第二部 『三つの世界編』 第六話 四代目の行動 阿山組、武器の大量購入。 そのページを読んでいた真北春樹は、購入された武器の詳細まで記載されている事に疑問を抱く。 なぜ、ここまで詳しいんだろう…。 春樹は、次のページをめくった。 そこには、阿山組四代目が行った組内の一掃が書かれている。 一掃された組の親分達のその後や、組員のその後まで、事細かに書かれ、親分のほとんどが、再起不能という結果となっていた。 人としての再起不能なのだろうか…。 しかし、なぜ…? 春樹は、不思議に思いながらも、更にページをめくっていく。 阿山組本部 隆栄が、片腕に何かを抱えてやって来た。門番に軽く手を挙げて挨拶をし、そのまま玄関先へとやって来る。玄関先で待機している若い衆が、隆栄の姿に気が付き、元気よく挨拶する。 「おはようございます……って、小島さん…」 「あん? おはよ。四代目は?」 「道場です。猪熊さんとご一緒です」 「お前らは?」 「それが、その…」 困ったように頭を掻く若い衆。その仕草で、何が起こったのか、隆栄には、解った。 「またかよ。ったく、あの二人にも困ったもんだな」 そう言って、玄関を上がっていく隆栄。 「小島さん!! 栄三君は、預かっておきますよ!!!」 「ええって、気にすんな」 隆栄の声は遠ざかっていった。 「ったく…小島さんはぁ〜」 若い衆は、隆栄の靴を揃え、そして、配置に付く。 本部の奥にある道場へやって来た隆栄は、勢い良くドアを開けた。その音で、道場にいる者達は一斉にドアの方へ振り向く。そして、そこに立つ隆栄の為に道を空けた。空いた道の向こうには、慶造と修司が睨み合っていた。 「やっほぉ、四代目、猪熊ぁ〜」 声を掛けられて、ようやく振り返る二人。 「取り込み中だ」 「邪魔するな」 慶造と猪熊の言葉。しかし、それを無視して隆栄は、二人の側にやって来る。 「って、栄三くんを連れてくるなっ!!」 二人は同時に発する。 「しゃぁないやん。美穂は仕事だもん。預ける人、居なかったし」 「だからって、連れてくるな」 「また、意見の食い違いか?」 「まぁ、そんなとこだよ」 慶造が応える。 「猪熊に任せるって言ったのは、四代目でしょう? 何してるんですか?」 「朝から、こんなに激しかったら、一日もたないって言ってるんだけどな、 これくらいは序の口だっていうからさ…」 「それは、猪熊にとってであって、普通の奴らには無理だって」 「だから、二日おきにさせるように言ったんだよ」 「俺は反対」 修司が、即応える。 「毎日鍛えるからこそ、身に付くんだって」 「まぁ、そうだな。…で、ここが出来て半年。どうなんだよ」 「何とか、身に付いてきた。だから続けていきたいんだって」 「じゃぁ、そうすればいいだろ」 「小島ぁ〜」 隆栄の応えに、慶造は不服そうに言う。 「猪熊に任せてられないんですか、四代目」 「安心だよ」 「それなら、放っておけって」 「…解ったよ」 慶造は、そう言って、道場を出て行った。 「じゃぁなぁ、猪熊」 「ありがとな」 慶造を追って道場を出て行く隆栄。二人が去った後、修司は、続ける。 「続きだ。始め!」 「はっ」 いつの間にか、指導する立場になっている修司だった。 回廊に出て、慶造に追いついた隆栄は、声を掛ける。 「なぁ、阿山って」 「なんだよ」 「何を焦ってるんだよ」 「何もない」 「いいや、ある」 そう言って、慶造の肩に手を掛けて、歩みを停めた。 「組員たちも、どんどん腕を上げてるんだろ? 何か気になるんか?」 「それには、感謝してるよ。益々士気が上がって、嬉しい限りだ」 「悩み事か?」 「…ちさとちゃんだよ」 慶造は、壁にもたれ掛かる。 「ちさとちゃん、元気にしてるだろが」 「まぁな。…黒崎さんの方も気を遣ってるみたいだし…それに、山中さんも 変わらないしさ」 「逢えないからか?」 「時々姿を見てるから、いいんだけどな…。…ただ…俺がこの世界に 染まり始めてるだろ。…染まったと言っても良いくらいだろ?」 「そうだな。それに合わせるように俺も猪熊もだけどな。……で?」 「声…掛けづらいんだよ」 「あまりにも、普通の姿だからか?」 「……あぁ」 俯き加減になる慶造。隆栄は、そんな慶造に気を利かせたのか、腕に抱えたままの息子・栄三を慶造の頭に乗せた。 「ふげっ!! 何するんだよ!!」 上手い具合に、栄三をおんぶする慶造の腕を掴む隆栄は、歩き出す。 「って、こら小島っ! 何処に行くんだよ!!」 「ちさとちゃん家。今日休みだろ? おぉい、四代目の外出だ。車出せ」 運転係の部屋に向かって声を掛ける隆栄。 『すぐに。』 部屋から元気よく声が聞こえ、運転係の組員が出てくる。 「どちらにですか?」 「ちさとちゃん家」 「かしこまりました。五分で」 「今すぐ」 「はっ」 組員は準備に取りかかる。 「……って、小島…」 「ぐずぐずしてたら、組内に影響してくるだろが。お前の心は、 組員にまで影響するからさ。今は、猪熊は忙しいだろ。いつもなら 気が付くんだろうけどな。俺も居るだろが」 「でも…」 「あぁ、ほんまに、じれったいなぁ。一掃したときは、行動早かったのになぁ、 自分の事になると、どうして、そうなんや」 「うるさい。…それより、栄三くんをどうにかしろぉ。…首筋が冷たい…」 「うわっ、すまん!! こら、栄三、喰うな!!!」 おんぶされている栄三は、いつの間にか、慶造の首筋に噛み付いていた。 車の中。 後部座席には、隆栄と、栄三を膝に抱っこしている慶造が座っていた。 「…で、小島、何のようだ?」 「なんとか、取り戻したか?」 「まぁな」 「頼まれていた事の続報。後で渡すよ」 「何もないよな」 「大丈夫。みんな、安全に暮らしてるからさ。心配しなくてもいいだろ」 「そうか。それなら、一つ、悩みも解消されるってこった」 「………って、栄三で遊ぶなって」 「ん? …あっ、すまん」 慶造は、徐々に高鳴る鼓動を抑えるかのように、膝の上に居る栄三の腕を掴んで、いつの間にか、バンザイさせて遊んでいた。栄三は、喜んでいる…。 ちさとの家が見えてきた。少し離れたところに車は停まる。 「呼んでこようか?」 隆栄が尋ねる。 「いいや、まだ、寝てるかもしれないだろ」 「電気付いてるって」 「居ないかもしれないだろ?」 「だから、見てくるって言ってるんだよ」 「いいよ。ここから見てるだけで」 「あぁのぉなぁ〜。なんの為にここに来たんだよ」 そう話している時だった。 「あの…小島さん」 「なんだよ」 「その…」 組員が、躊躇っている時だった。 窓を叩く人物が居た。 慶造と隆栄は、音が聞こえた方に振り返る。窓の外には、かわいい笑顔が…。 「ちさとちゃん」 ちさとの方が慶造に気が付き、近づいてきていた。 ちさとの家。 ちさとは、慶造のお茶を出し、そして、慶造の前に座った。 「ありがとう。…その…どう?」 照れたように慶造が尋ねる。 「元気だもん。高校も楽しい。それに…黒崎さんも時々様子を 見に来てくれるし…。慶造君もだよね」 「あっ、はぁ…まぁ」 「なのに、いつも遠くから見てるだけで、…寂しかったなぁ」 ちょっぴり意地悪っぽく言うちさと。 「ごめん…。だって、俺が声を掛けたら、それこそ…」 「大丈夫なのに。友達にはちゃんと言ってるし、それでも一緒に居てくれる 友達も居るから、こうして毎日楽しい時間を過ごせるもん」 「それなら、安心だよ」 「…その友達ってね、…元阿山組に居た親分さんのお子さん」 「えっ?」 ちさとの言葉に驚く慶造。 「…この世界に関わってるって思った?」 「う、うん…思った」 「それは昔のこと。今は違うでしょう? まだ、半年しか経ってないけど、 みんな、その世界とは遠ざかって過ごしていたし…それに、私が 慶造君の知り合いだと解ったら、…感謝されちゃって…」 「感謝?」 「うん。それでね、見かけるたびに、挨拶したいって言われるけど…。 やっぱり、本部に顔を出しにくいし、それに…ね」 「幹部の中には、まだ、悪く思っている者も居るからね。それに、 黒崎組の動きも気にし始めてる。東北も徐々に力を蓄えてるらしいよ」 「そのことは、山中さんも心配してる。…黒崎さんに協力できないかって、 いつもお話してるみたいだけど、難しいみたいね」 「そうだろうな」 慶造はお茶をすする。 「今日は、どうしたの?」 ちさとは、急に話を切り替えた。 「少し休めろって、小島に言われたんだよ」 「膝の上に居たのは、小島さんの息子さん?」 「長男の栄三くん。今日は美穂さんが仕事初日だから、預かったって」 「そう言えば、美穂さん、医者だよね」 「忙しそうに動いてるらしいね」 「それなら、小島さんが、常に世話をする事になるんじゃないの?」 「…そうだよな。…また、喰われるのかな…」 「喰われる?」 「おんぶしてたら、首に食いつかれた」 「おいしそうだったのかな」 「朝ご飯忘れたらしいよ」 「小島さんに任せてて、大丈夫なのかな…」 「春ちゃんにお願いしておく」 「その方が、安心かも…」 二人は、笑い合っていた。 「へっっくしょん。あがぁ〜」 「小島さん、風邪ですか?」 「知らん。…四代目とちさとちゃんが、俺のこと、話してるかもな」 そう言いながら、息子の栄三にご飯を食べさせている隆栄。 「朝ご飯は、きちんと取ってくださいね」 「うるさい」 慶造が四代目を継ぐ前までは、上下関係は、運転している組員の方が上だった。しかし、今。それは、逆転していた。慶造の前では、敬うが、二人っきりの時は、昔に戻る。それは、隆栄が言った事。 その切り替えの早さも大切だと常に言い聞かせている隆栄。 それは、射撃場での訓練の際に、全員に教えた。 その日が来たら、すぐに行動に移れるように。 隆栄が心に押し込めたこと。それは、修司も同じだった。 慶造の思い。 それは、四人の心に押し込まれている……。 ちさとは、慶造を玄関まで見送りに来ていた。 「また、来てね…って、言えないかな…」 「ここんとこ、ずっと忙しかったけど、今は、落ち着いたから、大丈夫だよ」 「でも、本部には顔を出せないし…」 「毎週、来てもいい?」 慶造の方が、そう言った。 「えっ?」 ちさとが声を挙げた。 「あっ、ごめん」 「違う。私の言葉を取られたから、驚いただけなの。いいの?」 期待に満ちた目で、ちさとが言った。 「時間作れるから」 「嬉しいっ!」 ちさとは、慶造に抱きついた。 「ち、ち、ちさとちゃん」 照れたように焦る慶造。しかし、しっかりとちさとを抱き留めている。 「おぉ、あついなぁ〜」 車の側で、二人の様子を見ていた隆栄が呟く。 「じゃぁ、あまり遅くならないように」 慶造が、ちさとに告げる。 「はぁい。気を付けてね」 「ありがとう。じゃぁね!」 慶造は、車まで駆けてくる。隆栄は、ドアを開け、慶造を迎え入れた。車に乗り込むときに振り返り、ちさとに手を振る慶造。ちさとは、笑顔で見送っていた。 隆栄も手を振り、車に乗り込む。 そして車は去っていった。 「さぁてと!」 嬉しそうに声を張り上げて、家に入っていくちさとだった。 車の中。 慶造は、栄三を再び膝の上に乗せ、遊んでいた。 「じゃぁ、仲良くしてるんだ」 「…小島、知ってたな?」 「あったりまえだ。俺を誰だと思ってる?」 「いつもいい加減な小島隆栄」 慶造の絶妙なタイミングの応えに、運転手の組員は、笑い出す。 「笑うな」 「すみません」 隆栄の言葉で気を取り直す組員は、運転に集中する。 「安心したか?」 「…まだ、不安だよ。…一人になった時の表情が…な」 慶造は思い出していた。 ちさとの様子をこっそりと伺うために高校まで出向いた慶造。友人と笑顔で挨拶を交わして、一人になり歩き出した時の寂しげな表情が、脳裏に焼き付いているのだった。 「ちさとちゃんも、四代目と同じで、相手の事ばかり考えてるもんな」 「それが、人…だろ? 自分の事も考えてるけど、自分を大切にしたいなら 相手も大切にしないと出来ないだろう?」 「まぁ、そうだけどさぁ。悩み事は心に秘めていたら、体に悪いだろ? 現に、今、そうだったじゃないかよ。…で、どうだ?」 「頭、冷えたよ」 「それなら、安心だな。本部に戻ったら、報告するよ」 「あぁ。頼む。じゃぁ、幹部を招集してくれるか?」 「あいよ。……こら、栄三。阿山を喰っても身に付かないぞ……うごっ…」 慶造は、目にも留まらぬ早さで、隆栄の腹部に逆拳を入れた。 相変わらずだなぁ、この二人。 ルームミラーで後部座席の様子を伺いながら運転している組員は、まだ、学生だった頃の二人を知っている。その頃を思い出しながら、本部へ向かって安全運転で車を走らせていた。 「お帰りなさいませ!!」 元気よく迎える組員や若い衆。その中を歩いていく慶造と隆栄、そして、隆栄の腕に抱えられている栄三の三人。隆栄は、連絡係の組員に、幹部を招集するように伝える。組員は素早く行動に出た。 会議室。 慶造の他、隆栄、修司、そして、幹部達が集まっていた。 一応、落ち着いた阿山組。次に向かうのは、全国制覇への道。それぞれの意見を聞きながら、敵対する組、敵対心は抱いていないが、注意するべき組、友好を結べそうな組などを述べていく。名前を挙げられた組に関する情報を隆栄が素早く応える。 いろいろな情報が事細かく頭に納められている隆栄。それには、口うるさい幹部達は、いつも驚いていた。そして、その組への応対方法まで伝えられるのだった。 会議が終わり、慶造、隆栄、そして、修司が会議室を出て行った。それと同時に安堵のため息が漏れる。 「しかし、小島も凄い奴だな。あれだけ細かく伝えられると こっちも行動しやすいってことだ」 「そんな小島が、四代目に付いていくって、どうしてだろうな。 親父さんと同じように、敵味方なんて、関係なく動いておけば いいものを。金にもなるだろうし。…ただ働きなんだろ、あれは」 「そうだよな。…で、組員達の動きも素早くなったって?」 「あぁ。猪熊の訓練が、相当なものらしいよ。どうしてそこまで…」 「それだけ、四代目を支えろってことなんだろ。…まっ、実際、 あれだけ力を見せられると、何も言えなくなるよな」 「今まで以上の親分だよ。厚木も協力するわいな」 「本当だな」 幹部達の関心をよそに、慶造、修司、そして、隆栄は、慶造の部屋に来ていた。修司が、三人分の飲物を用意する。 「…それでだな、阿山」 「ん?」 「こいつら四名、俺に付けてもらえないか?」 「ん? ………。あぁ、コンピュータ関係に詳しい奴らだな」 「まだ、若いうちの方が教え甲斐があるからさ」 「いいよ。小島から声を掛けてくれよ」 「解った。サンキュ。…で、笹崎さんは?」 「まだ、掛かるらしいよ。関西方面の様子、結構複雑のようだな。 向こうは、独特の世界だろ。そんな世界で生きている奴らと 同等に過ごせるとは思えないからな」 「それなら、俺んとこでも調べようか? 影の方が動きやすいだろ」 「手が足りないだろ?」 「う〜ん……。優雅なら、出来るだろうな」 「あまり危険な行動は、させたくないんだけどな…」 「危険だからこそ…だよ」 「…解った。頼んだよ。でも、危ないと思ったら、すぐに引き返すように 絶対に伝えてくれよ」 「優雅が承知するかだな…。危険が一番好きな人だからなぁ〜」 三人は、同時に飲物を口にする。 「おっと、のんびりしてたら怒られる。春ちゃんとこ行くで」 「もう帰る時間か?」 「春ちゃんに悪いだろ。剛一ちゃんたちが居るのに、更に栄三までって。 それに、春ちゃん、四人目だろ。つわりは?」 「もう、慣れたもんだって。お袋も居るし。…お袋の方が喜んでるけどな」 「そうだよなぁ。俺が頼みに伺ったら、お願いする前に受け取ったし…。 栄三、俺に抱かれるよりも喜んでいたし…」 「おぉ、親ばか発揮」 修司が言う。 「お前に言われたくは、ないな、猪熊っ!」 「うるさいっ!!! ……慶造?」 慶造の様子がおかしい事に気が付いた修司は、声を掛ける。 「どうした?」 「いいや、その…なんか、胸騒ぎが…」 「胸騒ぎ?」 「…あぁ」 その時、慶造の部屋に組員が駆けつける。 「猪熊さんは、こちらですか!!」 「どうした?」 「その…春子さんから電話で…」 組員の言葉で、修司は、慌てて部屋を出て行った。 「道病院です!!!」 「解った」 いきなりのことで、慶造と隆栄は、その場に立ちつくしていた。 「何があった?」 「…猪熊さんのお袋さんが、倒れたそうです」 「なに? 俺たちも急ぐぞ。車出せっ!」 慶造の言葉に、組員達は走り出す。そして、本部の門を猛スピードで車が出て行った。 道病院。 とある病室の前に、四人の子供を連れた女性が、寂しげに立っていた。その女性を守るかのように、少し大きな子供が立っている。廊下の先に聞こえる足音に、子供は、女性の手を引っ張った。 「ママ、おとうさん」 そう言われた女性・春子は、顔を上げた。目の前を修司が走ってくる。 「春ちゃん、お袋が倒れたって?」 「気が付かなかった…お母さん……庭で倒れてたの…。気付くの遅れた…」 「……気にするな。…中なのか?」 「危篤状態だって…。助からないかもしれないって…。私が、私がぁ〜!!!」 取り乱す春子を修司は、しっかりと抱きしめる。 「自分を責めるな。いつか来る事だって、お袋も言っていただろ?」 「でも…こんな…急に…」 「泣くなって」 春子の肩越しに見える剛一。剛一は、父・修司を見つめていた。 「春ちゃんママを頼むよ」 「はい」 修司は、春子の頭を優しく撫で、病室へ入っていった。それと同時に、慶造と隆栄がやって来た。 「春ちゃん!」 隆栄の言葉に、春子は激しく泣き出した。 「ママ…」 激しく泣きながらも、修三と栄三を両手に抱きかかえている。その二人をそっと受け取る隆栄。 「…って、わっ!春ちゃん!!」 気が緩んだのか、春子は気を失うように倒れた。慶造が慌てて支え、側にあるソファに寝かしつけた。 修司……。 慶造は、病室を見つめる。 ドアの向こうでは……。 「お袋…」 ベッドに横たわる母を見つめる修司は、母の手を取る。その動きに気が付いた母は、目を開けた。 「…しゅ……じ……」 母は、握り返した。その手から伝わる母の思い。 守り抜け。 「お母さん…」 修司の頬を一筋の涙が伝う。 母は、そっと息を引き取った瞬間だった。 母の手を胸元でそっと組み、そして、頬に口づけする。 その瞬間、修司の表情が、がらりと変わった。 病室のドアが開いた。それと同時に、医者が駆けてきて、病室へ入っていく。 「修司」 「ん? すまん。暫く一人に…」 「あぁ」 修司は、そのまま、どこかへ向かって歩いていった。 「阿山、いいのか?」 「あとで行くよ。……そうか…あまりにも呆気なかったな」 慶造は寂しそうに呟いた。 「話は聞いていたけど、いざとなると…哀しいな」 「あぁ」 そう言ったっきり、慶造は、目を瞑り、何かを思い出すような表情になる。 修司は、人気のない場所へとやって来た。 ガツッ! 拳を壁にぶつけ、そして、その場に座り込む。 「うぅうう……うぅうううう……」 膝に顔を埋め、声を殺して泣いていた……。 猪熊家に嫁いだ時から心は決まっている。 そう言っていた母の最後の思い。 慶造さんを守りなさい、力になりなさい。 力を込めて握りしめられた手から、伝わってきた。激しく流れる涙を拭いもせずに、母のぬくもりが残る手を見つめる修司。 なぜ、そこまで、その時まで、阿山家を考える? 修司は、拳を握りしめ、壁を何度も何度も殴りつけた。拳から、血が流れ始める。それでも修司は、殴り続ける。 壁に、ひびが入った。 「くそっ!!!」 渾身の力を込めた拳は、壁を殴ることなく、誰かの手に受け止められていた。 「やめろ」 「…慶造…」 受け止めたのは、慶造だった。慶造は、ポケットからハンカチを取り出し、修司の痛めた拳にそっと巻いた。 「春ちゃんにだけは、そんな思いを継がせるなよ。…子供達にもだ」 「慶造…お前…」 「そうなる前に、仕上げるから。だから、暫くは付き合ってくれよ、修司」 修司は、立ち上がり、慶造を見つめる。 「頼むよ…修司…」 慶造は、修司の胸に顔を埋め、消え入るような声で言った。 絶対に、死なないでくれよ…。 慶造の思いが伝わる。 「あぁ。任せろって」 修司は自分を取り戻す。 猪熊家の人間としての自分を…。 「すまなかった、慶造。俺…」 「いいんだよ。いずれは、そのつもりだと、言ってるだろうが」 「それでも、俺…、やっぱり自覚がないんだろうな」 「持たなくて良いって」 「解ったよ」 二人は、壁にもたれかかり、空を見つめていた。 「春ちゃんは?」 「目を覚まして、手続きしてもらってる」 「剛一たちは?」 「小島が見てる。練習だって言ってな」 「そうか」 沈黙が続く。 「なぁ、慶造」 「ん?」 「絶対に、達成させような」 「あぁ。その為にも、急ぐからな」 「日曜日には休めよ」 「俺が休まないと、誰も休まないもんな。解ってるよ」 再び沈黙が続く。 「修司ぃ」 「なんだ?」 「少し、手を抜いてやってくれよ」 「………少し…だけな」 「頼んだよ」 「解ったよ。ったく、優しいんだからなぁ、慶造は」 「…放っておけ」 二人は、真っ青な空を見上げていた。 「お袋、親父と、ちゃんと逢えるのかな…」 「逢えるよ」 「それなら、安心だよ」 足音が聞こえてくる。 「おとうさぁん」 それは、剛一たちだった。子供の顔を見た途端、修司は、嬉しそうに微笑み、駆けてくる剛一を抱きかかえた。 「剛ちゃん、走るの速いよぉ」 「子供の足に追いつかないんか?」 「うるさいっ!」 いつもの修司、そして、隆栄のやり取り。そんな二人を見て、慶造は、安心する。 優しい眼差しで、その光景を見つめていた。 慶造が四代目を継いで二年が経った。 阿山組の若手の戦力もかなりのものになり、安定し始めた頃だった。 年末の忙しさの中、組員達も、新年への準備に急がしそうに動き回っていた。 「四代目のお出かけです!!」 その声と同時に、組員達は、一斉に玄関に並び、そして、見送りの準備に入る。玄関先に慶造と笹崎の姿が現れる。そして車に乗り込もうとしたときだった。慶造の足が止まり、門の方を見つめる。 「四代目?」 慶造が振り向いた方を見た笹崎は、そこに立っている人物を見て驚いていた。その人物は、門番の制止を振り切って、慶造に向かって駆けてくる。 「慶造くん!!」 「ちさとちゃん、どうした?」 ちさとは、走ってきた勢いで、慶造の胸に飛び込む。しっかりと受け止めた慶造は、ちさとの涙に驚いていた。そして、首筋にあるひっかき傷にも気が付く。 「その傷…」 「家に尋ねてきた人が…襲ってきたの…。その人…… 元阿山組の組員だって言って、それで…」 「誰だよ」 「光元さんって言った」 「…そんな奴、組には居なかったぞ。笹崎さん、手当て……山中さんは?」 「連れて行かれた」 「えっ?」 ちさとは、震えていた。 車の中。 ちさとの首の傷の手当てを終えた慶造は、ちさとから全てを聞いていた。 ちさとが家に帰って来たところに、元阿山組の組員の光元だと名乗る男が近づいてきた。そして、話があるからと言って、強引にちさとを連れて行こうとした。その時に、揉めて首を引っ掻かれたのだった。その行動を停める為に、山中が、相手を殴り倒してしまった。光元に付いてきた男四人が、山中に暴行を加え、そして、車に乗せて連れ去っていったとのこと。 ちさとは、必死で逃げて来た。 足が向いた先は、阿山組本部だったとのこと。 話し終えた、ちさとは、涙を流す。慶造は、ちさとの顔を覗き込み、流れる涙を、そっと拭った。 「大丈夫だから。山中さんは、簡単に倒れる人じゃないよ。捕まったとしたら 恐らく、素性を確かめるためだと思う。敵に潜り込んで素性を探る。 そういう作戦もあるからね」 「でも…大勢に一人は…」 「山中さんだよ? 大勢なんて、関係ないって」 「そうだけど、やっぱり心配だから…」 「俺に任せておけって」 「ごめんなさい。…どうすればいいのか迷ったの…」 「来て正解だったよ。阿山組を名乗る輩が、そんな行動を起こしたんだ。 私の責任でもあるからね。確かめないと」 「うん」 車は、ちさとの家に到着した。 ちさとの家のドアに一枚の紙が貼られ、風になびいていた。笹崎が、車から降り、その紙を取り外す。そして、後部座席の慶造に手渡した。 「なるほどな。…笹崎さん、向かってください」 「かしこまりました」 車は走り出す。 「慶造くん?」 「出掛けようとしていたんだよ。恐らく、ちさとちゃんが駆け込んでいくと 践んでいたんだろうな」 「えっ?」 「ごめん、ちさとちゃん。巻き込んでしまったな…」 慶造のオーラが、四代目を醸し出す……。 許さねぇ。 (2004.2.6 第二部 第六話 UP) Next story (第二部 第七話) |