第二部 『三つの世界編』 第八話 新たな生活 ちさとは、目を覚ました。見慣れない天井に驚き、起きあがる。 「…そっか」 慶造君の……。 ベッドから降り、服を着替える。 久しぶりに身につける制服。あの事件から暫く学校を休んでいた。少し落ち着いてから…笑顔を取り戻してから…登校すると決めていた。 制服のリボンを結んだ時だった。 部屋のドアがノックされた。 『ちさとさん、お目覚めですか?』 聞き慣れない声に、戸惑いながらもドアを開けた。そこには、若い衆が一人立ち、深々と頭を下げていた。 「おはようございます。お食事の用意が出来ておりますので、 いつでも食堂の方へお越し下さい」 「あ、ありがとう…すぐにお伺いします」 「はっ。失礼しました」 若い衆は、再び頭を下げて、ちさとの前から姿を消そうと歩き出す。 「あの…」 「はい!」 ちさとに呼び止められて歩みを停めて、振り返る。 「お台所をお貸し頂ければ、私は自分で食事を作りますので、その…」 「おやっさんから、ちさとさんのお世話をするよう仰せつかっております」 「おやっさん? …その…あなたのお名前は?」 「あっ、申し訳御座いません!!!! 笹崎組の川原と申します」 「初めまして。昨日から、慶造君にお世話になってる沢村ちさとです。 その………笹崎さんに伝えますね。私は一人で大丈夫って」 「あっ、その、それは!! って、ちさとさぁん!!」 川原の言葉を聞かずに、ちさとは、食堂へ向かって歩いていった。 食堂では慶造が食事を終え、お茶をすすっているところだった。ちさとの姿を見た途端、慶造は、微笑んだ。 「おはよう。ゆっくりできた?」 「慶造君、おはよう。ぐっすり眠れた。だって、寝心地が良かったもん」 「それは良かった。今日から、登校するんだ…」 「うん。久しぶりだから、ちょっと緊張してるけど…」 「送るよ。何時出発?」 「あっ、それは、いいよ。ちゃんと歩いて行きます。それよりも、笹崎さんは?」 「そこ」 慶造が指をさしたところは、キッチン。そこで、笹崎が料理をしていた。ちさとは、笹崎の姿を確認した途端、キッチンへ向かっていく。 「おはようございます、ちさとさん。すぐにお持ちします」 「あの…笹崎さん。川原さんから聞いたんだけど…」 「何かやらかしましたか?」 笹崎が慌てたように言った。 「そうじゃなくて…その…私のお世話をすると言われたらしいけど、 私、一人で出来ますから。あまり気になさらないで下さい」 「いや、それは…」 笹崎は困ったように、慶造に目線を送った。 「慶造くぅん?」 少し怒り気味の目線を送るちさと。 「嫌なら、人を変えるけど…」 ちさとの怒り気味の目の意味に気付いていない慶造。 「違うぅ!! 今、笹崎さんに言ったでしょぉ! 自分の事は出来るって!」 「……ちさとちゃんて、寝起きは不機嫌?」 「………慶造君、朝…弱い?」 「うん」 返事まで弱々しい慶造だった。 「何か困った時は、お願いするから、普段は自分で出来ます」 「でも、ご飯くらいは、ここで。笹崎さん、作るのが好きだからさぁ」 「解ったぁ。朝ご飯の時間は、何時? それに合わせて起きるから。 笹崎さんも忙しいでしょう?」 ちさとが、慶造の向かいの席に座ると直ぐに食事が目の前に並んだ。 「お待たせしました」 「ありがとう」 「お時間でしたら、九時までは自由ですので、ちさとさんのお時間に 合わせてくださっても結構ですよ。それより、お時間は大丈夫ですか?」 「…あっ、ちょっと大変かもしれない…。いただきます!!」 慌てて食べ始めるちさとだった。 「おいしいぃ〜!!」 「ありがとうございます」 ちさとの表情を見つめる慶造は、少し親父っぽく、その日の朝刊を広げた。 結局、ちさとは学校まで慶造に見送ってもらった。 学校の近くに車が停まり、ちさとが降りてくる。 「帰りは、大丈夫だから。ありがとう」 車の中の慶造に声を掛けるちさと。慶造は、思わず車を降りてしまう。それにつられるように、運転席からは笹崎が降りてきた。そして、周りを警戒する。 「あまり、無理しないように」 「ねぇ、慶造君」 「ん?」 「……なんか、おじさんくさい…」 「えっ?!???」 「それだけ、大人になったって事なのかな…」 ちさとの言葉に、慶造は照れたように目を伏せた。 「ちさと!!!」 少し離れたところから、女子生徒が声を掛けてきた。ちさとは、振り返る。 「中平さん」 ちさとの友人・中平夕夏(なかひらゆうか)という女生徒が駆けてくる。 「お久しぶりぃ!! 良かった。大変だったって…聞いたからさぁ」 「ありがとう。心配掛けちゃったね」 ちさとは、友人との再会に嬉しそうに微笑んでいた。そんなちさとを観て安心したのか、慶造は、優しい眼差しで見つめ、そして、言う。 「じゃぁ、ちさとちゃん。気を付けて帰ってくるんだよ」 「だからぁ、慶造君!!」 「慶造って…阿山の組長さん!?」 中平は、ちさとの肩越しに見える慶造を見つめる。慶造は軽く会釈して車に乗り込んだ。ドアを閉め、深々と一礼した笹崎は、運転席に座り、車を発車させた。 去っていく車を見つめるちさと。 「あれが、四代目さんなんだ。親父に聞いたよ。ちさとちゃん、阿山組に お世話になってるって…」 「そうだよ。私の方から、お願いしちゃった!」 「ふ〜ん」 「……なによぉ」 「いや、四代目さんの方が引き留めたのかと思った」 「そう思われてるのかな…。もしかして、組関係の人には、変な誤解を 抱かれてるかもしれないね。…おじさんも、そうなの?」 ちさとと中平は、校舎へ向かって歩き出す。 「黒崎組との対決に備えてるって」 「慶造君に…迷惑だったかな…」 「でも、さっきの四代目さんを観てたら、そんなこと思えないな」 「どうして?」 「ちさとちゃんの事が心配で心配で仕方がないって顔してた! それにね…」 「それに?」 「大好きで、手放したくないっ!!って雰囲気も! このぉ、アツアツ!」 「中平さぁん!!! もうっ!!!」 ちさとは、耳まで真っ赤になっていた。 「照れてるぅ」 「うるさぁい!!」 楽しい雰囲気を醸し出す二人に近づいてくる担任の先生。二人は、慌てて姿勢を正し、挨拶をする。 「おはようございます」 「おはよう。沢村さん、お時間よろしいですか?」 「はい」 担任と一緒に、ちさとは、応接室へと向かっていった。二人の後ろ姿に不安を感じた中平は、気になりながらも、教室へと向かっていく。 暫くして、深刻な面持ちをした、ちさとが、応接室から出てきた。 阿山組系猪戸(ししど)組組事務所。 組長室にあるソファに腰を掛け、慶造は書類に目を通していた。 「猪戸さん、こちらの内容をもう少し深くできませんか?」 「…そうですね…。もう少し掘り下げてみましょう」 「いつもありがとうございます」 「四代目、それは言わないで下さい」 「いいえ。いつもご無理申してますから…」 「ところで…沢村の娘さん…確か…ちさとちゃんでしたか?」 「あぁ。それが?」 地を這うような声で慶造が尋ねる。 「幹部の中で密かに広まってるんですよ。…黒崎と一戦を交えるんじゃ ないかってね…」 ちらりと慶造を見る猪戸。慶造は、ただ、猪戸を見つめているだけだった。 「四代目に、その気持ちが無くても、周りには、そう思われる行動ですよ。 ちさとちゃんを引き取ったとなると…」 「そう捉える者には、そう思ってもらってもいいさ」 そう言って、お茶をすする慶造。 ドアがノックされる。 「なんだ?」 『申し訳御座いません。その…中平のおやっさんが、緊急だと…』 「中平が?」 入れと言う前に、中平がドアを開けて入ってきた。 「おやっさん!!」 伝えに来た組員が慌てるが、猪戸の合図で、その場を去っていく。 「四代目、やはりこちらでしたか」 「…中平さん……足を洗うようにと申したのに、まだこうしてお付き合いを?」 「猪戸とは兄弟ですよ。付き合いは普通のものですよ。…そうじゃなくて、 四代目。娘から聞いたんですが…。…そう睨まないでください」 慶造は、中平の言葉に含まれる内容が直ぐに解ったのか、中平を睨み付けていた。 これ以上、彼女の事を言うな…。 「猪戸の話とは別ですよ。娘からと申したでしょう?」 「…ちさとちゃんに、何か遭ったのか?」 この日、ちさとを学校まで見送った時に見掛けた女生徒のことを思い出した慶造。 確か…中平さんと言ってたっけ…。 「沢村の娘さん、今朝、応接室に連れて行かれて、その後、教室に 来なかったらしいんですよ」 「えっ? …今、昼だぞ…。笹崎さぁん」 「はい」 慶造に呼ばれて直ぐに組長室へ入ってくる笹崎。 「どうされました?」 「本部から連絡あったか?」 「いいえ。今日は、こちらに一日居ると伝えているので、緊急以外は 連絡しないように言ってあります」 「ちさとちゃんからは?」 「何も……何か御座いましたか?」 「あぁ。…すみません、猪戸さん。今日はこれで。残りの返事は明日で よろしいですか?」 「構いませんよ」 「ありがとうございます。笹崎さん、ちさとちゃんの学校」 「はい? …まさか、ちさとちゃんに?」 「あの理事、約束を反故だ。急ぐぞ」 「はっ」 慶造は、組長室を素早く出て行った。笹崎は、その後を着いていく。 ドアが静かに閉まる。 「はぁ〜。…中平ぁ、どういうことだよ」 「そういうことだよ」 「そうじゃなくてな、夕夏ちゃんの話」 「言っただろ。夕夏は、沢村の娘と友達になったって。それで、色々と 心配してたんだよ。だから、四代目から聞いた話を夕夏に話してた。 今日から学校に来たらしいんだけどな、授業も受けずに帰されたってさ」 「それって、もう来るなってことだよな」 「あぁ」 「やはり、四代目が引き取った事が影響してるのか?」 「四代目は、自分の二の舞にならないようにと理事長に頼み込んでたよな。 確か、沢村が大学卒業までの学費を払っていたとおっしゃっていただろ」 「四代目、怒るだろうな…」 「ただでさえ、やくざの話をされると怒るのにな…。自分の時は、 さほど怒らなかったんだが……」 「停めなくていいのか?」 「笹崎が居るだろ」 「それでも…なぁ」 時計が時を刻む音が響くほど、静かになる組長室。 二人のため息がもれた…。 「四代目ぇ。ちさとさんを探す方が先ですよ」 「うるさい。それは、修司と小島に頼む」 「お二人は、別件で行動中ですよ?」 「そうだった……あぁ、もういい。先に学校だっ!」 「はい」 笹崎はウインカーを右に出した。 その頃。噂のちさとは、阿山組本部の近くにある公園のベンチに座っていた。何も考えず、ただ、ボォッと座っているちさと。 その目は、少し潤んでいた。 ガン!!!!!!! 何かが力強く叩かれる音が響く。 「仕方ないでしょう? もし、彼女を襲う輩が乗り込んできたら、 こちらとしては、対処できませんから!」 「解ってる。だけど、彼女は違うと…あんたは言ったよな? 理事長さん」 ちさとが通っている学校の理事長室。そこに、怒りの形相でやって来た慶造と冷静な笹崎が居た。理事長のデスクの前に立ち、拳を握りしめている。そんな慶造の雰囲気に恐れている理事長は、ただただ、言い訳をするしかない…。 「言いました。しかし、親御さんが黙ってないんです。御存知でしょう? 我々の 経営不振は…。その親御さんの意見も大切にしたい。彼女だけじゃない。 我々にとって、生徒達一人一人が大切なんです!」 「彼女は、その一人に入らないのか?」 「入りますよ。しかし…」 「………解りました。もう、その件は諦めますよ。ただし、私からの援助も 先日お払いした分で終わりにします」 「親分さん! そ、それは…」 「たくさんの生徒の親御さんから、頂けるのなら、私からは、必要ないでしょう? それに、極道から金を援助してもらってるということが、世間に知れると それこそ、経営不振に輪を掛ける事になりますからね。以前から考えて いたことなんですよ。良い機会です。そちらとしても、安心でしょう?」 「そ、そんな…」 「沢村さんが支払っている授業料。そちらの返還はいいです。それは、 沢村さんのものですからね。笹崎、帰るぞ」 「はっ」 慶造は立ち上がる。 「色々とお世話になったな、理事長さん。これからも、頑張って下さい」 そう言って、慶造は笹崎と去っていく。 慶造の後ろ姿に手を伸ばしたままの理事長は、力無く椅子に座り込んだ。 車に乗り込んだ慶造は、運転席の笹崎に言う。 「次」 「見つけ次第、組員から連絡が入ります」 「ありがとう。…ちさとちゃん…今朝は笑顔だったのにな…。俺の…せいか…」 「慶造さん。それは、違いますよ。ただ、今の時期、一般市民からすると 我々極道は、恐ろしい存在ですから」 「そうだな…それも、俺のせいかもしれないな」 「慶造さん………」 笹崎は、ルームミラーで、後部座席の慶造の様子を伺っていた。慶造のあまりにも寂しげな表情に何も言えなくなり、ただ、ひたすら車を走らせるだけだった。 春子は、幼稚園に通う息子達を迎えに行き、本部に少しだけ立ち寄って、自宅に向かって歩いていた。双子の息子・志郎(しろう)と章吾(しょうご)を乳母車に乗せ、それを剛一と武史が押していた。春子は、修三を抱いて歩いている。 「ねぇ、ママ」 剛一が尋ねる。 「なぁに?」 「おとうさん、きょうもおそい?」 「遅くなるって、言ってたね。寂しい?」 剛一は首を横に振る。 「しろうとしょうご…さみしがるとおもって…」 「そうだね。志郎と章吾が生まれてから、修ちゃん、家に帰ってくる日が 減ったもんね。でも、お仕事で、忙しいからねぇ」 「うん。ぼく、じまんなんだ。おとうさんは、すごいって」 「修ちゃん、喜ぶよ」 公園に差し掛かった時、剛一が足を止めた。 「どうしたの、剛一」 「…ちさとねぇちゃん」 そう言って、指をさしたところ。そこには、ちさとが、寂しげに座っている姿があった。 「ちさとねぇちゃぁん!!!」 剛一は、突然走り出す。名前を呼ばれたちさとは、振り返り、剛一に気が付いたのか、笑顔を向ける。剛一は、ちさとに飛びついた。 「剛一くん、幼稚園終わったの?」 「うん。…ちさとおねぇちゃんは?」 「ちょっと…ね」 「けんかしたの?」 「けんかじゃ…ないんだけど…それに近いかな…」 春子達もちさとの前にやって来る。 「春子さん」 「何か…あった?」 優しく声を掛ける春子に、ちさとは、堪えていた涙を流してしまった。 「わぁ、おねぇちゃん!!」 突然流れ出した、ちさとの涙に驚く剛一だった。 猪熊家。 やっとこさ涙が止まったちさとに、優しく声を掛けている剛一たち。ちさとは、ちょっぴり笑顔を取り戻していた。そんな子供達の様子を見つめながら、春子は、修司に連絡を入れていた。 『ありがとな。俺から慶造に伝えておくよ』 「うん。お願いね。本部には一緒に行った方がいいかな…」 『慶造が迎えに行くよ』 「それでもやはり…心配だな…」 『慶造は理事長に怒鳴り散らした後だよ。今は、ちさとちゃんを 探しているところらしいよ』 「それだったら、早く連絡しないとぉ!!」 『そうだな…じゃぁな』 「うん。今日は、帰ってくる?」 『帰るよ。志郎と章吾が待ってるだろ?』 「その通りっ! 待ってるからね」 『はいよぉ』 春子は、受話器を置き、ちさとの側に腰を下ろした。 「落ち着いた?」 「すみません…。どうしたらいいのか…どこに行けばいいのか解らなくて…」 「もし、剛一が見つけなかったら、どうしてたの?」 「……それでも、座ったままだったかもしれない…」 「慶造くんに、心配掛けると思った?」 ちさとは、そっと頷いた。 「慶造くん、どこから知ったのか、理事長に話を付けに行ったみたいよ」 「えっ?」 「大丈夫。殴り込みなんて、恐ろしい事はしないから」 「でも…」 「慶造くんに任せておけば大丈夫だって」 自信満々に春子が言うと、 「どうして……」 「ん?」 「どうして、そういう風に自信を持った言い方が出来るんですか?」 ちさとが、尋ねてくる。 「どうしてと聞かれると応えにくいなぁ。…修ちゃんが言うからかな」 「猪熊さんが?」 「いっつも言うんだもん。私と二人の時の話はね、慶造くんの話が ほとんどなの。慶造くんの行動、考え、そして、思い。それらを全て 語ってくれるんだよ。だけどね。四人だけの秘密だといって、 教えてくれない事が一つだけある」 「四人の秘密?」 「慶造くん、笹崎さん、小島さん、そして、修ちゃんの四人。 阿山のトップが何かを考えているとしか思えないんだけどね」 「どんな秘密なんだろう…」 「さぁ、それは…。ただ、慶造くんが四代目を継いでからの行動がね、 異様に思えるって、…おかあさんが言ってた。今までにない何かを 感じるって。だから、おかあさんの最後の言葉って、守り抜けだったんだろうって」 「猪熊さんが、言ってたの?」 「そう。だからね、ちさとちゃんの悩み…打ち明けた方がいいよ。 やっと笑顔を取り戻したのに、そんな哀しい表情をしていたら、 剛一たちも哀しそうにするんだもん」 春子の言葉で、ちさとは、側に座る剛一たちを見つめた。 自分と同じような哀しい表情をしていた。 「おねぇちゃん…」 「剛一くん……」 「さみしいなら、いつでもいってね。おはなししてあげるから」 「…ありがとう」 「……さっき、連絡したところなのになぁ。流石に早い…」 玄関先に車が急停車し、誰かが急いで降りてくるのが解った春子は、いそいそと玄関まで歩いていった。 「春ちゃん、ちさとちゃんは?」 慶造が玄関を開けた春子に尋ねる。 「剛一たちと一緒。どうぞ」 「ありがとう」 と言い切る前に靴を脱いで上がっている慶造だった。 足音が近づいてくると同時に、名前を呼ばれる。 「ちさとちゃん!!!」 慶造がリビングに姿を現した。そこにいるちさとを見た途端、慶造は駆け寄り、抱きしめた。 「良かった…心配したよ…」 「ごめんなさい…」 「無事ならいい…」 「慶造くん…私……私……」 「何も言わなくていいから。…もう、知ってるよ。ちゃんと話もしてきた。 でも…ごめん…無理だったんだ…。どうしても……」 「解ってる…。私が選んだことだから…。でも、哀しくて…どうしたらいいのか 解らなかったの……」 「これから、どうする?」 「慶造君にお世話になるのは、変わらないよ。勉強、教えてくれる?」 「あぁ」 「慶造くんが、出掛けている間…暇だからね、私、考えたの」 「何を?」 「春子さんのお手伝い」 ちさとの言葉は唐突だった。 「春ちゃんの手伝い?」 「お一人で大変だと思うから」 「手が足りないときは、組員に頼んでるよ。それに、修司も居る……ちさとちゃん?」 慶造の言葉に、ちさとは、ちょっぴりふくれっ面。 「どうした?」 「慶造君、ひどい」 「えっ、俺が?」 「だって、私には、許可無く川原さんを側に付けたのに、春子さんには、 そのようにしてるなんて……」 「いや、それは、修司に怒られた後だけど…」 「まさか、同じように?」 「修司が忙しいから、その代わりと思って、組員を三人付けたんだけどな、 修司にこっぴどく怒られた」 「私も、怒っていい?」 「それは、困る…」 慶造の言葉は、か弱い…。 「慶造くんの思い、空回りしてるね」 「そうみたいだな…」 「小島さんの言う通り、自分の事に関しては、むちゃくちゃだね」 「……小島の野郎…」 「そのむちゃくちゃを、私が治してあげる…。駄目?」 うるうるとした目で慶造を見つめるちさと。 慶造は思わず目を反らしてしまった。目を反らした先には、剛一たちの熱い目線が…。 「…兎に角、春ちゃんの手伝いは、春ちゃんに聞いてから。五人の母親だけど 春ちゃんは、強い。…以前は、おばさんが居たから、何も言わなかったけど、 ここ数年、気にしていたんだよ。だから春ちゃん、どう?」 「……今更駄目とは言えないなぁ。剛一たちが期待してる…」 「そのようだな…」 確かに……。 子供達のわくわくした目が、六つ……。 その日の夕食は、猪熊家で取る慶造達。もちろん、笹崎の料理だった。春子とちさとも手伝って、とても豪華な夕食となっていた。準備の間、慶造は、剛一たちと遊んでいた。 そこへ帰ってくる修司。 「ただいま……………って、慶造、お前…何してる?」 「何って、遊んでる」 「お前……やはり、子供好きだろ…」 「楽しいからな」 「じゃぁ、さっさと………?!??」 修司の視界は突然低くなっていた。腰を強く打って、自分の体勢に気が付く修司。 慶造に足を払われて、尻餅を突いていたのだった。 「慶造ぅ〜」 「うるさい」 『ご飯出来たよぉ』 キッチンから声を掛ける春子。慶造達は、ゆっくりと立ち上がり、おいしい香りが漂う方へと足を運んでいった。 「行ってきます!」 「お気を付けて!」 ちさとの部屋の近くで待機している川原に、ちさとは笑顔で挨拶をした。そして、本部の門とは、反対方向へ歩いていき、新たに作られた門から出て行った。 向かう先は、猪熊家。 新たな生活、その第一歩。 期待に満ちた表情で、ちさとは歩いていく。 阿山組本部の食堂。 慶造は、入った途端立ちつくした。 いつにない豪華な食卓、そして、可憐な花……。 「………笹崎さん……?」 慶造に呼ばれ、厨房から顔を出す笹崎。慶造の見つめる先にあるものを見て、優しく応えた。 「ちさとさんですよ。すでに修司さんのところへ向かいました」 「…そっか、幼稚園に間に合わないか……。その後は、どうするか聞いた?」 「春子さんのお手伝いだそうですよ」 「…勉強は?」 「それは、夜でも大丈夫でしょう」 「それよりも、笹崎さん、相談があるんだけどさ…。夕べ考えたんだけど…」 慶造は、笹崎の耳元で何かを告げた。 「いってきます!」 剛一、武史、修三が、嬉しそうに手を振って、幼稚園の先生のところへ駆けていく。先生は、一緒に来た女性・ちさとを見て、剛一に尋ねる。 「あのお姉ちゃんは、だれ?」 「ちさとねぇちゃん。えっとね、ぱぱのたいせつなひとのたいせつなひと!」 「………ははぁん、なるほど…。おはようございます」 先生は、直ぐにピンと来たのか、ちさとに丁寧に挨拶をする。 「おはようございます。それでは、宜しくお願いいたします」 深々と頭を下げるちさと。 「きょうからね、ちさとねぇちゃんが、いっしょなんだよ!」 「よかったね、剛一くん」 「うん! たけし、しゅうぞぉ、いくぞぉ」 そう言って、剛一は、二人の弟を引き連れて建物へと向かっていった。 先生は、再び頭を下げ、剛一たちを追っていった。 ちさとは、ゆっくりと幼稚園を出て行く。そして、一人で歩き出した。 幼稚園か……。 遠い昔を思い出すちさと。 父と母に連れられ、ときどき、山中も迎えに来ていた。そして、楽しい日々……。 「…お嬢さん、ボォッと歩いていたら、危ないよ」 その声に、ちさとは顔を上げた。 「慶造くん!」 「ったく…。おはようの挨拶してないなぁと思ってさ」 「それだけで、わざわざここに?」 「朝ご飯、ありがとう。おいしかったよ」 「ほんと? 良かったぁ。これからも、作るから!」 慶造は微笑んでいるだけだった。そして、真剣な眼差しに変わる。 「…慶造くん?」 「あのな…その…ちょっと一緒に来て欲しいところがあるんだけど…。 いいかな…。春ちゃんには、伝えてきたから」 「う、うん…」 戸惑いながら返事をして、ちさとは車の後部座席に乗り込んだ。 「昨日の今日で悪いと思ってるんだけど…」 「なぁに?」 「学校…。俺が通っていた学校、どうかな…と思ってさ…。やっぱり途中は よくないと思ってさ…」 「慶造くん…。私、大丈夫だよ」 「でもやはり…」 「だって、慶造君が四代目を継いだ途端、来るなと言った学校なんでしょう? 私も同じこと、言われると思うよ。もう…二度も聞きたくないから…あの言葉…」 「修司と小島は、通っていたから、大丈夫だよ」 「でも、私の立場は……。だから、慶造君、いいから。笹崎さん引き返して下さい」 「そ、それは…」 笹崎は、慶造の言葉を待っているのか、引き返そうとしない。ルームミラーで、慶造の様子を伺っていた。 「四代目、目の前ですが…」 「停めて!」 ちさとの言葉で、笹崎はブレーキを踏み、道の端に車を停めた。 「慶造君、ありがとう。私が、家で勉強できるって言ったのは…昼間は 一緒に居られないから、せめて、夜だけでも…と思ったから…。 寂しいもん……。慶造君の側に居るようで、居ないじゃない…。だから…。 少しでも慶造君と一緒に居たいの……」 「ごめん、ちさとちゃん。…ちさとちゃんの思い……………………」 そこまで言った慶造は、ちさとの言葉に含まれる意味を理解する。 慶造さん…気が付くのが遅すぎます…。 ルームミラーに映る笹崎の目は、そう言っていた。 うるさいっ! 慶造は、目で返事をする。 「だって、勉強教えてくれるって言ったじゃない。嘘なの?」 「あっ、そ、それは、教えるけど……あの…その…」 「学校の時とは、違う賑やかさがあるから。…本部のみなさん 優しいし、楽しいし…。それに、春子さんも素敵な方だから。 だから、私、…今は、それだけで充分だから…」 「今…? …他に何か?」 「そ、それは……」 慶造に尋ねられ、応える事が出来ないちさと。 「だから、笹崎さん、本部に戻りましょう」 その場の雰囲気を切り替えるように、ちさとが言う。 「慶造さん、よろしいですか?」 「…あ、あぁ、そうして……本部に戻る。……笹崎さんにも悪い事を…」 「私の事は、ご心配なく。でも、達也は諦めませんよ」 「そうだった…」 「達也さん? ……もしかして、達也さんに頼もうとしていたの?」 ちさとのちょっぴり怒った眼差し…。 「その通り……」 「もぉ〜。達也さんは、一般市民だから、あまり近づかないようにって そう言っていたのは、誰なのよぉ〜っ!!!」 慶造の言葉を遮って、ちさとが言った。 「すみません……」 なぜか、ちさとにたじたじの慶造だった。 そして、車は、阿山組本部へと帰っていった。 真北春樹は、ページをめくる。 阿山組五代目は、その後、沢村家の長女を引き取るが、黒崎組との抗争は、治まらず、激化していく。それでも阿山組の勢力は衰えることなく着々と縄張りを広げていった。 そんな中、阿山組系の組が解散。 (私自身も驚いた。) 「親父の気持ち? 驚いたって…抗争の激化で、組員の死亡なのかな…」 春樹は、不思議に思いながらも、先を読んでいく……。 (2004.2.17 第二部 第八話 UP) Next story (第二部 第九話) |