第二部 『三つの世界編』 第十一話 交錯する想い 「おぉ、今年も増えたなぁ」 「剛一君、凛々しくなってるよなぁ」 「まだまだ、増えるぞぉ」 慶造、隆栄、そして、修司が一枚の写真を見つめながら、話し込んでいた。 「で、剛一くんは、隣か?」 隆栄が尋ねる。 「いいや、ちさと姐さんの部屋」 修司が料理を頬張りながら応えた。 「まだ、良いと言っただろうが」 慶造は、少し怒っている。 ここは、高級料亭・笹川の大広間。阿山組、そして、阿山組系の組の親分たちが、新年会を開いて、笹崎の料理を食しながら、歓談していた。上座の中央に慶造、慶造の右に隆栄、左に修司と座っていた。そして、三人の後ろは襖で仕切られた部屋が用意されていた。そこでは、美穂、春子、そして、修司の子供達、隆栄の子供たちも同じように楽しんでいた。 しかし、二人だけ、その席を外していた。 年末に倒れたちさとと、そのちさとを守るように言われた剛一だった。 「なぁ、阿山ぁ」 新年会は、終盤に向かっていた。誰もが挨拶に訪れ終わり、そして、酔った勢いで楽しんでいる。隆栄は、そんな男達が気にしないと踏み、慶造を『阿山』と呼んだのだった。 「ん?」 自分の呼び方を全く気にしない慶造は、いつもの通り、軽く返事をする。 「ちさとちゃんと、話し合ったんか?」 「あぁ。俺の気持ち、理解したって。でも、やはり、体調悪そうだったから、 部屋でゆっくりするようにと言っておいた。…修司、剛一君は、この宴会を 楽しみにしていただろ。こっちに呼べよ」 「何度も言ったんだけどな、心配だし、一緒に居たいってうるさかったよ」 「そうかぁ…。俺は、反対だからな」 慶造は、威厳を発する。 「実行する」 修司は力強く応える。 「なぁ」 「なんだよ」 軽く声を掛けてきた隆栄に、慶造と修司は、怒り任せに返事をした。 「その雰囲気、この場では、やめろって」 「…あ、あぁ。すまん」 「気を付ける」 慶造と修司は、言葉は違っているが、同時に応えていた。 「で、お開きやで」 そう言って、隆栄は立ち上がり、幹部や組員、親分たちに声を掛ける。 ちさとと剛一は、阿山組本部の近くにある公園に来ていた。二人で楽しく遊んだ後、本部へと帰っていく。 「そろそろ終わった頃かなぁ。剛一君、本当に参加しなくて良かったの?」 ちさとが優しく言った。 「うん。武史たちが楽しんでるなら、それでいい」 「もしかして、武史くんたちの為に、言ったの?」 「はい」 「優しいね、剛一君は。…私、一人っ子だったから、兄弟のありがたさや 優しさ、知らないんだけどね、剛一君を見ていたら、なんとなく解ってきた。 ありがとう」 「お父さん、もっと増やすって。弟ばかりだけど、楽しいよ。ちさとねぇちゃんは どうするの? その…子供……」 「慶造君が心配するから、悩んでる。子供好きだもん」 「それなら、待ってる」 「えっ? …待ってるって剛一くん……」 剛一に何かを尋ねようとした時だった。ちさとの目の前に高級車が一台停まり、後部座席から、一人の男が降りてきた。剛一は、ちさとを守る体勢に入る。幼いながらも、すでに、ボディーガードの雰囲気を醸し出していた。 「はぁい、ちさとちゃん。お元気そうで!」 「竜次くん……」 「成人のお祝いに、食事でも…と思ってるけど、どう? 阿山には、後で 連絡するとしてさぁ」 「駄目っ!」 剛一が叫んだ。しかし、竜次は、恐れる素振りもなく、ただ、幼い剛一を見下ろすだけだった。 「なんだよ、このガキ…」 「おれは、猪熊剛一。ちさとねぇちゃんをどうするつもりだっ!」 「猪熊の息子かぁ。流石、ボディーガードの息子だ。こんな歳から オーラを発してるよ」 「竜次くん、食事って、どこで?」 「俺ん家」 「それは、できない」 「どうして?」 「竜次くんの気持ち、知ってるよ。でもね、私、慶造君にお世話になってるの。 そして…慶造君と結婚したんだから…」 「えっ……?」 ちさとの言葉を聞いた途端、竜次は、言葉を失い、硬直する。 食事に誘い、その際、結婚を申し込もうとしていた様子。 「うそ…だろ? だって、阿山は、引き取っただけで、親代わりのはず…。 だから、俺……俺……」 「ありがとう、竜次くん。でも、私帰るね。慶造君に、何も言わずに出掛けてるから、 心配すると思う。またね…」 ちさとは、優しく微笑んでいた。 「あ、あぁ…また…」 そう応えるのが精一杯の竜次。相当激しく衝撃を受けていた。 慶造とちさとの結婚。その話は、阿山組内にしか広まっていなかった様子。 ちさとは、剛一と手を繋ぎながら、阿山組本部へと向かって歩いていく。その後ろ姿を見つめる竜次。その目の奥に、何かが芽生え始めていた……。 「どこ行ってたんだ剛一っ!」 部屋に向かって歩いていたちさとと剛一。屋敷内の慌ただしさに驚いていた。そこへ、怒鳴り声が聞こえてきた。 ちさとと剛一の姿が見えない事に修司が焦りだしていた。そして、若い衆に探せと言った矢先、ちさとと剛一の姿を見つけ、怒鳴っていた。振り返るちさとと剛一。その時には、修司の口を慶造が塞いでいた…。 「あがぁ〜、四代目っ! これは、ケジメですよ。誰にも言わずに出掛けた。 もし、何か遭ったらそれこそ…」 「何も無かっただろが」 「四代目。これは、猪熊家のケジメです!」 そう言うと同時に修司の拳が剛一に向かって飛んでいた。 ガシッ! 「!!!!」 「ちさと姐さん…」 「私が行こうと言ったんです。剛一君は悪くありません」 なんと、修司の拳をちさとが蹴りで受け止めていた。 いきなりの事で驚く修司をちさとは睨んでいる。 なぜか、その目に恐れる修司は、動けなかった。 「そのような強い拳を剛一君に…まだ、幼い子供に向けるつもりだったのですか? それは、私を守るため、そして、私たちの子供を守るために必要だと… そう伝えたいのですか? 私は反対です。慶造くんも反対してますよ?」 「いいえ、これは、私の家系の問題です。何を言われようとも…」 「自分の事は、自分で守れます」 「姐さん……」 修司は、それ以上何も言えなかった。そっと手を戻し、その場に立ちつくす。 誰もが、ちさとと修司のやり取りに目を奪われ、そして、言葉を失っていた。 沈黙が続く。 「ちさとねぇちゃん、強い………」 剛一が呟く。 「えっ? …あっ!! その……あの……ごめんなさいっ!!」 剛一に言われ、初めて自分が取った行動に気が付き、急に驚くちさと。自分の行動が恥ずかしかったのか、真っ赤な顔をして、首をすくめていた。 「猪熊の拳を止めるくらいか…そりゃぁ、俺でも倒れるで」 隆栄が言った。 「小島さんっ! 何も言わないで下さいっ!!」 慶造に世話になり始めた頃の事を思い出すちさと。その時に隆栄に向けた蹴りと、その蹴りを見舞った時に言われた言葉を思い出してしまった。 「猪熊、そう言う事だ。今一度、考え直してくれよ」 「四代目……かしこまりました。申し訳御座いませんでした」 「修ちゃぁん、帰ろう」 緊迫した雰囲気を和ませるような感じで春子が言いながら近づいてきた。 「……あ、あぁ。では、これで」 「お疲れ様でした」 ちさとが、優しい声で言った。 「失礼します」 剛一達は深々と頭を下げて、去っていく。 「じゃぁ、俺たちもぉ。ちさと姐さん、失礼します」 「小島さんもお疲れ様でした」 ちさとに軽く手を挙げて去っていく隆栄は、若い衆たちに去るように声を掛けて、少し離れた所で待っていた美穂達と本部を後にした。 その場に残った慶造とちさと。 何を話すことなく、二人は、窓の側に立ち、目の前に広がる庭を見つめていた。 「今年は、賑やかでしたね」 ちさとが言った。 「宴会って、あんなに疲れるものだとは思わなかったよ。ちさとちゃんは 参加しなくて良かったかもしれない。体調に悪いと思うから」 「それでも、みなさんに悪かったかしら…」 「あんな連中に会う事ありませんよ。話す事と言っても一つの事でしたから」 「子供は…?」 「あぁ。…人の気も知らんと…」 「怒ってる?」 「えっ?」 「なんだか、慶造君じゃないみたいで…。………どれだけ飲んだの?」 慶造の顔を覗き込んだちさとは、微かなアルコールの臭いに気が付いた。 「飲まされた。次々と注いでいくんだからさ…」 「だから、宴会が嫌いになったんでしょう?」 「まぁ…な」 本当の事をちさとに悟られたのか、照れたように鼻の頭を掻く慶造。その仕草に、ちさとは安心した。 「…ち、ちさとちゃん?」 「暫く…このままでいい?」 ちさとは、慶造の胸に飛び込むように顔を埋めていた。 「いいよ」 そっと応えた慶造は、優しくちさとを抱きしめた。 そんな二人を少し離れた所で笹崎が見つめていた。ちさとの側に付く川原が笹崎に気が付き、そっと声を掛ける。 「おやっさん」 「ん? …声掛けられないだろ。伝えといてくれないか、ちさと姐さんに」 「お食事ですね」 「あぁ。四代目にもな。酔いが醒める料理を用意してるから。平気なようでも 足がふらついていたからね」 「お伝えしておきます。……その…」 川原は何か尋ねにくそうな表情をしている。その表情を見て、笹崎は、直ぐに悟った。 「落ち着いたら、お前の姿に気が付くよ。その時に伝えたらいい」 「かしこまりました」 笹崎は、そっと料亭へと戻っていった。 「あら、慶造親分は?」 喜栄が声を掛ける。 「二人の世界に入れなかった」 「…こんな時間からぁ?」 笹崎の言い方に、喜栄は勘違い。 「ち・が・うっ!」 力強く言った笹崎だった。 ふと我に返る慶造は、ちさとに言う。 「何か口にした?」 「まだ、食欲が無くて…」 「無くても何か食べないと…」 「四代目」 今がチャンスとばかりに川原が声を掛けてきた。 「ん? 笹崎さんが来いって?」 川原が言う前に慶造が言った。 「は、はい」 「川原さんも一緒にどう?」 「私は…その…」 「気にするなって。来い」 「はっ」 慶造に言われて断り切れなかった川原は、二人の後ろに付いていった。 慶造が誘った理由。 ちさとと二人っきりでは、照れてしまい、何も話せないかもしれないと思ったからで……。料亭に着いてからは、笹崎も交えて、軽い食事を取ったのだった。 「少し、出掛けてきます」 「は、はい。お供致します!」 軽い食事を終えたちさとは、部屋に戻る途中、川原に言った。もちろん、ちさとの側から離れるなと言われている川原は、お供すると応える。 「姐さん、それでは、寒いですよ!!」 そう言って、コートを取りに戻る川原。コートを手に廊下に出たときは、すでに、ちさとの姿はなく……。 「って、姐さん!!」 ちさと専用の門に向かって駆け出した。 門から出てきたちさとは、公園へ向かって歩いていく。 「……!!!!!!!!」 だれ………?? ちさとは、急に口を塞がれ、意識が遠のいた…。 川原は、公園へやって来る。出掛ける時は、いつもこの公園に来ているちさと。 心和む公園。 阿山組本部から少し離れた場所にある一般市民も利用する公園。慶造がいつも利用している阿山組管轄の公園とはまた別の場所にあるところ。小さな子供や少し大きな子供達が遊んでいる姿を眺めるのが好きなちさと。そこに居るものだと川原は思っていた。 公園内を見渡すが、ちさとの姿は見えず。 「まさか…」 ふと過ぎったのは、山中の墓。山中がこの世を去ってから、月一回は出向いている。新年の挨拶に、出掛けたのだろうか…。しかし、そこは、車が必要なくらい遠い場所。そんなところへ一人で歩いて行くはずがない。 気になったのか、川原は、沢村邸跡地へ向かって歩き出した。 もし居なかったら…。 またしても最悪な事を考えてしまう川原は、早足になっていた。 「……!!!! ここは…? ……!!!!」 フッと目を覚ましたちさとは、暗がりの中、背後に感じた気配に警戒する。 「こっちだ」 そう言って、男が声を掛け、手を伸ばす。振り返るとそこには、薄明かりの中に四人の男が立っているのが解った。 「…………!!!」 ちさとは、目にも留まらぬ早さで背後の男達に拳を見舞い、倒してしまった。 「わぁ、ちさとちゃん!!」 その声に驚いて、ちさとは目を凝らす。 「りゅ、竜次くん?」 いきなりの出来事に、竜次は声を発してしまった。 部屋の灯りが付いた。 眩しさに目を細めるちさと。その目に飛び込んだ光景に唖然とする。 「竜次くん、ここは…」 「これから、二人で過ごしていく家だよ」 「二人で過ごす?」 「言っただろぉ。成人の祝いだって」 「断ったでしょう?」 「そうだったっけ? 最近、物忘れ激しいからなぁ、僕」 「何もこんな誘拐じみたことしなくても…」 「誘拐だなんて、心外だなぁ。ちさとちゃんの方から来たんだよ?」 「…竜次くん、私、帰るよ」 冷たく言って、ちさとはドアに向かって歩き出す。 「嫌だ!!」 叫びながらちさとを追いかけ、後ろから抱きついた。 「竜次くん、離してっ!」 「嫌だ。…ちさとちゃん、行かないでくれよ…お願いだから…」 「離して」 「嫌だ…ちさとちゃんが、好きなんだよ…だから、俺と…」 「竜次君の気持ち、嬉しい。だけどね、私は、慶造君が好き。そして、今は、 慶造君の妻なの。それにね、竜次君は、私にとって…弟みたいな存在なの。 甘えん坊で、それでいて、やんちゃで…。小さいときから見ていたから…」 「ちさとちゃん……」 ちさとを抱きしめる腕に力を入れる竜次。頑として離そうとしない素振りに、ちさとが言う。 「私のお腹には…慶造君との子供が居るの…」 「えっ…?」 ちさとの言葉に、竜次は腕を弛めた。そのスキに、ちさとは、竜次の腕から逃れ振り返った。 「だから、竜次君の気持ちには応えられない。ごめんね」 「……どうしても、俺を…弟のように扱うんだ…。男として…見てくれないんだ」 「竜次くん?」 竜次の雰囲気が急に変わる。そして、ちさとを睨み付けた。 「これなら、男だと認めてくれる?」 「えっ?」 ちさとが応える間も与えず、竜次は、ちさとの腕を掴み、強引にソファに押し倒した。そして、ちさとの上に四つん這いになる。 「俺だって、女の抱き方くらい、知ってる。妊娠してるなら、何しても 大丈夫だよね。それとも、俺から逃れる為の嘘? 妊娠してないなら、 阿山に会えない状態にしてやる。それなら、俺と…」 「そんな、竜次君……大嫌い」 「ちさと…ちゃん………」 「どいてっ!!!」 ちさとは、竜次の頬をぶん殴っていた。勢いで、竜次はソファの下に落っこちた。 「もう……私の目の前に現れないで…。今までありがとう。 もう、逢う事……ないから。さようなら」 冷たく言って、ちさとは部屋を出て行った。そして、玄関のドアが閉まる音がする。 「いやだ…嫌だ……。ちさとちゃん……行かないでくれよ…。 ちさとちゃん……」 気が付くと、竜次の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。 表に出たちさとは、見覚えのある景色に、竜次が用意した家の場所が解った。黒崎邸の隣にある家だった。そこは、沢村邸があった場所の目の前。 ちさとは、門を開け、道路に出た。 「お父さん…お母さん……。山中さん………」 すっかり更地になっている沢村邸跡地を見つめるちさと。その頬には涙が伝っていた。 足音が聞こえてきた。 「姐さん!!!」 その声に振り返るちさと。 「川原さん……」 「お一人では、出掛けないようにと……申しているのに…。 寒くありません…か?」 息を切らしながら川原が言い、ちさとの肩に、優しくコートを掛ける。その時、ちさとの涙に気が付いた。ここは、沢村邸跡地。あの日を思い出しているのだろうと、川原は勘違いする。 「早く戻りましょう。お客も帰ったころでしょうから」 「そう…ね」 震える声。何かに気が付く川原。 「姐さん、何か御座いましたか?」 「ごめんなさい…心配掛けたね。もう大丈夫だから」 「は、はい」 「帰りましょう」 「はっ」 川原は、ちさとの一歩後ろを歩いていく。 黒崎邸の前から去っていくちさとと川原を見つめている竜次。川原のちさとに対する態度と、先ほどの拳で、何かを悟る竜次は呟いた。 「なんで……俺を選んでくれないんだよ…ちさとちゃん……」 竜次は、その足で研究室へと向かっていった。 正月休みで、研究室には誰も居ない。 竜次は、薬品棚の前に立った。棚には、鍵が掛かっている。その鍵を探すが見あたらない。仕方なしに竜次は、側にある椅子でガラスを割った。 破片が飛び散る。 棚に置いてある箱を取り出した。それを叩き割る。 竜次の拳から血が吹き出てきた。それを気にも留めず、竜次は箱の中にある錠剤を鷲掴みし、そして、口に放り込んだ……。 ちさと……俺の……俺の……女……。 好きだよ……。 激しい物音に研究室の隣に泊まり込んでいる研究員が駆けつける。 「竜次さん!!!!」 錠剤を口に放り込む所を目の当たりにした研究員は、竜次に慌てて駆け寄ったが、すでに遅かった。竜次は薬を飲み込んだ後だった。 激しく痙攣しながら、床に倒れ込む竜次。白目をむき、口から泡を吹き出した。 研究員は、実験台の上にある壊れた箱に気が付いた。 「これは…これは、口に入れるものじゃないと…竜次さんが申したでは ありませんかっ!! 死に至る物だと…竜次さん!! 何が遭ったんですかっ!!」 研究員の叫び声に他の者達も駆けつける。 「担架をっ!! 病院に運ぶっ!!!」 研究員は、竜次の口に手を突っ込み、錠剤を吐き出すように背中を叩く。しかし、吐き出す気配を見せない。 「ほ……っと…いて…くれ……俺は……死ぬ……」 「人助けする場所で命を無駄にしないでくださいっ!! …竜次さん?」 竜次は、何も応えず、その体は、力無くだらりとなった…。 黒崎が、ICUに駆けつける。 組員達が一礼した。 「研究員から話は聞いた。…お前ら、何が遭ったか知ってるな?」 「はっ。…その……」 組員は、黒崎の耳元で、自分たちの行動をそっと伝えた。 「この馬鹿がっ!! 何を考えている!」 黒崎は、組員達を殴り倒す。 「竜次……俺が悪かったんだな…お前の気持ちを察して、 阿山とちさとちゃんの事を言わなかったから…。まさか…… まさか、誘拐してまで……余程のことだったんだな…やはり、 やはりお前は………死を選びたくなるほど…好きだったんだな…」 ちさとちゃんの事が……。 黒崎は、目を瞑り壁をぶん殴った。その拳を握りしめる。 「許さねぇ……阿山慶造……」 弟思いの黒崎。考えが行き着いた所は、慶造に怒りをぶつけることだった…。 その日の夜。 慶造は、部屋で本を読んでいた。ドアが開く音に顔を上げる。 「ちさとちゃん…」 「慶造君…、いい?」 「あ、あぁ、いいよ」 慶造の返事を聞いてから、ちさとは、慶造の部屋に入ってきた。そして、慶造の側に腰を下ろし、慶造が読んでいた本を見つめる。 「これは?」 「ん、経済書。これからのことに役立つかなぁと思ってね」 「やっぱり考えてるんだ…解散…」 「まぁね。ちさとちゃんとゆっくり過ごしたいから。…川原から聞いたけど、 何かあった?」 ちさとは、慶造に寄り添う。 「竜次君に会った。食事に誘われたんだけどね、断ったの」 「元気にしてたのか?」 「いつもと変わらず強引だった」 ちさとの手が慶造の腰に回る。 「…嘘付いちゃった…」 「嘘?」 「慶造君との子供が出来たって…」 「ちさとちゃん…?」 ちさとの様子がいつもと少し違っていることに慶造は気付いていた。 「…怒らない?」 ちさとが尋ねる。 「何に? 話によっては解らないけど…」 「言うと…怖くて…。慶造君が怒りそう…そして、極道界が真っ赤に 染まってしまうかもしれない…だから……」 「それはない。だけど、俺が怒りそうなことなら、言わない方がいい。 でも、そこまで言ったら、聞かないと俺、気になるよ…」 「竜次君に、結婚してくれと言われたの…無理だと言ったのに、 強引に…押し倒された…」 「な…に…ぃ〜?」 慶造のオーラが変わる。 「ぶん殴ってやったけどね」 「ちさとちゃん…」 ちさとの言葉にホッとする慶造は、そっと抱き寄せた。 「今日は、どうしたの?」 話を切り替えるように慶造が尋ねた。 「その……」 「もしかして、俺の気持ちを確かめに来た?」 「その逆。自分の気持ちを確かめに来たの…」 「竜次に誘われて、心が揺れた?」 ちさとは首を横に振る。 「改めて解ったの…私、慶造君が好き…そして、子供欲しいって…」 「ちさとちゃん…」 「解ってる。慶造君の気持ち。猪熊さんや剛一君の事を考えてるって。 でもね、昼間に言ったように、猪熊さんだって、おれてくれるでしょう? もっと強く言えば、諦めてくれると思うの…」 「あまい…。修司は、俺以上に頑固だぞ。あの時は引き下がったけど、 あれは、諦めてない。我を通すつもりだ。俺も負けてられないけどな。 その為にも、早めに土台を固めて、みんなを……」 「我慢…できない……だって、慶造君…」 「ちさとちゃん……」 慶造は、ちさとの思いを感じたのか、その場に押し倒した。そっと唇を寄せ、そして、優しく言う。 「いいのか?」 ちさとは、そっと頷き、そして目を瞑った。 慶造の手が、ちさとの服に掛かり、そして………。 真北家・良樹の部屋。 ドアがノックされる。 「春樹、まだ、終わらないの?」 片づけると言って、亡き父の部屋へ入ったっきり、中々出てこない春樹を心配して春奈が、部屋へやって来た。 「春樹?」 何かに没頭している春樹は、母が来た事に気が付いていなかった。 「春樹ぃ〜???」 「……あっ、はい」 慌てて顔を上げた。 「何を読んでるの?」 「阿山組ファイルです」 「あら、あの人、大事に置いてたんだね。そりゃぁ、あの人の人生、 ほとんどと言って良いほど、それに費やしてたからねぇ」 「その…阿山組とは、極道組織ですよね。どうして、父は?」 「特殊任務に就いていたのよ、あの人は」 「特殊任務?」 「法関係なしに、自分の判断で動ける、いわば警視庁直属の闇組織。 指一本で色々な公共機関を操れるらしいわよ」 「そんな組織があるんですか…。それに、父が?」 「約三年前までね」 「それまで勤めていたのに、どうして、辞めたんですか?」 「さぁ、それは…あの人、気まぐれだったからね」 「…ということは、阿山組とは懇意に?」 「情報収集をしていたはずよ。阿山組は、情報面でもずば抜けて凄いからねぇ」 「そのようですね。このファイルには、事細かく…その中で気になるところが」 「どこ?」 「銃器類の大量購入。その詳細が書かれているんです」 「そこが、特殊任務の特権らしいわよ」 「……もしかして、阿山組の誰かと通じていたとか…」 「あの人から聞いた話はね……」 そう切り出して、春奈は、良樹と語り合った日を思い出しながら、息子の春樹に話し始めた。 高級料亭・笹川 二人の男性客が暖簾をくぐって、奥へと入っていった。そして、予約していた部屋へ通される。その二人が席に着き、暫くして前菜が運ばれてきた。前菜に箸を運んでいる時だった。 『失礼します』 襖が開き、料亭の主人・笹崎が顔を出す。 「本日は、ご予約ありがとうございます。私、主の笹崎と申します。 お時間の許す限り、ごゆっくりご賞味下さいませ」 丁寧に挨拶をする笹崎に、客の一人が声を掛ける。 「噂に聞いた通りだな、笹崎親分」 その声に、顔を上げ、男を見つめる笹崎。 「どういうことでしょうか、真北警部」 客の一人、それは、あの真北良樹だった。向かいに座っているもう一人の客は、真北の後輩刑事・鈴本だった。 「急に音沙汰が無くなったと思って、調べてみたよ」 真北は、深刻な眼差しで笹崎を見つめ、そして、話を続けた。 「息子さんの事件の後、笹崎組は解散。そして、組長だったあんたは、 足を洗って、料亭を開いたという噂をな、とある筋から耳にして、 確かめに来たんだよ。まっ、あんたは、親分というより、その姿の方が 似合っているがな」 そう言って、優しく微笑む真北。 「ありがとうございます」 「少し……話せるか?」 「今のところは、客足も停まってますし、料理は若い者に任せてますから、 時間があると言えばありますよ。何か?」 「ん…」 料理が運ばれてきた。テーブルの上に並ぶ料理を見つめる真北と鈴本。あまりの素敵さに、口を開けたままだった。笹崎は、料理を運んできた若い者に、何かを告げ、真北が座るテーブルの前へ座り直す。 「お話…あなた自身のこと…ですね?」 「よく御存知で」 「まさか、引退? まだ、早いでしょう」 「まぁ、こっちの仕事が一段落したことだし、普通の仕事に戻ることになった、 とでも伝えた方がいいかな?」 「……ということは、特殊任務を離れると……?」 笹崎は、真北の目を凝視する。真北の目の奥に隠された物、それは、揺るぎない強い意志…。 「あぁ。阿山組には、先々代、そして、笹崎さんと世話になってきた。しかし、 笹崎さんが、足を洗った今……四代目には、あんたの立場、話してないんだろ? 先代は、頑なに断ったらしいが、あんたは、自分から名乗り出たもんな」 「えぇ。先々代のお話は、私の父から聞いておりましたから」 「……その息子が極道に陥るとは、思いもしなかっただろうな」 「愚弄するな…」 笹崎は睨み付ける。 「おっと、その眼差しは健在ですか。…四代目の危機には、手助けする… そういうつもりなんですね」 「これ以上、慶造さんに心配を掛けたくありませんからね」 「これも四代目の意志……か」 真北は、目の前に並ぶ料理に箸を運ぶ。 「…それだけで、任務から離れるようには、思えませんね…」 「…阿山慶造の行動から判断したんだよ。俺の居所は無くなった…とな。 極道界に新たな風を吹かせようとしているだろう?」 「その通りですね。だから、私も、第二の人生を歩み始めたんですから」 嬉しそうな表情を浮かべる笹崎を観た真北は、今まで自分が観てきた姿と正反対の雰囲気に驚いていた。しかし、その感情を、敢えて表に出そうとはせず、料理を口に運ぶだけだった。二人の会話を静かに聞きながら、鈴本は料理を口に運んでいる。 「お口に合いますか?」 笹崎が鈴本に尋ねる。 「はい。とても…和みます」 驚いて顔を上げ、素直に応える鈴本。 「不思議な味だな、これ」 真北が言った。 「そうですか?」 「あぁ。…独特の味…か。…笹崎、あんたらしいな」 「ありがとうございます」 沈黙が流れる。 「ご子息は、ご健在ですか? 確か、教師を目指していると…」 笹崎が尋ねた。 「まぁな。自分の夢に向かって、受験勉強してるよ。教育大学付属 なんたら学校を受けると張り切ってるよ」 「生徒達が憧れる教師になるでしょうね」 「恐れる教師にだけは、なるなと言ってるんだけどな、俺に似たのか あいつに似たのか、喧嘩っ早いところがあるんだよなぁ〜、困ったもんだよ」 そう語る真北は、嬉しそうな表情をしていた。 襖が開き、新たな料理が運ばれてきた。料理人が顔を出し、笹崎に何かを告げる。 「解った。すぐに行く」 笹崎の返事を聞いて料理人は去っていく。 「すみません、真北さん。来客だそうで…。これにて失礼します。 ごゆっくりなさってください」 「あぁ。………そうだ、笹崎」 「はい?」 「その後、息子さんは、どうなんだよ」 「ご心配なく。車椅子で動き回れるくらいまで、回復しておりますよ」 「そうか、安心した」 「ありがとうございます」 「息子を泣かすことだけは、もう、絶対にするなよ」 「真北さん、その言葉をそっくりそのままお返ししますよ」 「普通の仕事だから、まぁ、危機は脱したと言ってもいいだろうな」 「そうですね。では」 笹崎は、深々と頭を下げて、去っていった。 「本当に、変わりましたね」 鈴本が言った。 「そうだな。人間、あぁまで変われるとはな…」 しみじみという真北は、最後の料理に箸を運ぶ。 「……真北さん、本当に任務を降りても大丈夫なんですか? 極道との 繋がりがなくなれば、それこそ…」 「阿山の四代目に託すしかないさ…」 そう言ったっきり、真北は、そのことには触れなくなった。 「そして、その夜、久しぶりに燃えたら、ヒットして、芯が出来たってわけ」 春奈の照れたような言い方に、なぜか春樹も照れていた。そして、急に何かを思い出したような表情をする。 「…って、お母さん、芯は?」 「そうだった、春樹を捜し回ってるんだった」 「それを早く言って下さい!!!」 慌てて父の部屋を出て行く春樹。少しして、芯の笑い声が聞こえてきた。 春奈は、春樹が見ていたファイルを手に取り、ページをめくっていく。そして、最後のページに目が留まる。 「あの人ったら…」 そっとファイルを閉じ、引き出しにしまい、そして、部屋を出て行った。 『久々の夜が、ヒット。解放されたという気持ちが起こしたんだろうな。 嬉しいやら、照れるやら。長男・春樹の時と同じくらい…いいや、 新たな気持ちだな。この世界も新たに築かれるだろう。 若い親分・阿山組四代目組長に期待する』 良樹の強い想い。 リビングで弟・芯と遊ぶ春樹は、その文字を目にしていた。そして、とある想いを強く抱いていた。 それは… 「父の跡を継ぎます。…教師を諦め、刑事を目指します」 春樹の強い想いは、春奈の心にも響いていた。 (2004.3.3 第二部 第十一話 UP) Next story (第二部 第十二話) |