任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第五部 『受け継がれる意志編』
第十四話 真子を守る者達

山のてっぺんにうっすらと雪が残っている天地山。今年の春は、訪れるのが遅かったらしい。
冬の賑やかさとは違い、ひっそりとしている天地山ホテル。それでも、山の美しさを満喫するために、お客様はやって来る。フロントのある一階で接客を終えた従業員が、どこかへ内線を掛ける。
相手は出ない。
仕方なく受話器を置き、山側の自動ドアを見つめる。そこから入ってきたのは、山の中腹にある喫茶店の店長・京介だった。

「支配人、おられますか?」

京介は目があった従業員に尋ねる。

「それが…内線を掛けてもお出にならないんです…」

その返事で、京介は大きく息を吐いた。

「俺が様子を伺ってくる」
「お願い致します」

八階にある支配人室へと向かう京介。
ドアのノックする。

返事はない。

「支配人、京介です。ご相談にのって頂きたいのですが…」

それでも返事はない。
気になりながらも、『禁句』を使う。

「兄貴、起きておられますか? 兄貴?」

それでも応答が無い事で、部屋には居ない事が解る京介は、再び一階へ下りていった。
先程の従業員に何かを告げ、その足で山側のドアから出て行った。
向かう先は………。



天地山の頂上から一望出来る山々の景色。緑が溢れ始めている。その景色をボォッと眺めているのは、天地山ホテルの支配人・原田まさだった。全く無防備に景色を眺めているが、なぜか、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
少し離れた所にある木の側で、天地山ホテルにある温泉を管理している湯川満が、まさを守る感じで立っていた。足音と人の気配で、警戒心を高める。

「満…」
「京介…」
「…兄貴…やはり…」
「あぁ。……夕べからだよ」
「……あれから、ずっと…?」

あれから。黄昏時に喫茶店にやって来た、まさと満。
その時の、まさの様子が、いつもと違っていた事に、京介は気が付いていた。

星空…観てくるよ。

そう言って喫茶店を出て行ったのは、午後九時。それから、ずっと、頂上に居た様子。そんなまさに付き合うように、満もその場から離れなかった。

「一晩中なんて、今までに無かったよな」

まさの後ろ姿を見つめながら、京介が言う。

「……でも、俺……解る…。俺だって、あの日…」

満が、約五年前の事を思い出したように、語り始めた。
天地組がこの天地山付近を守っていた頃、兄貴と慕っていたまさは、阿山組を襲撃する前の日に、満と京介を『やくざの世界』から逃がしてくれた。それから二日後に、天地組は、阿山慶造の手によって、壊滅させられた。
その時に、親分であった天地、そして、兄貴と慕っていたまさも、この世を去ったという情報を耳にした。

「誰とも会いたくない、…兄貴の後を追いたい…そう思った。
 阿山組を恨んだりもした。…でも、兄貴の思いを大切にしたい。
 そういう想いが強かったのに、俺は……結局、地山親分に世話になっていた。
 この世界から…逃れられない…そう思ったから。…だけど、俺…」
「兄貴が生きてる…と」

満の代わりに京介が言った。

「あぁ。地山親分が、兄貴の事で落ち込んでいる俺に、それとなく
 教える感じで、逢わせてくれた。…でも、天地組の殺し屋原田は
 阿山組との抗争で記憶を失っていた…。もちろん戸惑ったよ。
 当時、俺を観ても、兄貴はただ、むすっとしていたからさ…」
「それは、お前が元の世界に戻った事に対して怒っていたんだろ?」
「その通り。……京介は違っていたんだな…」

満は、空を見上げる。

「俺は元々、その世界の人間じゃなくて、途中で飛び込んだ男だから、
 一般市民として過ごすのは、容易い事だったよ。……兄貴が死んだ。
 そういう噂が耳に飛び込んだ時は、本当に俺…何もする気が起こらず、
 兄貴に出逢う前…借金で追いかけられていた頃の俺に戻っていた」

伏し目がちになりながらも、京介は話し続ける。

「何もかも自棄になって……。それでは駄目だ、心を落ち着かせたい。
 そう思って、再び天地山に足を運んで、…今がある。…兄貴のお陰だよ。
 俺にとって、この天地山は、人生を変える分岐点のようなもの」
「良い事だよ」

二人は、まさに目をやった。
まさは、ただ突っ立っているだけだった。

「これ以上、ここに居たら、兄貴の体に…」

京介は、まさの体を心配して、まさに近づいていった。

「兄貴」
「…ここでは言うな」
「すみません。…でも、一晩中、こちらとお聞きしましたよ。
 これ以上は、体に………!!!」

京介は、ゆっくりと振り返ったまさを見て、驚いた。
まさの顔は、涙で濡れていた。朝露とは思えない。なぜなら、目を真っ赤にしていたから…。

「兄貴……」
「……京介……。もう、拝見できないんだよ……あの素敵な笑顔が
 …心を和ませるほどの…温かい素敵な笑顔が……。ちさとさん…
 もう、この山に来てくれない…」
「……兄貴…」

京介は何も言えない。

「もう……もう、…俺の知っている者…誰も失いたくないよ…。
 失いたくないんだよ!!」

まさの声が山に響く。

「京介…満…」
「はい」
「はっ」

京介、そして、呼ばれて近くに寄ってくる満は、深々と頭を下げる。

「お前ら…絶対に、俺の前から去らないでくれ…。
 もう二度と、向こうの世界には……戻らないでくれ…」
「兄貴!!」
「……それなら、兄貴と呼ぶなよ……」
「す、すみません、支配人!」

更に深々と頭を下げた二人。

「一人残された真子お嬢様は、どうしてるんだろうな。…もう、ここに
 来てくれること…ないのかもな…」
「真子お嬢様はお一人じゃありません。兄貴に、地山親分や俺、そして、
 満が居るように、お嬢様には慶造さんや真北さん、そして、小島さんに
 猪熊さんのように、ちさとさんを大切に思っていた人達がおられます。
 ちさとさんと同じくらい、いいえ、それ以上に大切に想っておられます。
 だから、兄貴」
「兄貴言うな」
「…兄貴が落ち込んでいてどうするんですか? ちさとさんを失って
 一番落ち込んでいるのは、真子お嬢様だと思います。それも
 目の前で…」
「そうだな」
「目の前で命の灯火が消えた時の哀しみ、恐怖…それを、
 あの幼い歳で、体感してるんですよ?」
「……俺だって、その恐怖…そして、哀しみは知っているよ…」
「兄貴には兄貴がしなければいけない事があります」

京介が力強く言う。

「俺がしなければ…ならないこと?」
「お嬢様の心の闇を取り除く事。ちさとさんの事件から十日。
 お嬢様は全く笑わなくなったというじゃありませんか」
「あぁ」
「その笑顔を取り戻す事。そして、心の闇を取り除く事。
 兄貴にしか出来ない事ですよ」

京介は、山の景色に目をやった。

「お嬢様もこの天地山が大好きなんですよ。招待すべきです。
 もちろん、今すぐ…という訳ではありません。今年の冬も
 いつものように、素敵な笑顔を拝見したいじゃありませんか。
 …素敵な笑顔は、一つじゃありませんよ」
「京介……」
「この世を去っても、その人の思いは、無くなっていません。
 見えない所…人の心に残っているんです。目を瞑れば、
 瞼の裏に…………」
「………お前、俺がこの世を去ったと思った時、そう考えていたのか?」
「そうですよ。目を瞑ると、兄貴の怒った顔しか浮かばなかったんですから」
「あのなぁ」
「だから、兄貴」
「…なんだよ」

すっかり、自分が『支配人』という事を忘れているまさ。京介に対して、昔の口調に戻っていた。

「お嬢様の為に」

まさは、京介の言葉を頭の中で繰り返す。
真子の為に、笑顔を絶やさない。
真子の為に、心和む天地山を守っていく。
その為には……。

「俺が、くよくよしていても、仕方ないよな」

まさの表情に一縷の光が射した。

「そうですよ、支配人」

はきはきとした声で、京介が言う。その言葉が、まさの何かを強くさせる。

「こうしちゃいられないな。…仕事、仕事!」
「えっ? 支配人、今日は休暇を取ったんじゃ…」

満が慌てて言った。

「あっ、そうだっけ……」

惚けるまさ。京介と満は、思わず笑い出してしまった。

「っ〜!! 笑うなっ」
「すみません!!!」

まさは背伸びをする。

「では、行きますかっ」
「はっ」

まさは、元気な足取りで、山を下りて行く。

ちさとさん、真子お嬢様を守ります。
私に任せて下さい!

グッと握りしめる拳に何かを納めていた。





阿山組本部は、いつものように慌ただしく、道場から聞こえてくる気合いの声、庭からは、空を切る音が微かに聞こえてくる。
そんな中、真子が目を覚ました。
ゆっくりと起き上がる真子は、部屋の静けさに体が震えた。ドアがノックされた音で、ピクッとする。恐怖のあまり、布団を引っ被った真子。

『お嬢様。起きておられますか? 御飯の時間ですよ』

ドアの向こうから、栄三の声が聞こえてきた。
真子は、布団から、そっと顔を出す。

『お嬢様?』

その声に、真子はベッドから降りる。そして、ドアを開けた。ゆっくりと見上げると、そこには、笑顔を満面に浮かべるえいぞうが、立っていた。

「おはようございます、お嬢様」
「……おはよう…ございます…」
「お顔、洗いましたか?」

真子は首を横に振る。

「では、洗ってから、着替えましょうか」

真子は頷いた。
栄三と一緒に洗面所へ来た真子は、顔を洗う。その間、栄三は、タオルを持って、真子の後ろに立っていた。
ふと顔を上げた真子は、鏡越しに栄三を見た。

真子の前では、笑顔を絶やさない栄三。しかし、その鏡に映る表情こそ、哀しみと怒りが表れている。真子は、驚いたように振り返り、栄三の手から、タオルを奪い取る。

「お、お嬢様?!?」

突然の真子の行動に驚いたえいぞうは、真子を見た。
真子の目は、激しい哀しみに包まれていた。

「どうされました……!!!」

栄三が声を掛けるよりも先に、真子は自分の部屋に向かって走り出した。

「お嬢様!」

追いかける栄三。しかし、目の前でドアが閉まり、そして、鍵の音がした。

「お嬢様、どうされました?」
『もう、誰にも逢いたくない…逢いたくないよ……』

ドア越しに聞こえてきた真子の声は、震えていた。
泣きたい気持ちを堪えているのが、解るほど…。

「私にも…ですか? …真北さんにもですか?」
『…みんな……みんな………。…………』

聞こえないくらい小さな声。しかし、栄三は、その声が聞こえていた。
真子が何を言ったのかも……。

お嬢様……。

「…すみません……お嬢様」
『謝らないでよ!!』

真子が怒鳴った。
その口調は、今まで耳にした事が無いほど、激しい。
栄三は驚いていた。

『……もう……来ないで……』

真子の悲痛な声は、栄三の心に突き刺さった。



真子は、ベッドの上に膝を抱えて座っていた。
ドアの向こうに、栄三のオーラを感じながら……。


栄三は、真子の部屋のドアが見える場所に、項垂れて座り込んでいた。いつ開いても直ぐに対応できるように。
そこへ、春樹がやって来た。

「おい、栄三、真子ちゃんは?」

その声に顔を上げた栄三。

「どうした、栄三……お前らしくない…面…」
「…真北さん…俺……お嬢様に……嫌われました…」
「えっ?」
「もう、来るな…そうおっしゃって……」

そう言って、栄三は項垂れた。

「…栄三…」
「俺…どうしたら、いいんですか? …ちさとさんを守れなかった。
 そして、お嬢様も守れない……俺…何のために生きてるんですか?
 そう思うと、俺………」
「お前のその面が、悪いんだよ」
「笑顔…練習しても、どうしても、このような顔に…」
「哀しみと怒りに満ちあふれた面のことだよ」
「…そりゃ、誰だって…阿山組の者は誰だって、そうじゃありませんかっ!
 姐さんを殺されて、何もせずに黙ってるなんて…。四代目一人で
 黒崎とケリを付けたと言っても、姐さんを失った哀しみ、そして、
 怒りは、抑えられませんよ! 真北さんだって、そうでしょう!!」

栄三の怒鳴り声は、真子の耳に届く。
真子は、慌てて耳を塞いだ。

「…あぁ、そうだ。俺だって、黒崎を追いかけて、この手で…そう思ったさ。
 だけど、一足遅かった。…憎いよ、…憎くて憎くて……どうして、
 ちさとさんを狙ったのか、…真子ちゃんを狙ったのか…その真相を
 知りたいよ。…でも、慶造は何も言わない。…それを知った時の
 俺の怒りが恐ろしいと言ってな。……だけど、真子ちゃんは
 関係ないだろ? …哀しみと怒りを真子ちゃんの前で見せないでくれよ」
「……無理ですよ!! お嬢様の側には、いつも、ちさとさんが居た。
 その時を思い出してしまうんですよ…だから、…だから…!!!」

春樹は、栄三の胸ぐらを掴み上げる。

「それでも、真子ちゃんの前では…」
「あなただって、そうじゃありませんかっ! あなたも、お嬢様を見つめる
 その目に、哀しみと怒りが含まれてますよ。表情で誤魔化せても
 目は、誤魔化せませんよ!!」
「うるさい……」

手に力を込める春樹。拳を握りしめる。
今にも栄三を殴りそうな勢い…。その時だった。
真子の部屋のドアが開き、真子が飛び出してきた。

「真子ちゃん」
「お嬢様!」

真子は、両拳を握りしめ、下唇を噛みしめていた。春樹は栄三から慌てて手を放す。

「真子ちゃん、朝ご飯……」

真子に話しかけようとした春樹。しかし、その言葉は、真子の声に遮られた。

「…もう…もう…喧嘩しないでよ……。…私が悪いんだね…。
 私が、ママのかわりに死ねばよかったんだね!!!」
「真子ちゃん、それは…!!!」

ギッと顔を上げた真子。春樹と栄三は、その目に驚いてしまった。
激しい怒りと哀しみに満ちあふれている。
今まで、そのような目を見た事が無い春樹と栄三。

「…!!!」

真子は、急に走り出した。

「真子ちゃん!」

春樹が追いかけていく。我に返った栄三も、真子を追いかけて走り出した。


真子は、裸足のまま庭に降り、そして、庭を突っ切った。春樹も同じように追いかける。栄三も付いてきた。真子は、庭の先にある真子とちさと専用の扉から表へ飛び出した。

真子ちゃん、今…外は…!!!

春樹が扉を開けて、外に出た時だった。

「真子ちゃん!!」

春樹に呼ばれて、走りながらも、ちらりと振り返る真子。
春樹は、その道の向こうに停まっている高級車に気が付いた。真子がその車の方へと走っていく。
車のドアが開き、男が五人、ゆっくりと降りてきた。
男達が醸し出すオーラに反応する春樹は、真子を追いかける足を速める。

真子ちゃん!!!

銃声が響き渡った。
真子は急に視界が暗くなった事に目を瞑っていた。
恐る恐る目を開ける。
そこは、とても落ち着ける場所だった。

「まき……たん……?」

顔を上げる真子。
自分が春樹の胸に守られるように抱きかかえられている事に気付いた。
真子をしっかりと抱きかかえる春樹の表情は、無表情で、その目は、何かを見つめている。そして、右腕を前に突き出し、何かを力強く握りしめているのか、その腕は微かに震えていた。
春樹の口が動いている。
誰かに何かを言っているのだろう。しかし、その声は、真子の耳には聞こえてこない。
それもそのはず。
真子の耳は、春樹の手と腕でしっかりと塞がれていた。
何かの恐怖を感じ、真子は目を瞑る。
真子を抱きかかえている春樹の腕に、力が入った…。


「真北さん!!!」

春樹の背後で栄三が叫ぶ。

「俺の事はいい、他を頼む!」

春樹の声と同時に、栄三が走り出し、春樹の横を素早く通り過ぎ、銃口を向ける男達を次々と倒していった。

春樹は、右手で一人の男の銃口を塞ぐように握りしめていた。
その手の甲は、丸く穴が空き、血が噴き出ていた。

「…ま、真北…てめぇ…」
「銃で撃たれるくらい、何とも思っちゃいねぇよ。その傷よりも
 その銃によって傷つけられた心の方が、痛いんだぜ…」

握りしめる銃を放そうとしない。
男は引き金を引こうとするが、春樹の醸し出す異様なオーラに身動きできない。

「…!!!!!」

男は、後頭部を強打され、その場に崩れ落ちた。
春樹の手には、男の銃が握りしめられている。目の前の男が倒れた事で、目線を少し遠くに移した。

「桂守さん……」

春樹の目の前の男に一撃を食らわしたのは、桂守だった。
阿山組組員達が、駆けつける。それに気付き、桂守は春樹に一礼して姿を消した。

「真北さん!」

栄三が倒した男達を組員に渡して、春樹に駆け寄ってくる。
春樹は、腕の中にいる真子を見つめた。
真子は、春樹の服を力強く掴み、身を小さくしていた。

真子ちゃん!!

春樹は、真子を力一杯抱きしめる。

無事で……。

春樹に抱きしめられた事で、真子が顔を上げる。

「まきたん…」
「真子ちゃん。急に飛び出したら危ないと言っただろ?」
「ごめんなさい…でも……」
「真子ちゃんは、気にしなくて良いんだよ…真子ちゃんは
 何も悪くないから。……悪いのは、私です……」
「…まきたんは、悪くないっ!!」

真子が叫ぶ。その声で、二人を守るように立っている組員達が振り返った。

「真子が……私がとびだしたから……だから……。
 あの時も…わたしが、ママといっしょに……。
 そうしなかったら、ママ……死ななかった!!!」

真子の言葉が、その場に居る者達の心に突き刺さる。
誰もが真子から目を反らしてしまう。
春樹は、真子を抱きしめる腕の力を緩めてしまうほど、衝撃を受けていた。

「真子ちゃん……」
「真北さん、手の傷…」

栄三がそう言った事で、真子は振り返る。視野に飛び込む春樹の右手。その手から血が滴り落ちていた。真子の目線に気付いた春樹は、慌てて右手を背中に回す。
真子に血を見せると……。
そう思っての行動だった。
しかし…。

「まきたん…傷の手当て…」

春樹の右手を取り、そこから溢れる血を止めるかのように手を当てていた。

「もしかして…あの時……ちさとさんにも…」

春樹が言葉を発したと同時に、真子が静かに言った。

「血…止まらなかったの……どんどん……あふれて……」

それで真子ちゃんまで、真っ赤に染まったのか……。

春樹は、自分の傷口を塞ぐ真子の手に、そっと手を添えた。

「真子ちゃん、部屋に戻ろう」

真子は、コクッと頷く。
春樹は、真子を抱きかかえて立ち上がる。

「栄三、後は頼むぞ」
「はっ」

栄三は深々と頭を下げる。そして春樹は、出てきた扉から阿山組本部へ入っていった。


「まさか、あんな行動に出るとはな…」

栄三が呟いた。

「そうですね。…真北さんこそ、お嬢様の為に、命を投げ出しかねない…」

栄三の側に立っていた組員が言った。

「納まっていないんだな……黒崎が国外に逃げても…尚…」
「えぇ…」

栄三は拳を握りしめた。

もう誰も、危険な目に遭わせるものかっ!!



真子は春樹にしっかりと抱きかかえられていた。

「……」

真子が何かを呟いた。

「ん? 真子ちゃん、何?」
……ゆるさない……

えっ…?

聞き慣れた真子の声とは違い、地を這うような低い声。そして、そこから感じられる異様なまでの恐ろしいオーラ。

「ま……真子ちゃん…?」

春樹は慌てて真子の顔を覗き込む。
真子は眠っていた……。

聞き違い………?

春樹は、真子を部屋のベッドに寝かしつけ、そして、部屋を出て行った。
その足で医務室に向かう春樹。
そこに勤務する女医の美穂は、今日は病院勤務。
春樹は慣れた手つきで、医務室の薬を取り出し、自分で治療を始めた。しかし、怪我をしたのは右手。右利きの春樹は、左手で治療するのは慣れていなかった。それでも消毒を始める。
かなり染みた。
傷口をピンセットで突いてしまう。

「…っつー!!」

あまりの痛さに、ピンセットを落としてしまった。

「……くそっ!!」

苛立ち、そして、拳で机を叩く。
傷ついた右手を広げ、そして見つめた。

真子に銃口を向けられた時、一瞬、弟の芯とダブって見えた。
銃声を聞かせるのは、少し落ち着いた真子にとって、更に恐怖を与える事になる。
真子の耳を塞ぐように腕に包み込み、真子に向けられた銃をはね除けようと右手を伸ばしたが、手を差しだしたと同時に、男は引き金を引いていた。
咄嗟に銃口を手で塞いでいた。
春樹の手の甲を突き抜けた銃弾は、実は、春樹の左腕…ちょうど真子の頭の位置に突き刺さっていた。真子を抱きしめる時に力を込めたことで、銃弾は自然と抜け落ちた。
春樹は、右手の指を動かしてみる。
銃弾は骨まで傷つけているのか、指は思うように動かない。

落ち着け…落ち着け…。

自分に言い聞かすように、心の中で繰り返す。

春樹は、床に落ちたピンセットを拾い上げた。そして、再び消毒を試みる。
医務室のドアが開いた。

「…やはり、御自分で…」

そう言って、医務室に入ってきたのは、修司だった。

「慶造から…ですか?」

春樹は静かに尋ねる。

「栄三ちゃんが、恐らく自分で治療するだろうと言ったんでね」
「そうですか……慶造は?」

春樹は、修司が慶造から離れている事で、慶造の行動に気付く。

「栄三と一緒に出掛けましたよ」
「…どうして止めないんですか?」
「お嬢様が狙われて、慶造が黙っているわけが…」

修司の言葉を聞かずに、春樹は立ち上がるが、その肩を思いっきり掴まれ、強引に座らされた。

「治療が先です」
「うるさいっ! これ以上、慶造に……」
「真北さん…あなたは、何を考えておられるんですか?」

冷静に尋ねる修司に、春樹は何も応えず、ただ、睨み上げるだけだった。

「…慶造が気にしている。…確かに、ちさとさんが亡くなって、
 組の者誰もが、我を失ったように、沈みっぱなしですよ。
 その中で、真北さん。あなたが一番、何をするか解らない。
 その気持ちを隠すかのように、ムキになって動くのも
 良いとは思えません。…一体、あなたは…」
「これ以上、同じ思いを…誰にもさせたくない。…慶造が
 これ以上哀しむような事は……。真子ちゃんを守るために、
 そして、猪熊さん、あなたを守るために…」
「真北さん…」

春樹の言葉に修司は、驚いていた。
表立っては言えないが、春樹と修司の立場は、言わば正反対。なのに、その男から…それもやくざを嫌っている口調をする男の口から出るとは想いもしない言葉。

「…治療してからでも、遅くありませんよ。…それに……」
「……それに、何ですかっ」
「真子お嬢様が心配します」
「真子ちゃん……が?」
「えぇ。私が慶造に言われてここに向かっている時に、廊下で
 ばったりと逢いました。どこに行くのかと尋ねたら、私にお話が…と。
 真北さんの治療をしてください…そうおっしゃって…」
「真子ちゃん……」
「だから、診せてくださいね」

修司は、春樹の右手を診る。その傷の具合から、栄三にも気付かれなかった左腕の傷を把握した。

「銃弾は…」
「自然に落ちた」
「……下手したら、ご自身の頭ですよ…」
「真子ちゃんの事で必死で…それに、相手の腕の方が、上だった。
 あと一秒、気付くのが遅かったら……真子ちゃんまで…」
「右手の方は、骨に影響してますね。左腕は大丈夫です。
 鍛えていた筋肉のお陰でしょう。もっと鍛えるおつもりですか?」

やんわりと尋ねる修司。しかし、春樹は、修司から目を反らし、何かを考え込んでいた。
口を尖らせ、目を瞑る……。

真北さん、何を考えておられるんですか…。

修司は尋ねたくても、尋ねられなかった。
春樹から醸し出されるオーラが、そうさせていた。



(2005.1.20 第五部 第十四話 改訂版2014.11.21 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


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