任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第十部 『動き出す闇編』
第七話 気付く優しさ、男の涙!

真子は授業を終え、荷物をまとめて、教室を出てきた。
ふと賑やかなことが気になり目をやると、そこでは女生徒達が何やら騒いでいる。

どうしたのかな…。

気になりながらも、そこに背を向けて去っていった。



賑やかな場所から更に向こうでは、一人の教師が体を動かしていた。

その教師は、廊下の窓に目をやった。
真子が歩いていく姿があった。

今日も無事に帰宅ですね。お疲れ様です。

女生徒の注目の的になっている教師こそ、芯だった。



靴を履き替えた真子は、政樹と待ち合わせの場所へ向かって歩いていく。
政樹の姿は、まだ見当たらなかった。
その近くに停まっていた車のドアが開き、男が降りてきた。
真子は身構える…が、

「お嬢様、お疲れ様でした」
「小島のおじさん!」

隆栄が迎えに来ていた。真子は驚きながら近づき、車の中を覗き込む。

「私だけですよ。栄三は仕事ですから」
「そうだよね…どうしたの? もしかして、学校の先生に……」

と言いかけて、真子は、

「…学校に用事でも?」

言葉を替えた。

「ん?」

真子の言葉を不思議に思った隆栄だが、

「お迎えに参りました」

と優しく言った。

「…おじさぁん? 冗談は…」

真子は、信じていないらしい。

「いいえ。本当のことなんですが…」
「でも、まさちんと約束……………!!!」

真子は思わず気を緩めた。
その時に聞こえてきた隆栄の心の声に反応した。

「おじさん!」
「解っております。だから、私が阿山に内緒で…」
「大丈夫なの?」
「美穂ちゃんが治療してるから。それよりも…」

隆栄は門の外に目をやった。
真子も感じている怪しい気配。しかし、それは直ぐに消えた。

「後は任せて、行きますよ」
「…はい」

隆栄は真子を助手席に乗せ、素早く運転席に座る。そして、ゆっくりと車を走らせて、学校を後にした。



真子の学校から、隆栄の車が出てきた。その様子を桂守は、二人の大柄の男に攻撃を加えながら、確認する。
運転席の隆栄が、

連絡しておく。

と、軽く合図した。
桂守も合図を返し、姿を消した。





隆栄の車が、小島家に到着した。駐車場に車を停めた隆栄は、真子を守るように歩き、家へと招く。
真子は家に入った途端、靴を脱いで上がる。

「リビングです」

隆栄の言葉を耳にした途端、慣れた感じでリビングへと向かって行った。
リビングのドアを勢い良く開けた真子は、

「まさちんっ!」

そう言って、ソファに寝転んでいる政樹に近づいた。
政樹は眠っていた。

「しぃぃぃっ」

政樹の側で後片づけをしている美穂が言う。

「美穂さん、まさちんは…」

真子が政樹を見つめる。

「見たとおりだけど、大丈夫よ」
「良かった……」

真子は、政樹の手を取って、ホッと息を吐く。
その手にも、包帯が巻かれていた。

「おじさんに聞いた…というより、聞こえてきたんだけど…。
 どうして、まさちんが襲われたの? …私の…せい?」
「真子ちゃんのせいじゃないのは、確かよ。恐らく、
 まさちんを誰かと間違ったみたいね」
「人違い…?」
「えぇ。治療の間に、少し話を聞いたら、そう言ってたの」

片付け終わった美穂は、真子の頭を優しく撫でた。

「隆ちゃんは?」
「一緒に居たけど……あれ? もしかして…」
「もしかして???」
「その…学校を出る時、桂守さんに……もしかして…」
「桂守さんなら大丈夫よ」

と話している時に、隆栄が入ってきた。

「それよりも、これからが大変なんだよなぁ…」

困ったように隆栄が言った。

「そうね…。慶造くんが知ったら、恐らく…」
「まぁ、その辺は、俺に任せておけって」
「はいはい。さてと」

美穂は話を切り替える。

「真子ちゃん、まさちんが目を覚ますまで、あと一時間あるけど、
 どうする? 先に帰ると大変でしょう。ご飯、ここで食べてから帰る?」
「でも、それは…」
「隆ちゃんの作戦実行に時間が要るんだけど…」
「…それなら、むかいんに連絡する…」

真子は、ちょっぴり不安げな表情で応えた。

「慶造くんが怒らない為の対策だから。大丈夫よぉ」
「だって、小島のおじさんは…」
「こういう時は、任せて安心よ。栄三も、そうでしょう?」
「はい。……嘘を通すことも大切だと。…それが得意だって…」
「……栄三が?」
「くまはちと、むかいんと……ぺんこうから…」

真子の言葉に、肩の力を落とした隆栄と美穂だった。


栄三が、真子に必要なこと以上の話をするものだから、例の三人と一人の男は、栄三と隆栄の性格を事細かく伝えていた…ということを、真子の言葉で初めて知った二人。
まぁ、自業自得…ということで…。


向井に連絡を入れた真子は、政樹が目を覚ますまで、側に付いていた。

まさちん……。

真子の手が、そっと政樹の頭を撫でる。
額には包帯があり、頬に絆創膏が貼られている。先程触れた手は包帯が巻かれ、その包帯は、服の中にまで続いている様子。服も少し汚れていた。
隆栄の心の声と政樹の姿を見ただけで、政樹の身に起こった出来事を把握する。

もしかしたら、私のせいかもしれない。

学校帰りに感じた気配。それは、殺気。
だからこそ、政樹は……。




政樹は、阿山組本部から徒歩で出てきた。

今日は図書室には行かないと言ってたっけ。

真子のことを考えると、政樹の表情が綻んでいた。
そして、足取り軽く、真子の学校へと向かっていった。
その政樹を見つめる目があることに、気付かずに……。


真子の学校に近づいた。
政樹は急に歩みを停めた。そして、急に道を曲がる。
その政樹を追いかけるように、男達が走っていく。

「!!!!」

男達が角を曲がると、そこには、政樹が立っていた。

「俺に……何の用かな…」

政樹の表情は、狂気に満ちていた。
政樹の口元が、不気味につり上がる。そして、拳を握りしめた。




政樹は、ゆっくりと立ち上がり、息を整えた。

「わちゃぁ…遅かったか…」

その声に振り返ると、そこには隆栄が居た。

「しっかし、まぁ…歯止めくらい出来るやろ…」

そう言いながら、政樹の周りに見慣れない形で横たわる男達を見下ろしていた。

「大丈夫か、地島」

と声を掛けた時だった。
政樹の拳が、隆栄に向かって鋭く差し出された。

「わっ、まさちん、タンマぁ!」

隆栄が口にしながら、しゃがみ込む。
政樹の拳は、しゃがみ込んだ隆栄の目の前でぴったりと停まっていた。

「…小島さん、どうされたんですか…」
「…っ!!! それは、俺の台詞や! ったく、判別出来ないくらい
 殴り倒して、更に相手を把握出来んのかっ!」
「…えっ?」

隆栄の後ろに横たわる男達に目をやった。
政樹の脳裏に何かが過ぎる。

「俺……まさか…」
「ったく…あれ程、気をつけろと言っただろが。こいつらは
 俺達の世界とは違って、一筋縄ではいかない連中だ。
 下手に手を出すのは、こっちの身が危ない。命を狙われる
 だけなら兎も角、それ以上の汚い手を使う連中だぞ」
「解ってる」
「……それなら、歯止めくらい…せな…」

隆栄の眼差しが変わる。
政樹のオーラも変わった。

「あなたには、関係ないことです」

そう言った政樹は、二人を睨む男達に向かって走り出す。

「だからって、何も……」

隆栄は、背後に異様なものを感じながら呟いた。
普通の人間なら耳を覆いたくなるような音。そして、何かが折れる音、潰れる音。
隆栄にとっては、聞き慣れている音だが、やはり…。
隆栄は、ゆっくりと振り返った。

「もう、やめとけや……」

そう呟いて、隆栄は体に隠すドスを手に取り、柄を返す。
そして……。



政樹は、ハッと目を覚まし、体を起こした。
見慣れない場所に身構える。
耳を澄ますと、心落ち着く声が聞こえてきた。

お嬢様…?

政樹はゆっくりと立ち上がったが、足に力が入らず、その場に倒れて…。

「急に起き上がるのは、無理ですよ」
「……あんたは……」
「桂守と申します。お嬢様は、隆栄さんと美穂さんと
 食事中です」
「食事……?」
「午後六時を回っております」
「……!!! 向井さんに、連絡を…」
「お嬢様がなさりました」
「組長には…」
「まだですが、それをしますと、あなたの身に…」
「覚悟は出来てる…………。………って、ここは
 小島さんのお宅ですか?」
「えぇ。…その……灯り…付けましょうか?」

リビングは、真っ暗だった。

「いや、いい」
「そろそろ食べ終わる頃だと…」

桂守が口にした途端、リビングのドアが開き、灯りが付いた。

「まさちんを襲ったら、それこそ、真っ赤になるぞぉ」

軽い口調で隆栄が入ってきた。

「小島さん…お嬢様は…」
「まだ食事中。様子を頼まれたから、来ただけぇ。
 思った通り、起き上がったんだなぁ」

桂守が政樹を支えている所を見て、隆栄は事態を把握していた。

「だからあれ程、歯止め効かせろっつーたのになぁ」
「すみません…」
「あの後、大変だったんだけどなぁ」
「……まさか、俺……小島さんに仕掛けて…」
「おや、覚えてない?」
「すみません…」

政樹は恐縮そうに、身を縮めた。

「俺が停めんかったら、ほんまにやばかったぞ」
「恐縮です…」
「その後は、ほんと、大変だったんだよなぁ」

桂守と目を合わせる隆栄を見て、

「……もしかして、この方にも…」
「お嬢様を迎えに行く…って、その体でなぁ」
「えっ?」
「…真っ赤に染まった体で、お嬢様の前に現れたら
 それこそ、どうなったことやら」
「すみません…」
「そして、今度は、俺が狙われたし…なぁ」
「えぇ、そうですね」

桂守が応えると、政樹は身を縮こめて、項垂れた。

「相手を倒すのもええけどな、自分を傷つけるのは
 これっきりにしろよ。…昔の思いを晴らすのは……、
 今のお前では、まだ、無理だ」

隆栄の言葉に、政樹は拳をグッと握りしめた。

「奴が生きてる限り、チャンスはある。だから、今は
 やめておけ」
「小島さん……しかし…」
「言ったろ? その時は、俺が手を貸すって」
「…はい…」
「もう少し寝ておけ。阿山には八時に戻ると伝えたから」

その途端、政樹の表情が青ざめた。

「だぁいじょうぶだぁって。ちゃぁんと、策は練ってる」

軽い口調に政樹は、怪訝な表情を見せた。

「…………俺の言葉、信じてくれへんのか?」

政樹は、軽く頷いた。
それには、隆栄が項垂れる。
二人のやり取りに、桂守は、そっと微笑んだ。

「まさちん…」
「…お嬢様っ!」

と政樹が呼び終える前に、真子が政樹に飛びついてしまう。

「駄目ですよ、お嬢様ぁ!」

隆栄の叫びは、遅かった………。




「ごめんなさい…」

後部座席で真子が静かに言った。

「大丈夫ですから、もう、謝らないでください」

助手席から振り返り、政樹が真子に応える。
真子は俯き加減でジッと座っている。
微かに震える体を見て、真子が泣きそうな事に気付く政樹。
思わず手を伸ばすが、隆栄に停められる。

「傷がひどくなる」
「もう、平気です」

その言葉に、隆栄は、運転に集中する。
あの日以来、政樹の傷の治りは驚異的な程、早い。

あれ?

隆栄は、ふと何か思い出した。しかし、それを深く考える前に、阿山組本部に到着してしまう。
玄関先に車を停める。しかし、誰も車から降りようとしない。真子の為にドアを開けたいが、隆栄は、チクチクと感じる恐ろしいまでの何かに対して、動くことが出来なかった。ちらりと後部座席に振り返る。真子も何かを感じているのか、動こうとしなかった。

「お嬢様、降りましょう」

政樹も感じているはずだが、真子を促し、ドアを開けて降りていく。

「まさちん…」

と呼ぶと同時に、後部座席のドアが開く。
そこには、優しく微笑む政樹の姿があった。
真子は、政樹の表情を見て安心したのか、車を降りようと体を動かした。
降りる寸前、

「おじさん、ありがとうございました。あとは……頑張ります」
「本当に、お二人で大丈夫ですか?」

一応、政樹と真子の事は、慶造と春樹に伝えている。
政樹の行動の事ではなく、『偽り』の言葉で。
誤魔化しきれないのでは…と心配する隆栄は、一緒に伝えると真子に言ったが、真子は隆栄の体の事を考えて、大丈夫だと言い切った。まだ中学一年生の真子の力強い言葉に負けた隆栄は、渋々承知した。

「おじさん、気をつけて」
「お嬢様もですよ。もし、何かあったら、私の所に
 来て下さいね」
「ありがとうございます」

真子は深々と頭を下げて、車を降りた。
政樹がドアを閉める。隆栄はアクセルを踏み、去っていった。
隆栄の車を見送った真子と政樹は、意を決して玄関へと向かっていく。


慶造の部屋に向かう間、真子と政樹は、しっかりと手を繋いでいた。
真子が力強く握りしめる。

まさちん、大丈夫だから。任せてね。

真子の思いが、手を通して伝わってきた。

すみません。

政樹は、そっと心で返事をし、真子の手を握り返した。
慶造の部屋の前に立つ二人。
真子が、ドアをノックした。





いつもの縁側に、慶造が一人で腰を掛け、いつものように、煙に気持ちを変えていた。
足音が近づき、その主が、慶造の隣に座り込んだ。

「……一緒になって、誤魔化すな。何が二人のふざけ合いが
 激しすぎて怪我をした…だ。近くを通りかかったから、家で
 治療して、夕食も一緒に……だよ。……真北の行動を見れば
 語らずとも解るぞ」

慶造の隣に座った男は、ちょっぴり怒った口調の慶造に、フッと笑うだけだった。

「その方が、お嬢様も落ち着くだろ?」

男は煙草をくわえ、火を付ける。そして、煙を吐き出した。

「まぁな……。…それで、俺が言った通りだったのか? 隆栄…」
「9割は」
「残りは未だに解らず…か」
「あぁ。…あの時、断って正解だよ」
「ありがとな」
「どういたしまして」
「だが、関わってくるとはなぁ」
「念を押したから」
「それでも、動きそうだな」
「…お嬢様が関わってしまったから、これ以上は動かないだろな。
 でも、新たな情報が入ったら、回すぞ」
「頼んだよ。これ以上、何かあったら本当に困るからな」

慶造は煙草をもみ消した。隆栄も煙草をもみ消し、座り直す。

「いつも一緒の男は何処へ?」
「例の家族の様子を伺いに行った」
「……癖だな」
「あぁ」

沈黙が続く。
そこへ、誰かがやって来た。

「…すみません…」

政樹だった。
政樹も、夜空を見ながら心を落ち着かせようとしていたらしい。

「気にせんと、来いよ」
「はっ」

慶造に誘われて、隆栄の隣に腰を下ろした。

「俺の隣は、嫌か?」
「いいえ、そういう事では…」
「ここでは、立場は気にせんと言ってるだろが。それとも何か?
 また、銃を出すとでも思ったのか?」

と言いながら、以前、政樹に差し出した事のある物を政樹に向けた。

「って、こら、阿山っ。それは本物っ」
「ええやろが。俺に嘘付く奴に向けても」
「俺も含まれてるやないかっ!」
「その通りや」

と引き金を引こうとする。

「御存知…だったんですね…」

政樹が静かに言うと、ニヤリと笑みを浮かべて、慶造は銃を懐にしまいこむ。

「真北も知ってるさ。…お前の素性くらいは、知っておかないと、
 後々大変だろうが。…あの頃も言っただろが。忘れたのか?」
「あの頃のお言葉に、私がこの世界に飛び込んだ理由も
 含まれていたんですね」
「あぁ。…それが、俺だ」

静かに言って、慶造は煙草に火を付けた。

「真子に気を遣わせるな。心配掛けるな。巻き込むな。
 これ以上、泣かせることは、本当に許さないぞ…」

立て続けに慶造の口から出てきた言葉。
それは、ずしりと重く、それでいて、心が落ち着くものだった。

「心得ております」

政樹の返事に力が籠もった。

「……隆栄から聞いたぞ。…ったく、自分を保っておけ」
「すみません。これからは気をつけます」
「…砂山組の頃からなのか? その性格は」
「その前からです。その時の私のオーラを感じて、兄貴が
 誘ったそうです。…兄貴にも強く言われていたことです。
 気をつけていても、どうしても…俺は…」
「……やる前に、真子の事でも思い浮かべておけ。そうしたら
 自然と手加減出来るからさ」
「でも、お嬢様の為の行動だと、それは…」
「真子に嫌われたいなら、そうしておけ」

慶造の言葉に、政樹は何も言えなかった。
政樹の焦りに気付いた隆栄は、笑いを堪えるのに必死。
その途端、鈍い音が聞こえた。

「だから、俺だけって、やめてくれ…」
「知らん」

慶造は夜空を見上げた。
その隣では隆栄が腹部を抑えている。
二人のやり取りを目の前で見た政樹は、焦っていた気持ちは治まったものの、慶造に言われた『自分を保つ』には、どうすればいいのかと、深く深く考え始めていた。




次の日の朝。
真子を政樹が見送った頃、春樹は、とある街へ来ていた。
迷うことなく、目的の家の近くへとやって来る。そして、一軒のお宅に目をやった。
その家のご婦人が出てきた。片手にゴミ袋を提げている。そして、ゴミ捨て場へと持って行った。
近所の人と挨拶を交わし、立ち話。
春樹は再び家の方に目をやった。主人が出てきて、婦人の所へと足を運び、何かを告げて出て行った。
少し離れた所に居る男性と歩いていく。
婦人が家へと戻ってきた。
その婦人は足を止め、春樹の方に振り返る。
春樹と目が合った。すると、婦人は深々と頭を下げてきた。

えっ? 俺…???

取り敢えず、春樹は会釈する。
婦人は家へと入っていった。

「真北さん、面識あるんですか?」
「いいや。話は耳にしていたけど、私は直接、お逢いしてない」
「恐らく、誰かと勘違いされたんでしょうね」
「保護観察官は、さっき一緒に歩いていった奴だろが」
「まぁ、そうですが…二人…と思っておられるとか…」
「特に問題は無い…か」

春樹はフッと息を吐く。

「それよりも……猪熊さぁん」
「なんでしょうか」

春樹のことを心配して、修司が付いてきていた。

「私は一人で大丈夫なんですけどねぇ」
「ここら辺りは、敵地でしょう?」
「それは、刑事の真北だけであって、阿山組の真北は
 関係ありませんよ」
「それでも、姿は同一人物なんですけどねぇ」
「ったく……慶造からか?」
「みなまで言いましょうか?」
「言わんでええ。…猪熊さんの俺に対する行動は、全て
 慶造からでしょう」
「8割ですよ」
「おや? 残りの2割は?」
「秘密です」

ニッコリ応える修司だった。

「さてと。…これからは、どうされるつもりですか?」

修司が尋ねる。

「あの方の行動を観察…ですね」
「かしこまりました。では、行きましょう」

側に停めた車に春樹を招く修司。春樹は眉間にしわを寄せながら、車に乗り込んだ。

「一日の行動は、小島さんが調べた通りなんですか?」

春樹は隆栄からもらった資料を広げていた。

「では、職安へ」
「よろしく」

車は左に曲がった。





電車がホームを去っていく。
一人ホームに残った男が、一通の封書を懐から取りだした。そして、何かを確認するかのように読み返す。

「さてと……徒歩…??」

と口にして歩き出したのは、政樹だった。
改札を出た途端、手紙を広げて場所を確認する。

「……てか、解りにくぅ……」

手にしている手紙こそ、隆栄からもらったものであり、手紙と一緒に地図も入っていた。


『新居先の住所はこれぇ。地図も付けたから』


ふざけたような短い文章。しかし、その文章に含まれる思いを悟った政樹は、即行動に移していた。
地図の通りに歩き出す。
曲がり角に差し掛かると、目印の物を探す。
そういう行動を何度かした時だった。

あっ、なるほど…。

何かに気付いた政樹は、その後、迷うことなくスムーズに歩き出す。
隆栄が示した地図には、要所毎に暗号のような目印が書かれてあった。それをその場所でちらりと探す。
それこそ、誰にも解らない様な書き方だが…。

こりゃ、長年付き合わないと、解らんよなぁ。

改めて、隆栄たちの絆を感じた政樹だった。
一つ目の目的地に着いた。
政樹は目的の場所に立つ。それこそ、先程春樹が見つめていた一軒家。
表札は、無かった。
辺りを伺うかのように歩き出す政樹は、道の向こうから歩いてくる男に気が付いた。
男も政樹の姿に気付いたのか、歩みを停めた。

……しまった……。

政樹は、視野の隅に映った道へと足を向けた。
足が速くなる。
その足の速さを追いかけるかのように、男も付いてきた。
少し小走りになる政樹は、突然腕を掴まれた。

「もしかして……」

その声に、政樹は歩みを停めた。




政樹と政樹に声を掛けた男は、何話すことなく歩いていた。

「生きて…たんだな」

男が口を開いた。
しかし、政樹は何も応えない。

「新聞で読んだ。……あいつ……大変だったらしいよ」
「らしい?」
「芝山君が毎日のように来てくれて、やっと落ち着いた」
「そうですか」
「今は、どうしてる?」

男の質問の後、二人は何も話さず、歩いていた。
角を曲がった。目の前に川の堤防が見える。二人はその堤防の階段を昇っていった。


土手に腰を下ろし、二人は川面を眺めていた。

「…見た目通りか? 政樹」
「今は、ある事情で阿山組に居ますよ」

静かに応えて、政樹は免許証を見せた。

「地島…政樹…?」
「えぇ。そう名乗ってます。…御存知のように、…北島政樹は
 死にました。私は、地島政樹として、新たな人生を歩んでます」
「そうか…。死んだのか」

政樹は免許証を懐になおす。そして、シガレットケースを取りだし、煙草をくわえ、火を付けた。吐き出す煙に目を細め、

「お袋には……内緒にしていてください」

静かに言った。

「言えないだろ。お前を殺した阿山組で生きているとは…」
「えぇ…」
「でも…安心した」
「…今の生活に?」
「あぁ。やくざなのに、俺の知ってるやくざじゃない。
 眼差しが……あの頃と同じだよ」

政樹は何も言わずに、煙草の煙を吐き出した。

「良い生活してるんだな。命のやり取りをしない…」
「そんなことはありませんよ」
「…阿山組は、命を取らないんだろ?」
「……どうしてそれを?」
「塀の向こうで知り合った男に聞いた」
「そうですか…でも、同業者には容赦ありませんよ」
「だから…阿山組を選んだのか?」

その質問に、政樹は深く考える。
煙草を一本吸い終えた。携帯灰皿に吸い殻を入れ、新たな一本に火を付ける。

「その通りですよ」
「そうか…」

男はそう言ったっきり、何も言わなくなった。
政樹が三本目に火を付ける。

「…あの男には、絶対に関わるな」

男が静かに語り出す。

「政樹の思いは解ってる。目には目を…それなら、同じ立場で
 あの男を陥れる。その為に、その世界に入ったんだろう?」
「その通りですよ」

政樹は即答した。

「だからこそ、もう、関わるな」
「なぜですか?」

政樹が静かに質問すると、

「俺が罪を被ること……それが、お前達を守る条件だったんだよ」

口早に、男が応えた。
その途端、政樹の目が見開かれた。そして、男にゆっくりと振り向いた。
男は、唇を噛みしめていた。
その表情で、男がどれだけ悔しい思いをしたのか、そして、意を決したのかが解った政樹。気が付くと、拳を握りしめていた。政樹は、男の顔を見つめたまま、

「そこまでして、あの男が躍起になるのは、何故なんですか?」

少し怒った口調で政樹が尋ねるが、男は何も応えなかった。

「教えてください、親父っ」

政樹は、男の肩を掴む。

「これ以上…お前達に迷惑を掛けられない…」

男が静かに応えた。

「でも、いつか………」

呟くように男が言う。

「えぇ。…いつか…きっと…」

政樹が応えた。



陽が傾き始めた。
それでも二人は何話すことなく、土手に座ったまま、川面を眺めていた。

「幸せか?」

男が尋ねる。

「私は阿山組組長のお嬢様のお世話係なんですよ」
「お前が子供の世話? …出来るのか?」
「だから、必死に…」

何故か恥ずかしそうに応える政樹に、男は微笑んだ。

「お嬢様を困らせるなよ」
「昨日、困らせた後です…」
「ったく……」

男は呆れたように笑った。

「笑わないでくださいよ…」

政樹はふくれっ面になる。

「…それなら安心だな」

そう言って、男は立ち上がる。

「えっ?」

男の言葉が解らず、政樹は聞き返すが、

「そろそろ帰らないと、日付が変わるぞ」

政樹は時刻を確認する。
午後四時を回っていた。阿山組本部に帰る頃には、本当に日付が変わるかもしれない。

「そうですね」

政樹も立ち上がる。

「なぁ、政樹」
「はい」
「その世界の事は、正直…詳しく解らない。血で争う世界だということは
 想像できる。…だがな、お前がお嬢様の側に居る限り、その手で…
 絶対に、命を奪うなよ。人としての道を……絶対に外すな」

男は、政樹の両手をしっかりと握りしめた。

「この手で……絶対に…」
「…親父……それは、あなたが………」

政樹は、それ以上何も言えなくなる。
沈黙が続いた。

「…奪える…ものか……」

男は、自分の手を見つめながら静かに言った。




一台の車が、堤防の近くに停まる。

「見失うとは……」

修司が呟いた。

「うるさいっ!」

春樹が短く言う。

「何も道案内しなくても…。ここの地理には詳しくないでしょうがぁ」
「しゃぁないやんかぁ。つい…だな…その…」
「それで、この時間はこの堤防を散歩……」

と言って、堤防の土手に目をやった春樹は、二人の男の姿に気が付いた。
春樹は、男の姿を凝視する。

「真北さん?」

修司も春樹の見つめる先に目をやった。
もちろん、修司も何も言えなくなり……。




「……この手は、人の命を奪う為にあるんじゃない。
 人を守るためにあるんだと……親父の言葉…」
「じいちゃんの…言葉…?」
「あぁ。……その親父の血が一番濃い政樹だ。…だからこそ、
 俺のことを聞いた途端、走る先が見えた。…心配したんだぞ」
「…すみません……」
「記事を読んだ時は、驚かなかった。…そうなるだろうと…思っていたからな」
「ひどいな……」
「…でもな……塀の中というのは、色々と情報が入るものでな。
 馴染みの人から、口づてで知っていたよ。……よく似た男が
 阿山組に居ると…」
「………誰だろう。…私の事は、本当に表に出てないんですが…」
「だから、そういう所なんだよ、そこは」
「はぁ……」
「政樹」

男が静かに呼ぶ。

「はい」
「約束だぞ」
「…えぇ。…それは、阿山の組長にも言われている事です。
 親分の言葉は絶対ですから」

政樹の言葉に、男は安心したように頷いた。

「もう、逢うこと無いだろうな…政樹」

そう言って、男は政樹を腕の中にしっかりと抱きしめた。

親父……。

政樹も男を抱きしめた。

「無茶だけはするなよ。…そして、時期を誤るな」
「心得ました」

そう言って、政樹は男に何かを告げ、そして、去っていく。
ゆっくりと階段を下りている政樹の後ろ姿を、男は見つめていた。

生きろよ…政樹っ!

その後ろ姿に強く語りかける男。その声が聞こえたのか、政樹は軽く手を挙げて、

任せておけ!

と応えるかのように手を動かした。
そして、政樹の目の前に停まった車に乗り込み、去っていった。
男の表情は、とても穏やかだった。その頬を一筋の涙が伝い、地面で弾けた。





車の中。
政樹は、突然現れた二人の男に驚きながらも、素早く車に乗り込み、そして…。

「ほらぁ、泣くなって」
「ほっといてくださいっ!」
「安心したのか?」
「知りませんよっ」
「ったく、何を突っかかっとるねんっ」
「だから、どうして、お二人が、ここにいるんですかっ」

政樹を迎えた男達こそ、春樹と修司だった。

「慶造に頼まれて、様子を見に来ただけだ」

春樹が短く応えた。その途端、

「てか、まさちん、真子ちゃんの迎えはっ!!!」

春樹が慌てたように口にした。

「八造さんにお願いしてます。組長の了承済みですが…」
「ったく…それなら、安心やけど……。…まさちんの情報も
 小島さんからか?」
「えぇ。俺の無茶を御存知で…。俺の実家のことも…」
「慶造から頼まれていたからな。俺も気になってた」

優しく春樹が言うと、政樹の目から大量に涙が溢れ出す。

「って、おいおいおいおいおい、泣きすぎや」
「だから…ぐずっ……ほっといて…ぐずずっ…下さいっ」
「あぁ、ほっとく、ほっとく」

と言いながら、春樹は政樹にハンカチを手渡した。
政樹はハンカチを手にした途端、目を押さえて激しく泣き出した。

あらら…やっぱり、こっちが本来の姿やなぁ…。
慶造の勘は昔っから、鋭いですからねぇ。
そりゃ、真子ちゃんが懐くわなぁ。
おや、嫉妬を感じますよ。
あのねぇっ〜っ!!!

拳を振り上げたくても、挙げることが出来ない。
修司は運転中、そして、後部座席の政樹は、まだまだ泣いている状態。
この怒りをぶつける先が見つからず、春樹は思いっきり拳を握りしめるだけだった。

「……なぁ、まさちん」
「ひゃひぃ…」

返事が可笑しくなる。

「いつか晴らしてやるから、本当に今は、何もするなよ」
「…親父にも……言われましたよ」
「そうか」

春樹は短く応えるだけだった。

「まさちん」
「はい…」

今度はしっかりとした返事だった。
少し落ち着いたことが解る。

「北島家は、真面目な人間なんだな。模範囚だったそうだ」

って、真北さぁん、その内容は、立場がばれますよ…。

修司は、ちょっぴり焦る。

「まさちんは、親父さんに似てるんだな」
「それ、小島さんにも言われましたよ…」
「…この世界に似つかわしくないが……血は、無理って事か…」
「ほっといて下さい…」
「あぁ、ほっとくぅ〜」

軽い口調で春樹が言う。
それには、政樹が笑い出す。

「本部に着くまでに、戻っておけよぉ」
「すみません、…そして、……ありがとうございます」

俺の家族にまで……。

と思った途端、またしても、涙が零れた。

「泣くなぁ、ったく…」
「ずみ…まぜん……」

春樹と修司は、お互い微笑み合っていた。

車は高速を走り抜け、阿山組本部に到着したのは、真子が熟睡している夜中。
日付は、とうに変わっていた……。



(2006.2.8 第十部 第七話 改訂版2014.12.22 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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