第六部 『交錯編』
第二十八話 秘められた感情
阿山組本部・会議室。
この日、来年に向けての幹部会が行われていた。今までの行動、そして、敵対する組の動き。それぞれの組の組長が、事細かく慶造に伝えていた。それぞれが伝える事は、すでに、栄三と隆栄、そして、健から聞いている事だが、組長達が、慶造に包み隠さず報告するのかを試しているのだった。 大切な事を隠していれば、即、慶造の言葉が隠し事を引っ張り出す。 そして、慶造の眼差しが突き刺さる……。 その事を知っているからこそ、組長達は、包み隠さず、全てを話すのだった。
そして、幹部会が終わる。 慶造が立ち上がると同時に、幹部達は、立ち上がり、一礼する。
「あぁ、そうだ、飛鳥」
「はっ」
「後で俺の部屋に来てくれ、話がある」
「はっ」
いつにない口調で言われた飛鳥は、慶造の考えが解らない。 以前、元親分の笹崎から聞かされた事がある。 何を考えているのか解らない時の慶造さんこそ、怖いから、気をつけろ。 自分自身にだけでなく、慶造さん自身も危険な事があるから。 飛鳥は、笹崎の言葉を思い出しながら、重い足取りで慶造の部屋に向かっていった。 ノックをする。
「飛鳥です」
『入れ』
その声を聞き、少し間をおいてから、飛鳥はドアを開けた。
「失礼します!」
深々と頭を下げ、顔を上げると、そこには、春樹の姿もあった。
やはり、深刻な事なのか? 俺…何かしたかな…。
飛鳥自身、春樹の身の上を知っている。 春樹の仕事に関わるような、お縄になるような事は、ここ数年していない。 それは、自分の娘に対しての思いもある。 娘を哀しませたくない。
「忙しいのに、すまんな」
「いいえ、私は一向に…」
「話というのは、真子の事なんだが……その…飛鳥にも
娘が居ただろ」
「はい」
「娘が通っている学校の事なんだが、どうだ?」
「学校ですか? これといって、問題は御座いませんが…」
「お前の素性を知ってるんだよな」
「はい。理事長を始め、親御さんや生徒達も知っております。
伝えておいた方が、安心だと思いまして…」
「娘は、どうだ?」
「特に何もなく過ごしているようです」
「そうか」
短く言った慶造は、テーブルの前にある書類に目をやった。
「真北、後は、お前に頼んでいいのか?」
「……慶造ぅ〜、お前が父親だろがっ」
「俺は父親の前に、四代目という肩書きが走るだろが!」
「今、飛鳥が言っただろ? 組長という立場でも、相手は
それ程気にしてないと」
「それは、飛鳥だからだ。今は大人しいだろうが、飛鳥の組は。
だけど、俺の場合は阿山組の四代目。末端の動きがそのまま
俺に影響しているだろう?」
「だけど、もうこの学校しか、真子ちゃんを受け入れてくれる
所は無いぞ! 話をもっていった学校は、どこもが拒否した」
部屋に飛鳥が居ることお構いなしに、二人の口調は、どんどんエスカレートしていく。
「あがっぁぁぁっ!! もっ、解ったよっ。俺が行く。その方が、安全だっ」
春樹の怒りの口調と同時に、二人の会話は終了した。
「ということで、飛鳥」
春樹が振り返り、呼びかける。
「はっ」
「今からでは遅いと思うから、来年度編入ということで、
その学校の理事長と話し合うつもりだが…」
「あの〜、話が解りません〜〜」
「……飛鳥」
低い声で慶造が呼ぶ。
「はい」
「俺と真北の話…聞いてなかったのか?」
「拝聴しました」
「その内容から推測しろや…」
「……真子お嬢様を…私の娘が通う学校に、編入させる……」
「解ってるなら、改めて聞くなっ」
「す、すみません!!!」
深々と頭を下げる飛鳥は、話を続ける。
「その学校は、大学まで一貫教育となります。そして、教師達は
人を区別しない方ばかりですので、安心です。しかし、生徒達の中には
私のような極道や犯罪者の家族を毛嫌いする輩も居ます。
そんな生徒や親御さんの冷たい目線に耐えられるのなら、
私はお奨め致します」
「飛鳥は、どうなんだよ。そして、娘もだ」
「気になりません」
「それなら、そこに決定だ」
慶造が、またしても強引に事を進める。
「…って、慶造ぅ〜。俺は、真子ちゃんの哀しむ表情は、観たくない!」
「お前が一緒に通う訳ないだろうが」
「それでもな…」
「お嬢様のご意見をお聞きになった方が、賢明です。
そのような思いをしてまで通いたいのか……」
「それも、そうだな……真子に相談だ」
「…解ったよ。慶造が…言え」
「真北が言えっ!」
「慶造だっ」
「真北だぁっ!!!!」
また、始まった……。
二人の真子への思いがぶつかり合う時、そして、真子に話すときの二人の行動は、いつも同じ。何故か喧嘩腰に話している二人。そんなときは、納まるまで放っておくしかない。 飛鳥は、静かに二人のやり取りを見つめていた。
「やっ!」
裏庭に、気合いの声が聞こえる。
「もう少し低めに」
「はい。……やっ! やっ!!」
真子は、低い蹴りを二発、目の前にいる芯に差し出した。芯は、避けることなく、真子の蹴りをしっかりと受け止める。
「相手の隙を見て、そこを狙う」
「はい」
返事と同時に、芯の体の隙を見つけたのか、真子は、そこへ拳を差し出した。 しかし、芯に軽々と受け止められた。 芯が、にやりと口元を上げた時だった。
!!!!!!!
真子の回し蹴りが、芯の脇腹に決まる。
「お見事です……」
それは、芯の想像を超えるほど、力強く、そして、素早かった。
芯が体力造りと称して、真子に教えている格闘技。
組員達が怖い。 もしかしたら、自分が狙われるかもしれない。 その時に、組員達が自分を守ってしまう。 自分は何も出来ないまま、あの日のような事が目の前で起こるのは嫌だ。 強くなりたい……みんなを守りたい…。
真子が芯に相談したことは、学校の他にもあった。 芯は、真子の元・教育係である春樹に相談し、そして今、護身術も教え込んでいた。 日に日に上達する真子。少しばかり八造に習ったといっても、教え始めた頃は、ここまで上達するとは思っていなかった芯。いつの間にか、『本格的』に教え込んでいた。 それを必ず栄三が見つめている。真子は気にしているが、芯は、ただ、栄三の本来の姿・ボディーガードとしての仕事をしていると思っていた。万が一、真子に怪我をさせるような事をしたら、恐らく、栄三は行動に出るだろう…。 芯は常に、そう考えながら、真子に教えていた。 真子の汗が、真子の蹴りと同時に辺りに飛び散る。 それを観て、芯は、
「今日はこれまで」
「はい! ありがとうございました!」
元気よく挨拶をする真子。
「私は午後から出掛けますので、ゆっくり時間をお過ごし下さい。
今日は激しく動きましたので、体の方に負担が掛かりますから」
「大丈夫なのに?」
「真北さんからお聞きしてますよ。はしゃぎすぎた次の日は
必ず熱を出してると」
「もぉ〜。大丈夫なのにぃ〜」
真子はふくれっ面になった。
「きちんと着替えてから、くつろいで下さいね」
「心得てます。では、失礼します。気をつけて行ってらっしゃいませ」
真子は、深々と頭を下げて、側に置いてあるタオルを手に取り、屋敷に向かって駆けていった。
ったく、あの挨拶は、組員の影響なんだろうな…。
真子の言葉遣いを気にしながら、芯は、後かたづけに入る。 ふと、目をやった。 そこには、真子の姿を目で追いかける栄三の姿があった。 何かを思ったのか、栄三は突然、真子を追いかけていく。
お嬢様に嫌われるなよ〜。
そう思いながら、芯は道場の方へと向かっていく。 まだ、動かし足りないらしい。
「…あの……四代目?」
飛鳥が、恐る恐る尋ねるが、
「だから、慶造が父親だろがっ。その父親が聞くのが
当たり前の事だろうがっ」
春樹が怒鳴る。
「真子のことは、お前に頼んでるだろうがっ。だから、
お前が聞くのが当たり前だっ!」
「俺は育ての親だ。本来の親は、お前だろっ!」
「真北が聞けっ」
「慶造が聞けよっ!」
先程から、この二人は、このやり取りを続けている。 招かれた飛鳥をほったらかしたまま…。
「…四代目、真北さん」
「なんだよっ!…あっ……」
強い口調で名前を呼ばれて飛鳥の存在を思い出す二人。
「す、すまん…」
「兎に角、真子お嬢様のご意見をお聞きしてから、
そのお話をお奨め致します。それで構いませんね?」
飛鳥の口調は、どことなく笹崎を思わせる。
「…ったく、強引に物事を終わらせる…飛鳥の性格は
笹崎さんと似てるよな…」
「恐れ入ります」
「誉めてないぞ?」
「私にとっては、嬉しいことです。それでは、私はこれで」
飛鳥は、席を立つ。
「…あっ、そうでした」
何かを思い出したのか、急に振り返り、
「どちらかが尋ねるのではなく、お二人で真子お嬢様に
お聞きすれば、よろしいかと思います。では、失礼しました」
まるで二人を抑え込むかのように言って、飛鳥は慶造の部屋を出て行った。
「益々……笹崎さんに似てきたよな…」
しみじみと慶造が言った。
「そうだな」
笹崎の事を良く知ってる二人だからこその言葉。 二人は同時に煙草に火を付け、煙を吐いた。
稽古が終わり、汗を拭きながら部屋に向かっている真子に声を掛けたのは、栄三だった。
「お嬢様、お疲れさまです」
「……なんでしょうか」
「あの、山本に『参った』と言わせてみませんか?」
栄三は、健と向井の一件以来、真子には気付かれないように、そして、周りに悟られないようにと、真子に何かを教えていた。それは、組のことだけでなく……。
この日、真子は、栄三に『攻撃』を教わった。
「栄三さん、私にこんなこと教えて何をしたいんですか?」
「えっ?」
「いつもこうしてこっそりと教えてもらっていること、喧嘩の仕方でしょ?
私が嫌いなこと知っているのに、どうしてですか?」
「慶造さんは、跡目をお嬢様に…とお考えになっている様子ですので」
「私には、無理…。だって……怖いから…」
真子が静かに言った。
「怖くないようにと、山本に格闘技を習っているのでは?
山本の教えるのは、護身術。お嬢様の身に何かが
襲ってきた場合の事を考えての行動ですよ」
「それなら、なぜ、栄三さんは、私に、喧嘩の仕方まで教えてくれるの?
私に、お父様の跡を継げとでも?」
「駄目ですか?」
「私……嫌だから……。みんなが怪我する所…もう……」
真子の表情を見て、栄三は、あの日のことを思い出していた。 ちさとが、真っ赤に染まり、真子のことを気に掛けながら、気を失っていく姿を…。
黒崎の野郎……。
栄三の心に、怒りの想いが沸き立った途端、栄三は、真子に手を掴まれた。
「!!! お嬢様?」
「……黒崎って? …栄三さん、どうして、その人の事を?」
し、し、しまったっ!!!
栄三は、心の声を真子に聞かれてしまった。 慌てて、真子の手を払うが、真子は巧みに掴んでくる。
「お嬢様、失礼します!」
そう言ったものの、真子の手から逃れられない。 真子は、栄三の腕を後ろ手にし、栄三を壁に押しつけた。
う、嘘だろ……俺が、どうして……。
「栄三さん、教えてください。その黒崎って人をどうして、憎んでるの?」
言えない……それだけは……。
「言ってください!!」
真子は、栄三を更に壁に押しつける。
どこから、こんな力が…。
「腕…折れますよ?」
やんわりとした言い方だが、どことなく、怖い…。
お嬢様に、こんな力があるとは。 もし、あの日の事が知れたら…。 ちさと姐さんが、組同士のいざこざで……。
「………お母さんが亡くなったのは、私が無理言って公園に
行ったのが、原因じゃなかったの? まさか…組同士の…って
やくざの世界で……お父様が生きている世界で?」
「そ、それは…!!!!」
栄三は、一瞬のうちに、目の前に真子が居ることに驚いた。 後ろ手にされていたはずなのに、いつの間にか、胸ぐらを掴み上げられていた。
「教えてよ!! 教えて!!」
真子の悲痛な叫び。この後は、健と向井の時のように、自分が殴られるかもしれない。 そう思った時だった。
「殴らないから、教えてよっ!」
真子の眼差しに、栄三は負けてしまう。
「約束…して下さいますか?」
「何を?」
「お嬢様は、絶対に、その手で相手を傷つけない…と」
「……解らない…状況によっては、解らない…。でも、私は……」
ママと…約束してるから…。
真子の呟きは、栄三の耳に届いていた。 ちさととの約束。 それは、真子とちさとの二人だけの約束事だった。 命を大切にしたいと言っていた、ちさととの約束。 栄三は、それを想った途端、体の力が抜けた。 真子を見つめる栄三は、真子の真剣な眼差しに、禁じられている事を、真子に告げてしまう。
「組員が……敵対している黒崎の姐さんを狙ってしまいました。
その事で、姐さんと息子が亡くなり、それが原因となって、
黒崎組は、同じ目を遭わせようと、ちさと姐さんを狙ったそうです」
栄三の言葉を聞いた瞬間、真子の目に、怒りが籠もった。 栄三の胸ぐらを掴み上げている手が、小刻みに震え始める。
「……!!!」
真子は、栄三を床に押し倒し、そして、とある場所に振り返った。 栄三の目の前にある、真子の拳が、力強く握りしめられる。そして、真子は走り去っていった。
「お嬢様っ!!!」
栄三の声は、真子の耳に届かなかった。
春樹と慶造は、二人っきりになった途端、煙草に火を付け、何話すことなく、のんびりと時を過ごしていた。 二人が考えることは一つ。 愛娘である真子のこと。 慶造は、勢い良く煙を吐き出した。
「…飛鳥の言った通り…。世間の冷たい目には、真子は慣れてない。
やはり通わせるのは良くないかもな…。真子の能力を考えると…」
「そうやって、いつまでも閉じこめていると、益々真子ちゃんから
笑顔が消えるだろうが。それに、同じ年頃の子供達と接する事も
必要だと思うがなぁ。ここは、歳が近いとしても、八造くんだろ?」
「それもそうだが……」
「楽しく過ごしていたら、それこそ、心の声は聞こえないって」
「そうだったら、いいけどな……」
煙草をもみ消す慶造。そして、新たな煙草に手を伸ばした時だった。
『お嬢様っ!!』
栄三の声が廊下に響き渡る。それと同時に慶造の部屋のドアが開き、真子が飛び込んできた。
「真子?!?」
慶造が声を掛けるが、真子の耳には届いていないのか、息を切らしたまま、慶造を睨んでいる。
「真子、どうした?」
「お父様が原因なの? …ママが死んだのは…お父様の…せいなの?」
真子は、そう叫びながら、慶造に突っかかっていく。
な、なに?!
真子の力に驚く慶造。 慶造は、真子に押し倒され、胸ぐらを掴み上げられていた。
ま、真子ちゃん?!
突然の真子の行動に驚いたのは、慶造だけでなく、側に居た春樹もだった。
真子ちゃんを落ち着かせなければ…。
そう思い、手を伸ばす春樹。その時、真子の手が震えている事に気が付いた。
「お父様が、やくざだから? だから、狙ったり狙われたり、
いつまでも、こんな事が繰り返されるのね……そうなのねっ!!」
真子の目から涙が溢れ、それが、慶造の顔にポタポタと落ち始める。
「……真子………」
慶造は、真子を呼ぶだけで、それ以上何も言えない。 自分だけでなく、真子も同じ思い。そして、怒りの感情を持っている…。 真子に怒りの感情が……あった…。
真子の体が、慶造から離れる。春樹が真子を抱きかかえていた。 真子を追いかけてきた栄三と、真子と栄三の事が気になり様子を伺っていた芯が、ドアの所に突っ立って、この様子を見つめていた。 それに気付いた慶造は、ゆっくりと起き上がり、服を整え、真子を見つめた。 怒りの形相。 今まで、観たことのない、真子の表情に、慶造は何も言えない。
「許さない……許さないからっ!!」
真子の叫び声に、誰もが驚く。春樹の手を振り切って、真子は部屋を出て行った。
「お嬢様っ!」
真子の行動に素早く反応したのは、芯だった。芯は真子を追いかけて行く。
「四代目…申し訳御座いません。お嬢様の気迫に負けて、
俺……あの日のことをお嬢様に…」
栄三が震える声で言った。
「気にするな、栄三。本当の事だから」
「慶造、それは違うだろがっ。ちさとさんが狙われたのは…」
「真北っ!」
春樹の言葉を遮るように、慶造が叫び、そして、春樹を睨み上げた。 春樹は、口を噤む。 慶造は大きく息を吐き、項垂れ、
「真子に、あんな感情があったとはな…」
そう呟いた。 春樹は軽くため息を付き、頭を掻き、真子と芯が走り去っていった所を見つめていた。
庭を見渡す縁側に腰を掛け、俯き加減で、一点を見つめている真子。その真子の前に、しゃがみ込んでいるのは、春樹と芯だった。
「真子ちゃん、駄目だよ。あんなことをしては。
いくら、憎くても、暴力は駄目なんだよ」
「憎いんじゃない! 許せないだけなの!!」
「許せないなら、真子ちゃんは、これから、どうするつもりかな?」
「ママが狙われたのは、お父様が悪いからでしょう? だから…
悪い人をやっつけるの。 悪い人をやっつけるのは、いけないことなの?
どうして? 」
春樹は、真子の言葉に何も言えなかった。 自分の立場は、確かに悪い人を捕らえるものだが、それは、時には力でねじ伏せていた。 それを思うと、何も言えなくなる春樹は、口を尖らせていた。
春樹の隣にしゃがみ込む芯は、春樹の表情を観察していた。 口を尖らせる事で、春樹は、真子への言葉を探している。
言えないわなぁ〜。
春樹の行動は、隅々まで知っている。そして、考えも解る。 芯は、真子を見つめた。
「…それは、お互いが、傷つくからですよ」
芯が静かに言った。芯の言葉を聞いた真子は、芯を見つめる。 何かを深く考えている事は解る。しかし、真子は、首を徐々に傾げていく。
「私…わからない…」
「お嬢様、今はわからなくても、大きくなれば、わかるようになります。
…ですから、もう、あのようなことは、なさらないで下さい。
約束ですよ、お嬢様」
芯は、優しい眼差しで、真子に言った。 真子は、再び考え込み、何かに気付いたのか、
「うん。約束する!」
笑顔で応えた。
「約束ですよ」
芯の言葉に、真子は力強く頷いた。 二人のやり取りを伺っていた春樹は、ホッと一安心。少し離れた所に見つけた慶造と栄三に、少しだけ口元をつり上げて、軽く頷いた。
春樹の言いたいことが仕草だけで解った慶造は、自分の部屋に戻る。 栄三は、元気を取り戻した真子と遊び始めた春樹と芯を見つめていた。
俺も……まだまだだな…。 お嬢様に心配掛けてばかりだ……。
栄三の足は、別の所へと向かっていった。
その日の午後。 芯は、真子に告げた通り、外出中。 その間、真子は勉強をしていた。 春樹と慶造は、慶造の部屋で、煙草を吹かしている。 真子が学校に行くという話を進められずに、困っていた。 何話すこともなく、ただ、向かい合って座る二人。 部屋の空気が白くなり、テーブルの上の灰皿も、徐々に吸い殻が盛り上がっていった。
「山本の言う事は、真子ちゃん、しっかりと聞くみたいだな」
春樹が呟く。なんとなく寂しそうな雰囲気だった。 どうやら、真子の怒りを解いた芯に対して、嫉妬している様子。
「やはり、教師に向いているよな…山本は」
「真子ちゃんも思っていることだよ」
「そうか……。山本のことを、やくざと思っているのかな…。
やくざじゃないんだけどな」
「当たり前だっ!」
春樹は、ちょっぴり怒っていた。
「大学に通い始めたのに、お前が、ここに招き入れるから…」
「俺のせいか?」
「いいや、……」
「俺が、こうでもしなかったら、真北は、一日のうちの数時間を
いつもの訳の解らない行動に使うつもりだったろうが。
今度は、大学の前にでも? それとも、山本の住んでいる
マンションの近くで、様子を伺うつもりだったんだろぉ〜」
慶造の言葉に、二の句が継げない春樹。その表情が、あまりにも滑稽だったのか、慶造は笑っていた。
「だけど、感謝してるよ」
「……慶造………」
「ん?」
「…大丈夫か?」
「俺がお礼を言うのは、そんなに心配なことか?」
「いいや……」
「真子も喜んでいるからさ…」
慶造は、煙草に火を付けた。
ったく…慶造は…。 感謝するのは、俺の方なんだがな…。
そう想いながら、春樹は、目を伏せる。
「あぁ〜そうだった。…山本…大学に休学届けを出したらしいぞ」
「…休学?! 休学してまで、家庭教師をしてるのか??」
「あぁ。……知らなかったのか?」
「後期の講義には、出ていると思ったんだが…」
「外出する時間を考えろ」
「……そういや、一、二時間程だな……」
芯の馬鹿が…。
「お前に対する思いなんだろうな。真子を守るってこと」
「…それは、違うさ…」
春樹は、煙草に火を付ける。
「真子ちゃんが、慶造に突っかかるとはな…驚いたよ…」
春樹が呟く。
「そうだな。真子に、あんな感情があったとはな……」
「怒りの感情…か。……芯が格闘技を教え始めたのが
悪かったんだろうな」
思いっきり煙を吐き出す春樹。
「いいや、栄三が悪いな。あいつは、真子に喧嘩の仕方を
教えているし……」
慶造は、天井を見上げ、ため息を付いた。
「なぁ、慶造」
「ん?」
「栄三には、本当の事を話してやれよ」
「本当の…事?」
「ちさとさんが狙われた、本当の理由を」
「今でこそ、あの行動だぞ、栄三は。その特殊能力の事が
関わっていると知ったら、それこそ、あいつは、無茶するだろうが。
栄三は、真北と引けを取らない程、真子のことを考えるんだからな」
「慶造……」
慶造は、深刻な眼差しをしていた。
「向井と健の時に思ったが、…やはり真子に跡目を…」
「慶造っ!」
慶造の言葉を遮るように春樹が怒鳴る。
「そんなことを言って、真子ちゃんをこの世界に閉じこめるのか?
お前、ちさとさんの意志を無駄にするつもりなのか?」
「いいや。だからこそ、真子の力が必要だと思うんだよ」
「真子ちゃんは望んでいない」
「望んでなくても、真子の行動は、そう語っているようなもんだろ?」
「それは、真子ちゃんの優しさだ」
「あぁ、解ってる。…ちさとと同じだからな……。それに、もう、俺には…」
俺には出来ないだろう。
慶造は、口を噤み、一点を見つめる。
「俺とお前が目指す…新たな世界だよ」
「慶造……」
誰もが切に願う生きること。 生きるためには手段を選ばない極道達。自分の思いを貫くために、時には人の命を奪ってしまう。そのやり取りが続くのは、欲しいと思ったものは、必ず手に入れたがる心意義から。その心意義を貫く為の命のやり取りは、慶造にとって、辛いこと。もちろん、春樹自身もだった。 二人の想いは、立場こそ違っているが、全く同じ。 そして、これから生きていく者達へ残す、新たな世界を目指して…。
「真北ぁ〜」
「言われなくても解ってらぁ〜。…真子ちゃんをよろしく……だろ?」
「……その通りだ」
春樹の優しい表情を見て、慶造は微笑んでいた。 まるで、親分とは感じさせない程…その昔、ちさとと出逢った頃と同じように、優しさ溢れる表情だった。
「ところで、笹崎さんは向井に何を教えてるんだ?」
春樹が尋ねる。
「あん? 料理の事だろ?」
湯飲みに手を伸ばしながら、慶造は素っ気なく応える。
「それなら、いいんだけどな……」
「何か不安でも?」
慶造の質問に春樹は何も応えず、慶造と同じように湯飲みに手を伸ばした。
「真子ちゃんに……笑顔が戻るかな…」
「……飛鳥の言うように、二人で尋ねてみるか…」
「そうだな」
渋々ながらも、親馬鹿コンビは、頷いていた。
真子の部屋。
真子は、芯が作成したテストを行っていた。芯が見守る中、真子は、問題をすらすらと解いていく。 自分の教え方が良いのか、真子の覚えが早いのか…。 芯は、そう考えながら、真子がテストを終えるまで、真子の鉛筆の動きを見ていた。
全問…正解……か。
答え合わせをするまでもない。
「終わりました」
真子が言った。
「全問正解ですね」
そう言いながら、芯は真子が差し出した答案用紙に、赤鉛筆で丸を付けていく。そして、左端に、『100』と数字を書いた。
「はい、お疲れ様でした」
答案を真子に返す芯。その時、真子をちらりと見た。満点を取って喜んでいると思ったらしい。…しかし、真子は暗い顔をしている。
「お嬢様? …すみません…簡単すぎましたか?」
「…あっ、いいえ。その………。ありがとうございます」
その言葉に、何かを感じた芯は、優しく、真子に尋ねた。
「何か、悩み事でもございますか?」
真子は、首を横に振る。
「お嬢様、嘘は、いけませんよ。…私では、ご相談相手には
無理ですか?」
「そんなことありません!! でも……山本先生……笑うと思うから…」
「う〜ん。相談内容によっては、笑ってしまうかもしれませんが、
悩み事は、心に秘めていては毒ですよ?」
「……八造さんにも言われた事ある……ママが亡くなった頃に」
「その時は、どうされたんですか?」
「八造さんの胸を借りて、思いっきり泣いたの。…そうしたら、
少し…楽になった」
「…真北さんでは、なかったんですか?」
芯が尋ねた。
「真北さん…ママの事で、とても落ち込んでいたから……でも…
私が無事で良かったって……」
「えぇ…」
芯は知っている。 自らの身の危険よりも、周りの者を心配し、そして、無事を喜ぶ、春樹の姿を。その昔、何度も何度も…。 その時の、春樹の仕草と表情も、目を瞑れば、簡単に脳裏に浮かぶ。
「山本先生?」
上の空のような雰囲気の芯を見て、真子は首を傾げ、呼びかけた。 我に返る芯は、何かを誤魔化すかのように、そして、心を無にして、真子を見つめ、そして、再び尋ねる。
「悩み事は?」
芯の尋ねることに、真子は何も応えない。 ギュッと唇を噛みしめる。 何かを決心したらしい。 真子は、芯を見つめ、静かに語り始めた。
「あのね……その……。……怖くて…」
「組員のみなさんのことですか? 護身術の方は、かなり身に付きましたし、
それに、お嬢様は…栄三の教えもあって、動きも驚くほどの速さに
なりました。だから、恐れることは…」
「でも…表情が怖くて……。解ってるの、解ってる。みなさんが
怖い表情をするのは、威厳を見せるためだって。…健さんが…」
「本当に、小島兄弟は、やくざの心得ばかりをお嬢様に…」
あの人が言うように、厄介な兄弟だな…。
「笑ってる顔は、食堂に居るみなさんの表情だけなの。
他のみなさんも…笑顔…持ってるよね?」
「人に備わったものですから、それを表に出すか隠すかは、
その人が過ごす環境によりますよ。本部の外では、
笑顔で過ごす人々も居ます。ですが、こちらのみなさんは
笑顔はあまり見せませんね。慶造さんへの挨拶の時も…」
「それが…怖いの…。みなさんがお父様に御挨拶するとき、
表情が急に変わるでしょう? 先程まで笑顔で
みなさんとお話していたのに」
「それが、四代目としての威厳ですよ。慶造さんの前では
小島兄弟のように、笑っていると、他の親分さんに……」
そこまで言って、芯は口を噤む。
俺は、何を話してるんだよ…。
「あの…山本先生?」
「あっ、は、はいっ!」
「山本先生は……お父様とお知り合いだったの? 向井さんは
レストランでお逢いしたから、お父様とはお話した事あるけど
山本先生は? やはり、他の家庭教師の方のように、飛鳥さんや
笹崎さんからの御紹介ですか?」
「いいえ、その………私は、…街で暴れてまして……」
う〜ん、そんな期待した眼差しで見つめられると… 本当の事…言えませんよ〜〜。一般市民に迷惑を掛けていた奴らを…
「もしかして、迷惑を掛けていたのが……ここの組員さん?」
「本部の人ではなくて、他の街にある系統の組の奴ですよ」
って、応えてしまったっ!!!!!!!
「それで、お父様に何かを言いに来たの?」
「はぁ、まぁ…そんなとこですね……」
飛鳥さんのお付きの人を倒したとは言えないな…。
「守宮さんを?!???」
「わちゃぁ〜」
芯は、やっとこさ、真子が心の声を聞いてしまうことを思い出す。
「すみません。お嬢様には隠せませんね。その通りなんです。
どうしてなのかは、解らないのですが、街で暴れている私を
慶造さんが探していたそうです。人に迷惑を掛けている者を
片っ端から片づける私を心配して、それで…」
「……ごめんなさい!!!」
「って、どうして、お嬢様が謝るんですか??」
真子の突然の行動に、芯は驚き、慌てたように、真子の肩に手を置いた。
「頭を上げて下さい」
「だって、…その……お父様の代わりに…」
「慶造さんは、充分、私に仰って下さいましたから」
「…そう…なの?」
顔を上げた真子は、首を傾げる。
…………。
その仕草に、芯は絶句……。 気を取り直して……。
「挨拶の時の……表情ねぇ……」
「…はい……」
真子は首を縮める。 芯は、真子の仕草を見て、これは本当に大変なことだと思っていた。
(2005.6.18 第六部 第二十八話 UP)
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