任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第七部 『阿山組と関西極道編』
第十九話 雪国の温かな風

春樹が、戻らない。

阿山組本部は、何故か緊迫した空気に包まれていた。

春樹が、あの日以来、戻ってこない。


芯との激しい殴り合い蹴り合い。それを止めに入った真子。そして、真子の想いを知り、芯の行動に激しい衝撃を受けたのか、あの日以来、春樹は本部を飛び出したっきり、戻ってこなかった。
本来の仕事で長期間、留守になることはあったが、連絡は入れていた。

真子ちゃん、元気にしてるのか?

なのに、あの日以来、春樹からは連絡もなく、そして、姿も見せない日々が続いていた。
真子には、仕事で忙しいと伝えている。
しかし、それには、限界がある。
どんなに仕事が忙しくても、三日に一度は、真子に連絡が入っていた。
連絡を入れることが出来ないほど、忙しい。
そう伝えても、限界がある。


この日も、真子は、八造に尋ねてきた。


「くまはち。真北さんから連絡あった?」
「いいえ」
「……もしかして、何か…遭ったのかな…」
「お嬢様。連絡が無いのは良い便りという言葉がありますように、
 真北さん、元気にしてますよ」
「それなら…いいんだけど……」
「それより、何処かへ出掛けましょうか!」
「いいの?」
「えぇ。ぺんこうよりも、安全ですから」
「お父様には…」
「出掛ける際に、お願いしてきました」

八造の言葉に、真子の表情が明るくなる。

「やったっ! くまはち、素敵な場所、知ってる?」
「えぇ」
「じゃぁ、くまはちに任せる!」
「かしこまりましたぁ」

八造は、ウインカーを左に出した。
目出度く、車の免許を取得した八造は、芯と同じように、慶造から祝いとして車をもらった。もちろん、一番初めに助手席に乗せたい人物が居る。
真子は、八造の車の助手席で、爛々と輝かせた目をしていた。

「ねぇ、ねぇ、くまはちぃ」
「はい」
「…初心者マーク…貼らなくていいの?」
「見えるところにあれば、いいので」

芯から、初心者は、初心者マークを貼らないと駄目だと聞いていた真子。もちろん、八造の車にも貼られていると思ったらしい。しかし、ボンネットにも、トランクにもマークは貼られていなかった。
八造は、見えるような、見えないような所に、初心者マークを置いているだけだった。
そういう所は、不真面目な八造。
やはり、不思議な男である。

八造の車は、小高い場所へと向かって走っていく。





「……車を与えるなっ」

医務室で包帯を交換している修司が、ふてくされるように言った。

「そう、怒らんでも」

ベッドに横たわり、修司の治療を見つめている隆栄が、いつもの口調で言った。
修司の鋭い眼差しが、隆栄に突き刺さる。

「おぉっ、いてぇ〜」

と、ふざけたように痛がる隆栄。

「それにしても、やっぱり、マークは貼らないんだなぁ。あれ、
 なんか、不格好やしぃ」

隆栄は体を起こしながら、そう話した。

「捕まっても知らんぞ」

修司の声は怒りを抑えているのが、解る。

「……で、行き先は解ったのか?」

修司が、鋭い眼差しを向けた。そこには、無表情だが、怒っているのがありありと解るオーラを醸し出している慶造が立っていた。

「桂守さんや栄三も探してるが、見つからないそうだ」
「ここに来る前に住んでいた街は?」
「山本に頼んだが、見当たらなかったそうだ」
「本来の仕事場には?」
「気が進まなかったが、……笹崎さんにお願いしたんだが、
 そこも…」
「姿を見せない…ということか…」
「あぁ」

慶造の返事と共に、ため息が医務室内に響き渡る。

「って、ちょっとぉ、ここで、そんな暗い雰囲気、止めてよぉ」

美穂が、ふくれっ面で言った。

「しゃぁないやろぉ。あの後、全く帰ってこない、連絡よこさない
 真子お嬢様の事を気にも留めないんだからさぁ」

隆栄が、まるで、だだっ子のように言う。

「自業自得…じゃないわね…。この場合、どうなるの?
 兄弟喧嘩?」

美穂が興味津々に尋ねてくるが、慶造は、項垂れたまま。
業を煮やした修司は、治療をしているにもかかわらず、立ち上がり、慶造の胸ぐらを掴み上げた。

「ちょっと、修司くんっ!」
「大丈夫です」

そう言って、美穂の差し出す手を断る。
修司は、あの日以来、立ち上がるのも難しい状態だった。それなのに、今、両足で立っていた。
それも、以前のような怒りのオーラを露わにして。

「お前が断らないからだろうが。…兄弟喧嘩を吹っ掛けるように
 仕向けたんだろう? …それは、お前の思いを晴らす為か?
 それとも、あの兄弟の間にある溝を、更に深くするためか?
 どうなんだよ、慶造っ!」

修司は、慶造を壁に押しつけた。
その強さは、昔のまま。
今の修司の体からは、想像していなかったのか、慶造の目は見開かれていた。

「修司……」
「なぜ、この世界に、引き込む? 関西に連れて行ったのも、
 本当は……山本の狂気を観たかったからだろ?」

修司は、慶造を睨み上げる。

「真北さんの本能……知るために、山本を利用した…。
 そうなんだろ?」
「利用はしていない」
「それなら、真北さんの事を、事細かく話してるのは何故だ?」
「真北が話さないなら、俺が話すべきだろが」

慶造は、修司の腕を掴み、引き離す。

「あの兄弟を引き裂いたのは、俺だ。真北を預かった事にもなる。
 その真北の事を、弟の山本に伝えるのは…」
「それで、山本の心に不信感を抱かせたことくらい…」
「そこが、阿山の意地悪なところだろが」

二人の醸し出す喧嘩越しのオーラを和ませようと隆栄が言う。

「小島…」

慶造と修司が、同時に言う。

「ったく、何も真剣に言い合うことないだろが。…で、阿山」
「なんだよ」
「ほっとけって。そのうち戻ってくるだろ」
「それなら、ここまで心配しないだろが」
「真子お嬢様を見張っていれば、どうや?」
「………それは…」
「そのうち、寝顔を観に、戻ってくるって」

あっけらかんという隆栄。
暫く沈黙が続いた後、ため息が漏れた。

「だから、真子が怒る前にだなぁ」

イライラした雰囲気で、慶造が言う。

「あっ、そっか」

軽い口調で応えた隆栄に、いつもなら、慶造の拳が飛ぶのだが、この時ばかりは違っていた。
ぶつけたい相手は、怪我人。
これ以上は………。
慶造は、そっと医務室を出て行った。

「あらら……」

拳を覚悟していた隆栄は、肩すかしを食らった。

「隆ちゃん。いくらなんでもぉ」
「慶造の拳くらいで、ひどくならない事は解るわい」
「それでも、本当に動くのは…」

潤んだ目になる美穂を観て、隆栄は、微笑んだ。

「心配するなって。原田の時よりは、ましなんやから」

と応えた隆栄の頭を、修司が軽く叩く。

「って、猪熊っ!」
「美穂ちゃんを泣かせるなっ」
「だからって、何も叩くことないだろが」
「うるさいっ。一番、心配してることくらい……」
「…すまん……」

修司は、ふと何かに気付き、医務室を出て行った。

「……修司くんに……悪かったかな…」

美穂は、隆栄との仲睦まじい雰囲気に、修司が耐えられなくなったと考えたらしい。しかし、

「そんなことを気にしてるんだったら、とっくに自宅に戻ってるって。
 あれは、本来の姿だろが。それより、勝司に頼んで来てくれ。
 阿山、射撃場だから」
「解った。……隆ちゃん、起きたら駄目だからね!!」

と念を押して、美穂は医務室を出て行った。

「念を押さなくても……動けないものは、動けないんだけどな」

フッと笑みを浮かべた隆栄。
一人になると、寂しげな表情になっていた。
それは、原田との対決から、続く感情。
誰にも知られないように、そして、心配掛けたくない為に。



医務室を出た美穂が、勝司の居る部屋に向かって歩いている時だった。
廊下の先から、勝司と修司の声が聞こえてきた。

「山中くん!!」

廊下を曲がると、勝司が修司の体を支えている所だった。

「美穂さん。すみません。気付くのが遅くなってしまい…」
「修司くん、大丈夫? どこか痛めてない?」
「大丈夫だ。力が入らなくなって、ふらついただけだ」

と言うものの、修司は痛さを我慢してることが解る程、顔をしかめていた。

「山中くん。射撃場に慶造くんが…」
「猪熊さんに聞きました。だけど…」
「私が連れて行くから、頼んだわよ」
「はい。猪熊さん、失礼します」
「あぁ。逆撫でることは慎めよ」
「はっ」

勝司は、射撃場へと向かって行く。
修司は、壁にもたれて、勝司が向かう方向を見つめていた。

「大丈夫。山中くんも慶造君の事を一番に心配する男だから」
「解ってるよ。……くそっ。…こういう時こそ…俺が…」
「そんなことしたら、余計に心配するわよ」
「…美穂ちゃん…」
「ったく。いつになったら、理解するのよぉ〜っ」

美穂は腕を組んで、床に座り込む修司をふくれっ面で見下ろしていた。
恐縮そうに、修司は微笑む。

「理解はしてるけど、体はなぁ」

修司らしく、応えた。




慶造は、隠し射撃場に居た。
心を落ち着かせる為に、人を払い、一人で撃ち続ける。
射撃場の扉の前に立つ組員に気付き、声を掛ける勝司。

「四代目は、こちらか?」
「はっ。暫く、誰も入るなと…」
「そうか。……何発目だ?」

聞こえていた銃声が途切れた。
弾を込めていたのだろう。しばし時間が空いた後、再び銃声が聞こえてきた。

「四十発目です」
「そうか。後はいい」
「はっ」

組員は、静かに去っていった。
銃声が途切れた。

四十三……、四十四…。

勝司は、慶造が撃つ弾の数を数え始める。
慶造の心が落ち着くまでの数は決まっていた。
そこに到達するまで、勝司は、中へ入ろうとはしない。

慶造は、的を前に、撃ち続けていた。



真子が帰ってきた。
八造とのドライブが楽しかったのか、笑顔が輝いている。
玄関に迎え出る組員に笑顔で挨拶をして、部屋へと向かっていく。その直ぐ後を、八造が追いかけていった。
慶造と勝司が、射撃場の方向から歩いてくる所に出くわす。

「ただいま戻りました」
「あぁ。お帰り。…真子は、部屋か?」
「はい。…四代目。真北さんからの連絡は御座いましたか?」
「真子に言われたのか?」
「はい」
「未だに無いな。…もう暫く、誤魔化してくれ」
「はっ。では、失礼します」

八造は、深々と頭を下げて、真子の部屋に向かっていった。

「…四代目」
「ん?」

勝司が尋ねる。

「真北さんの行方ですが、栄三か健に尋ねてみてはどうですか?」
「尋ねた後だが、知らないという応えだったぞ」
「しかし、あの二人ですよ。…もしかしたら、真北さんに
 口止めされているかもしれません」
「それは、ないな」
「どうしてですか?」
「俺を困らせるだけなら、真子には伝わってるからさ。
 今までの行動から、考えられることだ」
「…そうでした。…すみません…出すぎたことを…」
「ありがとな」
「はっ」
「それと、また暫く関西に行くことになる。その間、本部と
 組員、若い衆のこと。そして…」
「真子お嬢様のこと。…心得ております。ですが、四代目。
 気をつけて下さい」
「あぁ。いつものことだ。悪いな」
「いいえ。四代目の想いのため。そして…お嬢様の為」
「あぁ、そうだ。……頼んだぞ」
「はっ」

二人は、それぞれの部屋へと向かっていく。

そして、慶造が関西へと出掛けていった。

それでも、真北は戻らない。そして、連絡も入らない。

秋も深まり、落ち葉も舞う。木々が裸になり始め、雪国では、ちらほらと雪が降り始める。


雪が降ってきた。
その寒さに少し震える男は、体を動かし始めた。

「だから、こちらを持参くださいと申したんです」

そう言って、コートを手にした男が、体を動かす男に近づいてきた。

「来るなと言ったよな」

そう言いながら、差し出されたコートを受け取ったのは、春樹だった。

「本当に、よろしいんですか? お嬢様の声を聞かなくても」

春樹に言ったのは、まさ。
春樹は、本部を飛び出した後、迷わず、この天地山へとやって来た。
それは、まだ雪が降る前のこと。
突然現れた春樹は、酒に酔っているのか、荒れていた。
それに驚いた、まさは、慌てて手を差し伸べる。
何が遭ったのか、春樹の手の甲を観て解った。

「一体、どなたを…」
「…芯…と……真子ちゃん……」
「お嬢様を?!??」

春樹が言い終わる前に、口走る、まさ。

「…真子ちゃんを守った栄三を…」
「そうでしたか……って、一体…」
「…フッ…栄三なら、気にせんのか…」
「当たり前です。あの親子は、本当に頑丈に出来てますから」
「ひどい言われ方だなぁ、小島親子は」
「誰もが仰る事でしょう?」
「そうだったぁ〜〜」
「だから、一体……」

その夜、酒を飲むスピードが衰えない春樹と付き合って飲んだ、まさ。
一体、どこまで飲めば気が収まるのか。
部屋にある酒を空にし、そして、ホテルの店の酒まで手を付けそうになった春樹。
飲み続けるだけで、何も語らない。
あまりにも続くものだから、まさは、酒に細工をし、春樹を眠らせた。

丸一日眠り続け、そして、目覚めた春樹は、激しい二日酔いに襲われ、寝込んでしまう。
それから一週間が経ち、落ち着いた春樹は、ゆっくりと、本部での出来事、そして、関西との争いに、芯が行った事を淡々と話し始めた。
まさに話を聞いてもらったからなのか、春樹は少し落ち着いた。
しかし、その昔、まだ幼い頃に持っていた『人嫌い』の感情が、蘇ったため、誰とも会いたくないと、静かに告げた。



「落ち着きましたか?」

春樹の隣に腰を下ろした、まさが、静かに尋ねる。

「まだ…だな」
「しかし、人嫌いだったとは、知らなかったですよ」
「それを治したのは、…以前、話した事のある医者の友人だよ」
「そうですか…。…その方が気になさる程、激しいものだったんですね」
「まぁな。…親父とお袋が留守がちだったんでな。それもあったわけだ」
「だからですか?」
「ん?」
「所帯を持たないのは」

まさの質問に、春樹は、口を噤む。

「……あぁ」

しかし、静かに応えていた。

「…本当に、よろしいんですか?」
「いいんだよ」

冷たく言って、春樹は、寝転んだ。
顔に優しく、雪が降ってくる。
少しばかり冷たい感覚がある。
だが、温かく感じる。
まるで、春樹を慰めているかのように思えてくる。

「しかし、芯くんは、一体何を考えて…」
「真子ちゃんの事だ」
「え?」
「慶造のやつ、芯に話したらしくてな」
「…跡目のことですか?」
「あぁ。跡目を継いだら、恐らく、向こうの世界に縛られるだろう。
 その時、心の支えになるのが難しくなる。その為に、今から、
 向こうの世界に入っておけば、もしもの為に動けるからな…」
「真北さんは、なぜ、慶造さんと杯を?」
「兄弟…。慶造は、そう言ったが、実際は違うんだろうな」
「男同士の…ということでしょうね」
「本当のところ、極道の世界は、解らないことが多い。
 杯の意味することとか、……親分と子分の想いとか、
 兄貴と弟分……色々な繋がりがあるんだが、さぁっぱり」
「知らなくても良いことだらけですよ。でも……」
「…ん?」

春樹は、まさに目をやった。
まさは、遠くを見つめている。まるで、誰かを思い出しているように…。

「絆は………絆というものは、見えないものです。だけど、
 何処かで感じる……。改めて説明しなくても、自然と
 解るものなんですよ。だからこそ、子分は親分の為に、
 弟分は、兄貴の為に、無茶をするんです」

遠い昔を懐かしむような表情をして、まさは語っていく。

「そして、親分は子分のこと、兄貴は弟分の事が心配で心配で
 仕方がない……何をやるか解らないんですから」

まさは、春樹に振り返る。

「真北さんの生きる世界も、そうでしょう?」
「俺の生きる……世界…」

春樹は、まだ、刑事として生きていた頃を思い出す。
無茶ばかりする自分を、いつも見守ってくれた人が居る。
その人々の為に、無茶をしていた自分が居た。
上の命令を無視してまで、動いていた。
それでも、上の者は、自分のことを…。

「今でも………俺のことを考えてくれてるよ。…そして…」
「見守ってくれる人の為に、無茶をする……そうでしょう?」

何かを見透かしたような眼差しで、まさが言った。
春樹は、フゥッと息を吐き、再び空を見つめる。
雪が、少しばかり激しく降り始めた。春樹の顔にも舞い降りてくる。
顔に当たるたび、なぜか、励まされているような、そんな感覚に見舞われる。

「……そうだよな……」

春樹は呟くように応え、そっと目を瞑った。
少し、悩み事が晴れた雰囲気の表情をしている春樹を見て、まさは、安心する。
今まで見たことの無い、春樹の荒れっぷりに、自分の目を疑った程。

実は、阿山組と関西極道との話は、橋から聞いていた。
あまりにも酷い阿山組の行動に、再び怒りを覚えたと。
腕を斬り落とされた組員は、無事に腕も繋がった。しかし、その時のショックが原因で、心を病んでしまった。
心を治療することは、橋にとって、難しいこと。まさに連絡したのは、その相談でもあった。
それでも、組員は、笑顔で退院したらしい。
それは、大切な人々を心配させないため。
橋には、そう言って、その組員は退院すると訴えてきた。

だけど、やはり……。

まさは、橋から相談を受けていたと同時に、真子のことが心配で仕方が無かった。

その争いの原因が、真子を狙ったこと。

真子は無事だと解ったが、修司と隆栄の怪我を目の当たりにして、狂乱したと耳に入る。だけど、芯のがんばりが、真子の心を徐々に落ち着かせていったと聞いて、一安心していた。

間に立つ、まさ。
この時は、関西の組員の腕を斬り落とした人物と、真子を落ち着かせた人物が、同一人物だとは、想いもしなかった。
春樹の荒れっぷり、そして、春樹の口から、芯のことを聞いた途端、春樹が荒れたくなる気持ちを理解した。

どうして、こちらに?

真子の寝顔、そして、笑顔で、疲れを癒していた春樹が、天地山に足を運んだ事を不思議に思った。
だから、そう尋ねた。

さぁ、どうしてだろうな……。

未だに、その応えは聞いていない。
しかし、一人黄昏れる春樹を見て、自然に足が向いたのだろうと、考えた。
遠い昔の思い出を、呼び起こそうという気持ちもあるのだろう。

まだ、この世界に足を踏み入れる事が、無かった頃。
まだ、何も知らず、自分の夢を追いかけていた頃。
この世界に足を踏み入れても、心を和ませる事が出来た、あの頃………。


「真北さん」
「…ん?」
「…………そろそろ戻らないと……」
「まだ、ここに居るよ…」
「駄目ですよ。更に激しく降りますから」
「このまま、雪に埋もれていたいな…」
「春に掘り起こすのは、嫌ですよ」
「…そこまで、ほっとくんかい」
「それが嫌なら、戻りましょうよ」
「…一人で戻れ」
「戻りません」
「それなら、酒…」
「もう、ありませんよ……」

そう言った、まさの眼差しは、何故か潤んでいる。
まるで、何かを訴えるような…。

「あがぁ〜っ、解った、解ったっ! そんなに、あの酒を飲み干したのが
 気がかりなんかよっ」
「一番…高級…それでいて、入手困難だったんですからぁ〜」
「あぁぁもぉぉぉぅ、ケチケチするなよぉ。同じやつ、入手したるからぁ」
「もう無理です…あれが、最後だったんですよぉぉぉ」

今にも、涙がこぼれ落ちそうな雰囲気…。流石の春樹も焦ってしまう。

「解った、解った、解ったから、泣くなっ!! それ以上に凄い奴
 見つけて、入手したるから、それで勘弁してくれっ!」

焦ったように、春樹が言う。

「……絶対ですよ……」
「約束する」
「……じゃぁ、戻りましょうよぉ」
「戻る戻る戻る!」

そう言って、春樹は体を起こし、自分の体に少し積もった雪を払いのけ、まさの手を引き、斜面を降りていった。



「そりゃぁ、兄貴が嘆くのも解りますよ」

温泉から上がった春樹が、湯川に、それとなく尋ねると、そう応えた。

「兄貴、あれでも酒には、非常に五月蠅くて〜。…天地親分が
 酒に五月蠅かったのが影響してまして、全国、いいえ、世界中の
 アルコール関係をあの頭の中に叩き込んでましたから」
「それで、あの眼差しか…」
「かなり苦労して入手されてましたから」
「そっか………。……その影響で、湯川も酒好きなのか?」
「兄貴に付き合ってましたら、いつの間にか…京介もですね」
「酒豪揃い……ってことか」
「その酒豪が驚く程、飲み続けた真北さんの方が怖いですよぉ」
「五月蠅い」
「すみません……。……それで……落ち着かれましたか?」

湯川は、恐る恐る春樹に尋ねた。

「少しは…な。…ここの空気、そして、自然、温泉……忘れていたものを
 思い出させてくれる。そして、嫌な心も癒してくれる」
「白紙に戻す……ですね」
「戻せないんだけどな。…でも、色々と考えることができたよ。
 ありがとな」

春樹の笑顔が輝いていた。

「私は、何もしてませんよ」

照れながら、湯川は応える。

「……それでもいいんだよ。…………で、湯川ぁ」
「は、はい…?」
「あれ以上の酒……知らんか?」

何かを媚びる感じで、春樹が尋ねた。




この日は、激しく吹雪いている為、外出禁止。
いつものように、頂上から自然を満喫しようと思っていた春樹は、たいくつしのぎに、まさの仕事っぷりを観察しに、支配人室へとやって来た。
デスクに着き、仕事をするまさを観察できるように、ソファに腰を掛け、お茶をすすりながら見つめていた。

……やりにくぅ〜〜。

と想いながらも、声にも表情にも出さず、まさは、その日の仕事を難なく終える。

「チッ。つまんねぇなぁ」
「何か失敗するとでも?」
「いいや。俺の眼差しに慌てるかと思ったんだが…」
「慌てるような目線は感じませんでしたよ」
「……そうかよぉ…。チッ」
「チッって、あのねぇ〜。見つめられて、いつものように
 仕事をこなせる人が、居るとお思いですか?」
「目の前に」
「………たいくつなら、手伝ってくださっても」
「それ程、忙しくなさそうだったのになぁ」
「…芯くんは、手伝ってくれましたよ」
「芯の名前を出すな」
「おや、まだ、怒っておられる?」

からかうように、まさが言う。

「当たり前だぁっ!」

と、デスク越しに、春樹の拳が飛んでくる。
軽く受け止めたまさは、にやりと口元をつり上げた。

「まだ、本調子じゃありませんね」
「ほっとけ」
「もう暫く、こちらに」
「………そうしたいが、真子ちゃんが来る時期だろ?」
「こちらでお待ちしていました…ということで」
「難しいな。恐らく、未だに仕事が忙しいと思ってるだろうから」
「仕事先が、こちら方面だったから、先に来て、びっくりさせようと…と
 いう言い訳は、どうですか?」
「言い訳って…まさぁ〜」
「言い訳でしょう?」
「…そ、そうなるのか?」
「解りません〜」
「こぉぉるるらぁ」

巻き舌…。

「あまり無理すると、治る傷も治りませんよ。…ったく、痛みを酒に
 紛らわせようと、飲み続けるから、いつまでも…」
「それを言うなっ!!」

どうやら、春樹は、芯が慶造と杯を交わした事に衝撃を受けただけでは無かったようで…。
芯との殴り合い蹴り合いは、春樹の体に、かなりのダメージを与えた様子。

「真北さんが、そうなら、芯くんの方は、本当に大丈夫なのですか?」
「俺が、本気であいつを殴れるとでも思ってるのか?」
「いいえぇ〜」
「それこそ愚問だな」
「…せめて、連絡くらい」
「嫌なこった」
「お嬢様に…ですよ」

まさの言葉で、春樹は何も言えなくなる。
禁断症状が出始めている様子。
真子の名前を聞く度に、春樹の行動が停まる。そして、思考回路が停止する様子。
まさは、心配ながらも、春樹の『滅多に見ることができない』姿と表情を楽しんでいるのだった。

気分転換に、良いでしょう?

口を尖らせる春樹を見つめながら、声には出さずに、そう思ったまさは、棚からアルコールを取りだした。

「…まさ……」
「飲みますか?」

優しく微笑みながら、アルコールを用意する。

「これ…入手困難だと嘆いていた」
「えぇ、そうですよ。入手困難ですけど、かなり入手しましたから」

あっけらかんと言うまさ。
春樹は、やられたという表情をしながら、まさが差し出すアルコールに手を伸ばした。
グラスが、軽く鳴る。
そして、二人は、静かに飲み始めた。




一方、阿山組本部では……。


真子が、自分の部屋から顔を出し、庭木の手入れをしている八造を、ちらりと見て、何処かへ向かって行く。

庭木の手入れをしている八造は、ふと感じた気配に振り返る。

お嬢様…?

真子の気を感じたらしい。しかし、真子は、そこには居ない。気になりながらも、再び庭木の手入れを始めた。


慶造が自分の部屋から出てきた。そして、何処かへ向かって歩き出す。
庭木の手入れをしていたが、やはり気になるのか、八造が庭から入ってきた。

「四代目!」
「八造、寒い日も手入れか?」
「はい」
「……どこに行く?」
「お嬢様が気になりまして…」
「部屋に居るんだろ?」
「先程から、お嬢様の気配をお部屋の方に感じなくて…」
「…まぁ、行くとしたら……」
「えっ?」
「気になるから、俺は向かおうと思った所なんだが…」

と慶造が言った途端、八造は何かに気付き、一礼して、とある場所へと向かっていった。

やれやれ…。

慶造は、手入れが途中になっている庭木を見つめ、何か深く考えていた。
暫くして、八造の声と、少し寂しげな真子の声が聞こえてくる。八造の声に集中する慶造。

「お嬢様、大丈夫だと申したでしょう?」
「うん…でも、元気になったけど、やはり、傷は…残るの?
 本当の事……言って……」
「お嬢様。それを知って、どうされるつもりですか? まさか、
 お嬢様が…」

八造の言葉に、真子は首を横に振った。
真子が振り返る。
慶造の姿に気付いたらしい。

「お父様……」

真子が静かに呼ぶ。

「なんだ?」

なぜか、凄みを利かせて返事をしてしまう。

「真北さん……いつ…帰るの?」
「…それは、解らない。…連絡も無いんでな」
「そうですか…」

更に寂しげな表情をして、真子は自分の部屋に向かっていった。八造が追いかけていくが、目の前でドアが閉まってしまう。

「お嬢様。私は庭に居ますので、何が御座いましたらお呼び下さい」

ドア越しに、そう告げて、八造は庭木の手入れを始めた。
慶造は、軽く息を吐いて、歩き出す。そして、医務室の前へとやって来た。
ドア越しに、言い合う声が聞こえてくる。呆れながらもドアを開け、

「怪我人がぁ、ちっとは、静かにしておけっ」

と静かに怒鳴る。

「慶造……」

修司が、震える声で言った。
自分が怒鳴った事が、修司を哀しませたと勘違いする慶造は、突然、オロオロとし始めた。

「って、修司、おい…別に、そういう意味で言ったんじゃないっ。
 だから、…その……どうしたんだよ……」
「………何をオロオロしてるんだ、慶造…」
「いや、その…。……何が遭った?」

気を取り直して、慶造は尋ねる。

「真子お嬢様に……」
「真子…が?」

慶造は尋ねるが、修司は言葉にならない様子。隆栄も同じだった。見かねた美穂が代わりに応える。

「無茶するな。お願いします…真子ちゃんが、二人に言っちゃった」
「……それで、なぜ、二人は落ち込んでる?」
「嘘…付いたからさぁ。元気になったけど……ほら…」
「…そっか……でも、そう言ってくれて、ありがとな」
「慶造…」
「…阿山……」

少し照れたように目を伏せた慶造だったが……、

「美穂ちゃん、熱があるはずだ!!」
「すぐに、慶造を診てやってくれっ!」

隆栄と修司が、同時に美穂に言う。

「っ!!!! お前らぁぁぁ」

感極まっていた慶造が、突然、怒りで震え出す。

「どういう意味だぁ! 俺は、大丈夫だっ!」
「素直だから…」

修司が言った。

「珍しい事を言うから…」

隆栄も言う。
それには、流石に慶造は、大きく項垂れた。

「俺だって……限界なんだからよぉぉぉ」
「わちゃぁ〜。真北さんの行方、まだ解らないみたいだぞ」
「本当だな……。慶造…相当重症だ…」

ちらりと美穂に目線を送る修司。美穂は、呆れたように微笑んでいた。

「なぁ、慶造」
「ん?」
「忘れている場所がある」
「……どこだ?」
「恐らく、そこに、真北さんが居るはずだ。…連絡をしたくても
 そこを守る男は、連絡をさせてもらえない状態だろうな」
「そこを……守る? …………!!!!」

修司の言葉で、慶造が気付く。

「迎えに行く」

と踵を返すが、

「って、こら、阿山っ!」
「慶造っ!!」

隆栄と修司に、引き留められる。

「……お前ら、動けないんじゃ…」
「歩くまでは回復してるんだが……」
「阿山…知らんかったんか?」

コクッと頷く慶造。

「お前ら、離せよ」
「一人で行くつもりか?」
「当たり前だっ。誰が付いてくるんだよ。お前らは歩くまで回復しても
 長旅は無理だろうが。それに、勝司には、本部の仕事を任せている。
 関西には、栄三が一緒になるが、栄三は、その場所には行かないだろ?
 一人で行くしかないっ!」
「阿山ぁ、自分の今の状況くらい、解るだろがっ」
「解ってる」
「それなら、一人で行くなって。…向こうに一番詳しい人物が居るだろが」

隆栄の言葉に、慶造は、眉間にしわを寄せ、

「手を煩わせたくない」

静かに言った。

「阿山が気付かなくても、俺が依頼していたから、
 行くなら、連れて行った方が、お前の為に一番良い選択だ」
「…………いいのか?」
「しかし、三日後にしてくれよ」
「どういうことだ?」
「……………なんとなくだ」

と応えた隆栄の頭の上に、慶造の拳骨が落っこちた…。



阿山組本部の庭に、雪がうっすらと積もった日。
慶造は、桂守と一緒に、極秘に出発する。
向かう先は、一人の男が身を潜めた所。
迎えに行く訳は………。



(2006.1.14 第七部 第十九話 改訂版2014.12.7 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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