任侠ファンタジー(?)小説・光と笑顔の新たな世界 短編 その5-1


外科医・橋雅春

橋総合病院。
この日、近くでの大事故の為、急患が次々と運び込まれ、医者達が忙しく動いていた。

「直ぐに運び込めっ!」

忙しい中、怪我をして不安な表情を見せる患者達の心を少しでも落ち着かせるかのような声で、指示を出すのは、この病院の院長である、橋雅春。外科医でもある橋は、指示を出しながらも、自ら手術室へと足を運ぶ。
手術着に着替える瞬間、眼差しが輝く。

やる気だ……。

メスを持つ、その手まで、黄金に輝く感じに思えた途端、患者の体にメスが入るっ!





手術を終え、事務室へと戻ってくる橋。
廊下ですれ違う患者と笑顔で会話を交わし、事務室のドアを開けた。

「せぇんせぃっ!」

明るい声が、橋を迎える。その瞬間、項垂れてしまう……。

「あのなぁ〜。週一で通うなっ。もう通院の必要も無いと
 言うたやろっ」
「ええやんかぁ〜。私と先生の仲やんっ」
「まぁええわ。何か飲む?」
「先生自慢のお茶でええよぉ」
「おっしゃぁ」

そう言って、橋はお茶を煎れ始める。
急須にお湯を注ぎながら、橋は、事務室に訪ねて来た人物と楽しく話し始める。
橋が留守の間に訪ねてきたのは、女性。
この女性は、橋が大阪で総合病院の院長を務め始めた頃の最初の患者。
外科的手術を必要とする病にかかり、手術をしたものの、精神的にも弱っていた事で、中々退院に踏み切れず、業を煮やした橋が、優しく、時には厳しく接した事で、この女性は心を開き、無事に退院することが出来たのだった。

「で、調子はどうや?」

お茶を差し出しながら、橋が言った。

「あの病気が嘘みたいやわ。ほんまに、感謝してるで、先生」
「そうやって、元気に遊びに来てくれるだけで、嬉しいで」

素敵な笑顔で応える橋だった。

「今日も忙しかったん?」
「まぁな」
「事故の事…聞いたけど…」
「大丈夫や。死に至るような患者はおらんから」
「そっか…それなら安心や」

そう言って、女性はお茶を飲む。
動けなかった経験がある。だからこそ、怪我をして、動けない時の苛立ちや哀しみ、悔しさが解っている。人の目も気になる。怪我人の事を聞くと、心配で心配で仕方がないのだった。
そんな彼女が、目指した道は…。

「そやけど、この病院に来たらあかんのん?」
「俺の目があるんやで、厳しいに決まってるやん。それに、
 他の病院とはシステムも違うし、ここは、休みなしやで」
「知ってるって、それ。だから安心出来るんやもん、患者としては」
「それを承知で面接に来るんやったら、俺は採用するけどな。
 仕事が好きで、誇りを持てる者しか、ここでは、働かせないからな」
「うん」

どうやら、医学関係の道に進むらしい。

「なぁ、先生。あの頃の事…覚えてる?」
「覚えてるで。…確か、心の…支えやったっけ」
「そうやでぇ」
「退院祝いに…連れて行かれたよなぁ〜」
「嫌やったん?」
「そらなぁ〜。あの後、どれだけ大変やったか…」
「もぉ〜っ、先生の意地悪っ!!」

そう言って、女性は、橋の背中を思いっきり叩いていた。




高級車が橋総合病院の駐車場に停まった。運転席のドアが開き、一人の男が降りてきた。
片手に、真っ赤な薔薇のでっかい花束を持ち、ドアに鍵を掛ける。

「さてとっ」

そう言って、病院の建物を見上げ、真っ赤な薔薇の花束を肩に担いだ。
ニヤリと微笑み、歩き出す。




橋の事務室では、女性と橋が話に夢中。
橋がちらりと時計を見る。

「あっ、先生、回診の時間やんな」

と女性の方が先に口にする。

「すまんなぁ、いつも。ゆっくりする時間が無くて」
「ええって。うちが勝手に遊びに来てるんやもん。それに、
 先生は、仕事してる方が、輝いてるんやで!」
「ありがとなぁ」

橋は回診準備に入る。それと同時に女性は帰る用意をして、笑顔で手を振って事務所を出て行った。


女性が廊下を歩いている時だった。
廊下の先を、真っ赤な薔薇の花束を肩に担いだ男性が歩いてくる。

彼女のお見舞いかな……。それにしても、でっかいなぁ。

そう思いながら、男性とすれ違う。

えっ??

横目でちらりと見た男性の顔に覚えがあった。
驚いた女性は、振り返る。その男性は、橋の事務室の前を通り過ぎ、廊下の奥へと進んでいく。

……健ちゃん???



ある病室の前に、花束を抱えた男性が立つ。ドアをノックすると、

『はぁい』
「健でぇす!」

そう言って、病室に入っていく男性こそ、小島健という阿山組組員の一人だった。
病室では、阿山組五代目組長・阿山真子が、ベッドに腰を掛けてる姿があった。

「健、今日も…持ってきたんだ」
「はいなぁ!」

そう言って、腰をフリフリ………。真子は項垂れながらも微笑んでいた。

「いつもありがとう」
「いいえぇ。こちらに?」
「うん」

健は手にしている花束を部屋に飾る。
真子の病室は、真っ赤な薔薇の花で埋め尽くされていた。

「組長、退院…また延びたとお聞きしましたよ」
「そうなのよぉ。まだ出血が止まらないんだって」
「そのようですね…」

真子の頭は、包帯が巻かれ、そこから赤い管が出ていた。
ほんの数ヶ月前、真子は敵対している組との争いに巻き込まれ、頭を撃たれてしまった。橋の腕のお陰で一命を取り留め、今に至る。
退院間際に、真子は体を動かしてしまい……。

「……それよりもさぁ、けぇん〜」

真子の声が急に低くなる。
そんな時は決まっている。
真子は怒っている………。

「な、な、なんでしょうかぁ」
「…真北さんの事……えいぞうさんと同じように…知ってたん?」

ぎくっ!!

健の表情が引きつった。
頭を撃たれた現場で真子が見た光景。それは、育ての父親として側に居る真北春樹という男が、警官に指示を出している姿。
阿山組組員として、真子の父親である四代目の慶造と親しい仲である真北が、なぜ、警官に指示を出していたのか。それには、訳があった。

真北は、真子に自分の立場を打ち明けた。
それと同時に、その事を知っている者の名前も伝えた。その中に、健の名前もあった。

「そ、そりゃぁ、その……そうしないと、真北さんの補佐…
 出来ませんから……。…すみませんでした…」

健が深々と頭を下げた。

「もぉいいよ。……幼い頃から…気になってたから」

真子が微笑む。ちらりと顔を上げた健にとって、その笑顔は、心の毒……。

組長……俺には……ちょっと…。

顔を上げられない健。
その時、病室のドアがノックされ、橋が入ってきた。

「真子ちゃん、今日こそ動いてない…………」

橋の姿に気付いた真子は、慌てて布団に潜り込む。

「………………起きるなぁ、言うたよなぁ」

怒りの形相で、橋が真子を見下ろす。

「ご、ご、ごめんなさいぃ〜」

真子が静かに言った。
橋は、背中に突き刺さる物に気付き、振り返る。そこには一人の男が立っていた。
まるで、橋を威嚇するかのように…。

あれ? どっかで見たこと…あるぞ……。

と思いながらも、

「……誰や、お前は」

橋が言う。

「あれ? 橋先生は健と会うの…初めてなん?」
「…組員か?」
「うん。えいぞうさんの弟分の健。健、この人は、橋先生。
 この病院の院長さんで、凄腕の外科医で、そして、真北さんの
 親友なんだって」
「この方が。…すみません。初めまして、小島健です」

健は先程とは違い、笑顔で挨拶をする。

「健……。…大阪に居たこと…ある?」
「いいえ。組長と一緒に来た日が初めてです」

健が応える。

「そっか。…で、真子ちゃん、起きた時間は…?」
「一時間ほど……だって、その……背中痛くて…」
「そうやなぁ、寝たままやと、背中も痛いわなぁ。…ベッドふかふかやけど…」
「体動かしたいぃ〜」
「駄目。出血が止まるまで。…健も言ったってくれや」
「まだ、調子は悪いんですか?」
「まぁなぁ」
「…先生の腕…悪いんちゃうん?」

健が言った。

「あのなぁ。真子ちゃんの怪我、どれだけのものか
 解ってるやろが。それでここまで動いてるんやで、
 それを考えたら、俺の腕…解るやろがっ」

思わずムキになる橋に、真子が笑い出す。

「もぉ〜橋先生ぃ〜、ムキにならんでもええやんかぁ。健は
 冗談で言っただけやのに」
「解ってるわいっ」

と応えながら、橋は真子の診察を始める。

「もう少し、言うこと聞いてくれたらなぁ〜」

ふてくされる橋に、真子は微笑む。

「散歩…駄目?」

その眼差しに、橋の心臓が高鳴った。

「駄目」

真子の上目遣いの眼差しは、組員ならイチコロ。だが、橋は違っていた。
そういう眼差しには屈しない。

「院長、私と一緒でも駄目ですか?」
「あまり、動くのはなぁ」

真剣に訴えた健の言葉に対し、困ったように言う橋。

「それなら、動かない。…だけど、橋先生」
「ん?」
「お願いがあるんだけど…」
「何???」
「真北さんに聞いたんだけど、…橋先生は、天地山の
 まささんとも仲良いって…」
「原田は、医者の卵だった。俺の生徒でもあったけど…」
「それでね……真北さんにもお願いしようと思うんだけど、
 まささんに医師免許……」
「それは、わしも考えとったけど、原田が支配人の道を
 選んだから、諦めたんや。医学生として、凄腕だったで。
 …ほんまは、手伝って欲しかったけどな…」

そう語る橋の眼差しは、遠くを見つめているのが解るほどだった。
橋の後ろで橋の話を聞いている健は、唇を噛みしめ、何かを我慢していた。

原田は…あいつは……。

健は突然踵を返し、病室を出て行った。

「…健?!」

健の突然の行動に、真子は驚いていた。それには、橋も目を見開く。

しまった……健の名字…小島って言ったっけ……

真北から聞いた話を思い出す橋は、気まずい表情をしていた。

「どうしたんだろう、健……急に…」
「…まぁ、兎に角、真子ちゃんは明後日まで寝ておくこと。
 健の事は俺が様子を見といたるから」
「お願いします……」

真子の声は、少し沈んでいた。



健は、真子の病室から少し離れた廊下に設置されているソファに腰を掛けていた。

「健ちゃん」

橋が声を掛けると、寂しげな表情で顔を上げた。

「組長……まだ悪いんですか?」

健の第一声に、橋は微笑む。

「健ちゃんまで、真子ちゃんの事が一番なんやな」
「当たり前でしょう? 我々にとって、命よりも大切な人ですから。
 その中でも、俺にとっては」
「あの薔薇…健ちゃんの気持ちか」
「へへへ。…でも、一番初めに行ったのは、組長ですから。
 俺が……任侠の世界に戻った後に、銃で撃たれて…その時に
 組長が花束攻撃をして…。そのお礼ですよ」
「なるほどな。……って、任侠の世界に戻ったって、健ちゃんは
 えいぞうと同じで……」
「……もう、お気づきでしょう? …俺のこと…」
「わしの勘も当たるってことか。……テレビで何度も、そして、
 大賞を取ったあの日に、会場に居たんでな。当時、わしの患者に
 ファンが居ったんや。それで、なんとなく覚えていたけど、…でもなぁ。
 自信が無かった。…お笑いの健は、そんな眼差ししてなかった」
「なのに、気付かれたんですか?」
「まぁな。…真子ちゃんを見つめる眼差しは…違っとったし」
「当たり前でしょうがっ。ったく」

健はふくれっ面になる。

「すまんかった」

橋が言った。

「…何がですか?」
「原田の話。…真北から聞いてるし、俺は原田の過去を知ってる。
 あの時の治療をしたのが、俺だから…」
「あの時…とは、親父と原田の対決…ですか?」
「あぁ。瀕死状態で病院に現れた時は、本当に…」
「…解ってるんですけど、兄貴と同じで、…許せないんですよ、俺も」
「真子ちゃんが大切に思う人物でもか?」
「はぁ〜〜……」

健は大きく息を吐き、項垂れる。

「そこが問題なんですよ。…あいつの過去を…組長は知らないから…」
「なるほどなぁ。…大変だな、お前らも」

橋は微笑んでいた。

「健ちゃんが、お笑いを辞めたのは、頂点に立ったからか?」
「…兄貴の為…。そして、組長の為ですよ。…あの頃、
 俺にとって、心の支えになっていた組長の母が亡くなり、
 そして、守るべき人を失った兄貴の事が心配で…。
 だから俺…」

そんな話をしていた時だった。

「やっぱり…健ちゃんなんだっ!!」

その声に振り返ると、そこには、先程の女性が立っていた。

「まだ、居ったんかっ」
「だって、花束を持った男性が気になって…それで…」
「…俺の事……」
「この子…健ちゃん霧ちゃんコンビの大ファン……」

健の言葉を遮るかのように、橋が言った。

わちゃぁ〜〜。

焦った表情をする健に、女性は飛びついてくる。

「やっと見つけたっ!!」
「あの、ちょ、ちょ、ちょっとっ!!!!!!」

女性は、健の首にしがみつく。その力は途轍もなく強かった。



健と女性、そして、回診を終えた橋の三人が、橋の事務室に居た。
健は緊張している。女性は、探していた人物に会った事が嬉しいのか、顔が綻びっぱなし。そんな二人を見ている橋は、仕事をしながら、微笑ましい表情をしていた。

「…ほんまに、逢いたかったんや。先生に言って、探してもらっとった」
「……その……。…すみませんでした。…そのように…ファンの人には
 かなり迷惑を掛けてしまったんですね。…だけど、俺は…」
「どんな事情があるのか知らんけど、健ちゃんが元気やったら
 うち、もう安心や」
「………ありがとう……」
「霧ちゃんは?」
「新たな仕事で海外に居ます」
「お元気なんですか?」
「あいつ、動いてないと死ぬぅ〜言うて、動き回ってる」
「きゃはっはは!! 変わってへん〜」

女性は大笑い。それにつられて、橋も吹き出すように笑っていた。
しかし、健は……。

「でも、ほんまに御免。俺…お笑いの世界は抜けたから、
 今生きてる世界は、全く正反対やし…だから…もう」
「それでもいいもん。…健ちゃん、時々逢ってくれへん?」
「御免。できない」
「そっか……。でも、うち…嬉しい! 健ちゃん元気やったから」

女性の笑顔が輝く。その笑顔に対して健は、申し訳なさそうな表情をしていた。

「ほな、先生!」
「あぁ、気ぃ付けてなぁ」
「健ちゃんも!」
「ありがとう」

女性は、事務室を出て行った。
暫く沈黙が続く。

「で、健」
「はい」
「真子ちゃんとこ、行かんでええんか? 心配しとんで」
「あっ!! そうでしたぁ! すみません」

そう言って、健は慌てて事務室を出て行った。

はぁ〜。
これで、あの子も来なくなるか。

橋の所へ週一で通っていたのは、健の事を聞くため。
探して欲しいと頼まれたのは、橋が極道と仲良くしている事を知ったから。
もしかしたら、何かあったのかもしれないと思い、そのように頼んでいた女性。
しかし、健は見つかった。それも、意外な場所で。
橋はカルテを見つめる。
そこには……

退院は一週間後。




夜。
橋総合病院は、昼間と違い、静けさが漂っていた。その廊下に響く足音は、とある場所へと向かっていた。
ピタッと止まった足音は、ドアが開く音と同時に、再び聞こえた。


真北が、真子の様子を伺いに、病室へ顔を出した所。
そこには、真子の側近でありボディーガードでもある、地島政樹・通称・まさちんという男が、病室の隅にあるソファで仮眠を取っていた。真北の姿に気付き、目を覚ます。

「お疲れ様です」
「…本当に深く眠らないんだな」
「真北さんもでしょう?」
「まぁな。…様子は?」
「橋先生の所へは寄らなかったんですか?」
「夜中に緊急手術」
「そうですか。…出血もかなり納まったそうなので、退院は
 一週間後です」
「そうか」

そう言いながら、真北は真子の側に歩み寄る。
静かに眠る真子の寝顔を観て、真北は、その日の疲れを癒していた。
そっと頭を撫で、そして微笑む。

「もう、こんなことは…御免だよ…。真子ちゃんだけでなく、
 まさちんまで…失うかと思ったよ」
「真北さん……本当に……」
「何も言うな」

まさちんの言葉を遮るかのように、真北が言った。

「腕の方はどうですか?」

まさちんが尋ねる。
真子が頭を撃たれる直前、真北は大怪我をしている。その傷は治ったものの、腕は未だに動かしづらかった。真北の腕の動きを気にしているまさちん。
それは、まさちん自身が深く関わっているためだった。

「動かしづらいのは確かだが、そうも言ってられんしな。
 動かさないと治らないからさ」
「何か御座いましたら、いつでも…」
「そういうお前こそ。体の調子は、万全なのか? あの薬は
 後からも出てくるらしいぞ」
「…そんなこと、言ってられませんよ。組長も…気になさりますから」
「そうだな。…自分の事よりも…」

本当に、他人の事ばかり考えるんだから…。

真北の手は、真子の頭をなで続けていた。
病室のドアが静かに開く。

「終わったぞぉ。お前の診察するけど、ここでするか?」
「いいや、そっちに行く」

手術を終えた橋が、真北が来たことを告げられ、真子の病室へやって来たのだった。

「まさちん、お前もゆっくり眠れよ」
「はっ。ありがとうございます」
「お休み」
「お休みなさいませ」

真北は、橋と病室を出て行った。
その途端、まさちんは眠りに就く……。


二人は、何話すことなく、事務室まで歩いていく。事務室に入り、ソファに腰を掛けた真北に、お茶を差し出す橋。

「腕の調子、良くなったみたいやな」
「まぁな」

お茶をすする真北。橋も同じように腰を掛け、お茶をすする。

「なんか…十五年逢ってなかった気が…せんよなぁ」

橋が呟くように言った。

「そうやな。……周りには内緒にしとったけど、…お前の事は
 気にしてた。…まさか、大阪で……なぁ」

春樹が静かに応えた。

「まぁなぁ。…そういうお前こそ、大阪に何度も足を
 運んでたんやろ? 水木達とも逢ってたそうやないか」

そう言った、橋の言葉には、何か他の意味も含まれていた。

「そりゃぁなぁ。……慶造の代わり」

そう応えた真北の言葉の中にも、橋の言葉に含まれていた『他の意味』に対する応えが含まれている。
敢えて言わなくても、解る仲。
お互い、フッと笑みを浮かべるだけだった。

「阿山慶造の代わりまでして……良いことあったんか?」

尋ねる橋だが、その時の真北の表情を見て、自分の質問の愚かさに気付く。

「応えんでも…解るわい」
「そりゃ、どうも」

短く応えて、真北はお茶を飲み干す。
真北の湯飲みに、新たなお茶が注がれた。

「そや。真子ちゃんに、原田の事…言ったんか?」

橋が突然、質問した。

「ん?」
「俺が原田と仲良いって、…勘違いしてるぞ、真北」
「え?」
「原田は、あの日以来……俺を嫌ってる」
「……そうなのか? ……知らんかったぞ…」
「小島隆栄との対決で負った怪我の時に、俺が根掘り葉掘り
 聞きまくったから、それに苛立って、俺のことを毛嫌いし始めた。
 言葉遣いも、それまでは敬っていたのに、そりゃぁ、もう
 冷たい言い方やでぇ」
「それは、橋の扱いやろが」
「あのなぁ〜」

わなわなと震え出す橋を観て、真北は笑っていた。

「………で、俺は今でも怒ってる事があるけどなぁ」

今度は、真北が静かに言う。

「ん? なんだ?」
「当時、俺……頼んでいたよなぁ〜。医学に詳しい者が
 事件に関わってるかもしれないから、教えてくれぇ〜って」
「あっ…………………………………」

遠い昔を思い出したのか、橋の動きはピッタリと止まった……。

「………半信半疑だったんだって。原田の腕に付けられてる
 武器を知った頃から。…でも、あの傷を負った時に確信した。
 やくざだと…それも、お前が言った…殺し屋だと…」
「その時、教えてくれても…」
「言える訳ないだろが。…お前の事を考えてだな…」

治療、そして、匿った……。

その行為が、間違っていると解っていても、橋は、公に出来なかった…いや、しなかった。大切な生徒、そして、大切な親友。
殺し屋として生きていた生徒を匿った、刑事が親友である医者。

もし、自分が捕まれば、親友の立場も危うくなる。

それを思うと、公にしなかった橋。

どんなときでも、俺のことを考えるのか…。

「ったく……」

真北は、橋の気持ちを理解して、そう応えるだけだった。

「まぁ、それは、………お互い様…だろ?」

橋が静かに言う。

お互い様。

真北が、阿山組壊滅に向かった時、自分の身内だけでなく、親友の事も全て隠し通した行為。
それが、十五年前の事件。
お互いがお互いの事を考えて、そして、生きてきた。

「その頃から…繋がっていたんだな」

真北の言葉に、橋は、

「そうだな」

静かに応えた。

「それでだな、真子ちゃんがお願いしてきたんだが…」
「まさの医師免許のことか?」
「あぁ。原田が支配人になったって連絡してきた頃に、用意はしとってんけど、
 一足先に支配人になったって言うから、諦めたんだが…」
「まさは、支配人としてじゃなくて、真子ちゃんの為に天地山を
 守ってるだけだぞ。…まぁ、あれだな。客の怪我を応急手当
 してる…というより、ほとんど治療なんだけど、そういう行為を
 してるからなぁ。…医学に詳しいのは、仕事の為…と言ってたが」
「その通りだぞ。…医学生としては、滅茶苦茶厄介な奴だったけどな」

そう言う橋の表情は、口調を語るかのように、苦虫を潰した表情になっている。

「独学で、あそこまで……って、真北に言ってもしゃぁないか」
「そうやで。俺が聞いてもなぁ」
「でも、俺には、仕事の為じゃないと思ったね」
「えっ?」
「原田……真剣に勉強をしている姿は、仕事の為じゃなかった。
 大切な者を守るため……もしものことを考えての姿だった」
「そりゃ、お前が守りたくもなるわな…」

真北は、そう言って、ソファに寝転んだ。

「って、おい、寝るなら奥の部屋を使え」
「ここで…ええ」
「仕事の邪魔」
「……って、橋ぃ〜。いつ寝てる」
「患者が居ない時だ。先程の患者、手術は成功したけど
 容態は落ち着いてない。それよりも、その台詞は、そのまま
 そっくりお前に返すっ」
「ありがとなぁ〜」

と話がかみ合わないまま、真北は眠りに就いた。

……ったく。
守るべき者は…真子ちゃん…か。

奥の部屋から持ってきた掛け布団を真北の体に、優しく掛ける。

昔っから、そうだよな。
……そういや、…こいつ……弟居なかったっけ???

真北の寝顔を見つめる橋は、フッと思う。

そっか…自分の立場のために……。
その代わりが…真子ちゃんってわけか…。

橋は、真北の頭を優しく撫で、仕事に戻る。
カルテの整理をしながら、昔の事を思い出す。
原田に薦めようとした医大の事、支配人として生き始めた原田が時々相談をしてきたこと。

そういや、不思議な光の話……。

ふと思い出した事。
かなり昔に、原田は不思議な光の事を相談してきたことがある。

大切な人の為…。そう言ってたよな。
あの頃から…?
いいや、もっと前だな。

古いノートを手に取る橋。
そこには、極秘マークが書かれている。
ノートを広げると、色々な成分の名前が書かれている。赤い丸を付けたものが、極秘の治療薬に関する成分。
ノートの途中のページが破り取られている。
そこには、その成分と配合が書かれ、それを千切り、ある人物に手渡していた。

原田……その頃から、知っていたのか?

ソファに眠る真北に振り返る橋。
真北は、いつになく、無防備になっていた。
それ程、安心してるのだろう。そして、心を和ませているのかもしれない。
長年、打ち明けられなかった事を、やっとの思いで打ち明けた。
その日から、真北から醸し出されるものが、少し和らいでいる。
それを肌で感じている橋。
事務室のランプが光った。
急患が来る。
ランプの光に反応したように、真北が目を覚ます。

「すまん。起こしたか。…仕事やねん。お前はゆっくりしとけよ」
「…あぁ。無茶すんなよ」

寝ぼけ眼で真北が言う。
橋は微笑みながら、事務室を出て行った。
その後ろ姿は、輝いていた。

仕事好き…。

そう思いながら、真北は再び眠りに就いた。




天地山ホテルに郵便が届いた。
従業員が郵便物を仕分け、その中の支配人宛の物を手に、支配人室へと持っていく。

支配人である原田まさは、書類に目を通し、郵便物を手に取った。その中で、嫌な文字を見つけ、嫌々ながらも、その封書を開けた。
中には推薦書が入っていた。そして、手続きの書類まで…。

…………なんだぁ???

眉間にしわを寄せながら、受話器を手に取る。

『橋総合病院です』
「原田です、橋院長お願いします」
『お待ち下さい』

保留音が暫く流れ、相手が出る。

『着いたんか?』

相手の橋の第一声。それには、まさが項垂れた。

「あのねぇ〜〜っ。これ、勝手に…何ですかっ。私は支配人として
 忙しいんですよ?」
『それは、冬だけやろ。夏の間だけで大丈夫なようにしてある』
「結構です」
『…真子ちゃんのお願いなんだけどなぁ〜』

という言葉を聞いた途端、まさの表情が綻んだ。

「お嬢様の願い…とは?」
『お前の医師免許』
「どうして、お嬢様が?」
『お前の腕を知ってるからだろな』
「そ、それは、そうですが…しかし、私は」
『真北からも聞いてる。お前がそこに居るのは真子ちゃんの為。
 そやけど、真子ちゃんの願い、そして、優しさやろなぁ』

お嬢様……。

まさは、デスクの引き出しを開け、そこに入れている真子の写真を見つめた。
笑顔の真子が、頑張れとでも言ってるかのように思える。

夢…投げ出さないでね。

そう語ってるようにも思えたまさは、

「これ……本当に大丈夫なんですか?」

疑問を投げかける。
それには、電話の向こうに居る橋の表情が曇る。

「あのなぁ。真北の立場も関連してる」
『あの立場を利用って……橋っ、あんた、なんで??』
「真子ちゃんに打ち明けたと言えば、解るか?」
『…そうでしたか…。……そのお嬢様は』
「明日退院や」
『そうですか』

静かに応えた、まさ。その口調で解る。
まさが、どれだけ真子のことを心配し、駆けつけたい衝動に駆られていたのかが。

「知らんかったで。お前が真子ちゃんの為に支配人に
 なったってことをなぁ。……まぁ、その気持ち解るけどな」
『真北さんに、怒鳴られないように気をつけて下さいね』

橋の思いが解ったのか、まさが言った。

「真北のことなら、お前以上に解ってるから、安心せぇ」
『はいはい。…では、この書類持って、医大に伺いますよ』
「成績トップ、満点が条件やぞ」
『そんなこと、容易いですよっ』
「ほぉ〜、よう言うた。その通りにせぇや」
『はいはい』

急患のランプが光り、橋の表情が変わる。

「すまん、急患や」
『本当に仕事好きですね。自分の体を考えてくださいよ。
 医者が倒れたら、それこそ…』
「みなまで言うな。ほな、またな。ちゃんと通えよ」
『ありがとうございます』

まさの言葉を聞いて、橋は受話器を置いた。そして、白衣をまとい、事務室を出て行った。

くっくっく…これで、俺の腕も鳴るってこった!

橋の企み。
それは、優秀な外科医を育てること。
医学生時代から目を付けていた者を引き込み、そして、育てる。それが橋の夢でもある。
その一人が、原田まさだった。

その日の橋のメスさばきは、いつも以上に輝いていた。



(2005.8.5 / 改訂版2017.3.7)



Next story (短編 その5-2)



番外編・短編 TOPへ

任侠ファンタジー(?)小説「光と笑顔の新たな世界」TOP





※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。



Copyright(c)/Dream Dochan tono〜どちゃん!著者〜All Rights Reserved.