憧れるもの<4>
まさちんが、病院のベッドに抑制されてから、五日が経った。 付き添うまさちんの母は、まさちんが抑制ベルトを外して欲しいと言う度に、真子の事を話の種にする。流石のまさちんも、真子の話になると大人しくなってしまった。 だが…。 五日もその方法が通用するわけがない…。 母は、どんな話で場を持たせようか悩んでいた。 まさちんは、五日経っても何の連絡も無い事に苛立ちを見せている。日に三度、診察に訪れるキルも体の事以外は、何も話さなかった。
「お袋ぉ〜、畑は?」
まさちんが尋ねる。
「それは、ちゃんとしてもらってるから、安心しなさい」
「他の人間の手が加わると、機嫌が悪くなる…」
「大丈夫。その道のプロに頼んでるから」
「もしかして、おじさんに…ですか?」
「そうよ。政樹に教えてくれたんだから、大丈夫でしょう?」
「そうですね。…でも……そろそろ外してもらえないですか?」
「あと二日。我慢しなさい」
「……おふ…」
「これ以上……みんなに心配を……掛けないでよ……ね」
寂しげな表情を見せる母。
お袋……。
まさちんは、その時の母の表情と自分が家を飛び出した時に見せた表情が重なって見えていた。
あの時も、お袋は、その表情で……。
「…ごめん…お袋……」
静かに言ったまさちんは、そのまま目を瞑った。 その日は、消灯時間まで何も話さない親子だった。
七日目。
キルが、まさちんの診察をしていた。 まさちんは、抑制ベルトを外してもらえる事をわくわくして待っていた。 キルを見つめる目が、爛々と輝いている。
キルがため息を付いた。
「……キル…もしかして…」
まさちんは恐る恐る尋ねる。
「まさちんさん」
「はい」
「あと三日は……」
「あぁのぉなぁ〜っ。一週間我慢しただろがっ! それを何や!
あと三日って、あのなぁ〜。商品の納期を延ばしてるんちゃうんやぞ!
ええかげんにせぇやっ!」
「本当に、あと三日安静が必要かも知れませんよ…」
真剣な眼差し。 まさちんは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「取り敢えず、橋院長と相談してきます」
キルは、まさちんを抑制し続けるベルトの締まり具合を確認して、カルテを手に取り、病室を出て行った。 ドアが静かに閉まる。 キルが病室を出てから、かなり長い間、沈黙が続いていた。 まさちんは、抑制期間を延期された事に、衝撃を受けていた。 母は、そんな息子に掛ける言葉を一生懸命探している。
「政樹……」
言葉を選んでいた母が静かに呼ぶ。その声は、切なく感じた。
「お袋、俺…本当に、やばかったんですか?」
「喜隆先生が抑制しなかったら、更に悪化してたかもよ…」
「確かに、いつも以上に疲れやすかったし、腕の具合も
悪かったんですが…でも、もう、大丈夫なんですよ。
以前のように振る舞えるはずなんですが………!!!!」
まさちんは、異様な気配を感じていた。
「お袋…ここから逃げて下さいっ!!!」
まさちんが叫ぶ。
「えっ? 政樹、どういう…!!!」
突然、病室のドアが吹っ飛ぶ。それと同時に、窓ガラスが割れ、黒い塊が二つ飛び込んできた。ドア付近に目をやると、五つの黒い塊が入り口を塞いで立っていた。 母は、咄嗟にまさちんをかばう。そして、顔を上げた。
「あなたたち、なんなのっ!!!」
母が叫んだ。 母が振り返ると、そこには、黒服を着た男達が武器を片手に、まさちんと母を見つめていた。 無表情。 母は、危機を感じ、側にあった椅子を手に取り、構えた。
「(命……もらったっ!!)」
別の国の言葉で、一人の男が言った。 そのことで、まさちんは相手が誰か瞬時に悟る。
「…お袋っ!! そいつらは、青柳の時とは違うっ!!!」
政樹…?!
男がナイフを突き出した。 母は椅子で、そのナイフを払いのける。
「私の息子を、これ以上…傷つけるなぁっ!!!」
そう叫びながら、母は椅子を振り回す。 母の行動に、一瞬だけだが、男達は動きが停まる。
「お袋!! ベルトを解いて下さい!! そいつらは……!!」
まさちんは、自分を縛り付ける抑制ベルトの異変に気が付いた。
兄貴…まさか……。
「……お袋……しゃがんでっ!」
「えっ?!」
うそ!!!
まさちんの声を耳にして振り返った母は、目の前の光景に、目を見開いて驚いてしまう。
まさちんが抑制ベルトをいとも簡単に引きちぎり、ベッドから飛び上がった。そして、母と男達の間に、ひらりと着地する。母が手にする椅子をスッと奪い、窓際に立つ二人の男に向かって投げつける。 男は素早く避け、ドア付近まで身を転がした。 まさちんは、母を守るように腕に抱え、窓の側にある壁に押しつけた。そして、自分が一週間抑制されていたベッドを母の前に立てた。
「お袋…そこから動かないで下さいね」
ベッドの向こうに見える母に、ちらりと振り返り、ニヤリと微笑むまさちん。 その表情に、母は頷くだけしかできなかった。 今まで、母の前では絶対に見せなかった表情……別の世界で生きる男の表情……。
政樹…。
母は、ベッドの向こうから聞こえてくる音を遮るかのように、耳を塞いだ。
母の安全を確認したまさちんは、男達を睨み付ける。
男達は、まさちんが醸し出すオーラに、気圧された。 少しでも動けば、自分が倒されるかもしれない…。 そんな雰囲気だった。 しかし、任務を遂行しなければ、生きて帰れない。 手に持つ武器をグッと握りなお……………そうと気合いを入れる前に…。
まさちんの拳が、震えだしていた。
「(………て……てめぇ…るるらぁ……。生きて帰れると……
思うなよ……!)」
割れずに残っている窓ガラスが揺れる程、低い声で、まさちんが言うと同時に、男達は、体中に痛みを感じていた。
武器を差し出す前に、腹部が突き抜けるかのような痛みを感じる。 目の前の景色が急変。よく見ると、それは病室の床…。 そして、背中に重みを感じた。
別の男は、仲間が床に倒されたのを横目で見ながら、まさちんに銃口を向けた……が、手にしたはずの銃は、そこには無く、引き金を引こうと指を動かしたが、空を切るだけだった。
な、な?!
顔の中心に、激痛が走った途端、柔らかい何かの上に仰向けに寝転んでいた。 目を開けると、何かが自分の上に降ってくる!!!
まさちんの母に椅子で跳ね返された男は、まさちんが、ベッドを壁に立てたと同時に、両手にナイフを持った。しかし、標的の姿は、目の前に無かった。微かな呻き声に振り返ると、目の前に真っ赤なしぶきが飛び散っていた。 慌ててナイフを差し出すが、その両腕に強烈な痛みを感じ、聞き慣れない音を耳にする。
いっ?!?
ナイフを持っていた腕は、見慣れない方向に曲がっていた。 それも、関節がない場所が……。 驚き、顔を上げると、恐ろしいまでの形相で、まさちんが睨んでいた。 男はその目に恐れ、動く事が出来ない。 まるで、蛇に睨まれた蛙のように……。 まさちんの拳が差し出されるのに気付いた男は、身を屈めたが、側頭部に強烈な痛みを感じ、壁に飛ばされた。咄嗟に受け身の体勢を取ったが、背中を強打する。
…っっ!!
背中の痛みを感じたと同時に、自分の体が宙に浮いていた…。 何か、柔らかい所に俯せで着地した。 そこが何かを確認する前に、背中に重みを感じ、肋骨が折れた。
得体の知れない音を耳にした男は、周りの男達の姿が次々と床に横たわるのを目の当たりにする。 一瞬の出来事。 瞬きをしたら、自分も襲われると思った男は、側に居る二人の男に目で合図した。
同時に…。
二人の男は、コクッと頷き、戦闘態勢に入る………が、何かになぎ倒されるように、柔らかい場所に着地した。
「(う…うわぁ…。な、な、なんだよっ!)」
一瞬のうちに、六人の仲間が、床に積み重なった。自分も同じように積み重ねられると思ったのか、最後の一人は、腰を抜かしたように座り込み、ドアに向かって這っていく。
「(…!!!!!! や、やめてくれぇぇっ!!!)」
手を軽く踏まれた男は、目の前にある足を伝って、目線を移していく。 自分の手を踏みつけているのは、まさちんだった。 入院生活中の為、裸足だが、踏まれている手は、徐々に痛みを増していく。
バキバキバキ……。
何かが砕ける音がした。そして、踏まれている手から、腕を通って、電気が走る。 それが痛みだと判った時には、体は宙に浮き、仲間が横たわっている所へ、仰向けに着地していた。背骨が曲がる。そして、腹部に強烈な痛みが! こみ上げる鉄の味に我慢出来ず、男は吐き出してしまう。
「(……なんだよ…本当に、雑魚しか残ってないんだな)」
冷たく言い放つまさちんは、ふと窓際に目をやった。 窓から射してる灯りが、急に消える。
まだ居るのかっ!
戦闘態勢に入り、拳を握りしめたまさちん。目の前に着地した男を睨んだ途端、更に窓から何かが飛び込んできた。 目の前の男は、窓に振り返り、何かを受け止める体勢になる。 金属同士がぶつかり合う音が、響き渡った。 それと同時に、目の前の男の体から、真っ赤な噴水が現れ、そして、ばったりと真後ろに倒れた。 まさちんは、倒れた男の向こうに居る人物に目をやる。
「(キル…お前…)」
「(この際は仕方ありません。それに、出血が酷く見えるだけですよ)」
「(どこぞの誰かの台詞だな…)」
キルは、ナイフに付いた血を拭い、そして、袖にしまい込んだ。
「(御無事ですか?)」
キルは尋ねる…が、ドア付近に積み重なっている男達を観て、項垂れた。
「(先を越されてしまったというか……積み重ねる事ないと思いますが…)」
「(場所が狭いから、仕方ないだろ。……で、こいつらは?)」
「(今朝入った情報で、新たな刺客が放たれたと…。その男達です)」
「(それで、あと三日と言ったのか?)」
「(……その通りです)」
「ふぅ〜〜〜〜〜〜〜っ…………あのな…」
と言った時に、思い出した。
「お袋っ!!!」
窓の側に立てたベッドを見つめる。 母は、耳を塞ぎながらも、顔を出していた。
ま、まさか……観られていた……。
「怪我…ありませんか?」
まさちんは、平静を装って、母に声を掛けた。母は、ゆっくりと立ち上がる。そして、耳から手を放した。
「政樹…………」
絶望的にも感じる声で、母が呼ぶ。 まさちんは、思わず目を反らしてしまった。 キルは、母の前にあるベッドを軽々持ち上げ、元の位置に戻した。そして、母に手を差し伸べる。 その手を払われた。
あっ……。
キルは、母に払われた手を見つめる。その手には、血が付いていた。 母は、ゆっくりとまさちんに近づいていく。まさちんは、その場に立ちつくしてはいるが、母から目を反らしていた。 急に両頬に手の温もりを感じた。 母が、まさちんの頬を両手で挟み、そして、自分の方に向くよう、まさちんの顔を動かした。 その勢いで、まさちんは、母を見た。 母の目から涙が溢れ、頬を伝っていく。
「政樹………。政樹っ!!!!」
母は、まさちんの胸に飛び込んだ。
「…お、…お袋……」
「…………無事だったっ!!」
母の言葉に、まさちんは驚いていた。 自分の行動を叱責されると思っていた。しかし、母の口から出た言葉は……。
「俺が…やられるわけ…ないじゃありませんか。…これでも、
巨大組織を束ねる親分を守っていた男ですよ…」
「でも、今は………」
自分の背中に回された母の腕は、更に力強く締め付けてきた。 その腕から、母のぬくもりが、伝わってくる。 気が付くと、まさちんは、腕の中に母を包み込んでいた。
ごめん、お袋…心配かけて……。
緊迫した空気が一変し、温かい雰囲気に包まれる病室。 その雰囲気を壊すかのように、須藤がやって来た。
「おいおいおいおいぃ〜。まさちん、健在かよ…」
病室の隅で重なっている男達を見て、須藤が言った。 その言葉に、まさちんの怒りが再発……。
「あんたなぁ〜、動いていたんとちゃうんかいっ!!」
「あのなぁ、まさちん。こいつらの動き、知っとるやろがっ!
いくら俺でも、追いつかんっ!」
「先を見越しとけっ!」
「だから、白井を先に……って、白井は?!」
「白井、おったんか?」
キョロキョロと辺りを見渡す須藤とまさちん。 外れたドアの向こうを見つめると、廊下の壁にへばりつくように立ち、口をあんぐりをしている男が居た。
「おい、白井……白井っ!」
須藤に大きな声で呼ばれて、ハッと気付いたように顔をフルフルと横に振る白井。
「…す、すごい……すごいですよ…須藤親分……」
「何がだよ」
「俺が……」
ゴクッと唾を飲み、話し続ける白井。
「私が廊下を歩いていた時です。その開いていた窓から、
五つの塊が飛び込んできて…。病室の扉を蹴破ったんです。
すぐに、敵だと判りました。急いで駆けつけたんですが……」
更に唾を飲み込む。
「その時には、すでに、喜隆先生が、まさちんさんと
話していました……。一分も経ってません〜〜」
驚き、感激、そして、嘆き…どう表現していいのか解らない口調で、白井が話した。
「…………まさちん、抑制ベルト…」
「母の危機に、悠長に寝てられませんよ」
「お前…力が更に増してないか?」
「くっくっく……」
含み笑いをするまさちん。それには、須藤達が一瞬、凍り付いた。
まさか、まさちん……。
「あのベルト、兄貴が…地島の兄貴が作った商品でしょう?」
「あぁ。そうだったよな、キル」
「はい。そのベルトを預かったと同時に、一週間は安静にするように
伝言も頂きました。…一週間と念を押されて…」
「そこが肝心要。…兄貴の言葉通りってわけ」
「……はぁ?!?!?!」
まさちんの言いたい事が解らない須藤とキルは、同時に首を傾げた。
「だから、一週間は、俺を抑制する力があるけど、一週間経ったら
その効力は無くなるって事だよ。…俺がそれに気付いた時間…
ちょうど、ベルトで抑制されてから、一週間経った時だったんだよ」
「………それで、一週間と強調…か…」
納得したような、しないような感じで、須藤が言う。
「それでも、引きちぎるんか……恐ろしいやっちゃなぁ〜。
一瞬のうちに、男達を積み上げたってことか…」
須藤は、積み重なる男達を観察する。
誰もが気を失っている…。腕が折れている者、背骨が折れていそうな者、内臓を痛めた様子の者、そして、重圧に耐えきれないのか、体がひしゃげている一番下の男……。 須藤は大きく息を吐く。
「…まさちん、俺がしたことにしとけや」
静かに言う須藤。
「当たり前だ」
当然のようにまさちんが応えた。
「これで、安全だよな…須藤さん」
静かに尋ねるまさちんに、須藤は、優しく微笑み、
「あぁ」
と、短く応えた。
(2004.12.29 『極』編・憧れるもの<4> 改訂版2014.12.23 UP)
|