹が慶造の部屋に入ってきた。 「ノック、返事、それから入れ…って、何度も言ってるよなぁ」 慶造のこめかみが、ピクピク…。 「そして、真子の顔を見る前に、こっちに来いっ」 「待ってる人間に先に挨拶だろが」 「俺も待ってた」 「真子ちゃん優先」 そういう春樹の表情は、ゆるみっぱなし…。 「言った俺が、馬鹿だった…」 項垂れる慶造。 二人のやり取りを見ていた政樹は、 やっぱり、漫才だよな……。 と、改めて感じていた。 「それで、関西はどうだったんだ？」 「最終段階に入るらしいぞ」 「そうか……そこまで進んだのか。…流石、八造だな」 「須藤が、更に嘆いてたよ」 「そりゃそうだろ。予定より二年早い」 「だがな、妙な情報も耳にした」 「ん？」 「やはり、桜島組が、進出を狙ってきているらしいな」 「そうか……」 そう言ったっきり、慶造は口を噤んだ。そして、テーブルの上の箱に手を伸ばし、煙草をくわえた。 政樹が火を付ける。 軽く手を挙げて、慶造はお礼を言った。 「ありがと。…それで、大丈夫とは……？」 話を戻す。 「まさは、全てを知ってるが、支配人だろ」 「そりゃ、そうだが…」 春樹の言葉に煮え切らない返事をする慶造は、煙草を味わうように吸っていた。 それは、深く考えている事の現れ。 その時は、声を掛けない方が良いのは、慶造と話をしたことがある者なら解る。 「まぁ…あれだ…。真子の側から絶対に離れるな…ということだ」 「はぁ、…そういたします…」 首を傾げながら、政樹は返事をした。 そして、待ちに待った冬休みがやって来た。 天地山最寄り駅に列車が到着した。数名の乗客が降り、階段を下りていく。 その中に、真子達の姿もあった。 「まさちん、こっち！！」 「あっ、はい」 真子は政樹の手を引っ張って、屋根のないホームの隅へと駆けていく。 「あれがね、天地山なの！ 凄いでしょ」 「えぇ」 「今から向かうからね！！」 と言っただけで、真子は再び政樹の手を引っ張って、春樹と向井の所へと戻ってきた。 「それでね、パーティーにはね…」 真子が話し始めた。政樹は真子の話に聞き入っている。 そんな二人を見つめながら、常に冷静な春樹と向井は、微笑んでいた。 「こりゃ、着いたら直ぐに寝るかもな」 春樹が言うと、向井は頷いた。 「ずっと話っぱなしですね。…私が初めて来た時を思い出しましたよ」 「そういや、あの時も、同じように話続けていたよな」 「えぇ。くまはちが停めるけど、お嬢様には弱いから…」 「そうだよな」 「迎えに来るのは…」 「いつもの通り」 「…ということは……」 「そうだな」 二人の考えは一致していた。 その通り。 改札の向こうには、天地山ホテル支配人・まさの姿があった。 「お嬢様」 まさが声を掛けると、真子は、改札から出た途端、隣に並んでいた政樹を放って、まさの所へ駆けていく。 「まささんっ！！」 駆ける勢いで、まさに飛びついた。もちろん、まさはしっかりと真子を受け止めた。 「こんにちは！」 「お待ちしておりましたよ、お嬢様。…そして…」 御無事で…！！ 真子を抱きしめる腕に力が籠もる。 「まささぁん、痛いぃ〜」 「あっ、す、すみません！！」 真子に言われて、慌てて腕を弛めた。そして、真子を抱きかかえたまま、駅舎を出ようと……。 「…………毎年恒例かよ…まさぁ」 春樹の低い声が聞こえた。 「あっ…」 「…天然か？」 「………いらっしゃいませ」 営業スマイルで、春樹と向井、そして、初めて見る男に挨拶をした。 まさ運転の車の後部座席には、三人の男が、ちょっぴり窮屈そうに座っていた。 助手席の真子は、まさと話に夢中。 「だから、言っただろ、こうなるって」 春樹が政樹に呟くように言った。 「仰った通りだったので、驚きました」 「疲れてないか？ 真子ちゃんの話を聞きっぱなしで」 「私よりも、話通しのお嬢様の体調が心配です」 「部屋に着いたら、直ぐ寝るから。…これもいつものパターン」 「そうですか」 「むかいんに案内してもらえ」 「えっ？ でも、向井さんは、料理をなさるって…」 「真子ちゃんが許さないって。なぁ、むかいん」 「一日目は、一緒に居ますよ」 「…は…って、限定かよ、むかいん」 「当たり前です！ 今年こそ、負けませんから」 「……むかいん…？？」 向井は、何かに対して意気込みが…。 「あっ……」 真子が突然声を挙げた。 「真子ちゃん、どうした？」 「まさちん、ごめんなさい」 「ん？」 「あのね、あのね、まささん。この方が、まさちん」 「初めてお逢いする方ですよね。お話は聞いてますから、 存じてますよ」 ん？？？？？？ あれ？？？？？ まさの口調が少し、いつもと違っていた。 それに驚いたのは、春樹と向井。 社交辞令…いや、営業スマイルは…？？ 「初めまして。私、天地山ホテルの支配人の原田です」 いつもなら、支配人としての雰囲気が醸し出され、そのオーラで相手に自己紹介するはずなのに、この時ばかりは違っていた。 何やら、冷たく、刺々しい。 「地島政樹と申します。お嬢様のお世話係を仰せつかっております」 「そうですか」 という返答も、刺々しい。 お、怒ってる…？？ そう思った春樹は、 「真子ちゃん、部屋に着いたら、ゆっくりと休むこと。 ずっと話しっぱなしでしたでしょう？ 熱が出ますよ」 話を素早く切り替えた。 「大丈夫だもん。まさちんを案内するんだもん」 「地島さんの案内は、真北さんに任せて、お嬢様は ゆっくりとお休み下さい。お遊びは明日からですよ。 そうしないと、パーティーに参加できなくなりますよぉ」 真子に話す雰囲気は、いつもと同じ。 「……そうするぅ。今日はお部屋で、ゆっくりします」 素直に返事をした真子。 ！！！！ まさと春樹が、素早く真子の額に手を当てたのは、言うまでもない。 「熱……少し高いですね…。先程までは、変わりなかったんですが…」 まさの方が早かったのか、真子の額に手のひらが当てられていた。 「急ぎますよ」 と言った途端、雪道なのに、スピードを上げるまさ。 「ちょ、ちょ、まさぁ、こら！！」 「ご安心を」 にっこり微笑んで、まさはハンドルを切った。 天地山ホテル・真子愛用の部屋。 真子は部屋に着いた途端、眠りに就いた。 まさが氷枕を用意して、部屋に入ってくる。 「これ以上は上がらないでしょう」 そう言いながら、真子の頭の下に氷枕を置き、そっと布団を掛ける。 「俺が側に居るから、お前は仕事しろ」 春樹が小さく怒鳴る。 「抗争の後から、ずぅぅぅぅっと側に居るんでしょうが。 こういう時くらい、離れてはどうですかっ」 「勤務時間」 「休憩時間です」 どうしても、真子と二人っきりの時間を作りたいらしい。 まさは春樹を、春樹はまさを部屋から追い出そうと思い、やんわりとした言い合いをしてしまう。 「………まさぁぁ。支配人としての心を忘れそうなら、 仕事から離れるな」 先程、車の中で感じたオーラに対する、春樹の意見だった。 「真北さんこそ、休養が必要じゃありませんか？」 まさが反論する。 「だから、真子ちゃんの側から離れないんだよ」 「私もですよ。…お嬢様が側に居ないと……本当に…」 「側に居ても、あのオーラなのに？」 「うっ…そ、そそ…それは…」 言葉が詰まる、まさ。そんなまさを見て、春樹は微笑んでいた。 「誰もが、地島の行動と立場に、不満を抱いてるのは確かだ。 でもな、真子ちゃんが取った行動は、真子ちゃんの強い想い。 それを考えると、仕方ないことだろ」 「解ってます。…解ってますよ…。それに、私だって…」 まさは、それ以上、何も言わなかった。 私だって、お嬢様の命を狙った…。 その頃、向井と政樹は、天地山ホテル内を散歩していた。 八造に案内された時のように、政樹を案内し、そして、ゲームルームへとやって来た。 「まさちんは、こういう所で遊んだことあるん？」 「いいえ。私は、こっち方面ばかりでしたから…」 と、小指を立てる政樹。 「ふ〜ん。やっぱり、そっち方面は苦手というのも嘘…か…」 「えっ？ 私、そんなこと、言いましたっけ…」 「苦手と言ってるけど、星の数ほどの女性と遊んでるはずだって 噂はあったからなぁ」 「噂？？？？」 「うん。料亭の先輩や、食堂の人達がねぇ」 「そう見えるもんですか？」 「見えてたで」 「わちゃぁ……」 ちょっぴり苦笑いする政樹に、向井は微笑んでいた。 「何が得意？ 銃？ それとも、拳？」 向井が興味津々に尋ねると、 「銃はちょっと……」 「そっか、御免…」 未だに、あの日のことが尾を引いている。向井は、直ぐに謝っていた。 「拳…かな…」 政樹の目線は、ボクシングゲームに向けられていた。 「では…楽しみますか！」 そう言って、政樹と向井は、ゲーム機の前に歩み寄っていった。 「優勝！！」 その声がゲームセンター内に響き渡った。 「すご…最高得点…」 向井が呟く。 「ん？」 と言いながら、ボクシンググローブを置く政樹。 「あまり手応えが無かったな…」 体を解しながら、政樹が言った。 「またしても、俺らで制覇か？」 「制覇？」 「ここのゲーム機の最高得点、ほとんど俺達が取ってる」 「向井さんも、こういうゲームを？」 「いや、私は格闘ゲームは苦手で…。頭脳ゲームですけど…」 「でも、このボクシングゲームは…」 「今年入荷された奴でしょうね。初めてですから」 「ふ〜ん」 「やっぱり、格闘技苦手というのも、嘘だったんだ…」 「あっ、はぁ……」 「でも、お嬢様には気をつけろよぉ」 「えぇ。お嬢様の腕は、存じてますから」 「格闘技マスターと最強のボディーガードが先生だったからなぁ。 恐らく、組員たちも負けると思うよ」 「あれ？ お嬢様は、護身術を習ったと仰ってましたよ」 「そうだっけ…あれ？」 と首を傾げる二人。 「向井さん」 「はい」 「お嬢様が仰った頂上からの景色は…」 「そこだけは、俺は案内できないんだよ。すまんなぁ。 あの場所は、お嬢様の特別な場所だからさ」 「そうですか……その……。支配人は、私のこと…」 「それは、どうでしょう…俺には解らないよ」 向井は誤魔化した。 まぁ、車でのオーラは、あからさまに……。 「次、何する？」 向井は話を切り替えた。 「そうですね…」 そして、二人は、ゲームに没頭していった…………。 真子の部屋。 まさと春樹は、部屋の隅にあるソファに腰を掛けて、お茶を飲んでいた。 「まさか、全て知ってるとはなぁ」 まさが、阿山組と砂山組の抗争のこと、そして、その時に起こった不思議な出来事、更に、政樹の事までも知っていることに、春樹は驚いていた。 「まぁ……驚くことでもないか…」 「そうですね。お嬢様の事を調べていたら、そうなっただけです」 「調べる？」 「気になりましたから。その地島政樹の素性が」 「何も、お前が気にすることじゃない」 「えぇ。でも………」 真子が寝返りを打った。 二人は同時に真子に振り向く。 真子は寝返りを打っただけだった。 「むかいんの奴……入れたな…」 寝る前に、むかいん特製熱冷ましを飲んだ真子。そこには、ぐっすり眠る何かも入っていたらしい。 「まぁ…いいか。…で、まさ」 「はい」 「いつまでも、その態度か？」 「……難しいですね。お嬢様に、危険な人物となるなら、 昔の感情が飛び出しても、可笑しくありませんよ」 「まさっ、てめぇ…」 「…真北さんこそ、まだ納まってないんですね、その感情」 「俺のことは、放っておけ」 「無理です。お嬢様の側に、一番長く居るんですよ？ だからこそ、そのオーラは、奥に納めてください」 「………すぐに…出来るなら、とうにやってる」 「そこまで、難しいほど、相手は……」 「あぁ。俺自身、意識のないまま、攻撃していたらしいからな。 その影響で、砂山組の連中にまで、拳を向けて、今の状態」 「謹慎…長いですね…」 「そぉなんだよなぁ。…いつになったら、解けるのかぁ」 姿勢を崩す春樹は、湯飲みに手を伸ばしながら、外を見た。 「ここで、戻れたらいいなぁ」 春樹が呟いた。 まさは、フッと笑みを浮かべて、同じように外を眺め、 「戻れますよ。私が保証します」 優しく応えた。 真子が寝返りを打った。その勢いで布団を蹴っ飛ばした真子。それに気付いた二人は、同時に立ち上がった。 私が。 まさは、手を軽く挙げて春樹に合図して、真子に歩み寄る。 真子の額に手を当てた。 「熱は下がりましたね」 優しく語りかけ、そっと布団を被せる。 「まさ…しゃぁん……」 「はい、なんですか、お姫様」 真子がうっすらと目を開けた。 「遊ぶぅ……」 「今日は無理ですね。大雪です」 「……寝るぅぅん……」 そう言って、真子はスゥッと眠り始めた。 まさは優しく微笑み、真子の頭をそっと撫でて、ソファに戻ってきた。 「むかいんは、地島に対して普通なんですね」 まさが突然口にした。 「ん？ 暫くは嫌悪感を抱いていたぞ」 「どうすれば、あのように接することができるのか…」 「笑顔を絶やさないこと…真子ちゃんに言われた事だからさ。 それを守ってるだけだろうな。…むかいんまで冷たい目を 向けていたら、それこそ、真子ちゃんの笑顔が減る……。 むかいんは、それを解ってるのかもしれない。…まぁ、 まさちんと接する時間が長いというのも、あるんだろうな」 「そうですか…」 まさは、大きく息を吐き、気を取り直したようにお茶を飲む。 「なぁ、まさぁ」 「はい」 「あまり態度に現すな」 「……難しいですね」 「まさちんは、お前が思っている程、悪くない男だ」 そう言って立ち上がる春樹は、出掛ける準備を始める。 「おや、謹慎中じゃなかったんですか？」 「それは、本業。裏家業は復帰してる」 「気をつけてくださいね。こちらは、大人しいですが、 それは、地山さんの力ですから」 「解ってる。ほな、よろしくなぁ」 春樹は、真子の額にチュウをしてから、部屋を出て行った。 「ったく。……どっちが本業だか、解らないですね…」 まさは、苦笑いをしながら立ち上がり、春樹の湯飲みを片付けた。 夕食は、いつものレストランで、真子、政樹、春樹、そして、向井の四人がテーブルを囲み、レストランの料理長自慢の料理を食していた。料理長は、料理を運んでくる度に、向井と話し込み、クリスマスパーティーの料理の話で盛り上がっていた。 真子は、ちょっぴり疲れを見せながらも、政樹にクリスマスパーティーの話をしていた。 それぞれの話に耳を傾けながら、春樹は、静かに食している。 レストランの様子を、まさは外から見つめていた。 真子が政樹と話す時の笑顔を観て、体の奥から、何かが飛び出しそうだった。 グッと堪えて、支配人としてのオーラを醸しだし、その場を去っていった。 春樹は気付いていた。 ったく……。 呆れたように軽く息を吐いて、デザートに手を伸ばした。 天地山の頂上は、いつもと変わらず、広大な自然を見下ろすことが出来る。 そこから自然を眺めるだけで、心が白紙に戻されるような気持ちになっていく。 真子が政樹を案内する。 政樹は、真子から聞いていたが、実際、目の前にした途端、言葉を失い、ただ、目の前に広がる自然を見つめるだけだった。ゆっくりと見渡す。青い空に、鳥が飛んでいた。 「自分が…ちっぽけに感じます。…これは、すごい……」 やっとの思いで声にした政樹は、隣に並ぶ真子に振り向いた。 真子は笑顔で政樹を見つめていた。 その笑顔こそ、心の闇を取り除いてしまう感じだった。 真子の笑顔と天地山の自然が、政樹の心に変化を与えていく。 それは、政樹自身、気付いていた。 真子も、政樹の表情が、少し和らいだ事に気付いていた。 良かった……。 事件以来、真子の前では笑顔を見せるものの、政樹の心には、もやがかかっている感じがしていた真子。その『もや』が何なのか、真子には理解出来なかった。 心の声は聞こえてこないが、闇を感じていた。 それが、天地山の自然を前にした途端、消えていた。 政樹の心は、穏やかになっている。 真子はそれが、本当に嬉しかったのか、政樹の手を握りしめてきた。 「お嬢様？？」 「だって、飛んでいきそうなんだもん」 「と、飛ぶ？？？」 「…なんでもないぃ〜」 そう言って、真子は喜びを誤魔化した。 「…ほんと…飛びたくなりますね」 政樹は、そう応えていた。 再び、青い空を、鳥が飛んでいった。 夜。 クリスマスパーティーが始まった天地山ホテルの大広間。 毎年、顔を合わせるお客と笑顔で語り合う、まさ。 しかし、今年は、側に真子が居ない。 真子は……。 「これが、自慢パートワンかなぁ」 政樹と一緒にテーブルの上にある料理を食していた。 「料理長さんが仰っていた感じじゃないですね…」 「そうだね。…もしかして、まだ、先かなぁ。ねぇ、むかいん」 どうやら、今年は、向井も一緒に大広間に居るらしい。 「これは、前菜に当たる料理ですよ。…あの料理長は、 まだ先に取ってますね〜。恐らく、お腹が満腹になっても 箸を運びたくなるような料理でしょう」 「……むかいん…怒ってる？」 真子が静かに尋ねた。 「少し…怒ってます」 「…………だって、むかいん…」 「お嬢様に怒ってるのではなく、真北さんと料理長に…です」 向井はふくれっ面になる。 「やっぱり……厨房の方が良かったの？」 「本当は、そうですね。お嬢様の為に料理を作りたかった…」 「パーティーの日は、むかいんも楽しんで欲しいんだもん…駄目？」 真子は、ちょっぴり首を傾げて向井に言う。 お、お、お……お嬢様……。 私にも、それは…ちょっと…その…。 向井は、真子から目を外せなくなってしまう。 「楽しんでねっ！」 真子がニッコリ微笑んで、向井に言った。 向井の心拍が早くなったのは、言うまでもない。 「あっ…そ、と……その……次は、どれを食しますかぁ〜」 必死で、自分の気持ちを誤魔化そうとする向井。 その仕草と言動は、なんとなく、滑稽だった。 むかいんにしては、珍しいな……。 少し離れた所で、変装している地山親分と話し込んでいる春樹は、真子達の様子を横目で見ていた。その視界には、まさの姿も映っている。 客と挨拶を交わし、会話をしながらも、目線は時々、真子に向けられていた。 真子の側には、政樹が付きっきり。いや、政樹の側から、真子が離れないだけかもしれない。 それは、真子の思いなのだが、まさにとっては、不愉快極まりないこと。 苛立ちが募っていくのだが、客との接し方は、『支配人』そのものだった。 あれは、流石だなぁ。 春樹は思った。 「いってらっしゃぁい」 真子とまさが声を揃えて口にした。 「いってきまぁす。真子ちゃん、邪魔しないようにねぇ」 「心得てます〜！」 真子が笑顔で応えると、春樹と向井、そして、少し不安げな表情をした政樹は、支配人室を出て行った。 「まささん、気にせずに、お仕事してください」 「すみません。急な仕事が入ってしまって…。すぐに終わらせますので、 奥の部屋を好きにお使い下さい」 「まささんの仕事っぷりを見てます」 ニッコリ笑って応える真子に、まさも笑顔で応えるが……、 お嬢様…、非常に、やりにくいのですが……。 という思いが裏に隠されていた。 真子がまさの仕事っぷりを見つめている頃、春樹と政樹、そして、向井は、温泉へとやって来た。 「お疲れ様ぁ」 湯川と挨拶を交わして、脱衣場へ入っていく。服を素早く脱いで、温泉へと入っていった。 チャプン。 水滴が弾ける音を聞きながら、体を洗い、湯舟に向かう三人。 何を話すことなく、ただ、のんびりと湯に浸かるだけだった。 支配人室。 「ねぇ、まささん」 「なんでしょうか」 ペンを片手にデスクで仕事中のまさは、真子に呼ばれて、顔をあげた。 「……まさちん……和むかな…」 「それは、どうでしょうか…」 ちょっぴり冷たく応えるまさは、手を止めて、真子を見つめた。 真子は、少し不安げな表情をしている。 「気になりますか？」 「………うん。………みんな…まさちんに冷たいから…。 どうしてなのか解らないんだけど……」 お嬢様？？ まさは、真子の言葉で、春樹が掛けている術の事を思い出す。 そして、どのように仕組まれているのかも、気が付いた。 「まさちんが何か悪いことでも？」 「事件の時に、まさちんは、みんなの怒りに触れるような事を したらしいんだけど……」 「その事は、私は、存知ませんので、お応えできません…」 「あっ…そうでした…ごめんなさい。…まささんは…」 「大丈夫ですよ、お嬢様」 素敵な笑顔で真子に言う、まさ。その笑顔は、真子の不安を取り除いたのか、真子の表情が、少し輝いた。 「男同士、話していれば、心を和ませますよ」 「真北さんとむかいんに…任せる…」 「そうしましょう。…っと、もう少し待ってくださいね、お嬢様。 ここが終われば、何か物語りでも…」 「いいの？」 真子が首を傾げる。 だから、その…お嬢様…。その仕草は……。 高鳴る鼓動を抑えつつ、まさは平静を装って、 「ええ。今日は、こちらで、一緒に寝ましょうね」 「うん！ がんばれぇ、まささん！」 「おー！」 と言った自分が、何となく恥ずかしかったのか、まさの動きが一瞬停まった。 気を取り直して、まさは仕事の続きを始めた。 天地山ホテル・自慢の温泉では、三人の男が、やっぱり何も話さずに湯に浸かっていた。 政樹の目線が、ふと、露天風呂に向けられていた。 「雪が降ってると、更に風情があるぞ。出てみるか？」 政樹の目線に気付き、春樹が言うと、政樹の眼差しが輝いた。 三人は、同時に立ち上がり、露天風呂へと出て行った。 雪が降っていた。 落ちてくる雪は、湯気によって、すぐに溶ける。 湯舟を囲む岩の上には、雪が積もっていた。春樹は、その雪を手に取り、政樹の背中に当てた。 「ぎゃっ！！！ って、真北さんっ！ 何をするんですかぁ！！」 突然の悪戯に、政樹は驚いた声を張り上げた。 「気持ちいいだろって」 「冷たいだけですよっ！！」 「いいだろがぁ」 そう言って、春樹は悪戯っ子のような眼差しをして、雪を手に取った。 政樹は、逃げる。 春樹は追いかける。 まるで、子供のように湯の中を駆け回る二人。 その二人に加わるかのように、向井も雪を手に、政樹を追いかけ始めた。 板挟みになる政樹。 逃げ場を失った途端、春樹と向井の握りしめた雪が、政樹の体に押しつけられた。 「冷たいですから！！！ ちょ、ちょっと、むかいんっ！」 その言葉を聞いた途端、春樹と向井は、『してやったりっ！』というような眼差しになる。 「えっ？」 二人の眼差しを不思議に思った政樹は、首を傾げた。 「いや…な。いつまでも他人行儀だからさぁ」 向井が口を開く。 「それは、その…縦社会ですから…」 「俺は組員だけど、組とは関係ないから、気にすること無いのに。 俺は、まさちんと呼んでるのに、まさちんは、俺のことを向井さんって 呼ぶから、気になってたんだよ」 「その呼び方は…お嬢様の…」 「お嬢様に関わる者には許されてるって」 「しかし…」 「……ったく…！！！」 「…って、うわぁっ、あぷっ！！」 突然、湯に沈められる政樹。 もがくが、抑えつけるのは、春樹だからか、中々、湯から顔を上げられない。 「真北さん、それ以上は、やばいですよぉ」 「そうだなぁ」 そう言って、春樹が手を離すと、政樹が湯の中から飛び出してきた。 「ぷはぁっう……って、はぁはぁ……真北…さん……、 手加減して……はぁ……下さいよっ！！」 「まだ潜れそうなのになぁ」 悪戯っ子の眼差しが再び。 政樹は身構えた。 「まぁ、ゆっくり浸かろうやぁ」 春樹が言うと、向井は湯に浸かり、政樹は、ちょっぴりふくれっ面になりながら、湯に浸かる。 「……よろしいんですか？」 政樹が静かに尋ねると、 「その方が、真子ちゃんも喜ぶ」 春樹が、優しく応えた。 「ありがとうございます」 そう言って、政樹は空を見上げた。 夜空には、星が瞬いていた。 (2006.9.18 第九部 第四話 改訂版2014.12.22 UP) 
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