第一部 『目覚める魂』編 第十三話 嵐の前触れ、和むひととき。 あの思いは、代々伝えられていたのか、それとも、遺伝子に組み込まれていたのか…。 今となっては、解らないが、時が経つにつれ、広がる思い。 俺はそれを大切にしたい。 沢村邸の前に一台の高級車が停まる。運転席から笹崎が降りてきた。そして、後部座席のドアを開ける。 誰も降りてこない。 笹崎は、不思議に思い、車の中を覗き込む。 そこには、緊張の面持ちで座る慶造が居た。 「慶造さん?」 「…やっぱり、駄目」 笹崎は、微笑んでいた。中々降りてこない慶造を促すように沢村邸の呼び鈴を押す。 『はい。』 男の声が聞こえてくる。 「阿山です」 『すぐ、そちらに向かいます。お待ち下さい』 笹崎は、車に振り返る。慶造は、車の中から笹崎を睨み上げていた。 「大丈夫ですよ」 「あのねぇ。一人っていうのが…その…。なんで、修司も小島も来ないんだよ。 あっ、修司は、無理としても、小島はいつでも暇だと言ってたのになぁ。ったく」 慶造が車から降りてきた。それと同時に門が開き、一人の男が顔を出した。 目つきの悪い男だが、醸し出される雰囲気に殺意はない。そして、深々と頭を下げていた。 「お待ちしておりました。私、山中と申します」 「初めまして。阿山慶造です。山中さんのことは、ちさとさんからお聞きしております。 とても安心できる…強い方だと」 「嬉しいことですね。お嬢様をお守りするのが、私の役目ですから。その…」 山中は、笹崎に目線を送る。 「私は、帰ります。慶造さんをお願いします」 「って、笹崎さん」 笹崎は、慶造の両肩に優しく手を置き、そっと慶造を差し出した。それでも躊躇う慶造の手に、紙袋を持たせる笹崎。 「帰りは迎えに来ますので、山中さん、連絡お願いできますか?」 笹崎は、山中に名刺を差し出す。山中は、名刺を受け取り懐にしまい込む。 「かしこまりました。ご案内致します」 「お願いします」 「楽しんでくださいね、慶造さん」 振り返る慶造は、笹崎を睨んでいた。それでも笹崎は、優しく微笑み、沢村邸へ入っていく慶造を見送ってから、その場を去っていく。 慶造は、山中に案内されて、沢村邸の玄関へとやって来る。ドアが開き、慶造は招かれた。 「慶造君!」 そこには、ちさとが素敵な笑顔で立っていた。 「おはようございます。…その…お世話になります。それと、…先日は、 大変ご迷惑をお掛けすると共に…」 深々と頭を下げる慶造だった。 玄関に居たのは、ちさとだけでなく、ちさとの両親も居たのだった。 「堅苦しい挨拶は、いりませんよ」 ちさとの母が優しく応える。それでも慶造は頭を下げていた。 「お待ちしてましたよ、阿山くん。どうぞ、上がってくださいな」 ちさとの父が、少し凄みを利かせて言う。 「お邪魔します」 差し出されたスリッパを履き、慶造は、ちさとと一緒に、屋敷の奥へと入っていった。山中は、玄関先で一礼して、屋敷を出て行った。そんな山中の行動が気になる慶造は、ちさとに、そっと尋ねる。 「ちさとちゃん、山中さん…」 「屋敷に入るのは、緊急事態の時だけ。それに、ここに居る時は、安全だから」 「初めて拝見したけど、威圧されるね」 「私の危機には、必ず駆けつけてくるんだけどね。慶造君と一緒の時は、 遠慮するんだって」 「どうして?」 「安心だからって」 「????」 ちさとの言葉に首を傾げる慶造。きょとんとした慶造の表情が、あまりにも似合わない。ちさとは、思わず吹き出した。 「ふっふっふ! 慶造君、なんて表情してるの?」 「えっ? 何か変?! いつもと変わらないというか…緊張してるか…。いや、そうじゃなくて、 どうして、安心するんですか?」 「慶造君の周り、常に厳重だから」 「山中さんの出る幕が無いって事?」 「うん」 ちさとの笑顔と一緒に、ある物が光っていた。 昨日、プレゼントしたネックレス…。 慶造は、照れたように目を反らす。 慶造は、リビングに案内されて、ソファに腰を掛ける。 暫くしてお手伝いさんが、慶造にコーヒーを持って来た。 「どうぞ」 「いただきます」 慶造は深々と頭を下げる。お手伝いさんが去ると慶造の前に座るちさとの父親が声を発する。 「冷めないうちに飲んでくださいね」 「ありがとうございます」 「久しぶりに、ちさとの手料理か…」 「久しぶり…とは?」 「小学生の頃は、よくあいつの手伝いをしていたんだよ。そして、いつの間にか 自分で作ると張り切ってな。…中学に入ってからは、勉強を疎かにしないようにと 他の者に作らせているんだよ。ちさとは、一つのことに集中する子だからなぁ」 父親は、コーヒーを一口飲む。 「で、阿山君は、これから、どうするつもりかな?」 「どうというのは…」 「…君が跡目を継ぐのか…ということだが…」 父親の話は、唐突だった。 「私が阿山組の四代目になるのか…ということですか?」 「……あぁ。それによっては、今後のことを考えないとな…。私は、娘を… 大切な娘をあの世界には巻き込みたくないからな」 「沢村さんのお気持ちは、充分に理解しております」 「あの世界から離れる為に、今では、普通に…極道とは程遠い世界で過ごしている。 まぁ、ちさとの気持ちは解ってる。それに、君の父親…阿山の三代目とも何度か 顔を合わせている。あのような行動に出るとは、考えられなかった。二代目とは 違ったやり方で…あの世界を静かに制圧し始めているよな…。 ……阿山君は知らないことか…」 「…存じてます」 「ということは……跡目を考えていると…?」 「いいえ。私は、跡目を継ぐ気持ちはございません。あの世界が嫌いですから。 ただ、私のお世話係をしていた笹崎が、跡目教育も兼ねているようで、 組の動きは全て、私に報告してきます。それで、存じているだけです」 「新聞を読んでいるようなもんか…」 「そうなります。父の行動は、私も目を覆いたくなるものばかり。それが 酷くなったのは、私が幼い頃に起こった事件からです」 「あぁ、あの…黒崎が仕掛けた事件だね。…知っているよ。私も居たからね」 「えっ?」 「詳細は知らないだろう。君が拉致されて来た時に、黒崎の三代目を見舞っていてね。 そこに連絡が来たんだよ。私は、三代目に言われて様子を見に来た。幼いながらも 君は暴れていたよな。…覚えてるよ…『笹崎を殺したっ! 許さないっ!』って 叫んでいたことをね」 「……あの人が、あなただったんですか。…あの中で唯一、感じた光…」 「光?」 「恐ろしいまでのオーラの中に、一筋の光を感じていた。助かる…そう思った。 でも、あなたは…」 「崎と話し合う為に、その場を離れたのが、悪かった。…まさか、あいつらが あのような行動に出るとは、思わなかったさ。…あの崎もそう言っていた。 必死に傷の手当てをしていたよ、崎は…。だけど、まさか…」 「…えぇ。親父より、笹崎の怒りの方が、凄かったんですよね。…修司の父から 聞きました。笹崎は動けるはずの無い体で、次々と男達を倒していったと…」 「落ち着いた頃に、崎から聞きましたよ」 「……あの世界から離れて過ごしているのに、どうして、黒崎家と未だに?」 「あの世界抜きでのお付き合いですよ。…それで、阿山君は、高校を卒業したら どうするのかな?」 「大学へ行く予定です。日本に居てもつまらないので、海外に行こうかなと…」 「つまらない…か。確かにそうだな。…ちさとは、知ってるのか?」 「お話はしております」 「付いて…行くだろうな。…寂しがり屋だからな」 父親は、優しく微笑んでいた。 「それにしても、遅いなぁ」 何かを誤魔化すかのように、父親は立ち上がる。 「…君は、ちさとを守ってくれるのか?」 「守るというのは…」 「夏のように、私たちを狙う輩が多いんでね。あの世界から離れたというのに、 未だに、狙っている者も居る。まぁ、それは、黒崎と親密に付き合っていることも 関係しているんだろうな」 「私が、ちさとさんとお付き合いしている所を見られると…それこそ…」 慶造の言葉に、父親は何も応えなかった。 沈黙の中、慶造は、コーヒーを一口飲んだ。 お茶が…いいな……。 軽く息を吐く慶造だった。 猪熊家・リビング。 「なぁ、猪熊ぁ」 「ん?」 「三人目…?」 「…うん……」 春子が、リビングへ戻ってきた。 「ふぅ、すっきり」 「春子ちゃん、大丈夫か?」 「大丈夫大丈夫。もう、慣れたもんだって。今回は、ほぉんと早いんだもん。つわり」 「母は強し…か。こりゃ、猪熊もたじたじだなっ!!!!」 隆栄が言うと同時に、修司の蹴りが頭の上を通り過ぎる。 「なんだよっ!! ったく」 「じゃかましい」 「子供の前で、それは、すんなって」 隆栄の膝の上には、剛一が座っていた。修司は、武史を抱えたまま、隆栄に蹴りを見舞っていた。 「そうだよぉ、修ちゃん」 「ご、ごめん…」 本当に春子に弱い修司だった。 「なぁ、猪熊」 「ん?」 「今頃、阿山…楽しんでるかな…。初めてだろ、一人でって…」 「そうだな。それも、好きなちさとちゃんの家ってなぁ」 「おじさんとおばさんも一緒だよな。俺は、平気だけど、猪熊は?」 「俺は緊張するよ。春ちゃんの家に挨拶に行った時、滅茶苦茶緊張したもんなぁ」 「そうだったね。時々逢ってたのに、あの日だけは、いつもの修ちゃんじゃなかったもん」 「当たり前だろぉ。子供が出来たんで結婚します…って、まだ十五で、…なぁ。 気を付けてたのにな。…まぁ、でも、今は、幸せだもんなぁ、春ちゃん」 「うん。二人の息子と、そして、ここに、もう一人ぃ。ねぇ、修ちゃん、何人まで?」 「どこまでもぉ」 「よっしゃぁ、頑張るぞぉ!!」 妙な気合いが入っている修司と春子夫婦。その場に居合わせている隆栄は、二人の妙な気合いに付いていけない…。 「……好きにしろって」 隆栄は呟いた。 「それはそうと…慶造、本当に大丈夫かな…」 「やっぱり心配なんだろぉ」 「あぁ。あのように言ったものの…心配だよ。ほら、ちさとちゃんのボディーガードの人」 「時々見かける山中さんだっけ。あのごっついおじさん。目つき悪いから、 ちさとちゃんか阿山を狙ってる男だと思ったもんな」 「慶造は気が付いてなかったけどな。初めて逢うんだろうなぁ。ちさとちゃんから 話を聞いていても、やっぱり警戒してしまうよな」 「まぁな。…でも、猪熊と違うオーラがあるよな。ちさとちゃんに危機が迫るまで 動きそうにないし、そうなった時は、そりゃぁ、もう、目を覆いたくなりそうなくらい やりそうだし…」 「確かに…妙なオーラだよな」 修司は、呟いた。 「阿山…警戒してなければいいけどな」 「どうだろう…。俺や親父と違って、絶対に主従関係の区別、付けてるだろな」 「ちさとちゃんは嫌がらないんかな…」 「さぁな」 そう言って、修司は、武史を抱き上げ、父親の顔になる。隆栄は、剛一と遊び始める。そんな二人と二人の子供を見つめる春子は、幸せ溢れる表情をし……。 「うっ……」 リビングを出て行った。 「…ほんとに大丈夫なんか?」 「こればかりは、なぁ…」 隆栄の問いかけに修司は、そう応えるだけだった。 沢村邸・ダイニングルーム。 豪華な料理が次々と並んでいく。そこに、慶造とちさとの父親がやって来た。良い香りに、慶造の目が輝く。 「すごい…」 慶造が呟いた。目の前の豪華さに、慶造は驚いていた。 「お口に合うか解らないけど…どうぞ。ここに座って」 「は、はい」 ちさとが薦める席。父親が腰を掛ける場所の向かい。そこは、かわいい猫柄の座布団が置かれている椅子。慶造は、少し躊躇いがちに腰を掛けた。ちさとは、慶造の左側の一角に座る。 ……って、沢村家の家族と一緒に食事…??? 父と母が同じ食卓に着いている。慶造は、更に緊張してしまった。前には父親、右には母親、左にはちさと…。なんとなく違和感を感じる席順だが…。 「どうぞ」 「いただきます」 慶造は丁寧に挨拶をして、箸を持ち、そして、おかずに手を伸ばした。 口に運ぶ……。 「………どう?」 ちさとは、恐る恐る声を掛ける。 「おいしい……」 「ほんと?」 「なんて言うのかな…その…俺…笹崎さんの味に慣れてるけど、 また違った…心が落ち着くというか…何というか…。…ちさとちゃん…?」 「はい?」 「ちさとちゃんらしいかな…って」 「私らしい?」 慶造の言葉の意味が解らないちさとは、首を傾げる。 「優しさが伝わる…」 慶造の言葉に、ちさとは、照れたように頬を赤らめた。 「おかわりしても、いい?」 「うん!」 明るく元気な声で応えるちさと。父と母は、そんなちさとを見て、驚いていた。 自分たちには見せない表情。もうすぐ十五になる少女そのものの表情だった。男勝りに近いちさとだが、慶造の前では、かわいい少女になっている。 「ほぉ……」 感心したように、父が呟き、料理を口に運んでいた。慶造とちさとの楽しい会話を耳にしながら…。 デザートが食卓に並ぶ。 「これも、ちさとちゃんが作ったの?」 「うん」 まるで、お店で出てくるような飾り付け。ちさとの張り切りようが解る程。 「どっちかというと、デザートを作る方が得意なの」 「女の子だ…。俺、女っ気が少ないというか、ほとんどない場所で過ごしてるから こういう雰囲気なのは、初めてだなぁ」 慶造は頬張った。 「おいしいぃ〜」 更に綻ぶ表情。初めて観る慶造の表情に、ちさとも驚く。 「やっぱり、慶造君って、どこか不思議だね」 「ん?」 デザートの頃には、慶造の緊張感はすっかり取れていた。それは、ちさとの料理がそうさせたのかもしれない。 「小島君が、慶造君の妙なオーラに惹かれてるって言ってたのが、解った」 「小島が言う、俺の妙なオーラって、解らないんだよなぁ」 慶造は食べ終わる。 「おかわり、どう?」 「もう、お腹一杯。ごちそうさまでした。おいしかった。また、食べたいな」 素敵な笑顔で微笑む慶造に、ちさとは、思いっきり照れていた。頬を赤らめ、空になった食器をお盆に乗せていく。 「ね、慶造君」 「はい」 「後で、庭でも散歩しない?」 「庭…確か、すごく広いんですよね、沢村邸の庭」 「慶造君とこよりは、狭いと思うけど…」 「素敵な庭だとお聞きしてます」 「ちさと、後は私がしておくから、阿山君と行ってらっしゃい」 母が言う。 「いいの?」 ちさとの問いかけに、母は優しく頷いた。そして、ちさとと慶造は部屋を出て、沢村邸の庭を歩き出す。そこは、キッチンからも見える場所だった。ちさとが、池の中を指さしながら、慶造に笑顔で話しかける。慶造は、池の中を覗き込む。 ちさとが、ふざけたように慶造の背中を押した。池の中に落ちそうになる慶造は、素早く姿勢を戻し、ちさとに何かを言っている。二人は、楽しそうに笑い合っていた。 「ねぇ、あなた」 「ん?」 ダイニングの椅子に座ったまま、食後のコーヒーを飲んでいる父に母が話しかける。 「ちさとと阿山君の仲が許されたら、黒崎家は黙ってないと思うわ」 「そうだな…。阿山組二代目が怒りを露わにしたように…」 「また、あの世界が、真っ赤に染まるかもしれない」 「阿山組の三代目は、表立っての行動は控えているが、あの厚木会と 更に親密な関係を築き上げているようだし、厚木も銃器類に関しては 右に出るところがないくらいになってきたよな」 「阿山組が巨大化すると…それこそ、全国規模で動き始めるでしょうね」 「そうだな」 「…あなたは、協力するの?」 洗い物の手を止める母。父は、そんな母にそっと近づき、後ろから優しく抱きしめる。 「守ってみせるよ」 父は、窓から庭を見つめた。いつの間にか、庭石に腰を掛けて話し込んでいる二人。そこから感じる温かなオーラ。 「あの子は、何を見せてくれるかな…」 「跡目…継ぐんでしょうね、阿山君は」 「どうだろうな。…でも、今まで以上の組長となるだろうな。内に秘めたもの…。 あの日、感じたからな。幼いながらも、大の男達を困らせる程だったからな。 それが、あの傷を作ることになった」 「それでも生きてるんですね」 「三代目の姐さんが、輸血をして、体を壊して亡くなった。自分の命を引き替えに 息子を守ったという話だ」 「子供のためなら、なんだって出来ますよ」 「そうだな」 母は、洗い物を続けた。 沢村邸・庭。 慶造とちさとは、歩いていた。その後ろを付かず離れずの距離で、山中が付いてくる。 「ちさとちゃん」 「なぁに?」 「山中さんって、邸内でも護衛してるんだね」 「この家、進入しやすいらしいから。いくら頑張っても、敵は、進入路を 見つけるみたいね。慶造君の所は?」 「高い塀に囲まれてるし、組員や若い衆が常に見回りしてるからね。進入したら それこそ、命を失うに等しいかもしれない。まぁ、単独での進入はないからね。 屋敷内では大丈夫なん?」 「厳重だから」 「そうだね。あの日も、そう思った。今日、改めてゆっくりと拝見すると、 屋敷内は、厳重だなぁと思った。安心だよね」 「うん」 大きな桜の木の下にやって来る二人。慶造は見上げた。 「おっきいなぁ」 「私が生まれる前からだって。恐らく、おじいさんの頃かな…。黒崎家と親族になった その時だと思う。記念に植えたらしいの」 「ふ〜ん」 慶造は、暫く見上げていた。そして、再び庭を歩き出す。 「山中さんって、家族居るの?」 「居ないみたい。そのような素振り、見たことないよ。どうして?」 「笹崎さんと同じ雰囲気を感じたから」 「笹崎さんって、お子さんおられるの?」 ちさとは驚いたように尋ねる。 「四半世紀は生きてるはずだけどなぁ」 「……二十五のお子さん??? 笹崎さんって、おいくつなの?」 「いくつなんだろう。…四十すぎてる…かな…」 「そうだよね。猪熊君は、十五で父親でしょう? 同じくらいかな…」 「計算すると、そうなるよね…」 「……うん……」 謎の男・笹崎は、ここでも話題になる男だった。 沢村邸の前に、高級車がやって来た。運転席から笹崎が降り、沢村邸の呼び鈴を押す。山中が出迎え、そして、その後ろから、慶造とちさとが出てきた。ちさとは、笹崎を見て、なぜか笑ってしまう。 「????」 ちさとの笑う仕草を不思議に思いながらも、慶造を車に招く笹崎。 「ちさとちゃん、今日はありがとう。凄く、心が和んだ」 「慶造君に、そう言ってもらうと、嬉しい。こちらこそ、ありがとう」 「じゃぁ、また」 「勉強、解らないところがあったら、また、教えてね」 「いつでもどうぞ。…山中さん、お世話になりました」 慶造は深々と頭を下げる。 「お気を付けて」 山中が低い声で応えた。その声の中に優しさが含まれている。笹崎も一礼し、慶造が車に乗ったのを確認してから、自分は運転席に座った。そして、アクセルを踏む。 去っていく車をいつまでも見送るちさと。その表情には、寂しさが表れていた。 「ちさと様。お入り下さい」 「うん」 山中は、周りを警戒しつつ、門戸を閉めた。 その夜。 ちさとは、母とリビングで話し込んでいた。 「ちさとは…阿山君に付いていくの?」 「慶造君が、海外に行くなら、付いていきたい」 「どうして? 好きだから?」 「それは、自分でも解らない。確かに、慶造君が好き。一緒に居る…側に居るだけで、 心が温かくなる。ふとした時に、慶造君の事を考えてしまう。今頃、どうしてるのかな、 猪熊君や小島君とふざけ合ってるのかな…って」 「……お父様から、お話があったの。今、向こうの世界は、うごめいているって」 「まさか…また?」 「黒崎組と阿山組の抗争じゃなく、別の地方から、圧力が掛かりはじめたと…」 「お父様…また?」 「いいえ、それは、もうしないとあの人は言ってるわ。だから、安心しなさい」 「はい」 「ただ、阿山組が狙われると、それこそ…」 「慶造君たちの身に…」 「そうなるわね。…阿山君が海外に行く予定は、まだ、一年以上も先の話し。 それまで、何も起こらなければいいのだけど…」 「もし、起こったら…」 「阿山君が跡目を継ぐかもしれないね。そうなったら、ちさとは、どうするの?」 ちさとは、真剣に考えはじめる。唇を噛みしめ、一点を見つめたまま、長い間、考えていた。そして…。 「解らない。その時になってみないと…。でも、慶造君は、私を誘わないと思う。 命の大切さを、一番解ってるから。…危険な所に、私を誘わないと…思う。 でも、私は、解らない。…慶造君が、もし、跡目を継いで、私が付いていくと 言ったとしても、慶造君、冷たく当たるかもしれない。…そういう人だから…」 「…あの人…ちさとのお父さんが、そうだった。私も悩んだよ?」 「本当?」 「もちろん、お母さんの家系は、極道だけど、私は、そのような教育受けてなかった。 普通の女の子として、育ったから。だけど、あの人を好きになった。でも、 あの人は、沢村家の生粋の血を引く長男。跡目を継いだ時は、確かに極道だった。 でもね、私の為に…あの世界から身を遠ざけた。…というより、私が薦めたの。 いつまでも、人の血を浴びて生活は出来ないって。血を流すのではなく、 その血を…人のぬくもりを大切にして、生きていくのが、道を極めるということ…。 人としての道を…」 「お母さん…」 「だから、もし、ちさとに付いてくるなと言うのなら、そう言ってあげなさい。 好きになってしまったんだから」 母の力強い言葉は、ちさとの胸の奥深くに刻まれた。ちさとは、揺るがない目をして、母を見つめ、そして、言った。 「そうする。お母さん、ありがとう」 独特の微笑みを浮かべたちさとだった。 小島家・隆栄の部屋。 「へぇ〜。何も無かったのかぁ。期待してたのになぁ」 「出来るわけないだろがっ!」 「そりゃ、そっか。おじさんもおばさんも居て、庭では山中さんが見張ってたら、 キスの一つもできないよなぁ。残念だったな」 「あのなぁ、小島」 「あぁぁっ!!!」 「な、なんだ?!???」 隆栄の突然の雄叫びに慶造は驚いた。 「やっぱり、阿山は、知らないんだな」 「何を?」 「女の口説き方……!!!!」 隆栄の言葉と同時に、慶造の拳が空を切る。 「いつも同じパターンだと、相手に読まれるぞぉ」 「ちっ!」 いつもの通りに差し出した自分の拳。隆栄の体に触れることもなかった事を悔しがる慶造は、舌打ちをして、隆栄のベッドに潜り込んだ。 「だからぁ、そこは、俺の寝床だろがぁ!」 「うるさい。小島は、床で寝ろっ!」 「今夜は寝ない」 慶造は、思わず警戒する。 「誰が、襲うと言った?」 身構える慶造を見て、隆栄は笑いながら、そう言った。 「そんな話の後だから、思わず…」 「…やっぱり、阿山は、こっちか?」 女より、男が良いのか…そういう意味が含まれている隆栄の言葉。もちろん、慶造は怒り心頭。手にした布団を隆栄に放り投げ、それを受け止めて両手がふさがった隆栄を見た途端、目にも留まらない早さで蹴りを炸裂させる。慶造の差し出した蹴りは全て、隆栄の体に当たる。 ドスン!! 隆栄は、尻餅を突いてしまった。 「いってぇ〜〜。あのなぁ、いつも以上の蹴りは止めろ! 不意打ちも御免だっ!」 「ふざけるのも、大概にせぇよ!」 こめかみをピクピクさせている慶造。流石の隆栄も、慶造の怒りに悪気を感じる。 「ごめん…」 謝る隆栄に慶造は手を差し出した。それを掴み、立ち上がる隆栄は、慶造に、そっと布団を手渡した。 「何か、遭ったのか?」 「おじさんにな…跡目の話を尋ねられた」 慶造は、ベッドに腰を掛けながら話した。隆栄は、その隣に腰を掛け、慶造の話に耳を傾ける。 「大切な娘を、あの世界で傷つけたくないらしい。…そうだよな」 「阿山…そう悩むってことは、跡目、考えているのか?」 「いいや。だけどな…もし、親父に何か遭ったら、俺が四代目だよ」 「そりゃ、そうだわなぁ。今の状況じゃ、本当に考えないとな」 「俺……どうしたらいいんだろ……」 慶造は悩んでいた。いつもなら、自分の悩み事は内に秘め、自分でいつの間にか解決しているのだが、この時だけは違っていた。自分だけじゃない、相手の事も考えている。 「だから、好きになることを拒んでいたんだよ…」 頭を抱え込む慶造。 「阿山……」 「大切なものを増やしたくなかった…」 「だったら、跡目を考えるなよ。…海外に行くんだろ? 俺も付いて行くって。 それに、猪熊も付いていくって言っていただろ? 命のやり取りのない、 普通の暮らし。…まぁ、海外の場所にもよるけどなぁ。阿山組の跡取りという 名目は、なくなるよな…阿山の重荷になっているもの……」 「俺……解らなくなった。…あの世界が好きなのか、嫌いなのか…。そして、 跡目を継ぎたいのか、継ぎたくないのか…。自分で考えられない…」 「そういう時の為に、俺たちが居るんだろうが」 「小島…」 「俺や猪熊に相談してくれよ。一緒に考えてやる。阿山が間違った答えを 出しそうなら、言ってやる。正しいなら、力になってやる。 俺たちを頼りにしてくれと、何度も言ってるだろ? 身の回りの世話だけじゃない。 心の糧にもなるんだって。人とは、そうやって、支え合って生きていくものだろう? そりゃぁ、思うことと違ったことを言うかもしれない。自分の意見を否定される かもしれない。でも、それは当たり前のこと。同じ環境で育ったわけじゃないからな。 いろんな考えがあるんだから。それをどうやって使いこなすか、それが人生だろ? それに、今すぐ答えを出せと言ってるんじゃない。…まぁ、急がないといけないかも しれないけどさぁ…俺たち…頼りにならないか?」 小島は、自信ありげに微笑んでいる。その表情は、なぜか、人を寄せ付けるように感じる。まるで、それが正しいかのような…。 「小島……お前って、やっぱり……」 そう言ったっきり、慶造は何も言わなくなった。 「あ、阿山? やっぱりの続きは??」 「秘密」 「阿山ぁ〜。気になるからよぉ、言ってくれって」 「夜も遅いから、もう寝る。お休み」 慶造は布団に潜り込み、寝息を立てた。 「寝付くのん、はやっ……って、阿山、寝る前に、教えてくれよぉ、阿山ぁ!」 慶造は熟睡中。 「…ったく…。…本当に、頼ってくれよ。俺…お前の力になりたいから。 お前を守ってやりたいから。……なぜだろうな…」 優しい眼差しで慶造の寝顔を見つめる隆栄。いつの間にか、慶造の頭を撫でていた。 ……って、ほんまに、俺、阿山を……駄目だ、駄目だっ!! 慶造、これ以上、小島家に居たら、本当に危ないかもしれない……。 少し離れた猪熊家では、慶造の危機を感じ取ったのか、修司が目を覚まし、警戒していた。 (2003.12.1 第一部 第十三話 UP) Next story (第一部 第十四話) |