第四部 『絆編』 第三十四話 振り回される 阿山組本部・慶造の部屋。 デスクの隅にある電話を見つめる慶造。どうやら、どこかに電話をしようか悩んでいる様子。じっと電話を見つめる慶造は、大きく息を吐き、側にある煙草の箱に手を伸ばす。 その手が止まる。 真子の為に、禁煙してね! 煙草の臭いは、中々消えない。その臭いは、子供にとって慣れないもの。その為に、ちさとが慶造に言った言葉だった。 まぁ…いいか 慶造は、煙草に火を付けた。 ゆっくりと煙を吐き出す。 天を仰ぎながら、椅子をクルリと回転させた。 連絡くらい…くれてもいいだろが……ったく……。 椅子の影から、煙が立ち上る……。 慶造が気にしている男は、珍しく寝入っている…。 天地山の麓にある小屋に春樹が寝泊まりするようになってから、五日が経った。本当にくつろいでいる春樹。もちろん、春樹の側には、まさが付かず離れずの距離に居る。寝室を覗き込む、まさ。春樹は熟睡している。 「今までの分…これからの分を貯めて寝てるんでしょうね。 真北さん…好きなだけ、こちらで過ごして下さい。 恐らくあなたは、思いを遂げるまで、休まない人でしょうから…」 優しい眼差しで春樹を見つめ、そっとドアを閉めるまさ。 ?!?? 胸を締め付けられるような痛みを感じ、壁にもたれかかる。 珍しいな…何も…していないのに……。 暫くその場に立ったまま、まさは息を整える。 電話が鳴った。 「おっと!!!」 春樹を起こさないようにと気を遣う、まさ。急いで受話器を手に取った。 「もしもし」 『原田…か?』 「慶造さん……どうして、こちらが?」 まさは、受話器から聞こえてくる声で、相手が誰か直ぐに解る。昔取ったなんとやら……かもしれない。 『地山さんから聞いた。…そこに、居るのか? 五月蠅い男は』 「居ますが…未だ寝てます」 『やはり、傷が悪化したのか?』 「傷は治ってますが、体の方が疲れているようですよ」 『そうだろうな。部屋に居ても芯から寝てないようだからな。 真子の寝顔で、疲れを癒してるようなもんだからさ』 「…緊急でしょうか?」 『いいや、ここ五日…連絡ないんでな、この世を去ったのかと 思ってさ………』 そこまで言った慶造は口を噤む。 「真子お嬢様が、泣いておられるとか?」 『それもあるが…』 「真北さんが居なくても、慶造さんがおられるんですから、大丈夫でしょう?」 『…原田ぁ』 「はい」 『お前、真北から、何を聞いてるんだ?』 「えっ?」 『まぁいい。…真北の許可が必要かと思ったが、止めておくよ。 そいつの気が済むまで、好きにさせてやれ。だけど、無茶だけは 絶対にさせるなよ』 「解っております」 『じゃぁ、しばらく頼んだよ』 「慶造さんこそ、無茶なさらないで下さい」 『あぁ。ありがとな。じゃぁ』 電話は切れた。 まさは、受話器をそっと置き、春樹の居る方を見つめる。 慶造が何か途轍もない事を始めようとしている。それを悟ったまさは、春樹に伝えるべきが悩んでいた。伝えると、春樹が無茶するかもしれない。しかし、伝えなかったら、慶造の行動を知って、更に無茶な行動に出るかも知れない春樹。 大切な者は、もう失っては駄目よ…。 里沙の言葉を思い出す、まさ。 慶造さんに任せるか…。 そう結論を出したまさは、昼食と夕食の買い物へと出掛けていった。 慶造は、受話器を置いて、ため息を付く。 部屋のドアがノックされる。 『山中です』 「どうした?」 『幹部の皆さんがお集まりです』 「先に始めておけ。山中、頼んだぞ」 『は、はぁ…』 煮え切らない返事を耳にした慶造は立ち上がり、ドアを開けた。そこには、困った表情をした勝司が立っていた。 「先日教えただろ?」 「その……」 勝司は、慶造の耳元で何かを告げた。 「…厚木のやろぉ〜」 慶造は、急いで会議室に向かう。 会議室の前では、厚木会長と副会長の多聞が立っていた。 「よぉ、四代目」 「厚木ぃ〜、お前なぁ、何度も言ってるだろうが!!」 厚木会長の胸ぐらを掴み上げ、壁に押しつけた。慶造の声は、会議室の中まで聞こえていたのか、既に集まっていた幹部達が出てくる。修司が素早く慶造の手を掴み上げた。 「猪熊…放せ」 地を這うような声で、慶造が言った。 しかし、修司は手を放そうとしない。厚木会長は、服を整えながら、慶造に言った。 「四代目、あのようにしないと、なめられまっせ。この世界は、 手ぬるい事をしていたら、それこそ、足下をすくわれまっせ」 「……そういう奴らにこそ、俺の行動が必要になるんだ。 厚木…いい加減にしないと、お前ら…本当に…」 「真北にばかり任せていて大丈夫ですか? 噂されてますよ。 阿山組は何をしてもお咎め無し、なにか途轍もないほど 大きな組織が、バックにあるらしい…とね。…真北が小島の ボンと行動を共にして全国を回っていたのには、訳があるようですな」 「訳?」 「全国の親分衆と顔を合わせて、何を企んでるのやら…。 阿山組の脅威が広まっているというのに…」 呆れ顔の厚木会長を慶造は、睨み付ける。 「恐れたら…殺られる前に殺れ…そういう考えが現れる。 そうなると、お前らも危険だろが。それを思っての行動だ。 真北が任せろと言ったから、俺は任せてるだけだ」 「その真北が、どんな行動に出たのか、御存知ですか?」 「鳥居と敵対している組に狙われたんだろ? それで深手を負って 地山一家で休んでると聞いてるが…違うのか?」 「その通りだが…」 「真北のことはいい。あいつは何をしても思い通りに事を運ぶ奴だ。 それよりも厚木…お前の行動だ。……一体、どこを狙ったんだ?」 「さぁ、それは。あちらの行動を迎えたまでなんですけどねぇ」 「激しくやりやがって…」 「大人しい方ですよ」 「どこがだよ…。屋敷一軒、吹っ飛ばしやがって…ったく。 処理が大変なんだぞ……」 「四代目の心配は、そちらですか」 「他の方法を考えろ。会議始めるぞ、入れ」 慶造の言葉で、厚木たちは会議室へ入っていく。幹部達は、慶造が座ると同時に席に着く。勝司が資料を配っている間、慶造の隣に座っている修司が、慶造にしか聞こえない声で言う。 「吹っ飛ばす前に、退避させてたから安心しろ」 「解ってる。だから、あれ以上、何も言わなかったんだよ」 「なぁんだぁ」 厚木の残虐な行動に怒りを見せる慶造。何度言っても、厚木は銃器類を使って激しく相手を狙ってしまう。話し合いで済ませようとする敵に対しても…。 今回、厚木が狙った敵対する組が、そうだった。慶造の思いを知り、真北の意見を受け入れた矢先、厚木の行動。修司が直前に知らせた事で、危機を免れていた。 「何年、お前と付き合ってると思ってる? お前の行動で解るって」 修司に微笑む慶造は、会議を始めた。 「……栄三からの報告書だが、まぁ、いつもの如く、 詳細に書いてるから、読めば解るんだが、北海道では……」 慶造の思いが、全国に広まる日が、近づいてきた。 夜空一杯に星が瞬いている天地山。 春樹が目を覚ます。ゆっくりと体を起こし、時刻を確認する。 夜か…。俺、また熟睡してたんだな…。 ベッドから降り、部屋を出て行った。ソファにもたれかかるように、まさの姿があった。春樹の気配を感じても動こうとしない。 「原田、そんなところで寝ていたら………??」 春樹の声に全く反応を見せないまさ。春樹は、まさが眠っていると思い、そっと近づいていった。 「…!!!! 原田?! お前……」 春樹は、まさの顔色が青い事に気付き、声を掛ける。まさは、春樹に振り返る。 「すみません……その棚に…」 まさは、棚を指さす。その手は震えていた。 「棚がどうした?」 「薬が…」 まさの言葉で、春樹は棚に近づき、そこにある薬の袋を手に取った。中から錠剤を取り出す。 って、これ……心臓に関わる薬…。 春樹は、何も考えず、薬と水を用意し、まさの側へやって来る。 「ほら」 そっと薬を口に含ませ、水を飲ませる。 まさは薬を飲み込んだ。 暫くして、息が整い、顔色が戻ってくる。春樹は、まさの額に浮かぶ汗を優しく拭った。 「……いつからだ?」 春樹が静かに尋ねた。 「殺しの仕事をし始めた頃からです。…激しい動きに心臓が 耐えられないそうで」 「原田…まさか、お前」 「はい?」 「あの行動が無かったら、殺し屋のままで死ぬつもりだったのか?」 「…相手に致命傷を与えられても、私は親分との約束の為に 生き抜くつもりでした。…まぁ、確かに小島との対決で致命傷を 負いましたけど、こうして生きてますから」 「今は…どうなんだ?」 静かに尋ねる春樹に、まさは暫く考え込んだように口を一文字にしていた。 「殺られたら、殺られたままでしょうね…恐らく」 「生きる気力も無くなったってことか…」 「……今はただ、この天地山の自然に任せてるだけです。 だから…」 「それじゃぁ、いつまで経っても、真子ちゃんを招待できないな」 「…まだ、一年も経ってないんですよ…」 「喪に服してる…か」 「約束します。いつか必ず…心から笑顔を見せるようになれば、 必ず……」 「約束だぞ。…言っておくが、俺は約束を反故する奴は 闇に葬ってきた男だからな…肝に銘じておけよ…」 そう言う春樹の表情は、鬼よりも恐く…。 「は、はい…ぃ」 流石のまさも、恐れたような表情を見せてしまった。 「話は変わりますが…。先程、地山親分からお話をお聞きしまして、 真北さんが、情報を欲しがっている…サイボーグの薬関連の事ですが…」 「……原田」 「はい」 「あのな、お前はもう、関係ないだろ?」 「あなたのお役に立ちたいだけです」 まさの言葉は力強い。 それには、流石の春樹も息を飲む。 「…そ、そんなに強く言うなよ……」 呟くように春樹が言った。 「真北さん?!」 「俺の役に立とうと思うな。……嫌な事を思い出すだろが」 春樹の言葉で、まさは気付く。 亡くした者があったのだろう…。 この人も自分と同じように、大切な人を亡くしてしまった…。 恐らく、あの事件で…。 「すみません……でも、今の俺にとっては…」 …それ以上何も言うな…。春樹は、そう言いたげに手を挙げる。 「………ん???? って、原田、お前、まさか…その情報の為に 無茶したんじゃないだろうなっ!!!」 「し、してません!!!!」 春樹の豹変ぶりに、再び恐れる、まさだった。 春樹が心配した通り、地山から聞いた情報を確かめるために、少しばかり、無茶な行動をしていたのだった。その為に、心臓に負担を掛けた様子。 現役の頃と全く同じように、目にも留まらぬ速さで動き回っていた、まさ。この時は、なんとか誤魔化せたものの、春樹の目は、そう甘くはなく……。 春樹が帰る直前に、『もう、走り回るな』と念を押された、まさ。 すっかり元気になり、怪我も治った春樹は、天地山に十日ほど滞在し、心も体もリフレッシュして、天地山を後にした。 まさからのサイボーグ薬の情報を、しっかりと手に入れて………。 雨が降っている。…時期は梅雨に入っていた。 春樹は取り敢えず、全国の親分衆と話を付け、とある行動に向けて動き始める。栄三は、一度本部に戻ったっきり、その後の行動は、春樹の代わりに、自分が行っていた。 これ以上は、真子ちゃんが哀しみますから! 本部に戻ってきた時、真子は栄三を思いっきり睨んでいた。 春樹を連れ回したのは、栄三。…真子は、そう解釈していたから…。 ちさとから、真子の気持ちを聞いた栄三は、真子の為に、たった一人で再び全国を渡り始める。 父の隆栄に負けないくらいに……。 天地山でリフレッシュした春樹は、本部に帰ってきた日から、ずぅぅっっと……。 この日も雨は止まず。 そんな日も……。 阿山組本部の庭にある紫陽花の葉っぱで、カタツムリが雨宿りをしていた。その様子を、雨に濡れる窓から、真子が見つめている。 「真子ちゃん、まだ、見つめるのかい?」 側に居る春樹が、声を掛ける。 真子が、かたつむりを見つめ始めてから、二時間は経っている。その間、ずっと側に居る春樹。 「まぁ〜、うご!! うご!」 カタツムリが動き始めた事に、興奮したのか、真子がパタパタしている。ガラスを叩いて喜ぶ真子。 「真子ちゃん、危ない!」 春樹は慌てて、ガラスを叩く真子の手を止める。真子は、春樹の行動に驚き、目を見開いていた。 「真子ちゃん、ガラスを叩くとカタツムリが驚くから、 叩かずに、そっと観てあげようね」 春樹の言葉を理解したのか、真子は、ガラスから少し距離を置いて、カタツムリの動きを、そっと見つめ始める。そんな真子の頭を撫でる春樹。 う〜ん、かわいいぃ〜。 春樹は、真子をギュッと抱きしめる。 「………真北ぁ〜」 慶造がやって来るやいなや、春樹の行動を見て、呆れたように声を挙げた。 「かわいいんだから、いいだろが」 「ぱぁぱ!! かーつむぅ〜」 真子は、窓の外を指さして、慶造にカタツムリの事を教える。 「ん? カタツムリか?」 「うだ!」 春樹を押しのけて、真子の側にしゃがみ込む慶造は、真子と同じように窓の外を見つめた。 「もしかして、ずっと見つめていたのか?」 春樹に尋ねる慶造。 「ずっとなぁ」 「…………。お前も飽きない奴だな……」 「それは、真子ちゃんに言ってくれぇ〜」 「真子の好きなようにさせてやれ」 「親ばか…」 呟く春樹に、慶造の拳が素早く飛ぶ。上手い具合に避けた春樹。 「…何か遭ったのか?」 「まぁな。でも、真子を見て、落ち着いたよ」 慶造は真子を抱きかかえる。カタツムリの姿は、そこには無かった。真子は、寂しそうな顔をして、慶造に振り返り、胸元に顔を埋めた。そして……。 「って、真子、急に寝るなよぉ〜」 疲れたのか、真子は眠ってしまう。優しく背中を叩く慶造に、春樹が尋ねた。 「まさかと思うが、厚木、またやったのか?」 「まぁな。…今回も修司が間に合ったけど、こう頻繁に起こると 修司が怪我をする。どうにかしてくれよ」 「……俺の行動に反発してるんだろ?」 「そうだな…。未だに銃を所持しない、お前の事が嫌いみたいだな。 どうして、持たない?」 「敢えて聞くのか?」 「あぁ。本部から一歩外に出た時くらいは、所持してくれよ」 「俺にそれを言うのか?」 「お前らは法的に許可されてるだろが」 「俺には必要ない」 そう言いながら壁にもたれかかり、窓の外を眺める春樹。どことなく寂しげに感じた慶造は、そっと声を掛ける。 「…真北…」 「ん?」 「どうしても、嫌なのか? …お前の気持ちは解ってるつもりだけどさ…」 「…撃たれたら…痛いからさ。相手も痛いかなぁ〜〜と思ってな」 意外にあっさりとした春樹の言葉に、慶造の心配事は吹き飛んでしまった。 「もういい」 「なんだ、いいのか」 そう言って、春樹は慶造の腕から真子を取り上げる。 「って!!! そのもういいじゃないっ!!」 「おや、違ったか…」 「解ってて、するなっ!!」 「いいだろが」 「あのなぁ〜」 「……お二人とも…いい加減にしてくださいね」 「ちさと…」 「ちさとさん!」 穏やかな表情で眠る真子の取り合いをしている、親ばか同士に、声を掛けたのは、ちさとだった。真子と春樹の事が気になるちさとは、様子を見にやって来た所、二人の親ばかのやり取りを目の当たりにする。 眠る真子は、すぐにちさとの腕の中へ……。 「眠っている所を起こしたら、真子は不機嫌なんですよ!」 「解ってるけどさ…」 「解ってますけど…」 ちさとの言葉に、慶造と春樹は同時に、それも同じ事を応える。 「ったく」 ちさとは、ふくれっ面になる。 「部屋に連れて行きますね、真北さん」 「お願いします。私は、慶造と一緒に出掛けますから」 「…って、真北、何も今日じゃなくても…」 「善は急げ。ほら、行くぞ」 強引に、慶造を引っ張って去っていく春樹。春樹の素早い行動に、ちさとは、唖然…。 「無茶しないでねぇ〜」 そういうのが、精一杯だった。 日差しが眩しい夏が来た。 ぎらぎらと輝く太陽の光を体一杯に浴びる人々。薄着をする人々が多い真夏だが、そんな真夏でも、ビシッとスーツを着こなす男達が居る。 勝司運転の車の後部座席で、春樹と慶造は話し合っていた。 お互い、窓の外を見つめる感じで顔を背けているが……。 険悪だなぁ〜。 二人の様子をルームミラーで見つめながら、勝司は運転に集中する。 「……で?」 冷たく言う春樹。 「厚木から購入」 短く応える慶造。 「だから?」 更に冷たい口調で春樹が尋ねると… 「まぁ、色々と世話になっている所もあるからな。兄弟杯っつぅ事」 「それに俺も必要か?」 「当たり前だ。俺とお前の仲だろぉ〜」 「仲は仲でも、俺は違う」 「刑事と極道の違いだけだろが。想いや行動は同じだ」 「…ったく……で、俺の事は?」 「過去の記憶を失って、恩返しをする元刑事だな…」 「また、それかよ…。まぁ、任務の事を知っている者は限られてるから 氷口(ひぐち)は大丈夫だろうな…」 「…なぁ、真北ぁ」 少し砕けた感じで慶造が言う。 「ん?」 慶造が、そういう感じに尋ねる時は決まっている。 真子の事…。 「何に喜ぶかな…」 「慶造からなら、何でも喜ぶよ」 「お前は服か?」 「俺? 内緒」 「重なるのは、真子が嫌がるだろ!」 「嫌がらないって」 慶造の言葉を軽く返す春樹。 二人が真子の事を話してるのは…。 「…それより、パーティーは笹崎さんのところか?」 「笹崎さんが張り切ってるってさ…」 呆れたような嬉しいような言い方をする慶造に、春樹は微笑む。 「本当に子供好きなんだな、笹崎さんは」 「あぁ……。誕生日の度に、パーティー開いてくれるよ……」 遠い昔を思い出す慶造は、窓の外を流れる景色を、ぼんやりと眺めていた。 真子に手が掛からなくなった為、ちさとは、再び隣の料亭で働き始めていた。その間、春樹が真子の世話をしているが、忙しく走り回っている時は、ちさとは隣の料亭に真子を連れて行く。料亭の従業員や女将の喜栄も真子の世話をする。もちろん、笹崎も……。 車は、氷口組が用意した高級ホテルの駐車場へと入っていった。 関西に近い場所で組を構える氷口組。縄張りもかなり広い。その為に、縄張り争いは絶えない組だった。 そこへ飛び込む、阿山組の最新鋭の銃器類の情報。それに飛びついた氷口組組長・氷口。早速、阿山組の銃器類担当である厚木会に連絡を取る。厚木との話で、慶造と杯を交わしたくなった氷口。再三再四、慶造に話を持ちかけていた。 条件がある。 必要以上に銃器類を使わない事。 相手が仕掛けるまで、手を出さないと約束をした氷口。 厚木とウマが合う程だから、守れるはずはないのだが…。 氷口が抑える地域との話し合いが、簡単に出来るようにと、慶造が考え始めた途端に、春樹に気付かれる。 そして、この日を迎えていた。 車を降りると、氷口組員の出迎えを受ける。 「…ここは、氷口の縄張りに入るようだな…」 春樹が呟いた。 「裏で繋がっていたんだな…」 「慶造にも必要かもな…」 「その辺は、ぬかりなく」 「……俺に隠し事は許さんぞ…」 春樹のオーラが、がらりと変わる。 「隠していない。俺じゃなくて、笹崎さん」 「そういうことか…」 「まぁな」 得意気に口元をつりあげる慶造だった。 慶造と春樹、そして、勝司、他の車で到着した厚木達は、氷口の待つ部屋へと向かって行く……。 それから一週間後、真子は一歳になった。 黒崎が経営する製薬会社の研究室。 竜次が、研究に没頭していた。その側では、竜次の側近である崎が、レポートをまとめていた。 「できましたよぉ」 崎が声を掛ける。 「ん…ありがと」 優しい声で竜次が応えた。時刻は正午過ぎ。崎が立ち上がる。 「そろそろお昼にしませんか?」 「ん…」 優しい声だが、崎の言葉を理解しているのかいないのか。竜次は、手を休めず、没頭している。 やれやれ。 崎は、いつものことか…という感じで、竜次のお昼御飯も用意し始めた。 「……崎…? …あっ、昼?」 やはり、崎の言葉を聞いていなかった様子。 「すぐ口に出来ますよ」 「いただきまぁす」 竜次は、箸を持って料理を口に運ぶ。 「四代目の姐さんとは、お逢いになりましたか?」 「かなり前にレストランで会った人と同じだっけ?」 「いいえ。あの方は、別の親分と一緒になられましたよ。その三人あとです」 「…あぁ、あの人ね」 「興味を示さない…四代目のおっしゃる通りですね」 「まぁね。俺、ちさとちゃん一筋だもん」 「…………それにしては、他の女性に手を付けてませんか?」 「女性に誘われたから応えただけ」 あっけらかんと応える竜次は、食しながらも、別の事を考えている様子。 「竜次様?」 「あっ、何?」 「何をお考えですか?」 「う〜ん、あれをもう少し反応させた方がいいのか、どうか」 「……また、何をお求めですか?」 「サイボーグの強化」 「あれ以上に強化させるんですか? 無茶すぎますよ。それに、人間の体の 限界を超えてますから、打ち込んだ人間の行く末は、死…ですよ?」 「それを覚悟で使うんだから、いいだろが」 「竜次様…」 闇に出回る薬。それは、竜次がほとんど開発していた。 製薬会社での研究がてらの事。 なぜ、竜次は……。 「あっ、そだ」 「は、はい」 「先週のサンプルは?」 「まだ、結果は出てません」 「いつになる?」 「三日後になるんですが、ちょっと問題が…」 「ん?」 「拒絶反応が観られるんですよ」 「なんで?」 「そこを調べ始めたところです」 「それなら、新たな方向に持って行くから、いいよ」 「…そうやって、また没頭なさるんですね…。何から逃げてるんですか?」 崎の言葉に、竜次の動きが停まった。 「そんなに気になるなら、久しぶりに散歩しますか?」 優しく語りかける崎。竜次の眼差しが幼子に変わる。 「うん」 二人は急いで昼食を終え、出掛ける支度を始める。 「研究の事は、絶対に考えない事。よろしいですね?」 「解ってますよぉ」 「では、行きましょう!」 崎が明るい声で言うと、竜次は嬉しそうに微笑んでいた。 気分転換も必要だ。 黒崎組四代目組長である黒崎に頼まれた事。それは、黒崎の弟である竜次の面倒を見ることだった。技術面だけでなく、精神面…人間として生きていく事ができるように……。 竜次の心は、あの日に閉ざされたまま。 愛しのちさとが結婚し、そして、子供が出来た事。 それも、敵である阿山組の姐さんとなって……。 竜次と崎は、自然の多い公園へとやって来た。 そこは、子供達が戯れ、母親達が子供を見守る姿が輝いている場所。自然の空気が、心を和ませてくれる。夏の日差しは、大きな木で遮られている為、公園内は、真夏でも涼しかった。 竜次と崎は、公園の隅にあるベンチに腰を掛けた。竜次は、すぐに一点を見つめる。 そこには、母と小さな娘、そして、一人の男の姿があった。 娘は、男の手を引っ張って、砂場へと歩いていく。二人に付いていくように母親も砂場へと歩いていった。砂場で遊ぶ娘と男。そして、優しく見守る母親。 母親の微笑みが、竜次の心を和ませていた。 そんな竜次を優しく見つめるのは、崎だった。 あの男と、御自分を重ねておられるんですね…。 竜次が慌てたように手を差し伸べる。 娘が転んだのだった。 泣き叫ぶ娘を男が抱きかかえ、なぐさめる。娘は男の胸に顔を埋めて、しゃくり上げるように泣いていた。 「真子ちゃん、大丈夫だから。怪我してないよぉ」 春樹が優しく声を掛ける。それでも真子は泣いていた。 「…でも、可笑しいわね…」 側に居るちさとが、首を傾げながら言った。 「ん?」 「転んだとき…確か、すりむいていたはずですよ」 「そういや、そうでしたね…。…傷…ありませんね」 「真子の体…不思議なのよね…。怪我したと思ったら、 直ぐに治ってたり…」 「そういや、真子ちゃんが怪我してる所、観た事ありませんね」 「うん……」 「恐らく治癒力が数倍すごいんでしょうね」 春樹は、抱きかかえる真子の目に浮かぶ涙を、優しく拭う。 「そろそろ帰りましょうか」 「そうですね。代わりますよ?」 春樹の代わりに真子を抱きかかえようと、手を差し伸べたちさと。 「いいえ。お疲れでしょう? …それにしても、どうして、ちさとさんも 慶造と一緒に…」 「私、これでも、姐ですよ?」 「慶造は…」 「解ってます。だけど、私だって、何か協力できるはずだから…」 「………真子ちゃんの世話は私に任せてですか?」 「交代してるじゃありませんか。…それとも、真子の世話…嫌なの?」 「そんなことありませんよ!! 何よりも嬉しい事だから」 「本音?」 「あっ…いや……その……」 焦る春樹を見つめるちさとは、クスッと笑う。 そんな話をしながら、ちさとと春樹、そして、春樹の腕の中で眠った真子は、公園を出て行った。 三人が出て行く様子を竜次は、ジッと見つめていた。 「竜次様、帰りますよ」 「…そうだな…」 そう応えたものの、立ち上がろうとしない竜次。 「どうされました?」 「ちょっと、気になってな…」 竜次は、泣きじゃくる真子の前で春樹とちさとが話していた内容が気になっていた。 傷が、すぐに治る……。 スゥッと立ち上がった竜次は、公園の側に停めてある車に乗り込む。崎は、直ぐに車を走らせた。 「竜次様、四代目が今夜の食事は一緒にとおっしゃってます」 「いいよ…遠慮する。…兄貴のアツアツは観たくない」 「そうおっしゃらずに、姐さんに顔をお見せになられた方が…」 「知らん…」 「妬いておられるんですね…」 「違うよ…兄貴…その奥さんになられた女性の事よりも、 俺の事ばかり考えてるなぁ〜と思ってだな…」 「それは、そうですね…」 仕方ありませんよ…。竜次様が一番危なっかしいんですから。 そう言いたかったが、崎は、言えなかった。 竜次が再び、深刻な表情で何かを考え込んでいたから…。 何か、とんでもない物を作りそうだな…。 崎の予感は、………珍しく外れていた。 (2004.10.26 第四部 第三十四話 UP) Next story (第四部 第三十五話) |