第五部 『受け継がれる意志編』
第十三話 消えたもの
阿山組本部は、騒然としていた。
「何しとんじゃっ!」
修司の怒鳴り声が響き渡った。 そこは、射撃場の側にある武器庫。組員や若い衆が武装し、それぞれが武器を手にして戦闘態勢に入っていた。組員達の気配に気付いた修司が、駆けつけた時の第一声だった。
「猪熊さん、四代目はお一人で向かわれたんでしょう?
私たちも…」
「じゃかましぃっ!!! これ以上騒がしくしてみろ……どうなるのか
解るだろうがっ」
「姐さんを狙ったのは………黒崎でしょう? だから四代目は…」
「先に仕掛けたのは、こっちだろ?」
静かに言う修司。
「それでも…」
「動くな」
「猪熊さん!!」
「……動くなと言っている。…四代目は、話し合いに言っただけだ」
冷静に言う修司だが、慶造の向かった先は解っていなかった。一人での行動。追いかける事も出来なかった修司は、慶造の思いを悟り、躍起立つ組員達を抑える行動を取っていた。
「すぐに、戻れ。そして……明日の準備に取りかかれ。
四代目が帰られたら、すぐに、始めるだろうから…」
憂いにも満ちた声で修司が言う。
「かしこまりました……」
「……見送ってからでも………遅くないだろうから……。
せめて……優しく…見送ろう……」
「…はい……」
その途端、すすり泣く声が聞こえてきた。 それにつられたように、誰もが涙を流し始める。 修司は、その声を背に、武器庫を出て行った。
…姐さん………。
ゆっくりと歩き出した修司だが、激しい哀しみに襲われ、歩みを停める。
「くそっ!!! くそっ!! くそぉっ!!!」
修司は、何度も何度も、壁を殴りつけていた。 激しい怒りを抑えるかのように……。
慶造は、目の前にある黒崎組組事務所を見上げていた。そして、門をくぐっていく。
「なんじゃいっ!! …阿山………」
門番が、慶造の姿に気付き、驚いたように目を見開いた。そして、懐に手を入れる。
銃声。
組員が銃を懐から出すより一瞬早く、慶造が銃を手にし、組員の足を撃っていた。
「!!! …あ……阿山組じゃぁっ!!」
足の痛みを堪えて、門番が叫ぶ。それと同時に、黒崎組組員が門に集まりだした。そこに居る慶造の姿を見た途端、組員達は次々と慶造に銃口を向けた。
「!!!!!」
組員達が引き金を引くよりも先に、慶造の銃が火を放つ。 組員達が放つ銃弾の嵐に恐れることなく、慶造は組員達の足を狙い、銃を持つ手を狙い……。 玄関のドアを蹴破った。 ドアの所に立つと同時に、事務所内は、銃声が鳴り響く。 慶造は、全く恐れる事無く、事務所へ一歩踏み入る。 目の端に移った組員の肩に銃口を向け、引き金を引く。 左手に、もう一つ銃を持ち、二丁拳銃で、黒崎組組員を次々と撃っていった。 慶造が手にする銃は、銃弾が途切れることなく、みるみるうちに、黒崎組組員を倒していく。 組員達は、足や腕、手を撃たれ、床に横たわる。
慶造は、警戒が厳重な部屋に通じる廊下にやって来た。部屋の前に立つ二人の組員が、慶造に銃口を向けると同時に、引き金を引く。
「……!!!!! ……阿山……お前、一人で…」
組員が放った銃弾は、慶造に当たらなかった。一瞬の間に、目の前に慶造の姿が現れ、そして、額に冷たい物を突きつけられていた。静かに言う組員は、慶造の眼差しに恐れたように震え出す。
「黒崎は、ここか? …居ないなら、ここに呼べ……」
地が揺れるような程の低い声。
「こ…こちらに……」
「開けろ」
慶造に言われたが、組員は動こうとしない。 引き金に掛かる慶造の指が、ゆっくりと動く。
目の前にある、慶造の指を凝視する組員は、ゆっくりと頷き、ドアを開けた。 ゆっくりと開いたドアの向こうには、黒崎が銃を片手に立っていた。 慶造は、ドアを開けた組員に蹴りを入れ、部屋に入っていった。 後ろ手にドアを閉め、鍵をかける。
『組長!!』
ドアの向こうに、たくさんの声が聞こえてきた。ドアを開けようとしている事も解る。 慶造は、片手で側にある棚をドアの前に動かした。そして、黒崎を睨む。 同時に銃口を向け合った。
沈黙が続く中、慶造が、ゆっくりと口を開く。
「……解ってるだろうな……黒崎」
「…あぁ。来ると思っていたよ、阿山」
お互い睨み合いは続いていた。
「なぜ………狙った…」
慶造が、怒りを抑えたような声で言った。
「…確かめたい事があってな…」
「確かめたい事?」
「真北が調べている事だ。……不思議な光……。
傷を治すと言われる青い光…。それを持っている者が
阿山組に居ると…小耳に挟んでなぁ…。それも
真北の大切な人が、持っているらしいということだ」
黒崎は、銃を下ろし、話し続けた。
「真北の大切な者といえば、二人しか居ないだろ?
お前の娘と……ちさとちゃんだ。年明けの頃に、公園で
娘を見た。その時、解ったよ。……その光の持ち主は
娘じゃないということが……。となると…ちさとちゃんだ。
それを確かめるために、娘を狙ったんだが……」
「…なに……?」
慶造は、黒崎の言葉を疑っていた。
駆けつけた時は、すでに撃たれた後だった。 真子お嬢様を守るように、姐さんが……。
栄三の言葉を耳にした慶造は、二人を狙ったと思っていた様子。しかし今、黒崎からの言葉で、その目的を知った。
銃声が、立て続けに響く。
慶造が、黒崎の足下を狙って、引き金を引いていた。
「…………誰を………誰を狙ってるんだよ……」
「娘を狙えば…ちさとちゃんが、その能力を…」
「………勘違い……するなよ……な…」
「……能力を知らないとは…言わせないぞ…」
「………持っているのは…真子だ…。…真子を狙った…?
真子を狙って、怪我させて…その怪我を治させようとした…
そうなのか…? そうなのかっ!!!!!」
一発の銃声が響いた。 黒崎の頬に一筋の赤い物が付く。そこから、血がにじみ出る。 慶造は、銃口を黒崎の頭に向けていた。
「ちさとが真子を守った……まるで、慶人がちさとを守ったようにな…。
それで、それで………」
「……お互いさまだ……」
黒崎が小さく言う。
「なに…ぃ?」
「てめぇらも、俺の大切な者を狙っただろが…。そして、二人は
この世を去った。…それと同じだろ?」
「うるせっ!! あの時、言ったよな。狙うのは俺だけにしろ…と。
なのに、てめぇ……」
慶造は、唇を噛みしめ、黒崎から目線を反らした。 それは、何かを堪えているのが解るくらい……。
「…まさか、ちさとちゃん………」
「……もう…あの笑顔を…見る事は出来ない」
慶造の言葉に、黒崎は言葉を失う。何かを言わなければ…そう思うだけで、言葉が出てこない。そして、やっと口にした言葉は、
「……すまなかった…」
「すまなかった? それで済ませるつもりか? てめぇだって知ってるだろがっ!
沢村さんの想い…そして、ちさとの想いをぉぉっ!!!!!!!!!」
慶造の叫び声は、廊下で待機している組員達にも届いてた。その後に響く激しい物音。それは、銃声ではなく、物が壊れる音だった。 部屋の中では、慶造が、周りの物に当たり散らしていた。 部屋を壊すくらいの勢いで暴れる慶造の手を掴む黒崎。 それに反応するかのように、慶造は、銃口を黒崎の額にぴったりと付けた。 その目は狂気に満ちあふれている。 慶造の心の奥底に抑え込まれている『本能』が、今にも飛び出しそうな雰囲気だった。 黒崎の脳裏に過ぎる、沢村邸での事件。 慶造が一人で、敵を斬り倒していった事を思い出す。 その時も、大切な者を守る為だった。 そして、今。 その大切な者を失った事で、こうして、単身乗り込んできた。
「…殺れよ……」
黒崎が呟くように言った。それでも、慶造は黒崎を睨んでいるだけだった。
「殺れっ!!」
黒崎の怒鳴り声が、辺りに響く。 緊迫した雰囲気に包まれた部屋。黒崎の額に突きつける銃の引き金に掛けている、慶造の指が震え出す。
「!!!!! ………阿山………」
慶造は、銃を降ろす。
「殺さねぇ…よ」
「……阿山…」
「黒崎…あんたは、ちさとにとって、大切な人のうちの一人だ。
命を奪ったら、それこそ、ちさとに怒られる…。それに……
もう……繰り返したく…ない……」
ギッと黒崎を睨む慶造。
「お前…この国から出て行け。…俺の前に二度と姿を
見せるな…。これ以上……」
慶造から、怒りのオーラが消える。
「これ以上……ちさとの大切な者を失いたくない」
「阿山…お前…」
慶造は、背を向けてドアに向かって歩き出した。
「……今度、俺の前に姿を見せたら、……この世界を…
血で染めてやる……」
その背から醸し出されるオーラに気圧される黒崎は、動く事すら出来なかった。 慶造は、ドアノブに手を伸ばす。
「黒崎」
「…なんだよ」
「…その能力の事……詳しいのか?」
「それは、竜次の方だ」
竜次と聞いて、慶造は、ハッとする。
「竜次、どうしてる…?」
「ショックで、閉じこもってしまった」
「そうだろうな」
「…俺には……」
「黒崎?」
慶造は振り返った。
えっ?
自分の目にした光景を疑う慶造。 目に映る黒崎の姿は、敵とは思えない程穏やかで、頬を伝う涙が光っていた。 黒崎の涙を見た慶造は、この時初めて、黒崎の心を理解した。そして、大切な者を奪ってしまった事への後悔の念も……。
「邪魔したな。…組員の手当て…してから、飛び立てよ」
「あぁ」
ドアを開けた慶造は、ドアを取り囲むように立っている組員達を睨み上げた。
道を空けろ。
その目は、そう語っていた。恐れた組員達は、慶造の為に道を空ける。
「阿山」
呼び止められた慶造は、耳だけを傾ける。
「後の事……頼んだぞ」
「後の…こと?」
そう言って黒崎に目をやる慶造。
竜次の事だ。
黒崎の目は、そう語っていた。
「知らねぇよ、そんなこと。……明日……見送るよ」
「あぁ…」
慶造は、ゆっくりと一歩踏みだし歩き出した。そして、廊下の角を曲がり、姿を消した。
「組長!!!」
黒崎に駆け寄る組員達。その誰もが、怪我を負っていた。組員達の怪我の位置に気付いた黒崎。
「…阿山の奴……」
手当てしてから、飛び立てよ。
慶造の言葉が、黒崎の頭の中に響く。
どれだけ、怒りを抑えていたのかが…解るよ。
そして、どれだけ守りたかったのかも……な。
窓に歩み寄り、事務所の前から去っていく一台の車を見つめる黒崎は、部屋にいる組員達に背を向けたまま、言った。
「俺は引退する。…そして、日本を去る」
「組長!!」
「後は、竜次に言ってくれ。……もう、これ以上……」
これ以上、哀しむ奴を増やしたくないっ!
黒崎の思いは、その場に居る組員達の心に届いていた。
慶造の車が、阿山組本部の門の前に停まった。 門が開く気配は無い。 それもそのはず。 ほんの数時間前、阿山組にとって一番大切な者が、この世を去ってしまった。 世間に知られないようにと、ひっそりと時を過ごしていたのだった。 慶造は、車のエンジンを止め、背もたれを少し倒した。ポケットに入れている煙草を取り出し、火を付ける。門の前に立ち、自分を睨んでいる男に気づき、吐き出す煙に目を細めながら、目をやった。 その男は、動く気配も無く、ただ、慶造を睨んでいるだけだった。慶造も、その男に対抗するような雰囲気で睨んでいた。 煙草を吸い終わり、窓を開け、吸い殻を外に放り投げた。スゥッと閉まる窓。 その時、門の前に立っている男が、ツカツカと歩み寄り、車の側に落ちている火のついたままの煙草を踏みつける。そして、拳を握りしめ、慶造を睨んできた。
ガシャン!
その拳は、運転席側の窓ガラスを叩き割る。叩き割ったその手は、慶造の胸ぐらに延びてきた。
「……何してた…」
「終止符を打ってきただけだ」
「てめぇ、一人で……」
慶造の胸ぐらを掴み上げたのは、修司だった。 躍起立っていた組員達を抑え、門の外で待機する事で、誰一人として、本部から出そうとしなかった修司は、たった一人で慶造の帰りを待っていた。中々帰ってこない慶造を心配しながらも、怒りが沸々とわき出ていた。 それは、車の窓ガラスを割るほどの勢い…。 修司の拳から、滲み出る血に気付いた慶造は、その拳をそっと包み込んだ。 慶造の拳から、微かに臭う、硝煙。 修司は、慶造の思いを悟ったのか、急に手を放した。
「心配させるな」
「俺の気が…納まらなかっただけだ」
「…寂しがるだろが…。こんな時こそ、側に居てやれ」
「……そうだったな…悪かった」
「明日の準備は出来ている。……大人しくしておけよ」
修司は、ノックを外し、ドアを開けた。慶造がゆっくりと車から降りてくる。そして、二人は並んで門の前に立った。
「…あいつらは…」
慶造は、自分の立場を思い出したのか、修司に尋ねた。
「抑えておいた。お前の行動が見えなかったからな」
門戸を押す修司は、慶造を押し込む。
「四代目!!」
「四代目、御無事で!!」
「四代目!」
「四代目ぇっ!!!!」
門の側で待っていた組員達は、慶造の姿を見た途端、口々に叫んでいた。
「お前ら……」
誰もが目を真っ赤にしている。 自分が出て行った後、組員が何を思い、何をしようとしていたのかが、直ぐに解った。
「お前ら、心配を掛けた。…そして……寂しい想いを……」
慶造の声は震えていた。 組員達は、慶造の思いを悟ったのか、すすり泣き始める。
「黒崎とは、話を……付けてきた。黒崎四代目は、二度と、
俺達の前に、姿を……現す事はない。日本から出るそうだ。
…だから、お前ら…」
慶造は、組員一人一人を見やる。
「決して、人を哀しませるな。そして……命を粗末にするな。
大切な者を亡くす事程、哀しい事はないんだからな…。
お前らを失いたくない。…だから、…お前ら…絶対に………」
「はっ!!!」
組員達の声は、慶造の想いに応えるかのように、力強かった。深々と頭を下げながら、組員達は慶造に道を空ける。組員達の間を歩き出す慶造は、組員達の想いをしっかりと受け止めていた。
玄関先の様子を窓から見ている春樹は、拳を握りしめていた。 慶造から受けた攻撃による怪我は、まだ完治していない。しかし、その傷よりも、心の傷の方が大きかった。 一度に、二つの命を奪われた。 守りたいものを、またしても、守れずに……。
グッとこみ上げるものがある。見えている景色がゆらゆらと揺れ始める。 ふと思い出す言葉があった。
泣かないで…みっともないわよ…。
真子と…あの人を……。
拳に残る温もりに、力を緩めた春樹。 その手に受け取った『大切な想い』を失わないように、グッと握り直した。 足音に顔を上げる。
「………寝ておけ」
「あぁ」
短く言った慶造に応える春樹。ゆっくりと自分の部屋に戻っていった。
ふぅ〜。
大きく息を吐いた慶造は、ちさとの部屋に入っていった。 そこに待っているはずの愛しの人は、もう、この部屋で過ごす事はない。 温もりも、そして、心が和む程の笑顔も……。
「もう、見る事は、出来ないんだな…ちさと……」
ドアを閉め、ドアにもたれ掛かるように座り込み、膝を抱え込んだ慶造は、声を殺して泣いていた。
ちさと………。
ちさとの部屋の隣には、真子の部屋があった。そこでは、真子を見守るかのように、栄三が付いていた。 ショックのあまり、目を覚まさない真子。 目の前での残虐な光景に、しばらくの間、目を瞑る事すら出来なかった真子。 栄三の腕に抱きかかえられ、目を塞がれて初めて、叫びだした。 発狂するかのように暴れる真子を抑えるのが精一杯だった栄三は、腕の中で、気を失った真子が目を覚ました時の言葉を探していた。そして、隣の部屋から感じる慶造の激しい哀しみのオーラに衝撃を受けていた。
自分の失態……。
ちさとと真子を守る事は、栄三の仕事だった。しかし、守りきれずに、栄三は大切な者を失ってしまった。 眠る真子の手を握りしめる。気が付くと、頬に何かが伝い、口は何かを呟いていた。
お嬢様…すみませんでした…。すみませんでした!!!
真子の部屋がノックされた。栄三は慌てて涙を拭い、ドアに歩み寄る。
「はい」
『…真子……目を覚ましたか?』
慶造だった。 栄三は、そっとドアを開け、部屋を出て行く。 ドアが閉まった時、真子の体が、微かに赤く光り出していた。
真子の部屋の前で、慶造と栄三は、話し込んでいた。
「ちさとを見送る間、ずっと真子に付いていてくれ」
「かしこまりました」
「それと」
「はい」
「…絶対に、動くなよ。いいな」
「四代目……」
自分の思いを慶造に見透かされていた栄三は、何も言えずに、一礼する。
「黒崎とは話を付けてきた」
「えっ?」
「黒崎との争いは、終わったんだ。これ以上、蒸し返すなよ」
「御意」
深々と頭を下げる栄三の肩を優しく叩き、慶造は去っていく。
四代目…お一人で…。
栄三は、二つの拳を握りしめ、自分の思いをグッと押し込めた。 真子の部屋に戻った栄三は、真子が目を覚まし起きている事に気付き、声を掛ける。
「お嬢様!」
ゆっくりと振り返る真子は、無表情だった。 無表情のまま、ゆっくりと正面を向き、目を伏せる真子。栄三は掛ける言葉が見当たらず、ただ、真子を見つめるだけだった。
読経が聞こえる中、真子は、桜の木を見上げていた。
ママ………。
栄三は、寂しそうに呟く真子の後ろ姿を見つめていた。その目には、哀しみと怒りが込められている。
慶造に言われたものの、怒りは納まっていない。 しかし、自分が動けば、真子が更に哀しむかも知れない。 そう考えると、栄三は動けずに居た。
栄三ちゃん!
優しい声が聞こえた気がした。 栄三は思わず振り返る。 いつもそこに立っていた女性は、もう、居ない。
姐さん……。
溢れる涙を堪えるかのように、空を見上げる。空は憎たらしい程、真っ青だった。
絶対に……お守り致します!!!
カッと見開いた目には、何か強いオーラが現れていた。
笑心寺。
ちさとの骨は、この寺に預けられた。納骨し、寺の住職と会話を交わした慶造は、笑心寺を後にした時、何か物足りない事に気が付いた。
「…真北は?」
「そう言えば、本部を出てから、姿を見てませんが…」
「…まさか、あいつ、一人で…」
慶造の言葉に、組員達に緊張が走った。
「探します」
「あぁ。急げ。手を出す前に見つけだせ!!」
「はっ」
組員達は、急いで車に乗り、あちこちに連絡を取り始めた。
「あの…馬鹿…」
慶造は、そう呟いて車に乗り、本部へ帰っていった。
春樹は、無表情で、車を運転していた。
向かう先は、『黒崎邸』。
「…なにぃ〜」
門番から、何かを聞いた春樹は、血相を変えて、別の場所へ向かって車を走らせた。
空港。
出発や到着のアナウンスが流れる中、春樹は、走っていた。そして、案内板を見て、ある場所へ一目散に走り出した。
「お客様、もう無理です!」
春樹が、目指していた飛行機は、滑走路へ向かって走り出していた。その飛行機を窓越しに追いかけるが、追いつかない。春樹は、その飛行機が飛び立つのをガラス越しに見ていた。
「…くそ…くそ!!! 許さねぇぞ、黒崎…てめぇだけは…
地獄の果てまでも…追いかけてやる…」
春樹は、思いっきり、ガラスを叩いた。
「…くそ…」
春樹は、ガラスにぶつけた拳を握りしめる。ふと何かに気が付き、振り返った。
「阿山組の…真北だよな」
「…だったら、何だよ」
「こぉんなところへ、のこのこと足を運ぶなんてなぁ」
春樹の眼差しが変わった。 春樹に声を掛けてきたのは、黒崎組の組員だった。 春樹が血相を変えて追いかけた相手は、ちさとに銃弾を浴びせた黒崎だった。春樹の手が及ぶ前に、黒崎は、日本を発って行った。その黒崎を見送りに来た組員達。春樹の姿を見かけた途端、組員達は、春樹を囲み、懐に手をやった。
「!!!!!!!!」
春樹を囲んだ組員達が、一瞬にして床に横たわった。その男達の中心には、春樹が、拳を握りしめて立っていた。
「人の命を何とも思わねぇ、てめぇらやくざに、俺がやられるわけねぇだろ!
覚えておけ!俺は、絶対に、お前らみたいな、命の大切さを知らない奴らには、
容赦ない鉄拳をお見舞いしてやる。わかったか!」
春樹は、直ぐ近くに横たわる組員の腹部を思いっきり踏みつけ、その場を去っていった。
この光景を空港にいた客達が見ていた。警備員が駆けつけた時には、すでに春樹の姿は何処にもなかった。
縁側に腰を掛けて、足をプラプラさせている真子を見守るように立っている栄三は、本部の騒がしさが気になっていた。足音に顔を上げると、そこに慶造が、焦ったような表情で立っていた。
「四代目、どうされました?」
「真北…見掛けなかったか?」
「一緒に出掛けていたはずですが……」
「本部を出て、別の場所に向かったらしいよ」
慶造の言葉に、栄三は嫌な想いを抱く。
「まさか…」
「今、探させてるところだ」
「そうですか」
慶造は、栄三の言葉を聞きながら、真子に目をやった。
「それで、真子の様子は?」
静かに尋ねる。
「…ちさとさんを失ったことを理解されたようなのですが…。
ずっとあのままで…。四代目、どうされますか? 私には…」
「俺より、真北なんだがな…肝心の真北が居ないとな…」
慶造は、困り果てたように頭を掻いていた。その時、真子が振り返る。慶造と栄三の話を聞いていたのか、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「真子、どうした?」
「まきたんなら、かせんじきにいると…おもう」
「河川敷?」
「そう言えば、何度か一緒に行った事あります。真北さんが
心を落ち着かせる事が出来る場所だと…」
「そうだったのか…」
慶造は、真子の頭をそっと撫でる。 その時、組員の一人が駆け寄ってきた。
「あの……」
慶造は、組員の伝えたい事が解ったのか、真子から離れていった。 慶造が離れた事で、真子は自分の部屋に向かって歩き出す。栄三が真子を追うように付いていった。
「真北の場所が解ったのか?」
「いいえ、その……」
「まさか…」
「黒崎が日本を発ったそうです。…その空港で、真北さんが
大暴れをして、黒崎を見送りに出ていた組員をぶっ倒して…」
「あんの馬鹿が……」
呆れたように項垂れる慶造。
「河川敷に誰かを向かわせろ。真北が居る可能性がある」
「かしこまりました」
組員は、慶造に一礼して去っていく。 ふと振り返った場所は、真子の部屋が見える廊下。その廊下の窓から、栄三の姿が見えていた。
栄三……。
真子の部屋の前で待機している栄三の表情は、途轍もない程の哀しみに包まれていた。誰も近寄れない、近寄ってはいけないような程、激しい哀しみに……。
慶造は、静かにその場を去っていった。そして、春樹の行方を捜しに、本部を出て行った。
春樹は、河川敷の堤防に腰を掛け、夕日を眺めていた。
春樹から、少し離れた場所に立っている男達が、一人の男に一礼し、春樹を指差していた。一礼された男は、ゆっくりとした足取りで、春樹に歩み寄ってきた。
「…何や、慶造」
「お前の姿、見えなかったから…探してたよ。空港で一暴れしたそうだな」
「…まぁな」
「すっきりしたか?」
「しないさ…。…俺も、馬鹿だよな…」
春樹は、俯いた。
「この世界では、当たり前のことなんだよ」
「…それが…俺にとっては、許せないんだよ」
春樹は、慶造に振り返った。
「真北…」
慶造は、春樹の表情を見て、それ以上何も言えなかった。春樹の目には、激しい怒りと哀しみが含まれていた。今にも、爆発しそうな自分を必死で抑えているのも解るくらい…。
「お前に、話があるんだよ」
「なんだよ」
「真子のことだよ。…お前に託すという約束だったよな」
「あぁ」
「…それ…やめてくれないか…」
「…なに?」
「…俺から…ちさとを…ちさとの忘れ形見を…取り上げないでくれ…頼む…」
慶造の本音だった。
「慶造……」
「真子…そして、お前が、俺の前から姿を消すと…俺が、暴走を
始めてしまいそうで…。これ以上、哀しい思いをする奴らを…
増やしたくないんだよ…。お前が居るから…暴走を停めることが
できるんだ…。だから…頼む…頼むよ…真北…!!」
慶造は、春樹の腕を力強く掴んだ。その手は震えていた。
「慶造……解ったよ。真子ちゃんを連れて、組を出ていかないよ。
お前の暴走を停めることができるなら…、これ以上、命を粗末にする
奴らがないように…俺は、お前を監視してやる。…それに、もう、
あの事は、気にしなくてよくなったからな…」
「あぁ…あぁ」
慶造は、それ以上言葉にならなかった。
あの事。 それは、ちさととの一件のことだった。春樹は、そっと目を瞑り、呟くように言った。
「今まで通りで…いいんだな」
「今まで通り…?」
「俺が、真子ちゃんを育てるってことだよ」
「そうなるに決まってるだろ」
「なるほどな…」
春樹は、フッと笑った。
「…なんで、ここがわかった?」
「真子が教えてくれた」
「真子ちゃん?」
「まきたん、堤防にいると思うってね。俺が、お前を捜していたのを知ってな」
「そうか」
「…思い出の場所…か。ちさととお前、そして、真子にとって…」
「そうなるなぁ」
春樹と慶造は、沈んでいく夕陽を眺めて、そして、誓った。
これ以上、命を粗末にしない!
極道界に光を与え、心和む笑顔を見せていた阿山ちさと。 極道の世界で生きる者達にとって、大切な存在でもあった。 そのちさとが、黒崎の手によって、命を奪われた。
この衝撃的な出来事は、瞬く間に任侠界に広まった。 それと同時に、忘れられていた『阿山組の脅威』も思い起こされた。 この世界が、真っ赤に染まる……。 誰もが、そう思っていた。 そして、誰もが哀しんでいた。 ちさとの事を知っている者達、誰もが……。
もう、二度と、あの笑顔を見る事は出来ない。
大切なモノを失ってしまった。
消えてしまった……。
ちさとが凶弾に倒れた場所に、花束が置かれた。 一人の男が、手を合わせている。
「五代目、そろそろお戻りにならないと…」
声を掛けられ、顔を上げる男。
「解ってる」
そう言って、立ち上がったのは、黒崎竜次だった。
「ったく、襲名式なんて、かったるいこと…しなくてもいいだろが」
ブツブツ言いながら、竜次は、側に停まっている車に乗り込んだ。
「必要な事ですよ」
「崎ぃ〜。どうして、お前は、兄貴に付いていかなかったんだよ」
「竜次さんを頼む。そう言われたので」
「これじゃぁ、いつもと変わらないだろが」
「これからは、忙しくなりますよ。薬関係からは暫く離れてください」
「やなこった。組の方から離れてやる。それに、真北の手によって
組員はほとんどが、箱の中だろが。…どっちにしても、今の段階では
薬関係に精を出すしかないだろ? …それに、俺には…向いてないからな」
極道の世界なんか…。
「それが、五代目の命令なら、私たちは従うまでですよ」
「そうだな。………ったく…何もかも俺に押しつけやがって…」
そう呟いて、竜次は、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺め始めた。
特殊能力……か……。
竜次の心に、何かが宿った瞬間だった。
(2005.1.14 第五部 第十三話 改訂版2014.11.21 UP)
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