第四部 『絆編』 第三十五話その2 心安らぐ素敵な場所 阿山組本部。 まだ、夜が明けたばかりの時間帯の為、屋敷内は、ひっそりとしていた。 朝稽古の準備の為に早起きをする北野勝悟。廊下を歩いている時だった。 「???」 膝当たりの高さの所で、何かが動き、廊下の角を曲がっていくのに気が付いた。 「あの方向は……」 北野は、気になり、それを追っていく。廊下を曲がった所で、その何かが、真子だと気が付いた。 「お嬢様!」 その声に、真子が顔を上げた。 「?? おにぃちゃん、だりぇ?」 あっ、俺の事…知らないか…。 「北野です」 「きたにょ?」 「どちらに?」 「??? まきたんとこ」 「は、はぁ…」 この先は、確かに真北さんの部屋だけど…。 真子とちさとの部屋は、真北の部屋の隣だが、なぜ、慶造の部屋に通じる廊下を歩いていたのか…。 「まきたん、かえった?」 無邪気に尋ねる真子に、北野は戸惑いながらも優しく応える。 「先程、戻られた所ですよ」 「へや?」 「はい」 「ありぃがと」 真子は、頭を下げる。そして、春樹の部屋に向かって歩き出した。 北野は、真子が春樹の部屋のドアを開け、中へ入っていく様子を見届ける。 「あっ、やばっ」 稽古の時間が刻一刻と迫っている事を思い出し、慌てて去っていく北野だった。 春樹は、朝焼けが輝き始めた頃に本部へ帰ってきた。 またしても、慶造と厚木の暴れっぷりに対する処理に、一晩中、追われていた。 「ふ〜。…写真撮っておこぉ…」 疲れを癒す為の物…真子の寝顔。しかし、この日は、慶造の部屋に居ると聞いて、諦めて自分の部屋へ入っていった。 ネクタイを弛め、シャツのボタンを外し、上半身裸になると、春樹は、ばったりとベッドに倒れ込んだ。 駄目だ…疲れすぎてる…。 疲れ知らずと言われる春樹でも、こう立て続けに起こる出来事に、心身共に参っていた。スゥッと眠ったかに見えた春樹は、急に起きあがり、いそいそと布団に潜り込む。そして、寝息を立て始めた。 暫くして、部屋のドアが開き、真子が入ってきた。そっとドアを閉めた真子は、春樹のベッドへと向かって歩き出した。 春樹は、未だ寝ていた。真子は、ベッドに寄りかかり、春樹の寝顔を見つめる。 「まきたん?」 真子が声を掛けるが、春樹は目を覚まさない。 真子は、ベッドの上に乗る。そして、布団の中に潜り込み、春樹の隣に寝転んだ。 それでも、春樹は目を覚まさない。目を覚ますどころか、穏やかな表情に変わって、深い眠りに入った様子だった。 春樹は、電話の音で眠りを妨げられる。 「……ったく…誰だよ……」 ベッドサイドに置いている受話器を勢い良く取る春樹。 「なんだよ……」 第一声は、滅茶苦茶不機嫌だと解る程、ドスが利いている…。 『寝ておられたんですか…』 「原田…なんだよ」 『この時間でしたら、起きてると思ったんですが、もしかして、 朝帰りですか? 本当に……』 「仕事だ。…で………、……ん????」 『どうされました?』 「ちょっと待ってくれ……」 春樹は、自分の布団の中に何かを感じ、掛け布団をそっとめくっていった。 「っ!!! 真子ちゃん……なんで?!??? いつ?!?!?」 真子が気持ちよさそうに眠っている。そんな真子の寝顔を見つめるだけで、春樹の心が和んでいく。 「あぁ、すまん、原田。…いつの間にか、真子ちゃんが 側で寝ていてな…驚いただけだよ」 その口調は、先程、電話に出た直後とは全く違い、柔らかい…。 『…真北さん、なんか雰囲気変わってますよ…』 「当たり前だろが。真子ちゃんの前では、あんな雰囲気… 出来ないだろ? …それに、いつの間にか、こうなってるって」 『そうですね。…私だって、あの時、躊躇いましたから』 「それで、こんなに朝早く、何の用だ?」 『朝早くって、もうすぐお昼ですよ』 そう言われて、時間を確認すると、もうすぐ正午…。 「なるほどな…。…で?」 『その……以前より言われている事です。………その…』 話を切り出しにくいのか、まさは、中々言葉を発しない。 「…電話切るぞ」 『あっ、それは!! ………』 まさが、意を決したのが、受話器を通じて伝わってきた。 『久しぶりに、こちらに来られてはどうですか? 真子お嬢様も 大きくなられたことですし…もうすぐ三歳ですよね?』 「あぁ。二週間後だ」 『夏の天地山。真子お嬢様に楽しんで頂けると思います』 「…自信…ついたのか?」 『はい。…天地山の麓にある街も、活気が溢れてます。 俺だけでなく、生まれ変わった街も観て下さい』 「あぁ。原田の言葉に甘えるよ。慶造に伝えておくから。 こっちの予定が決まったら返事をする。……その後、 体調の方は、どうだ?」 春樹は、真子の寝顔を見つめながら、まさと話を続けていた。 『無茶な動きをしない限り、大丈夫です』 「……………ということは、何度か無茶な動きを…」 『すみません…ご心配をお掛けします…』 「本当に気をつけろよ」 『はい』 「それじゃぁ、また連絡するよ」 そう言って春樹は、受話器を置いた。大きく息を吐いた後、真子の隣に身を沈め、真子の体に、そっと布団を掛ける。真子は、春樹の動きに反応するかのように、春樹の胸に顔を埋める。 「ま…き……た…ん…」 呟く真子に、春樹は喜びを感じ、顔がとろける。 「真子ちゃん。素敵な景色をやっと見せてくれるってさ。 原田が、招待してくれたよ。…といっても、真子ちゃんには 原田の事は記憶に無いよな。栄三の事だって忘れていた くらいだもんな」 真子の頭をそっと撫でる春樹。 その時、部屋のドアが開いた。 「…真北、真子が居ないんだよ。知らないか?」 慌てたように慶造が入ってくる。 「知らんなぁ。俺、今起きた所だからさ」 「北野の話だと、お前の部屋に入っていったらしいんだが…」 「いつだよ」 「明け方」 「俺はその頃に帰ってきたんだぞ。今まで熟睡していたから、 もしかしたら、俺が寝てるのが解って、出て行ったかもな。 ちさとさんの部屋に居ないのか?」 「居ないから、探し回ってるんだろが。門から出た形跡ないし……」 慶造が頭をポリポリと掻いて、悩んでいた時だった。春樹の布団が盛り上がり、真子が顔を出した。 「あっ、まきたん、おきたん? おはよぉ」 「真子ちゃん、おはよ。…といっても、もうすぐお昼だよ?」 「ほんと?」 「あぁ」 ベッドにちょこんと座っている真子に、春樹は寝転んだまま、優しく応えていた。 ほのぼのとした雰囲気が漂う春樹の部屋。しかし、とある一角だけは違っていた。慶造の怒りのオーラがメラメラと………。 「まぁきぃたぁ?」 「ん? どうした、慶造」 「お前なぁ〜〜〜っっ!!!」 慶造の声に、真子が振り返る。 「あっ、ぱぱ!」 真子の顔を見た途端、怒りのオーラが、引っ込む慶造。 「真子、黙って出て行くなよぉ」 「いってくるって、いったもん。パパ、うなずいたもん」 「あっ…………」 記憶にあるのか、慶造は、あらぬ方向を見つめる。 「それよりも、真北、服くらいちゃんと着替えろ」 「ん? まぁ、いいだろが。真子ちゃんとは風呂に入る仲だもん。 ねぇ、真子ちゃん」 「ねぇ〜」 訳も解らないまま、真子は、春樹の仕草と口調を真似ていた。 「そうじゃなくて、俺の代わりにちさとが入ってきたら…」 「それはないな。ちさとさんは、ちゃんとノックするし、返事が無かったら、 絶対に入ってこない」 「うっ……」 春樹の言葉で、思わず詰まる慶造。 ノックもせず、春樹の返事も聞かずに、春樹が起きているものだと思って、部屋に入っていたから………。 「真子が居るなら、いい。俺は仕事。真北は、一日ゆっくりだろ?」 「そぉだなぁ〜〜。今日は何も語りかけるな。真子ちゃんとの 楽しい時間を過ごすからさ。……っと、その前に」 「ん?」 「原田から、誘いがあったぞ。…どうする?」 天地山から帰ってきた頃に、春樹は、まさの事を慶造に話していたらしい。春樹の言葉に、慶造は、即答した。 「それは、ちさとに聞いてからだな。いつだ?」 「八月の終わりくらいでどうだ?」 「そうだな。その頃までに、終わらせておくよ」 「…慶造…お前…まさかと思うが…」 「大丈夫だって。じゃぁな、真子。真北にたっぷり甘えるんだぞ」 「はい! ぱぱ、おしごと、がんばってね」 「ありがと」 慶造は、真子に優しく微笑んで、部屋を出て行った。 「まきたん、はりゃだって?」 「優しいお兄さん」 「きたにょさんと、いっしょ?」 「……北野に、逢った?」 「ここに、くるときにぃ、あった」 確か、今日の稽古の当番…。真子ちゃん、えらい早い時間に…。 俺が寝転んだ直後か…。 「北野よりも、もっと素敵な人だよ」 「どこにいるの?」 「ちょっと遠くに居るけどね。…真子ちゃんにとって、初めての 旅行になるかなぁ」 「りょこ?」 「うん。旅行」 「りょこう!!!」 「目一杯、楽しもうなぁ」 春樹は、真子を抱きかかえ、高い高いをする。 「うん! まこ、たのしみ! まきたん、たのしみぃ!!」 真子は、キャッキャとはしゃいでいた。 それから、二週間後、真子は三歳になった。 もちろん、この日も、高級料亭・笹川で、パーティーが開かれていた。 飛鳥と慶造の、プレゼントいるいらん合戦も……。しかし、この年は、飛鳥だけでなく、猪戸たち幹部や、阿山組と懇意にしている組の親分、そして、ちさとが知り合った、料亭のお客さんまでもが、真子の三歳の誕生日に、プレゼントを贈っていた。 …どうすりゃいいんだよ…。 もらっておけよ。 お返しが大変だろが。 真子お嬢様が喜んでるから、いいんじゃないか? 修司ぃ〜お前なぁ〜。 何なら、俺がもらうおか? …小島…てめぇ〜。 真子ちゃん、呼んでるぞ。 隆栄の言葉に、修司と言い争っていた慶造。真子に振り返った時には、すっかり笑顔になっている。 「真子、どうした?」 「これ、どこでつかうの?」 「ん? あぁ、それはなぁ」 親馬鹿……。 隆栄と修司は同時に思う。真子と話す時の表情は、本当に『四代目』とは思えないくらいに、緩んでいる。それに負けじと緩みっぱなしの男…春樹。真子に贈られたオモチャを二人が使いこなそうと、必死になっている。 やくざの親分と…泣く子も黙る刑事だよな……。 真子達を見つめている修司や隆栄、飛鳥、川原は、笑いを堪えるのに必死だった。 「違うって、ここは、こう」 春樹がムキになる。 「こっちの方だ」 春樹以上にムキになる慶造。 「……こう!」 真子が、二人の間に割り込むように、そう言って、オモチャを動かした。 「…その通りみたいだな…」 「…あ、あぁ…」 二人の父親は、お株を奪われたように、きょとんとしてしまう。 「ぱぱ、まきたん、ありがと! これ、たのしいね!!」 真子の笑顔が輝いていた。 心が和む瞬間。 修司達の表情もいつの間にか緩んでいた。 「ところで、真北」 「ん?」 真子がもらった別のオモチャをいじりながら、春樹は返事をする。 「いつ、染めた?」 「これか? 昨日」 春樹の髪の毛は、いつの間にか茶色に染められていた。そして、身につける服装も、何となく、真面目な春樹らしさを感じられない。首には、金のネックレスまで…。 「…なんか、誰かの影響…受けてないか?」 慶造が呟きながら、隆栄を見つめる。 「ん? なんだ? そういや、真北さんの服装って、栄三の好みだな」 「栄三ちゃんとブティックに行っただけだ」 「…まさか、真北…お前…」 「奨められるまま…」 「…………好きにしとけ」 呆れたように、慶造が言った。 春樹と真子が、庭で遊んでいた。 真子の笑顔が輝く。春樹の表情は、弛みっぱなし。楽しい声が、部屋で休んでいたちさとの耳に飛び込んできた。ちさとは、そっと部屋から出てくる。そして、庭の二人を眺めていた。 春樹と真子は、鬼ごっこを始めた。春樹が鬼なのか、真子を追いかけていく。真子は、必死で逃げるが、すぐに春樹に捕まった。春樹は、真子を抱き上げて、頬ずり、頬ずり、頬ずり…………。真子は、ちょっぴり嫌がる素振りを見せていたが、それでも春樹の頬ずりは納まらない。 楽しそうな二人を、ちさとは、寂しげな表情で見つめていた。 夜…。虫の声が、リンリンと聞こえてくる。 ちさとと慶造は、庭の見える縁側に腰を掛けて、月を眺めていた。 「真子は?」 「真北さんと一緒」 「今日一日、べったりだったな…。ちさとが悪いんだぞ」 「どうして?」 「俺の仕事…組関係の仕事に、再び…」 「私が協力した方が、早く終わりそうだから……駄目?」 ちさとは、ちょっぴりふくれっ面で、慶造を見る。 「駄目だ」 慶造は、そう言って目を反らした。 「やはり、ちさとには…………」 目線をちさとに移す慶造は、優しい眼差しを向け、そして、言った。 「普通の暮らしが一番だって。姐は似合わないよ」 「そういう、あなたこそ…四代目………ふさわしくないですよ」 そう言った途端、プクッとほっぺが膨らむちさと。あまりにも可愛いらしい表情に、慶造は微笑み、そして、月を見つめた。 「行くんだろ?」 慶造が呟くように言う。 「原田さんの所…。…あなたは、反対なの?」 「真北が奨めるんだ。真子のため。俺が反対する訳ないだろ?」 吐息混じりに慶造が応える。ちさとも月を見つめた。 「…ねぇ、あなた」 「ん?」 「私ね……」 そこまで言って、ちさとは口を噤む。 「…ちさと?」 「この世界…このまま、新たな世界を歩めないかもしれない。 最近、そう思うようになってきたの。………私……真子を…、 真子を巻き込みたくない…。慶人のように………」 ちさとの声は震えていた。慶造は、ちさとをそっと抱き寄せる。 「あなた…」 「真北に…任せたいのか? …真北には、元の生活に戻ってもらって、 そして、真子を育ててもらおうと…そう思っているのか?」 慶造の胸で、ちさとがコクッと頷いた。腕に力を込める慶造。 「ちさと……」 「ごめんなさい。…今日の二人を見ていて、そう思っただけなの…」 「大切な娘を…あんな男に、くれてやる程、俺は優しくないぞ?」 「…そうですね。真子の父親は、あなただから…」 「真北には、負けてられないからな」 「…………負けず嫌いなんだから…」 「ほっとけ」 慶造の胸元で、ちさとは笑っていた。 そして、その日がやって来る。 真子と春樹が、庭で遊んでいる時だった。慶造が、やって来た。 「真北ぁ、出かけるぞぉ!」 「わかったよ。さっ、真子ちゃん、行くよ!」 「うん!」 春樹と真子は、微笑み合っていた。春樹は、真子を抱きかかえ、そして、駆け出す。その勢いで、玄関まで走っていく二人。 「お待たせぇ」 春樹が言った。そこには、慶造だけでなく、ちさと、勝司、修司、そして、隆栄が待っていた。 「じゃぁ、出発ぅ〜」 それぞれが二台の車に別れて乗り込んだ。 「行ってらっしゃいませ」 組員達の大きな声と共に、二台の車は、本部を出て行った。 本部の門が閉まる。その様子を栄三が、深刻な面持ちで眺めていた。 自然溢れる天地山。緑が美しく、そして、空気もおいしい。 その天地山の頂上に、一人の男が立っていた。 頂上から見下ろされる景色は、絶景で、その自然と比べると、人間は、本当にちっぽけに感じる。 突然の足音に振り返る男。 「原田。やはり、ここだったか」 「真北さん。…ということは、来られたんですね」 「あぁ」 緊張した表情で、春樹と話している男・原田まさ。まさは、一呼吸置いた後、再び、景色を眺める。春樹は、まさの横に立ち、同じように景色を眺め始めた。 雲が、流れる…。 「いつ観ても…素敵な景色だな」 春樹が言った。 「えぇ。仕事の後、悩んだ時や、疲れた時、心が荒んだ時は、 この自然の偉大さを肌で感じて、心が和んでいきますから」 「……そうだったな。……で…今日は、どうして?」 「…緊張しているんですよ」 まさの声から、緊張感が伝わってくる。まさは、話し続けた。 「足を洗って、こうして、天地山を守るように過ごして三年。 あの争いがあった天地山とは全く違って、今は、このように 和やかになりました。あの頃よりも、落ち着きます」 「お前の努力の成果だな。街を見てきた。お前を拉致した日も 同じように見たけど、あの頃の面影は全くないな。 普通の活気溢れる街だったよ。真子ちゃんも喜んでいた」 まさは、『真子』という言葉に、ピクッとした。 「うるさいくらいに喋るようになったぞぉ。ったく、誰に似たのか…」 春樹は、微笑んでいた。その微笑みにつられるように微笑んだ、まさは、覚悟を決める。 「では、そろそろ下りますか?」 まさの言葉に、フッと笑って応える春樹は、短く応えた。 「そうだな」 まさと春樹が山の麓にある小屋に戻ってきた。小屋の前にある庭では、小さな女の子とその母親が、楽しそうに遊んでいた。ちさとは、春樹の姿に気が付いたのか、振り返り、笑顔で手を振る。そして、春樹の隣に並ぶまさに軽く会釈する。ちさとの行動につられたのか、真子も振り返った。 「まきたぁん!!!」 真子は、無邪気に手を振り、走り出す。 春樹は、しゃがみ込み、そして、駆け寄る真子を抱きかかえ、春樹は、思いっきり嬉しそうな表情で真子を見つめていた。 「真子ちゃん、何してたの?」 「ママとむしさん、みてた」 「虫さん?」 「うん。…おりる」 「はいはい」 春樹は、真子を地面に、そっと降ろした。 真子の目線は、隣にいる、まさに向けられる。 スーツをビシッと着こなした男性。真子の目には、その姿がとても輝いて見えていた。 「…まきたん、このかた、だれですか?」 「原田まささんだよ。この山の人」 「はらだ…まささん。はらだ、まささん…」 真子は、春樹の言葉を繰り返しながら、まさをじっと見つめていた。 まさは、とても緊張している……。 そんなまさに、真子はニッコリと微笑んだ。 「はじめまして。あやままこです」 「は、初めまして…。原田…まさ…です」 真子につられて、まさも挨拶をする。 「…ここで、どんなおしごとしてるの?」 「し、仕事ですか…。その…」 まさは、しどろもどろにない、無邪気に微笑む真子の質問にどう応えたらいいのか、解らなくなった。そして、春樹をチラリと見た。春樹は、真子を見つめ、優しく微笑んで、真子に問いかけた。 「真子ちゃん、当ててごらん?」 「んーーー」 真子は、暫く考え込む。そして、 「…ホテルのえらい! そうでしょ、はらだまささん!」 ホテルの偉い人。 真子はそう言いたかったらしい。 天地山に来る途中で宿泊した、ホテルの支配人を目にしていた真子。その支配人とよく似た服装、そして、雰囲気から、真子は、そう応えていた。 「えっ? えっ?!」 真子の言葉に戸惑う、まさ。そんなまさを横目で観ながら、春樹は、 「正解!よく解ったね、偉い偉い!」 真子の頭を撫でていた。 「えへへ!!」 嬉しそうに微笑む真子。まさは、その微笑みに心を和ませていた。 笑顔で、心が和む…。 そういう事も…あるんだな…。 まさは、和んだ心で、真子に微笑んだ。それを見た真子は、更に素敵な笑顔をまさに向けていた。 「真子ちゃん、遊ぼうか?」 まさは、思わず声を掛けていた。 「…!!! うん!!」 真子が元気に返事をする。 まさと真子は、庭で遊び始める。そんな二人を見つめる春樹達。 「俺達の存在……忘れてないか? 原田は…」 寂しそうに慶造が呟く。 「そうだろうな。…真子ちゃん、活き活きしていますね」」 春樹が言った。 「えぇ。原田さんも素敵に変わられたのね。あの時とは、 全く違うものだから、誰か解らなかったのよ。…あらら…」 真子が、転んで泣き出した。春樹は慌てて駆けつけようとしたが、ちさとに引き止められる。 「ちさとさん?」 「大丈夫よ。ふふふ」 真子よりも更に素敵な笑顔のちさとが、見つめる先。 それは、泣き出した真子に優しく声を掛けている、まさの姿だった。真子は、徐々に泣きやみ、そして、笑顔を取り戻した。 再び、まさと楽しく遊び始める真子。 「珍しいこともありますね。真子ちゃんが、私達以外の人物と 簡単に、うち解けるなんて」 「やはり、原田さんは、優しい方だったんですね」 「…ちさとさぁん。人が良すぎますよ」 「そんなことないわよ」 ちさとは、ふくれっ面になって、春樹の前から去って行き、まさと真子の所へ歩み寄る。 真子は、微笑みながら、ちさとに何かを語っていた。ちさとは、優しい眼差しで真子を見つめ、そして、まさを見た。まさは、優しい眼差しで、ちさとを見つめる。 「おい、原田」 「はい」 春樹に声を掛けられ、元気に返事をするまさ。振り向いたまさは、何かを思い出した。 「あっ、……すみません…」 招待しておきながら、大切な客を放ったらかしていた、まさ。 春樹の隣に居る人物を観て、思い出したのだった。 小屋の一室には、まさ、春樹、ちさと、そして、慶造の四人が、ソファに座って、お茶を飲んでいた。 「ったく、真北が用意すると、いっつもお茶だな」 慶造は、お茶をすする。 「ほっとけ。そう言うなら、慶造、お前が煎れろよ」 「俺は、苦手だと言っただろ」 「そうだったなぁ。…原田は、どうだ?」 「私は、一通りできますよ。一人暮らしが長いものですから」 「…原田に頼めば良かったな」 慶造は、呟くように言った。 「次からは、そうしろよ」 「そうするよ」 小屋の外が賑やかになる。誰かが走り回る足音と、それを追いかける足音が近づいたり、遠ざかったり……。 「真子ちゃんか?」 春樹が尋ねると、慶造は、そっと頷くだけだった。 「ったく、お前はぁ」 足音は、まだ、近づいたり、遠ざかったり…。 「……真子ちゃんの他に、誰が?」 「山中だろ」 慶造は、ぶっきらぼうに応える。 春樹は、そんな慶造を見て、呆れたような表情をして立ち上がり、ドアを開けた。 「あっ、まきたん!」 ドアを開けて顔を出した春樹を見た途端、真子が言った。 「お嬢様!! 真北さん、すみません。四代目、怒っておられますか?」 「少しな」 勝司は、真子を抱き上げる。 「やだやだぁ」 「ですから、みなさん、大切なお話をしておられるんですから、 騒いではいけませんよ」 「やまなかさぁん、はなしてよぉ。おりるぅ!!!」 「駄目です」 真子は、ふくれっ面になっていた。 そんな真子の表情を見て、春樹は微笑む。 「慶造と私は、原田さんと大切なお話があるから、静かにしておくこと。 真子ちゃん、解った?」 「…はい。ごめんなさい」 真子の頭を優しく撫でて、春樹は小屋へと戻っていく。慶造は、春樹から目を反らすような感じで、湯飲みを見つめる。 「慶造? 真子ちゃんが三歳になってから、可笑しいぞ…、どうした?」 「いいや、何も」 先日、ちさとと話していた事を想いだしたのか、慶造は、また、あの頃の雰囲気を醸し出していた。 父として、どう接していいのか解らないと言っていた頃と、同じ雰囲気……。 「あのなぁ、父親は、誰だよ」 慶造の気持ちを知らない春樹は、いつものように、冷たく言った。 「それに関しては、何も言えないな。…それで、真北、本当に、原田を?」 「あぁ。そうだよ。この原田と直ぐにうち解けるくらいだからな。 原田は、どう思う?」 まさは、春樹の真剣な眼差しに応えるかのようにしっかりと見つめ、そして、応えた。 「もう一度、やり直せるのなら、その通りに致します」 「お前の意志が固いなら、目一杯協力するぞ」 「真北、お前なぁ」 「いいだろが。真子ちゃんの意見なんだから」 「真子の意見って、ただ、勘違いしただけだろが。それを何だ? 原田、お前はぁ〜。違いますと言えなかったんか?」 「…どう応えれば、よろしいんですか……」 「…うっ……」 まさの言葉に、慶造は何も言えない。 「決まりだ」 春樹が力強く言った。 「……好きにしろっ」 諦めたように言う慶造に、誰もが微笑んでいた。 「真北さん、慶造さん、…ちさとさん。…お世話になります」 まさは、深々と頭を下げる。 ほんの三年前までの、恐ろしい殺し屋の雰囲気は微塵も感じられない。 その場にいる誰もが安心した表情をして、まさを見つめていた。その中で、ちさとが一番嬉しそうに微笑んでいた。 「そうだ。原田さん、天地山の頂上から見下ろす景色、 一度拝見したいんだけど…」 「これからは、いつでもご覧になれますよ」 優しさ溢れる声で、まさが応えた。 天地山の頂上から、見下ろす景色は、とても美しく、鳥たちが飛び交い、そして、戯れ、去っていく。 ちさととその腕に抱きかかえられた真子は、まさに案内されて、景色が一番良く見える場所へやって来る。目の前に広がる景色に、真子の目は爛々と輝き始める。 「きれいぃ…」 「綺麗だね、真子」 「うん。あれぇ、まきたんは?」 「下で待っているそうです」 まさが応える。 「一緒に来ればいいのに、何を遠慮してるのかしら」 「先程、充分、堪能されましたから」 すっかり緊張から解されたまさが、優しく応える。 「原田さん」 「はい」 「これからも、宜しくお願いします」 ちさとは、まさに微笑んだ。 「ちさとさん。…ありがとうございます。これからも、この場所を、守っていきます」 まさが力強く応えた。 「あなたのため、そして、真子お嬢様の為に」 「ありがとう。真子には、普通の暮らしをしてもらいたいから。 ここなら、安心ですわ」 「お疲れではありませんか?」 そう言って、まさが真子に手を差し出すと、真子は、それに応えるかのように手を広げた。 まさは、真子を抱きかかえ、そして、優しく語り始めた。 「ほら、鳥さんが飛んでいくよ」 「どこに? おともだちのところ?」 「そうだね。あちこちに居る友達に、遊ぼうって言いに行くのかなぁ」 「まことは、あそばないのかな」 「う〜ん、どうだろぉ。鳥さんに聞いてみる?」 「いい。とりさん、にげちゃうもん」 「そうだね。じゃぁ、観てるだけね」 「はい!」 真子は、遠くに飛んでいく鳥を、いつまでも見つめていた。 雲が、流れる。 雲が流れる………。 「本当に、原田さんに懐いちゃったわね」 「…こんな私に……あの時、お嬢様に…」 「原田さん、それは、もう言わないの。真子は、知らないんだから」 「すみません…」 いつの間にか、まさの腕の中で寝入っている真子を、優しく見つめるちさと。 「はしゃぎすぎたのね」 「そうですね」 優しい眼差しで、真子を見つめるまさ。 「その後…そちらの世界は、どうですか? あのお話を聞いた頃から あまり変わっていない様子ですが…」 「…やはり、難しいわ…」 ちさとの表情が、少し暗くなった。 「慶造さんが、四代目を継いだ時に聞いたお話…未だに、 実行できなくて」 「しかし、理解する親分もおられるのでは? 地山親分がそうですから」 「えぇ。…でも、真子のこれからの事を考えると…。真子の笑顔を観ると …私って、母親失格…そう思えて…。だって…私は…」 慶人の事を話しそうになる、ちさと。 その事件は、まさだって知っている。 その後の、ちさとの行動も…。 暫く、沈黙が続いた後、まさが語り出した。 「ちさとさん。…母親失格だなんて…そんなことありませんよ。 …私がこんなこと、言える立場じゃありませんが、素敵な母親だと思います。 …私は、母の優しさを忘れてしまいました。だから、どんな雰囲気が 母親なのか…全く解りません」 まさは、話を続ける。 「だけど、母親というのは、ちさとさんのような方をいうのだと思います。 優しさ溢れる素敵な笑顔を向けられると、心が和みますから。 それは、子供にとって、一番のプレゼントですから。笑顔…絶やさないように…」 まさは、優しく微笑んでいた。そして、真子の頭をそっと撫でる。まさの仕草を見て、ちさとは何を思ったのか、脈絡のない言葉を発した。 「原田さんって、ほんと、変わってますね」 「えっ?!」 「うん。変わってるわ…」 ちさとの言葉に、まさは、なぜか照れたように応える。 「真北さん程ではありませんが。まさか、三年であそこまで変わるなんて…。 驚きましたよ。あの日…ここに来た日は、あのような雰囲気は…。 髪の毛まで染めて、そして、金のネックレスって、それこそ…」 「変装だって。ここに来る途中、教えてくれたの。どうやら、昔の知り合いに 出逢ったそうで、誤魔化すのが大変だったそうよ」 「昔の知り合いって、これ…ですかね…」 まさは、小指を立てていた。その手を弾くちさと。 「原田さん! …でも……真北さんって、ほんとに変わったお人だから。 そうかもしれませんね」 「えぇ」 「…なのに、父親のように、真子を育ててくださるんだから」 「子供が好きなんでしょうね」 「原田さんもでしょ?」 原田は、ただ、笑っているだけだった。 「原田さんって、何でもお見通しする方かしら?」 「それは、性って奴ですね」 「なるほどぉ」 微笑み合う二人は、景色を見つめる。 夕焼けが、二人と小さな一人を真っ赤に照らしていた。 穏やかな雰囲気に包まれる頂上。 ちさとの隣には、『殺しのまさ』と呼ばれていた男。その頃に、命を狙ってきた男。しかし今、ここに居るのは、天地山を愛する男・原田まさ。 「そろそろ降りましょうか」 まさが声を掛ける。 「そうですね。慶造さんだけでなく、真北さんも心配してるから」 「喧嘩してなければ、いいんですが……」 「よく御存知で。真子の事になると、更に激しくなるんですよ」 「想像できますよ」 ちさとと、真子を抱きかかえたまさは、仲良く歩いて、山を下りていった。 (2004.10.28 第四部 第三十五話2 UP) Next story (第四部 第三十五話 3) |