第七部 『阿山組と関西極道編』
第一話 一騒動
阿山組組本部。
いつもの朝が訪れ、組員や若い衆の朝稽古の掛け声が聞こえてくる時間。 慶造が目を覚ます。 寝起きが悪いのは、昔っから。 仏頂面で、着替えを済ませ、食堂へと向かっていく。 その足取りは、少しずつ軽くなり、表情も明るくなっていった。 食堂からは、真子の声が聞こえてくる。その声を耳にしながら、慶造は食堂へと入っていった。
「おはようございます」
入り口近くに居る組員が、真っ先に声を掛ける。それと同時に、食事係の者達が元気よく挨拶をした。 慶造はそれぞれに短く挨拶をして、真子の居る所へと足を運ぶ。
「お父様、おはよう御座います」
真子が丁寧に挨拶をする。 その姿は制服を着ていた。
「おはよう。今日からか?」
「はい」
「気をつけて行くように。……真北が送迎するのか?」
真子と一緒に食事をしている春樹に尋ねた慶造。しかし、春樹は、目も向けずに食事中。その仕草で解る。 送迎するのだろう…と。
「時間は良いのか?」
「お父様に挨拶してからと思ったの」
嬉しそうな声で真子が言った。
「あぁ、ありがとな。…かわいいよ。制服…良く似合う」
「ありがとう!!」
飛びっきりの笑顔で、真子が応えた。
そして、真子と春樹は、真子が通う学校へと向かっていった。 玄関先まで見送る慶造に、勝司が歩み寄る。
「毎日の送迎は、真北じゃ無理だな。他に誰が居る?」
「今のところ、北野くらいしか思いつきません」
「今週中に選んでくれ」
「真北さんの許可は、必要ありませんか?」
「必要ない」
短く応えて、慶造は組長室へと向かっていった。
真子が通う学校。 春樹は、廊下から教室を見つめていた。 真子が担任の先生と共に教室に入り、教壇に立つ。そして、自己紹介をしていた。 ちょっぴり緊張した面持ちの真子だが、その眼差しは期待に満ちていた。 担任の先生に案内され、席に着いた真子。それと同時に授業が始まった。隣の生徒と一緒に教科書を見ながら、先生の話を真剣に聞くその姿は、春樹の心を落ち着かせていた。 ふと、人の気配を感じ、春樹は振り返った。 そこには、飛鳥と校長先生が立っていた。
「どうですか、阿山さんのご様子は」
校長が静かに尋ねてきた。
「緊張してるみたいですね」
やんわりと春樹が応える。
「真北さん、お嬢様は送迎で通学ですか?」
「あぁ」
「お時間…大丈夫ですか?」
「本来なら毎日…そう思っていたけど、スケジュールの都合が
付かなくてな」
「うちの者で良ければ…」
「面識のある組員は、いないだろが」
「……そうでした…」
「慶造が、今週中には、誰かを選んでるだろうな」
「そうですね」
飛鳥との会話中も、春樹の目線は、真子に向けられている。 真子が、ちらりと振り返った。 どうやら、春樹の目線に気付いたらしい。 そっと手を振る真子。 しかし、春樹は嬉しい気持ちをグッと堪えながら、厳しい眼差しで、指を差す。
先生のお話を聞きなさい。
という風に。 真子は、すぐに前を向く。
本当に厳しいなぁ……。
春樹と真子のやり取りを見ていた飛鳥と校長は、そう思った。
放課後。 真子はすっかり生徒達に溶け込んで、楽しく話していた。 しかし、他の子供達と、話がかみ合わない事があった。 それでも真子は、生徒達と話している。
「阿山さん、家はどこ?」
「家? ……どこって、その……」
真子は応えられない様子。
「一緒に帰ろうと思ったんだけど…」
「あっ、でも、お迎えが…」
「お迎え?!??」
「はい。失礼します」
「…???」
真子が丁寧に頭を下げて、クラスメイトの前から去っていく。真子が向かった先には、春樹と八造の姿があった。真子は、二人に何かを話し、クラスメイトに振り返る。春樹と八造は、クラスメイトに一礼して、真子と去っていった。 呆気に取られたクラスメイト。 そこに、他の生徒が近づいてきた。
「阿山さんって、あの阿山組の子だって」
「阿山組って、やくざの?」
「うん。だから、車で送迎みたい」
「ふ〜ん。今まで何処の学校に居たのかな」
「家庭教師が居たんだって」
「それなら、どうして学校に来たんだろ」
「さぁ。家庭教師が逃げただけじゃない?」
「やくざだから?」
「そうかもね」
クラスメイトが真子を見る目は、初日から決まっていた。 やくざの娘。 次の日から、真子はクラスメイトから、少し冷たい眼差しを向けられるようになる。 そうとは知らずに、真子は帰宅する車の中で、初めての学校生活を、春樹や八造に楽しく語っていた。
真子の送迎は、春樹の他、勝司、北野、時には栄三…と決まった。そして、毎日楽しく通う真子。日に日に笑顔を取り戻していた。 しかし、暗い表情をする時がある。 それは、芯との時間が無くなった事が関係していた。芯は時間が出来た時だけ、真子に電話を掛けてくる。 その電話を待ち遠しそうにしている真子を見て、春樹は深刻な表情をしていた。
桜吹雪が舞い、そして、連休がやって来る。 それと同時に、芯も本部へとやって来た。
「お疲れ様です!」
「こんにちは」
門番の挨拶も、いつの間にか敬うような雰囲気になっていた。 そんな事は気にせずに、芯が向かう所は、真子の部屋。 ノックをすると、返事もせずに、真子はドアを開け、芯の体に飛びついた。
「ぺんこう! 待ってたの」
「お、お嬢様っ」
真子の突然の言葉に驚く芯だが、真子をしっかりと受け止めていた。
「大学のお話、聞かせて!!」
「私のお話よりも、お嬢様の学校の話をお聞きしたいです。
していただけますか?」
「お電話だけじゃ、足りないもんね!」
「えぇ」
そう応え、芯は真子の部屋に入っていった。 その様子を伺っていたのは、春樹と慶造。
「……真北ぁ、そんな眼差しするなら、お前も参加しろよ」
春樹の眼差しには、なんとなく嫉妬を感じる…。
「いいんだよ。あいつも楽しみにしていたんだからさ」
「…いいのか?」
「何が?」
「恋人……取られるぞ……」
「大丈夫だ」
そんな会話をしながら、二人は会議室へと入っていく。 幹部達が深刻な面持ちで集まる会議室。 この日の課題も、復活した厚木総会の行動に対することだった。
連休も終わり、芯も本部から自宅へと戻っていく。
それは、雨がしとしと降っている日に起こった。 この日も北野運転の送迎車で真子が登校してきた。 生徒達の冷ややかな目線に気付きもしない真子は、明るく挨拶を交わして席に着く。 真子が無事に教室へ入った事を確認すると、北野は一度本部へ帰っていく。
事件は、この日に起こった。
とある事情で、学校の授業が短くなることがある。 それが、この日だった。 いつもより一時間早く終わった学校。生徒達は、喜びの表情で帰宅する。そんな中、真子は北野の迎えを待っていた。 一時間早く終わった事は、北野は知らない。 もちろん、真子は、その連絡をすることを知らないで居た。 一日中降っていた雨が止んだ。 傘を持っていなかった真子は、雨が止んだことで、ふと何かを思いついた。 そして、一歩踏みだし、校門を出ていった。
…えっと、いつもこっちから来てるから…。
そう思った真子は、門を出た途端、右へ曲がって歩いていく。 そのまま暫く歩いていく真子は、曲がり角の所で歩みを停めた。
あれ? ここからは…どっちだったかな…。
左を見る真子。そして、右を見る。
こっちだ!
真子は右に曲がって歩いていった。 真子の様子を、一人の女生徒が見ていた。そして、同じように歩いていく……。 真子は、曲がり角に来るたびに、歩みを停めて、何かを確認するかのように周りを見る。そして、思いついた方へと曲がっていった。 大通りに出た。信号の事は知っている。目の前の信号は赤になっている。もちろん、停まらなければならない。 真子はジッと待っていた。 信号の向こうにある光景は、とても賑やかだった。 色々な店があり、商店街にもなっている。近くには電車が通っているのか、音も聞こえていた。 信号が青になる。 真子は周りの人に釣られるように一歩踏み出した。
!!!
その時、肩を掴まれた。振り返ると…。
「これ以上は、一人で行くことは出来ないよ? 校区外だから」
真子の肩を掴み、歩みを停めたのは、学校から出てきた真子を付けてきた女生徒だった。 真子は、その女生徒を見つめる。 どこかで逢った気がした真子は、女生徒の名札に気付いた。
「あすか……ようこ……。…飛鳥さんのご息女……」
その女生徒こそ、飛鳥の娘・飛鳥洋子だった。
「真子ちゃん、何処に行くつもり?」
どうやら、真子の事は知っていたらしい。
「その……帰ろうと思ったんだけど…」
「…本部って、反対方向なんだけど…。真子ちゃん、
校門を出た途端、本部とは反対の方向に歩き出したから
気になって付けてきたんだけど…。正解だったか…」
「あの……家は…どこでしょう…」
「あっ、そっか。いつもは送迎だったっけ。…迎えの人は?」
「居なかったから…」
「いつもの時間より早かったもんなぁ〜。だからって、これは…」
洋子が心配する事。それは……。
北野はいつもの時間に学校へやって来る。 しかし、学校の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。 生徒達の声が、少ない。 慌てた北野は、真子の教室へ向かっていく。 しかし、教室はもぬけの殻…。更に慌てた北野は、職員室へ。そして、担任の先生に尋ねると…。
「一時間前に帰りましたよ」
その言葉を聞いた途端、北野の顔から血の気が引いた………。
北野は、本部へ戻ってくる。そして、勝司に、真子の姿が見えないことを伝えた。
「この馬鹿野郎! 戻ってくる前に探すのが先だろがっ!」
「すんません!! その私一人では無理だと思いまして…」
「組員総出で探す。四代目に知られる前に、見つけ出せ!」
「御意!」
慶造は、春樹と一緒に外出中だった。 勝司の言葉に、北野だけでなく、若い衆も一緒に真子を探し始める為に、本部を出て行った。 真子の学校からの道のりを徹底的に探し始める北野達。 しかし、真子の姿は見当たらず…。 それもそのはず。 その頃、真子は…。
洋子は真子と手を繋いで、とある町を歩いていた。 角を曲がると、突き当たりに大きな家があった。その家に通じる道の側には、一人の男が立っていた。 その男は、洋子の姿に気付き、一礼する。
「お帰りなさいませ」
「お父さんは?」
「まだ会議中です」
「遅くなりそうだね」
「はい」
「お母さんは居る?」
「姐さんは、ご自宅です」
「ありがとう」
「あの…そちらのお嬢さんは…」
「お友達!」
「そうですか。ようこそ、お越し下さいました。ごゆっくりおくつろぎください」
「あ、ありがとうございます」
飛鳥組の組員に丁寧に挨拶された真子は、思わず深々と頭を下げてしまった。
「私の家は、あそこ!」
洋子は指を差して、真子の手を引いて自宅に向かって行く。
「…本当に、良いんですか?」
「良いって。それに、一人で帰るのは危険だろうし…」
「……その…」
「遠慮することないって。ほら、あがって!」
玄関を開けた途端、洋子は真子を招き入れた。
「ただいまぁ」
「お邪魔します…」
洋子の明るい声に反応したかのように、一人の男性が顔を出した。 世話係の山都(やまと)だった。
「お帰りなさいませ。今日は早かったんですね…お友達ですか?」
山都は優しく声を掛けてきた。
「うん。部屋にオレンジジュース二つね」
「かしこまりました」
「いこ!」
洋子は真子の手を引いて、二階にある自分の部屋に上がっていった。山都は二人を見送るように頭を下げ、そしてキッチンへと向かっていった。
洋子の部屋。
ドアを開けて、真子を招き入れる。真子は、部屋の中を見て、驚いた表情になった。
「すごい! これ…誰ですか?」
壁には人気アイドルのポスターがたくさん貼られていた。真子には全く無縁のアイドルの世界。本当に誰だか解っていなかった。
「真子ちゃん、知らないの? テレビの歌番組で人気なんだよ!
タケくんって言うんだ。かっこいいでしょぉ〜」
タケくんというアイドルの名前を言う洋子の表情は、それはそれは、とろけている。しかし、洋子が言うように、そのタケくんが、かっこいいという…事が解らない真子は、首を傾げていた。
「もしかして、テレビ…観ない?」
真子の様子に疑問を持った洋子が尋ねる。真子が応えようとした時、山都がドアをノックし、ドア越しに声を掛けてきた。
『洋子さん、お飲み物です』
洋子は、ドアを開け、オレンジジュースの乗ったお盆を受け取った。
「それと、夕食まで時間がありますので、おやつを用意しましょうか?」
「ジュースだけでいいよ、ありがとう」
「はっ。何か御座いましたら、私は下に居りますので、お呼び下さい」
「うん」
山都は一礼して去っていく。
「真子ちゃんはオレンジジュースが好きなんでしょ?」
「…どうして知ってるの?」
「お父さんが良く話してるから。天地山でオレンジジュースの味を覚えて
それから、ずっとオレンジジュースしか飲まなくなったって」
「どうして、飛鳥おじさんが知ってるんだろ……」
「まぁ、色々とあるんじゃない? 大人の世界は難しいし。はい、どうぞ」
「ありがとうございます。頂きます」
真子は一口飲んだ。飲みながらも、真子の目線は壁のポスターに向けられている。
「気になる?」
「あっ、その……かっこいいって…良く解らなくて…」
真子は照れたように頬を赤らめて、ちょっぴり微笑んでいた。
「それなら、アイドルの写真集とか雑誌があるから、見てみる?」
「よろしいんですか?」
「いいよ!」
と言ったものの、良いのかどうか悩んでいる洋子だった。
飛鳥家の玄関の扉が開き、飛鳥が帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。洋子は、もう帰ってるのか」
玄関に置いてある靴で解る飛鳥。
「はい。ご友人も来られており、部屋でくつろがれてます」
「解った。ありがとう」
そう言って、自分の部屋に向かっていく飛鳥に、山都も付いていく。
洋子の部屋では、洋子がアイドルの話をし続けていた。真子は、初めて耳にする事ばかりで、興味津々。それ以上に、アイドルの話をする洋子の表情に興味を抱いていた。
飛鳥の部屋に妻が入ってくる。
「お疲れさまでした」
にっこり微笑む妻を見るだけで、この日の疲れも吹っ飛んでいく飛鳥。
「洋子の友達が来てると聞いたが、気にしてないのか?」
飛鳥が気にするのは、極道の娘という事。
「初めて見る子だったから、もしかしたら、知らないんじゃ…」
「知らなくても、ここに来るまでに事務所があるから、
それとなく気付くだろが。その事があるから、今まで
洋子の友達は遊びに来なかっただろ」
「それもそうね…。それなら、夕食を兼ねて、話してみる?」
「そうだな。まぁ、小学生には、難しいだろうがなぁ」
大きく息を吐く飛鳥は、廊下で待機している山都を呼び、何かを告げた。
山都は洋子の部屋にやって来る。 ドアをノックした。
「洋子さん、よろしいですか?」
洋子がドアを開けて出てくる。
「どうしたの?」
「おやっさんが、お友達も一緒に夕食をどうかと仰っておりますが…」
「またぁ〜。友達を探ろうとしてるでしょ?」
「は、はぁ…」
その時、洋子は何かを閃いた表情をした。
「友達に聞いてから、後で返事してもいい?」
「そのようにお伝えしておきます」
「よろしく!」
洋子が部屋に戻ると、山都は下へと降りていった。
洋子は、アイドルの写真集を見ている真子に
「山都さんが言ってたけど、夕ご飯、食べていく?」
「でも…夕ご飯は、むかいんが用意してると思うから…」
「そっか、専属の料理人が居たんだよね」
「はい」
洋子は時計を見る。 時間は夕食を作るには、まだ早い。
「電話で連絡したら、今ならまだ間に合うんじゃない?」
「そうですね。この時間は、まだ隣の料亭に居る時間ですから」
「連絡したら?」
「連絡????」
真子は首を傾げる。
「自宅に電話したら、いいんじゃない?」
「電話……その………」
真子は照れたように俯いた。
「ん?」
「電話番号……知らないの……」
「えぇぇっ!!!!!!」
驚く洋子に、更に照れたように俯く真子だった。
山都から洋子の伝言を聞いた飛鳥は、暫くのんびりとしていた。 再び山都が部屋にやって来る。
「洋子の返事か?」
「いいえ、その…山中さんからお電話です」
「山中が? まさか、四代目に…?」
慌てる飛鳥は、急いで電話に出る。 受話器の向こうから聞こえてくる言葉に、飛鳥は深刻な表情へと変わっていく。
「どうしたんですか?」
受話器を置いた飛鳥に声を掛ける妻。
「真子お嬢様が、学校から姿を消したらしい」
「えっ?」
「授業が早く終わった事を知らなかったらしいんだよ。いつも通りに
迎えに行ったら、既に帰ったと。…それで、今行方を捜して……」
そこへ、洋子がやって来た。
「お父さん、本部の電話番号は?」
「ん? ここに書いてるぞ」
「むかいんさんに夕食を断る時は誰に伝えたらいいの?」
「そりゃぁ、八造くんか栄三くん、もしくは直接向井くんだろうな」
「ふ〜ん」
普通に話していた飛鳥は、ふと疑問を抱く。
「って、洋子、お前が何故、本部に用がある? どうして連絡を???」
「あっ、いや、その……」
洋子は後ろを振り返る。 そこには、真子が恐縮そうに立っていた。
「すみません…その……お食事にお呼ばれしようと思いまして…」
「?!?!!!!!!」
真子のことに気付いた飛鳥は、目が飛び出すかと見間違えそうになる程、目を見開いて驚く。
「って、お嬢様っ!!!!!!!!!!!!!!!」
飛鳥は受話器を置いた。 その手は、微かに震えている。
「お父さん、どうだった?」
「ん…。よろしくと…それと、今日は料亭が忙しいらしくて、向井くんも
時間を押しているそうで……。その…………」
ちょっぴりしかめっ面になりながら、受話器を当てていた耳を押さえている。
「…ったく、真北さんご帰宅に重なるとはな…」
連絡を入れたと同時に、春樹が帰宅していたらしく、勝司の手から受話器をふんだくり、怒鳴りつけたらしい。
「真子ちゃん」
「はい」
「私の母の手料理だけど、いいの?」
「お呼ばれしても、本当によろしいんですか?」
真子は、飛鳥の妻を見つめる。 その眼差しに、妻は、
「もちろん! これでも、料亭の女将さんに誉められた事あるんだからぁ!」
「女将さんとお知り合いですか?」
「あっ、そうなの。幼なじみ」
「そうでしたか。すみません、私、知らないことが多くて……」
「夕食まで時間があるから、洋子と遊んでてね」
「お世話になります」
真子は深々と頭を下げる。
「真子ちゃん、もっと見せてあげる!」
「お願いします」
そう言って、真子と洋子は二階へと上がっていった。 沈黙が続く。
「……まさか、連れてきていたとは…」
「まぁ、洋子が、たまたま見つけたから良かったものの…」
飛鳥は、安堵のため息を付いた。
「真子お嬢様が学校に通うことになった途端、洋子に見守るように
言ってたのは、だぁれ?」
妻の言葉に、飛鳥は苦笑い。
「それより、女将さんと幼なじみって、…無理がある」
「そう言っておいた方が良いと思ったの」
「まぁ、そうだな。まさか、おやっさん関連とは…言えないわな」
「お嬢様は知らないんでしょう? 笹崎さんが、元極道って…」
「まぁな。…それにしても、本当に腕に自信あるのか? お嬢様の口は
向井の味で慣れてるから、大変だぞぉ」
「だぁいじょうぶ! 私これでも、腕は良い方でしょう?
それに惚れたのは、誰よぉ〜もぉっ」
「俺だぁ」
仲睦まじい二人。二人の側に居た山都は、その場をそっと去っていた。
一台の高級車が猛スピードで走っている。その車の運転手と助手席の人物は、何やら言い合いをしている様子。それが、運転にも現れていた。
「だからぁ、慶造っ!」
「じゃかましぃっ! 真子の一大事に仕事をほっぽり出して
帰るような男に言われたくないわいっ!」
「連絡を受けて、慌てた奴は誰だよ! 山中くんにまで
怒鳴りつけて、挙げ句の果てに組員を威嚇するなんて、
本当に慶造らしくないな」
「うぅるぅさぁいっ!!」
怒り任せにアクセルを踏む慶造。その勢いに思わず姿勢が崩れたのは、助手席に座っている春樹だった。
「って、こら、慶造!! 捕まるぞ!」
「お前の顔で、パスする!」
車は更にスピードを上げていた。
その頃、飛鳥家では、楽しい夕食タイムを過ごしていた。 飛鳥の妻の手料理を満足げに食する真子。その輝く笑顔に、飛鳥達は魅了されていた。
「良かったぁ、真子ちゃんの口に合って」
「ごちそうさまでした」
真子は丁寧に挨拶をする。そんな真子の仕草に妻は驚いていた。
「真北さんの教育だよ」
妻の表情を見て、何に驚いているのかが解る飛鳥は、そっと応えていた。 真子は食事中、一言も声を発しなかった。 箸を運ぶ仕草に品を感じる。 出された料理を残さず食べる。 そんな真子にも驚いていたが、小学生とは思えない仕草と言葉遣いに、妻は本当に驚いてしまったのだった。 当の真子は、それが当たり前だと思っているのだが…。
リビングで、洋子の好きなアイドルが出ている番組を観ている真子と洋子。そんな二人を優しい眼差しで見つめる飛鳥。妻が食後の飲物を用意して、飛鳥、そして、真子と洋子に差し出した。
「ありがとうございます」
「ごめんね、洋子の好きなアイドルだから、必死でしょう?」
「いいえ、大丈夫です。それに、洋子お姉さんの表情が
とても輝いているから、それを見てるだけでも好きですから」
「真子ちゃんって……今年九歳になるんだよね?」
「はい。夏に。あっ、その……飛鳥おじさん」
「は、はい」
突然声を掛けられて焦る飛鳥。返事する声が裏返っていた。
「いつも素敵なプレゼントを頂きまして、ありがとうございます。
直接お礼を言えなくて、いつもすみませんでした」
「喜んでもらえて嬉しいですよ。洋子にも、慶造さんから
頂いているからね。今年は、真子ちゃんに直接聞こうかなぁ。
何がいい?」
「飛鳥おじさんが選んで下さるものでお願いします」
真子の言葉に、飛鳥は参ったような表情を見せる。
参ったなぁ〜。今年は本当に思い浮かばないんだよな…。
ポリポリと頭を掻いて、考える飛鳥。 その心の声は、真子に聞こえている事を、この時、すっかり忘れていた。
「あの…飛鳥おじさん」
「は、はい」
「誕生日まで時間がございますから、その……」
「あっ、すみません!! 聞こえましたか?」
飛鳥の言葉に、真子は微笑んでいるだけだった。
「洋子の好きなアイドルの写真集を見て、気に入った人物居た?」
妻は突然、真子に尋ねた。
「……その……よく解らなくて……。かっこいいって…どういうものなのか…」
真子の言葉に、飛鳥と妻は、きょとんとする。
「そっか…真子ちゃんの周りって、格好いい男ばかりだから、
理解しにくいか……」
「あなた、格好いいというのが、解らないだけでしょう?」
「どう説明したら良いんだろ…」
「さぁ、それは……私にも難しい……」
二人の耳に、車の急ブレーキの音が聞こえてきた。 思わず顔を見合わせる二人。
「あれは、四代目が運転してきたようだな…」
「……ドアの閉まり方に、怒りを感じるけど…」
飛鳥と妻が語っているように…。
飛鳥組組事務所前の道路に、猛スピードで車が突っ込んできた。 あまりの急な事に、門番が身構える。 しかし、その車種に見覚えがある門番は、深々と頭を下げるが、その目の前を、風を切るように車が走り去る。そして、飛鳥家の前に急停車した。 運転席と助手席のドアが同時に開く。
「スピード違反!」
「あれは、ちんたら走り過ぎなだけだろが」
「あのなぁ、もし捕まったら、俺にでも無理だぞ!!」
「そうならんように、見つからない場所を走っただろが」
「見つかっても、撒いたのは、誰だよ!」
春樹と慶造は、同時に車のドアを閉める。
「何も慌てる事ないだろうが! 飛鳥の事を信じてないのか?」
春樹は車の屋根越しに、慶造を怒鳴る。
「信じてるが、真子の無事を確認するのが一番だろ!」
春樹に負けじと慶造も怒鳴る。 そして、二人は言い合い始めた。慶造に挨拶をしようとした門番や飛鳥組組員は、二人の言い合いにオロオロとし始める。 飛鳥家の玄関のドアが開き、飛鳥が顔を出す。 それでも二人の言い合いは続いていた。
「オホン」
咳払いをして、二人に気付かせる飛鳥。 慶造と春樹は、今にも掴み合いそうな雰囲気だったが、飛鳥の姿に気付き、振り返る。
「真子は、無事なのか?」
「真子ちゃんは無事なのか?」
飛鳥の左から慶造が、右からは春樹が、同時に尋ねる。
「って、お二人とも!! 御連絡したように、御無事ですよ!
来られた途端、言い合うのは構いませんが、もう少し
周りを見て頂けませんか?」
飛鳥の言葉に、慶造と春樹は辺りを見渡す。 度肝を抜かれたような飛鳥組組員達の表情に気付き、反省したような表情を見せた。 再び玄関のドアが開き、真子が出てくる。真子を見送るように洋子と飛鳥の妻も出てきた。
「真子ちゃん!」
春樹は、真子に近づき、抱きしめる。
「黙って一人で出歩かないようにと…」
「ごめんなさい。その…連絡先も知らなくて、それで、その…」
「解らない時は、誰かに聞くようにと申したでしょう?」
「はい。これからは気をつけます」
「あぁ」
春樹が真子を抱きしめる光景を見ないように、慶造は目を反らし、運転席に乗り込んだ。 真子は春樹の肩越しに、その様子を見ていた。
心配掛けるな。
車に乗り込む時に、慶造の心の声が聞こえていた。
「真子ちゃん、楽しんだか?」
春樹は、その場の雰囲気を変えるかのように、真子に尋ねた。
「うん。あのね、あのね、洋子お姉さんがね!」
真子は嬉しそうに春樹に話し始めた。そして、真子の話に洋子と飛鳥の妻まで加わってきた。飛鳥は、運転席に近づき、一礼する。窓が開き、慶造は飛鳥に、こっそりと何かを告げた。飛鳥は、軽く頷いて、真子達の方を見つめる。
「お嬢様、そろそろ帰る時間ですよ」
飛鳥の声に、真子は振り返った。
「飛鳥おじさん、お世話になりました!」
真子は深々と頭を下げる。そして、洋子、妻へと同じように頭を下げていた。
「真子ちゃん」
洋子が声を掛ける。
「はい」
「お友達が、さようならするときは、そうやって頭を下げないんだよ?」
「え?」
「ほら、学校で他の生徒がしてる仕草あるでしょう?」
「仕草…?」
真子は首をちょこっと傾げて、考える。 その仕草は、とてもかわいくて……。
真子と春樹は、後部座席に座る。真子が座る側に洋子が近づき、何かを話していた。
「帰るよ」
慶造が短く告げると同時に、車は出発した。
「じゃぁね、洋子お姉さん。バイバイ!」
そう言って、真子は洋子に向かって手を振っていた。 その仕草こそ、子供らしさを感じさせるもの。 学校の他の生徒がしている仕草。真子はそれを知っていたが、して良いのかは理解していなかった。いつまでも、クラスメイトに対して、深々と頭を下げ、教師に対しても、丁寧に挨拶をして下校していた真子。 この日、ちょっぴり子供らしさを覚えたのだった。 去っていく車に向かって、洋子はいつまでも手を振っていた。 もちろん、真子も手を振っている。
子供らしさ……か…。
いつまでも手を振る真子をルームミラー越しに見つめる慶造は、そう思っていた。 飛鳥に言われた事がある。
お嬢様には、もっと子供らしく過ごさせてください。 真北さんにも申して下さいね。
真子が春樹に話す姿を見て、慶造は優しく微笑んでいた。
(2005.8.29 第七部 第一話 改訂版2014.12.7 UP)
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