任侠ファンタジー(?)小説・光と笑顔の新たな世界 短編 その5-2


外科医・橋雅春の……

真子が退院した後も、外科医の橋は、仕事で日々を追われていた。そんな中……。

橋が手術を終えて、事務室へと戻ってきた。

「ふぅ〜〜」

と、大きく息を吐きながらドアを開けた。

「立て続けに四件もやるからやぞぉ」

真北が、勝手にお茶を煎れ、ソファでくつろいでいた。
橋は、真北を見下ろすかのような眼差しで見つめ、そして、デスクに座った。カルテの棚から、一冊のファイルを手に取り、表紙を開ける。
そのカルテこそ、真北のものだった。

「お茶。おいしいよぉ」
「勝手に飲むなよ。それに、お茶に五月蠅くなったのは、
 お前の為なんだぞっ!」
「………疲れてるなら、また後から来るけど?」
「ん? あっ、いや、そうじゃない」
「一人の時間が必要なら、俺は帰る」

そう言って、真北は湯飲みを片づけようと立ち上がる。

「その……な」

橋は、何か言いにくそうな雰囲気で口を開いた。

「なんだ?」

真北は湯飲みを洗いながら返事をする。しかし、橋は、真北のカルテを見つめたまま、黙りこくってしまった。不思議に思いながらも、真北は片づけ終わり、帰り支度を始める。

「……お前に言っただろ。俺は、あの日を境に過去を捨てたと」
「そうだったな」
「俺には家族は…居ないんだよ」

真北は、橋が尋ねたいことを解っていたかのように、静かに語り出していた。橋にも真北の気持ちは解っている。しかし…。

「俺は変わりない。次の仕事の為に、ちゃぁんと休んでおけよ」

優しく声を掛けて、真北は事務室を出て行った。
真北の足音が遠ざかるのを耳にしながら、椅子にもたれかかる橋は、天井を見上げる。

ったく……。

橋は気を取り直して、真北のカルテに記入する。

問題なし。



それから、週に一回は、橋の総合病院にやって来る真北。特に怪我をした訳でもなく、ただ、のんびりとくつろぎに来るだけの様子。橋が仕事中で居ない時でも構わずに……。

「……昔は、ちょっとの怪我じゃ来なかったのになぁ」

真北に高級茶を出しながら、橋は呟く。
真北は、ただ、微笑んでいるだけだった。

「その後、真子ちゃんは元気にしてるみたいだな」
「まぁな」

橋の話をそっちのけで、真北はお茶を一口飲む。

「おいしぃ〜……って顔だな」

橋が言った。

「あぁ、また高いものを仕入れただろ」
「お前の為になぁ」

橋はソファにふんぞり返る。

「ありがとさん」

真北は微笑んだ。

「………で、俺の質問は?」
「話していいのか?」
「ん?」
「………長くなるぞぉ……」

そう言って、ニヤリと口元をつり上げる。それを観た橋は、

「いいや、断る」

短く言った。

「二学期の試験の終わりの日に、誰にも内緒で友達と
 映画に出掛けてなぁ。映画館の前で、水木達と
 ばったり逢ったそうや。それでな……」

橋の言葉を聞いていないのか、真北は真子の話をし始めた。





春が来て、桜が満開の頃。
橋総合病院でも見事な桜が咲いていた。
橋は、回診を終え、廊下から見える桜を眺める。

今年も見事に咲いとんなぁ………って、あらら?

桜の木の下から、女性が手を振っている。それも、橋に向かって……。


橋の事務室では、お茶が用意され、ソファに腰を掛ける女性に差し出された。

「ったく。もう遊びに来ないと言ったやろが」

それは、お笑い界の頂点に立った健を探していた女性。健を見つけるまでは、週に一度の割合で橋の事務所を訪ねていた女性が、またしても訪ねてきたのだった。
橋は、昔のように邪険に扱うが、女性は嬉しそうに微笑んでいた。

「医師免許はまだ先だろ? …何を喜んでる?」
「解る?」

弾む声で女性が言う。

「顔に書いてる」
「へへぇん」
「その顔は……。健ちゃんと逢ったのか?」
「あの後ね、もう逢わないって言ったやん」
「あぁ」
「もちろん、探しもしなかったんだけど、こないだ偶然……」

女性は、嬉しそうに語り出した話とは……。




女性は、とある駅で降り、改札を出てきた。駅のロータリーの上にある歩道橋が、芸術のように感じる女性は、少し離れた場所にある時計台の側まで歩き出す。
友人と待ち合わせの場所は、この時計台。
初めて降りる駅、そして街に戸惑いながらも、待ち合わせの時間よりも早く到着した為、その辺りを観察し始めた。
歩道橋は、駅前の百貨店の出入り口にも繋がっていた。その歩道橋に沿う感じで色々な店が連なっている。その中に、妙な道と店を見つけた。

「お待たせぇ!」

友人が声を掛けてきた。

「凄い街やなぁ」
「そぉやろ。結構賑わって来たんやでぇ。昔は、こんなん
 ちゃうかってん。この春から急にやねん」
「もしかして、あの百貨店も?」
「そうやねん。そして、今日はバーゲンの日!」
「バーゲン??」
「一周年やねんて」
「だから、誘ったんやなぁ」
「うん! 行こ!」

女性は友人に半ば強引に誘われて、百貨店へと向かっていった。
その時、一人の男性が、改札を出て、先程女性が妙に感じた店へ向かって歩いていった。



女性とその友人は、百貨店で目一杯買い物をした。両手一杯に百貨店の買い物袋を持ち、百貨店から出てきた。女性達の他、この日のバーゲンに訪れた客達も、手に一杯紙袋を持って、帰路に就く。

「おいしい珈琲の店があるねん。行ってみぃひん?」
「ええけど…この荷物で?」
「すぐそこやし。ほら、あれ」

と友人が指を差した所こそ、先程不思議な雰囲気を感じた店だった。

「あれ…茶店なん?」
「そやで。見えへんやろ」
「うん」

女性と友人は、その喫茶店へ向かって歩いていく。両手一杯に持った買い物袋で、店のドアが開けられない。仕方なしに、女性は荷物を置いて、ドアに手を伸ばした。その途端、ドアが開き、

「いらっしゃいまっせぇ。歩いてくるのが解ったから
 思わず迎えに出ちゃいました」

喫茶店のマスターが、ドアを開け、二人の女性を招き入れた。

「マスター、いつものん。それと、新しい客を連れてきたから
 サービスしてやぁ」
「しゃぁないなぁ。約束やし。ほな、どうぞ」

奥の席に案内したマスターは、お水を持ってくる。

「初めまして。この店のマスターの小島栄三です」
「は、初めまして。相原です」
「名前は?」
「美夏です」
「どんな漢字になるん?」
「美しい夏と書いて、美夏です」
「素敵な名前だね!」
「…って、マスターぁ、まぁたそうやって、人の名前を尋ねるぅ〜」
「常連さんの名前は知っておかんと」
『って、そうやって兄貴、女性客増やしてぇ』

カウンターの奥にあるドアが開き、もう一人、男性が出てきた。

「兄貴、仕事しぃや」

そうやって、カウンターに立ったのは、健だった。美夏は、声の聞こえた方に振り向いた。

「あぁぁぁっ!!!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

美夏と健は、周りの客が飛び上がるほど、大きな声を張り上げた。




「なぁ、奇跡やろぉ」

美夏は、橋に語り続けていた。

「ほんまやな。この病院でも偶然会ったんやもんな」
「うん。それから、時々、喫茶店に行って、健ちゃんと話してるねん!」
「…それは良いけど、ちゃぁぁんと勉強しとんのか?」
「……うふっふっふ…。先生ぃ、知ってる癖にぃ」

ジトォッとした眼差しで、橋を見つめる美夏。
橋が知っている。それは、美夏の成績のこと。
他の誰よりもずば抜けている。技術だけでなく、知識もある。橋は、立派な医師を育てる為に、医大への連絡は欠かしていなかった。その時に、美夏の事も聞いていた。

「何もわざわざ、学長に聞かなくても、私に直接言うてぇやぁ。
 成績表、見せるでぇ」
「見んでも解る」
「あっそぉ」
「で、もしかして、その報告か?」
「そやでぇ。先生も一緒に行こうや。…あっ、先生はお茶派やったか…」
「別にぃ。えいぞうの珈琲は有名やから…」
「…先生、知ってるん?」
「俺の親友の知り合いやし」
「……世間は狭いね……」
「でも、わしは、この敷地から出ること無理やからなぁ」
「そんなに忙しいん? 本当に、陽に当たらないと、先生…
 貧弱に見えるで………。……って、本来なら、医者は
 そうやねんけどなぁ。…なんで、がっちりした体格なん?」
「そりゃぁ、時間がある時は、トレーニング室で鍛えてるもんなぁ」
「職員も体を動かす為に、あれだけ機械がそろってたんや…。
 知らんかったわ…」

その時、急患到着のランプが光った。
それと同時に、橋の眼差しも光り出す。

「目が輝いてるで…先生」
「そりゃぁなぁ」
「ほんと、仕事好きやな」
「すまんな、久しぶりに来たのに」
「ええって。先生の変わらん姿見て、安心してるし」
「ありがとな。ほな、またなぁ」
「はぁい。先生も、ちゃぁんと休憩しぃや」

美夏は、笑顔で手を振って、事務所を出て行った。
橋も白衣をまとい、事務室を出て行く。






一人の男が慣れた雰囲気で廊下を歩き、橋の事務室へ入っていった。
その事務室の主は、仕事中。なのに、またしても自分の部屋のように、お茶を煎れ、くつろぎ始める男・真北。
もちろん、仕事から戻ってきた橋に、嫌味をたっぷり言われてしまう。

「勝手に使うな」
「俺の為に用意してるんやろが」
「あのなぁ」

ったく、こいつも週一だもんなぁ。

「ここは、落ち着けるからさ」

しみじみと言った真北は、お茶を一口飲む。

「何か…あったのか?」

橋が静かに尋ねた。

「…真子ちゃんの事…」
「身の危険か? …まさか、まさちんの奴っっ!!!」

橋の頭の上を風が通り過ぎる。

「ちっ。前にも増して、素早くなりやがったな」

真北が、橋の頭上に蹴りを見舞っていた。

「あれから何年経ったと思ってるねん。お前が劣ったんちゃうんか?」
「昔よりも素早くなってるわい」
「その動きやったら、もう定期検査はいらんな」
「……いや、今日は、ちゃうんやけどぉ〜」

と、ちょっぴり上目遣いで橋を見る真北。
橋のオーラが瞬時に変わる。

「あぁのぉなぁ〜。あれ程、俺の厄介にはなるなと言っただろが!」
「俺の外科医ちゃうんかい!」
「ほんまにぃ〜っ!!」

と憤慨しながらも橋は、真北の怪我の治療を始めるのだった。



包帯が巻かれた腕をじっと見つめる真北。静かにカルテに書き込む橋は、さりげなく、真子のことを尋ねる。

「確か高校生になったんだよな」
「あぁ、友人が出来たとかで、嬉しそうに通ってるよ。それも、
 自宅も近いから、通学も一緒でさ」

真子のことを語り出す真北。その表情は、見てられない程、弛みっぱなしだった。
その表情を見ているだけで、橋まで喜びを感じ、仕事の疲れも吹っ飛んでいた。





えいぞうの喫茶店。
朝の支度を終え、店の前を掃除し始めるえいぞうは、とある場所で行動が止まった。呆れたように息を吐いて、姿勢を整える。そして、

「あのね、美夏さん」
「はい」

えいぞうが目をやった先には、美夏が立っていた。
開店時間まで、待っている様子。それも、朝早くに……。

「何度も言ってるように、健は付き合わないよ」
「付き合う付き合わないの問題ちゃうもん! 健ちゃんと楽しく
 お話したいだけやねん」
「三日に一回の割合で来ても、健は仕事で出掛けてる時が
 多いと言ってるのになぁ」
「…マスターとも話し…したらあかんのん?」
「俺、人気もんやし……」

美夏の相手をしながら、えいぞうの目線は別の所に移っていた。
店の下の道を、一人の教師が歩いていく。その教師は、二階にある喫茶店の入り口に、ちらりと目をやった。
まるで、獣を射るような眼差しで……。

勘違いすんなっ!

えいぞうは、目で訴える。しかし、その教師は、呆れたように笑みを浮かべて歩いていった。

ったく、ぺんこうのやろぉ〜っ。

ふと、現実に戻ったえいぞう。美夏が、話し続けている事に気付いた。

「なぁ、お願いやからぁ」
「何度も言っとるように、健は、もう昔の健じゃないんやで。
 あの頃と同じように接するのは、やめてくれよ。
 健をこれ以上、悩ますことは…俺が許さねぇぞ……」
「えっ?」

えいぞうから醸し出されるオーラが変化する。
喫茶店のマスターの雰囲気は、微塵も感じない。
誰も寄せ付けないような雰囲気……。
えいぞうが常に隠している、極道としてのオーラだった。

「マスター…あの……でも……」

いつもの口調が出ない。
恐れる物は何もないはずなのに、何故か、声が出てこない。
美夏は、首をすくめてしまった。

「兄貴ぃ、ぺんこう無事出勤の知らせは…………」

健が店のドアから顔を出す。そこに立つ二人の雰囲気に、なぜか気まずくなった健。

「あの……美夏さん、まだ…開店……」

と声を掛けた途端、美夏は目に一杯涙を浮かべて、走り去っていった。

「あっ!!!」

美夏が去っていった事で、健は、えいぞうが何を伝えたのかが解った。

「兄貴、もしかして…」
「あぁでもせんかったら、毎日のように来るだろ?」
「だからって、脅すのは…。一般市民に迷惑を掛けない…これは
 組長の言葉なんだよ? なのに、兄貴…」
「昔の事ばかり話して、聞いてるこっちが、嫌になる」

いつにない、えいぞうの言葉に、健は拳を握りしめた。

「兄貴…俺がお笑いしてたのは、嫌だったのか?」
「…あっ、いや、そう言う意味じゃない」
「昔話は、そりゃぁ、俺だって、聞いてるのが辛い……でも、
 今でも昔のように、俺を思ってくれる人が居る事、俺は
 嬉しかったんやで。…なのに…」
「あの子は別だろが」
「別とか、そういう問題ちゃうやろっ!」

そう言って、健は美夏を追いかけて走っていった。

「健っ!」

健の素早さは、えいぞうだって知っている。名前を呼んで振り返った時には、もう、姿が無かった。
出勤、通学でごった返す人混みの中に、健の姿は消えていた。人の波に逆らって走る健。その素早さは、人とぶつからない事で、解る。健は、平日の朝の時間帯に似合わない人物を見つけ、駆け寄った。

「美夏さん」

その声に振り返る美夏。
目を真っ赤にして、頬を濡らしていた。

「健…ちゃん……。…ごめんなさい……」

震える声で、美夏が言った。



えいぞうの喫茶店・カウンター。
美夏は、カウンター席に着き、目の前のコーヒーカップに手を伸ばした。

「落ち着いた?」

カウンターに立つ健が、優しく声を掛けると、美夏はそっと頷いた。

「健ちゃんの気持ち……考えないで、…私、また……
 健ちゃんに一年ぶりに逢って、嬉しかっただけ……。
 嬉しくて、健ちゃんの笑顔…観たくて…声を聞きたくて…、
 時間のある時に…来てただけ。……心の安らぎになるから。
 でも、健ちゃんには、辛いことだったんだね……知らなかった」
「そんなこと、ないんだけどな。…ただ、俺の昔のことを
 知ってる人が居るのは、辛くてね。…だって、俺……
 みんなに恨まれてるのん、知ってるから」
「…健ちゃん……どうして?」
「こっちで暮らすようになってから、師匠に挨拶しに行った。
 その時、師匠から聞いたんや。…急に辞めた事で、
 同じように競り合っていた芸人が、怒ってたって……。
 だから、俺……怖くてさ…」

健が静かに語り出す。その間、美夏は、健の話を真剣に聞いていた。
えいぞうは、部屋の奥で、口を一文字にして、店側に背を向けて座っている。健と美夏の話は聞こえていた。


「誰だって、目の前で文句言われるのは嫌だろ?
 それも怒りが混じってるものなら、尚更……。
 こう見えても、俺………弱虫やから……」
「健ちゃん……」
「それに俺、今は、大切な人の為に生きてるからさ……」
「誰? もしかして、健ちゃんの好きな人?」
「俺は好きだけど、でも、俺が生きてる世界では許されない感情。
 表に出したら、それこそ、大変なことになるからさ…」
「やくざの親分さん?」
「……まぁ、…そうなるかな」
「憧れ…だと思う。…私も、健ちゃんに対する気持ちは、
 憧れなのかもしれない…」
「人の感情は、考えて応えが出るもんじゃないからさ。
 思うまま過ごせばいいと…俺は思ってるけど……」

健は、ちらりと奥の部屋に通じる扉を見つめる。そして、美夏の耳元で小さく告げた。

兄貴、俺の事で、絶対に無茶するから、それを停める役目なんや、俺。

「好きな事を辞めた行動で解ってるで。健ちゃんにとって
 大切な人…なんやろ?」
「二番目に…ね」

健はニッコリと微笑んだ。それを見て、美夏の心は晴れ渡る。
グッと背伸びをして、

「良かったぁ。健ちゃん、怒ってるんだと思ったんやもん。
 だから、マスターが怒ったんやと思って…私、困っとってん」
「今日は、時間あるん?」

健が尋ねる。

「午後から実習ぅ〜」
「そうなんや。医学の世界も大変やな。…でも、橋先生の弟子にだけは
 やめときや」
「なんで?」
「腕は良いけど、人の扱いが雑やて聞いたもん」
「それって、橋先生の知り合いのやくざから?」
「そうやで」
「それはぁ、そのやくざが悪いんやで。橋先生が、いつも口酸っぱく
 人に迷惑を掛けるな、血を流すな言うてたのに、殴り合いするから」
「……知っとったん?」
「だって、私、あの事務所に週一で通ってたんやもん」
「そんなに落ち着けるんか? あの事務所は」
「なんか、落ち着けるみたいやわ」

ニッコリ笑って、美夏が言った。健も笑顔を返し、そして、新たな珈琲を差し出した。

「はい、どうぞ」
「ありがとぉ。健ちゃんの珈琲は、心が落ち着くで」
「そう言って頂けると、光栄です」

健は深々と頭を下げた。

「哀しみも、吹っ飛ぶってこった!!」

それは美夏が、元気を取り戻した瞬間だった。




月日は過ぎ、雪がちらほらと降り始める時期がやって来た。
あれから美夏は週に一度の割合で、えいぞうの喫茶店に通っていた。
もちろん、健に逢うために。
えいぞうは、あの後も喫茶店に顔を出す美夏を、嫌な顔をして見つめていた。そんなえいぞうの表情(というより、威嚇に近いもの)にも慣れたのか、美夏は、えいぞうにまで話しかけるようになっていた。
諦めたのは、えいぞうの方だった。

また来てねぇ。

という言葉で、美夏を見送るえいぞう。
そんなえいぞうが気になることが一つあった。
テレビ画面が映し出す映像。
阿山真子と真北ちさとが、同一人物だという内容が放映されている。

サーモ局か………。

えいぞうの眼差しが鋭くなった。




橋総合病院。
ここ数週間、真北の姿は無かった。

そりゃ、そっか…。

患者も居ない状態が続き、暇をもてあましている橋は、ソファにふんぞり返って、お茶を味わっていた。
世間で、阿山真子と真北ちさとが同一人物だということが噂され、阿山真子自身が、別人だと言うことを報道関係を通じて、発表した。それと同時に、『阿山組五代目』ということも公表した真子。その事で、真北の影での仕事が増えたのだった。
十五年以上も逢わなかったのに、たった数週間が、それ以上にも感じる橋。

いつも以上に動き回ってるんだろうなぁ。

大きく息を吐いた時だった。
急患のランプが点灯。橋の眼差しが輝き始める。
しかし、スピーカーから聞こえてきた声に耳を疑った。


高校で発砲事件。教師と生徒が撃たれて、教師が重体。
銃弾が体内で留まっている様子。生徒の方は…。

まさかな…。
そう思った橋だったが、そのまさかが、的中した。


運ばれてきた患者を迎えに出た橋は、ストレッチャーに乗せられた患者の側に居るのが真子だと解った。

「教師の容態は?」

ストレッチャーを押す救急隊員に橋が尋ねる。

「銃弾が八つ、体内に留まってます。すぐに取り除ける場所じゃ
 なさそうです。そして、彼女も撃たれているようですよ」

救急隊員の言葉を聞きながら、教師の容態を確認する橋は、教師の手を握りしめたまま、付いてくる真子に声を掛ける。

「真子ちゃん、どこを撃たれた?」

橋が声を掛けても、真子は返事をしない。
橋は真子の口の動きを見つめる。

ぺんこう…死んじゃいや……。目を開けてよ…ぺんこう。

そう呟いていた。

真北が言っていたボディーガードも兼ねた教師が、この教師か…。

橋は、教師の手を握りしめる真子の手に、そっと手を添える。そして、真子の手をグッと握りしめ、教師の手から離す。
その途端、

「心肺停止です!」

その声に、橋の表情が変わる。
一刻を争う。
橋は、真子の足がもつれたのは解っていたが、そのまま手術室へと教師を運び込んだ。
ドアの向こうで、真子の叫び声が聞こえた。
橋の眼差しが変わる瞬間。手術室内も緊迫した空気に変わる。

もし、命を落としたら、真子ちゃん…あの能力を
使うかもしれないな。…そうなると……。

そうなると、真北の怒りが目に浮かんだ橋。
いつも以上のメスさばきを見せていた。




橋は、マスクのひもに手を掛けながら、手術室の扉を開ける。廊下に出た途端、

「橋、どうだ?」

真北が声を掛けてきた。
マスクを外し、手袋を取り、そして、真子を見る。
真子の手は綺麗になっていた。しかし、顔は涙で濡れていた。

「急所は外れていたが、出血があまりにも酷くてな。
 一時は危なかったけど、一命は取り留めたから。
 あとは意識の回復を待つだけ。二、三日で回復すると
 思うよ。真子ちゃん、もう、大丈夫だからね」

橋が、そう告げた途端、

「よかったぁぁ〜、わ〜〜ん!!」

真子は大声で泣き叫んでしまった。慌てて、まさちんが真子の口を塞ぐ。その途端、真子は、まさちんにしがみつくように泣き始めた。まさちんは、真子の背中を優しくさすっている。その様子を見て、安心する橋。

「ありがとよ、橋」

真北が、そっと呟いた。真北に振り返るが、真北の目線は真子に移っている。そして、表情が語っていた。
真子に笑顔が戻っていたのだった。

「真子ちゃん、手当てせな、また動かんようになるで」

その声に応えるかのように、真子の笑顔が輝く。

「先生、ありがと!」

橋は、真子の頭を優しく撫でた。




橋総合病院・ICU。
橋は、ぺんこうの容態を診る。
徐々に良くなっているものの、意識の回復は遅れていた。
橋は、ちらりと目線を移す。ガラスの向こうの景色は、今日も変わらなかった。
ぺんこうがICUに入ってから、真子がずっとガラスの向こうにあるソファに腰を掛け、様子を伺っていた。まるで、そこで生活しているかのように。

「真子ちゃん、あまり寝てないんや。…早く…目を覚ましてくれよ…」

橋は、ぺんこうに話しかけた。

「ほな、あとはよろしく」
「かしこまりました」

橋は看護婦に告げて、ガラスの向こうに再び目をやった。真子は、ガラスに額をぴったりと付けて、中の様子を伺っていた。橋は、手招きをし、入り口付近を指さして、ICUを出て行く。
ドアを開けると、真子が立っていた。

「真子ちゃんの検査やけど」
「…そんな気に…ならない……」

静かに応えた。

「心配ないから。ぺんこうは順調だし、意識が回復すれば
 すぐにでも一般病棟へ移すからね」
「……本当に?」
「あぁ」

それでも、真子は煮え切らない様子だった。

「…橋先生に、関西弁が無いんだけど…」
「あのなぁ、俺の関西弁は、そんなに大切なんか?
 無かったら、なんでも悪いっつーことは無いんやけどなぁ」

なぜか、怒った口調の橋。それでも真子は微笑んでいた。

「で、検査…しようや」
「解りました」

静かに応えた真子。そして、まさちんと一緒に検査室へ向かっていった。




その日の夜。
真子は、ICUの前にあるソファで眠っていた。まさちんも寄り添うように眠っている。
そこへ近づく一人の男・真北。
真子もまさちんも、真北が来たことに気付かないほど熟睡していた。
真北は、真子の頭をそっと撫で、そして、ガラスの向こうを見つめた。
そこには、未だに痛々しい姿で、ぺんこうが眠っている。
真北の眼差しが変わる。ゆっくりとICUの扉まで歩き、意を決したように中へ入っていった。


ぺんこうの側に立つ真北は、ぺんこうの頭を優しく撫でる。

「あれ程、体を張るなと…言ったのにな…。お前はどうして…」

ぺんこうに語りかける声は震えていた。

「俺を困らせるつもりなのか? …命を懸けること…ないだろうがっ。
 俺よりも、真子ちゃんが一番心配するんだぞ。…そして、この方法は
 真子ちゃんが、一番嫌がる事なんだぞ? …解ってるんじゃないのか?
 解ってるから、俺の言葉を遮るかのように、あの時………」

真北は、ぺんこうの手を握りしめた。

「馬鹿野郎…。こんな方法で俺を困らせるなよ。……お前が考えている
 方法でなら、俺は困りはしないのにな……」

ぺんこうの手を両手で包み込み、まるで祈るような感じで自分の額に手を当てる。

「早く……目を覚ませよ。……真子ちゃんの……為に…」

橋は、真北がICUに来たことに気付き、声を掛けようとしたが、真北が醸し出す雰囲気に、一歩踏み出すことが出来なかった。
哀しみに包み込まれた雰囲気。
そして、誰も近寄れない雰囲気だった。
ぺんこうに語りかける真北の姿を見て、不思議に思った橋は、遠い昔にも、同じような事を感じたことを思い出した。

それ程まで、その教師は大切なんだな……。
真子ちゃんの為に…。
真北……。

橋は意を決して、真北に歩み寄る。

「休んでるんか?」

静かに尋ねた。

「まだ、意識は戻らないのか?」

先程見せていた雰囲気とは違い、いつもの真北に戻っていた。

「明日あたりには、戻るだろうな。容態は安定してるから、
 心配することは無いよ。…それよりも、真子ちゃんだ」
「まさちんが付いてるから、大丈夫だよ」
「声…聞かなくて良いのか? お前こそ、寝ずに動いてるだろ?」
「…………今回ばかりは、俺の特効薬でも、無理だからさ。
 …動いていないと、俺は暴走してしまうよ……」

その言葉に哀しみと怒りを感じた橋。
そして、昔にも同じ雰囲気を感じた事を想いだした。

確か、弟が闘蛇組との事件に巻き込まれた時にも…。

橋は、この時、一つの疑問を抱いていた。
しかし、遠い昔に、真北の口から聞いたことがある名前を思い出せないでいる。

『芯』という名前を……。

ぺんこうのカルテの氏名欄には、『ぺんこう』と書かれてあることが、思い出せない理由の一つだった………。


次の日、ぺんこうの意識が戻り、それからは、順調に回復を見せて、無事に退院した。
その途端、一人の男が週一で橋の事務室に通い始めたのだった。

「ったく……」

橋の嘆きが、聞こえてきた。



(2005.8.10 / 改訂版2017.3.7)



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