任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第六部 『交錯編』
第二十九話 いつの間にやら……

真子の部屋では、真子が言いにくそうな表情で、芯を見つめていた。

慶造に挨拶するときの、組員の表情が怖い…

真子が、重い口を開いて言った事が、そうだった。
芯は、真子の言葉を受け止め、そして、優しく語り出す。

「その世界では当たり前の事ですから、それだけは
 止めろとは…私からは言えませんね。……ん???
 でも、お嬢様が御一緒の時は、玄関や門には…」
「あっ、それは、私が…その………聞いちゃうから…」
「真北さんが抑えてる訳か…」

本当に、お嬢様のことしか考えてないなぁ。ちっ。

「廊下ですれ違う時や、庭や道場で見掛けた時の仕草か…」
「急に頭を下げて…それで、ビシッとなるから…」
「なるほど……」

芯は腕を組んで、口を尖らせた。そして、一点を見つめ、深く考え込む。その仕草をジッと見つめていた真子は、ふと、誰かに似ていると思った。

「お嬢様、みなさんに、楽しい名前を付けてみますか?」
「楽しい名前?? でも、みなさんには、お名前は、既に…」
「えぇ。でも、仲の良い者同士は、名前に『さん』は付けませんよ。
 例えば、栄三が、健を呼ぶように…」
「………そういえば……。…あれ? 山本先生が、栄三さんを
 呼ぶときは、『さん』を付けないんですか?」
「仲良くない人は呼び捨てます」
「……お父様と真北さんは、仲良くないの?」
「えっ?」
「お互い…呼び捨ててるから…」

真子は矛盾に気付き、芯も真子の言葉で矛盾に気が付いた。

「………。そうでした……う〜ん。あだ名…というんですが…」
「あだ名???」
「愛称と言いまして…親しみを込めて、別の名前で呼び合うことです」
「…親しみをもてば…怖くないかな…」

真子は、ちょっぴり不安なのか、暗い表情になった。

「そうですね。怖くなくなりますよ!」

芯は笑顔を真子に向けた。その笑顔は、真子の心にある恐怖心を取り除いたのか、真子の表情は、みるみるうちに明るくなっていった。

「それなら、まず、私から付けてみますか?」
「山本先生………」

真子は、芯を見つめた。
芯は、茶色い髪の毛をしている。それは、幼い頃に病気がちで、薬を飲んでいた為、それが成長過程と同時期だったので、影響したのか脱色してしまったらしいと話していた。

「茶色い髪の毛……」
「…それは、止めて下さい」
「ごめんなさい……」

真子の言おうとしたことが解ったのか、芯は真子が口にする前に、真子の言葉を止めた。
真子は、芯を見つめた。
ふと、目に飛び込んだもの……。

確か…あれは……。

「…ペン…をこう…持ってるから……」

芯の鉛筆の持ち方には、特長がある。
真子に教えている時には、必ず鉛筆を持ち、時々、くるりと親指の上で回していた。時には、五本の指の間を、素早く動く。まるで、鉛筆が生きているかのように……。その仕草が、真子の目には不思議な光景に写っていた。

「ぺんこう!!」
「ぺ、ぺ……ぺんこう?!????? …どうしてですか??」
「いつも…鉛筆を、こうやって持ってるでしょう?」

真子は、芯の鉛筆の持ち方を真似するが、鉛筆は親指の上では回らず、すぐに落ちてしまう。

「こうですか?」

指の間で、鉛筆を動かす芯。

「うん!! それに、鉛筆は、英語でペンシルでしょう?」
「え、えぇ…」

本当に、簡単な英語を御存知なんですから…。

ニッコリ笑う芯は、

「解りました。私は、これから、『ぺんこう』です」

何故か、真子の言葉に従った。

「では、八造くんは?」
「八造さんは……猪熊八造という名前…いのくま…はちぞう…
 ………くまはちっ!」

真子の言葉に、思わず吹き出して笑う芯。

「くまはち……なんだか、熊のイメージは無いけど」

……似合わないな……

「では、向井さんは?」
「…むかいん!」
「山中さんは?」
「ヤマナー」
「北野さんは?」
「…キタッチ!」

芯が読み上げる人物に、次々とあだ名を付けていく真子。芯は、真子が付けたあだ名を、素早くノートに書いていく。しかし、たった一人だけ、抜けている。

「それでね、真北さんは……まきたん!」

芯は、レストラン前で逢った時の事を思い出す。
あの時、真子は、春樹のことを『まきたん』と呼んだ。しかし、春樹は直ぐに、呼び方を変えるようにと、真子に言っていた。

「それは、真北さんが嫌がりませんか?」

思わず尋ねていた。

「……そっか…真北さんは、真北さんと呼んで欲しいと言ってた…。
 どうしてだろう……。………嫌なのかな…。もしかして…みなさん…
 嫌がるかな………」

真子は、芯をジッと見つめた。

「山本先生は……嫌?」

真子が首を傾げる。
その仕草は、とてもかわいくて、それでいて、何かにそそられる…。

「いいえ。お嬢様がお付けになった『あだ名』ですから、気に入ってますよ」
「そう?」
「えぇ」
「では、山本先生は、今日から、ぺんこう!!」

真子の声が、明るくなった瞬間だった。



真子の勉強時間が終わり、真っ赤になった木々が美しい庭で、芯と一緒に楽しい一時を過ごしていた。
そこへ、八造がやって来る。庭に真子の姿を見つけると、素早く真子に駆け寄った。

「お嬢様。只今戻りました」
「お帰り! くまはちっ!」

真子の言葉に、八造は驚き、何が何だか解らない表情へと変わる。
思わず辺りを見渡す。
誰も居ない。
再び、真子を見つめる八造。

くまはち……って、何???

八造は、目をぱちくりさせている……。

「お嬢様、急に呼ばれると、みなさん驚きますよ。順序があります」
「そうですね。……あのね、八造さん」
「はい」
「今日からね……」

真子は、芯と話し合い、あだ名を付けた事を八造に話し始めた。真子の言葉は一言一句逃さないようにと、八造は耳を傾けている。
真子の声が弾んでいる。
本当に楽しそうだった。

「そうでしたか。急に呼ばれて驚いてしまいました。
 私は……くまはち…ですか?」
「うん!」
「山本先生は?」
「ぺんこう」

思わず吹き出す八造。

「笑うことないだろが。俺は、八造くんのあだ名に吹き出したけどな」

負けず嫌いの芯。

「向井さんは、むかいん」
「栄三と健は?」
「………………あっ……………」

どうやら、二人の事を忘れていた様子。
芯も八造に言われて思い出したらしい。

「まだ付けておられないのなら、私が付けましょう」
「いいの?」
「えぇ。…そうですね………いい加減な所ばかりだから…
 『ええ加減』…というのは?」
「そのままだと思うぞ」

芯が応える。

「いい加減で、ええぞぉ〜かな…」

続けて芯が言った。

「それだと、健は、おちゃらけん…だな」

八造が笑いながら言う。それには、思わず芯も笑っていた。

「しかしなぁ」

いつの間にか、栄三と健のあだ名を面白可笑しく考える芯と八造。その雰囲気に、真子の表情が和んでいた。そして、とうとう、声を挙げて笑い出す。

「ふふふふ!! もぉ〜。ぺんこうも、くまはちも、どうして
 栄三さんと健さんの事には、そう冷たくなるの?」
「お嬢様…」

真子は、笑っていた。
その笑顔が、芯と八造の心に突き刺さる。

やばっ!

二人は同時に、真子から目を反らした。

「ほへ?!」

急に目を反らした二人に驚く真子だったが、

「栄三さんは、ひらがなで『えいぞう』。健さんは、以前から
 『さん』は要らないと…呼び捨てて下さいと仰ってたので、
 健のまま!」
「…は…はぁ…そうですか…でも、ええ加減でええぞぉ〜も
 おちゃらけんも…結構楽しそうですけどね」

本当に楽しんでいるのか、八造が言う。

「それだと、お二人とも、本当に怒りますよ?」

真子が、ちょっぴり怒った口調で言った。
芯と八造は、思わず口を噤み、シュンと項垂れてしまった。
そして、真子が付けたあだ名は、瞬く間に、本部内に広まっていった………。





高級料亭・笹川
厨房での仕事中の向井は、この日も笑顔が絶えない。
真子と約束した事を、きちんと守っている。笑顔を絶やさないよう心掛けてからは、向井の腕も上達していた。

「向井ぃ、おやっさんが呼んでる」
「はいっ、すぐに!!」

そう応えたものの、向井は、調理中のものを作り終えるまで、その場を離れようとしない。

「出来た! これ、お願いします」

そう言って、向井は厨房を出て行った。


笹崎の部屋へ向かって歩いていく向井は、廊下ですれ違う先輩料理人や従業員に丁寧に挨拶をし、笹崎の部屋がある廊下を曲がる。

「おやっさん」

部屋の前に、笹崎が立っていた。

「呼ばれたら、すぐに来い」
「申し訳御座いません!!!」
「まぁ、いい。入れ」
「はっ、失礼します」

部屋に通された向井は、いつもの席に腰を下ろす。ふと、テーブルの上にある箱に目がいった。

なんだろう、これ…。

気になりながらも、笹崎の言葉を待つ向井。やはり正座は苦手なのか、すぐに足がむずむずとし始める。

「足…崩していいぞ」
「いつもすみません」

そう言って、直ぐに足を崩す。

「慶造さんから聞いたんだが…。あの八造くんと山本先生の
 手合わせに加わったそうですね」
「加わったと言いますか…その…あの日、お嬢様が朝食をお待ちだったので、
 気になりまして…。それに、あの二人は、倒れるまで、続けそうだったので
 思わず…」
「思わず引き留めたって訳か…」
「はい……すみませんでした…」

恐縮そうに首を縮める向井に、笹崎は微笑んでいた。

「その慶造さんから、極秘に依頼がありましてね」
「依頼??」
「その箱を開けてごらん」
「………何か飛び出す…とか……そんなことありませんよね?」

何故か警戒する向井。

「さぁ、どうだか…」

笹崎の言葉に疑問を抱きながらも、向井は目の前にある箱を恐る恐る開けた。
中には鋭く尖った物が入っていた。

「爪……ですか?」
「爪というか、指に付ける武器だ」
「………これを使って料理を????」

向井の言葉に、笹崎は目が点になる……。しかし向井は、そんな笹崎の表情に気が付かない程、箱の中の物を見つめて、考え込んでいた。

「細く切るには、使い易いかもしれませんが…。う〜ん」

向井の頭には料理の事しか無い様子。

「使いにくそうな感じですね…。すみません。私には
 使いこなせないと思います。それに、私は、おやっさんに
 頂いた包丁だけで充分です」
「包丁では、守れないだろ?」
「……守る…?」

その時初めて、笹崎の意図に気付く向井は、驚いたように目を見開いた。

「俺は…嫌ですよ。…人を傷つけるような行為は…。
 確かに喧嘩っ早いし、短気だし、危険を察したら
 先に手を出してるけど、喧嘩はいつも相手が……」
「誰もやくざになれとは言ってないだろうが。…まぁ、確かに
 俺は、元やくざだ。だからって、息子のように思っている
 向井や従業員に、強要してまでやくざになれとは言ってない」
「それなら、なぜ…」
「真子お嬢様の側に居るなら、必要かと思ってな」
「必要…とは…」
「真北さんは素手。山中君は日本刀。八造くんも素手で大丈夫だが、
 銃や日本刀の扱いも優れている。山本先生は、格闘技が得意。
 それに、夜の街で日本刀を片手に暴れていたという経歴の持ち主だ。
 だけど、向井は何の武器も無い。素早い動きだけでは、難しい
 時だってあるだろう? それに、包丁は、料理の為に使う物。だから…」
「確かに、俺はお嬢様の専属料理人に任命されました。しかし、
 お嬢様のガードまでは、聞いてません。八造くんが、その役目でしょう?
 俺まで、そのような事を行うと、益々お嬢様の笑顔が…」

向井の言いたいことは解っている。しかし、笹崎は、どうしても、箱の中にある武器を向井に託したいという思いがある。

「これは、俺が若いときに使っていた武器だ。…やくざな世界で
 生きることになった時に、腕の良い刀鍛冶に造ってもらった。
 手入れをしなくても、充分使用出来るもの。いつでも使える代物だ」

向井は、その言葉で自分がもらった包丁も、同じ刀鍛冶に造ってもらった物だと悟ってしまう。そして、沸々と浮かぶ疑問に、大きく息を吐いた。そして、怒りを抑えるかのように、グッと拳を握りしめる。

「おやっさん! 俺は、こんな武器…頂けません。それに、
 使う時なんか、絶対にありません!!」
「…確かに、これは武器だが、俺が大切にしているものは
 向井に託したいんだよ」
「どうして…ですか?」

向井の問いかけに、笹崎は暫く口を噤んでいた。
向井の眼差しが、徐々に強くなり、笹崎に突き刺さる。
意を決したのか、笹崎は口を開いた。

「向井の心を知るためだ」
「俺の……心…?」
「これは、向井に託す。これをどう使うかは、向井の心次第だ」
「武器を武器として使うな…ということですか?」

それには、笹崎は応えなかった。
向井は、箱のフタを閉め、その箱を自分の側に引き寄せ、大切そうに手で包み込んだ。

「お預かり致します。しかし、私は、二度とこの箱を開けないかも
 知れません。おやっさんから預かった大切な物として、
 保管しておきます。…それに、私はお嬢様をお守りするのではなく、
 お嬢様の笑顔を増やす事が、生き甲斐ですから。…お嬢様の為に
 楽しくて、心が和む料理を作ること…それが、俺の思いです」
「あぁ。解ってる」
「……だけど、どうして、慶造さんは、俺に…」
「慶造さんの本能が、向井くんの何かに反応したんだろうな」
「俺…………。……そんなに厄介ですか???」

そう言った向井の表情は、ものすごく落胆していた。
あまりの落胆した表情に、笹崎は、なぜか笑い出してしまう。

「くっくっく……はっはっは!! 向井くん、なんて表情だよ!」
「だって、おやっさん! 慶造さんが思ったってことは、俺って…」
「違う違う! 違うって。真子お嬢様の側に、心強い男が現れて、
 安心してるんだって」
「それなら、そうと、仰って下さいぃ!!!」
「すまんすまん!!」

と言いながらも、笑っている笹崎に、

「おやっさんっ!!!!!」

向井は思わず怒鳴ってしまった。





夜空に星が輝く頃、またしても、またしても……二人の男が縁側に座って、煙草を吹かしていた。

「ふ〜ん、向井君がねぇ〜」

銜え煙草で春樹が、軽い口調で言った。

「あぁ。笹崎さんも驚いたってさ」

慶造は、笹崎に頼んでいた事を、一部始終、春樹に話していた。ちらりと春樹に目をやり、慶造は、煙草を吸い終わり、新たな一本に火を付けた。

「俺も驚くよ。暴れ好きで包丁には五月蠅いって言ってたろ。
 だから、喜ぶかと思ったんだが……」

空を仰ぎ、自分が吐き出す煙に目を細める慶造は、

「根っからの料理人だったって訳だ…」

安心したような口調で呟いた。

「…安心か?」

目だけを慶造に向けて、春樹が尋ねる。
暫く、煙草を味わうように吸う慶造は、灰皿に灰を落としながら、

「あぁ」

と短く応えた。

暫く沈黙が続く。
ジッポーの音が夜の静寂に響き、新たな煙が空に上る。

「ところでよぉ」

慶造が口を開いた。

「あん?」

いい加減そうな口調で返事をする春樹。

「あれ……なんだよ」
「あれ…とは?」
「真子が言ってるだろ、ほら……ぺんこう…とか、くまはち…とか…」
「ん? …あ、あぁ、あれか。俺は、まきたんだぞ」
「それは、昔からだろうが。………あぁ、成る程、そう言うことか」
「そう言うこと」
「なぜだ? 別に、そんな呼び方せんでも…」
「気になるか?」

慶造に尋ねながら春樹は、寝転んだ。

「…気になる。……って、そんなとこで眠るなよ」
「眠らないって。…慶造は、却下か?」
「いいや。別に…。だから、どうして、そう呼び始めたんだよ」
「芯だよ」
「お前の弟が? 何を考えてる?」
「真子ちゃんの事」
「真子の事を考えて、あの呼び方?? …解らん……」
「笑顔…減ったろ」
「まぁ…な」
「何に怯えてるのか。芯が尋ねたらしいよ。真子ちゃんは、心の声を
 聞いてしまう事は芯も知ってる。それとは別に、真子ちゃんは
 組員を怖がっているんだよ」
「栄三や健、八造を平手打ちする程なのに???」
「それは、栄三たちの事を想っての行動。それに、あいつらは、
 真子ちゃんに対しては、笑顔を見せるだろ」
「そうだな」
「他の組員は違う。特に玄関先に居る奴や門番がな。挨拶する仕草や
 声が、真子ちゃんにとって怖い対象の一つだってさ」
「弟が言ったのか?」
「まぁな」

寝転んだまま、春樹は、灰皿で煙草をもみ消した。

「そこでだ。芯は、何を思ったのか解らんが、組員をかわいい名前で
 呼んでみたらどうかなぁ…って。そうすれば、恐怖感も和らぐだろうって
 それで、真子ちゃんが付けたんだ」
「………お前の弟や八造くん以外の……組員全員か?」
「真子ちゃんに話しかける組員だけだよ」
「ということは…」
「ヤマナー、キタッチ………」

春樹は、真子から聞いた、新たな組員の呼び名を全て語り始める。全て聞いた慶造は、思わず笑い出してしまった。

「ということは、俺も、そう呼ばないと駄目なのか?」
「……そうだな……」
「……慣れないぞ…」

慶造が嘆く。

「ま、いいんじゃねぇの?」

軽い口調で応える春樹に、慶造は笑っていた。

「こりゃぁ、先が思いやられるよ」
「慶造や俺には、絶対に似合わないよなぁ、その呼び方」
「そうかなぁ。真北には、似合ってるぞぉ」
「それなら、慶造には、一番お似合いって事だな」
「あのなぁ〜……。…ん? …栄三と健は、そのままか?」

ふと何かに気付いた慶造は、春樹に尋ねた。

「芯と八造くんが、色々と考えたらしいけど、どれも真子ちゃんが
 気に入らなかったらしくて、それで栄三は、ひらがなで『えいぞう』、
 健は、そのまま『健』だってさ。ほら、健は真子ちゃんに
 呼び捨ててくれと言ってたろ。それを参考にしたらしいよ」
「それで、どうして組員に広がっていくんだ?」
「食堂が発端。真子ちゃんが呼んでいたら、いつの間にか
 みんなも呼び始めて、真子ちゃんが居ない所でも、そうやって
 呼び合い始めたそうだよ。なんだか、雰囲気が軽くなったな」
「それが良いのか悪いのか…」
「真子ちゃんの笑顔が少しでも増えるなら、良いんだよ………」
「……あぁ、そうだな」

慶造が返事をしたが、春樹は何も言わなくなった。気になった慶造は、ちらりと春樹に目をやると……。

「ったく、そんな所で寝るなって」

春樹は、気持ちよさそうに眠っていた。
慶造は、夜空を見上げ、そこに誰かが居るかのような眼差しになる。語りかけているのか、慶造は一点を見つめたまま動かなかった。
足音に振り返る。

「……山本。どうした」

芯が立っていた。どうやら芯も夜空を眺めながら、心を和ませようとしていたらしい。

「すみません…」

芯は、慶造だけでなく、春樹の姿にも気付き、諦めたように踵を返す。

「気にするな」
「しかし…」
「こいつは眠ってるから」
「それでも芯から眠る人ではありませんから」
「山本の気配で目を覚まさないんだぞ、眠ってるって」
「……それもそうですね」
「座れよ」
「はっ、失礼します」

芯は、慶造の隣、春樹とは反対側に腰を下ろし、空を見上げた。

「お嬢様の仰る通り、ここで、こうしていると、落ち着きますね」
「真子から聞いたのか」
「はい。時々眠れない日がありまして、その日は、部屋の外で
 のんびりと時間を過ごしていたんです。それをお嬢様が
 気付かれて、そっと教えて下さいました」
「真北が居ない日に来てたのか?」
「えぇ。まさか、今日は居られると思いませんでしたね」
「暫く居るそうだ」
「そうですか」

ぶっきらぼうに応える芯を見て、慶造は微笑んでいた。
慶造は、自分の煙草の箱に手を伸ばし、芯に勧める。

「吸うんだろ?」
「御存知でしたか」
「あぁ」
「頂きます」

芯は、突き出た煙草をそっと掴み取り出した。慶造がジッポーの火を差し出す。芯は、軽く頭を下げて、煙草の先を近づけ、火を付けた。吐き出す煙に目を細める。

「愛用の煙草…これだろ?」
「えぇ」
「……で、いつから吸っている? 高校生の頃は真面目だったんだろ?」
「卒業して、街で暴れ始めた頃からですね。…人を殴り、そして、
 相手の血を浴びて、この手を赤く染めてしまった時、思わず……。
 …自然と心が落ち着いていく…それで、いつの間にか、
 やみつきになっていましたね。……でも、その人に見つかると
 補導されるんでしょうね」
「それはないだろ。こいつは、刑事じゃないからなぁ」
「そうですね。…一番嫌っていた……やくざそのものですよ」

そう言って、煙を吐き出す芯だった。

「私が喫煙者と、いつ解ったんですか?」
「臭いだよ。喫煙者独特の…な。かなりヘビーだろ?」
「それは、解りません」
「まっ、俺は何も言わんが、こいつにだけは、ばれるなよ」
「気にしてませんから」
「でも、歩きながらと、真子の前では、吸うな」
「心得ております」
「マナーも守る事」
「はい」

慶造も煙草に火を付け、芯と同じように煙を吐き出した。

「あれ? 体…弱いんじゃなかったか?」
「それは、格闘技で体を鍛える前の話ですよ。…って、その人から
 お聞きになられたんですか?」
「まぁ、少しばかりな」
「体が弱くて、小さな頃は、病院に行く日がほとんどでした。
 その人に、あまり負担を掛けないようにと、体を鍛える為に
 通い始めた道場で、腕を見込まれて、本格的に始めたら
 いつの間にやら、師範になってましたね」
「剣道も習っていたのか?」
「あらゆる格闘技は、身につけてます。もちろん、剣道も。
 しかし、剣道と日本刀では、扱い方が少しばかり違っていて
 難儀しましたよ」
「…今度、山中と手合わせしてみるか?」
「相当な腕だとお聞きしております。私は、そこまで強くありません」

芯は吸い殻を灰皿に入れた。

「まぁ、いつか、やってみろよ。あの時みたいに、こいつを
 驚かせてやれ」
「それとこれとは、関係ありませんよ」
「八造君を殴り飛ばした時は、俺も驚いたよ」
「その人の方が驚いていたみたいですけどね」
「ったく、冷たい言い方だなぁ」

慶造も吸い殻を灰皿に入れた。

「体の方は、本当に良いのか?」
「良いと言いますのは?」
「こいつから聞いた話は………!!」

話を続けようとした慶造は、腕を掴まれた事に気付いた。さりげなく、掴まれた腕の方に目をやると、春樹が片目を開けて、睨んでいた。そして、話を阻止するかのように、腕を思いっきり掴んでいる。

その話は、やめておけ!

春樹の目は、そう語っていた。

「その人から聞いた話…とは?」

芯は春樹が起きている事に気付いていなかった。
慶造は、再び目を瞑った春樹を観て、言いたかった事とは別の話に切り替える。

「俺の事…恨んでいるんだろ?」
「そんな時もありましたね」

遠い昔を思い出すかのように、芯は夜空を見上げた。

「だって、阿山慶造は、私の大切な兄を殺した人物ですよ。
 恨んでいて当然でしょう?」
「あぁ、そうだな」
「だけど、今、そうしないのは、……いつでもその思いを
 果たせる立場に居るからです。それに、その思いを抱いたまま
 お嬢様に接すれば、それこそ、お嬢様の笑顔が消えますから。
 私は、チャンスが来るまで、この思いは秘めておきます」
「いつでも来いよ。待ってるから」
「……永遠に来ないかも知れませんよ」
「ん?」
「だって………」

芯は、眠る春樹を見つめる。

生きてますから…。

その眼差しを観て、慶造は、自分の行動は正しかったと自負する。
弟に、兄は生きていると知らせる事が出来た。
あとは、この兄弟のわだかまりを解くだけ………。

「………すまなかった。こんな形で…」
「慶造さんが気になさる事では、ありませんよ」

そう言って、微笑む芯。その微笑みこそ、とても温かく、心を落ち着かせるようなものだった。

「それでは、私はこれで」
「もう戻るのか?」
「夜風に当たってきます…お嬢様に言ってから、出てきましたから。
 お嬢様は恐らく、起きて待ってるでしょう」
「ったく、あまり添い寝を続けると、こいつが不機嫌になるから
 居ない日に限定しておけ」
「嫌味ったらしく見せつけてるだけですよ」
「真子を出汁にして、兄弟喧嘩をするなっ」
「兄弟じゃありませんよ、他人です。それでは、お休みなさいませ」

冷たく言って、芯は真子の部屋に向かって歩いていった。

「ったく」

芯の姿が見えなくなると同時に、慶造は隣で寝たふりをしている春樹の胸ぐらを掴み、体を起こした。

「真北…てめぇなぁ」
「俺に当たるなっ」

体を起こされたと同時に、春樹は胸ぐらを掴む慶造の手を払いのける。

「兄弟仲良いんか悪いんか、本当に解らんなぁ」
「あいつがあの態度なんだから、仕方ないだろがっ」
「それは、お前が悪いっ」
「あぁ、すまんかった、悪かった」
「益々栄三に似てきたなっ」
「ほっとけ」
「だけど真北…。さっきは……すまなかった」

真剣な眼差しで、慶造が言った。

「…いいや、俺が伝えてないのが悪いんだ。…ありがとな」
「気にするな。………もしかして、弟にも術…掛けてるのか?」
「……かなり強めにな。あの事件の後、怯えきって、薬の影響で、
 子供とは思えない程の力で暴れていたんだぞ。」
「それが影響したんじゃないのか? お前が生きている事を知って
 騙されたと思って、街で大暴れしたのは」
「…かもしれないな」

春樹は微笑んだ。

「術を強くすること……だから、俺は真子ちゃんには反対だったんだ」
「そうならんように……頼んだぞ」
「解ってるよ。…もうすぐ冬だ。そろそろ原田から連絡あるだろうな」
「そうだなぁ」

二人は、同時に煙草に手を伸ばし、そして、火を付けた。再び寝転ぶ春樹は、先程の芯の言葉を思い返していた。

いつの間にやら、真子ちゃんの事を考えるようになったんだな。

ゆっくりと味わうように煙草を吸い終わり、

「…さてと」

そう言って、体を起こす。

「今日は弟が一緒に寝てるんじゃぁなかったけぇ〜??」

からかうような言い方をする慶造に蹴りを入れ、春樹はそのまま去っていった。

楽しくなる…呼び名…か。

慶造は、ふと思い出し、

「えいぞう、健、…ぺんこう、くまはち……むかいん……」

春樹から聞いた言葉を、何度も何度も繰り返して、頭に叩き込んでいた。
どうやら、この呼び方が気に入った様子。

ほんと、楽しくなるよな。
流石、教師を目指すだけある弟だ。
お前が自慢したがる程の……なぁ、真北。
慶造は、空に浮かぶ月を眺め、新たな一本に火を付けた。




そして、新たな年を迎える準備で慌ただしくなる時期には、真子の周りに居る組員の間で広まった、真子が付けた呼び名。それぞれが、呼び合うようになっている。その雰囲気が、真子の心を和ませる一つになっている事に、慶造は嬉しかった。
ちょっぴり笑顔が増えた真子。
そんな真子の笑顔が、更に輝く時がやって来る。



「じゃぁ、行ってくるからなぁ」

玄関先まで見送りに来ている慶造に、春樹が冷たく言った。

「…そう怒るなよ…」

春樹が不機嫌な訳。それは、前日まで徹夜で、本来の仕事に追われていたから。
それも、春樹に許可無しで、大暴れした厚木たちの事後処理に……。
慶造の言葉をまたしても、数倍にして行動した厚木。その行動が春樹の耳に入ったのは、週に三度の割合で、関西に滞在している時だった。それもそっちのけで、春樹は処理に追われ、慶造からは反省の色が観られず、春樹の怒りは頂点に(………達する前に、真子の寝顔を観ていたので、納まっていたが……)

「反省するまで、帰ってこないからな」

慶造の耳元で、低く凄む春樹。

「真子が気にするぞぉ」

その言葉で、春樹の目線は玄関から少し離れた所に居る真子に移った。
真子は、輝く笑顔で、側に居る芯、向井、そして、八造に話しかけている。三人は、真子の言葉に耳を傾け、温かい表情をしていた。

「真北」
「ん?」

真子の笑顔を観て、顔が綻んでいる春樹。

「…綻びすぎ…」
「…すまん。…慶造も…」

春樹に指摘され、慶造は顔を引き締めた。

「ほっとけ」
「で、なんだ?」
「原田に証してるのか? 山本のこと」
「いいや。証してどうする? 俺とあいつは、他人だと何度言えば解る?」
「何度聞いても、解らん」
「…ほんまに、帰ってけぇへんぞ」
「それは、困る」
「じゃぁ、行くぞ。芯が睨んでる」
「お前が、弟を芯と呼ばないなら、他人と認めるぞ」

嫌味ったらしく言う慶造を睨み上げ、春樹は、真子の所へと歩いていった。…慶造に後ろ手を振りながら……。

真子達が乗った車が本部の門をくぐり、出て行った。
門が閉まる所を確認した慶造は、傍らに立つ勝司に指示を出す。
毎年恒例の新年会。
この年は、今まで以上に関係者が集まる事は解っていた。

はぁ〜〜あ。

新年会は大嫌い。
慶造は、大きなため息を吐き、隣の料亭に向かって歩き始めた。
新年の料理の相談と、これからの事も相談する為に……。



(2005.6.24 第六部 第二十九話 UP)







任侠ファンタジー(?)小説・外伝 〜任侠に絆されて〜「第六部 交錯編」  TOPへ

任侠ファンタジー(?)小説・外伝 〜任侠に絆されて〜 TOPへ

任侠ファンタジー(?)小説「光と笑顔の新たな世界」TOP


※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


※この物語は、どちゃん!オリジナルのものです。著作権はどちゃん!にあります。
※物語全てを著者に無断で、何かに掲載及び、使用することは、禁止しています。
※物語は、架空の物語です。物語内の登場人物名、場所、組織等は、実在のものとは全く関係ありません。
※物語内には、過激な表現や残酷な表現、大人の世界の表現があります。
 現実と架空の区別が付かない方、世間一般常識を間違って解釈している方、そして、
 人の痛みがわからない方は、申し訳御座いませんが、お引き取り下さいませ。
※尚、物語で主流となっているような組織団体を支持するものではありません。


Copyright(c)/Dream Dochan tono〜どちゃん!著者〜All Rights Reserved.