任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第八部 『偽り編』
第五話 くまはちの行動

朝。鳥が動き出す時間帯…ということは、夜が明けたばかりなのだが……。

須藤家の屋敷。
若い衆が目を覚まし動き出す。…が、その動きが、ピタッと停まる。
若い衆が見つめる先。
そこには、八造の姿が……。

「……あの、猪熊さん?」

恐る恐る声を掛ける若い衆。

「はい、なんでしょうか?」

八造が優しく応える。

「その……それらは、業者が…。それに、庭掃除は私の仕事…」
「あっ、すまん。これは俺の趣味。それに、ちょっと道具を探すのに
 散らかしてしまったんでな…片付けていたら、その…つい…」
「すみません…俺、ここでは一番の早起きなんですが…いつ…?」
「新聞を配る人と挨拶を交わしたのは覚えてるけどなぁ」

八造は、ポリポリと頭を掻きながら応えた。

って、朝の四時前??

若い衆は、掛ける言葉を失った。

「食事まで時間があるんだろ? ゆっくりしとけよ」

と言いながら、八造は小さなはさみで庭木の手入れを始めた。

「…と言われても……」

何かを応えようとしたとき、別の若い衆が駆けつけた。

「って、猪熊さぁん!!!」
「あん?」

呼ばれて振り返る八造。別の若い衆が近づいてくる。

「あれ程、廊下の掃除は、俺の仕事だから、取らないでくださいと
 申したのに、今朝は…」
「…って、お前もか?」

庭掃除番の若い衆が口走る。

「お前も……??」
「あぁ」
「……今朝は…の続きは?」

八造が尋ねた途端、廊下掃除番の若い衆は大きな声を張り上げて、

「玄関まで掃除されたら、本当に……」
「…あぁ…すまん……その……つい……世話になっているのに
 何もしないというのは、凄く気が退けるんで…」

まるで何も気にしていないというような素振りで応える八造に、若い衆たちは項垂れた。

「俺達が親分に怒られます〜〜」



その声は、庭から少し離れた場所にある須藤の寝室まで聞こえていた。

「あんたぁ」

須藤の妻が、そっと呼ぶ。

「あん? なんや?」
「楽しんでるやろ?」
「まぁな」

須藤の声は、少し息が切れた感じ…。吐息混じりにも聞こえる。
須藤は、手を伸ばし、枕元に置いている陶器に蓋をする。

「早起きして、近くを走って体を鍛えた後、あいつらが起きる前に
 さっさと掃除をし終えるんだからなぁ。いつまでも、だらだらと
 動いてる奴らの勉強にもなるやろ。だからや」
「それにしても、やればやるほど、要領を得て、時間短縮しよるのぉ。
 それは、八造ちゃんの親父さんの教育なんかなぁ」
「そりゃそうやろ。猪熊家は厳しいって、傘下になる前から
 耳にしとったからなぁ」

須藤はベッドの側に落ちている服に手を伸ばし、身に付けた。

「…って、あんたぁ、もう起きるんかぁ?」
「まぁな。今日の仕事は、ちょっと厄介やからなぁ」
「さつま……ほんまに、大丈夫なんか?」
「それは解らん。でも、あいつらを放し飼いにしてるのは、
 後々厄介やからな」
「解っとるけど…」

凄く心配げな表情をして、目を反らす妻。それには、須藤は弱い。

「…心配すんなって。いつもの通りやから」

甘い声を掛けながら、須藤は妻を腕に抱く。

「あんたの心配ちゃうって」

その言葉に、須藤の表情が凍る。

「……って……お前…なぁ」
「八造ちゃんに…怪我させたら…あかんで」
「猪熊の事かよ…」

妻は須藤の腕の中で、そっと頷いた。
須藤は項垂れた……。




若い衆が玄関先に並ぶ。

「いってらっしゃいませっ!!」

大きな声が響く中、須藤が車に乗り、続いて八造も乗り込んだ。
車は屋敷を出て行った。



車の中。

「猪熊、少し手を抜いてやれ」
「あれ以上、手を抜くのは良くありませんよ」
「あれでも強者揃いなんだが……どいつも一発とはなぁ。
 本家は、どんな鍛え方をしとんねん」
「先程の四倍は御座いますね。それでも足りませんよ」
「もっと鍛えなあかんってことか……のぉ、よしの」
「そ、そうですね…」

って、俺にフラんといて下さい〜。

よしのの目が語っていた。

「でも、まぁ、猪熊が住み込むようになってから、あいつらも
 凛々しくなったよな。お前の行動が手本になっとるからのぉ。
 感謝しとんで」
「恐れ入ります」
「あっ、そや」

須藤は何かを思い出したように口にした。

「よしの、今日は何時になるんや?」
「そうですね…転校の手続きもしないといけないそうなので、
 夜になるでしょう」

打てば響くように応えるよしの。

「猪熊」
「はい」
「今日の夜ご飯は、賑やかになるで」
「どなたを御招待でしょうか」
「息子や」
「ご子息…ですか? 確か、姐さんのご実家に…」
「まぁなぁ。長男の通う高校が、こっちなんでな、次男も付いてきた」
「やはり兄弟は仲が良いですね」
「猪熊は八人兄弟やんな」
「私は末っ子ですよ」
「二人ででも手を焼くのに、八人は大変やったやろなぁ、親父さん」
「親の手に掛かった記憶はございませんよ」

あっけらかんと言い放つ八造に、須藤は口をあんぐり…。

「……そういや、四代目のお嬢さんの側に付いたのは、十六?」
「えぇ」
「その頃から、そういう生活態度なんか?」
「生活…態度????」

八造は首を傾げる。

「早起きで、体鍛えて、掃除して……」
「当たり前の行動ですが…それが、何か…?」
「はふぅぅぅぅぅぅぅ………」

須藤は大きく息を吐き、

「育ってきた環境の違いか…」
「あの……仰る意図がわかりません…」
「理解せんでええ。…俺の方が、猪熊を理解できんわい」
「私、何か致しましたか?」
「もっと厳しくせなあかんっつーことやな、よしの」
「そうですね」
「まぁ、それより、猪熊」
「はい」
「わしの息子…特に次男の面倒、頼んでええか?」

須藤の言葉を聞いた途端、八造の顔が少し引きつった。

「私……子供が苦手なんですが……」
「小さい頃は、よしのが面倒見てたけどな、今は、この状況やろ。
 それとも、よしのの代わり…するんか?」
「よしのさんの代わりは、まだ、難しいですね…」

八造は考え込む。

「そうですね……今日の行動を見ていただいてから、
 判断していただけませんか?」
「そうやな。そうしよか。よしの、ええな」
「はっ」

短く返事をしたよしのは、自分の手に持っていた書類を八造に手渡した。

「さつまに関する過去の資料や」

八造は、書類に目を通し、

「これらは全て、存じてます」

そう応えて、書類を返した。

「えっ????? 全部って、これ、かなりの昔の資料も混じっとるのに?」
「敵対する組の情報は、創立した頃からの分を頭に叩きこまないと
 行動に支障が出ますので、全てを把握しておりますが……」

八造の言葉に、よしのが項垂れる。

「こりゃ、ほんまに、すごいわ…」

笑いを堪えながら、須藤が言った。
車は、さつま組組事務所の前に停まった。
さつま組の組員が、須藤とよしの、そして、八造を迎え、組長室へと案内する。そこには、さつま組組長・さつまと幹部の荒川が待ちかまえたような面で、部屋の中央にあるソファに腰を掛けていた。

「須藤はん、待ってたでぇ…その男は……猪熊?」
「…の息子や」
「そうでっか。よぉ似とりますなぁ」

さつまの言葉に、八造は深々と一礼する。

「…で、話っつーのは、例の事でっか?」
「まぁな。…っと、茶はいらんで」

さつま組の組員がお茶の用意をする仕草を観て、須藤が素早く言った。

「ええってよ」

さつまの言葉で組員は一礼して、組長室を去っていった。

「まぁ、座れや」

須藤とよしの、そして、八造は、さつまの前に腰を下ろす。

「あの後…どれくらい、暴れたんや?」

須藤が尋ねると、さつまは口の端をつり上げるだけで、何も応えない。

「まぁ、情報は入っとるから、敢えて言わんが、行動は慎めや」
「無理やなぁ。わしんとこ、須藤っとことちごて、跳ねっ返りが多いんやぁ。
 それを停めるわしの身にもなってくれへんか?」
「それは、お前の指導力やろ。…猪熊に指導させようか?」
「こいつ? まぁ、確かに、極道界には、猪熊家の話は
 よぉ広がっとるがのぉ…。厳しすぎちゃうかぁ?」

ふざけたような、馬鹿にしたような口調で、さつまが話す。
それは、須藤達を挑発してるように見えた。しかし、須藤達は、冷静に振る舞っている。

「自分ちの子供を抑えられんような奴が、厳しさ言えるんか?」
「ほっとけや」

さつまは姿勢を変える。

「それよりもなぁ、須藤」
「なんや?」
「お前ら、何考えとるんや? あの場所を買い占めて…」
「興味あるんか?」
「まぁなぁ。あの土地、一等地やないけ。どんだけ金つこたんや?」
「身内でも無いお前に言える訳ないやろが、あほ」
「そらそうやわなぁ」

さつまは、嘲笑した。

「興味あるんやったら、わしらの言葉…守ってんかぁ?」

それに負けないくらい嘲笑した須藤だが、その表情が厳しくなる。

「まぁなぁ、今回も同じ話やったら、こうしようと思ったんやけど…?」

さつまは、銃を向けていた。さつまの行動と同時に、さつまの隣に座る荒川、そして、須藤達を囲むように立っていた組員達が一斉に銃を手にして、須藤達に向けた。
須藤は、その光景に怯むどころか、呆れたように項垂れ、さつまを睨み上げた。

「流石やな、須藤。これだけの数に怯まんとは…。わしらが
 撃たへんとでも、思っとるんか?」

引き金に掛かる、さつまの指が、ゆっくりと曲がっていく。

銃声。

さつまの銃口は、天井に向けられていた。銃弾は天井を突き抜けたらしい。天井から小さなクズが落ちてくる。さつまは銃口を須藤に向け直した。

「わしら、本気やねんけど…」
「…そうかいな……」

須藤が静かに応え、背もたれにもたれかかり、姿勢を崩した。

「ほな、お前ら、一斉に引き金引けや。もし、わしに傷一つ
 付けられへんかったら、わしの条件…飲んでもらうで。
 さつま、…それでええか? わしの命を取れば、それこそ
 儲かったようなもんやろ? どうや?」
「賭け……やな」
「まぁな」
「そっちに、勝算あらへんで? それでも、ええんか?」
「…ええで。…ほな、始めよか?」

須藤の言葉で、誰もが気を集中させたのか、急に静けさが漂った。
さつま組は、銃の扱いに長ける男達が揃っている。武器を持たせれば、敵を倒す勢いは、更に増す男達。それは解っている。だが、須藤は、なぜか、無茶な賭けに出ていた。
勝算があるのか…?
さつまの眼差しが、いつになく真剣になっている。
撃鉄に指をかけ、引き下げる。
そして、引き金に掛けている指に力を入れた。
その瞬間、銃声が部屋中に響き渡る……と思われたが、それは、呻き声に変わっていた。

「…?!?!…!!!! うわっ!」

さつまが室内を見渡そうと目線を移した先に、何やら黒い物体が近づいてきた。それに驚きしゃがみ込む。しかし、腹部にずしりと重たい物が突き刺さった。

「……猪熊っ!」

須藤が叫び、何かに手を伸ばす。須藤の手は、何かを殴ろうとしている八造の腕を掴んでいた。

「しかし、こういう輩は徹底的に…」
「…ほんま、同業者には容赦ないなぁ」

八造の醸し出すオーラに、須藤は背筋が凍る思いがした。

「………なんやねん……こいつ…何してん! 荒川〜」

隣に居たはずの荒川の名を呼んだが、返事が無い。
ふと顔を上げると、荒川は隣で気を失っていた。
辺りを見渡すさつま。
須藤達に銃を向けていた組員は全員、銃を手にしたまま真後ろにぶっ倒れている。
須藤に目をやった。
須藤は顔色一つ変えず、赤い物も体に付けていない。

「…くそっ…!」

側に落ちていた荒川の銃に気付き、手を伸ばしたが、その手を踏まれてしまう。

「無駄……ですよ?」

軽い口調が聞こえた。
自分の手を踏む足を伝って、その人物を確認する。

「猪熊……」

不気味なまでに口元をつり上げている八造の姿が、そこにあった。
下から見上げている為、その表情は、般若か鬼のように思えたさつまは、思わず身を縮めてしまう。

「さてと。わし…無傷やけど、さつま……条件…のむやろ?」
「この状況で、首を横に振ったら、何されるか解るわい。
 解った。条件のんだる。…その代わりな…わしらの行動は
 今までと変わらんで。……例え、阿山の四代目が来ても
 無理やからな」
「その条件さえ呑めば、わざわざ四代目に来てもらわんでも
 もう……行動は制限されとるから、気にすんな」

そう言って、須藤は立ち上がる。

「ほな、帰るで。さつま、またなぁ」

須藤は部屋を出て行った。須藤を追うように、八造も出て行く。
しかし……。


車に乗り込もうとした須藤達は、背後の異様な気配に足を止める。

「須藤ぅ〜、無事には帰さんっ!」

その声に気付き振り返ると、さつまが銃を向けていた。

…!!!

「……………って、猪熊ぁ〜〜」

須藤は呆れたような声を出した時には、宙を舞っていたさつまが、地面に落ちてくる所。
そのまま気を失ったさつまに、組員達が駆け寄っていく。

「来週、また来ると伝えておけ」

須藤の言葉に、組員の誰もが息を飲む。

「????」

須藤は、いつも通りに話しかけただけだが、なぜか、組員は恐れた表情をしている。
不思議に思った須藤は、自分の視野の隅に映る人物に目をやった。
そこには、前髪が立った一人の男が、居た。

猪熊…??

その男は、拳をギュッと握りしめ、そして、目にも留まらぬ速さで、目の前の壁に連打していた。
壁が音を立てて崩れる。
最後の拳を差し出した。
その拳は、壁にめり込み、止まる。

「猪熊、どうした?」

と声を掛けるが、八造の背中から醸し出されるオーラに覚えがある須藤は、慌てて車に乗り込んだ。

「おやっさんっ!!」

よしのも須藤と同じように車に乗り込む。

「…あほんだら、誰が猪熊を停めるねんっ!」

須藤がよしのに叫ぶ。

「できまへんって! 誰も停められまへん!」
「怪我人が増えるやないかっ!」
「松本の仕事が増えるだけですよ!!!!」
「そう言われてもなぁ……あぁあ……よしのが正解やな…」

車の窓から見える光景。
それは、八造が暴れる姿が…。

「顔を傷つけられたんか?」

須藤が呟く。

「恐らく…そうちゃいますか? あのオーラは、あの時と同じです」

よしのが、恐る恐る顔を上げながら応えると、須藤は、八造の様子を伺った。
確かに、頬に傷が付いている。

「頬だけちゃいます!! 停めてきます!」

そう言って、よしのは車を降り、暴れまくる八造に駆けていく。
八造は、さつま組組員が腰を抜かしてしまうほど、暴れていた。
組事務所の壁が崩れ、中が丸見え。
窓枠が外れ、柱が歪む。
このままでは、建物が傾きそうな雰囲気だった。

「猪熊っ!!」

そう叫んだよしのは、渾身の力を込めて、八造の腕にしがみつく。
そんな事はお構いなしに、八造は、しがみつくよしのの体毎、壁に向かって……。

「って、よしのさん、危ないですよ?」

平然とした口調で、八造が言った。

「…いぃ?!?!???」

その口調に、よしのは、目が点。

「怪我……治療しないと。弾丸が中に…」
「これくらいは、平気ですが…」

そう言いながら、自分で弾丸を引き抜こうと傷口に手を持って行く八造。その手を須藤に止められた。

「その手で、傷口を触るな」

須藤に掴まれた手は、砂埃で汚れていた。





血に濡れた弾丸が、ステンレス製のトレーに入れられた。

「これで最後や」

その数、三つ。
弾丸をトレーに入れた医者は、次に治療を始める。

「……で、お預かりしている人間に守られて、怪我までさせたんか?」

ドスの利いた声で、首を縮める須藤に言ったのは、橋総合病院の院長・橋雅春だった。

「しっかし、この青年の体…今までに見たこと無いくらい
 筋肉質の体やなぁ。スポーツ選手か?」

そう尋ねられたのは、橋に治療されている八造。
八造は、どう応えていいのか解らず、須藤に目をやった。

「わしんとこに新しく入った奴や」

須藤が応える。

阿山組に関係してる言うたら、この医者…治療せんと言い兼ねんし…。

そう思っての応えだった。

「須藤んとこは、ええ奴が揃うのぉ。水木と違って」
「あいつんとこも、ええ若者ばかりですよ」
「あぁ、ええ奴ちゃうのは、水木だけか」
「そうです」

ハキハキと応えた須藤を可笑しく感じたのか、八造が噴き出したように笑った。

「おっ、笑った。笑うと益々かっこええな、兄ちゃん」

橋が笑顔で言った。

「…すみません、治療の邪魔ですね…」
「いいや、気にせんでええで。わし、得意やから」
「得意??」
「暴れる奴を治療したり、口五月蠅い患者を治療したりするのは
 慣れてるし、朝飯前やから」
「そうですか…」
「……治癒力も、桁外れやな。…というか……撃たれたのは
 初めてちゃうやろ。……傷…見たら解るで」

…というか、この治療法……あいつと同じやな。

「どこで治療した?」

橋が尋ねると、八造は再び須藤に目をやった。
須藤は首を横に振っている。

「まぁ、大体の察しは付くが、あまり傷を増やすなよ。
 心配する人がおるやろが」
「えぇ」
「それに、こんな奴を守っても、何の得にもならんし」
「って、院長、それが本音でっか?」
「……改めて言わな…あかんか?」
「結構です」

さらりと応える須藤に、再び八造が笑った。

「そんなにおかしいか?」
「私の知っている須藤さんじゃないので、ついつい…」
「まぁ、一般市民と話すときは、須藤…人が変わるからなぁ」
「って、あんた一般市民のつもりか?」

須藤が鋭く突っ込む。

「そうやで」
「俺らに一目置かれるような一般市民は一般市民ちゃうやろが」
「…須藤〜、ええかげんにせな……報告するで…?」

凄みを利かせる橋に、須藤は項垂れる。

「須藤さん、この事は呉々も…」
「報告はせな、あかんやろ。それでなくても、阿山く……」
「…阿山…?」

須藤が思わず口にした名前に反応する橋。先程まで醸し出していた医者としての温かな雰囲気が消え去っていた。その代わり、背筋が凍るような何かを感じる八造。

「あやまく…じゃなくて、謝らないと…なぁ、猪熊」
「謝らないと???」
「院長が凄みを利かせるから、口が回らんのや」
「…ったく、俺の前で禁句を言うな、あほっ」
「すみません」

二人のやり取りを不思議そうに見つめる八造に気付いたのか、橋は再び笑みを浮かべた。

「すまんな。わし、やくざが嫌いでな」
「その割に…親しげですが…」
「まぁな。こいつらも嫌いやけど、ここに来るときは、その肩書き
 捨てとるから、こうして親しくしてるんや」
「禁句…とは?」
「命を簡単に奪うような奴らが嫌いでな。…やくざ…特に……
 阿山組が…な…。その阿山組の傘下に入ったっつーやないか。
 その気が解らんのや」

そう語りながら、橋は八造の体にガーゼを貼り付けた。

「痛めへんか?」
「大丈夫です。痛みは引いてます」
「それなら、痛み止め要らんか? …あっ、でも一応、出しとく」
「ありがとうございます」
「……阿山組の連中、水木組の組員の腕を切り落としたんや。
 まぁ、今は元気にしとるから、安心やけどな。…精神的にも
 やばかったんやから…」
「そうですか…その事は私……知らないので…」

須藤が執拗に何かの言葉を避けようとしている事に気付いていた八造は、関係ないフリをする。

流石やな…。

須藤は言葉にしなかったが、八造の行動に感心していた。

「院長、そろそろ帰ってええでっか?」

須藤は橋に話の余裕を与えないように、尋ねた。

「薬もらってからにせぇや」
「心得てます」
「そうやなぁ、何度も来るから、仕組みも覚えたかぁ」
「えぇ、まぁ…」
「お世話になりました」
「本当に、程々にしとけよ、須藤を守るのは」
「それは、体に言って下さい」
「そういう事…か。…須藤…お前……解っとるな?」

睨み上げる橋に、須藤は頷いた。

「ほな、帰れ」

カルテの整理に入る橋に深々と礼をして、八造と須藤は去っていった。
ドアが静かに閉まると、橋は大きく息を吐いた。

「……隠しても無駄やで…須藤。阿山組本家の人間を招いて、
 こっちで何するつもりや……。あれ程、阿山組の事を悪く言ってた男が
 何を考えとんねん。…これ以上、知ってる者を失いたくないで…」

真北……。

グッと拳を握りしめる橋。
自分の拳を見て、ふと思い出す。

「てか、拳だけで、家を崩せるんか??」

八造の怪我を治療していた間、傷の経緯を須藤から聞いていた橋。
その時に八造の拳にあるかすり傷と打ち身の痣を見て、更に凄い言葉を聞いていた。

「ほんま、そんな男を招いて……無茶すんなよ、須藤」

橋が心配する須藤は、車の中で八造に話していた。

「院長の言葉にあったようにな……阿山組には恨みを持ってる」
「どうしてですか?」
「…それは、真北が絡んでるんだが……」
「真北さんが?」

そういや、親友に医者が居るというような話をしていたような…。

「真北の事…詳しく知ってるんか?」
「元刑事で、阿山組を壊滅させようとしていた時に大怪我を負って
 その時の怪我で記憶を失っているとしか、耳にしてません」

確か、トップシークレットだったよな…あの任務の事…。

「そうか…やはり、謎の男か…」
「その…あの院長と真北さんの間に何かあるんですか?」
「噂だけどな、…親友だということだ」
「親友?」
「恐らく、記憶を失ってるから、こっちに来ても、あの院長の事は
 覚えていないんだろうな。…かなり有名なんだけどなぁ、
 橋総合病院のことは」
「病院嫌い…と耳にしたこともございますが…」
「そりゃ病院の情報は遠ざけるわな……」
「そうでしょうね…」

なんとか…誤魔化せたか?

八造は自分の拳を見つめる。
軽く包帯を巻かれていた。

「凄い腕ですね、院長さん」
「凄腕の外科医や。たぶん右に出る奴おらんちゃうか」
「はぁ…」

まさと比べてみたいな…。
あっ、嫌がるかな…。

「猪熊」
「はい」
「…建物壊す勢い…まさかと思うが…」
「資金調達に丁度良いかと思いまして…。後は須藤親分の
 口…次第なのですが、お願いしてもよろしいですか?」
「あぁ、かまへんで。気にせんでええぞぉ。ふんだくったるわ」
「お願いします」
「……ったく、大胆な行動やな…。それだけは見習いたくないで、
 なぁ、よしの」
「えぇ。もう、停めたくありませんからね」
「すみませんでした」
「こっちでは、控えめにしてくれや、猪熊。俺が真北にどやされる」
「それは、大丈夫かと……。怒りは私の方に向けられますから」
「本家の人間…歯止め利くんか?」
「それはどうでしょうか……」

そう言って首を傾げる八造に、須藤は微笑んでいた。

そして、車は須藤家の屋敷へと到着した。
暴れまくった八造は、珍しく疲れを見せて、自分の部屋に入っていく。
その日の夕食には、須藤の二人の息子が顔を出していた。その日に起こった出来事と八造の行動を事細かく話す須藤。珍しく話が弾む父親を見つめる二人の息子は、久しぶりに逢った父親の変わりっぷりに驚いていた。
驚くと同時に、父親が話す八造に興味を抱く息子達。


その噂の八造は、着替えを済ませてベッドに寝転んだ。
手に巻かれた包帯を、そっと解く。
治療の時にあった傷は消えていた。

医者の言葉じゃないけど…傷の治り……早いよな…。

大きく息を吐き、目を瞑る。

暴れすぎた…か…。

そのまま深い眠りに就いた八造は、自然と布団の中へ潜っていた。




阿山組本部・慶造の部屋。
慶造は大きく息を吐き、項垂れる。
栄三から、須藤組での事を耳にした時の慶造の表情だった。

「ったく…そういう資金調達せんでも、金くらい用意してるのになぁ」
「振り込みしておきましょうか?」
「せんでええ。お前に預けたら、少し無くなってる時があるやろが」
「それは…お駄賃……」
「って年齢ちゃうやろが。金取るな」
「すみません〜」
「…まぁ、その分、一ヶ月後には10倍になってるがな…」
「恐れ入ります」
「博打は禁止やぞ」
「表ですから」
「解ってる」

慶造は煙草に火を付けた。

「真子は、どうしてる?」

慶造が静かに尋ねる。

「部屋で勉強してます」
「山本は、この日曜日からか?」
「いいえ、今夜だとお聞きしております」
「忙しいんじゃないのか?」
「春休みの影響でしょうね」
「その間に新学期の準備するんちゃうんか?」
「教員免許は未だですから、そのような仕事は無いと思いますよ。
 まぁ、有ったとしても、お嬢様の為に時間を作る奴ですからね、
 ぺんこうは」
「そうだったな。…兄貴とそっくりで」
「……その兄が…帰ってきましたが…………抑えますか?」
「いいや、その必要は無いな…兄弟が揃ったか…」
「そのようですね…夜のはずなのに…」
「どうせ、真北が迎えに行ったんやろ…って、ほんと、ここを素通りだな…」

呆れたように言う慶造は、煙を吐き出した。


二人が噂した通り、春樹は芯を迎えに行ったらしく、芯は時間が早すぎると文句を言っていた。そんな芯を軽くあしらいながら、春樹は真子の部屋をノックする。
返事が無い。
不思議に思い、春樹と芯は顔を見合わせ、そして、ドアを開けた。

「真子ちゃぁぁん??」

真子は、机に突っ伏して眠っていた。

「こんな格好じゃ、体を壊しますよ、お嬢様」

優しく語りかける芯の声に反応したのか、真子がゆっくりと体を起こす。

「…ぺんこぅぅぅ…おはよぉ」

寝ぼけている……。

「すみません、予定より早く来てしまったんですが…」

との言葉に、真子は驚いたような表情をする。

「あっ、ほんとだ!! ぺんこう、こんにちは! 真北さん、お帰り、お疲れ様!」
「只今帰りました」
「こんにちは、お嬢様」

真子に応える言葉が重なった。
なぜか、お互い睨み合う。

「あのね、あのね!」

そんな二人の心を知ってか知らずか、真子は優しく話しかけていた。真子の優しさに応えるように、二人は交互に応えていく。



「気にすること…ないか…」

真子の部屋から少し離れた所で、様子を伺っていた慶造は、そう呟いて部屋に戻っていく。
八造が大阪に行ってから、真子の笑顔が減ったと、向井から耳にした。
向井の料理を食してる時は、笑顔だが、一人になったときの表情が、八造の居るときと居ないときでは、違っていると解るほど。その事は、春樹や芯、そして、栄三と健の耳にも入っていた。
だからこそ、真子の事が気になっている。
寂しいと真子自身が口にしない。
それは、八造に別の仕事をさせたいと真子自身がお願いしたこともある。

「やっぱり寂しいから……って相談してくれても…いいのにな…」

慶造がボソッと呟いた言葉は、部屋で待っていた栄三に聞こえていた。



(2006.5.2 第八部 第五話 改訂版2014.12.12 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


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