第十八話 秘密にしたい親心 「どうや?」 真子は、病室を見渡していた。そして、目の前の顔を見て、笑った。 「…なんで笑うんや?」 「ご、ごめんなさい…。つい…」 「つい…って、あのなぁ、真子ちゃん…」 「へっへっへ。ちゃんと見えるよ! まさちんに、真北さんに、 むかいん、そして、くまはち…」 「…わしは?」 「……見えてない…なぁんてね!…ふにゃぁ〜」 「そんなこと言うんは、この口かぁ〜!」 「ごみんなさぁぁい」 橋は、真子のほっぺをつまみ上げる。 「橋先生、何をするんですかぁ」 まさちんが、橋の腕を掴んで、阻止していた。 「たまには、わしにもさせろよぉ。まさちんばっかりずるいやろぉ」 「駄目です!!」 珍しく、橋とまさちんがじゃれ合っていた。真北は、少し寂しそうな顔で二人の様子を見ている。むかいんは、真子と一緒に笑い転げていた。 一方で、くまはちは、暗い表情をしていた。いつもなら、こんな場合でも少しは笑うはずなのに、くまはちは、ただ、真子達の様子を見つめているだけだった。真子は、そんなくまはちのことが少し、気になっていた。 退院の日、まさちんが迎えに来た。二人は、楽しそうに帰路に就く。 自分の正体を知っても、今まで通り話しかけてくれたクラスメートと逢う日を楽しみにしているのか、真子は、すごく嬉しそうな顔をしていた。運転しているまさちんに、いつも以上に話しかける真子。何やらニヤニヤしているまさちん。 「…まさちん、何か、ニヤニヤしてるけど…」 「そうですか? いつもと変わらないと思いますが…」 「そうかなぁ」 「組長の方が、ニヤニヤしてるようですが」 「だって、嬉しいんだもん」 真子は、とびっきりの笑顔をまさちんに向けていた。まさちんは、ルームミラー越しに真子を見つめる。 真子は、これからの日々を色々と想像しながら、流れる景色を眺めていた。 自宅に戻った真子。嬉しそうに車から降りていく。そんな真子を待ちかまえている事態は一体!?!? リビングのソファに腰を掛け、オレンジジュースを飲んでいる真子。少し寂しそうな顔をしていた。そんな真子にお風呂から上がってきた真北が話しかける。 「楽しかったですね」 「うん。嬉しかった。まさか、パーティーが待っていたとは 知らなかったもん。驚いちゃった! まさちんがにやけていたのは、 このことだったんだ。誰が言い出しっぺ?」 「健ですね」 「やっぱしぃ」 「健が案を出して、すぐにOKが出たんですよ。みんな、乗り気でしたから」 「いつ決まったの?」 「組長が、大阪に戻って来た日ですよ」 「そうなんだ。…みんなに心配掛けてたんですね。 悪いことしちゃったなぁ、私。これからは、みんなに 心配を掛けないように気を付けるからね、真北さん」 「お願いします。私もこれ以上、殴られたくありませんから」 「…ひどぉ」 「しかし、あの一発は、効きましたよぉ。ぺんこうも くまはちも驚いてましたから」 「だからぁ、覚えてないって」 「ま、兎に角、これからは、目一杯楽しんで下さいね」 「うん!」 真子は、とびっきりの笑顔を真北に向けていた。 「いってきまぁ〜す!!」 元気な声が聞こえてきた。真子は、制服姿で家を飛び出して駅に向かっていく。近所の公園のところで野崎と待ち合わせをした真子は、はしゃぎながら電車に乗った。 まるで、学校へ行くのが楽しいかのように。 他の生徒は、夏休みが終わって、嫌な二学期が始まったと思いながら、元気なく登校していた。その中で、真子と野崎は、一段と目立っていた。 久しぶりの学校。真子は、すごく新鮮な気持ちだった。自分が『阿山真子』だと知ったにもかかわらず、クラスメイトは、今までと変わらない態度で真子と接していた。 放課後、真子は、とある場所に向かっていた。例の体育倉庫だった。 『立入禁止』 扉に張り紙があった。扉の取っ手には、乾いているが、血がどす黒く付いていた。それは、必死に扉を開けようとしたぺんこうの血だった。真子は、じっとそれを見つめていた。 「もうすぐ取り壊されますよ」 ぺんこうだった。優しい微笑みで真子を見つめる。 「びっくりしたぁ」 「組長、覚えていないと言うのは、嘘ですね」 「そう言った方が、いいと思ったから」 「あいつら、まだ、病院にいるそうですよ」 「そう」 真子は、あの日を思い出していた。 「組長、本当に、申し訳ございませんでした」 「ぺんこう…。それは、言わない約束だよ」 真子は、ぺんこうの言葉を遮るように言った。 「ところで、組長、何か、変わったことは?」 「変わった事って?」 「その、……」 「ぺんこう、大丈夫だからね。心配しなくていいよ。 能力も、本能も、コントロールできるから」 「えっ?」 「忘れてるでしょ? この能力、心も読めるって」 「あっ、は、はい。だけど、組長」 「本能は、操れないって? そうだよね。だけどね、 大丈夫な気がするよ。あの時だって……」 真子は、両手を見つめていた。脳裏には、あの日の恐ろしいまでのもう一人の自分がよぎっていた。しかし、真子は、それをうち消すかのように手を叩いた。 「あかんあかんっ! 辛気くさいやんか」 「組長、その言葉、変です」 「やっぱり、まだ、関西弁は無理か。はははっ!」 「……これからは、もっと自覚します。安心して下さい」 「ぺんこう……、ありがとう。私も、気をつけるからね」 二人は、さらに深くて強い絆に結ばれた気がしていた。 AYビル・まさちんの事務室。 まさちんは、郵便物を眺めていた。それは、芝山からの手紙だった。 『同窓会開催のお知らせ』 まさちんは悩んでいた。 今更同窓会に出ても、自分のことは覚えてないだろう。 そう思うと、折角の芝山からの手紙でも、嬉しくなかった。しかし、その通知と一緒に入っていたもう一枚の手紙を読んで、考えが変わった。 『少しでも悩んだら、参加に丸をつけろよな!』 手紙には、そう書いていた。まさちんは、苦笑いをしながら、返信用のはがきの参加に丸をつけ、そして、一言書き足した。 『よろしく!』 ビルの仕事を終え、真子と帰路に就いている時だった。真子が、突然思い出したように、言った。 「ほらぁ、参加するんだろぉ?」 「覚えてらしたんですか? …しませんよ」 「えっ? なんで?? 折角、芝山さんが誘ってるのにぃ。 それに、初めてなんだろぉ。言ったでしょぉ。たまには、私から離れて、 まさちんの好きな事しろってぇ〜」 真子は、少し怒り気味だった。そして、運転席と助手席の間から顔を出し、まさちんの顔を覗き込んだ。そんな真子の目の前に、葉書を差し出すまさちん。 「嘘ですよ!!」 「だましたなぁ〜!!!」 「組長のお言葉に甘えさせていただきます」 「うんうん。それでいいよ! えっと、十一月三日かぁ」 真子は、座り直して、スケジュール帳を出し、十月と十一月の場所を眺めていた。 「よっしゃぁ、十月二十七日から、十一月十日までの二週間、まさちんは、休暇っと」 「ちょ、ちょっと組長?」 「何?」 スケジュール帳に何かを書き込んでいる真子が顔を上げる。ルームミラーを観るとまさちんがこっちを観ていた。 「勝手に休みにしないでくださいよ」 「…組長命令」 「またぁ〜」 「…組長命令だって」 「………わかりました…」 組長命令に逆らえないまさちん。 「この際、のんびりしておいでよ。…その…お墓参りもね!」 「組長、ありがとうございます」 「うふふ、親孝行、親孝行!」 「はい」 まさちんの目は、少し潤んでいた。スケジュール帳を閉じた真子は、なぜか、嬉しそうに笑みを浮かべた。 「…心配です」 まさちんが突然呟く。 「だから、大丈夫だって」 「いえ、その……家に帰るのは、十年ぶりなので…」 「…そうなん? あららぁ。迷いそうなの?」 「は、はい…」 「…芝山さんに連絡しときぃ〜。…心配だなぁ、もう」 「すみません……」 恐縮そうにしているまさちんに対して、真子は、微笑んでいた。 車は、家の近くの公園の前を通っていった。 二年F組の教室。 現在、休み時間。生徒達は、ふざけ合っていた。中には、予習をしているものも居る。真子は、目を押さえてじっと座っていた。そして、目を開けた。両手を見つめていた。真子の眉間にしわが寄った。再び、目を押さえてじっとしていた。教室に戻ってきた野崎が、そんな真子の奇怪な行動に疑問を抱く。 「真北さん、しんどいんか?」 「ん? そんなこと、ないけど…」 真子は、目を押さえたまま、野崎に返事をした。野崎は、真子の両手を掴み、そして、顔から放した。 「…これ、何本?」 「…三本だよ」 「うん、正解」 「何、突然」 「ん? 別にぃ〜。なぁ、帰りどっか寄る?」 「まだ、駄目」 「そうなんや。残念やなぁ」 「仕方ないよ」 「そうやね」 「うん」 真子は、寂しそうな顔をする。 授業中、野崎は、先程の真子の様子が気になり、時々様子を伺っていた。真子は、休み時間に行っていた奇怪な行動を時々していた。 昼休み。 野崎は、職員室のドアを開け、中の様子を伺っていた。ぺんこうは、弁当を食べ終わって、のんびりとしている。そして、何かを思いだしたのか、机の中から何かを取り出し、真剣な眼差しで書き始めた。その姿は、『教師』には見えなかった。恐らく、真子関係のことだろう。そんなぺんこうは、目線を感じ、顔を上げた。そして、野崎と目が合った。 「野崎」 ぺんこうの顔が、『教師』に変わった。 「…山本先生…相談したいことが…」 「ん? うん」 いつもにない野崎の深刻な顔。ぺんこうは、一体どんな悩み事を…と心から心配していた。 「実は、真北さんの事なんですけど…」 「…何か?」 「目…治ってないんとちゃうかなぁって」 「目? 治ったから、橋先生の許可をもらって、退院したはずなんだけど…」 「目をね、時々押さえてる。そして、両手を見つめてから、また、目を押さえるんや…。 その行動がね、目が見えているのかを確認するような感じやねん」 「そうか…。あいつからは、何も聞いてないんやけどなぁ。わかった。野崎。 ありがとうな。気を付けるよ。もしかしたら、組長の……真北のことだから、 何か遭っても、他のみんなに心配掛けないようにと思ってるんだろうなぁ。 …ったくぅ、結局心配掛けてるのになぁ」 「それが、真北さんだけどね!」 「困ったもんだよぉ。…やっぱし、俺の教え方、まずかったかな」 「良すぎなんとちゃうんですか?」 野崎は、明るく言った。ぺんこうは野崎らしさが戻って安心したのか、優しく微笑んでいた。 「俺の腕は、ピカイチや!」 「それは、言い過ぎや!」 そして、チャイムが鳴った。 「あぁぁぁ!! 次、体育やん! 着替えてへん!! 先生、遅刻するからぁ〜!!」 「減点な」 「…先生ぃ〜」 「そう言っとらんと、はよ着替えに行け!」 「はぁい!!!」 元気に返事をしながら、野崎は職員室を出ていった。ぺんこうは、優しい眼差しで野崎を見送っていた。 体育館に真子のクラスの女子と二年E組の女子が集まって、授業の準備をしていた。授業内容は、平均台。みんなで協力して、倉庫の中から平均台を出し、マットを出し……。 ぺんこうが、五分遅れて体育館へ入ってきた。 「集合!!」 生徒達は、整列した。 「あ、俺。政樹」 『おぉ。通知の返事届いたよ。嬉しいなぁ』 「俺もだよ。芝山の言うとおり、組長に怒られた」 『だと思ったよ。真子ちゃん、お前の事になると、すんごく世話やくからなぁ』 「なんや、その言い方はぁ」 『悪い、悪い。で、何か?』 「実はな……当日、駅まで迎えに来てくれないか?」 『はぁ??』 「その…なんだな…ほら、…俺……」 『わかってるって。迎えに行くつもりだからさ。久しぶりの街に、家だもんな。 ………迷うだろ?』 「ま、まぁな」 『電車の時間とか、詳しいこと解ったら連絡くれよ』 「あぁ。よろしくな」 まさちんは、照れくさそうに電話を切った。そして、組の仕事を始めた。 「危ないっ!」 大きな声が体育館に響き渡った。その声で生徒達に指導していたぺんこうが振り返った。なんと、真子が平均台の上から足を滑らせたのか、下に落ちていた。ぺんこうが、慌てて駆け寄る。 「真北! 大丈夫か?」 「すみません、足滑りました」 真子は、腰をさすりながら、ぺんこうに平静を装って話していた。 「頭、打ってないか? 腰だけか?」 「大丈夫です」 「少し、休んでおけ」 「はぁい」 真子は、立ち上がり、壁に向かって歩いていった。ぺんこうは真子の不自然な歩き方に疑問を抱く。真子の目が見えていないことに気が付いた、ぺんこうは、。壁に到着して、座り込む真子に近づき、静かに尋ねた。 「組長、目が見えていないのでは?」 「ん? そんなことないよ。大丈夫だって」 「うそはだめですよ、わかっています。いつからですか? まさちんに心配かけたくないのはわかりますが、それでは、余計に……」 「すぐ治るから、ほら、仕事仕事」 「まさちんに連絡します」 「大丈夫だって。ほら、戻った!」 「だめです!」 ぺんこうの声が体育館に響く。生徒達が驚いて真子達の方を振り向いた。 「座っている時なら、ともかく、歩いている時や体育の 授業の時に見えなくなるのは危険です。現に、今、 平均台上で見えなくなったのでしょう? だから、脚を滑らせて……」 「ぺんこう、声、でかいよ」 ぺんこうは、真子の言葉で我に返った。そして、何かの目線を感じ、その方を振り返る。 「練習する!!」 生徒達の視線だった。E組の生徒は、真子とぺんこうの不思議な関係に疑問を抱いていた。それは、事件が起こる前から。しかし、真子のクラスの女子は、二人の関係を知っているため、半ば、わくわくしながら様子を伺っていたのだった。 組長が組員に怒られている?? しかし、ここにいるのは、教師・山本。その声で、生徒達は、再び練習を始めた。 「とにかく、今日は、これで帰って下さい。そして、病院へ行くこと。 まさちんに連絡します。いいですね、組長」 「真北だって」 「……それで、今は、見えていますか?」 「……見えてないよ……」 真子の返事は暗かった。ぺんこうは大きなため息をついて、腰に手を当てた。ぺんこうの怒りを肌で感じた真子は、項垂れて、呟いた。 「まさちんを、呼んでちょうだい。病院行くよ」 六時間目。 すっかり目が見えている真子は、授業を真剣に聞いていた。 電話が鳴った。 まさちんが受話器を取り、応対した…途端…表情が暗くなった。 「…なんだよ」 『なんだよって、なんだよ!』 「なんだよって、なんだよって、なんだよ!!」 『…って、永遠に続けるつもりか?』 「もっと続けるつもりや。…組長に何か遭ったのか?」 『直ぐに迎えに来い!』 電話の相手はぺんこうだった。そのぺんこうは、そう言った途端、直ぐに電話を切った。切れた電話を見つめるまさちんは、怒りを露わにしていた。 「なんやねん、それだけ言って切るなよなぁ」 口調は暢気だったが、それとは全く反対に、まさちんの行動は、素早かった。急いでAYビルを出ていった。 寝屋里高校職員室へ向かって足音が近づいてきた。ドアが開く。そこには、まさちんが立っていた。少し息を切らしているまさちんの姿を見た途端、ぺんこうが駆け寄り、まさちんの腕を引っ張りながらどこかへ向かって急ぎ足で歩いていった。 「う、うわっ、なんや?!」 「なぜ、気が付いてないんだよ。見えなくなることが 何回かあると言うじゃないかよ!」 「いきなり何かと思ったら…組長、目が見えなくなっているのか?」 「見えたり、見えなかったりだそうだよ」 「すまん…だけどな、ずっと付きっきりって無理だろ」 「ったく!」 「なんで、カリカリしてんだよ!!」 確かに、ぺんこうは、いつになくイライラしている。 「組長は平気だと言ってるけど、検査してもらえよ。 だけどなぁ、なんでいつもその服で来るんだよ!!」 「うるさいなぁ、急いでいたんだから。着替える時間もだな、無駄だと 思ったんだよ、イライラするなよ」 「…お前を見てると、イライラするよ!」 「うるさいなぁ、放せって!」 そう言うまさちんをぺんこうは、睨んでいた。 そして、二年F組の教室の前にやって来る。廊下に居る二人に気が付いた真子は、教科書とノート、筆記用具を鞄になおし、そして、立ち上がった。 「先生、すいません」 「いいのよ、真北さん。お大事に」 「失礼します」 真子は、深々と頭を下げて、教室を出ていった。 廊下に出た真子に気付き、まさちんは、真子の鞄を手に取った。真子は、それが当たり前のような仕草でまさちんに渡す。そして、ぺんこうとまさちんの間に挟まれる形で廊下を歩いていった。 「組長、内緒にするのはよくないですよ」 「まさちんに心配を掛けないようにと思って何も言わないから、 余計にまさちんに心配を…」 まさちんとぺんこうの声が廊下に響いていた。 「二人ともぉ、声がでかいって…授業中だよ」 「…すみません。……ん??…お前ら、授業中だろ!」 「きゃぁっ!!」 「ったくぅ、あいつらはぁ」 ぺんこうは、何かの目線に気が付き、振り返ると、真子のクラスの窓から複数の顔が出ていた。まるで、真子達を観察しているように。ぺんこうの怒鳴り声に生徒達は、顔を引っ込めた。少し怒った顔のぺんこうに、真子は楽しそうに言った。 「だって、阿山トリオの漫才を楽しみにしてたもん」 「なんですか、それ」 「そういうこと。みんなに聞いてみたら?」 「何を楽しんでおられるんですか? これから、橋先生に こってりしぼられると言うのに…」 「…そうでした…はふぅ〜」 落ち込む真子を見たぺんこうは、何故か勝利に満ちた顔になる。そんなぺんこうに肘鉄を喰らわすまさちん。そのまさちんに仕返しとばかりに、蹴りを入れるぺんこう。二人の小競り合いが始まった。真子は、そんな二人を見て、頭を抱えていた。 「ったくぅ〜」 真子は、右手でまさちん、左手でぺんこうの襟首を掴んで、まさちんの車まで歩いてきた。そして、手を離し、素早く二人の鳩尾に肘鉄! 腹部を押さえるぺんこうは、 「と、兎に角、しっかりと検査してもらってください」 「はぁい、先生。では、失礼します」 「お気をつけて」 真子に肘鉄をもらった場所をさすりながら、運転席に座るまさちんは、真子が乗ったのを確認して、ぺんこうに軽く合図をし、発車させた。 その車をぺんこうは、心配そうに見送っていた。 「結局心配掛けちゃったね。ごめん」 真子が静かに言った。 「…組長、素直ですね」 「うん…」 そう言ったっきり、真子は、何も言わなくなる。再び、目が見えなくなっていたのだった。 橋総合病院・橋の事務室では、橋が深刻な表情でカルテに何かを書き込み、そして、真子に振り返った。 「検査は、週一回な」 「…えぇぇぇぇ〜〜〜ぇ!!!」 真子の抗議にも近い声が、事務室に響き渡る。 「原因は、もっと調べてみなわからんけど、兎に角、目に良くないことや、 疲れやすいことは、避けること。そして、何か遭った時は、直ぐに知らせること。 わかったか?」 「はぁぁい」 「返事は、短く!」 「はいっ!」 真子の返事は、短く元気良かった。 帰りの車の中。真子は、いつになく、静かにしていた。気になるまさちんが、 「組長、ほんとに、これからは隠さずに…」 「まさちん…」 「はい」 「ごめん…」 「組長?」 「…もしさぁ、本当に失明したら、どうしよう…」 真子は、すごく真剣な眼差しでまさちんに言う。 「大丈夫ですよ」 「…うん…。でも、もし、そうなったらの事を考えて これから、行動しなきゃ、駄目だよね…」 真子は、これからのことを考えていた様子。 「そうですね…。わかりました。組長、その考えに、 私は、全力を尽くして協力させていただきますよ」 「ま、まさちん…」 何とも言えない表情になる真子を観て、まさちんは、優しく微笑んだ。 「なんて顔をしてるんですか! いつものように、笑ってください。 組長、笑顔、笑顔!」 「…ありがと、まさちん」 真子は、まさちんの言葉が嬉しかったのか、さりげなくそっぽを向いた。 涙目をまさちんに知られたくなかったのだった。 そんな真子の気持ちがわかっていたまさちんは、敢えて、ルームミラーで真子を見なかった。 真子は、登下校、再び送迎。時々、くまはちも真子を送迎していた。それは、まさちんの休暇に備えての事だった。 「えっ? …そうだったんだ…」 「はい…」 くまはちの車で送迎の時に、真子は、くまはちから驚くことを聞かされた。 「…あまりにも強烈な拳でしたので、…私、組長のボディーガードに 自信がなくなってしまいました…」 「それで、最近、元気なかったんだ。…にしては、前以上に筋肉質な体になってない??」 「鍛えてますから」 「へぇ〜。ほんとだぁ」 真子は、運転中のくまはちの腕をつついていた。 「く、組長?!?!」 「でも、まだまだだね!」 「…はい。もっともっと鍛えますよ。それと、組長」 「なぁに?」 「…まさちんからも注意されていたんですけど、…その…。 運転中に、運転手に手を出さないで下さい。危険です」 「…わかってるって、それくらいぃ〜。そんなことにも めげない運転してもらいたいんだもん」 「難しいですって…」 「そう?」 「っっって! 駄目ですよ!!! 目をふさいじゃぁ!!」 「ふふふふ!」 真子は、悪戯っ子の目をして、くまはちの目の前に手を持ってきていた。くまはちは、真子の手を掴み、それを阻止。そして、素早く真子の手から自分の手を離した。その不思議な行動に、真子は首を傾げていた。 そして、車は、寝屋里高校の近くに着いた。その途端、くまはちの車に向かって女生徒が何人か走り寄った。 「ったく、あいつらはぁ〜。アイドルと勘違いしてるんとちゃうかぁ〜!!」 校門のところで、そう呟いて、女生徒を追いかけるのはぺんこうだった。 「真北先輩、これ!!!」 「くまはちさん、受け取ってください!!!」 「は、はぁ…」 「ありがとう…」 女生徒は、真子とくまはちにプレゼントを渡した途端、ぺんこうに捕まらないように素早く学校へ走っていく。 「こらぁ!!」 「べぇ〜!!」 「ったく…。すみません、組長。今日も阻止できませんでした」 「大丈夫でしょ。動いてる車に駆け寄らなくなったから」 「…そうでなくて……。くまはち、何をもらった?」 「さ、さぁ。…どうして、…お、俺にまで??」 驚いているくまはち。 「まさちんだけでなく、お前も人気があるんだよ」 「……そうか……」 くまはちは、少し嬉しそうな顔をして、プレゼントを懐になおした。 「嬉しそうやん」 真子は、くまはちをからかう。くまはちは、照れたような顔で真子から目を反らした。 「ほな、行って来ます! くまはち、ありがと。それと……」 真子は、くまはちに耳打ちした。くまはちは、笑いを堪えたような顔をして、そして、車を発車させた。見送る真子とぺんこう。 「何を耳打ちしたんですか?」 「ん? 内緒」 「内緒ですか」 「うん」 真子は、ぺんこうに微笑み、そして、楽しそうに話しながらぺんこうと学校へ向かって歩いていった。 その二人を見つめる目があった。それは、あまりにも怪しげな目線だった。 くまはちは、先程の真子の言葉を思い出しながら、運転をしていた。 『ふてくされてたら、更に強烈なものをお見舞いするよ!』 「ったく、組長は…!」 ニヤニヤしながら、運転するくまはちだった。 あの日、真子から拳をもらい、自分のひ弱さに卑屈になっていたくまはち。真子の言葉が、そんな自分を吹き飛ばしたような表情をしていた。それは、更に強烈な拳をもらいたいのか、そうでないのか…。 真子は、歩くたびに、何かの数を数えていた。そして、その数を頭の中にたたき込んでいく。 試験勉強中の真子。リビングでくつろいでいるまさちんとくまはち。チャンネル争いをしているようだった。そんな二人を全く気にしていないむかいんは、食卓で何やら考え中だった。 「俺は、これが、観たいんや!」 「そんなもん、おもろくないやろ! これがええねん!」 「…ったく、くまはちぃ、最近元気になったなぁ」 「うるさいなぁ」 そう言い争う二人は、言うたびにチャンネルを替えていた。 「……少しは、静かにしろよ!!」 「す、すみません……」 いきなり怒鳴ったのは、むかいんだった。珍しく苛立っているようなむかいんの言葉に、まさちんとくまはちは、黙りこくってしまった。そんな二人に、つかつかと歩み寄るむかいん。そして、リモコンを手に取り、チャンネルを替えた。 『……大さじ3杯、塩、こしょう、少々……』 「…むかいん?」 「何を急に……」 「たまには、違うのも観た方がええやろ?」 『…ゆるさねぇ〜』 『…経済的には、その辺りを……』 『弱火でコトコトと……』 『…うわぁ〜っ!!!』 むかいん、くまはち、まさちん、それぞれが観たい番組にチャンネルを替えていた。テレビは、忙しく、それぞれの番組を映し出す。 フツッ………。 「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 争いに根を上げたのはテレビの方だった。 「やばぁ〜」 そう言って、三人は、テレビに近寄った。 「ただいまぁ〜」 夜十一時を廻った頃、真北が帰宅。リビングに入ると、男三人がテレビを囲んで何やら四苦八苦していた。 「何してんだよ」 「あっ……お帰りなさい…」 むかいんが言った。 「ちょっと争っていたら……」 「何が起こったのか…わからなくて…」 くまはち、まさちんがそれぞれ、恐縮そうに言った。 「で?」 真北は、呆れたような顔でテレビを指さし、そして、項垂れた。 真北が工具を持って、テレビの裏を開け、色々と触っている。 「ったく、お前らはぁ〜」 「すみません……」 「あぁ、真北さん、お帰りぃ〜。待ってたんやけど…って何か遭ったの??」 「チャンネル争いに、テレビが負けたようです」 「ったくぅ〜」 真子は呆れたように微笑んだ。真北は、テレビの裏を閉じ、そして、スイッチを付けた。 テレビは安心したように番組を映し出す。 「組長、何か?」 「…真北さんって、ほんと、凄いね…。テレビも修理するんだ。 って感心してる場合じゃないね。…教えて欲しいとこがあるんだけど…」 「わかりました。着替えたら直ぐに行きます。…お前ら、もう、争うなよ……。 じゃんけんで決めろ」 「…はぁ」 真北はとあるチャンネルを押し、真子とリビングを出ていった。 リビングは、気まずい雰囲気に包まれていた。 テレビは、お笑い系の番組を映しだしていた。 「ここはですね……」 「なるほどぉ。そっか。…簡単に考えればええんや。難しく考えてた。ほほぉ」 真子は、スラスラと回答。それは、真子が苦手とする数学だった。 「こんなのが、中間テストに出題されるんですか?」 「さぁ。習ったとこ、全部やったから、違う問題を見つけて解いてみただけ…」 真子の言葉に、真北はずっこけた。 「だって、あの先生どんな問題を出すか検討つかへんもん」 「そうですね。高校入試に高校一年生で習うとこの問題を 出すような先生ですからね」 「でしょ?」 「では、基本は大丈夫ということは、満点ということですね?」 「はぁ??」 「満点を期待しても大丈夫ですよね? 組長!」 「えっ、そ、その…」 真北は、少しだけ、凄みを利かせて、真子に微笑んでいた。 そして、真子の高校では、二学期の中間テストが始まった……。 ぺんこうは、授業を終えて、問題について質問をしてきた生徒達と廊下で話し込んでいた。 丁寧に解りやすく教えるぺんこうの視野に廊下をゆっくりと歩いていく生徒が見えた。 真北?! それは、真子だった。真子は、ゆっくりと廊下を歩き、職員室に向かっていく。真子が向かう先に気付いたぺんこうは、生徒との会話を中断して、職員室に向かっていった。 真子は、ドアの所に突っ立ったまま、中へ入ろうとしない。真子は諦めたように振り返った。 「どうしました、真北さん」 「……ぺんこう……」 そう呟いた途端、ぺんこうの腕を掴んできた。 組長? 真子の手の震えに気付いたぺんこう。 「まさか、目が見えなくなったんですか?」 真子がそっと頷く。 「兎に角、こちらに」 相談を装う感じで、さりげなく真子の肩に手を置き、生活指導室へと入っていった。 「組長、見えますか?」 真子は首を横に振る。 「病院に行きましょう。私が…」 「駄目」 「組長?」 ぺんこうの言葉を阻止するかのように大きな声で言った真子に驚く。 「何か遭った場合は、すぐに連絡するようにと言われてるんですよ? それは、組長も承諾したはずです」 「今まで、この時のために、歩数を数えていた。どこからどこまでが何歩だ…って。 もしもの事を考えて…。…それに、まさちんが同窓会に行くまで、誰にも 言わないで欲しいの。……まさちんの楽しみを…壊したくない…」 お気持ちは解りますが…。 「だから、お願いっ! ぺんこうっ!!」 真子の目は潤んでいる。そして、見えていないのに、ぺんこうに向ける眼差しは、真剣そのものだった。 「組長…」 「まさちんの休暇、明後日からなの…。だから……」 「真北さんには、どう伝えるんですか?」 「真北さんにも、内緒。ぺんこうだけ…」 「…知りませんよ、真北さんに怒られても」 「…わかってる。わかってるよ…。だから、明後日、まさちんを見送った後、 病院に行くから…。それまで、普通に…」 「…わかりました。兎に角、気を付けて下さいね。それと、 怪我しないように、注意して歩いて下さい」 「……ありがとう、ぺんこう」 真子は、嬉しそうに微笑んでいた。ぺんこうは、困った顔をしていた。 その顔は真子には気づかれていなかったが……。 そして、その日、何事もなかったような様子で真子は、迎えに来たまさちんの車に乗り、帰っていった。ぺんこうは、見送りながらも、真子のことを黙っていていいのか、悩んでいた。 なんだか、なぁ〜。 (2005.11.18 第二部 第十八話 UP) Next story (第二部 第十九話) |