任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第六部 『交錯編』
第二十五話 ご対面?!

春樹が帰ってくる日が来た。
本来の仕事が山場を迎えた為、春樹は二週間、阿山組を離れていた。
その間は、春樹の『守り』が無いため、慶造は、慶造なりに動きを控えていた。
その事もあり、ここ二週間程、慶造の生きる世界での事件は起こっていなかった。
春樹は、しっかりと仕事を仕上げてから、阿山組へと帰ってくる。
まるで、我が家のように…。

春樹が本部の門をくぐる。

「お帰りなさいませ」
「たっだいま」

返事をする声も弾んでいた。
春樹の心には、たった一つの思いがあるだけ。

真子ちゃんに逢えるぅ〜。

片手にお土産袋を提げながら、玄関を通り、真子の部屋に向かって歩き出した。
本当に、足取りは軽い…。廊下ですれ違う組員も、春樹に一礼しながら、春樹の思いを悟っていた。思わず笑みが浮かびそうになる組員は、ぐっと唇を噛みしめて我慢する。

その春樹の足が、ピタッと止まった。

「栄三ぅ〜。阻止するんか? 慶造よりも、真子ちゃんが先」
「今は勉強の時間ですよ」
「……八造くんは、東北の方に居るんだろ? ……まさか新しい
 家庭教師か? …今回は何日だ?」
「真北さんが出発された三日後からですから……」
「一週間を超えたってことか…長いな…それよりも、お前の
 嫌味が通じない相手か?」
「そうでぇ〜す」
「……一般市民でも手加減するなと言っただろが…」
「俺よりも上手ですよ…」

栄三は、本当に参った表情をしていた。

「ほな、今回は俺がしようか? 家庭教師いびりを〜」
「今回は、難しいかと…」

何かを知っている感じで応える栄三だった。

「…しゃぁないか。勉強の時間が終わるのは何時だ?」
「まるで学校のように時間割を決めてますので、夕方の四時まで
 短い休憩を挟むだけですよ」
「一体、どんな家庭教師だよ」
「教師を目指している…らしいですね」
「学生か…」
「えぇ。……ということで、四代目の部屋へどうぞぉ〜」
「ちっ」

春樹の足は、真子の部屋とは反対側にある慶造の部屋に向かった。

この二人。実は、慶造が呼んだ真子の家庭教師を尽くいびりまくっていた。
真子に近づく輩は徹底的に阻止するが、モットーで。
家庭教師の給金は他の所よりも、ずば抜けて高い。その為、競ってやって来るものの、そこは、やくざの本部。
組員の威嚇、そして、廊下を歩いている姿を観ては、影から異様なまでの怒りのオーラを発し、睨み上げる。
もちろん、恐れてしまう、一般市民。
一日で、時には、真子に逢う前に辞めると言い出す始末。
真子を守るため。
春樹と栄三は、そう言っているが、別の所に本心があるらしい。
それには、慶造も気付いているが……。

春樹は、慶造の部屋をノックして、返事も聞かずに入っていった。

「………だから、返事を聞いてから、入ってこいよ」
「新しい家庭教師は、梃子でも動かないんだってな」
「第一声は、それかよっ!」
「栄三のいびりに参らないなら、俺が……」
「やめとけって。……で、土産もやめとけと言っただろが」
「お前の土産ちゃうし」
「関西に染まってるし…」
「ほっとけ」

慶造の前に座り、一服吸う春樹。

「で、どんな様子なんだよ。真子ちゃん…大丈夫なのか?」
「恐れてはいないから、安心しろ」
「…まぁ、どこまで続くか解らんし」
「それより、仕事は終わったんだろ?」
「まぁなぁ〜。ほんと今回は疲れたよ。だから、予定より一週間も
 早めに終わらせてやった」
「そりゃ、研修生がかわいそうだな」
「最後まで付いてきた者は、たったの五人」
「五人も根性のある者が居たのか…こりゃ、本当に…」
「敵に回したら、厄介だぞ」
「俺の事を考えて、新米の教育をせぇよ」
「すまんなぁ〜。本来の仕事に精を出してぇ〜」

すんごく嫌味ったらしく言う春樹だった。


慶造と春樹は、灰皿が一杯になるまで、煙草を吸い続け、この数週間の事を話し込んでいた。
栄三が、部屋に入ってきて、二人の灰皿を片づけ、新たな灰皿を置いた。

「そうだ、栄三」
「はい」
「例の家庭教師…時間が空いたら、ここに来るように伝えてくれ。
 真北を紹介しないとな」
「かしこまりました」

栄三は静かに去っていく。

「そうだった。その家庭教師の事を教えろ」

何かを思い出したように、春樹が言った。

「逢ってからのお楽しみ」

意地悪っぽく慶造は応えた。



真子の部屋。
栄三がノックをし、真子が応対する。

「お嬢様、山本先生にお伝え下さい」
「かしこまりました」
「それでは、頑張って下さいね」
「ありがとうございます」

真子は一礼してドアを閉めた。ちょっぴり寂しそうな表情をして、栄三はその場を去っていく。

「お嬢様、何か緊急のことでも?」

真子の家庭教師として働き始めた芯が、心配そうな表情で、真子に尋ねた。

「山本先生にお父様から伝言だそうです」
「はい」
「お時間が空きましたら、部屋まで来て下さいとの事です」
「かしこまりました。あと十分ですね。では今日の復習です」
「はい」

二人は真剣な眼差しで勉強を始めた。



芯は、真子の部屋を出てきた。
そして、足取り重く、慶造の部屋に向かっていく。
ドアをノックした。

「山本です」
『入れ』
「失礼します」

芯は、ドアを開けて部屋に入っていった。



慶造は、部屋に入ってきた芯を見つめる。しかし、芯の目線は、慶造の前に座る春樹に釘付けになっている。
無感情の眼差しで…。
春樹も同じような雰囲気で、芯を見つめていた。

「真北、この山本が、今、真子の家庭教師だよ。
 そして、山本。こいつは真北といってな、お前が来る前に
 真子の家庭教師をしていた男だ」

慶造の言葉を聞いているのかいないのか。二人は、ただ、見つめ合っているだけ。
先に口を開いたのは、春樹の方だった。

「初めまして、真北です。真子ちゃんの様子はどうですか?」

春樹が静かに尋ねる。

「驚く程の生徒ですよ。私の教える事は直ぐに身につけて、
 自分なりにアレンジされます。それに、年齢とは違い、上の
 事を覚えておられます。これは、あなた…真北さんの
 教えが良かったんでしょうね」
「誉めても何も出ないぞ」

ちょっぴり軽い口調で、春樹が言う。そして、春樹は微笑んだ。…が、芯は不機嫌な表情になった。

「あの…私は失礼してもよろしいでしょうか?」
「ん?」
「もうすぐ、算数の時間なので」
「そうか、すまんな。宜しく頼むよ。そして、報告も忘れずに」
「心得ております。失礼しました」

芯は深々と頭を下げ、顔を上げたと同時に、春樹を睨み付けて去っていった。

「くっくっっく……」

慶造が含み笑いをする。

「……なんだよ」

突然の慶造の笑いを不気味に思った春樹。

「他人行儀だなぁと思ってな」

慶造の言葉で、春樹は何かを悟った。そして、急に眼差しが変わる。

「……慶造…お前……。知っていたな…?」

慶造は煙草に火を付け、煙を吐き出しながら、春樹に応えた。

「当たり前だろ。あいつの事を調べていたんだよ。山本は、母方の名前。
 その母が九年前に心労で倒れて、三年前にこの世を去った。」

煙草の灰を灰皿に落とす。そして、慶造は目を瞑った。

「学校に通いながら塾の講師などで働いて、母の看病をしていた。
 そう言えば、表沙汰にはなっていないが、兄が居るそうだよ。
 その兄は行方不明になっている。死んだとも言われているらしいな」

春樹の顔色を伺いながら、慶造は話し続けた。

「…兄の仕事は刑事だとさ。やくざを一掃する力量のある刑事。
 その刑事も、やくざの抗争に巻き込まれてしまい、その後は…」
「やめろっ!!」

春樹は、慶造の言葉を遮るかのように怒鳴り、テーブルを叩いた。

「…お前…何を企んでいる…。俺、言ったよな、あの時に。
 この男は…芯は、止めておけと。なのに…お前……」
「…溝を埋めたいだけだよ。…真北の悩みは、ちさとから聞いていたからな。
 弟を騙している、苦労させてしまっている…。打ち明ける事が出来ないと…」
「あぁ、そうだよ。…でもな、今のあの目を見たら解るだろ?
 俺を…恨んでる」
「そのようだな」
「俺が生きている事を知って、そして、俺を観て、喜んでくれるかと思ったが…」
「……どうする?」
「どうするって言われてもなぁ〜。俺にとっては、既に他人だよ」
「冷たい奴だなぁ。真子以外の人間には、ほんとに冷たいんだな、お前は」
「ほっとけ」

春樹は冷たく言って、立ち上がり、慶造の部屋を出て行った。春樹の後ろ姿を見送った慶造。

「これで、いいんだよな…ちさと…」

そう呟いて、寂しそうな目をそっと瞑った。

後は、真北…。お前の勇気だぞ。


春樹の足は、真子の部屋に向いていた。
部屋の側に立ち、中の様子を伺っていた。
芯と真子の声が聞こえてくる……。
春樹は目を瞑り、その昔、自分が真子に教えていた時の様子と芯の姿を思い浮かべていた。

言う…べきだよな。

春樹は、そっと去っていった。


夕方。
真子の勉強の時間が終わった。芯は部屋を出て、少し離れた庭に通じる縁側に腰を掛ける。

素敵な庭があるから、眺めてね!

この日の芯の心境を悟ったのか、真子が言った。
その言葉通り、素敵な庭が、目の前に広がっていた。

兄さん…。俺……。

「…大学は?」

その声に、芯は驚いたが、声の主には気付いていた。

「あなたには…関係ないことですよ」

振り返ることなく、芯は応えた。

「冷たいな…。ま…仕方ないか…」
「仕方ない? …よく…そんな事が言えますね…」

芯は立ち上がり、振り向き様に春樹の頬を殴った。
春樹は、予想していたのか、怯みもせずに、芯の拳を受け入れた。
芯は、自分の行動に驚きながらも、春樹を見つめる。
自分の拳を素直に受け入れた。まるで、覚悟をしていたように…。

兄さん…変わってない…。

その姿は、芯の眼差しに、偉大に写っていた。

「…本当に、変わらないですね、あなたは。…なのに、なぜ…。
 なぜ、私たちを騙して…そして、この憎むべき阿山組に?
 それも、親しい仲のように…あの……阿山慶造と……」

沸き立つ怒りを抑えつつ、芯が言った。
グッと堪えながら、芯は続ける。

「…私には…聞く権利があります」
「そうだな……」

春樹は、芯を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
自分の思い、そして、阿山組への思いと、その後の行動。

…それから……。

縁側に腰を掛け、春樹の言葉を一言も逃さないようにと耳を傾ける芯。そして、俯き加減に呟いた。

「…あなたの気持ちが…解らない…。…一体、ここで…何を?」

芯の目の前に、一冊の手帳が現れた。芯は、その手帳を手に取り、じっくりと眺め始めた。

「やはり、この任務に……」
「母から…聞いたのか?」
「いいえ。時々一緒に食事をしていた中原さんに聞きました」

あの馬鹿…。

項垂れる春樹だった。

「だけど、あなたが生きている事は、教えてくれなかった。
 あなたがこの任務に就いていると思ったのは、私の想像です。
 そして、自分なら…そう考えた途端に浮かんだ応えです」
「…いつか、お前に話さないといけない。そう思っていた。
 だけど、その暇は無く…。お前の身を守るのを、鈴本さんや
 中原さんに任せていた。だから、俺は…」
「なぜ、この世界に?」
「これ以上、俺と同じ思いを、周りの者にして欲しくないんだよ。
 お前にも…そして、真子ちゃんにもだ」
「お嬢様は、あなたの…娘ですか?」
「俺の…大切な人の娘だよ」
「私は…あなたの娘だと思っていました…」
「やはりなぁ」

そう言って、春樹は笑い出した。

「笑い事じゃないですよ!! 私は驚いたんですからっ!」
「悪い悪い。なぜ、そう思った?」
「あなたの眼差し…ですよ。お嬢様に向けていた眼差し。あれは、俺の
 知っている、あなたの眼差しだったから…」

何かを思い出すかのように、芯は微笑んだ。しかし、急に笑顔が消えた。

「だけど、あなたと私の関係は、あの時に失いましたから。
 ですから…」
「あぁ。俺はあの日から変わったからな。…俺とお前は
 真北と山本だ」
「えぇ」

春樹は、何かを決意したように芯に背を向けた。

「………。真子ちゃんの事を頼んだよ。素敵な笑顔なんだよ。
 お前も観たいだろ? …まぁ、頑張れよぉ〜」

そう言って、その場を去っていく春樹。芯は、その後ろ姿を睨んでいた。

許さねぇ…。



春樹が向かった先は、もちろん、真子の部屋。部屋をノックして入っていく春樹。
その表情を見ていた芯は、遠い昔を思い出していた。

俺にも見せていたのにな…。

芯が抱いたのは、嫉妬心。
それは、真子に対してなのか…それとも…。



八造が東北から帰ってきたのは、夏になった頃だった。
真子は八造の帰りを知り、部屋から少し離れた八造の部屋の前で待っていた。
足音に振り返ると、そこには、八造の姿があった。

「お嬢様!」
「八造さん、お疲れ様でした。そして…お帰りなさい!」

にっこり微笑んで、八造を迎えた真子を八造は思わず抱き上げた。

「只今帰りました。お嬢様、お勉強の時間じゃありませんか?」
「山本先生が参考書を買いに出掛けてるの。その間は休憩!」
「そうですか。それでは、少し遊びましょうか?」
「お疲れじゃないんですか?」
「私は、疲れを知りませんから、大丈夫ですよ」
「それなら…お願いします!」

八造は、真子と一緒に裏庭で遊び始めた。水が張っていない池の側で走り回る真子と八造。
遊ぶと言っても、二人は体を鍛えているのだった。

そんな二人を見つめる春樹と慶造。

「なぁ、真北」
「ん?」
「八造くんに、何を言った?」
「何って、何?」
「遊んでいるようで、遊んでないだろ。…体を鍛えてる」
「遊びの中にも、それを入れるように言っただけだよ。
 ここに閉じこもってばかりだと、真子ちゃんの体力も
 劣る一方だろ? 折角ジョギングで足腰鍛えられてたのにな」
「真子を鍛えて、どうするつもりだよ」
「別に他意はない」
「それなら良いが……って、弟登場だぞぉ」
「それを言うな」

春樹の怒りが伝わってきた。

「すまん。他人だったな」
「あぁ。…あいつが、俺のことを兄さんというまでは…な」
「厄介な兄弟だな」
「進展のない親子に言われたくないな」

八造と真子の所へ芯が近づいていく様子を二人は見ていた。



「お帰りなさいませ」
「お嬢様、遅くなりました。そろそろ始めたいと思いますが…」

真子の側に居る八造をちらりと観る芯。

誰だ…?

「この方は、私のお兄さんにあたる猪熊八造さんです。
 八造さん、こちらは、家庭教師の山本先生」
「初めまして。猪熊です」
「山本です。初めまして。あの…勉強の時間なのですが…」
「すみません」

八造は真子に振り返る。

「お嬢様、それでは、お勉強頑張って下さい。」
「はい。では失礼します」
「はっ」

八造は深々と頭を下げる。芯は軽く頭を下げて、真子と部屋に戻っていった。
八造が、春樹と慶造の居る場所に振り返り、一礼した。


「ありゃりゃ、八造くん、気付いていたか…」

春樹が呟いた。

「そうでなくては、俺が困る」
「…って、修司っ!!」

急に声を掛けられ驚く二人。振り返ると、そこには修司が立っていた。

「俺の気配に気付かないほど、ボケッとするなよ…」
「五月蠅いっ。本部では気を張れないだろが。真子に影響するっ」
「そうだった…すまん」
「で、何の用だ?」
「笹崎さんからの伝言」

修司は、二人にこっそりと何かを告げた。



「真子ちゃん」

春樹が、真子の部屋を訪ねてきた。真子は、ちょうど勉強を終えたところだった。芯が、机の上の教科書を片づけながら、立ち上がる。

「お疲れさん」

芯に優しく声を掛ける春樹だが、芯は、冷たい目線を送るだけだった。そんな芯の腕を掴む春樹。

「なんですか!」
「そう怒鳴るなよ。真子ちゃん、今夜は、隣の料亭でご飯だよ」
「女将さんのところ? なんで? 真北さんの料理じゃないの?」
「女将さんが、招待してくれたんだよ」
「どうして? 特別な日?」
「さぁ。ま、兎に角、今から行くよ。山本、お前もだよ」

春樹の手を振りほどこうとしていた芯に、笑顔で話しかける春樹。

「…解りましたよ」

冷たく返事をする芯は、春樹の腕を振り払い、隣の自分の部屋へ入っていった。

「…真北さん」
「ん?」
「山本先生…どうして、真北さんの前では、怒るの?」
「私のことが、嫌いなんですよ」
「…それだけだったら、いいんだけど……」

真子は、寂しそうに俯いた。

「で、笑顔、見せてあげましたか?」

真子は、首を横に振った。

「見せてあげてくださいよ。そうすれば、怒らなくなりますよ」
「……笑えないもん…」

真子の言葉に、戸惑う春樹だった。二人の会話が聞こえていた芯は、拳を力一杯握りしめていた。



その日の夜。

高級料亭・笹川では、少し緊迫した雰囲気が漂っていた。
厨房では、向井が料理の支度を終え、一息付いた。
そこへ、喜栄が顔を出す。

「…って、涼ちゃん、緊張してない???」
「女将さん…緊張しますよ……だって、今日は…」
「いつものように振る舞っていいのにぃ。慶造さんも言ってたでしょう?」
「そうですが、その……今日は私にとっては、本当に…」

向井の緊張が、他の料理人にも伝わっていく。

「向井っ」
「はいっ!!」

突然、笹崎に怒鳴られた向井は、ビシッと姿勢を正した。
笹崎は、向井の前に立ち、そして、ジッと見つめた。

「おやっさん…」

向井が何かを言おうとする。しかし、それを笹崎が遮った。

「逃げるな。この日の為に頑張ってきたんだろ? そして、
 これからの道を決める日になるからと、気合いを入れただろうが。
 何も緊張することないだろ? 向井の好きな事をしているんだろ?
 そして、今日は誰のために、作った料理だ?」
「……真子ちゃんの為に」
「腕に自信がついたからと、俺に言ったのは?」
「私です」
「自分から言ってきたのに、逃げるつもりか?」
「いいえ、決して逃げようとは…」
「なら、心配することもないだろ?」
「もし、私の料理を口にしても、真子ちゃんの笑顔が戻らなければ
 私は、どうなるんですか?」
「…涼ちゃんが心配してるのは、そこなの?」

喜栄が尋ねる。

「はい」
「ったく。…向井。心配することない。俺は追い出さないから」
「おやっさん…」
「今日が駄目なら、次がある。お嬢様の笑顔が戻るまで、
 頑張ればいいんだよ。…だけどな、向井」
「はい」
「今日は俺が許可しただろ。それで察してくれよ」
「……!!! ありがとうございます!!!」

向井が何かに気付き、自信を取り戻した時だった。

「おやっさん、そろそろ時間です」

厨房に顔を出した従業員が言った。
その途端、向井の眼差しが輝き始めた。

根っからの料理人だな、こりゃ。

笹崎はフッと笑って、喜栄に目で合図する。

頼んだぞ。

喜栄は微笑み、そして、向井と一緒に厨房を出て行った。そして、一つの部屋に入り、そこで正座をして誰かを待っていた。
部屋の襖が開く。
向井は、思わず頭を下げ、人が入ってくる気配を感じながら、心を落ち着かせていた。

「向井…。なるほどなぁ。そう言うことか」
「はい」

向井は、顔を上げ、真子を見つめた。

あっ、あの高校生…。茶髪に染めてる……。

春樹の前に座る芯を見て、向井は思った。


あれ?? あのコック…だよな…。

芯も向井の姿を観て、あの日を思い出していた。

「では、早速」

向井は、そう言って、部屋を出ていった。

「慶造さん、いい子を紹介してくれて、ありがとう。おかげで、
 評判あがったんよぉ。あの子を追い出すなんて、あのレストラン、
 つぶれてないかしら! では、ごゆっくり。真子ちゃん、楽しんでね」
「お世話になります。女将さん」

女将は、真子に微笑んで、部屋を出ていった。

料理が次々と運び込まれてくる。慶造達は、世間話をしながら、料理を口に運んでいた。静かに食べる真子と、嫌気が差した表情で食べている芯。そんな芯に、最後の料理を運んできた向井が声を掛けた。

「…あの…お口に合いませんか?」
「ん? おいしいよ。ただ、食事の時は、静かに食べるようにと
 しつけられたのでね」
「すみません、話しかけてしまって…」
「ありがとう。…心が、和みますよ」

芯は、恐縮そうにする向井に微笑んだ。そんな二人の会話が聞こえていた真子は、芯の微笑みに反応した。

「久しぶりに、向井さんの料理、いただけて、嬉しいです」

真子が微笑んでいた。
それには、真北と慶造も驚いていた。

「…真子ちゃん…?」
「ん? だって、おいしいもん。それに、山本先生も笑顔だから。
 なんだろう、山本先生が言うように…ホッとする料理…ですね」

すごくやわらかい表情をして、目を瞑る真子。そんな真子を見た慶造は、向井に言った。

「向井、これからも、宜しく頼むよ」
「親分…ありがとうございます。俺、これからも、がんばります。
 宜しくお願いします!!」

向井は、素敵な笑顔で言った。少し険悪な雰囲気だった部屋が、和やかな雰囲気に変わっていった…。

この日、真子は八歳の誕生日を迎えた。





向井は、洗い場で食器を洗っていた。
ふと手を止める。

良かった…笑顔が出て…。

そして、再び手が動き始める。向井の様子を伺っていた笹崎と喜栄は、そっとその場を去っていく。


笹崎の部屋。
喜栄がお茶を出す。

「真子ちゃん、笑ってたね」
「あぁ」
「…ホッとする料理…か。真子ちゃんだから言える言葉だよね」
「そうだな」
「それよりも、あの後の慶造さんの表情ったら…」
「それも、向井の腕…だよな」
「あぁあ〜。でも、本当に寂しいなぁ」

喜栄が嘆いた。

「真子お嬢様の気持ちだし、少しずつでも笑顔が戻るなら、
 良いだろうが。それに、ずっと離れる訳じゃないだろうが」

笹崎がお茶をすする。

「真子ちゃんの専属料理人…か。…涼ちゃん、どう返事するのかな」
「断らないだろうな」

耳を澄ませると、洗い場の水の音が止まった。笹崎はお茶を飲み干し、立ち上がる。

「さてと。引導を渡すか」
「あんた、何か勘違いしそうよ…」
「ん? …それもそうだな」

微笑みながら、笹崎は部屋を出て行った。



真子の部屋。
春樹と真子が、この日の向井の料理のことを話していた。

「すごくおいしかったね」
「恐らく、真子ちゃんへの女将さんからのプレゼントだったんでしょうね」
「女将さんにもお礼、ちゃんと言っててね」
「しかし、短期間で腕に自身がつくんだなぁ。すごいな、向井は」
「あのね…真北さん」
「はい」
「その…」

真子は、何か言いにくそうな表情をする。

「何ですか?」

春樹は、真子を見上げるようにしゃがみ込み、笑顔を向けた。

「あのね…明日も、向井さんの料理…食べたいな。…駄目かな…」
「明日だけですか?」
「…あさっても…その次の日も…」
「毎日、食べたいと思いますか?」
「うん」

真子は、元気良く返事をした。その返事を聴いた途端、春樹は、微笑む。

「どうしたの?」
「慶造と話していたんですよ。向井を、真子ちゃんの専属料理人にしては
 どうかなって。でも、真子ちゃんの気持ちを聴いてからじゃないと、
 それは決められないからね」
「毎日、料亭に行くの?」
「そこの厨房ですよ。そして、部屋も、料亭の寮から、山本の隣の部屋に
 移ってもらいますよ。向井の了解もすでに取ってます」
「…もし、私が、嫌だと言ったら?」
「強引にでも、うんと言ってもらいますよ。その辺りは、ちゃぁんと
 用意してましたから」

真子は、春樹を睨む。

「また、真北さんの意見を強引に通そうとするんだから」

真子は、ふくれっ面になる。その頬を両手で挟む春樹は、そのまま、真子のおでこに軽くキスをした。

「明日の朝ご飯から、向井の料理ですよ」
「どんなんだろ。…私、色んなものを食べたいな。向井さんに任せていい?」
「時々は、真子ちゃんの食べたいものを言わないと、向井も悩みますよ」
「向井さんの味を楽しみにしてるって、言っててね!」

真子は、かわいらしい笑顔で、そう言った。春樹は、思わず、真子の頭をなで続ける。
そんな二人の様子を芯は、隣の自分の部屋で、聴いていた。

「そろそろ寝る時間ですね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみぃ」

春樹は、真子の頬にお休みのチュウをする。

「よい夢を」

そう言って、真子を寝かしつけ、布団を掛けた。
真子の部屋の電気を消し、真子の寝息を耳にしてから、部屋を出て行った。

真子の言葉を、そのまま、慶造に伝えた春樹だった。



次の日。
真子は、いつもと違った香りで目を覚ます。
芯もそうだった。
朝のトレーニングから帰ってきた八造も、いつもと違う香りに気付き、その香りに釣られて足を運ぶ。
食堂の前に、真子と芯、そして、八造が揃ってしまう。

「おはようございます」

三人は声を揃えて、挨拶をした。それが、あまりにも面白かったのか、三人は笑い出してしまった。

「お嬢様、この香りは…」

八造が尋ねると、

「今日から、向井さんの料理なんだよ!」

真子が明るい声で応えた。

「向井さんって、…あの料理人…の?」
「はい! これから、ずっとだって!」

真子の声が弾んでいた。
久しぶりに耳にする真子の楽しそうな声。
八造は、嬉しそうに微笑んでしまう。
芯もなぜか、笑みを浮かべていた。

「入ろう!」

真子が二人の手を引っ張って、食堂へと入っていく。

「あっ、その…俺は!」

焦る芯だったが、真子の強引さに何も言えなくなった。

食卓には、慶造と春樹が既に着いていた。

「おはよう、真子ちゃん。早起きだね」
「おはようございます、真北さん、お父様」
「おはよう」

素っ気なく応える慶造。もちろん、春樹の蹴りが、テーブルの下で入る。
それに気付いた芯は、二人の関係に首を傾げる。

「いつもの事ですよ」

八造が、芯の耳元でこっそりと告げた。

「お嬢様!」

厨房に居る向井が、真子の姿に気付き、厨房から出てきた。そして、真子に一礼する。

「おはようございます。昨日、真北さんからお聞きしましたように、
 今日も元気になる料理を用意致しました。どうぞ、お席に」
「おはようございます、向井さん。これからも宜しくお願いします」

真子が深々と丁寧に頭を下げた。

久しぶりに耳にする…真子の元気な声だな…。

新聞で顔を隠してしまったが、春樹だけは見逃さなかった。
慶造の目にうっすらと光った物と、弛んだ口元を……。



(2014.11.26 第六部 第二十五話 改訂版 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


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