任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第八部 『偽り編』
第十話 心を開く

『朝六時半 お嬢様起床時間』

政樹は、朝六時に目を覚まし、身支度を調えた後、六時半になると同時に、真子の部屋へと向かっていく。
ドアをノックした。
返事がない。
もう一度、ノックするが、やはり、返事が無かった。

「失礼します。お嬢様、朝ですよ」

そう言いながら、少し躊躇いがちに真子の部屋に入っていく政樹。
真子はベッドに眠っていた。
真子に近づき、そっと声を掛ける。

「お嬢様、起きてください。時間です」

真子が少し、動いた。

起きてくれた…。

と思った途端、空を切る音を聞いた。それと同時に、腹部に痛みを感じて、尻餅を突いていた。

「?!?!???」

驚いて、目を見開く政樹。
目の前には、真子の姿があった。
それに気付くと同時に、拳が目の前に迫ってきた。

「!!!!!! ……えいぞうさん…おはよぉ〜」
「おはようございます、お嬢様。今日から…」

栄三が真子の拳を軽く受け止めながら、そう言った。そして、足下の政樹に目線を移した。

「…そうでした。おはようございます、地島さん」
「お…おはよう……ございます……」
「すぐに支度します」

冷たく言って、真子は部屋を出て行った。
栄三は、政樹に目線を移す。

「気をつけろよ。寝起きのお嬢様は凶暴だから……って、
 北野から聞いてないのか?」
「……気をつけろ…としか、耳にしませんでした。まさか…」
「もしかして、格闘技……出来ないのか?」

栄三が静かに尋ねながら、政樹に手を伸ばして体を起こした。

「すみません…その……俺は……、喧嘩が嫌いで…」
「それで、長年、この世界で生きていても、その雰囲気なのか。
 だから四代目は、お前をお嬢様の世話係に付かせたんだな」
「…やくざに見えない……組長は、そう仰いました」
「組長と呼ぶなよ。お嬢様の前では…」
「慶造さん…ですね」
「あぁ、気をつけてくれよ。それと、食事は俺と一緒だからな。
 お嬢様は四代目と同じテーブルに着く。俺達は、隣のテーブルだからな。
 一緒に行くか?」
「お願いします」

真子が顔を洗って戻ってきた。

「お嬢様、俺は、地島と先に食堂に行ってますので、きちんと
 着替えてから、七時に来て下さいね」
「かしこまりました」

真子の返事を聞いて、栄三は政樹の手を引っ張って部屋を出て行った。

「し、しつれいしました」

突然の事に驚いた表情になっている政樹。
真子は、ドアが閉まると同時に、政樹の表情を思い出して、笑っていた。




『午前七時 朝食』

真子が食堂にやって来た。既に、慶造は、席に座って新聞を読んでいた。

「おはようございます」
「おはよう。今日から送迎は、地島がすることになっているから」

慶造が言うと、

「一人で大丈夫です」

真子は、そう応えた。
二人のやり取りを見ていた政樹は、少し不安げな表情をしている。

「お嬢様を見失うなよ」

栄三が、静かに告げた事で、更に不安げな表情になってしまった。

「お待たせしましたぁ」

明るい声で、向井が料理を運んでくる。慶造と真子のテーブルに置いた後、栄三と政樹のテーブルに料理を置いた。

「しっかりと食べてくださいね、地島さん」
「ありがとうございます。いただきます」

政樹は丁寧に挨拶をしてから、箸を運び始めた。

これが、専属料理人…か。
笑顔の料理人……だったよな。

そう思いながら、向井をちらりと見た。
向井は笑顔でデザートを作っている。

「おいしいだろぉ。心和むだろ?」

栄三が政樹に言うと、政樹は頷くだけだった。
意識は別の所に飛んでいた…。

確か、兄貴……学校の近くに来ると言ってたよな…。
昨日の今日…って、難しいだろな…。


政樹の心の声は、真子に聞こえていた。
真子は、政樹のことを探るため、少し気を抜いていた。

兄貴…?

政樹の言葉が気になるのか、真子の手が止まった。

「真子? 調子…悪いのか?」
「いいえ、大丈夫です」

真子は即答する。

「真北なら、今日も元気だと、連絡が入った」
「はい」

そして、沈黙が続く。
真子の食事が終わりそうな頃に、向井が良いタイミングでデザートを持ってくる。

「お嬢様、少し急がないと、今日は徒歩だとお聞きしてますよ」
「!! そうでした!」

真子は、デザートを素早くたいらげて、

「ごちそうさまでした。むかいん、おいしかったよ!! 行ってきます!」
「お嬢様、走っては駄目ですよ!! 今日も頑張って下さいね」
「はい! お父様。行って参ります」
「…地島と一緒だぞ」
「……必要ありません」

そう言って、真子は食堂を出て行った。

「地島」
「はっ」

政樹は、デザートを食べずに、立ち上がる。

「行って参ります。向井さん、ごちそうさまでした」

食堂の前を通り過ぎる真子の姿を見て、政樹は慌てて自分の用意をしてから、真子を追いかけていく。

「……栄三ぅ〜、お前、真子に何を吹き込んだ?」
「何も言ってません。必要ないと仰ったので、アドバイスを…」
「それが、吹き込んだ事になるだろがっ」
「まだ一日目なので、解りませんよ、四代目ぇ」
「…………地島が辞めたら、次をあたるつもりだが、もう候補が居ないぞ。
 栄三が掛け持ちできるなら、頼むけどなぁ」
「手ぇ一杯ですぅ〜、大阪の事までなると、ほんとぉおぉぉに」
「やる気あるんか?」
「ありますよ。…ただ、お嬢様の楽しみが増えるなら…」
「……栄三、お前なぁ」

大きくため息を付いた慶造。そして、項垂れた。

「もぉええわ。それより、砂山組の情報、頼んだぞ」
「お任せ下さい」

得意気な表情で、栄三は応えた。




『午前八時十五分までに、学校に行く事』

真子を追いかけて来た政樹は、門を出た所で追いついた。

「お嬢様。お一人では…」

そう声を掛けたが、真子は振り向きもせず、ただひたすら、学校に向かって歩いていくだけ。政樹は、真子の後ろを付いていく。
真子の通う学校の場所は知っている。
通う道のりも知っていた。
阿山組に来る前に、真子の行動は調べ上げていた。
しかし、態度までは、調べることが出来ず、ぶっつけ本番となっていた。これほどまで、冷たくあたられるとは、思ってもいなかった為、初日から、思い通りに行かず…。


少し困った表情で、真子の後ろを付いていく政樹は、真子に声を掛ける事無く、学校まで付いてしまう。

中まで入るな。

慶造に言われた手前、政樹は、校門の所で立ち止まり、

「行ってらっしゃいませ」

と丁寧に頭を下げて、真子を見送った。
真子は、校門を過ぎた辺りで政樹の声を聞き、振り返る。
中まで付いてくると思っていた。しかし、校門の手前で止まり、深々と頭を下げているだけ。
その態度は、真子にとって…。

真子は、ギッと政樹を睨み付け、駆け足で校舎に向かっていった。

ふぅ〜。

ため息を付いて、本部の方へ向かって歩き出す政樹は、そこに居る人物に気付き、歩みを停めた。

「どうだ、政樹」

言っていた通り、学校前に来ていた地島だった。

「兄貴……」
「何も話さず、ただひたすら歩いてたなぁ、滑稽だったぞ」
「見ておられたんですか」
「あぁ。しかし、あの態度は何だ?」
「昨日、挨拶の時に、必要有りません…って、断られたんですよ、あの娘に」
「それなのに、今日からなのか?」
「はい」
「阿山も何を考えて、娘に世話係を付けるんだろうなぁ」

呆れたように、地島は頭を掻いた。

「で、中の様子は?」
「関西の抗争を収めた小島栄三が、時々姿を見せます。
 組員は毎朝、体を鍛える為に、道場に。そして、阿山の
 二人のボディーガードの姿は無く、ナンバー2と言われる
 山中が阿山の代わりに動いている感じですね。それと
 私が来るまでに娘の世話係をしていた北野が、若い衆の
 指導を行ってます。屋敷内の気配からは、仕掛けるような
 素振りは、ございません。そして…」

阿山組に潜り込んでから、一日も経っていないというのに、政樹の口から、阿山組内の事が、次々と出てくる。地島は、少し驚いていた。
政樹の話に耳を傾ける地島。
二人の姿は、教室に向かって廊下を歩いていた真子に見えていた。

あれは…地島さん…。一緒に居る人は…?

真子は、窓から見える政樹と地島の姿を見つめ、何かに集中した。
色々な声が聞こえてくる。それらは、全部、生徒達の声だった。大人の声も聞こえてきた。それらの中に、聞き慣れない声が二つあった。その二つの声に集中する真子。

阿山を狙うのは、まだ…先…か。

見知らぬ男の声に、少し背筋が凍った。

まさか…お父様を?

真子は、駆け戻った。階段の踊り場に来たとき、周りに誰も居ないことを確認し、窓を開けた。
そこは、校舎の裏手。
下には誰も居ない。

よしっ!

と気合いを入れた途端、真子は窓から飛び降りた。
そこは、三階。なのに、真子は飛び降り、そして、華麗に着地した。
着地したその足で、真子は先ほど、政樹の姿のあった場所まで駆けていく。
塀の向こうに、二人の男の声が聞こえた。
真子は耳を澄ませた。


「娘の様子は?」
「まだ、話をしてませんので、解りませんが、小学六年生とは
 思えない程、大人びてます」
「…手…付けるなよ」
「子供には興味ありませんよ」
「そうだったな。……まぁ、暫くは我慢せぇよ」
「難しいですよ……」
「ったく…。で、例のことは、できそうか?」
「今のところは、解りません」
「そりゃ、そっか。…まぁ、頑張って、親しくなれよ。それまで
 帰ってくるな」
「はっ」

地島の言葉に、政樹は深々と頭を下げた。
地島は、その政樹の頭をくしゃっと撫でてから、少し離れた所に停めていた車に乗り込んで去っていった。

「ふぅ〜」

と政樹が息を吐いた時、予鈴が鳴った。

午後四時に迎えに来る…だったな…。
それまで、何をしたら…あっ、掃除…か。

そう思いながら、政樹は去っていく。
塀の向こうで耳を澄ませていた真子は、予鈴に気付き、素早く校舎へと戻っていった。
席に着いた真子は、気を引き締めた。

どうしよう……くまはちっ!




お嬢様?

須藤と行動を共にしていた八造が、何かに反応したように振り返った。

「どうした、猪熊」
「あっ、いえ…」

この時間は、学校が始まる時間のはず。
何か遭ったのか?

八造の眼差しが鋭くなった。それに気付いた須藤が思わず身構える。

「だから、猪熊っ」
「すみません。…その…声が…」
「声?」
「何かに悩む…お嬢様の声が…」

八造の言葉に、須藤は口をあんぐり……。

「心配なら、連絡…してみるか?」
「いえ、大丈夫です。緊急事態という感じでは御座いませんので」
「そこまで、解るんか? 遠いだろが」
「それが、普通だと思いますが………」
「…あかん……お前と居ったら、感覚狂うわ…」

項垂れる須藤に、八造は首を傾げていた。

それにしても、一体…。




阿山組本部。
政樹は、帰宅したその足で、慶造の部屋へとやって来る。
ノックをし、

「地島です」

と名乗る。

『入れ』

返事を聞いてから、そっとドアを開けて、中へ入っていった。

「失礼します」
「無事に着いたんだな」
「はい」
「すまんな。冷たい態度で…。……それでも、続けるつもりか?」

慶造が尋ねてきた。

「朝、蹴られたんだろ?」
「!! どうして、それを?!」
「栄三から聞いた。…栄三が留めなかったら、顔を
 殴られていたらしいじゃないかよ。…もしかして、
 格闘技……できないのか? 喧嘩が嫌いなんだってな」
「は、はぁ……すみません。まさか、蹴りと拳がくるとは…」
「俺と一緒で、朝が苦手で、寝起きは不機嫌なんだよ」
「北野さんからは、気をつけろ…としか聞きませんでしたので…」
「あいつも、楽しむつもりだな…」
「楽しむ?」
「いや、こっちの話だ」

慶造は煙草に火を付けた。

「……それでも、続ける…つもりか?」
「はい。まだ、一日目です。頑張ります」

政樹は頭を下げた。

「そうか…。…真子を迎えに行く時間まで、やることをやったら
 自由に過ごしていいからな」
「はっ、ありがとうございます」
「俺はこれから……」

と言いかけた慶造が、口を噤んだ。そして、

「あいつはぁ……来るな…と言ってるのにな。…地島、ドアを押さえておけ」
「えっ?」
「押さえておけ」
「は、はい!」

言われるまま、政樹は部屋のドアを内から押さえた。

『って、阿山ぁ〜〜』

ドアの向こうから、嘆く声が聞こえた。

「来るなと言ってるだろが」
『そんなん〜ひどぉ〜』
「あ、あの………うわっ!!」

慶造に何かを尋ねようとした政樹だが、ドアが勢い良く押されたことで、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。

「…………ほんとに、弱いな…地島…」

尻餅を突いてしまった政樹を見つめて慶造が呟く。

「…慶造じゃなかったんか…」

どうやら、ドアを思いっきり押し返したのは、修司だったようで…。

「何の用だ?」

慶造が静かに尋ねると、修司が尻餅を突いている政樹に手を差し伸べながら応えた。

「急用。…で、この子が、新しい世話係か?」

立ち上がる政樹を見つめて修司が言った。

「…………地島……政樹…です」
「地島?」

政樹の名前を聞いて、修司の眼差しが鋭くなった。

「大丈夫だ。威嚇するな。そいつは、本当に何もできんから。
 寝起きの真子に蹴られて、殴られそうになるほど、格闘技が
 できんし、喧嘩も苦手だそうだ」

慶造が修司を止めるかのように言うと、

「……慶造が言うなら、俺はせんが……」

修司の眼差しが、普通に戻る。

「そいつが、猪熊で、向こうの馬鹿面が、小島」
「阿山ぁ、その紹介はなんやねん。よろしくな。…で、地島って名前…」
「良くある名前だろ」

慶造が短く応え、

「で、急用とは?」

話を切り替えた。

「あ、あぁ…そうだなぁ」

隆栄が言葉を濁すと、政樹は何かを察したのか、

「私はこれで、失礼します」
「あぁ。ごくろうさん。午後もよろしくな」
「はっ。失礼しました。猪熊さん、小島さん、失礼します」

丁寧に頭を下げて、政樹は部屋を出て行った。
政樹の足音が遠ざかる。それを確認した二人が同時に言葉を発した。

「慶造、どうみたって、あれは…」
「阿山、あいつは、どうみても…」
「……声を揃えて言うな」
「同業者やないか!」
「もう、その筋しか残って無くてな」
「慶造…。もし、お嬢様に何か遭ったら…」
「長年、この世界で生きていて、染まってないんだぞ。
 それなら、大丈夫だろ」
「…慶造…」

修司が眉間にしわを寄せた。

「ん?」
「…あいつの拳…喧嘩慣れしてるぞ」
「……それが、どうした」
「地島という名前から考えられるのは、…あいつは砂山組の…」
「それ以上…言うな」

修司の言葉を遮るかのように、慶造が言った。

「慶造! もしもの事が遭った場合…誰が…。真北さんだって
 今は居ないんだぞ。…それに……八造が居ないし…」
「修司」

慶造は、少し興奮気味に言った修司を止めるかのように、名前を呼んだ。

「……慶造……お前…何を考えている?」

修司の手が、慶造の胸ぐらに伸びた。

「お前が一人で決めると、ろくな事がないだろがっ」
「修司……何を怒ってるんだ?」

冷静に尋ねる慶造に、修司は、本来の目的を思い出した様子。

「…すまん。…ただ、小島の言葉にな…怒ってて…」
「それなら、俺にあたるなっ」
「だから、すまん…って」
「で、何だよ、小島」
「ちょいと出掛けてくる」
「…はぁ、いつものことだろが」

普通に応える慶造だが、修司の拳が、隆栄に飛んでいくことで事態を把握する。

「修司っ! 詳しく言え」
「こいつ、真北さんの後を追っていくと言い出してだな…」
「真北を追いかける?」
「あぁ。やっぱり、心配でな」

隆栄が真剣な眼差しで言う。

「霧原さんが居るだろ?」
「そっちじゃなくて、真北さん自身だよ」
「まぁ、確かに、歯止めが効かんやろな」
「そうやろ。だからや」

隆栄の言葉に、隆栄の考えが解ったのか、慶造は、それ以上何も言わず、ただ、煙草に火を付けるだけだった。
ゆっくりと煙を吐き、隆栄を見つめる。

「……大丈夫なのか?」
「まぁ、長期滞在とは違うからさ」
「そうだが……」
「和輝さんが付いてくるから、大丈夫だって」
「……解ったよ。………小島」
「あん?」
「……ありがとな」
「どぉいたしましてぇ〜」

隆栄が言うと同時に、鈍い音が聞こえた。
修司の肘鉄が、隆栄の腹部に突き刺さっていた。

あほが…。

項垂れる慶造だった。




政樹は、真子の部屋の掃除を終えて、自分の部屋でくつろいでいた。

「これといって、収穫なし…か。…でも、まさかあの二人が
 ここに足を運ぶとはなぁ。…まぁ、遊び仲間…って感じに
 なってるらしいが……実際は、どうなんだろな…」

ふと目をやった窓の外。そこは裏庭がある場所だった。政樹は、何かに引き寄せられるように、外に出る。


庭木が整った場所に、池があった。
政樹は、池の中を覗き込む。

うわぁっ、高そうな鯉だな……てか、高いだろが、これ…。

池の中を泳ぐ鯉が、政樹の気配に気付いたのか近寄ってきた。

「えさは…無いぞぉ」

政樹が鯉に話しかけると、鯉は、暫く政樹の様子を伺ったように泳いだ後、遠くへと去っていった。

「しかし、すごいなぁ、ここ。…!!!」

政樹の耳に、何かが聞こえた。

銃声……。

目を瞑り、気を集中させる。
それは、この庭の下から聞こえてくる。

噂は本当だったんだな…。

本部の何処かに、射撃場がある。
それは、表から見えない位置にあるらしい。

阿山組のことを調べた時に、その情報も手に入れた政樹。
それを探ることも、政樹の仕事に入っていた。

入り口は……。

と思ったとき、背後に人の気配を感じた。
しかし、ここでの政樹は、何も出来ない男を演じている為、振り返らずに、池の中を眺める振りをする。

「地島さん」

その声に振り返ると、そこには、向井が立っていた。

「はい」
「お昼ですよ」

向井が笑顔で声を掛けてくる。政樹は、恐れずに向井に近づいていった。

「素敵な鯉ですね」
「あぁ、あれは、お嬢様の鯉ですよ。えいぞうからの誕生日プレゼント」
「プレゼント?」
「毎年、二匹ずつ。高級鯉を入手してくるんですよ」
「はぁ……かなりの値段ですよね」
「まぁ…そうですね」

そんな話をしながら、食堂へとやって来た。
そこには、隆栄と修司、もちろん、慶造の姿もあった。

「…って、あの……私が一緒に……」
「気にするな」

慶造に奨められ、政樹は、慶造達と同じテーブルに座ることになった。
向井の料理を食しながら、政樹は、隆栄に根掘り葉掘り、尋ねられていた。
素性がばれない程度に、応えていく政樹。
慶造を前に緊張しているという素振りをしながら…。





『午後四時 お嬢様を迎えに行く』

政樹が、再び学校の前にやって来た。
生徒達の下校時間。
その中に真子の姿を見つけた政樹。校門までやって来た所で声を掛けた。

「お疲れ様でした」

深々と頭を下げて迎えたものの、真子の鋭い眼差しが突き刺さる。
ちらりと顔を上げて、真子を見た。
真子が睨んでいる…。

なんで、睨まれてるんだよ…。俺…悪いことしてないぞ。

政樹のふてくされたような心の声は聞こえている。しかし、その心の声とは裏腹に、表情は、穏やかだった。

偽り……?
…やっぱり、この人には、辞めてもらわないと…。

真子は軽くため息を付いて歩き出す。

「お嬢様!」

真子を追いかけて歩いていく政樹。
そんな二人を、地島が影から見つめていた。

ったく…あれで、大丈夫なのかよ。

地島は、大きく息を吐いて、去っていった。



『午後七時 夕食』

静かな食事時。
夕食は、真子と政樹が同じテーブルに着いていた。
何も話さず、黙々と食する真子を気にしながら、政樹も食事を摂る。


『午後八時半 風呂』

真子は一人で風呂に入り、そして上がってくる。用意された着替えに、真子はため息を付いた。
その様子を見ていた政樹は、なぜため息を付くのか解らない。

世話をやくな…そういうことなのだろうか…。

政樹は、何かを我慢するかのように、グッと唇を噛みしめて、立ち上がる。

「それでは、失礼します。お休みなさいませ」

そう言って、部屋を出て行った。

「…解ってるなら、辞めてもいいのにな…」

真子は、ドアの向こうに行った政樹に聞こえるかのように言った。

……辞められるわけ…ないだろ…。

心の声が聞こえた。

真子は、ため息を付いた。

もう…嫌だ…。

真子はソファに座り、膝に顔を埋めた。
その時………。

ニャーゴ、ニャーゴ……。

猫の鳴き声が聞こえてきた。
真子は、嬉しそうな表情になり、棚にある猫電話に手を伸ばした。

「もしもし!」
『お嬢様、お元気ですか?』

受話器の向こうから聞こえてくる芯の声。
真子の心が和む瞬間だった。

「元気だよ。ぺんこうは?」
『元気ですよ。ただ、更に忙しくなってしまって…』
「大丈夫?」
『えぇ。ご心配なく。それよりも、むかいんから聞きましたよ。
 新しいお世話係が来たとか…。いじめてませんよね?』
「………えっ……」
『私の時のように、えいぞうが何かをしてる…とか』
「大丈夫」
『本当ですか?』

その言葉に、真子は、

「ちょっとだけ…」

と素直に応えてしまう。

『程々にしないと、かわいそうですよ』
「程々なら、いいんだ」
『えぇ。かなり手強くないと、お嬢様のお世話係は
 勤まりませんからねぇ〜』
「ぺぇんこぉぉぉう〜。ひどぉい」
『元気になりましたか?』

受話器を通して、真子の元気が無いことに気付いていた芯。ちょっぴりからかうことで、真子を元気付けていた。

『お嬢様、何か遭ったときは、いつでも相談してくださいね』
「うん……ありがとう、ぺんこう」



隣の部屋で、政樹は、真子の声に耳を傾けていた。
誰と話しているのか。
それよりも、この猫の鳴き声に聞こえるものは、何なのか……。
とても気になっていた。


そして、次の朝が来た。
もちろん、真子を起こしに行くものの、蹴りを食らってしまう政樹。
送迎はただ、付いていくだけ。
食事の時も何も話してもらえない。
真子の世話をしようにも、真子は一人で何でもこなしてしまう。


そうこうしているうちに、二週間が過ぎた。

それでも辞めようとせずに、政樹は踏ん張っている。
ある目的のために。



久しぶりに栄三が、真子の前にやって来た。

「えいぞうさん! 元気だった? おじさんと一緒に出掛けたままかと
 思ってたから…心配しちゃった!」
「ありがとうございます、お嬢様。例のお約束は、どうですか?」
「まだ続いてるよ。……諦めないみたい」
「そこまで必死になるもんですかねぇ」
「わかんないけど……それで、どうしたの?」
「くまはちから、手紙ですよ」

栄三は、懐から出した一通の手紙を真子に手渡した。
表には、筆で書かれた真子の名前があり、裏には、八造の名前が書いてあった。

「電話でもいいのに」
「くまはちも忙しいので、電話の時間を惜しんで仕事してます」
「それなら、手紙なんか書かなくてもいいのにぃ。手紙を書く
 時間ももったいないでしょ! えいぞうさんがくまはちの様子を
 伝えてくれるだけでいいの! そう言っといて!」
「すみません……」

真子の勢いに押された栄三は、思わず謝ってしまう。

言えないよな。…お嬢様の心の声が聞こえてきた…って

「えいぞうさん。……何を隠してるの?」
「あっ……声…すみません…。その二週間前の事です。
 お嬢様の声が聞こえた…と。それが気になって、それで…。
 その後も、何度か聞こえてくるから、くまはちは、戻ろうと考えてて…。
 そこに、私が行ったものだから、それを書くように奨めて…」
「ごめんなさい、えいぞうさん。…でも大丈夫なのに…」

そういう真子の頭を優しく撫でる栄三。

「嘘は駄目ですよ。……地島のこと…気にしてるんでしょう?」

真子がコクッと頷いた。

「お嬢様。本当に…」
「大丈夫。ただ、地島さん………」

そう言ったっきり、真子は口を噤んでしまった。

お嬢様……。

真子が何を隠しているのか。栄三は気がかりだったが、それ以上尋ねることはなかった。


その夜。
地島は、真子の世話を終え、

「お休みなさいませ」

丁寧に告げて、部屋を出て行った。
真子はまたしても、暗い表情でソファに座る。
すると、猫電話が鳴いた。

「えっ? 今日は電話しないって……」

気になりながらも、真子は受話器を手に取った。

「もしもし」
『お姫様、お元気ですか?』

受話器から聞こえてきた声は、

「真北さん!! どうしたの、この電話は…」

春樹だった。

『いやぁ、ちょっとね、声を聞きたいなぁと思って』

真子の表情が、やわらかくなる。
それ以上に、とろけているのは、春樹だった。

電話をしている春樹の側には、霧原だけでなく、隆栄と和輝の姿もある。
その春樹は、頭に包帯を巻いていた。

「栄三の言う通り。一番の薬だな」

隆栄が、真子と電話をしている春樹を見つめながら呟いた。

「たった二週間ですよ。なのに、そこまで変わるとは…」

驚いたように霧原が言うと、

「一応、薬は効いてるから…」

隆栄の言う薬とは、真子の写真のこと。
出掛ける前に、栄三からふんだくっていた。

「しかし、暫くは身を潜めていた方が賢明ですよ」
「そりゃぁ、解ってるが、それをそのまま真北さんに言えるのか?」
「言えません」

即答する和輝。

「それなら、お嬢様にお願いしてみては、どうですか?」

霧原が言うと、隆栄の表情に光が射す。

「そうしようか」

と言っている間に、春樹は電話を切った。

「…そうさせるかっ!」

春樹が睨んでくる。

「わちゃぁ……」
「小島さんに言われなくても、真子ちゃんに言われた」
「…お嬢様……」
「えいぞうに聞いたらしいぞ……小島さぁぁぁん」

春樹の眼差しが鋭くなる。思わず和輝の後ろに身を隠す隆栄に、春樹は笑みを浮かべ、

「暫くは身を潜めていますよ」

と応えた。
その途端、誰もが、口をあんぐり…。

「そう驚かなくてもよろしいかと。…自分でも解りますよ。
 これが、どれだけ重傷なのか…と」
「そうですよ。もう、これ以上は、止めて下さいね。
 私たちは、自分で自分を守ることが出来ますから」

霧原が凛とした表情で言うと、春樹はフッと笑って布団に潜り込む。

「その間に、調べておきますから。隆栄さんもここですよ!」

そう言って、和輝と霧原は春樹の病室を出て行った。

「…ったく、あいつらは…」

隆栄の声は震えていた。

「ところで、真子ちゃんが言ったお世話係の地島だが…」
「確かに素性を隠してる。これがその男の写真だ」

隆栄が政樹の写真を春樹に見せた。

「まさしく、北島政樹だな。……砂山組も何を企んでるのか…」
「恐らく、阿山の命を狙ってる…。それも、お嬢様を利用して」
「その事は、真子ちゃんも知ってる可能性があるな」
「例の……能力で?」
「あぁ。…それをひたすら隠すと言うことは、真子ちゃん…何かを
 考えているかもしれない。…慶造にも…芯にも言わない……何かを」
「それを知っているのに、真北さん…なぜ…」
「真子ちゃんに冷たい態度を取られてるというのに、二週間
 続いてるんだろ。…その地島自身、躊躇いがあるってことだろ」
「何に躊躇ってるんでしょうか…」
「……さぁ。それは、地島だけが知ってることだ。…誰にも言えない
 何かがあるんだろ。……そうじゃなきゃ、すぐに辞めてるさ…」
「真北さん……」

あなたは一体…何を考えておられるんですか…。



自分の正体がばれているとは知らずに、政樹は、ひたすら、真子の世話係を務めていた。


真子と向井が二人で話し込んでいた。

「もうすぐ一ヶ月になりますね」
「そうだよね」
「それにしても、地島は、諦めませんね」
「うん……」
「そろそろお話くらい…」
「…でも…」

真子の表情が暗くなる。

「笑顔……」

向井の言葉に、真子は首を横に振る。

「地島が、先日、嘆いていましたよ」
「…地島さんに…悪いこと…してるよね…」

真子の声が震えた。

「お、お嬢様……」
「…ごめん、むかいん。…でも……やっぱり…」

向井の手が、自然と真子の頭を撫でていた。

「大丈夫ですよ、お嬢様」
「むかいん…」
「私のこと、御存知ですよね」
「………危険を感じたら、体が勝手に動いて、敵を倒す」
「地島が何であれ、私が何も感じてないんですから、
 大丈夫です。ご安心ください」

向井の言葉は力強く、真子に落ち着きを取り戻させた。


次の日。


真子の下校時間。
いつものように、政樹は真子を待っていた。真子の姿を見つけるとすぐに、近づき、声を掛ける。

「お帰りなさいませ」

その声を聞いた途端、真子は政樹を見つめる。

「もう、一ヶ月よ。いい加減に諦めたら?」

真子が口を開いた。その途端、

「初めてお話していただけました」

政樹が嬉しそうに言った。

「どうして……そんなに…。……私は、一人で大丈夫なの。
 あなた、やくざでしょう? お父様と同じ…やくざよね」
「…これでも……そうです…」
「私…大嫌いなの…やくざが、大嫌い。だから、もう付きまとわないで!
 解った?」
「お嬢様……」

真子が政樹に背を向けて歩き出す。

「…確かに私はやくざです。…お嬢様の嫌いなやくざです」

真子が歩みを停めた。

「しかし、お嬢様のお世話をするように言われております。
 いつかきっと…そう思って、こうして過ごしてきました。しかし、
 お嬢様は、何も仰って下さらない。付きまとうなという言葉も…。
 今日、初めて、お嬢様のお言葉をいただきました。
 ありがとうございます。……でも……私は…」

政樹の声が震えた。
真子は身構える。

「お嬢様に嫌われたら…私、行くところがないのです…行くところが…。
 戻ってくるな。…そう言われて私は、こちらに来ました。だから…」

真子が再び歩き出す。
政樹は真子を追いかけて歩き出す。

どうしても……どうしても…。

政樹の心の声が真子に聞こえていた。

真子は、歩みを停めた。
政樹も歩みを停める。

「どうされました? お嬢様」

政樹が声を掛けると、しつこく付いてくる政樹に真子が振り返った。

ま、まさか……何かを……?

身構える政樹。

お嬢様??

「しつこいのね。あなたのようなしつこい人初めてよ。
 どこまでもどこまでも付いてくる人は…」
「お嬢様をお守りするのが、私の指名です。だからお側に…」
「だからといって、いつまでもそうしているつもりなの?」
「はい。お嬢様が、心を開くまで。お嬢様が、笑顔を取り戻すまで」

笑顔?

政樹の言葉に、真子は思わず、

「馬鹿じゃないの!」

そう言ってしまった。

「馬鹿です。大馬鹿です。だから、行くところもなく…」
「行くところがないからって、私の側に居ても……」

そう言った途端、真子には、政樹の心の声が聞こえていた。

どうしても、これだけは実行したい。
だけど、俺の思いは別だから…。
本当に、お嬢様の笑顔を観てみたい…。

「…………わかったわ。私の負けね」
「負け? えっ?」

真子は、政樹に右手を差し出した。政樹は突然の真子の行動に戸惑ったものの、

「よろしくね」

という真子の言葉で気を取り直した。
笑顔はなかったが、真子が心を開いた瞬間だった。
政樹は、真子に深々と頭を下げ、

「こちらこそ、宜しくお願い致します!!」

優しく応え、真子の手を握りしめた。

「帰りますよ」

真子が声を掛けた。

「はっ」
「…あの…その態度…やめてほしいな」
「えっ?」
「私…偉くないから。…お父様のように…」
「しかし」
「私の側に居るなら、そうしてね」
「それは、慶造さんに相談してから……!!! いてっ!」

真子の蹴りが、政樹に脛に入っていた。

「すみません…」
「もぉっ」

真子のふくれっ面。

あれ、この表情…初めて…。

「一人で帰ります!」

そう言って、真子が歩き出すと、

「お待ち下さい、お嬢様っ!! うぐっ…」

真子を追いかける政樹の鳩尾に、真子の肘鉄が突き刺さった。




次の朝。

「行ってきます!」

学校の校門の所で、真子の元気な声が聞こえてきた。

「行ってらっしゃいませ」

政樹が笑顔で真子を見送った。



(2006.5.31 第八部 第十話 改訂版2014.12.12 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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