第六部 『交錯編』
第六話 父と娘の思い
朝。鳥が鳴き、はしゃぎ出す時間がやって来た。夜がうっすらと明け始める頃……。
阿山組本部。
気合いを入れる声が、聞こえてくる。それに混じって、空を切る音も聞こえていた。
八造には、すでに朝の稽古を終え、ランニングから帰ってくる時間だった。自分の部屋から少し離れた所にある風呂場に向かって行く。汗を流して、さっぱりした後、身なりを整えて真子の部屋へと向かって歩き出した。
時刻は午前六時。 真子にとっては、まだ、夢の中の時間。真子の起床時間は午前七時。
あと一時間…か。
ドアをそっと開け、真子の様子を伺った八造は、眠る真子の側に腰を下ろして、寝顔を堪能している男に気が付いた。男は、ゆっくりと振り返る。八造は慌てて頭を下げた。
「おっはよ。まだだろ?」
「はい。…その…お嬢様が起きる前に、ご相談が…」
小声で言った。 真子の側に座っていた男は、ゆっくりと立ち上がり、真子の頬に軽く唇を寄せてから、八造と一緒に部屋を出て行った。
「真北さん」
「ん?」
「一晩中…起きておられたんですか?」
「あぁ。八造くんが体を解したのが午前四時。ランニングに出掛けたのは
午前五時だったよな。午前六時前に帰宅後、シャワーを浴びてから、
ここに来たぁ〜」
春樹の言うとおりだった。
「いつも思うけど、規則正しいよなぁ。たまには、休んだらどうだよ」
「体がなまりますから」
「で、話は?」
「その……お嬢様が、昨日、悩み事を打ち明けまして…」
「悩み事?」
春樹は首を傾げた。
「四代目とどう過ごしたら良いのかと…。以前のように、色々と
話したいのに、顔を見ても、話す勇気が出てこないと申されて…」
「それで、どう応えた?」
「姐さんのことを気にされている事は、存じております。だけど、
健からの話で、誤解をしていた事に気付いたそうです。
だから、四代目と話したい…そう心に決めたけれど、目の前にすると
どうしても勇気が出ないそうです」
「なるほどなぁ。それは、慶造も気にしてたぞ。真子ちゃんと顔を
合わせるたびに、何か言いたげな眼差しを向けられるって。
もしかしたら、組長という立場を理解して、それを責めるんじゃ
ないか〜なぁんて、悩んでいたんだよなぁ」
春樹は、廊下の壁にもたれ掛かり、窓の外を見上げた。
「そろそろ天地山に行くだろ。だけど、慶造は今年は行かないと
豪語したからなぁ〜」
春樹は口を尖らせ、暫く考え込む。
「二人っきりで過ごす時間っつーのを作るか」
「しかし、いきなり二人っきりと言うのは、お嬢様が嫌がるかも
しれませんよ」
「そっか…。………じゃぁ、手始めに、俺達も同席っつーことだ」
「そうですね。それでは、早めに…ということで、今朝から…」
「朝ご飯…慶造は未だだよな」
「はい。恐らく、そろそろ起床される時間だと思われます」
「いいや、昨夜は遅かったから、真子ちゃんと同じ時間だな」
「………真北さん」
「ん?」
「一体、いつ寝ておられるんですか????」
ちょっぴり怪訝そうな表情で、八造は尋ねた。
「真子ちゃんの寝顔を見つめながらぁ〜」
軽い口調で応えた春樹は、八造に後ろ手を振りながら歩き出す。
「あの、どちらに?」
「慶造の部屋ぁ」
欠伸混じりに春樹が言った。廊下の角を曲がる春樹の背中を見つめながら、
「眠たいんじゃありませんか……」
と呟く八造だった。 八造は、真子に呼ばれたら、すぐに対応出来るようにと部屋の前で待機する。
春樹は、慶造の部屋をノックした。
『誰だよ』
「おれ」
そう応えると同時に慶造の部屋に入っていった。
慶造は、今起きたばかりなのか、眠そうな目をしながら、元気な表情の春樹を睨んでいた。
「八造が起きる頃まで、一緒に飲んでいた奴の面かよ…」
慶造が嘆きながら、ベッドに寝転んだ。
「真子ちゃんが言いたい事が解ったよ」
春樹が言うと同時に、慶造は飛び起きる。
「やっぱり、俺の考え通りか?」
そう尋ねる口調は、かなりの勢いがあった。
「まぁなぁ」
「……本当の事を言え」
低い声で慶造が尋ね直す。
「昔のように話をしたい。そう決心したけど、中々勇気が
出てこないそうだ。だから、何か言いたげな眼差しになったんだとよ」
「………八造には、話したんだな」
「そりゃぁ、八造くんの『お嬢様…私は心配です』という表情を見たら
誰だって、話をしないといけない! そういう気になるだろが」
「ほんと、修司にそっくりだな」
慶造は煙草に火を付ける。一息吐いた後、春樹を見つめる。
「それでだな、慶造」
「あん?」
「今日の朝食は、真子ちゃんと一緒な」
春樹の言葉に、慶造は驚いたような眼差しをする。
「………ちょっと待て」
「待たん」
「急な行動は、真子も気にするだろが」
「だぁれも二人っきりとは、言ってないだろ?」
ニヤリと口元を上げて、春樹は慶造の部屋を出て行った。
食堂。
食事担当の組員が、食卓に料理を並べていく。 すでに、慶造は席に着き、新聞を広げて目を通していた。春樹は、入り口近くに立ち、誰かを待っている。暫くすると、足音が聞こえ、ドアが開いた。
「おはようございます」
真子の元気な声が聞こえてきた。
「まきたん! おはようございます」
ドアのすぐ側に立っている春樹に、深々と頭を下げて、元気に挨拶をする真子。
「おはよう。良い夢、観た?」
「覚えてない……」
小さな声で応えた真子は、顔を隠すように新聞を広げている慶造に気が付いた。 真子の表情が強ばる。何か言おうとするが、中々勇気が出てこない。 慶造は、真子の目線を感じていた。しかし、新聞から顔を出す勇気が出ない…。 真子は、後ろに立つ八造をちらりと見上げた。その目線で、真子が何を言いたいのか、そして、何を思ったのかを悟った八造は、スッとしゃがみ込み、真子の耳元で優しく言った。
朝の挨拶からですよ、お嬢様。
真子は、コクッと頷き、両手を力一杯握りしめた。 そして…。
「…お父様。おはようございます」
真子の声を聞いた慶造は、ゆっくりと新聞を下ろし、真子を見た。 真子は、深々と頭を下げている。
…以前なら、子供らしい明るい口調で言ったのにな…。
そう思った途端、
「おはよう」
組員相手と同じ雰囲気で応えてしまった。
「まきたん…」
「はい」
「……お部屋で食べる…」
「真子ちゃん。食卓に並んでるから、ここで食べよう」
春樹が優しく声を掛けたが、真子は首を横に振った。そして、八造の横をすり抜けて、食堂を出て行ってしまう。
「真子ちゃん!」
「お嬢様!!」
八造が、追いかけていく。その様子を春樹は見届けていた。
「困ったな…」
やれやれと言った表情で、食堂に戻ってきた春樹は、肩の力を落とす慶造を見つめていた。
「すまん、真北。忘れていた……」
「はぁ?」
「……能力……」
「…慶造、お前、もしかして…」
「以前なら…『パパ、おはよっ!』…って明るく言ってくれたのに、
…そう思ってしまったんだよ」
「慶造…」
「あれは、お前の教育か?」
「何が?」
「子供とは思えない挨拶の仕方だよ。…まだ、早いだろが」
「………六歳の誕生日を迎えた途端だよ」
「そうか…。おい」
慶造は組員を呼ぶ。
「はっ」
打てば響くように、元気に返事をする組員は、慶造に近寄って一礼する。
「真子と八造の分、部屋に運んでくれ」
「かしこまりました」
組員は、食卓の上に並べた二人分の料理を素早くお盆に乗せ、食堂を出て行く。 春樹が席に着いた。
「まぁ、これから徐々にだな…」
その場の雰囲気を変えるかのように、春樹が口を開くが、
「いいや、もういいよ。…俺自身、父親としての心構えが
出来るまで、真子には近づかないよ。…どうしても…
読まれてしまう…」
新聞を綺麗に畳み、箸に手を伸ばす。
「さっきの真子の表情は…忘れられないだろうな…」
寂しげに言うと、慶造は料理を口に運び始める。
これは、本当に厄介だな…。
慶造自身…そして、真子ちゃんの能力……。
ため息を吐き、料理を口に運ぶ春樹だった。
その日の朝ご飯に、真子は手を付けなかった。 やはり、慶造の『心の声』が聞こえていた様子。 一点を見つめたまま、真子は動こうとしなかった。
食事を下げてきた八造が、真子の部屋に戻ってくる。
「お嬢様、デザートだけは下げませんでしたよ。お腹が空いた時に
召し上がってください」
八造の言葉に、真子はコクッと頷くだけだった。
「今日は、何をお話しましょうか?」
真子に話しかける八造の声は、とても優しく、心の闇を取り除くかのよう。
「昔話がいい」
「かしこまりました」
そう応えて八造が手に持った本。それは、歴史。 まだ、六歳と四ヶ月の真子には早いと思うが……。
「弥生時代の人々は……」
八造の語りに、しっかりと耳を傾ける真子は、いつの間にか、デザートに手が伸びていた。
街中が、クリスマスムード一色に変わる。
春樹は栄三と一緒に、街の中を歩いていた。商店街のアーケードをくぐり、ずらりと並ぶ店を一軒一軒、訪れていた。一体、何を考えての行動なのか。それは……。
「そりゃぁ、お嬢様と一緒に過ごしたいですよ。だけど、俺は
未だに、原田だけは許せません」
栄三が、強く言った。
「当の小島さんは、仲良く話してるというのに?」
「えぇ。…真北さんだって、そういう思い…あるんじゃありませんか?」
闘蛇組に対して…。
「まぁな。でも、真子ちゃんの為なら、笑顔で話せるけどなぁ」
「俺は、未熟者ですから、そういう芸当は出来ませんよっ」
栄三は、内ポケットから煙草を取り出し、一本くわえて、火を付けた。
「歩き煙草は、止めておけ。危険だ」
「くわえたままですよ」
「それでも、やめておけっ」
春樹は、栄三の口にくわえられた煙草を取り上げた。
「ちっ」
栄三は舌打ちをして、ポケットに手を入れた。
「じゃぁ、この企画は、俺からのクリスマスプレゼントということで」
「その方が、真子ちゃんも喜ぶよ」
「このメンバーだと、貸し切りになりますが…」
「それを今から話しに行くんだろが」
「今、話題のレストラン…か。どんなメニューがあるんでしょうか…」
「真子ちゃんはオムライスが好きだよな」
「…………オムライス……か」
寂しげに言った栄三。その言葉に含まれる事を思い出す春樹は、慌てたように言う。
「すまん。……栄三も、知っていたんだっけ…」
「知っているも何も…。楽しく過ごした時間は多いですよ。
一緒に登校していた剛一や八っちゃんよりも」
「色々と悪い事も教えていたんだっけ? ちさとさんから聞いた」
「姐さん…そのようなお話も、あなたにされていたんですね」
「子供の話の時にな。そうやって話してくれたから、ちさとさんは
再び子供を作ろうとしたんだよ」
「そうですね」
しんみりと言う栄三だった。
「もう……同じ思いは、したくない。…これ以上……」
「そうだよな。…だけど、真子ちゃんを哀しませる事だけは
するなよ。解ってるよな、栄三」
「解ってますよ」
だけど……。
真子の危機には、恐らく、八造よりも先に体で守っていることだろう。 春樹には栄三の考えが、手に取るように解っていた。 自分も同じ思いだから……。
とあるレストランの前に立つ二人は、建物を見上げた。 でかい。
「………ここですよね…」
「あぁ、ここだよな。名前…合ってる」
先程の商店街で聞いた、今流行の有名レストラン。 切れかけた絆を繋ぎ止めるという噂もあった。
「こんにちはぁ」
そう言って、ドアを開けて中へ入っていく春樹と栄三。 栄三のビックリ企画とは……???
栄三運転の車が街の中を走っていた。後部座席には、真子と八造が座っている。真子は、ちょっぴり暗い表情だった。
「お嬢様、もう少し明るい表情をお願いします」
ルームミラーで真子の表情を確認しながら、栄三は運転をしている。それでも、真子は俯いたまま、暗い表情をしていた。八造は、ちらりと真子を見る。真子が何を考えているのか、八造には解っていた。 八造は、真子の顔を覗き込む。
「大丈夫ですよ。私が付いてますから」
真子の耳元で優しく言った。 真子は、グッと拳を握りしめ、頷いた。
はぁ〜あ……。
栄三は、ため息を付きたい衝動に駆られていた。バックミラーで後ろを走る車を見つめる。三台の車が付いてくる。すぐ後ろを走る車に注意を払う。
あっちも大変だなぁ〜、ほんと。
「おいおい、今からこれじゃぁ、おいしい料理もまずくなるだろが」
助手席に座る隆栄が、運転席の修司に呟く。
「解ってて聞くな」
「それなら、なんで同乗なんだよ」
ちらりと後部座席に目をやる隆栄。 そこには、慶造と春樹がお互いそっぽを向いて、険悪なオーラを醸し出していた。 前日の慶造の行動に、春樹が怒りを見せた。 いつもの事だが、今回は度が過ぎていた様子。
それなら、俺は暫く外出せんっ!
慶造が怒鳴った。 その事で、春樹の怒りが頂点に!!
「まぁ、真北さんが怒るのも解らないでもないけどなぁ」
そう言いながら、前を走る車を凝視する隆栄。
「お嬢様の為。ほんと、二人には良い薬だよなぁ」
「それでも阿山は来ようとしなかったよなぁ」
「だから、真北さんの力が必要なんだって。
俺や小島だと、慶造を連れて来るのは難しいだろが。
それに、この企画は、栄三ちゃんだ」
「それがどうした?」
「…何が起こるか解らないだろが…」
修司の言葉に、隆栄の表情が曇る。
「猪熊ぁ〜、ほんまに、お前は、俺の息子をぉ〜」
「本当の事だろっ」
「あのなぁ〜」
…今度は、運転席と助手席が険悪なオーラに包まれる。
「こりゃ、本当に、先が思いやられるよ…」
慶造と春樹が同時に呟いた。
四台の車が、レストランの駐車場に停まった。それぞれの車から男達が降りてくる。 飛鳥組組長・飛鳥とその組員、そして、川原組組長・川原とその組員。真子の誕生日に顔を出していた幹部達が招かれていた。一台の車では、四つのドアが同時に開き、阿山カルテットが降りてきた。川原達は、慶造を守る体勢に入る。その慶造は、一台の車を見つめていた。 栄三が、後部座席のドアを開けて、中を覗き込んでいた。
「…真子…渋ってるのか?」
慶造の呟きに、春樹が反応し、振り返る。
「二人に任せておけって」
冷たく応える春樹。そのことで解る。……まだ、怒っている………。
「お嬢様、到着しましたよ?」
栄三が、後部座席のドアを開け、中を覗き込んでいた。優しく声を掛けたが、真子は、降りようとしなかった。それどころか、隣に座る八造の手を握りしめている。
「お嬢様? 大丈夫ですよ。周りは安全です。それに、真北さんも
私も付いていますよ?」
「…安全なのは、解る…。…その……」
真子は八造を見上げた。 その目が語っている。
お父様に、話を切り出す勇気が…。
八造は優しく微笑み、真子を腕の中に包み込んだ。
「お嬢様。私の勇気をどうぞ。ありったけ奪ってください」
「八造さん…」
八造の胸に顔を埋めて目を瞑る。 そこから伝わる八造の心音。とても心地よかった。一定のリズムが、真子の心を落ち着かせる。そして、八造から力が伝わってきた。優しくて、力強い心も…。
真子が目を開け、八造を見上げた。
「さぁ、行きましょう」
「はい」
真子は、ゆっくりと車を降りる。真子のすぐ後ろに八造が立った。そして、辺りを警戒する。
「……席は離れるけど、いいんか?」
栄三が、こっそりと八造に伝える。
「真北さんが同席だろ?」
「まぁ、そうだけどぉ〜……って、手ぇ繋いだままか?」
「いいだろが」
冷たく応えて、八造は真子を促して歩き出す。ちょっぴり足取りが重い真子。しかし、八造からもらった勇気が、徐々に、真子の心を弾ませていた。
「栄三さん」
「はい、なんでしょうか、お嬢様」
「レストランのお料理、食べたの?」
「えぇ。予約した日に」
「おいしかった?」
「私がお奨めしますよ。心が和みます。だから、お嬢様」
栄三は真子の耳元に顔を近づけて、
「四代目と楽しくお過ごし下さいね」
優しく言った。
「はい!」
真子が笑顔で返事をした。
真子……。
真子と八造、そして、栄三の様子を後ろから見つめながら、レストランの入り口に向かう慶造も、真子の笑顔を見て、決意する。 真子と楽しい時間を過ごす…と。
「いらっしゃいませ。御予約の小島様ですね。私は当レストランの
店長を務めます、誉田(ほんだ)と申します。この度は御予約
ありがとうございます。では、ご案内致しますので、どうぞこちらに」
店長の誉田が、真子達を丁寧に招き入れた。 真子の目は、輝いていた。
春樹運転の車が、街の中を走っていた。春樹は、後部座席の二人をちらりと見つめる。
まぁ、一応、成功だよな…こうして、一緒に座ってるし…。
後部座席には、真子と慶造が座っていた。
「真子ちゃん、これから何処か行く?」
春樹が優しく尋ねるが、真子は首を横に振る。
「家に帰る。……お父様に何か遭ったら心配だから…」
真子が静かに言った。
「大丈夫だよ、真子」
「でも…」
真子は、慶造の立場をちょっぴり理解した様子。
「…私の立場を理解するには、まだ早いけど、
真子は、どう思ってる?」
「……嫌い……」
真子の言葉に、慶造の体が硬直する。
「嫌い…とは?」
「…お父様が嫌いじゃなくて……やくざが嫌い…。だって、
ママを……ママを狙ったのは、同じやくざなんでしょう? お父様!」
少し取り乱したように言う真子。慶造は、真子を見つめた。
「あぁ、そうだ。私が生きている世界は、命を粗末にする事が
平気な世界なんだよ」
「どうして…仲良くできないの?」
「子供には難しいかもしれない。大人になって初めて解ることだ。
私だって、そう思っていた。…そう願って、四代目を継いだ。だけど…。
現実は、そういかないことが解った。力には力で制するしかない」
慶造の言葉をしっかりと受け止めている真子は、唇を噛みしめた。
「それをちさとが反対していた。でも……どうすることも…できなかった…」
慶造の声が震えた。
ちさと……すまん……。
だから、俺は………。
真子が耳を塞ぐ。その仕草で、慶造は我に返った。
しまった…。
「無茶しないでね……パパ……」
「真子……」
真子は俯き、何かを我慢している様子だった。どうやら、気を張っている様子。そうでもしないと、自然と聞こえてくる声がある。それが、何か少しずつ解り始めた真子は、その声が聞こえないようにと気を張っているのだった。
「真子」
「はい」
「…健の事、嫌いなのか?」
慶造の質問は唐突だった。
「……嫌いじゃないよ。ただ、…八造さんが怒るから…」
「あぁ、そうだろうな。八造は、真子を守るのが仕事だから」
「お父様」
「ん?」
「天地山には、行かれないんですか?」
真子が尋ねる。
「年末年始こそ目を光らせないと、ちさとが目指した世界にならないからさ」
「大丈夫?」
「猪熊と小島が居る。それに、山中も手伝ってくれるから、
真子は気にする事ないよ」
「…本当に、気をつけて下さい」
「ありがと」
二人の会話を聞いていた春樹。
親子の会話か??
と笑いを堪えながらも、運転に集中していた。
「やくざの世界に、警察は手を出さないんでしょう?」
「ん? そんなこと、ないぞ。もし、迷惑を掛けるような事をしたら
それこそ、捕まるよ。なぁ、真北」
「真子ちゃん、その話は、誰から?」
「栄三さん」
まった、栄三はぁ〜。いらんこと教えやがって!
慶造と春樹は、同時に思った。
「ママを狙った人…捕まったの?」
「それは、解らないな…」
慶造は誤魔化した。 真子が急に俯き、拳を握りしめた。
「真子、どうした? 気分が悪いのか?」
慶造が真子の顔を覗き込む。 真子は、首を横に振った。
「嫌い……」
呟く真子。
「ん? 何が嫌いなんだ???」
慶造が、そっと尋ねると、
「………警察……大っ嫌いっ!!」
突然の真子の発言。 それには、慶造は目が点になる。
「真子の気持ちは解るけど……」
と言いながら、ルームミラーに映る春樹の顔色を伺う慶造。 そこに映る春樹の表情は、慶造以上に目が点になり、ショックのあまり、唇が震えていた。
「真北ぁ、聞いたか?」
「な、何を?」
「真子は、警察が大嫌いだってさ。…良かったなぁ、真北。
嫌われなくて」
なんとなく、嫌味が含まれている感じの言葉に、春樹は、
「あ、……あぁ……」
そう応えるのが精一杯だった。 一応、自分の立場は刑事なだけに……。
「ねぇ、まきたん」
「はい」
「…また……レストランに行きたい…」
真子に呼ばれて、我を取り戻す春樹。
「おいしかったでしょう?」
「うん!」
真子の明るい声が、車の中に響く。 その声が、慶造の心の闇を少しだけ取り除いた。
「次は、来年になるけど、それでいい?」
「うん」
「誰を誘おうか? 真子ちゃん」
「えっと…。まきたんでしょ、栄三さんでしょ、八造さんでしょ…。
健さんも! 小島のおじさんに、猪熊のおじさん。……飛鳥さんに
川原さんも誘いたいなぁ。……そして…」
「そして?」
真子は、慶造を見つめた。
「パパも!!」
ニッコリ微笑んで、真子が言った。
真子……!!!
慶造は、思わず真子を抱きしめる。
ありがとうな……真子。
慶造の思いは、抱きしめる腕から伝わってきた。
それは、自然に聞こえてくる声とは、全く別に………。
(2005.2.22 第六部 第六話 UP)
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