最終部 『任侠に絆されて』
任侠に絆されて (7)
真子を学校に送った政樹は、真子が笑顔で校舎に向かって走っていく姿を見送っていた。
ふぅ…。
大きく息を吐いて、政樹は車に乗って去っていく。 真子は、政樹の車が校門を出ていくのを、校舎の窓から見つめていた。少し遅れて、八造の姿が、校門の向こうにある道を横切っていく事に気付いた。
くまはち…やっぱり…。
真子は呆れたような表情をしながら、教室へと入っていった。
政樹は帰路に就く途中で車を停めた。そこへ、遅れて駆け出した八造が近づいた。
「乗りますか?」
政樹が車から降りて、八造に言うと、
「お嬢様からか?」
「そうです。降りる前に、言われましたので」
政樹に言われて、八造は何も応えず車に乗り込んだ。 車が走り出す。 暫くして、八造が口を開いた。
「なぁ、地島」
「はい」
「…お前も、四代目から命令…下ったのか?」
政樹はウインカーを左に上げた。ハンドルを切り、そして、再び直線を走り出す。
「はい。これからの事を」
「お嬢様が望まなくてもか?」
「お嬢様が望もうとそうでなかろうと、私がお仕えするのは
お嬢様…阿山真子様ですから」
「……俺もだ…」
車内に、重い空気が漂った。
「でも、俺は…」
八造の言葉は続いていた。
「…お嬢様にお仕えする前に、四代目の言葉は守らなければ
いけない立場なんでな…。…複雑だよ…」
深刻な表情で、八造は前を見ていた。 その横顔から感じるものは、政樹が想像できないほどの強烈な思い。 誰もが、心に決めた事がある。 そして、それは、決して、表に現してはいけないものでもあった。
車は、本部の門をくぐっていった。
真子が学校に居る間、政樹は部屋で自分の時間を過ごしていた。 ドアがノックされ、政樹が顔を出すと、向井が立っていた。
「今、いいかなぁ」
「えぇ。今日は、どれくらいですか?」
「三軒」
「はい」
三軒とは、向井が買い出しに行きたい店の軒数。政樹は特に嫌がることなく、すぐに承知する。そして二人は政樹の車で出掛けていった。 これは、真子が学校に居る間、いつも行われていること。 何かが起こる前なのだが、特に変わりなく過ごす政樹達。
「ぺんこうの分も含まれてるから」
「そうですか」
「なんだよ、まさちん。暗いな」
「むかいんさんは…」
「むかいん」
「…むかいんは」
真子が付けたあだ名だが、呼び捨てをするのに未だに抵抗がある政樹だった。
「深く、考え込まないんですか?」
「四代目の言葉か?」
「えぇ」
「考え込まないな。だって、俺、今までと変わらない事だもん」
明るく応える向井に、政樹はため息を吐いた。
「悩むことか? 今までと同じ日々を送ること」
向井が静かに言った。
「特に悩むことではありませんが、ただ、失うことが…」
「そう考えないようにと、四代目が直々に仰っただろが」
「ですが、俺には…」
「そりゃぁ、まさちんが育った組は、親分を守れ、親分の為に
命を投げる覚悟で…だったんだろうけど、阿山組は違うだろ」
「親分の為に、生き抜くこと」
「あぁ。だからこそ、四代目の言葉に従うことで、親分の思いを
守ることになる」
「それは解ってる。しかし…」
「まぁさちん」
「はい」
「悩んでいたら、それこそ、お嬢様に心配掛けることになるだろが。
もう、涙を観たくないんじゃなかったっけ?」
「そうだけど、その時に…」
「…そうだろうな。…でも、それを軽くする役目は、俺達だろ?」
「……えぇ………」
そう応えたっきり、政樹は考え込んでしまった。
「ったくぅ、悩んでおけっ」
向井は、そっぽを向いてしまった。
「すみません…」
小さく言った政樹は、一軒目の店にある駐車場へと車を進めた。
昼休みの間、真子は図書室へ足を運んでいた。 しかし、ドアを開けることなく、別の場所へと足を向けた。 そこは初等部の職員室。 ほんの数年前まで、何度が足を運んだことのある職員室のドアを見上げていた。 逢うことは許されない。 しかし、電話だけでは話せない事もある。 顔を見ないと、心配で…。 真子は意を決して、ドアに手を伸ばした。
芯は昼食を終えて、休憩に入る。 背伸びをした時だった。
…お嬢様…?
ふと感じるオーラ。そのオーラには覚えがある。 芯は立ち上がり、感じるオーラに近づいていった。 そして、ドアを開ける。
真子は、目の前のドアが突然開いた事に驚き、手を引っ込めた。
「どうしましたか?」
その声に顔を上げると、そこには、芯が立っていた。
「………山本先生…」
『ぺんこう』と言いそうになったが、近くに人が居ることは解っていた為、敢えて、名前を読んだ。
「ご相談でしたら、お聞きしますよ」
芯の優しい眼差しに、真子は、コクッと頷いた。
学校内にある庭。 噴水があり、その周りにベンチもある。 そこでは生徒達が昼休みの一時を過ごしていた。 ちょっぴり人気のない場所に、真子と芯の姿があった。
「お嬢様、学校内で会うことは許されてないんですよ?
お電話では、無理なお話なんですか?」
本当は嬉しいことなのに、敢えて、冷たい態度を取る芯。
「ごめんなさい。…お電話ではお話…難しくて…。
誰にも知られたくない。だから、ぺんこう…」
「そうですね。今日は午後三時には終わりますので、先に車で
待ってます。まさちんには私から伝えておきますから、終わったら
私の車へ来て下さい。お話は、私の自宅でお聞きします」
「いいの?」
「その代わり、まさちんとくまはちには、付いてきてもらいますよ。
お話が終わるまで、マンションの下で待ってもらいますけどね」
「…うん。…ありがとう、ぺんこう」
「では、帰りに」
「うん…」
真子の返事は、煮え切らない。 仕方なく、芯は真子の前にしゃがみ込み、真子を見上げた。 今にも泣きそうな表情をしている。 力強くギュッと抱きしめてやりたいが、ここは学校内。人気は少ないものの、誰かに観られていては後々、厄介な事もある。ここは敢えて、教師として、芯は真子に笑顔を見せた。
「それまでは、いつものお嬢様で居てください」
優しく語りかけると、真子はギュッと唇を噛みしめて、両拳を力一杯握りしめた。フッと弛んだ拳に気付いた芯は、そっと立ち上がり、真子の頭を優しく撫でた後、職員室へと向かって歩き出した。 真子は暫く、その場に立っていた。 芯の心の声が聞こえてきた。 その声を知り、落ち着きを取り戻した。 空を見上げると、真っ青な色が一面に広がっていた。 ただ見つめるだけで、心が澄み渡る。 予鈴が鳴った。 真子は、教室に向かって歩き出す。 その足取りは、少しだけ、軽くなっていた。
午後三時。 芯は用事があると言って、帰り支度を整え、駐車場へと向かっていった。 ロータリー付近を歩いているとき、一台の見慣れた車が入ってくる事に気付き、すぐに近づいていった。 政樹は、芯が近づいてくることに気付き、車を停めた途端、素早く降りた。
「お嬢様に何か…」
「……あぁ。すまんが、お嬢様は俺の車で、俺の自宅に行くことになった」
「…そうですか…」
「四代目に伝えてから、六時頃に迎えに来てくれないか? 何度も
俺が本部に送るのは、まずいだろ……今が今だけに…」
「そうですね。では、そう伝えます。そして、六時頃に下で待ってます」
「くまはちにも伝えてくれよ」
「あっ、いや…その……くまはちさんは、今…」
「………四代目と一緒か…。ったく、あいつはぁ」
「いいえ、真北さんです」
「……あれ程、手伝うなと言ってるのになぁ…ったく」
芯は舌打ちをした。
「では、一度、本部に戻ります」
「すまんな」
「いいえ。失礼します」
そう言って、深々と頭を下げた政樹は、素早く車に乗り込み、去っていった。
いつまで俺に、一目置いてるつもりやろ…。
去っていく政樹の車を見送りながら、芯はため息を付き、自分の車へと向かっていった。
芯は車の中で書類をまとめていた。 窓をノックする人物に気付き、顔を上げる。 芯は助手席のドアロックを外し、ノックをした人物を招き入れた。
「まさちんの車が無いんだけど…付いてくるんじゃなかったっけ…」
「六時に迎えに来るようにお願いしておきました。慶造さんには
きちんとお伝えしないといけませんから」
「そうだね……」
「では、行きますよ」
エンジンを掛け、アクセルを踏み込む。 安全運転で帰路に就く芯は、全く口を開こうとしない真子が気になっていた。 何を悩んでいるのか。 真子が悩むことは一つしかない。 父・慶造のこと。
芯のマンションの地下駐車場へと車が入っていく。 ゆっくりと降りた真子は、芯と一緒に部屋へと向かっていった。
真子の前に、オレンジジュースが差し出された。
「いただきます」
静かに言って、真子は一口、口に含んだ。
「ご相談は、慶造さんの事ですか?」
真子は静かに頷いた。
「…ぺんこうも…お父様に何か言われたの?」
「何か…とは? その…最近、組のことは知らないので、何があるんですか?」
「まさちんも、くまはちも…むかいんも。みんな、何か言われてるみたいなの。
お父様からお話を聞いた後、深刻な表情をしてる。そして、なんとなく、
ぎこちないの…。だからって、心の声は…聞いてない。…怖くて…」
「お嬢様…」
芯は、真子の側に寄り、真子をしっかりと抱きしめた。
「あれほど、お一人で悩まないようにと申しているのに。どうして、いつも…」
「怖いの……。自分が考えている事が、すごく…怖くて。……そして、
夢も観る。…自分が、刀を片手に、何かを睨み付けている姿。
まるで…私が……みんなを指揮しているような……そんな感じで、
立っているの……。それが、すごく…怖くて…」
「それは、お嬢様が慶造さんの跡目を継ぐ…そういうことですか?」
「うん。…私には向いてないのに。…だけど、それが、自分の意志のように
思えて…それで……」
「お嬢様!」
真子を抱きしめる腕に力が入る。
慶造の思いは知っている。 あの日、こっそりと芯のマンションへとやって来た。 その時に…………。
芯は久しぶりの休みに自宅でくつろいでいた。 マンションのチャイムが鳴った。それも、ドア付近のチャイムの音。
ったく、また、あの人はぁ。
そう思いながら、鍵を開け、ドアを勢い良く開けた。
「あのねぇ、何度も申して…………四代目…」
「誰と勘違いしてんだ? …てか、勘違いするほど、来てるんかよ」
「あっ、いや……その………」
芯は周りの気配を伺った。
「!!って、また、お一人ですか!!」
どうやら、春樹のように、何度も芯のマンションへ、それも、たった一人で足を運んでいるらしい。
「折角の休みに悪いな」
「いいえ。気になさることでは…どうぞ」
「お邪魔するよ」
慶造は慣れた感じで、芯の部屋へと上がってきた。
慶造の前にお茶を差し出し、そっと座る。
「今日は、何を? また、あの人が…」
「暫くは、閉じこもってる状態や。だから、ここにも来れないからさ」
「また、無茶したんですか?」
「俺もな」
「……ったく…お二人とも、本当に…」
「何度も言うなって」
慶造はお茶をすすった。
「それでだな…」
「四代目」
「ん?」
「私はお断りいたしました」
「…まだ、何も言ってないんだが……」
「言葉にしなくても、解ります。これからの事でしょう。以前から
お話はお聞きしております。なのに、今、なぜ、敢えて…」
「今だから、改めて言うんだが…聞きたくないか?」
「……聞きたく…ありません」
芯は力強く言った。
「ふぅ……」
慶造は息を吐き、そして、再びお茶をすする。
「四代目。どうして、あなたは…」
そう言ったっきり、芯は口を噤んだ。 慶造が、四代目の威厳を出し、芯を見つめていたのだった。だが、それに恐れる芯ではない。呆れたような表情をして息を吐き、慶造を真っ向から見つめ、
「改めて言わなくても、私の意見は、お解りなんでしょう?」
静かに尋ねていた。 慶造は、クッと笑みを浮かべて、お茶を飲み干す。
「敢えて語らずとも、お互いの思いは…解る…ということか。
それなら、安心や」
慶造は、グッと背伸びをした。
「まぁ、あれや。いつもの通りに過ごしてくれ…ってことやなぁ」
「ったく…本当に、あの人に似てきましたよ。私が初めてお会いした時の
四代目は、そうじゃありませんでした」
「似た者同士が連んでるっつーことやな。……で、ぺんこう」
「なんでしょう」
返事をしながら、慶造の湯飲みに新たなお茶を注ぐ芯。
「まさちんの事、どう思ってるんや? やっぱり、肌に合わんか?」
「そうですね。それが、嫉妬ということくらい、解ってますよ。
それに、あいつの昔の姿を知ってるだけに、いつまでも
犬猿の仲でしょうね」
「真子が心配してるのに?」
痛いところを突く。 そう言われると、芯は何も言えなくなる。
「それでも、無理です」
なのに、芯は言い切った。
「……くっ……くっくっく……」
慶造は笑い出す。
「笑わないでくださいっ! 私は真剣ですよっ!」
「ほんまに、ガキみたいな表情になるんやな」
「よ、よ、四代目っ!」
「子供の時に、子供らしく過ごしてなかったから、子供の気持ちが
いつまでも掴めないんやで。相手の気持ちを考えるのは大切や。
でもな、それには、自分の経験も必要やで。真面目な生活
しとったら、悪いやつらの生活なんか、解らんやろ」
「大丈夫ですよ。自分と反対の事を考えれば、いいんですから」
「でも、考えることと経験は違うからなぁ。…俺が散々、悪いこと
教えてやったやろが。…忘れたんか?」
「しっかりと覚えておりますし、身についてますよ」
「それなら、安心やな。やくざな世界も……経験済みやしなぁ」
「四代目…」
慶造は、真剣な眼差しを芯に向けた。
「…戻ってくるなよ。……お前の為でもある」
「……兄さんの為……が、正解でしょうね」
芯は静かに言った。
「まぁ…な」
「ありがとうございます」
「ん?」
「その為に……その行動を…」
「内緒やで」
「兄さんには……」
「…ちゃぁんと伝えるさ。だから、ぺんこう」
「心の準備も必要です。……もし、お嬢様が、例の能力で知ったら…」
「真子は、しないさ。…あまりにも恐ろしく感じると、避けるだろ」
「お嬢様と話し合った方が、賢明です」
「真子に話すと、俺が揺らぐ。…今まで、何度も…何度も……」
慶造は湯飲みを握りしめる。
「これ以上は、延ばせないだろ?」
「……そうですね……」
もうこれ以上は何も言えない。言っても決意は変わらない。 そう感じた芯は、一点を見つめたまま、唇を噛みしめた。
芯は、真子を力一杯抱きしめたまま、優しく語りかけていた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。何も心配することはありません。
慶造さんは、最善を尽くす方です。だからこそ、真剣に
そして、慎重に行動なさってるんですよ。みなさんの安全も考えて
心配掛けないようにと、一生懸命に…」
「……ぺんこう……」
「もう少しなんです。だから、見守ってるだけで、いいんです」
「大丈夫だよね」
「はい」
「お父様の思い…達成するんだよね」
「えぇ」
「……ぺんこうぅ……」
真子は、しっかりと芯にしがみついた。そして、震える声で、何度も何度も芯のあだ名を呼んでいた。その度に、芯は優しく返事をし、真子の頭を撫でていた。 もう十四歳。だけど、まだ、十四歳。 大人になりきれず、ましてや子供でもない。だけど、真子の雰囲気は、大人顔負けのもの。でも、それは、周りにだけだった。芯や政樹、八造や向井たちの前では、十四歳らしさを見せている。ただ、それだけで、芯は安心していた。
「お嬢様、そろそろ帰る時間ですよ」
「まだ、早いもん…」
落ち着いたのか、真子はふくれっ面を見せていた。 約束の時間までまだ、一時間ある。 なのに、芯は帰るように促していた。 それには、訳がある。男としての………。
「仕事を思い出してしまったんですよ」
「……ごめんなさい。忙しいのに…」
「気になさらずに。…安心しました」
「ん?」
真子が、ちょこっと首を傾げた。
お、お嬢様……そ、その…それは…。
沸き立つ思いをグッと堪えて、芯は静かに言った。
「いつものお嬢様に戻った事に」
「ぺんこうに言ったら…心にあった、もやもやが、消えたみたいだもん。
本当に…心配だったの。何か嫌なことが起こるような気がしてて…」
「今はどうですか?」
「さっきまでの事が嘘みたい!」
真子の笑顔が輝いた。 その笑顔を観て、芯は本当に安心する。
「やっぱり…帰らないと…駄目? まさちん…迎えに来てないよ?」
「それなら、もう外で待ってると思いますよ」
芯と真子は、廊下に出て、階下を観た。 マンションの近くに、政樹の車が停まっていた。
「ほんとだ…」
真子は驚いたように言った。
「慶造さんにお伝えした後、すぐに来たみたいですね」
「促してるみたいだね…」
「やな奴だなぁ」
芯が呟いた。
「ぺんこう…、本当に…」
「嫌いです」
即答する。
「もぉ、ぺんこうぅ〜っ! 面白いんだからぁ」
真子は声を挙げて笑い出した。
「冗談言わなくても、大丈夫だよぉ。もう、大丈夫だもん」
いや、本音なんですが…。
芯が自分の心を和ませようと、冗談を言ったと思っている真子。その思いを大切にしておこうと、芯も笑い出した。
「まさちんが待ちくたびれてるかもしれなから。…帰る…」
「すみません。私の方からお誘いしたのに」
「私の方こそ、ありがとう、ぺんこう。私のために時間を割いて…」
お嬢様の為に、いつでも、時間を作りますよ。だから、
「気になさらずに」
言いたい言葉を少しだけにする芯。 そして、政樹の車まで真子と降りていき、優しく政樹に話しかけ、去っていく車をいつまでも見送っていた。 車が見えなくなった。 芯の眼差しが、罪悪感に包まれる。
お嬢様、申し訳御座いません。 この方法しか……。
真子を抱きしめていた時、芯は、術を掛けていた。
もし、真子が相談してきたら、その時は……。
「四代目。あなたは、本当の……悪ですよ…」
芯は本部の方を見つめ、思わず口にしていた。 足取り重く、部屋に戻っていく。
政樹は、先程に観た芯の態度に、恐れていた。 もしかしたら、真子と芯で、何かを企み、政樹に仕掛けようとしているのかもしれない…と。しかし、真子が語る雰囲気で、それは無いと悟っていた。ビクビクしながら、約束の時間まで待とうとしていた。
「そうだ、まさちん」
「はい」
「時間が余ってるから、久しぶりに手合わせしたいんだけど、
くまはちは、お父様と一緒に居るの?」
「くまはちさんなら、お嬢様が帰る時間まで、身体を動かすと仰って
道場に居られましたよ」
「それなら、私も着替えて向かうから、帰ったら、伝えてきて!」
「あまり激しく動かないでくださいね」
「どぉしてぇ?」
「熱が出ますよ」
「もぉぉおっ!」
真子はふくれっ面になって、そっぽを向いた。
「まさちんも一緒に手合わせ…する?」
「お断りします」
「どうしてよぉ」
「お二人で仕掛けそうなので。これ以上、傷を増やしたくありません」
きっぱりと言い切った政樹。
「ほぉ〜。くまはちに言ってみようかなぁ」
「お嬢様っ! それは…」
「本気にした?」
「しました」
「大丈夫だって。まさちん、格闘技…苦手でしょ?」
あれ?
真子の言葉に、政樹は疑問を抱いた。 その偽りの姿は、真子の記憶から去っているはず。なのに、なぜ、今頃…。
「そんなことはないんですが…」
「あれ? …そうだよね。…あれれ??」
真子は、自分が発した言葉が可笑しいことに気が付いた。
「どうしたんだろ、私……。でも、まさちんは、見ててね」
「はい」
「不思議だな…どうしたのかなぁ、私…」
真子が悩んでいる頃、車は本部の門をくぐっていった。
その日、夕食の時間まで、真子と八造は道場で手合わせをしていた。 久しぶりの手合わせに、八造は真子の動きが変わっている事に気付く。 以前より素早く、そして、力強い。
いつの間に…。 どうして…。
八造は、なぜ、今頃、真子が手合わせをしたいと言い出したのか、解らなかった。 二人の動きを傍らで見つめていた政樹も、真子の考えが解らない。 それぞれが、それぞれの心に秘め事を持った。 それは、これから起こる出来事の前触れでもある。
春樹が、書類の束を特殊任務の責任者に手渡した。
「真北…お前……これは…」
一枚目に書かれている文字が、すぐに目に飛び込んだ。
「却下だ」
「許可願います」
「この任務では、これは御法度だろ。それに、法に触れる」
「承知の上です」
「もし、実行したら、それこそ、お前は…」
「今の立場から解放されます。それに、そうするように、本人からも
言われていることです。なので、お願いします」
春樹は深々と頭を下げた。
「…真北」
春樹は頭を上げない。
「はぁ…あのなぁ。許可する、せん…どちらにせよ、お前の行動は
これしかないだろが」
春樹が頭を上げた。
「それは、どういう事でしょうか…」
「今の立場から解放される、唯一の方法だろ」
「えぇ。それも、本人の意志です」
「…なぜ、そこまでして、奴は…」
「ご息女を私に託すと決めたあの日から、決意は変わってません。
しかし、行動に移すには、まだ時期尚早だと判断したそうです」
「今度こそ、時期が来たと…そういうことなのか?」
「恐らく。だからこそ、私に…………」
春樹は、慶造との話を淡々と語り出した。 責任者は耳を傾けるだけで、何も言わなかった。
「……今からだ」
春樹の語りを聞き終わった途端、責任者が静かに言うと、
「ありがとうございます」
春樹は再び深々と頭を下げた。
「だがな、真北。お前は無茶するなよ」
「はっ。では、これで。失礼します」
顔を上げ、部屋を出ようと歩き出した春樹を、
「真北」
責任者は呼び止めた。
「はい」
振り返る春樹。 その眼差しこそ、本来の春樹そのものだった。
「…いいや、何も」
「では」
春樹は部屋を出て行った。 責任者は大きく息を吐く。
お前を失いたくないんだぞ。 そして、その手を……。 なのに、お前はどうして…。 それが、本来のお前なのか? 真北春樹……。
ブラインドの隙間から、春樹の車が去っていくのを眺めていた。
慶造は、自分の部屋にある床の間を見つめていた。 そこには、代々伝わる日本刀が置いてある。 何かを決意した眼差しを向けた後、その日本刀を片手に取った。 柄を握りしめ、日本刀を抜いた。 刃こぼれをチェックした後、それを、勢い良く、振り下ろす。 空を切る音が、短く聞こえた。
部屋から出てきた慶造に、勝司が深々と頭を下げた。
「真子は?」
「無事に学校へ」
「そうか」
短く応えて、慶造は窓の外を見上げた。 どんよりとした曇り空。今にも泣き出しそうな空模様だった。
「先のことは…見えない……てか…」
そう呟いて、慶造はフッと笑みを浮かべた。
「どうなった?」
慶造が尋ねる。
「何度も言ったのですが…」
勝司の返事に、慶造は諦めたような表情をした。 玄関先には、組員達が勢揃い。 慶造を見送る状態ではない。誰もが戦闘準備に入っていた。
「お前ら…」
「四代目! もちろん、手は出しません。しかし、側に居るくらいは…」
「ったく、勝司の言葉は俺の命令だということも、忘れたのか?」
「忘れてません! それでも、こんな時に、本部でくすぶっているのは、
我々の性に合いませんから! お願いします」
北野が力強く言うと、組員達が一斉に頭を下げた。
「あがぁ、解った解った。だがな、絶対に、手を出すな。
これは、俺と竜次…いや、長年続いている阿山組と黒崎組の
因縁を断ち切るための勝負だからな」
「御意っ」
「まぁ、竜次の方も、付いてくるだろうしな。……ええな、絶対に
手を出すな。観てるだけだ。…例え、俺が倒れても…な」
慶造の言葉に、組員達は煮え切らなかったものの、
「御意!!」
再び力強く応えて頭を下げた。 その仕草に、慶造は、組員達の思いを悟った。
ったく…。
呆れながらも、慶造は、
「…行くぞ…」
号令を掛けた。
「はっ!」
慶造が車に乗り込むと同時に、組員達が動き出す。 本部の裏にある門が開き、車がたくさん出て行った。 その動きを見ていた男が居た。 息を吐き、項垂れる。そして、何かを決意したかのように顔を上げ、同じように本部を出て行った。
竜次は、自分の部屋でのんびりとくつろいでいた。 窓の外は、いつの間にか朝に変わっていた。 一晩中、起きていたらしい。 ドアがノックされた。
『竜次様、三十分前です』
「…あぁ、準備は出来ている」
そう言って立ち上がった竜次は、テーブルの上に置いている銃を手に取り、懐にしまい込んだ。ドアを開けると、そこには、崎が立っていた。少し離れたところには、黒崎組組員達が姿勢正しく立ち、竜次に深々と頭を下げていた。
「さぁきぃ〜。言っただろが」
「申し訳御座いません。何度言っても、こいつらは…」
「お前らには関係ないんだ。だから、付いてくるな…」
「竜次様のお言葉は身に余るものでございます。ですが、
ジッとしていることなど、我々には出来ません。側で…
側で観ているだけです。手は出しません。だから…」
組員達の思いが伝わってきたのか、竜次は呆れたように笑みを浮かべて、
「解った解った。絶対に手を出すな。俺の身に何が遭っても
絶対に手を出すなよ。これは、俺と慶造の決着なんだからな。
もう……これ以上、誰にも血を流させない為の…」
「竜次様……」
「まぁ、慶造の方も、組員が付いてくるだろうが、お前ら、絶対に
阿山組組員とやり合うなよ。解ったな」
「御意!」
「さぁてと。先に待ってるとするかぁ。…奴は時間通りに来るとは
限らんからなぁ。先に着いて、感慨にふけってるだろうよ」
竜次はニヤリと笑みを浮かべて一歩踏み出した。 それに崎、そして、組員が付いていく。 玄関を開けた。 その向こうには、今は空き地となっている場所がある。 元沢村邸。 ちさとが、その世界に足を踏み入れる前まで住んでいた場所。そして、竜次が毎日のように会っていた頃…。今では、その光景は、竜次の心の奥底に眠るだけ。空き地となっている為、そんな面影は何処にもない。
慶造が、ここを選んだ理由はわかっていた。だからこそ、竜次も反対する理由は無かった。
「原点に…戻る…か」
竜次は呟いた。
「竜次様」
崎の声に、竜次は我に返る。
「阿山慶造です」
ふと目線を移すと、既に慶造の姿が空き地内にあった。 何かを思い出しているのだろう。 無防備に、そこに立って、辺りを見渡している。
「奴も…想いは同じってことか…」
竜次は、目を瞑った。 次の瞬間、目をガッと見開き、
「行くぞ」
そう言った。 ゆっくりと歩き出す竜次。 その姿に慶造が気付いたのか、先程までの無防備なオーラとは違い、近寄りがたいものへと変わっていた。振り向くその眼差しは、途轍もなく鋭い。それに応えるかのように、竜次の眼差しも鋭くなった。
慶造と竜次が向かい合う。 お互い、相手を睨み付ける。 次の瞬間、竜次は懐にしまい込んでいた銃を手に、慶造は体に隠していた日本刀を手に取り、 相手に向かっていった!!!!
稲妻が光り、激しく雷が、鳴った。
(2007.9.16 最終部 任侠に絆されて (7) 改訂版2014.12.23 UP)
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