第三部 『心の失調編』 第七−a話 慶造の秘密 慶造とちさとが、長い間唇を寄せ合っていた時だった。 ちさとの部屋に向かって足音が近づいてくる。ドアが開いた。 「!!!!」 「!!!!」 慶造とちさとは、慌てて唇を離し、お互い距離を取るように体を動かした。 「お父さん、お母さん」 部屋に入ってきたのは、慶人だった。リビングで組員達とテレビを観ていたはずなのに、突然戻ってきた。 「慶人、まだ、九時前だぞ」 慶造が何かを誤魔化すかのように言った。 「あのね、テレビおもしろいから、お父さんもお母さんも一緒に 観ようと思ったんだけど、駄目?」 二人の雰囲気に気が付いている慶人は、恐縮そうに尋ねる。 「俺は部屋に戻るよ。お母さんだけ一緒な。…その方が、 みんなも休まるだろうからさ」 「そっか…。お母さん、行こう!」 「あなたぁ〜」 「行ってこいよ。俺は、寝ておく」 「お疲れなんですね。ったく」 ちさとは、少しふくれっ面。そんなちさとに、慶造は優しく微笑み、ちさとの部屋を出て行った。 「お父さん、お休みなさい」 「お休み。ちゃんと十時には寝るように」 「はい!」 慶造は自分の部屋に向かって歩いていった。ちさとと慶人はリビングへやって来る。 「私もよろしいかしら?」 「あっ……ちさとさん。どうぞ」 慶人の前では『姐さん』と呼ばないようにと言ってある為、組員達は、『ちさとさん』と呼び、そして、ソファに座るように勧めていた。 慶人は、ちさとの隣に腰を掛け、テレビに観入る。 組員の草木(くさき)は、ちさとにお茶を差し出しながら、耳元でそっと尋ねてきた。 「あの…四代目は?」 「あの人の方が遠慮しましたよ。居ない方がくつろげるでしょう?」 「は、まぁ…はい。…あっ、すみませんっ!!!」 「慶人は、映画を観たがってませんでした?」 「子供向けじゃないようなので、お笑いに…」 「……あらら、あの子ったら…ったく」 お笑い番組を観ている慶人は、大笑いしていた。そんな慶人を見つめるちさとは、優しく微笑んでいる。ちさとに話しかけてきた草木は、すぐ側で、ちさとの笑顔を観てしまい、鼓動が高鳴っていた。 「あっ、その…私は、これで。明日の準備がございますので…」 「いつもありがとう」 「いいえ、その…失礼します。慶人くん、お休み」 「お休みなさい! ごちそうさまでした」 草木は、慶人の頭を優しく撫でて、リビングを出て行った。 ドアを閉め、自分の部屋に向かって歩いている時だった。縁側に誰かが座っていることに気が付き目を凝らす。 「四代目?」 それは慶造だった。 いつになく、誰も寄せ付けないような雰囲気も感じさせず、ただ、そこに座っている慶造。声を掛けられ振り返った。 「よぉっ」 更に珍しく、くわえ煙草だった。 「四代目、煙草は…」 「たまには、いいだろうが。座るか?」 誘われて、草木は慶造の斜め後ろに正座する。 「慶人、楽しんでいたか?」 「はい」 「お前はいいのか?」 「あっ、その……」 何かを隠すような言い方に、慶造は、草木を見つめて微笑んでいた。 「ったく、あれ程、普通にしろと言ってるのにな…ちさとは…」 「姐さんは、普通です」 「まぁな…」 慶造は寝転んだ。ふと目に入るのは、とても明るく光っている丸い月だった。 「なぁ、草木」 「はい」 「くつろげや」 「はっ」 そう言われて、足を崩し、あぐらを掻く草木。目の前に、何かが差し出された。 それは、慶造が吸っている煙草。 「頂きます」 草木は一本取り出し、口にくわえる。そして、慶造が付けたライターの火を受け取り、ひと煙吐いた。 「あれ、これは、小島さんの…」 「まぁな。たまには吸えってうるさくてな」 「だからって何も…。…あれ、四代目は吸わない方ではありませんか?」 「小島と知り合ってから、時々、隠れて吸ってたさ…」 「ということは、学生の頃…」 驚いたような表情をする草木に、慶造は笑い出した。 「誰だって驚くわな。…小島以外は知らないことだし」 「ということは、俺…とんでもないところに出くわした…」 なぜか青ざめる草木だった。慶造は、体を起こし、煙草をもみ消した。 「…明るいよな…」 静かに言って、月を見上げる慶造。それに釣られるように草木も見上げた。 「満月ですね」 「人も変わる…ってか」 「それは、映画ですよ」 「そうだな。観た事あるか?」 「えぇ。これでも、映画はたくさん観ております」 「…この世界に入って何年だ?」 「八年になります」 「そっか。俺が四代目になってからだったな。あの頃は、かわいかったなぁ」 「四代目ぇ、それはないですよぉ」 「その通りだろが。まだ、この世界に入り立てで、右往左往していただろ」 「はい。右も左も解らない状態でしたから。笹崎さんの御指導でここまで」 「笹崎さんには、感謝してるよ」 「……だからですか?」 「あぁ。本当なら、組員達や若い衆も普通に暮らして欲しいけどな。 どうしてかな…血の気の多い連中ばかりが入ってくる」 「血の気が多いから入ってくるんですよ」 「そう考える方が賢明だな…」 慶造は、草木をちらりと観る。 柔らかい表情。その表情をジッと見つめていた。 「似合わないな」 慶造が呟いた。 「何がですか?」 「草木が、この世界に…。どうして、入った?」 「それは、その…親に反発していましたし、学校にも嫌気が差して、 そして、一人で暴れていて、殺られそうになっていたところを 猪熊さんに助けられて…」 「修司が言ってたっけ。どうしても助けたくなったって」 「そうでしたか…。それほど、危なっかしかったんでしょうね」 草木は、煙草をもみ消す。 「修司は、どんな時でも弱い奴を助けるからなぁ。まぁ、弱い奴を 倒してもおもしろくない…って言った事もあったなぁ」 「猪熊さん……あの日以来、すごく変わられましたね」 「…俺の失態だよ」 「すみません…」 「気にするな。草木は関係ない」 「はっ」 「しゃぁないよな。撃たれても死なない体を作ろうとしてるしよぉ。 厳しくなってるんだろ?」 「はい。でも、優しさも感じますから。一発一発は、きついですけどね」 草木は微笑んでいた。 「まぁなぁ。手加減無しだろう?」 「えぇ。なので、こちらも手加減せずに済みますから」 「絶対、倒せよぉ」 「がんばります」 沈黙が続く。 月が少し移動していた。 リビングのドアが開き、慶人とちさとが笑顔で話ながら出てきた。ちさとは、慶人を抱きかかえて自分の部屋へ入っていく。 「四代目、よろしいんですか?」 草木が声を掛ける。 「いいんだよ」 そう応えて、煙草に火を付けた。 吐き出した煙が空に登っていく。 「もしかして、時々こちらで?」 「まぁ…な。部屋に居てもつまらんだろ」 「明け方までですか?」 「月が見えなくなるまで」 草木は、月の軌道を計算する。 「……って、月は隠れませんよ!!」 「いいのいいの」 「四代目ぇ」 慶造は寝転んだ。 「なぁ、草木」 「はい」 「お前、好きな女は居ないのか?」 「居ます」 「この世界の人間か?」 「その…阿山組にお世話になる前に知り合った女性です。もちろん、 この世界の人間です」 「将来は?」 「まだ、考えておりません。この世界で生きているので…」 「自信…ないのか?」 「あります。しかし、もしもの事を考えると…」 「それでも、付いてきてくれるなら、一緒になれよ。祝ってやる」 「ありがとうございます」 足音が近づいてくる。 「あなた」 ちさとだった。草木は、慌てて立ち上がり、慶造は体を起こし、手のひらに煙草を隠す。 草木が、ちさとに見えないところで慶造の手のひらにある煙草をそっと受け取り、もみ消した。ちさとは、気が付いていないのか、縁側に腰掛けた。 「月を観ていたんですか」 「まぁな。草木が付き合ってくれてな」 「あなたが付き合わせた……の間違いじゃありませんか? ねぇ、草木さん」 「いいえ、その……」 「慶人は?」 「お父さんの子守歌が聞きたいって、うるさくて。捜しましたわよ」 「すまんな」 「私はこれで」 草木が言った。 「あぁ。ありがとな」 慶造の指は、煙草を挟む形になっていた。草木は、慶造の言いたい事に気付き、素敵な笑顔を見せて、一礼して去っていった。 「あら、お二人で隠し事?」 「昔話に花咲かせていただけだよ」 「そうでしたか。お邪魔だったかしら?」 「いいや…」 慶造は、月を見上げる。 「慶人が呼んでるんだったな」 「はい」 慶造は立ち上がり、縁側の引き戸を閉めた。 「ちさとの子守歌の方が良いだろうが」 「ここしばらく続いていたから、飽きたのかもしれませんよ。……っと、 あなた」 「ん?」 洗面所の前を通った時だった。ちさとが慶造の歩みを停めるように引き留めた。 「臭いは消してくださいね」 「ほへ?!」 「あの子の前では吸わないように」 「……知ってたのか…」 「臭いですよ。ほら、早く」 「解ったよ…」 慶造は、しっかりと手を洗い、そして、うがいをする。 ちさとの部屋に入ると、慶人は既に眠っていた。それでも慶人の側に寝転び、子守歌を歌う慶造。その慶造もそのまま眠ってしまう。 「……私の寝るところ……」 ふくれっ面で、ちさとが呟いた。 (2004.4.23 第三部 第七話 続き UP) Next story (第三部 第八話) |