第四部 『絆編』 第十二話 思いもしない事態に… 真夜中。 月の輝きが、春樹の部屋を照らしていた。ふと目を覚ました春樹は、部屋をゆっくりと出て行った。 廊下の窓から、空を見上げる。 月が眩しいくらいに輝いている。 「珍しいな…。…フッ…死人だから見えるってことかな」 笑みを浮かべた春樹は、白い煙が立ち上っている事に気付き、そこへ向かって歩いていった。 庭に面した縁側に腰を掛け、柱にもたれ掛かりながら空を見上げ、一服している慶造の姿が、そこにあった。 「無防備だな」 春樹の声に、目だけを向ける慶造。 「眠れないのか?」 冷たく言って、再び空を見上げる。 「俺のイメージする阿山慶造と違うな…」 「なんとでも言え」 春樹は、慶造から少し離れた所に立っていた。 「……月……綺麗だろ」 柔らかい声で慶造が言った。 「庭から見上げると、もっと綺麗だろうな」 「座れよ」 慶造に誘われるまま、春樹は、慶造と同じように縁側に腰を掛け、空を見上げた。 「ほんとだな」 二人は、空を見上げたまま、暫く時を過ごす。 慶造が新たな煙草に火を付けた。 吐き出した煙に目を細め、春樹を見た。そして、そっと煙草を勧める。春樹は、断る事もなく、一本取り出し、火を付けた。 「こんなとこまで、似てるとはな…」 煙を吐き出しながら、春樹が嘆く。 「あん?」 「煙草まで同じだな…ってことだ」 「他に……そっか。それぞれ違った世界で生きているくせに、 思いは同じだったってことか。……嫌なのか?」 「嫌に決まってるだろ」 「それじゃぁ、任務の話は、無し…か」 慶造は、ため息混じりに煙を吐く。 「まぁ、それで、いいけどな」 項垂れる慶造を見つめる春樹。 慶造の姿は、哀しみに包まれている。 「そっちの世界でも……哀しい事があるのか?」 春樹が尋ねた。 「人間、誰にも備わってる感情だろ」 「そんな感情は、捨てて、その世界で生きてるんだと思ったさ」 「世間には、そう写るんだろうな」 春樹が煙を吐く。 「そうだな」 春樹は片膝を立て、だらけた格好になり、そして、目を伏せる。 「…ちさとさん……哀しい目をしてるよな」 「仕方ないさ…。失ったものが多すぎるからさ…」 「失ったもの?」 「ちさと自身、この世界からは関係のない所で育ってきたんだよ。 だけど、俺と知り合った。代々続く争いとこの世界の宿命が ちさとの大切な者達の命を奪ってしまったんだよ」 慶造も春樹と同じように片膝を立て、俯き加減に話し続ける。 「せめて…ちさとだけでも守ってやりたい。……ちさとの笑顔を消したくない。 そういう想いから、俺は……。だけど……難しいよな…」 ちらりと春樹を見る慶造。二人は目が合った。 「…お前だって、抑えられない時もあるだろ?」 春樹は、フッと笑い、空を見上げる。 「まぁ…な」 二人は同時に煙を吐き出した。 「ちさとさんの笑顔が素敵なのは、哀しみを知ってるから…か」 何かをフッと思い出した春樹は、空を見上げたまま、慶造に尋ねた。 「なぁ、お前」 「ん?」 煙草をもみ消しながら、慶造は返事をする。 「俺の世話…どうして、ちさとさんに? …いいのか? 彼女は お前の…」 「お前が少しでも心の安らぎになるかな……と思ってな……。 …安らげないのか?」 「……和んでいるよ。…笑顔を見るたびに痛みが消えていくさ…。でもな、 心の痛みは、まだ、癒えないな…」 「そういうもんだろ」 「そういう…もんか…」 暫く沈黙が続く。春樹が口を開いた。 「なぁ、お前」 「なんだ?」 「いつまでここに居るつもりだ?」 「月が見えなくなるまで」 春樹は、月を見上げ、軌道の計算をし始める。 「…って、おい、ずっと見えっぱなしだろ!!」 「そうだよ」 「ったく…お前って、……本当に、噂と違う男だな。…しっかりしてるようで うっかりしてるようで…何となく…人と、考え方が違ってる…」 「そうかなぁ…」 「…まっ、そういう奴こそ、やるときにはやるんだろ?」 「気が付いたら、誰も停められない行動に出てるらしいよ…それが、 俺自身の本能だと…誰もが言ってる。…だから、四代目を継いだ」 「本能の赴くまま…ってことか?」 「いいや、もう、俺の代で終わりにしたいだけだ。…だけどさ…」 慶造は、真剣な眼差しで春樹を見つめ、そして、静かに言った。 「俺を……停めてくれないか?」 「お前を…停める? お前の本能をか?」 「あぁ。お前なら出来るだろ? 組の連中は、どうしても俺を四代目として 扱って、俺を停める事ができない」 「猪熊と小島が居るんじゃないのか?」 「二人でも停められない時がある」 「料亭の主人は? …そっか、そっちの世界から足を洗ってたっけ…」 「なぁ、どうだよ」 何かを乞うような眼差しの慶造を、春樹は暫く見つめていた。 「どうして、俺に頼む? 任務に就いて、そして、その力を利用しろとでも?」 「……お前なら…。組とは関係ない感情で、俺を……」 そこまで言うと慶造は、口を噤んでしまった。 …俺は、何を言ってるんだよ…。 自分の言葉に驚く慶造。 弱気になっている自分に気付き、それを誤魔化すかのように、煙草に火を付けた。 春樹も驚いていた。 まさか、自分に、そのような事を頼むとは…。ちさとだけでなく、慶造からも『極道』というイメージが遠のいていく感じがする。 見えない絆……。そういうことなのか? 笹崎の言葉を思い出した春樹は、縁側に置かれている煙草の箱を手に取り、一本取り出し火を付けた。 「俺が、お前を停める事…出来ると思うのか?」 春樹が尋ねた。 「やってみないと…解らないだろ」 「そうだけどさ……。俺に…任務に就いて、協力しろと …そう言いたいんだな?」 「協力…か。……まぁ、それに近いだろうな。 …お前の夢も同時に…叶える事できるだろうな」 「命を大切にする……世界……か」 「極道界に…新たな風が吹く。……出来るかな…」 春樹は、煙をたっぷりと吐き出した。 「………なるように…なるだろ」 呟くように返事をする春樹を見て、慶造の体が揺れだした。 必死で笑いを堪えている様子。 「なんだよ」 「いいや、な。俺の周りって、どうして、そういい加減な雰囲気の男達が 集まるのかなぁって…な…。そう思った途端……すまん〜」 「まぁ、いいさ」 そして、その夜、慶造と春樹は、杯を交わした。 兄弟杯。 それは、誰にも知られる事無く行われていた。 「ご家族は?」 ちさとと春樹は、本部内にある庭を散歩しながら、話し込んでいた。 「いませんよ。私の父が亡くなってからは、私一人です」 「それなら、今回の事…哀しむ者は…」 「生きていると知って、先輩刑事は喜んだそうですよ」 「特殊任務の方ですね?」 「えぇ。父に憧れ、そして、父の意志を継いで…」 「その方は家族と言わないんですか?」 「やくざの世界では、血の繋がりが無くても、家族ですよね」 「血の繋がりがある家族よりも、心が通いますから」 「そのようですね」 池のある場所までやって来た二人。春樹は、池の中に水が無い事に気付いた。 「池の水は?」 「ふふふ。出来上がって、鯉を飼おうって言った矢先に事件があって…。 それからは、誰もここに近づかないし、水を張ろうとも思わないの」 寂しそうに言ったちさとを見て、春樹は、それ以上、何も尋ねなかった。池の隅の方には、壊れたバケツが放ってあった。そのバケツは、何となく、子供の物に見えた春樹は、ふと、尋ねる。 「お子さんは?」 春樹の質問に、ちさとは、微笑む。 「あの人…忙しいから」 そう応えるだけだった。 定期検診として、医務室へやって来た春樹は、今度は美穂と話し込んでいた。 「真北さんって、酷いわぁ」 「何が?」 「そんな質問…駄目でしょう!」 「その質問は誰でもするだろが」 「…知らないの? 結構、世間を騒がせたけど…」 「……何を?」 「抗争の犠牲は、幼子……って」 春樹は、思い出した。 「そう言われてみると、記憶にある……まさか…」 「そのまさかなの。…もう、これ以上、失う者を増やしたくない。 そういう想いから、二人は遠慮してるのよ」 「子供は、かわいいのにな…」 「そうでしょぉ。…でもね、大きくなると、息子は何となく厄介よぉ」 「そう言えば、お二人おられるんですよね」 「夫に似てて、いい加減なのよぉ」 「そう言いながらも、嬉しそうですよ、美穂さん」 「真北さんは、子供好き?」 「大好きですね」 「何となく、そんな雰囲気醸し出してるもん。…はい、おしまい」 「…どうですか?」 「すっかり治ってる。でも、暫くは激しい動きは禁止だからね。強烈な 拳や蹴りをもらったら、それこそ……あの世行き」 カルテに記入しながら、美穂は厳しい口調で言った。 「まぁ、何もできませんからね」 「それもそっか。…で、これからどうする?」 「隣の料亭に来いと言われてますよ」 「通路のこと、聞いた?」 「通路?」 「隣の料亭は、元笹崎組の事務所があった所でね、そこを改造して 笹崎さんが、料亭を開業したのよ。だから、ここと料亭は、渡り廊下で 繋がってるの。そこを通ってね」 「いいや、表から…」 「…あのね……、真北さん、立場…忘れた?」 美穂の言葉で思い出す。 「死人…でしたね…」 「表に姿を現したら、それこそ、あんた……こっちに思われるわよぉ」 美穂の仕草こそ、まるで、幽霊……。 「気を付けます」 「多分、慶造親分が連れて行くと思うから、部屋にでも尋ねたら?」 「そうですね。ありがとうございます」 「ちゃんと結果を伝えててね」 「それは、嫌です」 冷たく言って、春樹は医務室を出て行った。そして、利用させてもらっている部屋へと戻ってくる。部屋の前では、ちさとが待っていた。 「その…どうでした?」 「激しい動きは駄目だけど、完治に近いとのことでした」 「本当に、回復力は凄いですね!」 ちさとは、微笑んでいた。 まるで、春樹の回復を喜ぶかのように…。 「あの…ちさとさん」 「はい?」 「……いいえ、何も…。その…いつ、隣の料亭に行けばいいんでしょうか…」 「あの人から聞いてないの?」 「料亭に来るようにとしか、聞いてませんよ」 「もぉ〜!! あの人ったら…」 ふくれっ面になるちさと。 「ちさとさんは、知ってるんですか?」 「お昼ご飯を食べながらとお聞きしてますよ」 「それなら、もうすぐじゃありませんかぁっ!!」 なぜか焦る春樹。その姿を見て、ちさとは笑っていた。 「御一緒しますよ」 「お世話になります」 そして、二人は、慶造の部屋へと向かっていった。 高級料亭・笹川の一室。 そこには、警視庁のお偉い方が二人と鈴本、そして、滝谷の四人が座っていた。 その向かいには、慶造、修司が座っていた。 部屋の扉が開き、笹崎が入ってきた。その後ろからは、春樹の姿が…。 「春樹君!!!」 そう言って立ち上がり、春樹をしっかりと抱きしめる鈴本。 「良かった…本当に、良かったよ……」 「鈴本さん…ご心配を掛けました…」 「いいんだよ、生きてることが解っただけで」 「でも…」 春樹の言いたい事は、解っている。 例の行動は…。 春樹の家族は居ないという事を強調するようにということだった。 「解ってるよ…特殊任務の事だろ?」 「はい」 「お二人とも…お座り下さい」 笹崎が言った。 二人は席に着き、そして、目の前に並ぶ料理に箸を運ぶ。 無言のまま、食事が進む。 誰もが口を開く途端、修羅場になりそうで…。それを考えての事だった。 食後の飲物を口にしながら、くつろぐ男達。 なぜか、心は和んでいた。 「…流石、笹崎さんですね」 慶造が言った。 「…それで、お話しは…?」 春樹が尋ねる。 その春樹の目の前に、一冊のファイルが差し出され、そのファイルの上には、特殊任務の手帳が置かれた。 「そこに…書いてるよ。…っと言わなくても解ってるか…」 「……そうですが、何か一言あっても…」 「不安か?」 春樹の口調に、不安を感じた警視庁の一人が言った。 「いいえ。…私の思うように行ってもよろしいのなら…」 「無茶だけはさせないぞ」 鈴本が力強く言う。 「私ですから、それは、解りませんね」 「それと、阿山慶造」 「なんだよ」 「…本当に、いいのか? …この男を屋敷に住まわせても」 「こっちは、一向にかまわない。こいつさえよければな」 「行くところないから、仕方ないさ」 諦めたように言う春樹に、慶造は怒りを露わにし、 「好きにしろっ」 そして、冷たく言い放つ。 「では、俺達はこれで。仕事を抜け出して来たんでね。鈴本、行くぞ。 本部に居ればいつでも逢えるんだから、未練はないだろ」 「えぇ。」 「滝谷、どうする?」 「私も…」 「そうだな。…っと真北」 もう一人のお偉い方が、呼ぶ。 「はい?」 「滝谷は、昇進したからな。警部だ」 「そうですか! 嬉しい事ですよ。それに、期待出来る男ですからね」 「真北ぁ、誉めても何も出ないって」 「解ってるよ」 春樹と滝谷は、笑みを交わす。 「では、失礼。これからも、宜しくお願いします」 「こちらこそ」 笹崎が、慶造の代わりに丁寧に挨拶をし、そして、見送った。 「……いい人ばかりだな」 特殊任務の手帳を見つめる春樹に、慶造が言った。 「あぁ」 「もっと話さなくても良かったのか?」 「…生きていれば、いつでも話せますからね」 「それも、そっか」 慶造は、春樹が開けたファイルを覗き込む。 「細かい字で、たっぷり書いてるな…全部頭に入るのか?」 「さぁ、解らん」 「……そうだ。お前に頼みがある」 「俺?」 「実はな………」 慶造が語り出した事。それは………。 小島家。 隆栄は、一階のリビングで、たっぷりある書類に目を通していた。テーブルの上には、ファイルの山…。その隙間から覗き込むように、ファイルの山の向こうに座っている人物に声を掛ける。 「なぁ、桂守さぁん」 「なんでしょうか」 「阿山…本当に例の男を?」 「そのようですよ」 「……何を考えてるんだろうな…」 ちょっぴり不安げな雰囲気の隆栄。桂守は、ファイルを床に置き、隆栄の顔をじっくりと見つめた。 「心配ですか?」 「まぁな。…刑事だろ? それに…あの任務の事、さぁっぱり解らんし」 「その任務の行動は、これらに記していると何度申せば…」 「読むのん、いややぁ〜」 隆栄は、ソファに寝転んだ。しかし、腕と足は、思うように動かない…。その腕と足をじっと見つめ、桂守に尋ねる。 「………いつ…動かせる?」 「それには、時間が掛かります。二度目は本当に…」 「そうだったな………。……、なぁ」 「…はい」 隆栄は起きあがろうとしたが、体は思うように動かず…。桂守に手を貸してもらって、体を起こした。 リビングのドアがノックされる。 「なんだ?」 隆栄の声と同時に健が、大きな鞄を持って入ってきた。そして、隆栄の前に座り込み、額を床に付ける。 「健、どうした? 家出か?」 「その…以前から申していたように…」 「まだ、諦めていなかったんか…」 隆栄は静かに言った。 「今まで、お世話になりました。これから、夢を求めて、 ここを出て行きます。成功するまで…頂点に立つまで 戻ってきません…」 「………いつになる?」 「それは、解りません」 「いつまでに頂点に立つ…そういう目標を持って出て行くもんだろ? それとも何か? ここから通おうとは、思いもしなかったのか?」 「朝昼晩…師匠に付きそう形になりますので…」 「………そうか」 「親父…」 「…呼ぶな」 「???」 「俺を…親父と呼ぶな。…それに、その荷物は何だ? お前の物だろうが 誰の金で買った物だ? 自分一人で稼いで手に入れた物は無いだろうがっ! …出て行くなら、その身一つで出て行けっ!」 「…親父……」 健は、拳を握りしめる。 「…そんな年齢で、何が修行だ。世間の事も知らないくせに、 何が出来る? 人を笑わせるだと? …そんな奴に出来るわけ…!!」 健が顔を上げ、隆栄を睨み付けていた。 「…温かい言葉を期待した…俺が馬鹿でした。…解りました。 何も…何も持って行かずに…出てきますよ!!」 そう言って、健は服を脱ぎ始める。 「…あほ。服は着ていけ…捕まるだろが」 服を脱ぎ始めた手を止め、健は隆栄を見つめた。 「健」 「はい」 「お前…二度と、この家の敷居をまたぐな。…勘当だ」 「えっ?」 驚いたように、健は目を見開いていた。 修司運転の車が、走っていた。 後部座席には慶造と春樹が座っていた。 二人とも、窓際に寄り、お互いの距離を取っていた。 「四代目」 「ん?」 「まさかと…思いますが…」 「その…まさかだけど、…何か文句あるのか?」 「…真北刑事は、特殊任務に就いたばかりですよ?」 「最初の仕事って訳だよ」 「しかし、それは難しいかと…」 「いいや、大丈夫だろ。…協力という形なら……なぁ、刑事さん」 慶造は、春樹に目をやった。春樹は、窓の外を見つめたまま、振り向きもせずに、冷たく応える。 「知らん」 「あのなぁ」 「……何を考えているのか、解らないのに、出来ると応えられるかっ!」 「それもそっか」 「なぁ、お前」 春樹は慶造に目をやった。 「なんだ?」 「俺以上に、いい加減じゃないのか?」 「さぁ、どうだろうなぁ。…なぁ、猪熊」 「…私に…聞かないで下さい」 静かに言った修司は、ウインカーを右に上げた。 小島家・リビング。 健は、ゆっくりと立ち上がり、ソファに腰を掛け、鋭い目つきをしている父・隆栄を見る。 怒りを抑えているというのが、解る…。 その隆栄が、抑揚のない声で言った。 「何が遭っても、絶対に帰ってくるな。…お前の帰る家は無い」 「…親父……。…解ったよ…もう、帰ってこないっ!!!!」 健は怒鳴ってリビングを出ていった。 …健…!! 「隆栄さん」 桂守が呼ぶ。 「……栄三は?」 「そこに」 リビングのドアの所に立っている栄三は、玄関を見つめていた。 健が靴を履くか躊躇っている…。 『健、靴も履いていけ!』 リビングから聞こえてきた隆栄の声に反応して、健は靴を履き、そして立ち上がった。 振り返り、栄三を見つめる。 「兄貴」 「…健…」 「…無理…すんなよ!」 そう言った健は、玄関の扉を勢い良く開けて、飛び出していった。 「健っ!!!」 栄三は、リビングに顔を出し、隆栄に怒鳴る。 「親父!! 健…ほんまに…。それに……それに…」 「…栄三」 「なんですかっ」 「……その鞄持って、追いかけろ。…健に届けてやれ」 「親父…」 「それと、美穂ちゃんに、ちゃんと伝えてからにしろって」 「……親父…それなら」 「うるさい。さっさと追いかけろっ! 健の方が、足、早いだろっ!」 「ったくっ!」 栄三は、健の鞄を持って、家を飛び出していった。 「隆栄さん」 「……いいだろが。そうでもしないと…帰る家があったら、それこそ 気を抜くだろが。……早く、テレビで観たいだろ?」 「…………素直じゃないんですから…」 「うるさい…。それより、霧原…借りていいか?」 「そうだと思いました。用意させますよ」 「悪いな」 微笑む隆栄だったが、その笑みの奥には、寂しさが隠されていた。 修司運転の車が小島家に通じる道を曲がる。 「…慶造、あれ…」 修司が指を差すところに目をやる慶造。 健が、小島家を飛び出し、走っていく姿があった。慶造は、窓を開け、健を呼ぶ。 「健ちゃん」 名前を呼ばれて振り返る健。 その顔は、涙で濡れていた。 健は、足を止め、深々と頭を下げる。 「???」 健の仕草を不思議に思いながら、慶造は車を降りる。 顔を上げた健は、凛とした眼差しで慶造を見つめた後、再び走っていった。 「健ちゃん、どうしたんだろ」 健の後ろ姿を見つめながら、慶造は呟く。 「…四代目っ!」 鞄を持って、栄三が小島家から出てきた。 「栄三ちゃん。…健ちゃん、走っていったけど…」 「どちらですか?」 「そっち」 「ありがとうございます!」 栄三は、慶造が指さした方へと走っていく。 「……なんだ?」 修司が車から降りてくる。春樹も気になったのか、車から降りてきた。 その時、小島家の塀を飛び越えて、誰かが道路へ舞い降りてきた。 「…!!! 四代目!!」 道路に誰も居ないと思ったのか、慶造の姿を見て、塀を飛び越えてきた男が驚いたように身構える。 「…健ちゃんと、栄三ちゃんが…」 「あちらですか?」 「あぁ」 「すみません。急いでおりますので…」 慶造が尋ねることに応える素振りすら見せず、男は走っていく。 「…あの男……霧原じゃないのか?」 春樹が呟くように言った。 「流石、色々な情報が頭に入っているだけあるな…。それなら 話しが早い。こっちだ」 慶造が、春樹を促すように言って、小島家へと入っていった。 玄関の扉は開いたまま。 「…ったく、栄三の奴、閉めていくことくらい出来るだろがっ………。 …幻か…? 阿山が居る…」 車椅子に乗り、玄関までやって来た隆栄は、そこに立つ慶造を見て、驚いたように(?)言った。 「本物だっ。ったく。健ちゃんを追いかけて栄三ちゃんと霧原さんが 出て行ったけど、何が遭った?」 「勘当」 「はぁ?!」 「あいつ、家を出て修行するって言ったからさ。もう帰ってくるなと 強く言ったら、あのようにぃ」 「ったく、素直じゃないな」 「何に? ………って、その男…」 慶造の後ろにいる春樹に気付き、警戒する隆栄。 「隆栄さん、行動に…」 「来るな!」 背後に迫る桂守の気配に、隆栄は今までに見せた事無い程の恐ろしい表情をし、怒鳴った。 しかし、桂守の行動の方が早く、玄関に姿を現してしまう。 「四代目。情報でしたら、何もこちらに………真北春樹…」 流石、情報に長けているある桂守。慶造の後ろにいる春樹を一目見ただけで、すぐに解った様子。しかし、桂守は、姿を隠す事もせず、隆栄の後ろに立った。 桂守さん…。 心配そうに見上げる隆栄に、桂守は微笑み、隆栄の肩に、そっと手を置いた。 「……お前…確か…今は姿を眩ましている…殺し屋の桂守。 時々起こる事件での傷から、あんたは生きていると言う話が 浮上していたが…やはり……」 「…阿山…。どういう事だよ」 怒りを抑えたように、隆栄が言った。 「おい、親分さんよぉ。俺の初仕事というのは、まさか…」 「その…まさかだよ」 「阿山…」 小島家の玄関先は、緊迫した雰囲気に包まれていた。 その中で、慶造と修司だけは、冷静な表情をしている。 隆栄は、慶造が連れてきた刑事を見て、地下の事をばらされると思い、警戒していた。 慶造が、次に発する言葉次第で、隆栄は慶造を…。 唯一動く左腕を、背に回す。 そこには、愛用しているドスが、隠されていた。 「!!!」 隆栄は、振り返った。 ドスを握る寸前、自分の腕は、桂守に掴まれていたのだった。 そっと首を横に振る桂守。 その目は、とても柔らかく……。 「………それよりも、健ちゃんの事だよ!! 何が遭ったんだ?!」 「それは、俺の台詞だ。この……阿山! 本部で預かっているというか 軟禁してるというか…やくざ泣かせの刑事を、俺ん家に連れてきて 一体、何を企んでいる? ……いくらなんでも…」 「…なぁ、修司」 「ん?」 「どっちが先だ?」 「健ちゃんは、栄三ちゃんと霧原さんが追いかけてる。だから安心だろ? どっちが先かと言えば、俺達の状況…慶造の思いを語るのが先だろ?」 「そうだよな……。しゃぁないなぁ」 「しゃぁないって、阿山…あのなぁ」 「桂守さん。みなさんをリビングへ」 「かしこまりました」 桂守は、玄関先に隠しているボタンを押し、何かを告げる。 「あのなぁ。家主の意見は無視かよっ!」 「その怒りを抑えるなら、ちゃんと説明するけどなぁ」 「……もう、寂しい思いはさせんといてくれよ…」 「…小島?!」 あまりにも弱々しい声…。隆栄にあるまじき雰囲気に、慶造は思わず声を掛けてしまった。 玄関先に、小島家の地下の男達が集まってきた。 その姿を見て、春樹は身構える…。 目の前に現れた男達は、命を何とも思っていないと言われ、殺し屋として影で生きていると言われている者達。 ま、まさか…こいつ…俺を……。 傷は、治っているが、激しい動きや強い衝撃には、まだ耐えられないと言われた事を思い出す春樹。 しまった……。 (2004.7.20 第四部 第十二話 UP) Next story (第四部 第十三話) |