第一章 驚き 第十七話 納まらぬっ! 猪熊家を出てきた くまはちが、その足で、阿山組組本部へとやって来る。 既に、帰省を終えて本部に来ている門番が、くまはちに気づき、挨拶をする。 「おはようございます」 「おはよ。…この雰囲気は、組長、まだ寝てそうだな」 「はい。くまはちさん、早くありませんか?」 「庭木と池が気になってな」 「猪熊さんが手入れなさったとお聞きしました」 「鯉が増えたんだろ?」 「みぃちゃんとこうちゃんです」 「………? 鯉…?」 突然、名前を言われて、不思議がる くまはち。 「あっ! 美玖ちゃんと光一君が、鯉に名前を付けたそうで…」 「あぁ、それで、みぃちゃん、こうちゃんか」 「はい」 「真北さんは?」 「駅で合流するそうです。ぺんこう先生は、ジョギングです」 「ありがと」 そう言って、くまはちは、自分の部屋へと向かい、身支度を調えて、真子の庭に降り立ち、手入れを始める。 暫くすると、山中が顔を見せた。 「くまはち」 「はい」 山中に呼ばれ、くまはちは、側による。山中は、そっと耳打ちをした。 「では、そのように致します。大阪に着きましたら ご連絡差し上げます」 「頼んだぞ」 「はっ」 去っていく山中に一礼し、再び庭木の手入れを始めた。 池のある庭にやってきた くまはちは、池の中を優雅に泳ぎ始めた鯉を見つめる。 新たに増えたと思われる二匹の鯉に気付き、観察する。池の側に、四角い何かが建っていることに気付き、近づいた。 「こまかっ…」 そこには、鯉の写真が付き、それぞれの特長が書かれていた。 くまはちが思わず口にしたように、細かく書かれている。鯉が産まれた日や来た日、その特長に名前と性格まで。 「……性格…???」 泳ぎ方の癖や他の鯉とのやり取り、エサの食べ方や、話が分かるなどなど。 分かりやすいけど、ここまで細かくせんでも…。 鯉の世話は、猪熊だけでなく、組の若い衆も行うことになったのか、誰もが分かりやすいようにと、細かく書こうとした結果が、こうなったのだと、くまはちは悟った。 そして、鯉にエサやり、庭木の手入れを終え、振り返ると……。 「くまはちさん……それは、俺の仕事です……」 そこには、この日の庭の掃除と鯉の餌やり当番の組員が立っていた。 「すまん。帰省中やと思って、いつも通りにしてしまった」 「ありがとうございます」 「一応、チェックだけでもしとけば大丈夫やろ」 「はい。…でも、くまはちさんが行いましたので、 心配ないと思います」 素早くチェックをし、 「大丈夫です。いつも以上でした…」 深々と頭を下げて、くまはちに言った。 くまはちが、道場で一汗流していた。そこへ、ぺんこうがやって来る。 くまはちは、ぺんこうに気づき、指で合図する。 相手したるで。 その仕草に、ぺんこうは、にやりと口元を上げ、道場へと入り、一礼の後、くまはちに仕掛けた! 「怒り、殺げとるなぁ」 くまはちが、繰り出される ぺんこうの蹴りを尽く受け止め、跳ね返しながら言うと、 「ジョギングで発散してきた後や」 素早い回し蹴りをくまはちに向けた。 バシッ!!! ぺんこうの回し蹴りを腕で受け止めた くまはちは、それを跳ね返し、ぺんこうの腹部目掛けて拳を勢いよく差し出した!! 「居ったんか」 「居ったな」 ぺんこうは、くまはちの拳を受け止めた弾みで、少し後ずさりする。 「相手は?」 「壁にもたれ掛かって、二度寝や」 受け止めた くまはちの拳を軸に飛び上がり、くまはちから少し距離を取り、姿勢を整える。 「その先は?」 「いつもの人に任せて帰ってきた」 「意識無さそうやな」 「だから、発散できた!!」 そう言い切ると同時に、ぺんこうは、くまはちに回し蹴りを炸裂させる。そのいくつかは、くまはちの体に当たっていた。 「そういう くまはちこそ、治ったんか?」 くまはちの怪我に気付いているらしい。 「いつもの通り、回復しとるわっ」 側頭部に目掛けて繰り出された ぺんこうの足をしっかりと掴み、ぺんこうの動きを止める くまはちは、鋭い眼差しを向けた。ぺんこうも、負けじと睨んでいる。 お互いの眼差しに含まれる意味は……………。 道場の掃除を終えた ぺんこうとくまはちは、シャワーを浴びに道場の浴室へと向かう。 道場で掻いた汗をすぐに流すために設置され、大勢で入ることができるほど大きめの浴室だった。 二人はシャワーを浴び始めるが、シャワーヘッドを手に持った途端、 「こるるらぁ、ぺんこうっ!! ぶぅはっ!」 「くまはちっ、てめぇ〜! ぶほっ…」 相手の顔に向けて、水流を強めにした。 相手の名前を呼んだ途端、口の中に水が流れ込む。相手の腕を掴み、水が掛かるのを阻止し、 「やめんかっ!!」 同時の言い、鋭い眼差しで相手を睨み付けた…途端に、笑い出した。 二人は、さっぱりとした表情をして、体を拭き、そして、身支度を調えて出てきた。特に話すこと無く、二人は食堂へとやって来る。 「おはよ〜!」 すでに、真子と美玖が、食卓に座って、朝ご飯を食べていた。 「真子、美玖、おはよう。…早くない??」 いつもなら寝ている時間の為、既に食事中だということに、ぺんこうは驚いていた。 「何やら異様な雰囲気で、目が覚めちゃった〜」 「申し訳御座いませんっ!!!!」 思わず謝る くまはちだった。 道場での二人のオーラは、眠り姫の真子を起こすほどだったらしい。 「時間が掛かると思って、先に食べてたよ」 「そうでしたか…すみませんでした…」 「くまはちの分もあるからね」 「ありがとうございます。いただきます」 他の人より多めの食事が用意されていた。 帰り支度をしながら、真子は、くまはちと話していた。 「ほな、真北さんは、駅に直行なん? いつ出て行った??」 「私のジョギングと一緒でしたよ」 ぺんこうが応える。 「そっか。一緒だと、車に乗れないか…」 「私は、走って行く予定でしたが……」 「くまはちぃ〜〜。それは、駄目。なんでいつも走っていくんよぉ」 「すみません…」 くまはちの立場上、送迎されるわけにはいかないが、真子には関係ない。 支度が調い、真子達は部屋を出て行った。 「ほな、またね〜!」 「気を付けて!」 玄関には見送りに出ている組員達の姿があった。本来なら嫌がるはずの真子だが、美玖がみんなに挨拶をしたいということもあり、帰省から帰ってきた者も含め、全組員が見送りに出ていた。 「ありがと、ございました!」 「楽しかったですよ」 「また、遊びましょう!」 「宿題、がんばってくださいね!」 それぞれが、美玖に声を掛け、真子達が車に乗り込むのを見守っていた。 山中運転の車が、本部を出て行くと同時に門が閉まり、組員達は、それぞれの立場へと戻っていく。 「新幹線は大所帯じゃありませんか?」 山中が、ふと思い出したのか、声を掛けた。 「行くときは、六人だったのに、その倍かな?? 美玖、何人になる?」 真子が美玖に尋ねると、美玖は指を折りながら、数え始めた。 「えっとね…。ママとパパとみくでしょ、こうちゃんと りこママとりょうパパで、ろくにん。くまはちゃ〜と、 まきたん、えいぞうしゃん、けんしゃん、あずまんと たかしんで、じゅうににんっ!!」 「あずまとたかしは、残るそうですよ」 「それだと……美玖、何人になるかなぁ」 「じゅうにから、に、ひくから…じゅうにん!」 「引き算できました〜! えらいっ!」 「かんたんだもんっ」 「あれ? 小学一年生って、二桁の引き算やりましたっけ?」 「あぁ〜〜これ、私と同じ状態…で…理子が 停めなかったら、更に進むところやった」 「教える人が真北じゃぁ、仕方ありませんね」 そう言いながら、山中は笑っていた。 「ぺんこうは、どうだった? 小さい頃、教わったんだろ?」 気になったのか、山中は、ぺんこうに思わず尋ねてしまう。 「山中さん、喧嘩売ってますか?」 「売るわけないだろ。気になっただけだ」 「その通りですよ。兄さんに教えてもらうと、どうしても、 先へ先へと進むんですよね…。真子の家庭教師を 始めた時に、驚きましたよ。学年と違って、えらい 先に進んでましたからね。まぁ、その原因が 真北さんとくまはちだとは思いもしなかったけどね」 「真子さんの覚えが早かったから、先に進んだだけだ」 助手席に座るくまはちが、話に加わってくる。 「ぺんこうも、そうだったんだろ?」 「ま、まぁ……そうだったなぁ」 後部座席で隣に座る真子を、ちらりと見る ぺんこうだった。 「しゃぁないやんか〜。先に先に進みたくなったんやもん。 というか、先に進んでも良い雰囲気なんやから…」 「それは、なんとかく分かる…」 ぺんこうは、小さな頃を思い出したのか、頷く。 「教える方は、更に教えたくなるんですよ」 真子に教えていた頃を思い出しながら、くまはちが口にしながら頷いた。 「ね、ね! くまはちゃ〜」 「はい」 「こいのみぃちゃん、みた??」 「見ましたよ。今朝は元気に泳いでました。素敵な鯉ですね」 「えいぞうしゃんがね、おべんきょう がんばってるから プレゼントしてくれたの!!」 「そうでしたか。では、私からもプレゼントしたいのですが、 何か、欲しいものございますか?」 「てんちやまで、いっぱいあそんだのに、いいの?」 「はい」 「じゃぁね、クールさんといっしょに、おにわであそぼ!」 「鬼ごっこしますか?」 「うん! あとで、こうちゃんにも いう!」 美玖が嬉しそうに言った。 「くまはち、どんな鬼ごっこや。相手は子供だろ」 「……山中さん、どんな想像してるんですか……」 「あっ、いや……つい…」 凄腕のボディーガードと例の組織の凄腕の殺し屋だったキルの弟分の二人が加わった鬼ごっこ。 想像するだけでも、凄い構図である。 東京駅は、この日も、帰省ラッシュと重なって、かなりの人出となっていた。その中に、先に到着していたのか、真北と栄三、健、そして、理子達の姿があった。 「あっ、真子さぁ〜〜〜ん!!!」 「健っ!!」 真子の姿にいち早く気付き、健が声を掛け、おしりをフリフリ〜。 それに応える真子は手を振るが……。 真北と栄三、そして、むかいんからの拳が、健の頭に落っこちる……。 「…いつもの光景やな…」 山中が呟く。 「はい…」 ぺんこうとくまはちは、小さく項垂れた。 健は、頭の上に手を当て、ちょっぴりたんこぶなっているのを気にしながら、改札を入っていく。 「山中さん、ありがとう。では、またね!」 「お気を付けて。…そして、決して無理はしないでください。 それと……喧嘩は程々に」 優しく微笑む山中に、 「心得ました〜!」 真子独特の笑顔で応えていた。 山中と緑川、そして、岸の三人が見送る中、真子達は改札を入って、ホームへと上がっていった。 「通常運転に戻すとするか…」 山中が、緑川と岸に、呟くように言う。 「はっ」 「岸、今朝聞いた内容から、変化あったのか?」 「特に御座いませんが、変化があれば、東守と西守で 対応すると伝言承っております」 「そうか。それなら、当初の予定通り、進めておく」 「お願いします」 「緑川」 「はい」 「笹崎さんには、伝えるな」 「心得てます。ですが、おやっさんのことですから…」 「……飛鳥と川原のことは知らん」 この世界から引退したはずなのに、この世界の状勢に詳しい笹崎。 この世界で生きていた頃の組員が、今はそれぞれ、組を持ち、仕切る立場に居る者が、時々ではあるが、元親分であった笹崎に助言を求めに行くことがあり、その時に、状勢を伝えていることは、山中だけでなく、真子も知っていることではあるが、敢えて、そこは、何も言わずに居た。 だからこその、山中の言葉である。 「いつまでも、笹崎さんを頼るんだからなぁ、ったく。 困ったもんだよ」 「そうですね…」 緑川が、そっと呟いた。 「そういう緑川も、あまり関わるな。修行と学業に 専念しておけよ」 「ありがとうございます」 「じゃぁ、これにて失礼する」 「お疲れ様です」 岸と緑川は、山中に深々と頭を下げた。 大阪への帰路に着く真子達。 新幹線の中では、二組の家族が三人掛けの席を向かい合わせにして座り、窓側には子供達、真ん中に母親、そして、通路側には父親がそれぞれ座って、静かに楽しく話していた。 通路を挟んだ二人がけの席には真北が窓側に座り、窓の外を流れる景色を見つめているが、耳は、真子達の会話に聴き入っていた。真北の隣には、くまはちが座り、何やら仕事をしている。そして、真北達の前の席には、窓際に健、そして、通路側に栄三が座り、くまはちと同じように、仕事中。 もちろん、向かい合わせ……にはしていない。 向かい合わせにすると、くまはちと栄三、そして、健の三人の険悪なオーラが、他の乗客にまで影響しそうな為、敢えて、避ける為に、進行方向に向いたままだった。 その二つの席は、進行方向とは逆向きの通路側の席に座る ぺんこうの視界に入っていた。 実は、監視状態になっており……。 やりにくいです。 真北の携帯に、栄三からショートメッセージが届く。 真北は、気付かれないよう、さりげなく、下の方で、画面を確認し、慣れた手つきで、返信をする。 やばいことしてへんやろが。(真北) それでも、やりにくいですぅ。(えいぞう) 俺には無理やで。理子ちゃんに頼め。(真北) ぺんこうに関しては、理子ちゃんでも無理ですよ!(えいぞう) むかいんに頼むか?(真北) そちらは、もっと無理です。(えいぞう) 視界に入れるな。(真北) 見て判るでしょぉ〜! 向かいですよ!(えいぞう) これもばれとる。(真北) 真北と栄三のやり取りは、どうやら、ぺんこうにばれているらしく、ぺんこうが、真北にショートメッセージを送ってきた。 こそこそ、目障りです。 ぺんこうは、真北にショートメッセージを送った直後、栄三と真北を睨み付けていた。 「ねぇ、芯」 通路を挟んだ険悪なムードに真子が気付いたのか、何気なく ぺんこうを呼んだ。 「はい、どうしました?」 先程のオーラとは正反対に、優しさ溢れる雰囲気で、ぺんこうは、真子に返事をした。 「どれだけ休み取ったの?」 「月末に登校日がありますので、その前の日から 出勤します。それまで、休み取りましたよ」 「じゃぁ、鬼ごっこに参加する?」 「そうですね…あっ、でも、私が参加すると、大人数ですよ。 庭では、少し狭い感じがしますね…」 「公園にする?」 「他の人も居るでしょ?」 「そうだよね…」 「私は、側で観てるだけにします。体力温存したいです」 「……くまはちとの手合わせに、本気になるんだから…」 「本気になるのは、くまはちですっ! その相手をするんですから、 こちらも本気じゃないと……」 「ぺんこう。それは、ムキ…って言うのん、知らんか?」 むかいんが、思わずツッコミを入れる。 「知らんな〜」 反抗的な言い方をした ぺんこうに、誰もが笑いそうになるが、グッと堪えた。 真北だけ、笑いを堪えることが出来ず、体を揺らして笑っていた。 「真北さん、寝てくださいね」 隣に座る くまはちが、静かに声を掛けた。 「すまん…その為に、変わってもらったのにな…」 「二人揃って、無茶しすぎですよ」 「気付いてたんか…」 「同じ時間に出掛けて、本部に向かったのでしたら、 ぺんこうの一言で、気付きますよ。それに、朝まで 飲み明かして…」 「しゃぁないやろが」 「兎に角、寝てください」 「そうする…おやすみぃ〜」 少し身を沈め、真北は目を瞑り、眠り始めた。 前の席に座る栄三が立ち上がり、座席越しに真北を見た。 「熟睡やんけ…。何したんですか…」 栄三が動いても、目を覚まさない真北に、栄三が目茶苦茶驚いていた。 「あぁ…それ、私のせいかも……」 と、真子が挙手。 「昨夜、縁側で、真子と話しててな…」 「……真子さん、何をしたんですか…」 「二人だけの秘密や〜。芯は知ってるけど」 「……二人で何を話したんや、ぺんこう」 思わず威嚇する栄三に、ぺんこうは、怒りを抑えるかのように大きく息を吐き、 「二人だけの秘密や。誰にも言わんわ」 そう応えた。 「その言い方で何となく予想できるけど、 あんまり、無茶させんなよ。後が厄介やんけ」 「ええやろが」 「……って二人とも。大人げないっ」 今にも言い合いそうな、ぺんこうと栄三を思わず怒る真子だった。 「すみません…」 呟くように謝る二人。 「真北さん、耐えてください」 くまはちが、真北にそっと言った。 栄三が立ち上がった瞬間、目を覚ましていた真北だったが、何となく、相手をするのが面倒くさく感じ、寝たふりをしていた。真北の仕草に気付いたのは、くまはちと健。健は、隣の二人の言い合いに対して、相手をしない感じで、視界に入れないように、少しだけ、窓の方に首を向けていた。 もちろん、笑いを堪えている……。 「ほんま、見てて飽きへんわ〜」 「俺もや…」 理子と むかいんが呟いた。 新幹線は無事(?)に新大阪へ到着し、真子達も降りてきた。 真北は、ちょっぴり眠たそうな目をしながら、真子達と一緒に歩き、ホームを降りて改札を出てきた。 「お疲れ様〜! 気を付けてね」 「えぇ〜っ。真子さんと一緒がいい〜〜」 健が、駄々をこねる。 駅から自宅までの移動手段は、それぞれの車。ぺんこうの車には真子と美玖が乗り、真北は自分の車に一人だけ。むかいん一家は、くまはちの車。残る二人は…。 「では、真子さん、お気を付けて。健っ、行くで」 栄三が健の襟首を掴みながら、駐車場へと向かっていく。 「えいぞうさん、ありがと〜気を付けてね! 健、またね〜!」 「また〜!!」 健は栄三に襟首を掴まれながらも、おしりをフリフリして、真子に別れを告げた。 「…で、真北さんは…」 真子が、ジトォ〜という眼差しで、真北を見つめる。 「私は、仕事ですので、帰りは明後日になりまぁす」 「謹慎明けに、仕事しすぎですっ!」 「あいつらが心配や。くまはちの細かさに慣れてないのに、 それを押しつけてやな…。倒れてないか、心配で心配で…」 「須藤さんに渡した物よりも、細かく無いですよ?」 「……基準が違うっ!!」 「そりゃ〜、兄さんを基準にしてたら、細かすぎるやろなぁ」 「しぃ〜ん〜〜っ」 「それを考えての、みなさんの行動で、だからこそ、 くまはちに頼んでいたのではありませんか?」 「それでもやな……」 改札を出て、駐車場まで歩きながら、言い合いをする真北と ぺんこう。そこへ時々、くまはちが巻き込まれていた。 その三人に向かって、一台の車が突き進んでくる。その車は、停まる気配を見せず……。 「こるるっらぁ、栄三、何すんねんっ!!」 三人が車の運転手に向かって、怒鳴りつける。 栄三は、三人の寸前で車を停め、運転席の窓から顔を出し、 「公共の場で、止めてくださいね。組長のオーラが 怒りに変わる寸前ですが……?」 栄三の言葉で、三人は振り返る。 真子が両拳をぷるぷる震わせて仁王立ちしていた。むかいんは、光一を抱きかかえ、理子は美玖を抱きかかえ、少し離れた場所で身を隠していた。 その行動で判った。 栄三が停めなければ、真子の怒りが炸裂し、三人の体に拳と蹴りが突き刺さっていただろうということが……。 「も、申し訳御座いませんっ!!!」 真北、ぺんこう、そして、くまはちが一斉に頭を下げた。 真子は、仁王立ちのまま膨れっ面になり、腕を組む。 「では、私はこれで〜」 いつもの軽い調子で、栄三は真子に挨拶をし、助手席からは健が真子に手を振っていた。 真子は健に手を振り返し、 「ありがと」 栄三にはお礼を言った。 「どういたしまして〜!! ほな!」 栄三の車は去っていく。 「……折角、真子の機嫌、治ったのに…」 「これじゃぁ、行く前の二の舞やんか…」 常に冷静で周りをしっかりと観察している理子と むかいんが、そっと呟いた。 「まこママ、きげん、なおった?」 「ママ、きげんなおったかな?」 心配げに、光一と美玖が言う。 「…たぶん……」 真子は、ぺんこうとくまはちの二人に、かなり強烈な蹴りを見えない速さで向けたのか、ぺんこうとくまはちは、座り込んで、自分の臑を抑えていた。そして、真北には、矢継ぎ早に何かを言って、そっぽを向く。 すんごく寂しげな表情で、真子の背中を見つめる真北を見て、理子と むかいんは、笑い出す。 「ほんま、おもろいわ〜」 理子が呟いた。 「理子。俺は、ぺんこうの車に乗るから、二人は くまはちの車で、真子さんと一緒に帰ってくださいね」 「ええよ〜。ほな、光一、行くで。くまはちさんと、 鬼ごっこの話、しよか」 「うん!!」 美玖と光一は、地面に下ろされ、理子と手を繋ぎ、真子の所へと歩いて行った。そして、真子に何かを告げながら、くまはちの車の側に行く。 「くまはち、よろしくな」 むかいんと理子の話は聞こえていた為、くまはちは、 「あぁ。ぺんこう、愚痴っとけ」 ぺんこうに話しかけたが、 「俺、愚痴は聞き飽きたで」 むかいんが呆れたように言った。 ぺんこうは運転しながら、むかいんに愚痴っていた。 「納まってへんやんか」 むかいんが言うと、 「これが通常運転になりつつあるな…すまんな、むかいん」 「ええって。気にするな。そうしとかんと、ぺんこうが動きそうや」 「もしものときは、動くけどな」 「臨戦態勢になってたら、納まる物も納まらないわな」 「そういう、むかいんもやろ?」 「まぁな…。心配になったから、臨時休業や」 「兄さんと くまはちが天地山に向かったのは、まさの状況を 知ったからやろな」 「まさ自身、慶造さんから言われてたかもしれへん」 「もしものときは、真子を頼む……か」 「…あぁ」 ぺんこうとむかいんは、慶造に言われた事を思い出す。 『もしものときは、真子を頼む』 この言葉は、真子に関わる者達に伝えている慶造。頼む内容は、それぞれ別の物だが、それら全てをまとめると、 真子を守ることに繋がる……。 「ほんと…」 ぺんこうが、言う。 「慶造さんは」 むかいんが、言う。 「組長のことしか、考えてなかったよなぁ」 ぺんこうと むかいんの声が重なった。 「言われなくても、真子のことが大切やし」 ウインカーを左に出しハンドルを切りながら、ぺんこうが言った。 「組長が、安心して暮らせるように、考えるだけや」 むかいんが、前を走る車を見つめながら、そっと言った。 ぺんこうの車の前には、くまはちの車が走っていた。真子は、助手席に座っている。車の中で話が弾んでいるのか、時々、後部座席に振り返りながら、笑顔を見せていた。 「あの笑顔…消えないように、気を引き締めんとな…」 ぺんこうが小さく呟く。 「あぁ」 その呟きに応えるかのように、むかいんは返事をした。 お互い醸し出すオーラは、くまはちや栄三が持つ物と同じもの。 しかし、それは直ぐに納まった。 この二人のオーラは、誰にも気付かれてはいけない。 その世界から遠ざかり、一般市民として過ごしている者が持つオーラでは無いだけに……。 自宅に到着した真子一行は、旅行帰りの後片付けに追われ、その日は夕飯を済ませた後、直ぐに床に就いた。旅行疲れもあってか、真子や子供達は熟睡する。そんな中、くまはちだけは、起きていた。 部屋にあるパソコンで、移動の間に起こった、この日の情報を全て頭に叩き込み、明日の準備に取りかかる。 子供達と遊ぶのは、三日後と決めていた。 おっと、忘れてた。 くまはちは、まとめた資料を真北宛に送信する。そして、パソコンの電源を落とし、部屋を出て行った。キッチンでアルコールを手にし、グラスに入れ、飲む。 最近、飲む量 増えてるよなぁ…。 そう思いながら、新たにアルコールを注ぐ。 「付き合おうか?」 ぺんこうが、キッチンに顔を出した。 「夕べは、真北さんに付き合ってたんじゃないんか?」 「まぁなぁ」 そう言いながら、遠慮せずに、自分のグラスを手に取り、アルコールを注いでいた。 新たな氷を用意し、ぺんこうがリビングへ戻ってきた。 すでに、空瓶が一本、テーブルの上に置かれている。 「アルコールで紛らすのは、ほんま、良くないんやけどなぁ」 そう言いながら、くまはちは、空になったグラス二つに氷を入れ、アルコールを注いだ。 「で。改めて、立場を聞きたいんやけど、ぺんこう」 「ん?」 「どうするんや?」 くまはちが尋ねるのは、その世界に来るのか来ないのか。 二度ほど、本部の道場で手合わせをして気付いたことがあった。 ぺんこうの動きは、怒り任せに見えていたが、速さは以前よりも増していた。 それは、今まで以上に、体を動かし、いつでも動けるようにと、鍛え直していることを現していた。 「……改めて聞かんでも、解っとるやろ?」 「確かめたいだけや。答えによっては、俺の動きも変わるからな」 いつも以上に、くまはちの眼差しは鋭かった。 「俺まで守らんでもええって、言うてるよな?」 「それは、お前の立場。俺の立場は…」 「阿山家と阿山家に関わる人間全てを守る…だろ?」 「あぁ」 「それには、俺だけでなく、兄さんも含まれてるんやろ?」 「そうだな」 「組長に関わる者を守るなら、お前も含まれるやろが」 「それは別や」 くまはちは即答する。 「別やないな」 ぺんこうが低い声で言った。 「猪熊家には、それは絶対に無い」 「慶造さんが常に、猪熊さんに言っていた事。それは、 俺を守るな、だったよな」 「あぁ。組長も、私を守るな、と命令するけど、それに対しては、 親父も俺も、聞くことはしない」 「そっか」 意外にあっさりと、ぺんこうが認めた。 それには、くまはちは呆気にとられていた。 「それなら、俺は、くまはち…お前を守ってやる」 「……待て。立場が違う」 「俺は誰だ?」 「厄介な体力馬鹿熱血教師」 「…………くまはちぃ……てめぇ……」 ぺんこうのこめかみが、ピクピクとする。 「俺が守るべき人の配偶者」 くまはちは、ぺんこうを見つめながら、言い切った。 「その配偶者である俺は、自分の大切な妻を守る。 そして、妻だけでなく、子供も、妻が大切に思う 人達も守る立場だが…」 「あぁ、そうだな」 「妻が大切に思う者に、お前も含まれているんだが」 その言葉に含まれている意味に くまはちは気付いていない。 「組長が、俺を大切に思ってくれてることは、嬉しいことだし、 感謝もしている」 「それは、良かった」 「だが、立場上、許される思いでは、無い」 「猪熊家の立場だろ?」 「あぁ。何度も言うように、俺は…」 くまはちは、やっと気が付いた。 「………ぺんこう」 「ん?」 先程発した言葉に含まれる意味を理解した くまはちの表情を見て、ぺんこうは、笑みを浮かべる。 「それは、ほんまに必要ない」 くまはちが力強く言った。 「そうか? 俺は、すでに決めてるぞ」 自慢げに言って、ぺんこうは、アルコールを飲み干した。 「守られる立場じゃないんだが…」 「すでに、守られてる者が、言うな」 「……ぺんこう、それは……」 「お前も知ってるように、俺は、組長には逆らえない立場だ。 その組長の命令には逆らえないだろ?」 「今は、夫の立場だろが」 「夫として、妻を守る。その妻が大切に思う者全てを守り抜く。 そういう立場だぞ、俺は」 新たにアルコールを注ぎながら、ぺんこうは言い切った。 「組長が常に言ってる言葉くらい、くまはちも覚えてるだろ?」 「私のために、生きて欲しい…。決して死なないで…」 「もう、言わなくても、解るだろ?」 そう言って、くまはちに向けた ぺんこうの眼差しは、とても優しく、くまはちの心にある何かを溶かしていく感じがした。 「そういうことか…」 くまはちは、大きく息を吐き、アルコールを一気に飲み干し、テーブルにグラスを置いた。 「そういうこと」 空になった くまはちのグラスに、ぺんこうは、アルコールを注ぐ。そして、くまはちは、ぺんこうのグラスにアルコールを足す。 お互い、自分のグラスを持ち、相手の目を見た。フッと口元を釣り上げ、そして……。 お互い、グラスを当て、 「組長命令は絶対に死守する」 そう言って、一気に飲み干した。 阿山組五代目が下した命令。それは、 『私のために、生きて欲しい。決して死なないで』 その事は、死んでも守ってみせる。 矛盾しているが、それには、深い意味が含まれている。 真子が知らないところで、真子を守る者達は、ある結束を図っていた。 次の日。 くまはちは、むかいんとビルへと向かう。ぺんこうは、二人を見送り、むかいんが用意した朝食を食卓に並べ始めた。 ちょっぴりふてくされた顔をしている真子と元気な美玖、そして、いつも元気な理子と光一がダイニングへと顔を出した。 「お待たせ〜」 「先生、休みなんやから、ええのにぃ」 「理子ちゃんは、旅行疲れが、顔に出てますよ」 「ちょぉっと、はしゃぎすぎたかなぁ」 理子は、天地山、そして、むかいんの実家とテンション高めだった。 まぁ、それには、理由があったけど…。 「で、先生は、暫く、家なん?」 「そうですね。仕事は持ち帰らないように 全て休み前に終わらせておきましたし、 翔と航には、仕事残しておきましたからね〜」 「ええん?」 「大丈夫ですよ。その予定でしたので」 「ほな、いただきまぁす」 「いただきます」 静かな朝食風景が、そこにあっ……たかと思ったが、この日は、いつになく、ぺんこうと理子が話ながらの食事となっていた。 不思議に思った真子は、ぺんこうを観察するように見つめながら、料理を口に運んでいる。美玖と光一も、ぺんこうと理子を交互に見つめながら食べていた。 くまはち運転の車の中。 助手席に座る むかいんが、静かに口を開く。 「……残ってへんのか?」 「ん? 大丈夫や。ちゃんと、チェックしてる」 「ぺんこうは、残ってるんちゃうか?」 「まぁ、ぺんこうはストレートが多かったもんなぁ」 「……で、どうやねん。俺も気になる」 「帰りの車から、感じてたんやけど、むかいんもやろ?」 むかいんと ぺんこうが、帰りの車の中で発したオーラに、くまはちは気付いていた。 ほんの短い間に発したオーラだったが、このところ、色々なことに敏感な くまはちには、その一瞬を見逃せなかった様子。 「組長に初めて料理を出した時から持ってる 俺の思いや。常に、笑顔で居て欲しい」 むかいんは、遠い昔を懐かしむかのような眼差しを見せていた。 「まぁ…猪熊家のことは、身に染みて感じてるから、 改めて聞かなくても、解ることやけどな…」 「…むかいんや ぺんこうが、動かないでもいいように、 俺だけでなく、栄三も行動するから、安心せぇ。 お前らの立場も、守るからな」 くまはちの力強い言葉に、 「そら、安心や。おおきに」 むかいんは、そう応えていた。 「……ぺんこう、大丈夫かなぁ〜」 二人は同時に、言葉を発した。 ぺんこうが、洗い物をしている間に、理子は、美玖と光一の宿題を見ていた。 真子は、まだ、ふてくされていた。 「真子。いつまで、ふてくされてるんですか?」 洗い物を終え、シンクを綺麗に拭き上げた ぺんこうが振り返りながら、真子に言った。 「……どんだけ、飲んだんよ……」 ちらりと空瓶を見て、真子が尋ねる。 「…………残ってるやろ?」 そう言って、真子はニコッと微笑んだ。 「はぁあぁっぁぁあ〜〜〜〜……お気づきでしたか…」 ぺんこうは、大きく息を吐いて項垂れた。 「いつになく、話してたもん。ほんと大丈夫なん?」 「暫く、ゆっくりしとけば、大丈夫ですよ」 「…くまはちは、平気なのに?」 「……だから、行く…って、言ったんですか?」 真子は頷いた。 昨夜、真子達が寝静まった後、くまはちと ぺんこうが飲みに降りたことに気付いていた真子。朝までコースかと思ったけど、夜中の二時には、床に就いていた。 飲んでいた時間は短かったものの、そのペースと量は、朝起きて、真子は知った。 アルコールが残っているかもしれないと真子は考え、この日のビルでの仕事を くまはちと代わろうとしたが、くまはちは、アルコールチェックの結果を真子に見せ、予定通りにビルへ向かった。 「……で、どうして、ふてくされてるんですか??」 「まだ、納まってないのかと思って…」 心配げな眼差しを自分に向ける真子を見て、ぺんこうは、真子が何を心配しているのかを悟った。 ったく…あなたという人は…。 ぺんこうは、和かな表情で真子を見つめ、そっと抱き寄せた。 「私の心…見ても大丈夫ですよ」 真子は、少し気を緩めた。 ぺんこうが心の中で思っていることが、真子に聞こえてくる。 真子は、ぺんこうの背中に手を回し、ギュッと抱きつき、胸に顔を埋めた。 「ありがと…」 そっと呟いた真子だった。 「午後から、公園に行きますか?」 ぺんこうは、その場の雰囲気を切り替えるように、真子に話しかけた。 「外、暑そうやねんけど……」 「今日は、曇り空ですから、涼しいと思いますよ」 「ほな、暑さ対策して、出掛けよう! 二人見てくる。 そして、伝えてくる〜!」 「乗り気ですね〜」 真子は笑顔で、離れにある向井家へ走って行った。 真子を見送る ぺんこうは、フゥッと息を吐いた。 すみません、組長。 これだけは、秘密ですから…。 椅子に腰掛け、テーブルに肘を突き、頭を抱える ぺんこう。 真子を抱きしめた時に、真子に術を掛けていた。 これ以上、真子ちゃんが気にしないように。 真北からの言葉だった。 誰もが真子のために動いている。だからこそ、真子の心配事が増えていることが、気がかりだった。 真子に負担をかけない為。 経過を伝えると、真子が加わり結果を出してしまう。 それは、あまりにも数が多いことから、結果だけを伝えることにしていた。 真子もその事に関しては、承諾したはずだが、心配事だけは減っていない。 先が見えない事態なため、手探り状態なところが多いのもある。 暫くは、母親だけにしてもらいたい。 真北の本音だった。 理子と光一が出掛ける準備をして、キッチンへとやって来た。 「…って、はやっ…」 「宿題終わってたから、今から行こうかと…」 真子が恐縮そうに言うと、 「仕方ないですね。準備しますか!」 ぺんこうは優しさ溢れる父親の顔をして、真子と美玖と一緒にキッチンを出て行った。 「ほんとだ、暑くない」 「そりゃぁ、先生、朝から走ってたもんな〜」 「今日は、外に出て、直ぐに家に戻りました〜」 「……二日酔い??」 公園に向かいながら、理子は心配そうに ぺんこうに声を掛けた。 「むかいんが用意してたの飲んできた」 「気付いてたんやね。むかいん凄いなぁ」 「そりゃ〜、あれだけ空き瓶があったら、判るやろ」 「それもそっか」 公園に着くと、美玖と光一は、一目散に滑り台へと駆けていく。真子と理子も子供達を追いかけるように、ゆっくりと滑り台へと向かっていった。 ぺんこうは、さり気なく辺りの様子を伺い、滑り台近くの日陰になっているベンチへと腰を掛けた。そして、楽しく滑り出す子供達を見て、微笑んでいた。 公園で遊ぶ子供達の声を聞きながら、公園の側を通り過ぎる二人の男。 一人は車椅子に座り、もう一人は、その車椅子を押していた。 沢森と都村だった。 車椅子に座る沢森は、公園の賑やかさが気になったのか、フェンス越しに公園に目をやった。 「理子さん親子と真子さん親子ですね」 都村がそっと、沢森に話しかけた。 「あっ! さわもりおじさん!!」 美玖と光一が二人に気付き、声を掛けながらフェンスの所へと駆けてきた。 「さわもりおじさん、つむらおじさん、こんにちは!」 「こんにちは」 都村が挨拶を返すと、沢森は、美玖と光一を見つめ、そっと微笑んだ。 「おさんぽ、おわったの?」 「今から行くところだよ」 「そっか。あついから、きをつけてね」 「ありがとう。では、行ってきます」 「いってらっしゃい!」 光一と美玖に見送られ、二人は公園から遠ざかっていった。 二人の姿が見えなくなると、光一と美玖は、ブランコへ向かって走って行った。 一人で乗ることが出来るようになった二人は、大きく揺れることを競い合いながら、こぎ始める。 「なぁ、真子」 理子が声を掛ける。 「ん?」 「車椅子、暑そうやんな」 「あれは、夏仕様の車椅子だったよ。メッシュ入っていたし、 風通しも良さそうなやつやで。多分、涼しいと思う」 「遠目で判るん?」 「橋先生ご推奨やし」 車椅子には、とあるマークが入っていた。 「そうなんや」 「まぁ、暫く、兄さんが使ってたし、その頃に色々と 試作品もあったし、地島さんも改良しまくってたもんなぁ」 ちょっぴり懐かしげに、ぺんこうが言うと、理子は納得したように頷いていた。 「沢森さんの通院先って、橋先生とこなん?」 あまり接触の機会が無い真子が、理子に尋ねる。 「…そういや、通院先は聞いてないや。でも、 院長先生とこやったら、真子も知ってるやんなぁ。 駅前のとこちゃう?」 「ということは、橋先生が大阪の病院全てに 宣伝したかも…」 「商売も凄いねんなぁ〜院長先生」 感心するように、理子が言った。 橋が事務室で大きなクシャミをしていた。 「そろそろお昼やで〜。帰るよぉ」 理子が子供達に声を掛ける。 「はぁ〜い!!」 美玖と光一は元気よく返事をし、揺れを止め、ブランコから降りて、母親のところへと駆けていき、手を繋いだ。空いた手をぺんこうに差し出し、 「パパ、たいじょうぶ?」 「しんパパ、げんきになった?」 心配げに ぺんこうを見上げる二人。 「元気だよ〜。昼は、私が作りますね」 「やった!!」 喜ぶ子供達を見て、ぺんこうと真子、そして、理子は笑顔になっていた。 真子達が家に着いた頃、同じように、昼食を取ろうとしている者が居た。 AYビル・くまはちの事務所。 むかいんが持ってきた昼食を広げ、手を合わせ 「いただきます」 そう言って、箸を運ぶ くまはちだった。 しっかり味わい、しっかり噛みしめ食べ終わった くまはちは、後片付けをし、ソファに寝転んだ。 「よぉ、くまはち」 そこへ須藤がやって来る。 くまはちは直ぐに起き上がり、 「早いですね…」 どうやら、朝からかなりの量の書類を須藤に渡し、対策案を待っていたらしい。 「そっちは、まだや、すまん。それより、客や」 「客?」 須藤が指さした先には、一人の男が立っていた。 「…新竜次……」 「お邪魔します。真子さんに相談があります…」 「…相談…だとぉ〜?」 くまはちの眼差しが、鋭くなった。 (2020.9.12 第一章 驚き 第十七話 UP) Next story (復活編 第一章 驚き・第十八話) |