第十話 新たな生活に一波乱 時期はまだまだ梅雨。 しとしとと雨が降っていた。真子は、回廊からいつもの場所を見つめていた。 いくらなんでも雨の日に、くつろげるわけないか…。 少し寂しそうな顔をしている真子だった。 阿山組本部の会議室。 そこには、強面の男達が集まっていた。 真北が組員を集め、深刻な話を進めていく。 これから、真子が大阪で暮らすことになる。その為の対策を兼ねているのだが…。 「組長の希望もあって、大阪で暮らすことになった。一緒に行く者は、俺と、 まさちん、むかいん、くまはち。この四人だ。取り敢えず、大阪の方への、 組の拡大を謀っているところだが、先のことは見えていない」 組員達の表情は、これからの阿山組の事を心配している様子。それを悟った真北は、敢えて、組関係の話に持って行った。 「あまり大勢で行くと、それこそ抗争が起きかねない。 そこで、少人数にしたわけだが…」 「真北さん、俺も行きますよ」 話に加わりたくない様子で、ドア付近の壁にもたれ掛かっていた、えいぞうが静かに言った。 「えいぞう、お前が、ここを離れたら…」 「山中さんがおられるのなら、俺が居ても居なくても変わらないでしょ。 それに、組長の秘密を知ってる俺も必要になりますよ」 「兄貴が行くなら、俺も行く!」 えいぞうの弟分である、健が言った。その途端、組員達がざわつき始めた。 この二人は、いわば、阿山組のムードメーカー。特に組員の間では、健の存在は大切。 組員達の言いたいことは解っているが、健は話を続けていた。 「大阪に詳しいのは俺やろ。それに、大阪で何か起こったときの為にも、 俺の力が必要になるかと思いますがねぇ〜」 「…相変わらず、お前の自信たっぷりの言葉には、参るよ。わかった。 でも、一緒に暮らせないぞ」 「一緒に暮らすと、組長が笑い死にしちゃいますよ」 「それも、そうだな」 「兄貴、そんな言い方、ないですよ!!」 相変わらず、お笑いコンビのえいぞうと健。それをまたかぁ〜と呆れたような目で見ている真北。 「いつ頃ですか?」 「三日後だ」 雨が上がった。 地面は湿り、所々に水たまりがある。真子は、それを見つめながら、本部の玄関に座っていた。 下足番達が、たいくつそうな真子を遠巻きに見ている。少し寂しそうな真子に、声を掛けたいが、真子は、五代目。下足番ごときが、五代目と親しくするなんて、恐れ多いこと。それを考えると、真子に声を掛けることが出来ずに居た。 そこへ、まさちんがやって来た。 「組長、こちらでしたか。探しましたよ」 「ん? あっ、ごめん。ちょっとボケッとしたくてね」 「お疲れですか?」 「そんなこと、ないけどね」 「こちらで、何を?」 「なんとなく…」 「なんとなくですか?」 「うん…」 まさちんが、真子の隣に座った。 「何を見ていたんですか?」 「特に…。だけどね…」 「だけど、何ですか?」 「みんな、おもしろいなぁって」 「みんなといいますと?」 「若い衆」 「はぁ、下足番達ですか。それで、おもしろいとは?」 「じっと座ってる私を、遠巻きに見てるんだもん。それが面白くて!」 「そりゃぁ、こいつらにとっては、組長は雲の上の存在ですから」 「…だから、私は、そんなに偉くないのになぁ」 「組長ですから」 「……まさちん…」 「はい」 「……また、拗ねるよ…」 真子の呟きに驚いたまさちん。 しまった。つい先日、この話で組長は、拗ねて、閉じこもってしまったんだった。 また、やってしまったか……。 「組長、すみません!!!」 「ふっふっふっふ。何、慌ててるの、まさちん」 「いいえ、その…」 「もう、拗ねないって。まさちん、いっつもむかいんに頼むから。 むかいんに苦労掛けたくないしねぇ」 真子は、かわいらしく笑顔でまさちんに話していた。この二人の様子を見ていた下足番達は、自分たちがやくざだということを忘れたかのような雰囲気になっていた。 本部の玄関は、ほのぼのとした雰囲気に包まれていく事に、真子は嬉しかった。 自分が、笑顔で過ごしていれば、みんなも、笑顔になるのかも…。 私には、組の仕来りは、必要ないね。私は、私なりに、頑張ろう。 真子は、心に決めた。 新幹線 東京駅。 真子、真北、まさちん、くまはち、むかいんが、ホームで新幹線に乗ろうとしていた。山中と北野が真子達を見送りに来ていた。 「じゃぁ、またな」 真北が、山中に言った。 「山中さん、こっちはまかせたよ」 真子が、山中に言った。山中は、少し不機嫌そうな、仕方ないかという感じで、真子を見て、言った。 「気を付けて行ってらっしゃいませ」 新幹線の発車のベルが鳴った。そして、真子達は、大阪へ向けて出発した。 新幹線の席の二人掛けのところに真北、その後ろの窓際に真子、隣にまさちん。真子の後ろの席には、窓際にむかいん、通路側にくまはちが座っていた。 真子は、窓の外を流れていく景色を眺めていた。この日、先日見た富士山は、どんよりとした天気のせいで見えなかった。真子は、少し残念そうな顔をする。 「仕方ありませんね」 「うん。ふわぁ〜」 「少しお休みになられますか?」 「うん」 真子は、返事と同時に眠りについた。車内は少し肌寒かったので、まさちんは、自分の上着を脱ぎ、真子にそっと掛ける。そこへ、乗務員がやって来る。 「毛布、お持ちいたしましょうか?」 「いいえ、これで大丈夫です。ありがとうございます」 まさちんは、笑顔で応対していた。乗務員は、丁寧にお辞儀をして去っていった。真子は、すごく安心したような顔で眠っていた。まさちんは、やわらかな眼差しで真子を見つめる。その表情には、全く『やくざ』を感じ取れなかった。 新大阪駅のホームでは、先に大阪へ来ていたえいぞう健、そして、水木と松本が待っていた。真子達を丁重に出迎えていた。その雰囲気を、周りの乗客は、異様に感じているのか、ジロジロと見ながら、歩き去っていく。 「まさちん…」 「すみません…。徹底させるのを忘れておりました」 「ま、いいけどね。この状態だと、私より、まさちんか 真北さんが、思われてるね、偉い人に」 「そうですか?」 「うん。私は、その子供にしか見えないでしょ?」 「そうですね。この方が、よろしかったですか?」 「……じゃぁ、行こうか」 「はい」 真子は、えいぞう達に案内されながら、改札を出て、ロータリーで待たせてあった高級車に乗り込んだ。 高級車には、真子、まさちん、真北、水木が乗り、その後ろを走るえいぞうの運転する高級車には、健、松本が乗っていた。健は、少しふてくされていた。 「健、いつまでもふてくされるなよ」 「…組長と乗りたかったなぁ」 「ほんま、健は、組長大好きなんだな。話す時の目でわかるよ」 松本が言った。 「松本さん、こいつの前であんまりその話はしない方がよろしいですよ。 きりがないですから」 「兄貴、いっつもいっつも、言い過ぎや」 「ええやろ、別に。ほんまのことやし」 えいぞうたちの車は、二人のボケぶりに賑わっていた。それを知って知しらずか、真子は、車の窓から見える景色にうっとりとしている。 「大阪かぁ」 「組長、本当に、楽しい日々をお送り下さい」 「水木さん、ありがとう。桜姐さん、お元気ですか?」 「えぇ。組長がこちらで過ごす日を首を長くして待っておりましたよ」 「そだ。真北さん、住まいはまだでしょ?」 「いいえ。もう用意できてますよ。取り敢えず、今日はホテルに宿泊です。 そして、明日、家の方へ」 「荷物は?」 「今頃、運び込まれておりますよ」 「……その……学校は?」 「すみません。まだ、手続きは終わっておりません」 「そっか」 「夏休み明けには、通学できるように進めております」 「うん。なら、いいや。ほら、大阪に来たら、やらなきゃいけないこと多いでしょ? それが落ち着いてからの方がいいと思って…」 「それと、病院へは?」 「それもあと。だって、今のところ、別になんともないし、 それに…医者って嫌いだし……」 「わかりました…」 少し愚痴っぽく言う真子に、真北は、渋々承知する。 真子の乗った車は、宿泊先のホテルに入っていった。 「お疲れさまでした。今日はごゆっくりおくつろぎ下さい」 「ありがとう、水木さん」 「では」 水木は、去っていった。ホテルに用意された部屋は、VIPルーム。あまりの広さに、少し不安になった真子は、まさちんを呼んだ。 「まさちん」 まさちんは、真子に呼ばれてすぐに、やって来る。 「どうされました? 何が不都合でも?」 「ん? 違う。…えっと、真北さんは?」 「こちらに着いてから、すぐに出かけました」 「くまはちは?」 「松本さんと家のことで、出かけてます」 「……むかいんは?」 「一人で大阪の街を散歩しに行きました」 「…むかいんなら、一人で大丈夫だね。だけど、まさちんは、何してるの?」 「えっ? それは、その…私の仕事を…」 「自分の時間、作れってあれ程言ってるのに」 「ちゃんと、自分の時間は作っておりますよ」 まさちんは、少し微笑んでいた。真子は、まさちんの言っている事がわかっていなかったのか、首を傾げていた。 「それよりも、どこかへ出かけますか?」 「うん!!」 真子は、嬉しそうな顔をする。 真子とまさちんは、映画館の前に来ていた。 「う〜ん…」 「まさちん、どうしたの?」 「あっ、その、組長が楽しめる映画はないかなぁと…」 「楽しめる?」 「はい。恋愛は、まだ、早いでしょうし、戦争ものは…ね…。 やっぱり、これしかありませんね」 「これ?」 まさちんは、アクション映画を指さしていた。それは、日本でもすごく有名な香港のアクションスターの映画の最新作。 「まさちんのお薦めなら、それでいいよ」 「この方の映画は、笑いあり、涙あり、アクションあり、 もう、いろんな感情が備えられてます。ハラハラもあり、 ぐっと力も入る場面もあり、なんと言っても彼の笑顔! 素敵なんですよねぇ。女性だけでなく、私たち男でも…」 「まさちん」 「は、はい?」 「この恋愛っぽいのは、どんな内容?」 「これは、主人公の男女の恋愛物語ですよ。ほのぼのとした 雰囲気もあるんですが、内容は、あっさりとした感じですね。 まぁ、映像的に、すばらしいというのが売りですね」 「…こっちのは?」 「それは、本当に、迫力だけの映画です。激しい武器の攻防。 組長には、お薦めできません」 「……まさちん」 「はい?」 「…どうしてそんなに詳しいの? 」 「えっ?」 「……みんな聞いてるよ…」 周りを観ると、まさちんの話に耳を傾けている人だかりが出来ていた。その人たちは、暇な時間をどう過ごそうかと映画館の前に来たが、どの映画を観ようかなと悩んでいたところ、まさちんが映画について、軽く話しているのが気になり、耳を傾けていたのだった。 「あ、あらら??」 「ほな、兄ちゃんの言うとおり、アクションにしよか」 「私は、恋愛ものにしよっと」 人々は、それぞれ口にしながら、チケット売場に向かっていった。まさちんは、唖然としていた。そのまさちんを観ていた真子は、笑っていた。 「ほら、まさちん、行こうよ」 「は、はい……」 まさちんは、何故か照れてしまった。 そして、真子とまさちんは、アクション映画のチケットを購入し、映画館へ入っていった。 「ねぇ、まさちん」 「はい」 「もしかして、夜中に出かけていたのは、 映画を観に行っていたの?」 「…ご存じだったんですか、その、出かけていること…」 「そだよ」 「すみません…」 「いいんだよ、別に。まさちんの趣味なんだね、映画鑑賞」 「…あっ……」 「ふふふふ! まさちんの一面、また発見した!」 「組長……」 まさちんは言いたいことがあったが、敢えて、口にはしなかった。 真子と過ごしてきた時間は、とある事情で、真子の記憶からは消えている。 開演時間のブザーが鳴った。 館内の電気が暗くなり、そして、映画が始まった。 「荷物も入ったことやし。後は、人が入るだけやな」 「松本さん。本当にありがとうございました」 「こういうのは、私が得意とするものですから」 「それと、例の件も、宜しくお願い致します」 「…しかし、残念なことやな。先代、すごく楽しみにしておられたのにな」 「あぁ」 松本とくまはちが、真子達が住む家の前で話していた。 家は、あまり大きくはないが、一戸建てで、周りは、閑静な住宅街。 真子が通う予定の学校は、ここから歩いて十分のところ。それは、まだ、真子には内緒にしていた。そして、二人が話していた例の件とは、大阪の中心部に今建設中のビルの話。 阿山組の四代目・真子の父が、大阪への進出は、商業でと考えていた為、その準備をしていたのだった。しかし、着工式に出席したものの、ビルの完成を観ることなく、この世を去ってしまった。 この話も真子には、内緒にしている事。 真子に黙っていることが山ほどある。そうとは知らずに、真子は、まさちんと映画をたっぷり堪能し、映画館の前を歩いていた。 「組長…」 「あらら、こんなところで……」 そこでばったりと逢ったのは、一人で大阪の街を見学していたむかいんだった。 二人の姿に驚きながらも、むかいんには、予想できたこと。 まさちんは、真子が寂しそうにしていれば、必ず、どこかに遊びに出かけていた。それは、この大阪でも考えられることだった。 「まさちん、ここは、まだ安全とは限らないんだよ」 「大丈夫だよ。先日、水木さんに案内されて、安全だとわかったからな。 むかいんも思っただろ?」 「まぁね。からまれることもないし、それらしい人も居ない」 「…こんな時間から、歩き回ると思ってるの?」 「それは、ごもっともですね、組長」 「でしょう? だけど、…目立ってるかもね…」 「えっ?」 真子が送った目線の先には、阿山組系藤組の組員が三人立っていた。組員達は、自分たちと同じ雰囲気を醸し出すまさちんとむかいんが気になる様子。真子達の目線を感じたのか、組員達が近づいてきた。 「…あんたら、どこの組のもんや? 見かけん顔やのぉ」 「組だなんて…。私たちは、やくざじゃないんですから」 真子が明るく応えた。しかし、まさちんとむかいんは、戦闘態勢に入っていた。 「もぉ、やめなさい。ここは、街の中でしょぉ」 真子は、二人の襟首を掴んで、自分に引き寄せていた。 「すみません。この二人、喧嘩っ早くて…。すみません」 「ねぇちゃん、この二人によく聞かせておけよ。この街で、そんな格好で そんな目つきしとったら、阿山組系藤組が黙ってないぞって」 「はい…」 むかいんは、納まった様子だったが、まさちんは、まだ納まっていなかった。それを察した真子は、まさちんの腹部を肘鉄。 「うぐ……」 「こんなとこで…ほら、笑って、笑って……」 「しかし……」 「ったくぅ。あ、お兄さん達は、ここで何をされて…」 「ん? 巡回だよ。今は、平和な街だけどな、その昔は、俺達のような奴らが 縄張り争いして、大変だったんだよ。一般市民に迷惑を掛けないようにな、 こうして、廻ってるだけだよ。それに、一般市民に迷惑を掛けない…これは、 本家の五代目が仰ったのでね」 「だから、こうした目つきの悪い人が気になったんですね?」 「…ん? いや、その、俺達と同じ雰囲気を醸し出していたから、気になったんだよ。 悪かったな、おねぇちゃん。かわいい笑顔をするおねぇちゃんの連れが、 俺達と同じやくざなわけがないよな」 「はははは…」 真子は、乾いた笑いをしていた。 「おい、お前ら」 「親分!!」 「親分?!」 組員が突然発した言葉に、真子、まさちん、むかいんは、驚き、そして、声の聞こえた方へそっと目線を移す。そこには、藤と須藤、そして、須藤組の組員・よしのが歩いていた。藤は、自分の組員が一般市民かもしれない人を囲んでいることが気になって、近づいてきた。 「やばいです…。組長、藤さんは、俺の顔を知ってます」 「ほんと? …あれは、須藤さんじゃないのかなぁ」 まさちんと真子は、小声で話していた。 「何やってるんや」 「すみません、親分。こいつら、同業者と思って、呼び止めて…」 「同業者? どう見ても、一般……市民……なわけないやろ!!! 地島…、何してるんや」 「…藤さん、やっぱり、わかりますか?」 「わかるもなにも………!!!!!!! って、まさか!?!」 藤は、すぐにまさちんの正体が解った。そして、一緒にいる人物に目をやって、更に驚いてしまった。 「違いますぅ!!!!!」 まさちんは、藤が言う前に、叫び、 「では、失礼します!!!!」 真子とむかいんの腕を引っ張って、走り去ってしまった。 「あっ、こら、地島っ!!!」 藤は、走り去るまさちんの名前を叫んでいた。姿が見えなくなるまで、手をのばしたまま。 「藤、さっきの男は、地島やろ?」 須藤が尋ねる。 「あぁ」 「連れの二人は?」 「もう一人の男は、知らないけど、女の子は…五代目…だと思うんだけどなぁ」 「へっ? 五代目っ!?!」 真子達を呼び止めた組員が、突拍子もない声で言った。 「なんで五代目がここにおるんや。見間違いやろ」 「いいや、確か、今日、大阪入りしたやろ」 「しても、ホテルに……地島が居たってことは…。 確か、地島は、組長が寂しそうにしていたら、 外に遊びに連れてったんだよな。…ホテルに居ても…。 よしの、さっきの三人を追いかけろ!」 「おやっさん、追いかけろって言っても、わし、顔を観てまへんって」 「だったら、お前らも一緒に。顔覚えとるやろ! 急げ!」 「はっ」 組員達とよしのが真子達が走り去った方に向かって行った。 「追いかけてどないするんや」 「ボディーガードに決まっとるやろ」 「地島が居るんやったら、大丈夫やろ」 「…ん?……それもそっか」 「何焦ってるんや、須藤」 「いいや、そうでもあらへんぞ。俺らも追いかけな! 行くで、藤!」 「ったく……」 呆れた様子の藤は、須藤に付いて走っていった。 人混みをかき分けて、とあるビルの入り口までやって来たまさちんたち。 「はぁはぁはぁ…ばれてないよね」 「大丈夫でしょう」 「…どうして、まさちんは、…息があがってないの?」 「まさちんは、体力馬鹿ですから」 「むかいん、言って良いことと悪いことが……って、追いかけてきてますよ…」 「なんでぇ〜!?!」 真子は、先ほどの藤組組員の姿を観て、まさちんとむかいんの手を引っ張って走っていった。 「おった!」 組員達は、真子達を追いかけてくる。その組員の後ろから、藤と須藤も追いかけてきた。その姿を観た真子達は、逃げる…逃げる…逃げる……逃げ……。 「…なんで、私たち逃げてるん?」 「知りません!」 「ばれたら、やばいんじゃないんですかぁ!!」 「何がやばいの!」 「知りませんよぉ、そんなことぉ」 真子達は、百貨店に入っていった。そして、人混みをかき分け、ちょうど一階に着いたエレベータに乗り込んだ。そこへ、追いかけてきた藤と須藤達が、やって来たが、目の前でドアが閉まる。ボタンを押しても遅かった。エレベータは、上の階へ向かっていた。 「階段!」 側にあった階段を駆け上がっていく組員達。一つ上に上がるごとにエレベータを確認しようとするが、いいタイミングでドアが閉まる。そんなことを繰り返しながら、最上階まで到着した真子達は、そのままエレベータから下りず、下の階へ向かって下りていった。組員達は、上がりと同じように、下りも確認しながら……。そんなことを数回繰り返した真子達と藤組組員達。すでにヘトヘトになって座り込んでいる組員達に藤と須藤が近づいた。 「組長は?」 組員達は、エレベータを指さしていた。そこへいいタイミングでドアが開き、真子達が乗っているのを確認した須藤と藤は、急いで、そのエレベータに乗り込んだ。 「組長……何をなさっておられるんですか!!!」 エレベータの中には、須藤の怒鳴り声が響いていた。 「何度上り下りしたら気が済むんですか! あいつら、ヘトヘトになってますよ!!!」 「なんで追いかけてくるんですか!」 「それは…ボディーガードですよ」 「そんなのいらないです!」 「それでも我々にとっては……」 と、言い争っている時だった。 「いい加減にしてください!!あなた方は、他のお客様のことをお考えですか!!!!!」 エレベータガールが真子と須藤の言い合いに喝を入れた……。 「申し訳ございません!!!!!」 真子達、そして、須藤と藤は、エレベータ内の他の客に深々と頭を下げていた。 真子達の行き先は……その百貨店の応接室だった。 藤組とも親しい百貨店のオーナーが、一部始終を聞き、ここに通したのだった。 未だに息があがり、ヘトヘトの組員達とよしの。 その様子を見て、恐縮そうにしている真子。 全く反省の色を見せていないまさちんと何事もなかったような顔をしているむかいん。 そんな連中を目の前に、頭を抱えている藤。 なぜ、真子を追いかけたのか、未だに不思議に思っている須藤。それぞれが、それぞれの思いを抱いているところへ、真北がやって来た……。 それも、怒りの形相で……。 「…勝手に遊び回って……。そして、えらい迷惑を…!!」 真子達が宿泊しているホテルの一室で、真北が怒りの形相で立っている。その真北の前には、真子、そして、まさちんが項垂れて座っていた。 「あれ程、迷惑を掛けないようにと……」 「すみません…」 「大阪の街で、それも人混みのところで、鬼ごっこですか? 退屈しのぎに丁度よかったのではありませんか?」 真北は、怒っている……。 「すみませんでした……」 真北の前では、反省の色を現しているまさちん。反対に、真子は、反省の色を見せていない。 「組長、あれ程、ここから動かないようにと申し上げたのに…。 来ていきなりこれは…」 「…楽しかったよ!」 「組長ぉ〜〜っ!!!!」 真北は、これ以上何も言えなかった。そして、大きな、大きなため息を付いてしまった。 「オーナーが藤と懇意にしていたから、よかったものの、そうでなかったら、 警察沙汰ですよ。こちらでは、あまり、目立たないようにしていただかないと…」 「わかりました。真北さん、ごめんなさい」 真子は、真北のその言葉で初めて反省の色を現した。真北は、真子の言葉に安心した。 「明日は、新しく住む家に行く予定でしたが、中止です。 反省として、一日中、ここから出ては行けません」 「えぇぇぇ〜〜〜!!!」 「わかりましたね?」 「……はい…」 「まさちん、見張ってること」 「かしこまりました………」 その夜は、終始項垂れて、暗い様子の真子。そんな真子を観ているまさちんは、映画に誘ったことを悔やんでいた。 次の日、真子は、部屋に閉じこもったまま、窓の下に見える景色を眺めている。真子の後ろには、まさちんが立っていた。 「ねぇ、まさちん」 「はい」 「昨日の映画、楽しかったね」 真子が静かに語り出す。 「…まさちん、もっと他に、映画、観てるんだよね?」 「はい」 「話してくれる?」 そう言って振り返った真子の目は、爛々と輝いていた。それに応えるかのようにまさちんは、返事をする。 「かしこまりました!」 まさちんと真子は、ソファに座っていた。真子は、まさちんの話に耳を傾けていた。 まさちんは、いろんな映画の話をする。 ヒット作品、古い作品、最新作、あまり有名でないマイナーな作品まで、本当に映画評論家かと勘違いしてしまうほど、まさちんは、たくさんの映画を知っていた。 真子は、嬉しそうに楽しそうに、時には、涙を流しながら、まさちんの話を聞いていた。 そして、その日、真子にとってはすごく短く感じるほど、楽しい一日となったのだった。 空が夕焼けに真っ赤に染まった頃、話疲れたまさちんは、真子の部屋のソファで眠っていた。 真子は、タオルケットを優しくまさちんの体に掛け、ベッドに横たわった……。 「まさちん、ありがとぉ〜。楽しかったぁ」 真子は、笑ったまま眠ってしまった。 真子とまさちんの様子を見に帰ってきた真北は、寝入っている二人を観て、優しい眼差しをしていた。 真子に近づき、布団を掛け、そっと部屋を出ていった。 静かにドアが閉まる。 真子とまさちんは、同時に寝返りを打って、そのまま眠り続けていた。 真子、まさちん、真北、くまはち、藤の五人は、今、営業時間が終わった百貨店に来ていた。 「これにする」 真子は、ネコのプリントされたシャツを手にしてまさちんに言った。 「以上ですね?」 「まだだよ。もっと。だって、まさちんのお小遣いからでしょ? たっくさん買ってもらうんだから」 「…もう空っぽです…」 まさちんは、財布の中を見せていた。 「冗談だって! これ、お願いします」 「かしこまりました」 五人と行動をともにしていたのは、この百貨店のオーナーだった。昨日の一波乱で藤から真子のことを聞いたオーナーは、ゆっくりと安心して買い物できるようにと、百貨店の営業時間が終わった今、特別にご招待というように気を利かせていた。 「合計十七万六千円です」 「…買いすぎた?」 真子は、まさちんを上目遣いで見る。まさちんは、何も言わずに、お金を払っていた。それでも、財布の中には、札束がぎっしりと…。 「真子ちゃんは、ネコが好きなんだね!」 「はい。ネコが付いてるなら、何でも好きです」 「じゃぁ、これは、私からのプレゼント!」 「わぁっ!」 オーナーは、店内を廻っているとき、真子が常に気にしていたネコの時計を差し出した。真子は、オーナーから、プレゼントを受け取り、嬉しそうに眺めていた。まさちんは、たくさんの袋に入った商品を受け取り、ため息を付いていた。藤がオーナーにお礼を言った。 「オーナー、本当にお世話になりました」 「いえいえ、お世話になっているのは、私の方ですから。 藤さん、これからも、お買い物の際は、いつでもおっしゃってください。 お待ちしております」 真子達は、出口に向かって歩いていた。真子は、オーナーからもらった時計を両手で目の前に持ち、いつまでも嬉しそうに眺めながら、横を歩くまさちんに何か話していた。その真子達の様子を観ていた人物がいた。 「では、お気をつけて」 「ありがとうございました!」 真子は、満足顔で車に乗り、窓を開けて、オーナーに手を振っていた。車は去っていく。いつまでも見送るオーナーに声を掛けたのは、先ほど、真子達を観ていた人だった。 「オーナー!」 「ん? おぉ、ブティックのママさん」 「あの人達は?」 「あぁ。お世話になっている藤さんのお知り合いの方々ですよ」 「その中の女の子、どこかのお嬢様でしょ?」 「えっ?」 「だってほら、一番偉いって感じだったもの。どこのお嬢様? 私、あの子の服作りたいわぁ」 「…ママさん…、また病気が…」 「オーナー、ひどいわぁ、そんな言い方ぁ。で、どなた?」 「…阿山真子ちゃんだよ」 「真子ちゃん…。ふぅ〜ん。また、来るかしら?」 「これから、大阪で過ごすって言っていたから、また、来るでしょう」 「わかったわ! では、お疲れさまでした!」 「お疲れさま!」 ブティックのママは、嬉しそうに手を振って、去っていく。…オーナーは、少し呆れたような顔をしていた。 「まさちぃ〜ん」 「はい!」 まさちんは、真子の呼ぶ声に急いで真子の部屋に駆け込んで来る。 「なんでしょうか」 「ん? 明日は、起こさなくていいからね」 真子は、微笑んで何かを指さしていた。まさちんは、真子が指さすところを見て、納得したような顔で返事をする。 「かしこまりました」 「……何時だっけ?」 「……八時です」 「ありがと」 真子は、オーナーにもらったネコの時計を手にして、目覚ましをセットした。 「では、お休みなさいませ」 「お休み!」 まさちんは、真子の部屋を出ていった。そして…… 「組長! 起きて下さい! 八時過ぎてますよ!!」 まさちんは、真子の部屋に入ってきた。真子は、ネコの時計に手を伸ばした格好で眠っていた。まさちんは、真子の手から時計をそっと取り、時計の裏を見る。 「だから、目覚ましは、私でないと駄目なんですよ…」 目覚ましのスイッチは、オフになっていた。 「組長、組長、起きて下さい!起きて下さぁぁぁい!!」 「はい!! ふにゃぁ〜」 「あぁぁぁ組長!!!」 真子は、まさちんの声で慌てて起きあがったが、急に起きたので、足下がふらついて、ベッドから落ちてしまった。そんな真子を慌てて支えるまさちんに、真子は微笑んでいた。 …これは、目覚めの悪い真子に毎朝見られる光景なのだが…。 (2005.6.24 第一部 第十話 UP) Next story (第一部 第十一話) |