第二十九話 真子の願いは、いくつ? 天地山ホテルの窓から見る景色は、いつもと変わらず、すごく美しい。真子の持つ鉛筆は、動きが停まっていた。窓際にあるテーブルで勉強中の真子は、突然立ち上がり、着替えを始めた。 スキーウェアに身を包んだ真子は、こっそりと部屋を出ていく。そして、受付で、スキー用具を受け取り、ゲレンデに向かっていった。真子が部屋を抜け出した事に気が付いたまさちんが真子を追いかけて来たが、既に遅かった。 「真子ちゃんなら、…ゲレンデに…」 みどりが気まずそうに、まさちんに言った。 「ったくぅ〜。約束をぉ〜!!」 受験生の真子が天地山に来る為の約束は、『勉強だけ。滑らない』だった。にも関わらず、真子は、ゲレンデで楽しんでいた。同じようにウェアに着替えて、ゲレンデ中、真子を追いかけるまさちん。真子は、逃げ回っていた。そんな二人をまさは、事務所の窓から眺めていた。 「お嬢様にそんな約束は、無理だと言ったのになぁ」 まさは、微笑んでいた。 「オール5ですか。お嬢様すごいですね」 「そうでないと、真北さんに怒られるもん」 真子は、まさの事務所でくつろいでいた。まさは、仕事の時間を割いてまで、真子と話し込んでいる。 「真北さんが怒ると、誰もが黙りますから」 「噂は聞いたことあるけど、実際は見たことないよぉ。ほんとに…すごいの?」 「言葉では言い表せませんよ。あの怖さは尋常ではありません……」 「まささんが恐れるくらいということは、相当だぁ」 真北は、大阪で滅茶苦茶大きなくしゃみをしていた。 「お嬢様…その基準は…??」 「ん? 別に…」 「冬休みが終われば、いよいよですね」 「うん。実はね、合格したら、言いたいことがあるんだ」 「どんな事ですか?」 「っへっへぇん。…みんなには、まだ言ってないけど、 まささんには、教えてあげる! それはね…」 真子は、照れながら、まさに耳打ちした。まさは、驚いた表情をする。 「大丈夫ですか?」 「…わからないけど…。言ってみるつもり」 「応援してます」 まさは、微笑んでいた。真子も微笑んだ。 「ありがと」 和やかな雰囲気の中、突然、事務所のドアが開き、まさちんが飛び込んできた。 「組長、こちらでしたかぁ〜。捜しましたよぉ」 「もう見つかったぁ」 「ったく、まさは、仕事中ですよ」 「俺が良いと言ったんだよ」 「…組長を甘やかさないでください! 行きますよ!」 「あぁぁあぁ!もっと話すぅ〜まささぁぁぁん!!」 まさは、まさちんに引っ張られる真子を笑顔で見送っていた。 阿山組本部・お正月。 毎年恒例(?)の羽根突き大会。既に若い衆の顔は、墨で真っ黒け。現在、真子と純一が試合中。 「あっ!」 真子が羽根を落とした。真子は、落とした羽根を拾い上げる。 「…な、なに?!?!!!」 顔を上げた真子は、驚いた。なんと、若い衆がこれぞとばかりに筆を手に取り、真子に向かって歩み寄っていたのだった。 「ちょ、ちょっと!!! ……まさちぃぃぃん!!!!」 若い衆を促していたのは、まさちんだった。 「いけ!」 「失礼します!!!」 「ふぎゃぁぁん!!」 まさちんの号令と共に、若い衆は、真子の顔に墨を塗りたくった。しかし、黙って塗られる真子ではない! 若い衆から、筆を取り上げ、まさちん目掛けて駆けていった! 「もぉぉ!!!」 「あまい!」 真子の攻撃をことごとく阻止するまさちん。それでも、真子は、仕掛ける。 若い衆は、二人のやりとり(?)を見て、大爆笑。 阿山組本部の庭は、笑いの渦に包まれていた。 …それを呆れ返って見ている山中と、山中とは反対に、楽しそうに眺める真北。 「組長は……」 「息抜きですよ」 「あいつら、いつの間にか組長のことを組長と思ってないんじゃないのか?」 「そんなことありませんよ。組長を敬うと、組長が怒るからですよ。いいんじゃないのぉ?」 「…お前がそうだから、組長が……」 山中は、そこまで言って、口を閉じた。真北が睨んでいる…。 「…威嚇するなよ…」 「してないよ。……あぁぁ…ったくぅ〜」 「お疲れさん」 山中は、慣れたような口調で真北に言って自分の部屋へ入っていった。 真北は、庭でじゃれ合う真子とまさちんを止めに向かっていく。 いつものことである。 「いつもいつも同じ事を言わせるな!!!」 「すみません!!!!!!!」 真子、まさちん、純一そして若い衆は声を揃えて謝った。 大阪に帰ってきた真子は、キッチンの椅子の背もたれを跨ぐように座っていた。 何やら楽しそうに、微笑んでいる。 勉強もそっちのけで、何をしてるのだろう…。 「それは、組長が悪いですよ」 「そんなぁ〜。楽しんでるのにぃ〜」 「ふふふ。組長の気持ち、解りますけど、あいつらは、 組長より年上ですけど、まだまだ下っ端なんですよ」 「…ったくぅ、むかいんまで、そんなことをぉ〜」 新たな料理を研究中のむかいんと話していた。 「これは、どうでしょう?」 むかいんは恐る恐る、試作品を真この前に差し出す。 「ん……。う〜ん……」 「……駄目…ですか…?」 不安顔のむかいんに、ニカッと笑う真子。 「組長ぅ〜、苛めないでください…」 真子の表情で、何が言いたいのか直ぐに解るむかいんは、ちょっぴりふくれっ面。 「では、次、作ります」 「ほぉい」 むかいんは次の試作品に取りかかる。 むかいんの調理姿を見つめる真子は、嬉しそうに微笑んでいた。 「やっぱり、むかいんは、この姿が一番だね」 「どうされたんですか、改まって」 「…あの日のむかいんの姿を思い出したんだもん。まさちんの手術中の時の」 「…あの時は、本当に、申し訳ございませんでした」 「ふふふ! 昔のむかいんだったら、当たり前の姿やん。…久しぶりに見た。 後で聞いたんだけどね、みなみさん、むかいんの凄みに驚いてたんだって」 「…そんなぁ〜」 むかいんは何故か、照れたように笑っていた。 「……ありがとう」 「組長?」 むかいんは、真子が言った『ありがとう』の意味が解らなかった。 振り返ると、真子は、優しく微笑んでいるだけ。むかいんも真子と同じくらい素敵な笑顔を向け、再び料理に取りかかる。 真子が言った『ありがとう』は、須藤組の行動を阻止したことに対するもの。 そして、真子の気持ちを理解してくれたことに対するものだったのだ。 「今夜は、久しぶりに私が作ろっかな!! 何がいいかなぁ」 「では、買い物に出掛けますか!」 「うん! くまはちぃ!出掛けるよ!!」 真子とむかいん、そして、ボディーガード(=荷物持ち)としてのくまはちは、徒歩で駅前の商店街に買い物へ来ていた。 「涼ちゃん、今夜のメニューは? これ、どう?」 肉屋のおじさんがむかいんに奨めてくる。 「おじさん、今夜はあっさりメニューなんですよ。また、明日に」 「OK! ええのん仕入れとくからな」 「お願いします!」 「今日はこれにするん?」 「これまけとくで!」 「ありがとうございます!」 むかいんが歩くたびに商店街の人達が声を掛けてくる。真子とくまはちは、むかいんの人気に驚いていた。 「…いっつもこんな感じなの?」 「えぇ。今日は静かな方ですよ」 「ふ〜ん…」 「これください」 「涼ちゃん、毎度ぉ。…今日はお連れさんと?」 「えぇ」 「こんにちは」 「…あっ、お嬢ちゃん、いっつも駅前ではしゃぐ片割れさんやん。 なんやぁ、涼ちゃんと知り合いやったんか!」 「はしゃぐ片割れさんって??」 「寝屋里高校の制服着て、楽しそうに帰っていくやん。いっつも見とるでぇ」 「…はしゃいでるんですか?」 むかいんが、真子にこっそりと言った。真子は、首を横にブルブル振っていた。 「はしゃいでますよ。…いてっ!」 くまはちが、ボソッと言ったのに対して、真子は、くまはちの弁慶の泣き所を蹴った。 「いつも楽しませてもらってるでぇ〜。今日は、これをつけとくで! これからも、よろしくなぁ!」 「でも、この二月までですよ」 「なんで?」 「もうすぐ卒業なんです」 「そうかぁ、卒業するんかぁ。早いなぁ」 「はい」 「合格したら、教えてや。お祝いしたるから」 「そ、そんな…」 「遠慮せんといてや! 涼ちゃん、よろしくな」 「かしこまりました。では」 「おおきにぃ!」 真子は笑顔で挨拶して、そして、くまはちの両手一杯に荷物を持たせて、商店街を出ていった。 「…むかいんって、すごいね…」 「はい…」 真子とくまはちは、むかいんの人気に驚きっぱなしだった。 「私は、組長の人気に驚きましたよ。…あれから、ほとんどの店で、 言われておりましたね…。一体、どういう感じで歩いているんですか…」 「…野崎さんと、楽しく……」 「一度、拝見したいですね。あっ、くまはちに聞こうかな」 「それは、駄目ぇ!!!」 「それはですねぇ〜」 「くまはちぃ!!!!!」 「うわぁ! 組長!!」 くまはちは、荷物を持ったまま、真子に追いかけられていた。二人を優しく見つめるむかいんだった。 くまはちのこんな姿も珍しいなぁ〜。 家の前には、まさちんの車が停まっていた。 「あっ、まさちん! お帰りぃ〜」 「ん?…みんなで買い物か。…くまはちは、荷物持ちかよ。俺居なくてよかった」 「今夜は、私が作るからね!」 「勉強は??」 「息抜きだよぉ」 「…どれくらいですか?」 「さぁ〜???」 「ところで…次の会議には出席してくださいよぉ。今回も文句言われましたよぉ」 「もう、まさちんが、ずっと出席っつーのでええやん」 「各親分衆の凄みには、参りますって…」 「ったくぅ」 近所のおばさんが前を通りかかり、真子達を観て挨拶した。 「こんにちは」 「こんにちは!」 「今日は、みなさんで、お出かけだったの?」 「あはは…。みんなで玄関先に居るのって、珍しいですね」 「そうよぉ。それも、若いお兄さんばっかりで。ところで、そろそろ受験だね。 もう、ばっちり?」 「えぇ。ばっちりです!」 「頑張ってね!」 「ありがとうございます。それでは!」 「失礼します」 真子達は、おばさんにしっかりと挨拶をして、家に入っていった。 「さてと!」 真子は猫がでっかくプリントされたエプロンを付けて、むかいんの指導の下、夕食を作り始める。 豪華に食卓に並べられたおかず。 今にも踊り出しそうな雰囲気だった。 真北も家に帰ってきて、久しぶりに真子の家の連中が揃ってご飯を食べていた。 にぎやかな食事風景。 約十ヶ月前までは、こんな楽しい雰囲気は味わえなかった。昨年までは色々と遭ったにも関わらず、今年は、至って平凡な日々。 それは、真北の力が裏で働いている事をこっそりと言っておこう。 真子の受験の日がやって来た。 あいにくの雨の日。 真子と野崎が、受験する大学の門をくぐって受験会場へ向かって歩いていく。受験生の流れが途切れた頃、一台の車が門の前に停まった。それは、真北だった。車の窓を開けて、大学の様子を伺っていた。 受験会場。 真子達の試験の時間が始まっていた。真子と野崎は、他の受験生よりも鉛筆の動きは早かった。そして、見直す時間も充分あった。 終了のチャイムが鳴る。真子と野崎は、お互い、サムズアップしていた。 楽勝楽勝! 「呆気ないなぁ。もっと難しい思とったのに」 「あれだけ頑張ったんやもん。当たり前やって」 「発表の日は、観に来るん?」 「うん。あの瞬間を感じたいもん」 「そうなんやぁ。うちは、家で通知待っとく」 「そっか」 真子と野崎は、大学内を歩いて門に向かっていた。いつものように、はしゃがず、おしとやかに歩いていた。 ふと門に目をやった真子は、停まっている車にもたれ掛かるようにして立っている男の人に気が付く。 「…真北さん」 「お疲れさまです。近くで仕事していたんですよ。ちょうど、試験が終わる 時間かと思いましてね。どうでした?」 「楽勝!」 真子と野崎は、同時に力強く言った。真北は、そんな真子の姿を見て、嬉しそうに微笑んだ。 「送りますよ」 「お願いします!」 真北はドアを開けて二人を迎えた。野崎は、車に乗り込んだ。真子は、真北に歩み寄り、耳元でこっそりと、 「駐車違反切られるよぉ」 どうやら、停まっていた時間が解ったらしい。 「大丈夫ですよ」 「ったくぅ。大丈夫だって言ったのにぃ」 真子は、微笑んで車に乗った。 「ばれてましたか」 そして、真北は、運転席に乗り込んで、車を発車させた。 受験の緊張から解放された野崎は、いつも以上にしゃべりまくっていた。真子も、つられていつも以上にはしゃいでいた。 そんな二人をルームミラー越しに時々見つめる真北は、この時、真子の考えに気が付いていなかった……。 合格発表の日。 たくさんの受験生の中に、真子、まさちん、そして、真北の姿が混じっていた。同じ年代の者ばかりで、保護者を連れて来たのは、真子だけの様子。 「組長、どきどきしますね」 「ん? しないよ」 真子は、あっけらかんとした表情で応えた。 まさちんだけが何故かドキドキしているらしい。 真子は、真北を見つめていた。 「なにか? …まさか、また受験番号忘れたとか…?」 「忘れてないって…。あのね、真北さん、合格してたら、 お願いがあるんだけど、いいかなぁ」 「構いませんよ」 掲示板の前には、すでに、人だかりができていた。合格した者、不合格の者、それぞれ騒ぎ始める。 「組長、番号は?」 「4685」 「4685ねぇ。4670……4682…」 真子とまさちんは掲示板を見つめていた。 「あったっ!!!」 二人は同時に叫んだ。そして、飛び上がって喜ぶ。真北は、父親の目で、二人を見つめていた。 「おめでとうございます」 「ありがとう! やったね! 野崎さんも合格だぁ」 「お願い事とは?」 真北が、尋ねると、 「ん? …帰ってからにする」 真子は、少し緊張した顔でそう言った。 「また、一緒やね。うれしいな」 『ほんまや。クラスも一緒やったらええんになぁ』 「あれだけ人が居たら、難しいかもね」 『でも、一緒に行こな!』 「うん」 『それでな、例のやつ。ちゃんと言っとかなあかんやろぉ。言っときや!!』 「頑張るで!」 『ほななぁ!』 「お休みぃ〜!」 電話を切った真子は、ため息を付いて、そして、振り返った。そこには、真北、そして、まさちん、くまはち、むかいんが座っていた。真子は、歩み寄り、真北を見つめた。 「真北さん。お願い事があります」 「組長、改まって…何を…?」 「…野崎さんと二人っきりで、卒業旅行へ行っていいですか?」 「りょ、旅行ですか? 二人っきりというのは…」 「くまはちをはじめ、ボディーガードなしということ」 「組長、それは…」 「真北さん。お願いします」 真子は、深々と頭を下げていた。まさちん達は、何も言えず、真子を見つめるだけだった。真北は、困った顔をする。 「このところ、何も起こらなかったのは、真北さんのお陰というのは、わかってます。 それに甘える訳じゃないんです…。……組から離れて、楽しみたい」 真子は真剣な眼差しで真北に訴える。 沈黙が続いた。 「組長……。…わかりました」 真北が静かに言った。 「野崎さんと目一杯楽しんでください」 真北の言葉を聞いた途端、真子は、とびっきりの笑顔を見せた。 「ありがとう!!! やったぁ!!!」 「行き先は教えてくださいね」 「うん。……それと……。大学なんだけど…」 真子の表情は一変した。次に出てくる言葉に真北達は、度肝を抜かれてしまう。 「阿山真子で通いたい」 「…組長、今、何と?!」 真北が、驚いた顔で、真子の言葉を聞き直した。 「だから、阿山真子で、大学に通いたいの。……自分の事は自分で守れるから。 それに…ボディーガードもいらない。偽名もいらない。私は私だから。 …だから…いい??」 「だけど、組長、そ、それは…」 真北は焦る。 「また、クラスの人達を騙す形になったりするのって…あの時で、懲りたから…。 だから…。真北さん、大丈夫だから。みんなに、心配も掛けないから」 真子の決心は固い。それを察したのか、真北はそれ以上、何も言わなかった。 「わかりました。そう致しましょう」 「ありがとう!!」 真子の嬉しそうな顔を見て、真北は嬉しかった。 偽名を使うことは、真子に負担をかけていたのかと思うと、自分が提案した事を恥じていた。いくら真子の命を守るためとはいえ、そんな案を出した自分を。 「それと……」 「まだあるんですかぁ??」 真子は、小声でみんなに言う。 「え〜〜っ?!?!」 真子の言葉に、一同、声を揃えて驚いてしまった。 「いいでしょ? 卒業式は、阿山真子で」 「反対です!」 それは、ぺんこうだった。 真北がわざわざ寝屋里高校に脚を運んで、ぺんこう、そして、校長を交えて、校長室で真子の意志を伝えた瞬間の、ぺんこうの言葉。 「ここまで隠し通してきたことでしょう? なのに…。組長は、一体何をぉ〜」 ぺんこうは、凄い剣幕だった。 「まぁまぁ、山本先生」 「しかし、校長!」 「山本先生のクラスの生徒さんは、みんな知ってる事でしょう? 大丈夫ですよ」 「他の生徒や、親御さんは…」 「偽名を使っている事、真北さんには…阿山真子さんには、 かなりの負担だったのでしょうなぁ」 ぺんこうの言葉を遮るように、校長が言った。 「はい。…そのように提案したのは、私ですが…。 組長の負担を更に重くしていたと思うと……」 「真北さん……その事は、私は気が付いてましたけどね、 卒業式は阿山真子で……。そして、大学も? 私は、 大学の方までは守れませんよ!」 「ガードもいらないって…」 「そ、そんな…」 「…願い事は、実は四つあってな…」 「四つって…卒業旅行、大学、卒業式の他に何が?!」 「…ぺんこう、引っ越してこい」 「はぁ??」 真北の突然の言葉に呆れるぺんこう。 「組長がな、その…ぺんこうも一緒に住むことをだな…その…。 男の一人暮らしは、心配だと…ぺんこうから離れることになるだろ? …だからな、もし、倒れたりしたら心配だからって」 珍しく真北はしどろもどろになっていた。 「組長…あの日の事、まだ…」 ぺんこうは、言葉に詰まる。 「真北さん」 校長が呼ぶ。 「はい」 「本当に、阿山真子さんは、素敵な組長さんですね。 底知れぬ何かを持っておられる。私は、そのような 素敵な生徒を送れることが、凄く嬉しいですよ。 …やはり、お二人の教育がよろしかったんですね」 「校長先生……」 「阿山真子さんで、卒業ですね。ご用意しましょう」 「…わがままばかり申し上げて、恐縮です」 「気になさらないでくださいね。それと、山本先生」 「はい?」 考え事の最中に声を掛けられたぺんこうは、突拍子もない声で返事をしてしまった。 「教職は、続けて下さいね」 「はい。宜しくお願いします」 ぺんこうは、信頼されている。 真北は、ぺんこうと校長のやりとりを見て、確信した。 「卒業証書授与…」 寝屋里高校の卒業式が始まった。 真子達卒業生は、名前を呼ばれ、元気良く返事をして、起立する。卒業式の会場には、たくさんの親達が詰めかけていた。自分の子供の晴れ姿を目に焼き付けるように見つめている。その中に、まさちんとむかいんの姿もあった。 「真北さん。始まったばかりです」 少し遅れて真北がやって来た。前日、事件が起こり、出席できないかと思われていた。 ぺんこうが壇上に立ち、F組の生徒を呼び始めた。 「F組。東 圭一」 「はい」 「内田 登」 「はい」 そして、女子が呼ばれ始め、真子の番が近づいてきた。 「野崎 理子」 「はい」 「……阿山真子」 「はい!」 会場が一瞬どよめく。しかし、すぐに静かになった。 「組長、本当になさるとは…」 まさちんが言った。 「反対していたのに、しっかりと読み上げたな」 真北は静かに言って、微笑んでいた。 卒業生代表として壇上に上がる真子を優しく見つめる。壇上にあがった真子は、校長の前でしっかりと一礼して証書を受け取った。校長は、笑顔で真子を見つめる。 「おめでとう、阿山さん」 「ありがとうございました。校長先生」 壇上を下りるとき、ぺんこうと目が合った。真子が、ぺんこうに笑顔を送る。ぺんこうは、教師としての素敵な笑顔で応えた。 何よりも、誰よりも嬉しかったのは、ぺんこうだったのかもしれない。 校門のところでは、卒業生が、友だちと写真を撮り合っていた。真子もクラスメイトとぺんこうを囲んで楽しく撮り合っている。その様子を遠くから見つめるまさちんとむかいん、そして真北は、そっと近づいていった。 「楽しそうですね」 「むかいんさん! 一緒に撮ろう!」 真北達に気が付いた真子のクラスメイトは、一斉に駆け寄った。 野崎がすごく嬉しそうにむかいんに言う。むかいんは、照れながら、野崎と写真を撮っていた。そして…。 「お兄さん、一緒に!!」 安東だった。思いっきり笑顔でまさちんに話しかけていた。まさちんは、しぶしぶ安東と並んで、写真を撮る。まさちんの姿を見つけた、他のクラスの生徒も写真を撮りまくっていた。そんな様子を見つめながら、真北は真子の前にやって来る。 「組長、おめでとうございます」 「真北さん、来てたの?」 「娘の晴れ舞台ですからね」 「仕事は?? 事件解決したの?」 「原に…ね…」 真北は、事件を原に押しつけるような形で、この日、出席していたのだった。 「そうなんだ…なんだかなぁ…でも……ありがとう」 真子は、感謝してもしきれないという顔をして、真北に、そっと言った。真北は、言葉にしなかったが、真子の顔を見て、心の底から、安心していた。 「真北さん! はよぉ! 一緒に撮ろやぁ!!」 「うん。今行く! また後でね、真北さん!」 「はい」 真子は、安東に呼ばれ、駆けていく。その姿は、高校を卒業した女の子の姿だった。真北は、優しさ溢れる表情で真子を見ていた。そこへぺんこうがやって来る。 「ぺんこう、お疲れさん」 「はい。疲れましたよ。でも、これで、安心しました。 いろいろとありましたけど、こうして、組長が無事に卒業できて、 嬉しいですね」 「俺も嬉しいよ。普通の高校生として、卒業できたからなぁ。 これも、ぺんこうのお陰だよ。ありがとう」 「真北さん……。みなさんのお力ですよ」 ぺんこうは、少し照れたような表情で真北に言った。そして、真子を見つめる。真北も、真子を見つめていた それぞれの思いを胸に秘めて……。 「何これぇ!」 「その…商店街の方々からです…」 「花束に、猫グッズに…食料品まで?!」 「はい。ですから、今夜は……」 『卒業おめでとう!!!!』 とリビングの壁に飾られ、そして、商店街の方々が、集まっていた。むかいんの手料理で始まった真子の卒業おめでとうパーティー。もちろん、真子の片割れと噂されている野崎も参加。 「おめでとう!」 「ありがとうございます!」 グラスの音が高々と鳴ったリビング。 「一番ええ肉やで!!」 「新鮮なんやから!」 「できたてやし、おいしいやろ!!」 肉屋、八百屋、パン屋の主人がそれぞれ自慢げに話していた。もちろん、それらを豪華に飾り立てるむかいん。むかいんの手さばきに、中華料理店、レストランの経営者が、うっとりと見つめている。 とびっきりの笑顔で、楽しい時を過ごす真子、そして、野崎。 「知らなかったな…。むかいんの人気…」 「私もですよ」 真北とまさちんは、このパーティーの主催者を聞いて驚いてばかりだった。 「…これも組長の力…ってことか」 「えぇ」 「ほんと、底知れぬ力を持ってるんだな、真子ちゃんは」 真北は、物思いにふけっていた。 恐らく頭の中では、真子を通して、ちさとのことを考えているのだろう。まさちんは、真北を見て、そう思っていた。 そして、真子が待ちに待った日がやって来た。 (2005.12.11 第二部 第二十九話 UP) Next story (第二部 第三十話) |