任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第三部 『心の失調編』
第二話 『春』の異変に荒れる人々

修司が一般病棟に移された頃、慶造は退院していた。
ベッドに腰を掛ける修司は、三好に自分がICUに居た間の事を簡単に報告を受け、大きく息を吐いた。

「お疲れですか?」
「……いいや」
「それでは、私は自宅へ戻ります。そろそろ剛一君達が帰ってくる
 時間ですから」
「そうだな……」

応えはするものの、力が無い。そして、ため息を付く事が多くなっていた。

無理もないですね…。

敢えて口にしない三好は、ベッドから起きあがり窓際に寄った修司の肩にガウンを掛ける。ドアが開き、美穂が入ってきた。

「修司くん、まだ立ち上がるのは駄目だと…何度言ったら解るのよぉ」

そう言う美穂に目だけを向ける修司。

「ほっとけ」

冷たく言う修司。しかし、それにお構いなしに美穂は話し続ける。

「どうして、慶造君も修司君も、完治してないのに動こうとするんよぉ。
 医者の立場ってのも考えて欲しいんだけどなぁ。これじゃぁ、
 隆ちゃんもかな…。隆ちゃんの時は、目一杯遠慮なしに抑制するぞぉ。
 …ほら、脈。……正常。…目は? ……大丈夫なん?」
「大丈夫だから、起きてるんだよ…」

そう言うと同時に何かに気が付いた修司。

「慶造、怪我は完治してないのか?」
「後二週間は入院して欲しかったんだけどね、休養も兼ねて。
 四代目になってから、休む事なくほとんど毎日動いていたでしょぉ。
 隆ちゃんの働きっぷりを見ていたら解るもん」
「…それ程、酷かったのか?」
「まぁ、酷かったといえば、そうなるだろうなぁ。十日間、意識が無かったし」
「そうだったのか…俺が、守れずに…」
「内緒だと言われたんだけどね…」
「美穂さん!!!」

美穂の言葉に焦りを見せる三好。

「いずれは、解ることだから…」
「しかし、それは、四代目も…」
「修司君への隠し事は、絶対に無理だって。慶造君も無茶を言ったけどさぁ」
「美穂さん、何の事だ? …慶造の怪我…もしかして…」
「修司君が体で受け止めた銃弾。あれね、体の中で砕けると同時に
 銃弾の中に入っていた妙な物が体に溶ける仕組みになっていた」
「まさか、毒?」
「それに近いかな。病院にある解毒剤を使用したけど、あまり効果はないような
 結果だったんよ。でもね、それは、一週間で毒素が抜けた。だから、修司君も
 慶造君も、通常の銃弾での患者さんより意識が戻るのが遅かったみたい」
「竜次の野郎…本気だったんだな。…慶造の思いは、解っていたが、
 敵の思いまでは、理解出来なかった…。敵には容赦するなって事か…」

美穂は、修司にベッドへ戻るように促した。修司は、素直に従いベッドに腰を掛ける。

「慶造は、復帰してるのか?」
「そうなのよぉ。隆ちゃんが停めたんだけどね、休むとそれだけ悪化するって
 言って利かなかった。私も脅されたんだからぁ〜。渋々退院許可したわよぉ。
 だから、あの話、もちかけた」
「まさか…」
「道先生からも許可頂いたから」
「えっ、だって、美穂さんが居ないと誰が?」
「道先生の息子さんが、卒業後、二年間、脳神経外科の勉強してたのよぉ。
 それで、やっと終わったとかで、病院で働き始めたの。外科の腕も凄いから、
 私の仕事も減るってとこだわぁ〜。だから、本部にも仕事場が出来るってこと。
 それに、医学の心得も必要でしょ?」
「まぁ、そうだけどな…。俺は一応、親父から教えてもらった。慶造は、
 達也さんから教わったらしいから」
「…それでねぇ、修司君」
「ん?」
「体の方は、もう退院しても大丈夫なんだけどね、…心配なのは…ここ」

美穂は、修司の胸を指さした。

「どう? まだ、無理みたいだけど…」
「子供に、どんな顔をして会えばいいのか…。俺のせいで、子供達にとって
 大切な者を奪ってしまったからな…」
「剛一君達は、大丈夫だと何度も申しているのですが…」
「厄介なのは、八造だろ…。あいつ、それでなくても達也さん以外には
 口も聞かなくなったんだろう?」
「はい。剛一さんにさえ、話もしなくて…。今は、笹崎さんの料亭の方に
 お世話になってます」
「…まだ、どうすればいいのか、解らないからさ…。それが解り次第
 退院させてくれ。…だから、暫く、一人にして欲しい」

何かを頼むような目をする修司に、美穂は少し呆れてしまう。

「仕方ないか。だけど、これだけは、約束してね」
「ん?」
「絶対に、復讐に向かわないって。そんなことを繰り返してどうするの?
 そんなことをしたら、それこそ、慶造君の思いを砕く事になるんだから」
「向かわないって。美穂ちゃん、安心しろ。…三好もだ。…剛一たちを
 頼んだぞ」
「はっ」

美穂と三好は、病室を出て行った。静かに閉まったドアを見つめる修司。

「悪ぃ〜な…。俺の気が、収まらないんでね…」

そう呟いて、修司は服を着替え、病室を出て行った。


「…ったく、思った通りの行動を取るんだからな…」

修司の病室から少し離れた所に、隆栄が立っていた。側には美穂も居た。
隆栄は、煙草に火を付け、煙を吐く。

「ここ、禁煙」

美穂は、簡単にそれを取り上げ…。

「あぢっ!!!!」

隆栄の手のひらで火をもみ消した。手を振って、熱さを飛ばしながら隆栄が言う。

「俺の気配に気が付かない程、勘が鈍ってるのになぁ。これじゃぁ、
 慶造に蹴りを入れられて、ここに舞い戻ってくるだろうな」
「準備しとこか?」
「いらんやろ。直ぐに対処出来るなら…の話だけどな。…なぁ、美穂ちゃん、
 それより、これぇ〜」

手のひらを見せる隆栄。その手のひらには、煙草の跡が付いていた。

「やけどぉ」
「なめといたら治る」
「俺には、ほんとに冷たいなぁ」

そう言いながら、傷跡をなめる隆栄。

「って、隆ちゃん、ほんまに、なめる奴があるかぁ」
「美穂ちゃんが言ったんだろうが」
「それより、慶造君に連絡しなくてもいいの?」
「大丈夫。霧原さんが、向かってる」
「なら、安心だね。…じゃぁ、手当てしてあげる」
「よろしくぅ〜ん」

隆栄と美穂が治療室へと向かっている間、修司は、タクシーでどこかへ向かっていた。
向かう先は、黒崎邸。
修司の考えは一つ。
大切な者を失う事になったあいつに怒りをぶつけに行く。
自分はどうなってもいい。
春ちゃんを追いかけていく。
俺が居なくても、子供達は生きていける。
そう育て上げてきた。


「お客さん、着きましたよ」
「ありがとう」

修司は、金を払ってタクシーを降りた。去っていくタクシーを見送り、そして、歩き出す。

「ったく、そぉんなことしても、何の得にもならんぞ」

突然聞こえてきた声に驚き振り返ると、そこには、慶造が立っていた。側には、山中と川原が慶造を守るように立っていた。
目の前にあるのは、黒崎邸。慶造が立っている場所は、元沢村邸の空き地だった。

「事は収まってるのに、荒立てるな」
「慶造…」
「黒崎からも謝罪の言葉をもらっている。そして、竜次についても
 今後は一切、外に出さないともな」
「それでも、俺の気持ちは…」
「お前を失ったら、俺はどうしたらいい? …失いたくないと言ってるだろ?」
「あぁ。……俺が死ぬつもりだと思ったのか?」
「修司のことくらい、隅々まで知ってる。自分はどうなってもいいと
 春ちゃんの側に行きたいと……お前が居なくても、剛一くんたちは
 生きていける…そのように育てたからな……そんなこと考えながら
 ここに来たんだろ?」

図星だった。

「どうして…そこまで、解るんだよ…慶造……」
「お前が、俺の事を解るように、俺もお前の事が解るんだよ。
 ったく、何年付き合ってると思ってる?」
「慶造…」
「帰るぞ」
「……あ、あぁ…」

慶造に促されて、側に停めてある車に歩み寄る修司は、慶造に迎えられ、車に乗り込んだ。
静かに去っていく車を見届けているのは、黒崎邸の窓から様子を伺っていた黒崎だった。

「…何を考えているんだか…。ったく、向こうが仕掛けてこない限り、
 こっちから仕掛けられないだろうが……。それとも、愛する妻のことを
 考えてのことなのかな…」

柔らかい表情で、家の前に広がる空き地を眺める黒崎だった。



「……で、猪熊、病院に戻るぞ」
「そういう、四代目こそ、再入院の必要は無いんですか?」
「あれくらいで、参ってられないって。それに、これ以上休むと
 やっと動き始めたものが、簡単に停まってしまうだろうが。暫くは、山中と
 川原に手伝ってもらうから、その間、お前は、ゆっくりと休んでおけ」
「四代目ぇ、それは…」

慶造は、隣に座る修司を睨む。

「命令」

それには絶対に逆らえない修司は、従うしかなかった。

「かしこまりました…。…その……八造の事だけど、笹崎さんにご迷惑じゃ…」
「大丈夫だって。未だに、笹崎さんと達也さんにしか話さないんだからさ、
 それに、猪熊邸に居ても、飯すら口にしないってさ。…だけどな、体だけは
 鍛えてるらしいぞ。何を考えてるんだろうな。…まさか、お前と同じ事…」
「それはない。恐らく、猪熊家から抜けるつもりだ」
「抜ける?」
「猪熊家の掟に従えないなら、猪熊家の人間を全て倒せる力を持つ必要がある。
 そう教えてるからな。武史、修三、志郎、章吾、正六、七寛あたりは、倒せても
 剛一が残ってるし、それに、俺が最後に残ってるからな。…子供だからって、
 手加減はしない…そのつもりだ。…だから、八造、恐らく…」
「…すまない…」

慶造は、そう呟いたっきり、何も言わなくなった。車は道病院へ到着した。

「明日退院するからな」

そう言いながら、車から降りる修司。

「……あぁ……あぁ??? なんだよ、それ」

驚いたように声を挙げる慶造。

「美穂ちゃんから許可もらってる。ここ以外は大丈夫だって」

修司が指さす胸元。慶造はそれを見て、心が痛かった。

「…ということは…」

しかし、修司の言葉で、何かを悟る。

「そういうこと。落ち着いた。…いつまでもくよくよしてられないだろ。
 それこそ、春ちゃんに怒られるからな」
「…あぁ、そうだな…」

慶造は車から降り、修司に微笑んでいた。

「それと」
「ん? まだあるのか?」
「慶造、お前の気持ちが、更に解った。…大切な者を失う悲しさをな。
 あの年齢で、よく耐えたな…」
「…修司………それは…お前が居たからだ。ありがとな」

慶造は、素早く車に乗り込み、ドアを閉める。すぐに車は走っていった。

「忙しいのに、俺のために…か。…俺こそ、感謝してるよ、慶造」

去っていく車を見つめながら、修司は、嬉しそうに微笑んでいた。そして、病院の建物へ振り返った……。そこでは、隆栄と美穂が待っていた。

「お帰りぃ、早かったなぁ」

隆栄が言った。

「小島ぁ、お前が慶造に伝えたな?」
「あらら、俺の気配に気付いてた?」
「気付いてた」
「なのに、何も言わずに…」
「お前と言い合うほど体力は無かったんだよっ!」
「それなのに……出掛けるなと言ったのに……修司くぅん???」

美穂の怒りのオーラが、体からメラメラと発せられる。思わず遠のく修司と隆栄。

「当分、退院させないからねっ!!!!」
「あっ、それは、困る…美穂さん…美穂さまぁ〜!!」

修司と隆栄は声を揃えて、美穂に言った。そして、ずかずかと病院内へと入っていく美穂を追いかけていく。

「…って、なんで、小島が困るんだ?」
「仕事増える一方なんだよ」
「山中と川原が居るだろうが。それに飛鳥だって」
「三人が居るからって、阿山が張り切ってるんだって」
「そりゃぁ、大変だな」
「だから、美穂ぉ〜、猪熊を明日にでも退院〜」
「知らないっ!!」

聞く耳持たずの美穂は、自分の事務室へと入っていった。
目の前でドアが閉まる。

「あぁあ。困ったな…」

隆栄が呟いた。

「ほんとだよ…慶造に、明日退院って言ったのに…」
「おっ、そう言うことは、もう、大丈夫なんだな」
「あぁ」
「安心だ」

隆栄は、優しい眼差しを修司に向ける。それに応えるかのように修司は微笑んでいた。
美穂の事務室のドアが開く。二人の体にドアが思いっきりぶつかってしまった。

「いってぇ〜っ!!」
「何してるんよぉ、こんなとこで。はい、修司君、退院許可。
 いつでも退院していいからねぇ」
「ありがとう、美穂ちゃん。…今日一日、お世話になるよ。明日にする」
「うん。私も安心したから」
「心配してくれて、ありがとな。…小島も」
「次は、避けろよ」
「解ってる」

そして、修司達は、修司の病室へ向かって歩いていった。
病院内だというのに、騒ぎながら……。




高級料亭・笹川。
退院したその足で、修司は笹崎の料亭へやって来る。
末っ子の息子の事が気になって仕方ないのだった。

「笹崎さん、お手すきですか?」
「おはようございます、猪熊さん。退院おめでとう御座います。その…おやっさんは
 今、仕込みの準備で手が放せないのですが、その…八造くんなら、先ほど
 ここを出て行きましたよ。恐らく自宅に戻られたんじゃないかと…」
「俺の退院、知ってたのか?」
「おやっさんから聞いていたはずですよ」
「そっか。自宅に戻るよ」
「って、ご自宅には、まだ?」
「ん? こっちが先だと思ってな。四代目は会議中だからさ。それに、今日一日
 休暇をもらった。また後ほど伺いますから。笹崎さんに伝えててください」
「かしこまりました」

修司は、料亭から、阿山組本部に通じる渡り廊下を通って、本部の玄関までやって来る。

「あれ、八造くんは?」

玄関で待機している組員が修司に尋ねた。

「自宅に戻ったらしいよ。四代目に伝えててくれ。明日になると」
「はっ。お疲れ様です」
「ちゃんと体は動かしておけよ。明日から、更に厳しくいくからな」

項垂れる組員達をよそに、修司は本部を出て行った。

自宅までの道を歩きながら、学生の頃を思い出す修司。

あの頃、この道をあいつと歩いたよな…。

自宅の玄関に通じる道へ曲がった時だった。

「修司さん」
「三好、どうした、息を切らして」

息を切らした三好が、そこに居た。玄関へ目をやると、そこには、武史たちが立っていた。

「何か…遭ったのか?」
「その……八造くんが、料亭から戻ってきた途端、家を飛び出してしまい…」
「そのうち、帰ってくるだろうが」
「いいえ、その……修三くんたちをぶん殴って、武史くんを殴ろうとした時に
 剛一くんに停められて…」
「兄弟喧嘩だろ」
「それなら、安心なのですが、あまりにも……」
「ったく…。それで三好は探し回っていたと?」
「はい。剛一君が、追いかけていったんですが…」
「もういい。剛一に任せておけ」
「し、しかし………」

修司は、三好を見つめ、訴える。

この体では、まだ無理なんだよ。

「そうでしたか…。すみません」
「それと…」
「かしこまりました。車の用意、致します」
「……あぁ」

修司は、自宅の玄関をくぐっていった。三好は、剛一が向かった先を心配そうに見つめ、意を決して猪熊邸へと戻っていった。


「いってらっしゃいませ」

武史達に見送られ、修司を乗せた車が猪熊邸を去っていく。

「八造、本当に出て行ったのかな…」

見送りに出ている修三が呟いた。

「剛一兄ちゃんが、連れ戻してくるって」

武史が応えた。

「でも、八造が、怒ってたのは、お父さんと四代目にだったよな…」

正六が、寂しそうに言うと、

「お母さんを殺したと思ってるからな…」

志郎と章吾が、声を揃えて応えていた。

「何度説明しても、八造の頭は、まだ、理解出来ないんだって」

泣きはらして、目を真っ赤にしている七寛が、ふてくされながら言った。

「とにかくさぁ、お父さんが帰ってくるまでに、戻ってくるかな…」
「さぁ…」

武史の呟きに、弟たちは、そう応えるしか出来なかった。


三好運転の車の中。

「そうか……。そう考えるしかないよな」

八造が怒って飛び出した理由を三好から聞いた修司は、困った表情で窓の外を見つめていた。

「体調の方は、どこまで?」
「まぁったく、駄目。稽古付けることも無理だろうな。動けない」
「それなのに、退院とは…」
「ん? 四代目も万全じゃないんだろう?」
「………って、そうなんですか?!!!!!」

どうやら、慶造は、三好達組員の前では、いつもと変わらないように振る舞っているらしい。

「それが、四代目だろ」
「そうですね。それで、小島さんが、いつもと違っているんですか…」
「いつもよりも真面目か?」
「はい。極道のオーラばしばしです…」
「…それが、本来の小島だからな。お前も気を付けろよ」
「はっ」

車は、とある寺の駐車場へ入っていった。



猪熊家先祖代々の墓。
修司は、墓を綺麗にし、線香を上げ、手を合わせる。そして、墓を見つめて、誰かに語りかけていた。少し離れた所で待機している三好は、修司の方に背を向けていた。
見てはいけない雰囲気があった。
修司と春子の二人だけの世界は、本当に誰も近寄れず、春子が周りに気が付いてからでないと、声すら掛けることもできなかった。
いつも笑顔で話しかける春子。
八人の子供を産み、全く根も上げず、子育てが楽しいと常に言っていた。
そんな春子は、もう……。
三好は、自分が観ている景色がぼやけている事に気付いた。頬を伝う涙にも気づき、慌てて拭う。

「三好、帰るぞ」
「は、はっ!」

修司は、真っ直ぐ前を向いたまま歩いていく。その背を見つめる三好。
二人は何を話すことなく、寺を出て行った。



修司と三好が猪熊邸へ帰って来た。しかし、八造と、八造を追いかけていった剛一は、まだ帰っていない。リビングのソファに腰を掛け、くつろぐ修司の前に武史がお茶を出す。

「お帰りなさい」
「ありがとう。…ちゃんと元気にしてたか?」
「はい。いつもと変わらず…ただ、初めて感じる寂しさには、慣れません」
「そのうち、慣れるさ…」

そう応えた修司の方が、寂しさを激しく感じていた。
ふと時計を見る。
時刻は正午をまわっていた。

「武史、お腹空いてないか?」
「三好さんが作ってます。お父さんは?」
「俺は、減ってない。暫く、部屋で寝てるよ。剛一が帰ってきたら、
 起こしてくれ」
「はい。お休みなさい」

修司は、リビングを出て行った。その背中に寂しさを感じた武史は、何も言えなかった。修司が飲み干した湯飲みをお盆に乗せ、キッチンへと向かっていく。

「修司さん、お昼は食べると言ってた?」
「いらないって。部屋で寝てるから…って。…やっぱり、兄ちゃんが言うように
 僕たちよりも、お父さんの方が、寂しいのかな…」
「寂しいだろうけど、修司さんには、武史くんたちが居るから、大丈夫だよ。
 暫くは無理だろうけど、そのうち、いつもの通り、恐いお父さんに戻るだろうね」
「そうだよね。それなら、お昼を終えたら、勉強しないと怒られるね」
「そろそろ出来上がるから、修三くんたち、呼んできて」
「はい」

少し微笑んでから、武史はキッチンを出て行った。

大丈夫かなぁ…剛一くん…。

ふと過ぎった考えに、三好は料理の手を止めてしまった。

家を出た弟を追いかけていった兄。
その二人は……。


日がすっかり暮れた自然の多い公園のブランコで、男の子が揺れていた。その男の子を優しく見守るのは、剛一だった。

「八造、帰ろう」
「いやだ」
「八造じゃ、まだ、一人で暮らすのは無理だって」
「できるもん」
「駄目。お父さん、帰ってきてるはずだから」
「おとうさん、きらいっ! よんだいめもきらいっ! ママのかたき…とる!」
「それなら、体を鍛えないと駄目だと言われてるだろ? だから、帰ろう」
「いやだ!」

叫びながらブランコから飛び降りた八造は、公園の出口に向かって走り出す。剛一は直ぐに追いつき、八造を捕まえた。

「はなして、にいちゃん」
「駄目だ。これ以上、わがまま言うな。怒るぞ」

剛一の怒りは知っている。しかし、八造は引き下がらなかった。

「いいもん!! もう、いえにかえらないっ!!」
「八造っ!!!」

剛一は、手を振り上げる。その手に気が付いた八造は身構えた…が、叩かれることは無かった。振り上げられた剛一の手は、八造の頬を流れる涙を拭っていた。そして、八造を優しく包み込む。

「八造が、寂しいのは解る。怒っているのも解ってる。俺も同じ気持ちだからさ。
 でもな、八造。お前が嫌うお父さんや四代目の方が、もっと哀しいんだよ。
 それを表に出さないのは、大人だから。…俺たち子供は、泣いても怒られないし
 何も思われないけどな、大人は、出来ないんだよ」
「どうして? ないてもいいのに…」
「それをグッと堪えるのが、大人なんだ。…いずれ、俺たちも、そうならないと
 駄目なんだよ。…でもな、哀しい気持ちを心に秘めると、そのうち、
 とんでもない方向へ爆発してしまうんだよ」
「ばくはつ?」
「お母さん死んで、寂しいよな」
「うん」
「それで、やっつけたいだろ?」
「やっつけたい!」
「じゃぁ、やっつけた相手が同じ事になったら、どうする?」
「おなじことって?」
「相手にも、大切な人が居て、その人が死んだ時の気持ち……解るだろ?」
「かなしい、さみしいから、やっつけたくなる」
「そうすると、相手も同じ事をしてくると思わないか?」
「………おもう……」
「そんなことを繰り返しても、お母さんは戻ってこないんだ…」
「わかって…る…もん……」
「泣けよ、八造」
「いや」
「じゃぁ、この目から流れてるのは、何だよ」
「しらないっ!」
「ったく……」

そう言って、剛一は、八造を力強く抱きしめた。
その途端、八造は、声を挙げて泣き始めた。
母が亡くなったと理解した八造。しかし、泣く事もせず、ただ、怒りを周りにぶつけるだけだった。そんな八造に優しく声を掛けたのは、達也だった。その達也にだけしか話しかけない為、周りの人間が、八造の事を考えて、猪熊家を暫く離れさせていた。
この日の朝、父が退院すると知った八造は、父が迎えに来る前に、料亭を抜け出していた。そして、父に会う前に、家を出た…それも、兄たちを怒り任せに、ぶん殴って……。

「帰ろうな」

優しく語りかける剛一の声に頷く八造。剛一は、八造を抱きかかえたまま公園を出て行った。

「おとうさん…ほんとうに、ないてるの?」
「誰も居ない所で、一人になった時に泣いてると思うよ」
「おとうさん、さみしいの?」
「寂しいだろうけど、俺たちが居るから、元気になるって」
「…けいこ…?」
「暫くは難しいだろうけど、そのうちな」

確か、完治するには、後二週間かかるって…。

「たつやにいちゃん、くるのかな…」
「仕事の準備をするからと言ってなかったか?」
「いってた…。ささざきおっちゃんは?」
「笹崎さんの所に行くか?」
「…いえにかえる。…おとうさん…かえってきたんでしょ?」
「早く元気な顔、見せてあげないとな」
「…でも…」
「大丈夫だって。兄ちゃんに任せとけ!」
「……うん!」

八造の質問に優しく応えながら、剛一は自宅へと戻ってきた。
玄関には、修司が仁王立ち…。

「只今帰りました」

剛一が、八造をおろしながら言った。

「……八造…何時だと思ってる…門限を忘れたのかっ!」

修司が手に拳を作って振り上げた。
その拳は、すぐに振り下ろされる。

「修司さん!!!!」

三好が停めるが、それは既に遅かった。

ガツッ!!

振り下ろされた修司の力強い拳は、八造に向けられていたが、八造に当たる寸前、八造を守るように前に出た剛一の頬に当たっていた。

にいちゃん……。

痛さで顔が歪む剛一。

「すみません…誰にも言わずに、八造を公園に連れ出して、こんな時間まで
 遊んでいました。…その……勉強の気分転換に…」

剛一が、初めて言い訳をした。

「剛一、お前は、長男だろ。武史達の手本になるような行動を取れと
 常に言ってるよな」
「はい」
「なのに、お前が率先して、そんな行動を取るのか?」
「申し訳ございません」
「これからも、同じようなことをするのか?」
「いいえ。もう二度と致しません」
「……解った。……冷やしておけ。それと明日から稽古だ」
「はい」

…って修司さん、体は……。

三好は、口にしそうになったが、グッと堪える。
修司は、剛一の背中にぴったりと隠れている八造を見つめ、奥へと入っていった。

「にいちゃん…」

八造が、心配そうに見上げる。

「ん? 大丈夫だって。しかし、一番きつかったな…」

それと…優しさと哀しみも感じた…。お父さん……。

修司が向かった方を見つめる剛一。

「…剛一さん、口の中、切ってますよ!!」

剛一の口元に滲み始めた血を見た三好が、慌ててハンカチを差し出した。

「大丈夫です。すみません………って、八造ぅ〜、離れろよぉ」
「……やだ……」

剛一の足にしがみついたまま離れない八造だった。


日付が変わる頃。
リビングに修司がやって来た。この日の後かたづけを終えた三好が修司に気が付き、話しかける。

「眠れませんか?」
「あぁ」
「どれを飲みますか?」
「一番強いやつだ」
「はっ」

ソファに腰を掛けながら、修司が言った。

「八造くん、落ち着きましたよ」
「…そうか…。…悪い事をしたよな。八造の気持ち…解ってるがな…」
「稽古以外に、手を挙げるのは、止めてくださいね」
「うるさい。…春ちゃんと同じ事を言うな」
「すみません」

三好は、アルコールを用意し、修司に差し出す。修司は、それを手にした途端、一気に飲み干した。

「……あぁっ! 修司さん、アルコールは傷に…。それと、明日の仕事に響くと…」
「今日だけだ」
「明日から稽古ですか? まだ、体の方は…」
「体を動かさなければ大丈夫だ」
「準備しておきます」
「あぁ。…三好、後はいい」
「はっ。では、失礼致します」
「お疲れ」

三好は、静かにリビングを出て行った。
一人になった修司は、ボトルからグラスへとアルコールを移し、そして、再び一気に飲み干す。

『修ちゃん、そんなに飲んだら、仕事に響くよぉ。』

ふと、優しい声を耳にする。

「春ちゃん?」

いつも春子が座っていた場所に目をやると、そこには、春子が怒った目をして、修司を睨んでいた。

「全くぅ、そうやって、アルコールで紛らすんだったら、慶造くんに
 ちゃんと言いなさいよぉ。修ちゃんからの言葉に怒っていても
 考えてくれてるじゃない!」

春ちゃん……。

グラスを握りしめる手に力が入る。

「もし、修ちゃんが、大けがで倒れたら、私の血をあげるから」
「春ちゃん、それは…」
「慶造くんが怒ると言いたい?」
「違う、俺が怒る」
「どうしてよぉ。いいじゃない! あぁ、まさか、私の血が嫌なの?
 同じ血液型なんだから、大丈夫だって!」
「そうじゃなくて……」
「大けがするほど、ドジなんだ…」
「………って、春ちゃぁん〜」


修司の肩にカーディガンが、そっと掛かる。
明け方。目を覚ました剛一がリビングに降りてきた時、修司の姿に気が付いた。ソファに座り、膝に肘を突いたまま、グラスを片手に眠っていた。剛一の気配にも気が付かない程、飲んでいたのだろう。ボトルが三本、空になっていた。

「春ちゃん……」

修司の呟きが剛一の耳に入ってきた。

「お父さん……。…お父さんこそ、無茶しないでください。
 そんなことをしたら……俺が……怒りますよ…」

リビングのドアの所に、八造がやって来た。
昨日の事を謝るため、朝早くに目を覚まし、そして、父が居るリビングへ降りてきた。しかし、そこで初めて見る父の寂しさ溢れる姿に、八造は何も言えなくなり、そのまま立ちつくしていたのだった。

「まだ寝てるから、起こしたら駄目だよ」

剛一の優しい言葉に、八造は頷き、そして、二人でリビングを出て行った。
ドアが静かに閉まる。

「……一人前のこと、言うようになったんだな……剛一…」

剛一がカーディガンを掛けた時に目を覚ましていた修司。しかし、飲み過ぎたせいか、それ以上、体を動かす気力が無かったのだった。
ソファに仰向けに寝ころぶ。
その目には、光る物が浮かんでいた。



(2004.3.28 第三部 第二話 UP)



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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


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